夫婦それぞれの家族での役割についての説教
ドモルネ神父 2024年1月7日
はじめに
今日、私たちは、イエズス、マリア、ヨゼフの聖家族の祝日をお祝いしています。教皇レオ十三世とベネディクト十五世は、聖家族を模範として、家族制度を守ることと、家族を聖化することの重要性を強調するために、この祝日を制定しました。家族とは、婚姻の契約による男性と女性の結合を基礎に成立し、子どもたちの誕生によってさらに拡大するものです。家族の平和、幸福、聖化の第一条件は、夫婦のそれぞれが自分の役割を力の及ぶ限り果たすことです。今日は、家族の中での夫と妻それぞれの役割を、皆さんに思い出していただきたいと思います。
1.家族における夫の役割
天主の計画により、夫は家族のかしらです。聖パウロは、エフェゾ人にこう言いました。「妻よ、主に従うように、自分の夫に従え。キリストが教会のかしらであるように、夫は妻のかしらである。…教会がキリストに従うように、妻はすべてにおいて夫に従え」(エフェゾ5章22-24節)。夫は家庭のかしらですから、天主が家族の物質的・霊的な生活の世話をする使命を委ねておられるのは、夫に対してです。そして、夫がその使命を果たすことができるように、天主は夫に、妻と子どもたちに対する権威を委託しておられるのです。では、その使命のゆえに存在する夫の義務について考えてみましょう。
夫の第一の義務は、妻と子どもたちが物質的に必要とするもの、つまり衣食住を提供することです。どのように提供するのでしょうか。教皇ピオ十二世はこう言いました。「夫は、仕事によって、家族に日ごとの食事と住まいを提供し、家族の生計と適切な衣服を確保しなければならない。夫の思慮分別と活動によって夫から提供される保護の下で、家族が幸福と平安を感じられるようでなければならない」。夫の仕事は、何よりもまず、家族のためのものです。言い換えれば、夫は、家族の安定と安全を最も確実にする職業を選択しなければなりません。教皇ピオ十二世は、これについてこう述べています。「結婚している男性が、それを越える権利を持たない限界というものがある。その限界は、非常に重大な理由もなく、妻と、すでに生まれているか、これから生まれる子どもたちの安全、平和、最低限の生活を危険にさらさないという責任によって決まる限界である」。
夫の第二の義務は、家族を統治することです。夫は、妻と子どもたちを乗せた船の操舵士のようなものです。良い統治とは、正しい目的を決定し、その目的を達成するための正しい手段を選択し、秩序正しく効率的にその手段を実行することです。家族を統治することは夫の義務です。したがって、家族の目的を定め、適切な手段を選択し、その手段の実行を保証することは、妻の合意を得つつも、夫に属するものです。この家族の目的には、例えば、子どもたちの出産や教育、学校教育、家の選択、社会的活動、家族の娯楽などが含まれます。しかし何よりも、夫は家族を永遠の幸福へと導くように統治しなければなりません。つまり、家族の間で天主への愛を優先するようにしなければなりません。家族の活動はすべて、天主に向けられていなければ、意味がありません。夫の最高の目的は家族を天国に導くことであり、それは夫に大きく依存しているのです。したがって夫は、家庭の中で天主の掟と教会の掟が守られるようにさせ、子どもたちにカテキズムを学ばせ、妻と子どもたちに秘跡を受ける機会を与えることに心を配らなければなりません。家族の夕の祈りを先唱するのも夫の役割です。夫はすべてにおいて、まず第一に、自分の良い模範によって家族を導きます。最後に、夫は家族の永遠の救いを脅かすものを、家庭から断固として排除しなければなりません。
夫の第三の義務は、妻を愛することです。聖パウロはこう言っています。「夫よ、キリストが教会を愛し、教会を聖化するために、教会のために命を与えられたように、あなたたちも妻を愛せよ」(エフェゾ5章25-26節)。しかし、私たちはこれを不思議に思うかもしれません。なぜそのような特定の勧めが与えられるのでしょうか?夫が妻を愛することは難しいことなのでしょうか。教皇ピオ十二世はこう説明しています。「夫における指導者としての力には、自分より弱く、自分に依存している妻に対して与えられるべき優しさが、必ず必要である」。言い換えれば、妻は夫の愛を感じる必要があり、そのため夫は妻への愛情を外的に表すことを忘れてはなりません。では、夫はどのようにすればよいのでしょうか。妻に対する評価、尊敬、夫婦としての愛情をはっきりと示すことによって、妻が行ったことに対する感謝を示すことによって、家事や子どもたちの教育において妻を手伝うことによって、です。キリストが教会への愛のために死なれたように、夫も、必要であれば、妻と子どもたちを救うために自分の命を犠牲にする覚悟がなければなりません。
