アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
先日、2月5日は、聖伝によると、日本二十六聖殉教者の祝日でした。
聖パウロ三木の最後の言葉をご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
「見物の方々、それがしがいまわの言葉を心して聞かれよ! それがしはこれ国家に背く大逆人にもあらず、方々と等しく忠良なる日本(やまと)の民の一人なり。さるを今ここにはり付けられたるは、ひとえに世の救い主、イエズス・キリストの御教えを述べ伝えたるによるもの。
されどもこの苦しみは大いなる天主(デウス)の聖寵(ガラサ)にして我が無上の喜びとするところなり。
見物の衆よ、それがしの言葉をゆめゆめ疑い給うなかれ。古語にもいわずや、人の死なんとする、その言やよし、と。
それがしは今し絶えなんとする玉の緒にかけて断言せん。このまことの天主の御教えを他にして、永久の命にいる道はまたとござりませぬぞ!
それがし等ここに罪無くして十字架に磔るといえども、生命を奪う人々に対しても、つゆ怨みの心をも抱くものに非ず、唯、方々及び我が日の本の国民がことごとく、この同じ救いの途に入り給わん事をひたすら希うのみ。」
(1597年2月5日、十字架の上より、聖パウロ三木 二十六聖人の殉教を直接見聞したフランシスコ会士マルセロ・デ・リバデネイラが書き記した証言
Historia de las islas del archipielago y reynos de la gran China, Tartaria, Cuchinchina, Malaca, Sian, Camboxa y Iappon, y de los sucedido en ellos a los religiosos descalços compuesta por fray Marcello de Ribadeneyra による。
第7章イエズス会修道士パウロ三木殉教者の生涯 CAPITULO VII De la vida del bienaventurado mártir Paulo Miquí, HERMANO DE LA COMPAÑÍA DE JESÚS には次の記述がある。
Y en ella más particularmente le mostró, porque siendo levantado en alto, sin turbarse ni dejarse vencer del amor que tenía a su padre adoptivo, que estaba presente, derramando muchas lágrimas, haciendo de la cruz pulpito, el tiempo que tuvo de vida siempre predicó, diciendo a los japones que él también lo era y que les desengañaba, como hombre que en aquella hora había de decir verdad, que no había en otra ley salvación sino en la ley de Cristo Nuestro Señor, a quien adoran los cristianos. Y que él alegremente daba su vida por ese mismo Dios ; que él perdonaba a sus enemigos, y al rey, y a todos los que eran culpados en su muerte, y rogaba al Señor que se bautizasen.
Y con estas palabras acabó. Hallándose a sus pies un padre de la Compañía, que le esforzaba para ir a la bienaventuranza del cielo, adonde recibiría particular gozo viendo muchas almas que por su predicación se habían salvado. Porque predicaba sin temor humano, como se echó de ver antes que fuese preso. (pp. 656-657)
【直訳】そして、彼においてそれは特に現れた。何故なら、高く上げられ、恥ずかしがらず、目前にいた養父に持っていた自分の愛に押し負かされ、多くの涙を流しながら、十字架を説教台に変えて、日本人たちにこう言って残る時間を常に説教した。自分もそう(日本人)である、(死なんとする)かの時に、人間は真理を言うように、それらを断言する、キリスト教信者たちが礼拝している、私たちの主キリストの法以外には、そのほかの救いの法はない、自分は喜んでこの同じ天主のために自分の命を与える、自分は、敵らを赦し、王を赦し、自分に死をもたらした全ての人間を赦し、主に彼らが洗礼を受けるように祈る、と。
この言葉を持って、彼は息絶えた。彼の足元に、イエズス会の司祭がいた。彼は天国の至福に行こうと努めた。そこには自分の説教で救われた多くの霊魂たちを見て特別の喜びを受けた。何故なら、彼は世間体を恐れずに、投獄前と同じように説教していたからだった。
愛する兄弟姉妹の皆様、
先日、2月5日は、聖伝によると、日本二十六聖殉教者の祝日でした。
聖パウロ三木の最後の言葉をご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
「見物の方々、それがしがいまわの言葉を心して聞かれよ! それがしはこれ国家に背く大逆人にもあらず、方々と等しく忠良なる日本(やまと)の民の一人なり。さるを今ここにはり付けられたるは、ひとえに世の救い主、イエズス・キリストの御教えを述べ伝えたるによるもの。
されどもこの苦しみは大いなる天主(デウス)の聖寵(ガラサ)にして我が無上の喜びとするところなり。
見物の衆よ、それがしの言葉をゆめゆめ疑い給うなかれ。古語にもいわずや、人の死なんとする、その言やよし、と。
それがしは今し絶えなんとする玉の緒にかけて断言せん。このまことの天主の御教えを他にして、永久の命にいる道はまたとござりませぬぞ!
