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ヴィガノ大司教「私たちがこの世の虚栄を拒絶するようアッシジの聖フランシスコに霊感を与えてもらおう」

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ヴィガノ大司教「私たちがこの世の虚栄を拒絶するようアッシジの聖フランシスコに霊感を与えてもらおう」

Archbishop Viganò: Let St. Francis of Assisi inspire us to reject the vanity of earthly things

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教

米東部夏時間2023年10月5日午後12時13分

(LifeSiteNews)―以下は、アッシジの聖フランシスコの祝日である2023年10月4日に公表されたカルロ・マリア・ヴィガノ大司教の説教です。

アッシジの聖フランシスコ

2023年10月4日

尊者教皇ピオ十二世は1939年6月18日、アッシジの聖フランシスコとシエナの聖カタリナをイタリアの守護聖人と宣言しました。その記念の訓話の中で、教皇は「ポヴェレッロ」【清貧の人、聖フランシスコの別名】を「聖人の中で最もイタリア的な人、イタリア人の中で最も聖なる人」と呼びました。そこで、この偉大な聖人についての短い黙想を皆さんと共有したいと思います。それは、彼の徳がどんなものかをもっとよく理解し、それを模範、モデルとするためです。

まず最初に、聖フランシスコが何者でなかったかを言わせてください。何千人もの司祭、修道士、修道女がその女々しいような平和主義的な(pacifist)モデルに酔っているにもかかわらず、彼はゼフィレッリ監督が生んだあの無政府主義的な思春期の若者ではありません【映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」】。聖フランシスコは、近代主義者たちが高く評価するような憂鬱で侮辱的な「甘美な感情」(Sweet Feeling)とは何の関係もありません。聖フランシスコは、大スルタンに会って、改宗させずに対話するあのエキュメニカルな修道士ではありません。また、左翼の知識人や路上司祭に愛される前衛的な(ante litteram:名前が付けられる前にあった存在)「フラワー・チャイルド」(flower child、1960年代に花を身に着けて平和を訴えたヒッピーの若者たち)でもなければ、聖エジディオ【共同体】の平和主義者の先駆者でもなければ、新旧の貧困主義(pauperism)に霊感を与える者でもありません。要するに、ペトロの玉座を占めた者が名前を選ぶに際して、その正確なモデル――偽りで、イデオロギー的に操作されたもの――を参考にしたとしても、彼は、「第二バチカン公会議の」聖人ではないのです。このように、一つの「イコン」――実に、私はこのことを、第二バチカン公会議の信奉者たちを喜ばせるために、それにかたどって聖人たちが描かれるべき「原型」と言いたい――があるのです。聖ピオ十世を第二バチカン公会議の先駆者と平気で呼ぶ人々がいたのならば、アッシジのポヴェレッロでさえ、この種のイデオロギー的化粧から逃れられなかったことは皆さんも十分に想像できるでしょう。

そのような姿ではなく、同時代の人々の年代記や証言からフランシスコのことが分かっているのですから、彼が現実にどのような人物だったかを見てみましょう。彼は若くして家出をした人であり、この世の財物がいかに聖性への妨げであるかを理解していました。また、ダンテが回想しているように、熾天使修道会【フランシスコ会】の会則にある福音的勧告を生きながら、「あの声高の叫びを発した方【キリスト】が、自らの祝福された血により縁(えにし)を結ばれた新婦」la sposa di colui ch’ad alte grida / disposò lei col sangue benedetto(神曲天国篇11歌32-22)である「淑女なる清貧 Donna Povertà」と結ばれることを選びました。ですから、フランシスコは貧しかったのです。聖なる貧しさとは、みじめでも卑しいものでもなく、御摂理の助けを信じるがゆえに、崇高で誇り高いものです。

彼はたゆまぬ福音の宣教者でした。1219年、彼は遠くカイロまで行き、アル=マリク・アル=カミルの宮廷に赴きました。その際、彼はカトリック信仰の真理を証明するために火の試練に立ち向かい、スルタンに対して、改宗して第五回十字軍に従事するキリスト教徒との戦いをやめるよう説得することを望みました。聖フランシスコは、典礼の礼儀と尊厳の推進者でした。聖フランシスコの著作には、祝されし秘跡への敬意と礼拝に関する多くの勧告が記されており、彼が貧しい教会に寄贈するための聖体容器や聖具の購入に努力を惜しまなかったことも知られています。修道会独自のある応誦は、彼を「Vir catholicus et totus apostolicus」(カトリック的かつ完全に使徒的な男)と呼び、次のように思い起こしています。「Ecclesiæ teneri Fidei Romanæ docuit, presbyterosque monuit præ cunctis revereri...」(彼はローマ教会の信仰を保持するよう教え、誰よりもまず司祭たちを敬うよう諭した)。いと高き御者の役務者に対する崇敬の念は、自分のことを司祭職にふさわしくないと考えて、司祭職を受けることを拒否させるほどでした。

銀行家が行う高利貸しや商人の投機から貧しい人々を救うために、「慈悲の山」【低金利で貸出をする】と「フルメンタリ・モンティ」(frumentari monti、穀倉の山=15世紀末に貧しい農民に播種に必要な小麦や大麦を分配するために設立された)を制定したのは、熾天使修道会【フランシスコ会】でした。福音に従った経済についての考え方は、今日、フランシスコ会の修道服を着た人々の無謀な投資とは、まったく違うものなのです。

