アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様
理解するとは、どういうことでしょうか。
よく考えると、分かる、理解する、ということはいろいろな意味があると分かります。
私たちは、自分が見聞きするいろいろな体験や現象やデータを分析して、そこに法則を見いだしたり、関係を見いだしたり、何らかの意味を見いだして「理解」しようともします。犬や猫やその他の動物は、現象を体験するかもしれませんが、それを理論化したり、体系化したりすることはありません。
たとえば、私たちの周りにはいろいろな自然現象があります。人間は、気圧の配置や風や雲の動きなどを観測して、天気予報をしたりします。動物は、気圧や気温の変化や電磁波などを微妙に感じ取って本能的に行動するかもしれませんが、理由を説明したり、推理したり、例証したりはできません。
古代ギリシアのアルキメデスは、お風呂に入った時、水があふれる出てそれと同時に自分の体が軽くなったことに気がつき「浮力の原理」を発見しました。アルキメデスは、重さが同じ純金と合金の不純の王冠は空中では天秤で釣り合いがとれているのに、水の中ではそうならない、密度が違うからだ、だから、純金とそうでないものとを見分けることができるということに気がつきました。
岐阜県の神岡鉱山跡にある有名な実験装置カミオカンデ(KamiokaNDE)は、神岡鉱山の地下1000メートルに、可能な限り純水に近い水が3,000トン溜められています。新しいスーパーカミオカンデには50,000トンの超純粋が蓄えられています。陽子が崩壊する時に、いろいろな粒子が放出されるますが、その中にニュートリノがあります。普通、ニュートリノは地球を貫通してすり抜けてしまいます。しかし、まれにニュートリノは蓄えられた水の中の電子に衝突することがあります。ニュートリノにぶつかると電子からチェレンコフ光という青白い光が出ます。カミオカンデは、このチェレンコフ光を光電子増倍管で検出します。カミオカンデは、大マゼラン星雲でおきた超新星爆発によって発生したニュートリノを世界で初めて検出しました。
また「大統一理論」という物理学の理論が正しいとすると論理的に陽子崩壊がカミオカンデで観測されるはずです。しかし、カミオカンデでも、スーパーカミオカンデでも、今のところ陽子崩壊は観測されていません。この意味を理解しようと、人々はいろいろな説明をしたり、解釈をしたりしています。
八ヶ岳南麓天文台の天文台長、串田嘉男氏によると、FM電波を利用した流星のモニター観測中に、地震活動に先行して、FM電波観測のデータに独特の変動が出現することを観測しました。特に、1995年の兵庫県南部地震前に顕著な変動が観測されたそうです。
通常は届かないFM放送局電波が、地震発生前に震源上空で散乱変化が生じ、通常と比較して、受信強度変化等が観測される現象であろうと、串田氏は理解しました。さらに、前兆変動の時間的変化には一定の時間比率が認められると解釈しました。その解釈が正しければ、地震の発生時期を推定することができると理解しました。
【私の意見としては、たとえそのような現象が実際に関連して起こっていたとしても、地震という現象は、FM電波のみならず、いろいろな自然現象に影響を及ぼすものでしょうから、FM電波の変動現象のみでは全てを説明できないと思います。FM電波の変動現象は、おそらく重要な要素の一つであるかもしれませんが、それ以外の要素も考慮しなければならないのではないか、と思います。たとえて言うと、ちょうど、聖書はキリスト教の教えを知る大切な源泉の一つですが、それだけで全ては説明できない、ということに似ていると思います。】
旧正月に、中国では「福」という文字を飾る慣習があります。この「福」文字はよくひっくり返っています。頭が下になって足が上を向いています。日本人の感覚では、福を否定しているような感じがします。なぜ、上と下が逆なのか?迷信深い中国人にとって、これは縁起が悪いのではないか?とも思います。
しかし、中国語では「福が倒れた」を「福倒了」と言って、「福が到達した、福がやって来た」つまり「福到了」につながる言葉遊び(ダジャレ)なのだそうです。縁起がよいとされます。
フランス語が分かる方は、次のフランス語の「詩」を読むと、まぁ何となく意味が分かるような感じがします。Eh! dites-le, dites-le というのは、「さぁ、それを言いなさい、それを言いなさい」という意味ですし。
Eh! dites-le, dites-le,
De quatre et méfie de le.
