2024年2月14日 灰の水曜日の典礼の前に
教会にはかつて「公けの悔悛者」という人々がいました。4世紀から12世紀ごろまで、教会の習慣によると、公けの大きな罪を犯した人々は誰であっても、四旬節の最初に「公けの償い」を受けなければなりませんでした。
「公けの償い」は、特に、御聖体拝領ができなくなること、また、祈りと苦行などによって罪を償うことにありました。司教は荘厳に「公けの悔悛者」に、償いの服を着せ、頭には灰を被せました。そして、教会の外に連れ出して、正面の門の前に導き出します。罪を犯してしまうと天国から除外される、悔い改めの業をして天主と和解しなければ、天国には入れないということをまざまざと見せつけていました。
後に、教会は悔悛の業を和らげ、公けの償いの代わりに私的な償いを行うようになりました。しかし、中世以降次第に、公けの悔悛者だけでなく、全ての信者が、王も皇帝も、自発的に償いの服を着て、灰を頭にかけてもらうようになります。例えば、シャルルマーニュ(742年? - 814年)は、裸足で他の信者たちと一緒に、灰を受けて四旬節の中に入りました。
灰の祝別の儀式の最初の言葉で主の憐れみと優しさを断言します。「主よ、我らの願いを聴き入れ給え。御身の憐れみは優しいものなればなり。御身の憐れみの多さに従い、主よ、我らを見給え。」
灰の祝別のための4つの祈祷は、祈るたびに短くなっていきます。祈れば祈るほど、厳しさが取れていきます。
祈りの内容は次の四つです。
祝別された灰は、救いの霊薬となり、私たちは、罪の贖いのため、身体の健康と霊魂の保護とをうけること。
灰が象徴するように、私たちは、塵であり、邪悪さの報いとして塵に帰るべき存在であること。
灰を受けた頭が、祝福と痛悔の精神で満たされること。
私たちがニニヴェの人々の悔悛の模範に従うこと。
この灰を信徒たちに付けて祝福することによって、四旬節が始まると言えます。付けるのは昨年の枝の主日に祝別された枝から作られた灰です。「人よ、おぼえよ、汝は塵であって、また、塵に帰るであろう。」(創世記、3ノ19)これは、地上の楽園で人祖アダムとエワが罪を犯した後に、天主が言われた言葉です。人類の悲しい灰の水曜日でした。灰を配る間、聖歌隊は歌います。「衣を替えよ、灰と毛衣とに。断食をしよう、そして主に御前で泣こう。何故なら我ら天主は、我らの罪を赦そうと極めて憐れみ深い方であるが故なり。」
最後に司祭はこう古代からの祈りを唱えます。「主よ、キリスト者の軍隊の隊列が聖なる断食を始めるを得させ給え。そは、悪の霊に反対して戦おうとする我らが節制の助けを装備せんがためなり。我らの主キリストによりて」と。聖ペトロはこう言います。「キリストは肉体において苦しまれたのであるから、あなたたちもその心で武装せよ。」(ペトロ前4:1)
私たちキリスト者は、罪と悪の霊に対して戦う軍隊を作ります。「主はこういい給う、お前たちは、心をつくし、断食と涙と悲嘆とによって私に立ち戻れ。」これは、内的な償いの戦いであり、共同体としての聖化の戦いです。この戦いは同時に、罪の償いと言う宝を天に蓄える時です。祈りと、断食と、施しによって、天に宝を積む時です。