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ランチャーノのご聖体の奇跡について:奇跡の歴史的事実:科学的な分析

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ランチャーノのご聖体の奇跡についての説教

ドモルネ神父 2023年6月11日

1.信憑性の動機について

宇宙と人間の創造主である天主は、私たちに対して、私たちの存在の起源と、私たちの人生の目的、それはすなわち、私たちが天主の命にあずかることであることを、啓示されました。天主は、私たちに対して、私たちがこの目的、すなわち、私たちが完全な幸福を獲得するための手段を、啓示されました。
天主の啓示の中には、私たちが十分に理解できることがあります。例えば、天主が存在すること、天主は唯一であること、天主は無限にして永遠であることです。私たちは、自分が霊的で不滅の霊魂を持っていること、そして死んだ後、善人には報いがあり、悪人には罰があることを理解できます。

しかし、天主の啓示の中には、私たちから隠されていること、つまり、私たち人間の知性が持つ自然の能力を超えていることもあります。例えば、唯一の天主には三つのペルソナがあること、イエズス・キリストは天主であると同時に人であることなどです。ご聖体も、その一つです。ミサにおいて、司祭は、パンとぶどう酒の外観を変えることなく、パンとぶどう酒をイエズス・キリストの御体と御血に変えます。

しかし、天主が、隠されていたり、人間の理解を超えたりする現実を啓示されるとき、私たちに啓示されたことが真理であることを示すためのしるしを、私たちに与えてくださいます。これらのしるしは、啓示されたことを信じることが合理的であること、信じないことが不合理であることを、私たちに示すものです。私たちは、これらのしるしを、「信憑性のしるし」と呼んでいます。たとえば、一部の聖人たちの腐敗しない体は、信憑性のしるしです。何世紀も前に死んだ彼らの体は腐敗していません。科学によって、私たちは、死んだ後には体は腐敗するという自然の法則を知っています。科学によって、私たちは、これらの体には、腐敗の法則に逆らうような天然あるいは人工の要素が使われていないことを知っています。科学によって、私たちは、これらの体が腐敗しないことを目にします。したがって、科学は、これらの体が、腐敗の法則に反して、それを保存する超自然の力があると結論づけることしかできません。これらの聖人たちの腐敗しない体は、カトリック教会の教えが真理であることのしるしなのです。

これらの信憑性のしるしは、しばしば、人々をカトリックの信仰に導く最初の一歩になります。したがって、これらのことを十分に知り、機会があれば使えるようにしておくことは、非常に有益です。

今日は、コルプス・クリスティ、すなわちご聖体の祝日をお祝いしています。私は、イタリアのランチャーノでの有名なご聖体の奇跡についてお話しします。この奇跡は、他のどのご聖体の奇跡にもまして、ご聖体に関するカトリック教会の教えが真理であることを証明する信憑性のしるしなのです。

2.奇跡の歴史的事実

8世紀のある日、ランチャーノの教会で、一人の司祭が聖なるミサを捧げていました。聖変化の後、司祭は秘跡におけるイエズスの現存を疑い始めました。すると突然、司祭は、ホスチアが肉に、ぶどう酒が血に変わるのを見たのです。司祭は、呆然となり、衝撃を受け、その奇跡を信者たちに見せました。この奇跡の目撃者となった信者たちは、そのニュースを町中に広めました。これらの聖遺物は、今日までランチャーノで大切に保存されています。

奇跡的な出来事から13世紀を経た今日も、聖遺物は、基本的にそのままの状態にあります。肉は、聖体顕示台に収められています。その大きさは、私たちがミサで使う「大きなホスチア」の大きさのままで、繊維質の外観をしており、色は茶色で、聖体顕示台の後ろから光を当てるとピンク色になります。血は、クリスタルのカリスに収められています。それは、いろんな形や大きさの、五つの小さくて不規則な形の塊に凝固しています。最も大きな塊は、二つの別々のかけらが一つにつながっているものです。

