2023年1月29日(日)東京での堅振:フェレー司教様のお説教
親愛なる受堅者の皆様、そして信徒の皆様、
私がここに来て、皆さんに堅振を授けることができる喜びを伝えることをお許しください。
【秘跡の偉大さ】
私たちキリスト教信者が、天主からどれほど偉大な素晴らしい宝物を受けているかということを、理解してください。私たちはこれに慣れっこになってしまっているからです。秘跡は一つ一つが偉大な素晴らしい賜物です。私がこのように言うことは全く問題ありません。というのは、天主様が今日皆さんに授けてくださる堅振の秘跡、これが受堅者の一人一人に行われることは、全宇宙を無から創造する事よりもはるかに偉大なことが行われることだからです。
では皆さんに、今日天主様が皆さんの霊魂に行われる素晴らしい出来事がどんなものか説明して、その神秘に近づいてみましょう。
一つ一つの秘跡は、私たちに天主のいのちへと成長するようにさせてくれます。それは天主のいのちであって、人間のいのちではありません。人間のいのちは、創造の時にこの世を創った時に、私たちに与えられました。しかし私たちを天主の子どもとして、ご自分のいのちへと成長させてくれます。
一つ一つの秘跡には、それぞれの固有の特徴があります。皆さんは公教要理で、堅振の秘跡によって私たちはキリストの兵士となるということを学びました。しかしそれですべてではありません。この堅振の秘跡は、キリスト教信者を完全にさせる完璧にさせる秘跡です。それは、特別のお恵みによって私たちが完成させられる、ということです。
【自由意志】
では、キリストの兵士、軍人ということについて黙想しましょう。天主は私たちを無から創造されました。なぜでしょうか。その理由はたった一つしかありません。なぜ私たちはこの地上に存在しているのでしょうか。生まれてきたのでしょうか。その理由は天国です。私たちを天国に行かせるために創造されました。
天主は私たちをご自分の似姿・肖像に従って創造してくださいました。何を意味するかというと、私たちは自由意志を持っているということです。つまり私たちは選択することができますし、しなければなりません。私たちは善を選ぶことによって功徳を積むことができるようになります。これは天主が全く無償に与えてくださったことです。お恵み、グラッツイア、というのは、グラティス、無償に、ということから由来しています。つまり無償で与えるという意味があります。これはなぜかというと、天主が私たちにこれを与えることは義務ではなかったし、それをしなければならないことでもなかったからです。全く自由に与えてくださったお恵みです。そして私たちはこれを使って、功徳を積みます。功徳とは何かというと、もしも善をすればそれに報いられる。そして悪を行えばそれに相当する罰があるということです。
【罪とその結果】
人類はこの特別な自由というお恵みを、その最初から悪用してしましました、乱用してしまいました。そのために私たちの人祖、最初の親たちは、自由を乱用して最初の罪を犯しました。で私たちはそれをすべて遺産として受け入れました。これが原罪と呼ばれています。ですから本来ならば、天主の御計画によれば、子孫たちに代々と伝えられるべき無限のものすごいお恵みが失われ、そのかわりに私たちは負債を負う身になってしまいました。
この負債が最も目に見える明らかなしるしは死です。そして苦しみです、苦悩です。苦しみ、死というのは、罪の前にはありませんでした。しかし罪を犯したために、この世に存在するようになりました。もしも私たちが苦しむとしたら、それは罪の結果です。しかしこの罪の結果である死や苦しみという罰は特別に天主の力によって贖いのもととなりました。そうしてこの贖いの最も最初の要素・エレメントは、十字架です。十字架によって私たちの主は、死と苦しみを受けて、そしてその苦しみを善へと変えてくださいました。
この地上での死は、確かに辛いことです。しかしもっと悲劇的なドラマチックなものがあります。それは天主との友情関係を失ってしまった、成聖の恩寵を失ってしまったということで、即ち永遠の死を私たちが受けなければならないということです。そしてこれはあまりにも重大で深刻な問題です。
【キリストの兵士】
