アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
聖霊降臨の主日、おめでとうございます!愛する兄弟姉妹の皆様におかれては、聖霊降臨にふさわしい、とても良い日を送られたことと思います。
2023年5月28日、東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計114人でした。大阪では50人でした。名古屋では11人でした。マリア様に感謝いたします。
さて、来週の主日は、東京と大阪と札幌とで聖伝のミサが行われる予定です。
7月1日(土曜日)には大阪でマーチフォーライフが行われます。多くの兄弟姉妹の皆様のご参加をお願い致します。東京では7月16日(主日)にマーチフォーライフがあります。
【ヴィトゥス・フオンダー司教との独占ビデオ】
ヴィトゥス・フオンダー司教との独占ビデオシリーズ「大いなる傷」(DIE GROSSE WUNDE: Exklusive Videoreihe mit Bischof Vitus Huonder)の日本語訳が完成しました。
大いなる傷:ヴィトゥス・フオンダー司教との独占ビデオシリーズ(1) - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
大いなる傷:ヴィトゥス・フオンダー司教との独占ビデオシリーズ(2) - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
大いなる傷:ヴィトゥス・フオンダー司教との独占ビデオシリーズ(3) - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
第一部では、何故か、おそらく通信の不具合いにより、次の部分が消えており、そのために掲載が遅れてしまいました。以下にその部分だけを掲載いたしますので、よろしくお願いいたします。
5.ノブス・オルド・ミサ
聖ピオ十世会はある意味で、教会における危機の子です。私たちは、すでに次のように観察しています。
教会の危機は、伝えられた信仰からの、聖伝からの、信仰の実践からの、部分的な背教の結果です。聖伝からの逸脱は、変更されたミサの聖なる犠牲の典礼において、最も痛みをもって感じられます。この変更は正当な動きだったのでしょうか。この変更は公会議の意向だったのでしょうか。
聖なるミサに関して、典礼に関する憲章「サクロサンクトゥム・コンチリウム」(Sacrosanctum Concilium)はこう言っています。「われわれの救い主は、渡されたその夜、最後の晩さんにおいて、自分のからだと血による聖体の犠牲を制定した。それは、十字架の犠牲を主の再臨まで世々に永続させ、しかも、愛する花嫁である教会に、自分の死と復活の記念を託するためであった。それは、いつくしみの秘跡、一致のしるし、愛のきずなであり、キリストが食され、心は恩恵に満たされ、未来の栄光の保証がわれわれに与えられる復活の祝宴である」【47番】。その一方で憲章は、改革に対しては、こう警告しています。「なお、真に教会のために確実に役立つものとして要求されている改革でなければ行ってはならない。また、すでに存在している形態から、新しい形態がいわば有機的に生ずるように、慎重に配慮する必要がある」【23番】。
それにもかかわらず、大きく変化した新しい儀式が、同様に変化した聖なるミサの神学とともに提示されています。すでに指摘したように、聖伝の聖体信仰からの逸脱は、1969年に、使徒的憲章「ミサーレ・ロマーヌム」(Missale Romanum ex decreto Concilii ecumenici Vaticani II instauratum)および「ノブス・オルド・ミサ」(Novus Ordo Missae)導入によって明らかになりました。同年のミサの新しい規則の検討の際、専門家による委員会は次のような結論を出しました。
「ノブス・オルドには、トリエント公会議が教えた信仰を提示する意向がない。それにもかかわらず、カトリックの良心は、トリエント公会議に永遠に拘束されることは明らかである。そのため、ノブス・オルドの公布により、忠実なカトリック教徒は最も悲劇的な選択肢に直面している」。
委員会【のこの言葉】は、あまり真剣に受け止められていませんでした。導入されたミサ典礼書が訂正されれば、この困難は解決されるはずでした。現実には、オルド【ミサ式次第】自体は、作られたそのままに残り、すなわち、もはやトリエントの信仰を十分に例示するものではありませんでした。
長い年月を経て、使徒的勧告「デジデリオ・デジデラーヴィ」(Desiderio Desideravi、2022年)で、ついにそのこと【トリエント公会議で決定的に示されたカトリック信仰を新しいミサが示していないこと】が明らかになりました。一見すると、カトリックの用語や敬虔な態度、ミサ挙行という解釈があるにもかかわらず、大部分は聖なるミサについてのプロテスタント的な概念であると判断しないためには、目を逸らさなければならないのです。
この教皇の書簡は公会議に言及しています。したがって、それは公会議の憲章の解釈として理解されます。ある比較・たとえだという考えは、ほとんど成り立ちません。
【報告】【東京】
Dear Fathers:
Shown below are the number of attendees at today's Sunday masses in Tokyo. The total number of attendees at today's Sunday masses in Tokyo was 114 including children.
09:00 mass
M: 32 (incl. 6 children)
F: 36 (incl. 9 children)
Total: 68 (incl. 15 children)
11:30 mass
M: 24 (incl. 2 children)
F: 24 (incl. 3 children)
Total: 48 (incl. 5 children)
Total of 2 masses (excl. 2 persons who participated in multiple masses)
M: 55 (incl. 8 children)
F: 59 (incl. 12 children)
Total: 114 (incl. 20 children)