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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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私たちにとって本当の自由とは何かー御降誕の神秘

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 12月26日、最初の殉教者聖ステファノの祝日に大阪で行った聖伝のミサのお説教をご紹介いたします。


天主様の祝福が豊かにありますように!

2015年12月26日 最初の殉教者聖ステファノの祝日のミサ
小野田神父 説教



 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 聖母の汚れ無き御心巡回教会にようこそ。今日は2015年12月26日の聖ステファノ、最初の殉教者のミサをしています。今日のこのミサの後、聖体拝領の後の祈りの後に、イエズス様の、幼きイエズス様の礼拝を、ローマの習慣に従って致しましょう。
それから、いつものように、土曜日の公教要理があります。今日は、イエズス・キリストについて、その続きを致しましょう。
12月31日にも御ミサがあります。午後の6時30分からです。

 
 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 愛する兄弟の皆さん、クリスマスの翌日ですから、私たちはイエズス様の御降誕の神秘を続けて黙想する事に致しましょう。

 昨日は、一体何故、イエズス様が幼子の姿をとってお生まれになったのか、それは私たちからの愛を求める為だった。そして私たちを赦す為に、赦そうとするが為に、この世にやって来た、という事を黙想しました。

 この私たちを赦そうとする為にやって来た天主は、幼子の姿をとったばかりではありませんでした。奴隷の姿をも私たちに見せて、あたかもしもべであるかのように、あたかも奴隷であるかのように、従う者であるかのように、幼子になられました。そしてその事を黙想して、今日は聖ステファノと、そしてマリア様の土曜日ですから、2つの遷善の決心を立てる事に致しましょう。

 昨日、クリスマスの終わってから、病気の人の方のお見舞いに行きました。そのお見舞いの帰りに、中国の漢字の話が出て、そして占いを古代中国の人が、占いをする為に多くの人が、占いをする度に生贄となって捧げられた、という話を聞きました。確かに思ってみると、世界各地で悪魔は、大体恐ろしい形相をした像を作らせて、或いは火の燃えている赤い顔、全身が赤い、怒ったような物凄い形相の恐ろしい姿の神々の姿をとって、或いは恐ろしい獣であるかのような、ライオンと虎と豹とものすごい形相の怒った顔。或いは象の様な、或いは猿の様なおかしい恰好をした、或いは恐ろしい、或いはおどろおどろしい姿をして、人々に自分の命令に従うようにと、或いは自分に犠牲を捧げるように、人身御供を捧げるように、さもなければ恐ろしい呪いがかかるぞ、と言って脅したり、或いはメキシコのアステカのように、人の心臓を捧げなければ太陽が止まってしまうぞ、と脅したり、多くの人々の命と、生きている人々の血をすすって、そして人々は恐怖と恐ろしさのあまりに生きていました。

 でも真の天主様はそうではありませんでした。私たちに、私たちから恐れを、恐怖を、のではなく、呼び起こすのではなく、「むしろ私は、仕えられる為ではなく、仕える為にやって来た。」

 お生まれになったその当時、その時、イエズス様は真の天主様は、くるまれて、布に包まれて、手足を動かせる事もできずに、「それがしるしである。」と、天使から言われた通り、くるまって布に包まれて、身動きもできない形でお生まれになりました。

 イエズス様は、被造物であるマリア様とヨゼフ様の元に、30年間従順に過ごしました。

 この全地宇宙を創った天主。天使たちが従順に従うこの天主様。王の王である天主。何もすることのない、何も幸せに欠ける所が無い、無限に幸福である天主。もうその喜びにこれ以上の喜びはない、という、そして全てのものはその元に従っているという天主。

 この全知全能の永遠の無限の至福の天主が、ヨゼフ様の元に、お掃除をしたり、水を汲んだり、働いたり、額に汗を流して重い物を持ったり、労働をして、そして貧しい賃金でようやく口に糊して、そしてお腹を空かせて、寒い冬、暑い夏、そして人からは、「貧乏人だ」或いは、「薄汚い」などと言われながら生活した天主。

 最後には、しもべの最も極悪人なしもべとして、十字架に付けられて、私たちの為に、自分の御血を流されて、そして私たちに全てを与え尽くした、しもべとして、天主でありながら奴隷の姿を、天主であるという事を固守せず、奴隷の姿をとって、十字架に至るまで、十字架の死に至るまで従順でおられた、従う者でおられたイエズス様。そういう形で、そういう奴隷として、従う者としてお生まれになりました。