私たちは、自由意志を持っています。この自由意志を私たちの敵は悪用するようにそそのかしています。 それは悪魔です。悪魔も自由意志を持っていてそれを乱用して、天主に逆らいました。そして天主は悪魔が私たちを誘惑する事を許しています。この悪魔がその頭(かしら)であるものを「この世」と言います。この世は、私たちが天国に行くことができないようにと、いろいろと企んでいます。ですからこの世は、私たちにとっては、天国に行くための戦いがあるところ、戦闘の場所であります。
この世には、悪魔のみならず、自由意志を悪用する人々もいます。ですからもちろんそのような人たちの誘惑に対しても、戦いを繰り広げなければなりません。ところでもしも天主が私たちにそのような攻撃を許すとしたら、それは私たちが勝利をおさめるためです。私たちが悪に染まって落ちてしまうのをお望みではありません。私たちが勝利をおさめることができるように私たちに必要なすべてのお恵みを下さっています。聖寵を下さって、そして力強めてくださっています。勝利のためです。そしてその勝利のための特別のお恵みを、堅振の秘跡と言います。この秘跡によって、私たちはキリストの兵士となるのです。
兵士というのは、自己防衛のためだけにあるのではありません。ただの自分の生存、生き残りのためにあるのではありません。そうではなくて、他の人たちを守って他の人たちのいのちを救うために兵士・軍人があります。ですからキリストの兵士となるということは、私たちがキリストと一緒に協力して他の霊魂たちをも勝ち取る、ということです。天主はそれをお望みです。そして勝利をすることをお望みです。
【霊の刻印】
皆さんが受けるキリストの兵士というのは、ただのタイトル・ただの名前だけ・リップサービスではありません。そうではなくて、本当の兵士になることができるように、何かが現実が皆さんに与えられます。そして皆さんを本当に現実に強めてくださいます。兵士として。そしてこの現実に強めてくださるものを、霊の刻印といいます。
この霊の刻印は――ラテン語ではカラクテルといます――それは同時に、スタンプというか、ハンコというか――刻印であって、皆さんの霊魂に刻みつけるものです。しかし、これは、ただのしるしではありません。本当の現実の力を皆さんに与えてくれるものです。ところでこの力は道具として働く力です。それは聖トマス・アクイナスの表現によります。
使徒たちは使命を受けました。聖霊が私について証明するだろう、と言った時に。そして聖霊は何を証明するかというと「イエズス・キリストこそが、まことの天主である」ということを証明します。聖霊を受ける、この刻印を受けるということは、つまり皆さんもイエズス・キリストの証人となる、ということです。証人ということは、ギリシャ語ではこれは殉教者、証しする人という意味です。
証人・殉教というということは、つまり死をも意味します、この地上での死を。しかし死と聞くと、私たちは怖れを感じます。しかし主は言います「怖れるな」。いったいどうしてか。なぜかというと主はこうもおっしゃるからです「私はお前たちに、慰め主を、弁護者を送る」と。それが聖霊です。
その主が送られる聖霊、それは三位一体の第三のペルソナ、全能の天主御自身が私たちに送られるということです。ですから皆さん、皆さんはただ独りぼっちではありません。孤独ではありません。何故ならば聖霊が送られるからです。しかも聖霊が送られるときには、私たちが戦うのではなくて、聖霊が私たちと共に戦ってくださいます。しかも聖霊は、私たちにもっとすばらしいことの協力者とさせてくださいます。つまり、私たちが他の霊魂たちの救いにも協力することができるようにさせてくださり、他の霊魂たちの救いが私たちにかかっている、わたしたちの善い行いにかかっているということさえも、私たちに委ねておられます。しかし、その仕業・事業をなさるのは聖霊です。私たちの少しの協力を求めているということです。
私たちがする善業・よい仕事、これが聖霊の力によってお恵みの泉となって,そこから多くの霊魂たちが天主へと招かれるようになります。ですから、私たちのすることが超自然のお恵みを生みだして、その超自然のお恵みをもって、天主へと回心するようにさせてくれます。
【キリスト者を完成させる秘跡】
堅振は確かに私たちをキリストの兵士とすると申しましたが、もう一つこれは私たちを完成させる完璧にする秘跡でもあると申しました。この点についてももう一つ考察しましょう。
天主は、本当に私たちを天主の子どもたちにしたいと思っております。そのためにまず最初に、私たちは洗礼を受けました。洗礼を受けることによって超自然の成聖の恩寵を受けます。そしてこの特別の聖寵のお恵みによって、私たちは天主のいのちに与るものとなりました。