このような奇跡の話は、カトリック教会が作り出したものだと考える人々がいます。あるいは、無知でばか正直な昔の人々が、奇跡でもない出来事を奇跡だと宣言したのだと考える人々もいます。現代の人々は、技術的科学が発達したことで、自分たちが昔の人々よりもっと知能があると、簡単に信じ込んでしまいます。しかし、技術的な進歩は必ずしも知能の進歩を意味するわけではない、ということを忘れています。例えば、スマートフォンを取り上げてみましょう。それが技術的な進歩であることは間違いありません。しかしそれは、現代人が昔の人々よりもっと知能が高くなったというしるしでしょうか。スマートフォンで拡散される、無意味で、偽りの、邪悪な情報が驚くほど多いことを考えれば、「いいえ」と答えるしかありません。

しかし、現代の科学的なデータだけを信じたい人々にとっては、1970年に、そして1981年にも、ランチャーノの聖遺物が科学的に分析されたのは興味深いことです。実施された分析の詳細な記録が作成され、分析結果は、証拠書類とともに提示されました。その分析結果は、非常に興味深いものです。

3.科学的な分析

第一に、この聖遺物は、人間の肉と血であり、血液型はAB型、すなわち、トリノの聖骸布と同じ血液型であることが、分析によって確認されました。奇跡が起きた時の目撃者たちや調査官たちによれば、この肉と血は、最初に、ミサで使われたパンとぶどう酒でした。実際、この肉は今でもホスチアの形をしています。カトリック信者でない人にとっての疑問は、どうしてパンとぶどう酒が人間の肉と血になるのか、ということです。私たちカトリック信者は、その理由を知っています。イエズス・キリストは、ご自分の司祭たちに、ミサで、パンをご自分の御体に、ぶどう酒をご自分の御血に、実体的に変える力を与えられたからです。

第二に、聖遺物の分析により、この肉と血には保存用の物質が含まれていないことが示されました。カトリック信者でない人にとっての疑問は、この人間の肉と血が、13世紀もの間、腐敗することがななかったことがどうして可能なのか、ということです。私たちカトリック信者は、その理由を知っています。イエズスは、ご自分が言われたこと、つまり「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を有し、終わりの日にその人々を私は復活させる」(ヨハネ6章54節)が真理であることのしるしとして、この肉と血を奇跡的に保存されたのです。

第三に、聖遺物の分析により、この血が新鮮な血と同じ特徴を持っていることが示されました。カトリック信者でない人にとっての疑問は、13世紀も前の血が、どうして新鮮な血と同じ特徴を持っているのか、ということです。私たちカトリック信者は、その理由を知っています。イエズス・キリストは、ご自分がご聖体の中で生きておられることのしるしとして、また、「私は天から下った生きるパンである。このパンを食べる者は永遠に生きる。私の与えるパンは、世の命のために渡される私の肉である」(ヨハネ6章51節)というご自分の御言葉が真理であることのしるしとして、この血を奇跡的に新鮮なまま保存しておられるのです。

最後に、聖遺物の分析により、この「肉」は心臓の心筋を薄く切ったものであることが示されました。医師たちによれば、このような切り方を行うことができるのは、適切な器具を持った熟練の外科医だけだ、ということです。しかし、8世紀には、解剖学は知られていませんでした。カトリック信者でない人にとっての疑問は、この肉はどうして心臓の心筋なのだろうか、また、誰が、どのように、それを切ることができたのだろうか、ということです。私たちカトリック信者は、なぜこの肉が心臓の一部なのかを知っています。心臓は愛の象徴です。イエズスがご聖体の中にご自身を現存させられ、ご自身を食べ物として私たちにお与えになるのは、愛からであることを示すために、奇跡的に心臓を出現させられたのです。

結論

親愛なる信者の皆さん、ランチャーノの奇跡は、ご聖体が、本当に現存され、生きておられ、私たちを愛しておられ、私たちにご自分の永遠の命を与えることを望んでおられる、私たちの主イエズス・キリストにほかならないという現実を、科学的に示しているのです。

今日は特に、主の善性について、ご聖体という賜物について、私たちの主に感謝を申し上げましょう。そして、できる限り信心深くご聖体をお受けすることによって、私たちの救い主の愛にお応えするよう努めましょう。聖心の聖母が、私たちがそれを実行できるよう、助けてくださいますように。

Eucharistic miracle in Lanciano Junior, Public domain, via Wikimedia Commons


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