Haine de caoutchouc me Douvres de mou.
Le lit le dos que l'a fait de
Tous s'y sèchent à c'port
Et de digérant, ohé! Ouida, ce pou.
しかし、単語の一つ一つの意味を超えて、もしも、上がマザーグースの有名な次の歌の「フランス語訳」だと知ったら、なぁんだと「納得」するのではないでしょうか。
Hey, diddle diddle,
The cat and the fiddle
The cow jumped over the moon.
The little dog laughed
To see such a sport
And the dish ran away with the spoon.
ここまでは、前口上です。
以上のことで、何を言いたかったというと、先日の1月17日(主日)に、東京で聖伝のミサで
御聖体は、神道の御神体や仏教秘仏などのようなシンボルでも偶像でもなく、真に私たちを創造された天主ご自身である、だから、有り難く伏し拝むどころでは足りない、体は跪いて、精神を込めて心から、私たちを全てを捧げて、愛の礼拝をしなければならない、それが、御聖体の本来の意味だ、
という内容を申し上げました。しかし、なぜそのような表現を使ったのか、聖伝のミサに参加された方々にとっては、意味がわからなかったと思います。
それは、その前日に東京カテドラルの「せきぐち」の12月号を読んでびっくりした方から、その記事をいただいたからです。私も記事を読んでびっくりしました。何故なら、小田武彦神父の指導による待降節黙想会で、「聖体は、神道の御神体や仏教の秘仏のように、ありがたく伏し拝む対象ではない」と主張しているからです。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
愛する兄弟姉妹の皆様
理解するとは、どういうことでしょうか。
よく考えると、分かる、理解する、ということはいろいろな意味があると分かります。
私たちは、自分が見聞きするいろいろな体験や現象やデータを分析して、そこに法則を見いだしたり、関係を見いだしたり、何らかの意味を見いだして「理解」しようともします。犬や猫やその他の動物は、現象を体験するかもしれませんが、それを理論化したり、体系化したりすることはありません。
たとえば、私たちの周りにはいろいろな自然現象があります。人間は、気圧の配置や風や雲の動きなどを観測して、天気予報をしたりします。動物は、気圧や気温の変化や電磁波などを微妙に感じ取って本能的に行動するかもしれませんが、理由を説明したり、推理したり、例証したりはできません。
古代ギリシアのアルキメデスは、お風呂に入った時、水があふれる出てそれと同時に自分の体が軽くなったことに気がつき「浮力の原理」を発見しました。アルキメデスは、重さが同じ純金と合金の不純の王冠は空中では天秤で釣り合いがとれているのに、水の中ではそうならない、密度が違うからだ、だから、純金とそうでないものとを見分けることができるということに気がつきました。
岐阜県の神岡鉱山跡にある有名な実験装置カミオカンデ(KamiokaNDE)は、神岡鉱山の地下1000メートルに、可能な限り純水に近い水が3,000トン溜められています。新しいスーパーカミオカンデには50,000トンの超純粋が蓄えられています。陽子が崩壊する時に、いろいろな粒子が放出されるますが、その中にニュートリノがあります。普通、ニュートリノは地球を貫通してすり抜けてしまいます。しかし、まれにニュートリノは蓄えられた水の中の電子に衝突することがあります。ニュートリノにぶつかると電子からチェレンコフ光という青白い光が出ます。カミオカンデは、このチェレンコフ光を光電子増倍管で検出します。カミオカンデは、大マゼラン星雲でおきた超新星爆発によって発生したニュートリノを世界で初めて検出しました。
また「大統一理論」という物理学の理論が正しいとすると論理的に陽子崩壊がカミオカンデで観測されるはずです。しかし、カミオカンデでも、スーパーカミオカンデでも、今のところ陽子崩壊は観測されていません。この意味を理解しようと、人々はいろいろな説明をしたり、解釈をしたりしています。