超自然のいのちを与えられたと申しましたが、いのちというのはつまり生きているということであって、活動するということでもあります。私たちが動く・活動するということのために、天主は同時に超自然の徳を与えてくださいます。その超自然の徳によって私たちは天主のレベルまで挙げられるようになります。私たちのその行動は、天主のレベルの行動となります。
ところで洗礼を受けて、私たちが超自然の徳の注入を受けたとしても、実際にそれを実践するのは、日常生活においては困難が伴います。それは私たちが日常経験するところです。しかし困難に打ち勝つことができるように天主は私たちに聖霊を与えて、超自然のいのちを本当に天主の子どもとして実践することができるように助けてくれます。
このことを聖パウロがすでに言っています。皆さんどうぞ聖パウロのローマ人への手紙第八章をお読みください。そこには天主は私たちに聖霊を送って、そして私たちが天主の子どもとしてなるようにさせてくださる、そして聖霊は私たちにおいて「父よ!」と叫ばしてくださる。と言います。つまり私たちがもしも「天にましますわれらの父よ」と言った時には、それは私たちよりも先に聖霊が私たちの心において「父よ!」と叫ばせてくださっているのです。そしてそれを持って最も良い正しい場所に天の御父のもとに持って行ってくださっています。
別の例を挙げてみます。これも聖パウロが言っていることですけれども、聖霊がなくては私たちは「イエズスが主である」つまり「天主である」ということは言えない、と言っています。つまり私たちが「イエズス様がまことの天主である」という時には、聖霊が私たちにおいてそれを言わしめているのです。ですから私たちは信仰のためには聖霊が必ず必要です。
【堅振は、私たちが聖霊と共に働くようにさせてくれる】
聖霊がどれほど近くにいらっしゃっているかということをもっと理解してください。そのためには、私たちが聖霊の七つの賜物について黙想するとますますよくわかります。
皆さんは公教要理で、聖霊の賜物が私たちをして天主の息吹にインスピレーションにますます従順で敏感にさせてくださるお恵みだ、ということを学びました。つまり私たちの内的に最も緊密なところで聖霊が働いておられるということです。そしてこの賜物は七つあります。
聖霊は全能の力を持って私たちを助けるので、私たちは自由を保ったまま聖霊が私たちを助けてくれます。それはどういうことかというと、聖霊は私たちの自由を尊重しながら、私たちにおいて働かれる、ということです、つまり聖霊が私たちと共に働く、あるいは私たちが聖霊と共に働くようにさせてくれます。
これはどのように働くのでしょうか。ちょっとイメージで説明したいと思います。たとえば、小さい子どもが鉛筆を持っていて、鉛筆で落書きを書いたとします。ちょうどそれと同じように、天主は私たちに超自然の徳を注入してくださって、私たちが天主の天のレベルの業をすることができるようになります。この超自然のお恵みは、言ってみれば鉛筆のことです。しかし天主の御前において私たちはいったい何でしょう。ただのちっぽけな子供に赤ちゃんにすぎません。ですから私たちが行う行動というのはいわば子供の書いた落書きにすぎません。しかし私たちのキリスト教生活が落書きよりももっと素晴らしい最高傑作となることを、完璧となることを、主はお望みです。
天主は完全な御方です。私たちも天主の子どもですから、私たちさえも完全であるようにお望みです。でも私たちは子どもで惨めな落書きしか書けないのですけれども、どうしたら私たちが最高傑作を描くことができるでしょうか。
ではどうやったら赤ん坊が最高傑作を描くことができるでしょうか。それは、ある最高の芸術家が子供の手を取って、そして子供と一緒に最高の美術品を描く時に、それができます。子どもが書いたものですけれども、芸術家の手のなかにおいて、それを描いたものなのです。ですから子供が書いたものは最高傑作となります。
この偉大な芸術家というのが、今日皆さんがお受けになる聖霊御自身です。そして聖霊が皆さんの霊魂を取って最高傑作を書くようにされることを望んでおります。ですから聖霊とともに私たちが描くのであれば、すべては簡単で単純です。ですから難しいなどと仰らないでください。確かにこのちいさな子どもが鉛筆で最高傑作を素晴らしい芸術を一緒に描くと同じほどの難しさしかありません。