それがし等ここに罪無くして十字架に磔るといえども、生命を奪う人々に対しても、つゆ怨みの心をも抱くものに非ず、唯、方々及び我が日の本の国民がことごとく、この同じ救いの途に入り給わん事をひたすら希うのみ。」
(1597年2月5日、十字架の上より、聖パウロ三木 二十六聖人の殉教を直接見聞したフランシスコ会士マルセロ・デ・リバデネイラが書き記した証言
Historia de las islas del archipielago y reynos de la gran China, Tartaria, Cuchinchina, Malaca, Sian, Camboxa y Iappon, y de los sucedido en ellos a los religiosos descalços compuesta por fray Marcello de Ribadeneyra による。
第7章イエズス会修道士パウロ三木殉教者の生涯 CAPITULO VII De la vida del bienaventurado mártir Paulo Miquí, HERMANO DE LA COMPAÑÍA DE JESÚS には次の記述がある。
Y en ella más particularmente le mostró, porque siendo levantado en alto, sin turbarse ni dejarse vencer del amor que tenía a su padre adoptivo, que estaba presente, derramando muchas lágrimas, haciendo de la cruz pulpito, el tiempo que tuvo de vida siempre predicó, diciendo a los japones que él también lo era y que les desengañaba, como hombre que en aquella hora había de decir verdad, que no había en otra ley salvación sino en la ley de Cristo Nuestro Señor, a quien adoran los cristianos. Y que él alegremente daba su vida por ese mismo Dios ; que él perdonaba a sus enemigos, y al rey, y a todos los que eran culpados en su muerte, y rogaba al Señor que se bautizasen.
Y con estas palabras acabó. Hallándose a sus pies un padre de la Compañía, que le esforzaba para ir a la bienaventuranza del cielo, adonde recibiría particular gozo viendo muchas almas que por su predicación se habían salvado. Porque predicaba sin temor humano, como se echó de ver antes que fuese preso. (pp. 656-657)
【直訳】そして、彼においてそれは特に現れた。何故なら、高く上げられ、恥ずかしがらず、目前にいた養父に持っていた自分の愛に押し負かされ、多くの涙を流しながら、十字架を説教台に変えて、日本人たちにこう言って残る時間を常に説教した。自分もそう(日本人)である、(死なんとする)かの時に、人間は真理を言うように、それらを断言する、キリスト教信者たちが礼拝している、私たちの主キリストの法以外には、そのほかの救いの法はない、自分は喜んでこの同じ天主のために自分の命を与える、自分は、敵らを赦し、王を赦し、自分に死をもたらした全ての人間を赦し、主に彼らが洗礼を受けるように祈る、と。
この言葉を持って、彼は息絶えた。彼の足元に、イエズス会の司祭がいた。彼は天国の至福に行こうと努めた。そこには自分の説教で救われた多くの霊魂たちを見て特別の喜びを受けた。何故なら、彼は世間体を恐れずに、投獄前と同じように説教していたからだった。