八ヶ岳南麓天文台の天文台長、串田嘉男氏によると、FM電波を利用した流星のモニター観測中に、地震活動に先行して、FM電波観測のデータに独特の変動が出現することを観測しました。特に、1995年の兵庫県南部地震前に顕著な変動が観測されたそうです。
通常は届かないFM放送局電波が、地震発生前に震源上空で散乱変化が生じ、通常と比較して、受信強度変化等が観測される現象であろうと、串田氏は理解しました。さらに、前兆変動の時間的変化には一定の時間比率が認められると解釈しました。その解釈が正しければ、地震の発生時期を推定することができると理解しました。
【私の意見としては、たとえそのような現象が実際に関連して起こっていたとしても、地震という現象は、FM電波のみならず、いろいろな自然現象に影響を及ぼすものでしょうから、FM電波の変動現象のみでは全てを説明できないと思います。FM電波の変動現象は、おそらく重要な要素の一つであるかもしれませんが、それ以外の要素も考慮しなければならないのではないか、と思います。たとえて言うと、ちょうど、聖書はキリスト教の教えを知る大切な源泉の一つですが、それだけで全ては説明できない、ということに似ていると思います。】
旧正月に、中国では「福」という文字を飾る慣習があります。この「福」文字はよくひっくり返っています。頭が下になって足が上を向いています。日本人の感覚では、福を否定しているような感じがします。なぜ、上と下が逆なのか?迷信深い中国人にとって、これは縁起が悪いのではないか?とも思います。
しかし、中国語では「福が倒れた」を「福倒了」と言って、「福が到達した、福がやって来た」つまり「福到了」につながる言葉遊び(ダジャレ)なのだそうです。縁起がよいとされます。
フランス語が分かる方は、次のフランス語の「詩」を読むと、まぁ何となく意味が分かるような感じがします。Eh! dites-le, dites-le というのは、「さぁ、それを言いなさい、それを言いなさい」という意味ですし。
Eh! dites-le, dites-le,
De quatre et méfie de le.
Haine de caoutchouc me Douvres de mou.
Le lit le dos que l'a fait de
Tous s'y sèchent à c'port
Et de digérant, ohé! Ouida, ce pou.
しかし、単語の一つ一つの意味を超えて、もしも、上がマザーグースの有名な次の歌の「フランス語訳」だと知ったら、なぁんだと「納得」するのではないでしょうか。
Hey, diddle diddle,
The cat and the fiddle
The cow jumped over the moon.
The little dog laughed
To see such a sport
And the dish ran away with the spoon.
ここまでは、前口上です。
以上のことで、何を言いたかったというと、先日の1月17日(主日)に、東京で聖伝のミサで
御聖体は、神道の御神体や仏教秘仏などのようなシンボルでも偶像でもなく、真に私たちを創造された天主ご自身である、だから、有り難く伏し拝むどころでは足りない、体は跪いて、精神を込めて心から、私たちを全てを捧げて、愛の礼拝をしなければならない、それが、御聖体の本来の意味だ、
という内容を申し上げました。しかし、なぜそのような表現を使ったのか、聖伝のミサに参加された方々にとっては、意味がわからなかったと思います。
それは、その前日に東京カテドラルの「せきぐち」の12月号を読んでびっくりした方から、その記事をいただいたからです。私も記事を読んでびっくりしました。何故なら、小田武彦神父の指導による待降節黙想会で、「聖体は、神道の御神体や仏教の秘仏のように、ありがたく伏し拝む対象ではない」と主張しているからです。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)