問題は私たちに自由があるということです。つまり、たとえば私たちは善をやりたいと思いながらやらなければならないと思いながらも、しかしやりたくない、嫌だなあと思うこともあります。内的な戦いが起ります。わたしたちの自由意志を聖霊が影響を与えて、それを善を選ぶようにしてくださいます。ですから私たちがするべきことは聖霊の働きに心を開いて、聖霊の息吹に身を任せることです。聖霊の動きに従うことです。それが私たちに求められていることです。
【霊の刻印は、約束の保証】
天主は、私たちがいったい何であるか、どのようなものであるか、どれほど弱いかをご存じです。ですから、天主は私たちに特別なものを下さろうとします。それが霊の刻印です。これは本当のものすごい宝物です。なぜかというと、これは私たちの霊魂から消し去ることができないものだからです。つまり私たちは大罪を犯してしまったとしても信仰を失ってしまったとしても、この刻印は私たちに永遠に留まるからです。
この霊の刻印というのは、実は天主からの保証なのです。保証とは何かというと、もしも誰かが何かをしたいという時に、その約束をする時に、その約束が本当であるというために、守るというために、私はここにこれだけのものを準備しました、これを受け取ってください、本当です、と言います。それが保証なのです。それで天主は、お恵みを必ず与えるというその保証に、この決して消えないという刻印を私たちにくださいました。
この約束というのはどんな約束なのでしょうか、どんな保証なのでしょうか。それは私たちがキリストの兵士としてなるべくに必要なすべてのお恵みを私はあなたに必ず与えるという約束であり保証です。ですから、ある複数の敬虔なよい霊的著者は、もっとも効果的な祈りはこうであると言っています。つまり「御身がお与えになってくださった聖なる霊の刻印のお名前によって、私はこれこれを御身にお願い致します」と祈ることです。つまり、「天主様、あなたは私にすでにキリストの兵士としてこのお恵みをくださいました。ですからこの保証を私に下さったので、私は全く役にたたない惨めな罪人でありましたけれども、あなたのこの刻印の名によって保証によって、どうぞこのお恵みを私に与えてください」というのが、まさにこの主に約束を思い出させることなので、最も効果的な祈りである、と言っています。これで何が約束されたかというと、もちろん私たちが天国に行くこと、そして多くの方々の霊魂の救いのために必要なお恵みです。
【聖霊の浄配である聖母に祈る】
聖霊の浄配であるマリア様にお祈りしましょう。堅振を受ける皆さんがマリア様の御取り次ぎによって最も素晴らしい準備のうちに心の状態のうちに、堅振のお恵みを豊かに受けることができますように。
私たちはもう一つ別のお祈りをもお願いします。それは既に堅振をうけられた方々のためです。私たちが堅振を受けて、そして聖霊の息吹にいつも忠実であってそれに素直に従うことができるお恵みを、今日請い求めましょう。それはなぜかというと、私たちがなぜ聖霊を受けたかというと、それは私たちが天国に行くためです。天国の最も美しい場所を、天主は私たちに与えようと望んでおられます。ですから毎日毎日、私たちが天主の本当の子どもとして生きることができるように、聖霊の息吹に従うことができるようにお祈りしましょう。
この世は確かに腐敗しており難しいところであり、そして悪に満ちているところではあります。しかし私たちには聖霊が天主とともにおられます。ですから私たちのこの地上での生活の最後には、天主御父がその子どものために特別に準備されていた天国に到達することができますように。そして天主御自身の幸せ・至福を私たちが受けることができますように。聖父と聖子と聖霊とともに永遠の幸せを受けることができるようにお祈りしましょう。アーメン。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
【お知らせ】
一般社団法人日本聖ピオ十世会の銀行口座が開設されました。
御寄附や四旬節の献金、また教会維持費などのためにお使いくだされば幸いです。
愛する兄弟姉妹の皆様の暖かいご支援を感謝申し上げます。
銀行名:住信SBIネット銀行
金融機関コード(銀行コード):0038
支店番号-口座番号:106-1951537
漢字氏名:一般社団法人日本聖ピオ十世会
カナ氏名:シヤ)ニホンセイピオジツセイカイ