2.家庭における妻の役割
さて、家族における妻の役割について考えてみましょう。
女性には、特定の資質、傾向、生来の心構えがあり、これらは男性にはないものです。なぜ女性にそのような特質があるのでしょうか。なぜなら、天主は男性ではなく女性に対して、明確に、母性という欠かすことのできない使命を与えておられるからです。女性に、その肉体的な形質、霊的な資質、特に寛大さ、愛情深さ、気配り、優しさ、洞察力を与えることによって、天主は女性を肉体的あるいは霊的な母性のために造られたのです。ところで、注意していただきたいのは、修道女だけでなく、この世に生きている未婚の女性も、霊的な母性を持つように造られていることです。天主のお許しがあれば、将来このテーマについてお話しすることになるでしょう。
妻は家庭の中で母性を成長させ、発揮します。このため、母性の使命の論理的帰結として、家庭に上手に気を配ることは、妻に属しています。妻は「家の女主人」であり、家のインテリアを整え、家庭を物質的にも霊的にも快適で健全なものにし、家族の間の平和と愛の雰囲気を育て維持することに責任を負っています。こういったことは妻以外にはできません。聖書の中で、天主は、「手の行き届いた家の優雅な女性は、主の山にのぼる太陽のようだ」(集会書26章21節)と言っておられます。教皇ピオ十二世は、この言葉についてこう述べています。「そう、妻、母は、家族の太陽である。彼女が家族の太陽であるのは、寛大さと献身、たゆまぬ支援、夫と子どもたちの生活を明るくするあらゆるものを提供する際の用心深く先を見通した思慮深さのゆえである」。
妻の第二の義務は、夫に対して、信頼と愛情を込めて服従することです。天主が夫を家族のかしらとして定められたことは、すでに述べました。したがって、妻は夫の権威の下にありますが、それは協力者という立場においてです。一方で、夫の権威は、妻への全面的な信頼と献身を伴うものであり、他方では、妻の服従は、夫への深い愛情と忠実さによって気高いものとなります。夫婦には自然な相補性があるため、互いに助け合うことができるのです。妻の使命は夫を助けることです。外科医に対する看護師のように、妻は夫に対して従属的ではあるものの、相補う役割を担っています。妻の助けはしばしば精神的、心理的、感情的なものです。妻が夫の奴隷になったり、家政婦に格下げされたりすることは決してあってはなりません。
最後に、妻の第三の義務は、子どもたちの教育、特に子どもたちの人生の最初の何年かの教育をすることです。この点で、妻の役割は不可欠にしてかけがえのないものです。教皇ピオ十二世の言葉を引用すると、「天主は、子どもたちの最初の数年間の教育を女性に委託された。子どもたちにとって、他人から受ける最良の世話であっても、決して母親の愛情に満ちた配慮に匹敵するものではない」(1941年9月10日の演説)。ですから、親愛なる親御の皆さん、皆さんの子どもたちを保育所に入れるのは大きな間違いであり、政府に皆さんの幼い子どもたちを公立学校に入れさせるのは大きな間違いなのです。教皇ピオ十二世は、子どもたちの教育について次のように語ることで、母親たちに対して、子どもたちの宗教教育における母親の特別な役割を思い起こさせました。「母親は、子どもたちに天国を示し、息子たちや娘たちに祭壇のもとにひざまずくことを教え、時には彼らに最も崇高な思いと望みを抱かせる最初の人なのです」(1941年8月20日の演説)。
結論
親愛なる信者の皆さん、平和なくして幸福はありません。しかし、平和とは秩序が静かであることです。夫婦が互いに自分の責任を寛大に引き受けるとき、家族の中には秩序があり、平和があり、相互の愛と真の幸福が花開くのです。何年にもわたって夫婦が自らの責任を引き受けるために払ってきた犠牲や共同の努力は、夫婦の相互の愛を深める助けとなるのです。
聖家族が、私たちの家族を祝福してくださいますように。聖ヨゼフが夫の模範となってくださり、聖母が妻の模範となってくださり、幼子イエズスが子どもたちの模範となってくださいますように。