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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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クリスマスの夜にお生まれになるこの方は、一体どなたなのか

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 12月24日、御降誕の前日に大阪で行った聖伝のミサのお説教をご紹介いたします。


天主様の祝福が豊かにありますように!

2015年12月24日 主の御降誕の前日のミサ
小野田神父 説教



 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 愛する兄弟の皆さん、聖母の汚れ無き御心巡回教会にようこそ。今日は2015年12月24日、クリスマスイブ、御降誕の前日のミサをしています。あと数時間で、真夜中に、クリスマスの深夜のミサがあります。その御ミサに、もしかしたら小さな友達が来る事ができないかもしれないので、一緒に今日、クリスマスの夜にお生まれになるこの方は、一体どなたなのか、一体どうやってお生まれになったのか、それを一緒に黙想しましょう。それから、では私たちは、その今日お生まれになった方に、どのように何をしたら良いか、その遷善の決心を立てる事に致しましょう。

 クリスマスの、今から2015年前のこのクリスマスの夜にお生まれになった方は、この全世界を創った、この大宇宙を創った、太陽と、星と、お月さまと、銀河を創った、真の天主、人間と動植物を創った天主様です。天使たちに命令をかければ、何千何万何億という天使たちが、その通りに動いて、その通りに働く、全知全能永遠の、無限の幸せの中にいる天主、それがその天主様が、私たちの為に小さな幼子となって、お生まれになった、それがクリスマスです。

 一体何故この天主様が、このお生まれになった方が、本当の天主である、この創り主である、私たちの為にお生まれになった救世主であると知る事ができるのかというと、それは旧約時代、イエズス様がお生まれになる前に、何千年もの間、色々な所で、色々な予言者が、救世主がお生まれになる、天主様がそう予言された、そう約束された、という事を全て、このお生まれになったイエズス・キリスト様において、その予言が全て成就しているからです。1つや2つ3つではありません。旧約の救世主に関する予言がピタリ、ピタリ、ピタリと、全てがイエズス様によって起こっているからです。

 ではこの天主様、人となった天主様は、一体どうやってお生まれになったのでしょうか?イエズス様のお父様であるヨゼフ様と、お母様であるマリア様は、ナザレトという村に住んでいました。イエズス様の養父である、イエズス様を養い育てて下さった、マリア様と結婚していたヨゼフは、ダヴィドの王家の子孫で、ベトレヘムがその本籍地でした。ちょうど今から4日前に、ローマの皇帝から勅令が出て、「人口調査をするので、人々は、自分の本籍地に行かなければならない、名前を登録しなければならない。」という勅令が出ました。

 その勅令が出て、マリア様は、もう赤ちゃんがお腹にいて、イエズス様をお腹にいて、とても旅行がするのが大変だったにもかかわらず、イエズス様を、このヨゼフ様とマリア様はベトレヘムまで旅をします。4日の間、ホテルもなければ、交通機関もない、貧しい2人は、辛い旅路を行かなければなりませんでした。今のように安全でもなければ、電気もなければ、山の道を険しい道を通って行かなければなりません。おそらく野宿をしなければならなかったと思います。体を休める所も無かったはずです。冬だったので、とても寒くて凍えたに違いありません。しかしヨゼフ様とマリア様は、互いに助け合いながら、かばい合いながら、ベトレヘムへと旅路を急ぎました。

 ベトレヘムに着いてみると、宿屋は泊まる所はもう人でいっぱいで、貧しいマリア様とヨゼフ様の為に部屋は1つもありませんでした。いくら友達に親戚に頼んでも、受けたのは拒否ばかりでした。もう何日も歩いて旅を続けて疲れきっているマリア様、ヨゼフ様、特にマリア様は体が重かったので、もう赤ちゃんがもう生まれるばかりだったので、さぞかし辛い思いをしたに違いありません。

 一体考えても見て下さい。私たちが聖伝のミサに与りに来たい、真夜中のミサだ。でもホテルがもう満席だ、ホテルがない、泊る所が無い、一体今晩はどうしたら良いのだろうか。友達の家もダメだ、他もダメだ、どうしたら良いんだろうか、でももう、もうここに来ている、一体生まれる救世主はどうなるのだ。マリア様も、ヨゼフ様も、自分の事はともかく、救世主の事を、イエズス様の事をひたすらに心配したに違いありません。

 考えても見て下さい。もしも私たちが、いくら謙遜になって、誰かに道を譲った、他の人に何かを譲ってあげた。本当ならば長い行列を並ばなければならないのだけれども、他の人に誰か譲って、代わりにまた別の後ろの方に並んだ。或いは、等々、色んな謙遜の行為をしたとします。それでも、私が私たちが、もしも虫ケラになる、という事から比べれば、私たちがしたのは一体何でしょうか。例え、私たちが虫ケラになったとしても、人から踏まれるようなアリンコになったとしても、例えそれが大天使が、或いは諸聖人が、立派な聖人が虫ケラになったとしても、天主様が人間になった、という事から比べれば、はるかに限りのあるものです。何故かというと、私たちと虫ケラの間では、限りのある被造物の関係ですから、程度があります。しかし、無限の全知全能、永遠の無限の天主の、永遠に無限に幸せな天主が、人間になった、という事から比べると何でもありません。

 マリア様はおそらく、その事を考えていたに違いありません。無限の天主様が人となって、私たちを救う為に人となって生まれているのに、そのイエズス様の為に、宿屋が無い、暖かい部屋が無い、寒い冬の凍える風しかない。イエズス様の為に、相応しい場所さえも見つける事ができなかった、という事を、マリア様はどれほど残念に思ったことでしょうか。しかし、ヨゼフ様もマリア様も、何とかしてイエズス様の為に場所はないか、と探し回ったあげく、ベトレヘムの村の隅に、宿屋の代わりに洞窟を見つけます。動物のいる小屋でした。

 そこにヨゼフ様はマリア様に、「ここでどうだろうか。」マリア様は、「ここにしましょう。」ヨゼフ様は、一生懸命その洞窟を、馬小屋を、動物のいる所をきれいにして、何とか準備をします、マリア様も何とかそれを、イエズス様の為に準備します。寒い風のビュービューなる所を、何とかして風が当たらないようにしたかもしれません。もしかしたら、唯一の暖房というのは、動物の体温と、或いは、動物の息から出る、「ハッハッ。」という、この息だけだったかもしれません。もしかしたらちょっとした火をくべたかんもしれません。その凍えるような寒い所で、誰からも受け入れられずに、私たちの為に、私たちを救う為に、私たちに永遠の命を与える為に、私たちに永遠の宝物を与える為に、私たちを永遠に幸せにするために、私たちに天主の命を与える為にお生まれになってくださった方が、この幼き赤ちゃんが、私たちの救い主、イエズス・キリスト様です。

 イエズス様は、私たちから愛を受けようと、私たちをどれほど愛しているか、という事を知らせようと、こうやってお生まれになって下さいました。

 このイエズス様に、私たちはどうしたら良いでしょうか?私たちはイエズス様の前に、このように小さくなって下さったイエズス様に跪いて、心から礼拝と感謝と賛美をお捧げいたしましょう。イエズス様に、愛の接吻をお捧げいたしましょう。今までイエズス様に、罪を犯す事によって辛い思いをさせてきた事を痛悔して、金輪際、イエズス様を辛い思いをさせる事のないように、その遷善の決心を立てる事に致しましょう。

 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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