聖心の着座式についての説教
ドモルネ神父 2023年6月18日
はじめに
6月は、イエズスの聖心に奉献されています。17世紀末、私たちの主イエズスは、フランスのパレ・ル・モニアルの聖母訪問会の修道女、聖マルガリタ・マリアに何度もご出現になり、主の聖心への信心を勧められました。そして、このご出現の際、私たちの主イエズスは、そのような信心を持つ人々の利益となる約束をいくつかなさいました。その中には、次のものがあります。「私は、私の心の絵が掲げられ、敬われるすべての家を祝福する」。
今日は、家族が家の中に聖心を掲げて敬う儀式についてお話しします。この儀式は、「聖心の着座式 Enthronement of the Sacred Heart」と呼ばれています。
1.儀式それ自体
聖心の着座式は家族の儀式であり、家族の長、つまり夫が主宰します。できるだけ、家族全員が出席すべきです。司祭にも式に加わっていただくのがよいでしょう。
着座式の前の数日間、家族は、良い告解と、聖心の連祷のような特別の祈りによって、霊的に準備をします。また、家の中に、イエズスの聖心とマリアの汚れなき御心の御絵あるいは御像を設置する場所を用意します。その場所は、花と1本あるいは2本のろうそくで飾られた、家の中でも栄誉ある場所でなければなりません。日本の床の間は、その目的によく合っています。
着座式の日、儀式を始める直前に、聖心の御絵を玄関の扉のところに置きます。そして、儀式は次のように行われます。
• まず、家族が着座式の恩寵を受けるための準備として、司祭は家と家族を祝福します。
• 次に、全員が玄関の扉のところにある聖心の御絵の前に進みます。これは、家族が、私たちの主イエズスを自分たちの家にお迎えすることを象徴しています。
• 次に、司祭は、聖心の御絵を準秘跡にするために祝別します。つまり、家族が信心をもってこの御絵を見つめるたびに、私たちの主イエズスの愛徳をまねるための特別な助力の恩寵を受けることになるのです。
• 次に、家族は、私たちの主イエズスにこの家を所有していただくために、家の中を荘厳にご紹介します。そのために、夫は聖心の御絵を持ち、家族はその後に、小さな行列のようにして続きます。この行列は、私たちの主イエズスに新しい所有物を見ていただくために、家の各部屋を通ります。この行列の間に、聖心を敬う歌を歌うことができます。最後に、夫は、用意された場所に聖心の御絵を設置し、そのそばにマリアの汚れなき御心の御絵を置きます。ろうそくに火が灯されます。この行為が「着座式」であり、私たちの主イエズスが家族の王、最も親愛なる客、親しい友人であることを宣言するものです。
• 次に、家族は、信経を唱えて、自分たちの王への信仰を告白します。
• 次に、司祭は、この儀式の意味、聖心に対する献身の意味、そして私たちの主イエズスをたたえる人々への主の御約束の意味を、家族に簡潔に思い起こさせます。
• 次に、家族は、まずイエズスの聖心に、次にマリアの汚れなき御心に、自分たちを完全に奉献します。
• 最後に、司祭は、私たちの主イエズスに代わって、家族を祝福します。
2.着座式の意味
この儀式は「着座式」と呼ばれます。つまり、「誰かを王であると宣言すること」です。私たちの主イエズスは、子なる天主ですから、私たちの王です。主は、全宇宙を創造され、すべてのものは主のものであり、すべてのものは主の天主としての御力と権威の下にあります。私たちの主イエズスが私たちの王であるのは、主が私たちの贖い主だからでもあります。私たちは地獄の宣告を受けた罪人でしたが、主は私たちの罪を償われ、私たちを買い取られましたから、私たちはイエズスの所有物となったのです。
私たちの主イエズスは、主の神性と贖いのゆえに、例外なく全ての人の王なのです。しかし、悲しいことですが、多くの人々は主の王権を認めるのを拒否しています。彼らは、自分自身のむなしい考えや情欲に従うことを好み、最も不幸な終末に向かっているのです。
その反対に、着座式の儀式を行うことで、家族は、主の王権を認め、喜んでその王権に服従します。家族は、キリストが掟を制定する権威を持っておられることを認め、その掟に従うことを約束します。家族は、人間を永遠の命に導くことのできる唯一のお方であるイエズス・キリストの御力を認め、したがって、イエズス・キリストに忠実であることを約束します。家族は、キリストが、自分たちの悪い行いを罰し、良い行いに報われる至高の審判者であることを認め、したがって、キリストへの友情を誓うのです。
3.聖心の着座式
着座式の儀式は、天主の御子イエズスの着座式ではなく、贖い主イエズスの着座式でもなく、聖心の着座式です。それは何を意味するのでしょうか。聖心は天主の愛の象徴ですから、私たちの主イエズスは愛の王でありたいと望んでおられるという意味です。イエズスは私たちを愛し、私たちに対する善を望んでおられ、私たちを永遠の幸福に導きたいと望んでおられます。しかし同時に、イエズスは愛されたいと望んでおられ、私たちがイエズスの権威に、喜んで、そして愛情をもって服従することを望んでおられます。着座式の儀式によって、家族は、イエズスに愛されること、そしてイエズスを愛することを受け入れるのです。
家族は、イエズスに愛されることを受け入れます。この意味は、家族が、私たちの主を自分たち家族の一員として受け入れ、主にも自分たちの喜びや悲しみにあずかっていただくということです。例えば、新しく子どもが生まれたとき、誕生日や事業の成功をお祝いするとき、あるいは逆に、試練が起こったとき、病気や死のときなどです。
家族は、イエズスを愛することを受け入れます。この意味は、家族が、私たちの主イエズスの喜びや悲しみにあずかるということです。キリストの喜びとは何でしょうか。それは、一年を通じた主の典礼上の祝日や、キリストがこの世で栄光を受けられる、あらゆる出来事です。キリストの悲しみとは何でしょうか。それは、キリストに対してなされるすべての忘恩、侮辱、冒涜、汚聖です。聖マルガリタ・マリアに対するイエズスの御言葉を思い出してください。「見なさい、人類を愛するがあまり、その愛を人類に証明するために、力を使い尽くすまで、何も惜しまなかったこの心を。それに対して、この愛の秘跡において、私に対する侮蔑、不敬、汚聖、冷淡によって、私は人類の大部分から忘恩以外の何も受けていない」。家族は、このイエズスの御言葉にお応えして、着座式によって、罪の償いをすることを約束するのです。
結論
親愛なる信者の皆さん、聖心の着座式は、聖心の御絵を祝別すること以上のものです。聖心の着座式は、私たちの目には見えませんが、現実で、生きておられ、活動しておられるお方、つまり私たちの主イエズス・キリストを、自分の家族の中にお迎えすることです。主は、黙示録でこう言っておられます。「見よ、私は門の外に立ってたたいている。私の声を聞いて戸を開くなら、私はその人のところへ入って、彼とともに食事し、彼も私とともに食事するであろう」(黙示録3章20節)。皆さんの家の扉を開くという、私たちの主からの最も甘美なる御招待を、皆さんは想像することができるでしょうか。汚れなきマリアが、御子イエズス・キリストの栄光のために、そして私たち自身の幸福のために、私たちがその御招待に寛大に応えるようにしてくださいますように。