要するに、フランシスコは、危機や戦争の時代に聖なる教会を改革するこれらの徳の英雄的模範だったのです。この理由で、ダンテは、聖フランシスコと聖ドミニコを、改革的使命と福音的清貧によって結びつけて私たちに示します。「一人は熱情において熾天使のごとく、他の一人は学識において地上における智天使の光輝かと思われた」 L’un fu tutto serafico in ardore; / l’altro per sapïenza in terra fue / di cherubica luce uno splendore(神曲天国篇11歌37-39)。一日の終わりにパン屋に余ったパンを乞い求めるため、袋を肩に担いで通りを行き交う物乞いの修道士たちを今でも覚えていて、無言でほほ笑んでいる人がいるかもしれません。その控えめで諭すような存在は、「姉妹なる清貧 Sorella Povertà」への愛の最後の痕跡でしたが、今や公会議の聖像破壊運動的な怒りによって消し去られてしまいました。今日、フランシスコ会は大胆な金融投機によって富を蓄え、浪費し、召命の本質と創立者の模範を否定しています。しかし、フランシスコ会の貧しさは、ぼろぼろのみじめさではありません。それはむしろ、物質的な財から離れて、自分の快適さのためではなく、貧しい人々と主のために使われるようにするものなのです。

では、聖フランシスコは「聖人の中で最もイタリア的な人、イタリア人の中で最も聖なる人」だったのでしょうか。私たちが、彼が聖人の中で最もイタリア的な人だったと言えるのは、彼の中に、最も貧しい人々や困窮した人々に対する穏やかな慈愛、聖霊の息吹の下で何世紀にもわたって非常に多くの修道会や修道団体が誕生してきた慈愛からつくり上げられた、私たち国民にふさわしい気質が示されていたからです。天主への慈愛と愛、堅固で汚れのない信仰、模範となる日々の証しからつくり上げられた人格です。フランシスコの中には、「キリストがその民であるあの[天上の]ローマ」 di quella Roma onde Cristo è romano(神曲煉獄篇32歌102)の永遠の真理に対する揺るぎない確信も見いだされ、それは、近代主義の位階階級が壊滅的な打撃を与えたにもかかわらず、今でも私たち国民の中に生き残っています。彼は、イタリア人の中で最も聖なる人でしたが、それは、彼の生涯が、主のご受難に肉体をも同化させる聖なる聖痕を受けるという段階まで、真の謙遜、聖なる清貧、天主への、そして天主においての完全な放棄の模範であり、モデルだったからです。彼はキリストの無限の慈愛のしるしを身に受けていたのであり、キリストの前では、地上のあらゆる善、あらゆる富、あらゆる快楽は消え去って消滅し、善と永遠の救いに向かう場合にのみ意味を持つのです。すると、貧困主義ではなく、自己のための貧しさであり、すべてはキリストのための貧しさなのです。信仰の真理を取引材料にするエキュメニズムではなく、遠くにいる霊魂の回心のための使徒的熱意です。平和主義ではなく、「in justitia et sanctitate veritatis」(正義と真実の聖徳において)(エフェゾ4章24節)、平和を追求することです。

今日の世は、キリストと彼の聖人たちに反抗して、アッシジのポヴェレッロ【貧者】を装った偶像を自作しています。他の偶像と同じように、偽の、そして嘘の模造品であり、そこでは、フランシスコの清貧の魂が取り去られ、清貧の最初の原因にして究極の目的である天主が奪われているのです。

私たちが天主のみわざに見いだす不変のものとは何でしょうか。自らを完全かつ単純に真実なものとして示す愛の無償性です。では、サタンのわざに見られる不変のものとは何でしょうか。自らを猥雑に偽り、欺くものとして現れる憎悪の代価です。サタンは、この世の富、権力、成功、同意、快楽など、自分のものではないものを私たちに差し出します。そしてサタンは私たちにそれらを売りつけ、自分のがらくたを私たちの不滅の霊魂という宝と引き換えにするのです。私たちの霊魂は、私たちに属するものではなく、私たちには審判の時のために清く聖なるものとして保つ義務があるのです。しかし、霊魂の目が感覚によって目隠しをされたり、罪や悪徳によって曇ったりしていない者にとっては非常に明白なこの現実も、自分が自由であると思い込んで、その代わりに、自分自身の奴隷、この世の奴隷、悪魔の奴隷となっている者には見過ごされるのです。

聖フランシスコの生涯から、この惑わされ、裏切られた世界でなお模倣されるべきものがあるとすれば、それは、天主の真理の光に照らされ、天主の慈愛に燃える、天主に完全に方向づけられた霊魂における成聖の恩寵の行いという奇跡です。地上のものの虚しさと、霊的なものの絶対的な優位性を理解する霊魂です。寛大な霊魂は、すでにすべてを持っているため、すべてを奪われることができ、真の命はキリストご自身であることを知っているため、キリストを宣べ伝えることに命を懸ける準備ができています。唯一の必要なものを発見したため、すでに余分なものを取り除いてしまい、奪われることを恐れない霊魂です。

この偉大なイタリアの聖人という模範に目を向けましょう。それは、私たちの共通のルーツを誇りをもって再発見し、そこから、私たちの愛する祖国のキリスト教文明を大きく繁栄させた福音の木を生まれ変わらせるためだけではありません。それはまた、天主に祝福され、ペトロの座の存在によって祝福されたこの土地の子である私たち自身の中に、純粋にカトリック的でローマ的な気質を再発見するためでもあります。この気質こそが、福音的清貧の実践、真の信仰の告白、そして慈愛の実践を通して、私たちがキリストの教会が生まれ変わるのを見ることを、過去においてすでに可能にしてきたのですから。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

October 4, MMXXIII
2023年10月4日

英語版 Archbishop Viganò: Let St. Francis of Assisi inspire us to reject the vanity of earthly things - LifeSite

イタリア語版 Mons. Viganò: San Francesco tradito da un mondo ribelle a Dio e ai suoi santi.

 


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