2024年3月9日 大阪での説教
トマス小野田神父
今日の書簡は非常に長い朗読でした。書簡で読んだ内容は、罪のない裕福な男性ヨアキムの美しい妻スザンナが、まったく無罪であるにもかかわらず、偽証によって二人の老人によって告発されて、死刑を受けなければなりませんでした。そのとき、預言者ダニエルがやって来て、スザンナが無罪であることを証明して救われる、ということです。
それにくらべると福音は短いものでした。福音では、どのような事情であったのか詳しい事情は明かされてはいませんが、姦淫の罪の現行犯で逮捕された女性が、その現場で逮捕され、そしてファリサイ人たちによってイエズス様の前に連れていかれます。ファリザイ人は確かにモーゼの掟を守るというつもりでしたが、しかし同時にイエズス様を罠にかけようとしました。
イエズス・キリストはいったいモーゼの掟に反対するのか、あるいは従うのか…。律法によると、このような罪を犯した者はすぐに石殺しに死刑にならなければならない、あなたはなんというのか…。
イエズス様は
「罪がない者がまず先に石を投げろ。」
といいます。
そして、老人から始まって、誰もいなくなります。
イエズス様は、ただひとりこの罪の女と残されて、
「お前を告発した人々はいったいどこにいるのか。誰もいないのか。」
というと
「誰もいません。」
「それならわたしもおまえを告発しない。もうこれ以上罪を犯すな。」
といって赦されます。
旧約時代では、罪のない人が守られる、とするのが精一杯でした。
しかし、新約では罪のある人さえも赦され、イエズス・キリストのあわれみがあらたに明らかにされます。
だからといってイエズス様は、罪なんかどうでもいいよ、というのではありません。この四旬節にこれが読まれるのは、実はイエズス様がこの罪の女に代って、ご自分がその受けるべき罰をすべて背負って自分が受けるから、お前はその罰を免除される、だからもう罪を犯すな、とあわれみを受けるわけです。
では選善の決心を立てましょう。
わたしたちも実はこの福音の罪の女のようでした。わたしたちの霊魂は、本当なら天主を愛すべきであるにもかかわらず、それよりも被造物を、あるいは自分を選んで、その愛すべき天主に裏切りを犯してしまったからです。本来ならば、律法によると、おきてによると、わたしたちは永遠の地獄の火に永遠の死を受けるべきものでした。
しかし、イエズス様がわたしたちに代って御受難を受ける、贖いの業をしてくださったので、わたしたちの罪はそして罰は赦されました。
この現行犯で捕まった女性は今後イエズス様にどれほどの愛と忠実を誓ったことでしょう。このことを一生恩人として忘れなかったことでしょう。
ですから、わたしたちもイエズス様に、罪を赦されたことを感謝して、イエズス様にもはや罪を犯すなといわれた言葉を心に刻むことにいたしましょう。マリア様にお祈りいたしましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。