 これを見ると、「私たちにとって本当の自由とは何か」とよく理解させてくれます。本当の自由というのは、「天主を愛する自由」であって、「真理を信じる自由で」あって、「善を選ぶ自由」であって、何でも悪でも、悪い事でも好き勝手するのが自由ではありません。本当の自由というのは、「この世からの、被造物への愛着からの自由で」あって、「天主に対して従順である自由」である。天主以外のものに愛着を持つ者は、本当の自由ではなくて、これは隷属状態への始めだ。悪魔と自分に対する隷属の始まりだ、という事を教えてくれます。

 このイエズス様は私たちに、そこまで王の王であるにもかかわらず、このようなしもべの状態で、私たちにお生まれになった。一体私たちが、私たちの一体どこを、そんなに大切に思って下さったのでしょうか?私たちにとって、何か主のお目に適う良い事があったのでしょうか?どうして、主はそこまでも私たちの為にやって下さるのでしょうか?

 主は、天主は、私たちをただ無償に愛するが為に、全てをなげうって、私たちの愛を勝ち取ろう、としもべの姿さえもとられるのでした。それにもかかわらず私たちは、天主のしもべとなろうとせずに、悪魔からの要求には、「はい。はい。」とよく従い、そして天主からの命令にはどれほど多く、「嫌だ。嫌いだ。」と言ってきた事でしょうか。イエズス様は、私を愛するが為に、このようにしもべになって下さったのに、私たちはイエズス様のしもべになる事を、何度嫌がった事でしょうか。

 では、今日どのような決心を取ったら良いでしょうか。

 まず、マリア様は、私たちに良い模範を見せて下さっています。天使がやって来て、「あなたは苦しみますよ、あなたは選ばれました。世の救いに協力して下さい、天主の御母となって下さい。」と言われた時に、「我は主のしもべなり。仰せの如く我になれかし。」「私は天主様の奴隷、婢女であります。どうぞ私を自由に使って下さい。私を道具として使って下さい。」と、答えられました。

 私たちもマリア様の御取次ぎによって、今後は、今からマリア様のように、マリア様の御取次ぎによって、天主様のしもべとして、良き道具となりますように、天主の御旨をいつも果たす事ができますように、天主の、イエズス様の真似をする事ができますように、イエズス様にますます似通った者となる事ができますように。イエズス様は、十字架の死に至るまで従順であられました。ですから私たちも十字架を、私たちの日々に与えられる十字架を、よく担う事ができますようにお祈り致しましょう。


 第二に、聖ステファノはこの神秘をよく理解していました。イエズス様の御降誕の後に、すぐその直後に、天国に生まれた聖ステファノは、その死の直前、聖書によれば、「聖霊に満ちていた」と書かれています。そして死の直後には、イエズス様が聖父の御右に立っておられるのを、天が開けて見ています。そこで、「イエズス様が真の救い主である」という事を述べて、誰もそのステファノに反論する事ができる者はいませんでした。そして遂に、「イエズス様が真の天主だ。天主の右に立っておられる、というのは、本当の天主だ。」という事を言ったので、「このようなステファノは生かしておく事はできない。」石殺しにしようとしました。そして人々は自分の服を、邪魔になるので、サウロの、将来回心するパウロの足下に置いて、ステファノに石を投げます。石を打たれながら、「彼らに罪を負わせないで下さい。」イエズス様と全く同じ許しの言葉を述べて、そして彼らの罪の為に、イエズス様のしもべとして殉教していきました。

 願わくは、私たちも聖ステファノのように、私たちに悪をするような人、或いは悪口を言うような人々の為にお祈り致しましょう。そしてその方々の回心の為にお祈りしましょう、「天主よ、彼らに罪を負わせないで下さい。どうぞ、彼らをお赦し下さい。」ひたすらに、イエズス様に倣うしもべとなる事ができますように。聖ステファノの祈りによって、この祈りによって、パウロは、サウロは回心する恵みを受けた、と言われています。

 願わくは、私たちの祈りによって、或いは許しによって、或いは私たちの拙い犠牲が嘉せられて、マリア様の御取次ぎによって嘉せられて、願わくは、多くの方々が、イエズス・キリスト様を信じる御恵みが与えられますように、回心の御恵みが与えられますように。そして、イエズス様をますます多くの人々が愛して、そしてイエズス様のようになりますように。そして天国に、イエズス様の御恵みによって、天主の子となり、天国の永遠の福楽を得る事ができますように。

 マリア様と、聖ステファノの御取次ぎを以ってお祈り致しましょう。

 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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