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殉教者ヴェロナの聖ペトロ:信仰の大切さ、信仰がなければ、私たちは天主に嘉されることができない

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殉教者ヴェロナの聖ペトロ:信仰の大切さ、信仰がなければ、私たちは天主に嘉されることができない

2023年4月29日(土)修道院でのミサの説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆さま。
今日は殉教者ヴェロナの聖ペトロの祝日を祝っています。

ヴェロナの聖ペトロは、カタリ派の異端の両親のもとに生まれました。子どもの頃から、周りがカタリ派という異端者の人々でいっぱいでした。しかし、聖ペトロは幼い時から純粋なカトリック信仰を守っていました。

七歳の時に叔父さんからこう聞かれました、「お前は学校で何を習っているのか?」。すると、脅しやあるいはおべっかあるいはその他のいろいろな脅迫にもかかわらず、ペトロは答えました。「私は使徒信経を習っている。我は天地の創造主、全能の父なる天主を信じ…」。そしてどのようなことも、ペトロの信仰を揺らがせることはできませんでした。

のちに1221年、若いペトロは、聖ドミニコ会に入会し、そしてドミニコ会の会士としてロザリオや…そして信仰を深く学び、ついには異端審問者として働くことになりました。ついに、ミラノでカタリ派の異端者の手によって殺害され、殉教します。

ヴェロナの聖ペトロの御影(ごえい)には、ドミニコ会の服を着て頭に剣(つるぎ)が刺さったままの姿を見ることができます。最後に幼い時から守り続けてきた使徒信経を唱えながら死んだ、そして自分の血で地面には「我は信ず、クレド」と書いて殉教した、と伝えられています。

今日私たちは、このヴェロナの聖ペトロを祝いつつ、信仰がどれほど大切であるかということを確認しなければなりません。なぜかというと、信仰がなければ、私たちは天主に嘉されることができないからです。

信仰は私たちが将来確実に知り確実に喜ぶことができる永遠の真理を、既にこの地上のうちから見ずに知ることだからです。信仰は私たちに天主の権威を以って教えられたことであって、私たちがその信仰のうちのこれとこれとこれをと、自由に選ぶことができません。天主の権威を信じるがゆえに、主が啓示された教えられたすべてをそのまま全部ひっくるめて、信じなければなりません。これが聖なる信仰です。私たちが守らなければならない信仰です。

つい最近、聖ピオ十世会の総長パリャラーニ神父様は私たちに手紙を書いてくださいました

「信仰を守らなければならない。特に聖ピオ十世会は、この信仰を守る戦いにおいて、み摂理的に特別の役割を果たすように招かれている。その信仰を守るためには、私たちはすべてをしなければならないけれども、特に心の清さを守らなければならない。なぜかというと、私たちは、純粋に天主の高みまでいかなければならないので、それ以外の被造物によって私たちを汚してはならないから。もしも私たちが心を清めれば清めるほど、イエズス・キリストのほうに向けば向くほど、私たちの心は準備されてますます信仰を清めることができ、主を見奉ることができ、その神秘を深めることができる。そしてその結果私たちの生活もますます主のみ旨に適ったものとなることができる。そしてそうなればなるほどますます信仰を深めることができる。」と教えています。

「しかし、もしもそうでないならば、私たちの信仰が表面的なものであるとするならば、リップサービスに過ぎないならば、あるいは私たちの生活さえを変えるものでない表面的にとどまってしまったのならば、信仰はあっという間に薄れてしまって気がつかないうちに背教にまでいたってしまうかもしれません、知らない、と。そして信仰が薄くなればなるほどますます私たちの生活も乱れてしまう、その悪循環に陥ってしまう。」と、総長様は警告しています。

今日はぜひ、ヴェロナの聖ペトロの御取り次ぎを求めましょう。私たちの信仰が決して表面的なものではなくて、私たちの生活を変えて、清めるものでありますように。ヴェロナの聖ペトロが、自分の家族・親族に、脅迫やその影響を受け付けずに信仰を守り通したように、私たちもこの世の誘(いざな)い・世俗の精神・近代の考え方に染まらずに、私たちの生活を変える聖伝の信仰を守り続けることができますようにお祈りいたしましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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