“Apostle” SSPX ASIA DISTRICT NEWSLETTER, SPRING 2024, ISSUE NO 61
ラファエル・ヴィンセント・ファウスティーノ神父の司祭叙階
2023年12月16日、ラファエル・ファウスティーノ神父は、一人のブラジル人および二人のアルゼンチン人と共に、ブエノスアイレスの「共贖者聖母神学校」で、フェレ―司教の司式により司祭叙階を受けました。
「アポストル」誌【聖ピオ十世会アジア管区機関誌】は、ファウスティーノ神父に対して、彼の深淵な召命の旅を垣間見ることのできる洞察に満ちたインタビューを行いました。
聖伝の発見と聖ピオ十世会
1998年に私が生まれたとき、私たち家族はノブス・オルド【新しいミサ】の教会に通っていました。天主の恩寵と憐れみによって、母が叔母を通じて聖伝のラテン語ミサを知るようになったのは、私が8歳のときでした。そのころ、教区は、小教区から全時代のミサを廃止し始めていました。根気強い努力により、叔母はニュー・マニラにある聖ピオ十世会の教会(現在の勝利の聖母教会)を見つけることができました。私が地元のカトリック学校で初聖体を受けた直後に、母は、勝利の聖母教会に行って初めての聖伝のラテン語ミサにあずかる決心をしました。わが家から勝利の聖母教会までは遠かったため、毎週の主日にミサに行くのは困難でした。しかし、約2カ月後、天主の恩寵の援助により、私たちは定期的にミサに行く方法を見つけることができました。
ミサの侍者をすることに興味
私はノブス・オルド教会にいたころ、侍者になりたい、また司祭にもなりたいと思っていました。侍者の責任者に何度も連絡を取ろうとしましたが、うまくいきませんでした。訓練を受けなければ、ノブス・オルドのミサで侍者をすることはできませんでした。勝利の聖母教会で聖伝のラテン語のミサにあずかった後、私は赤いスータンを着た少年たちの姿に心を奪われました。私も彼らのように侍者になりたいと思いました。私が強く興味を持っているのを知っていた叔母は、私を香部屋に連れて行き、侍者たちに会わせてくれました。そしてついに私は訓練を受け、ミサの侍者をすることができるようになりました。私は、ミサの侍者をするだけで、聖なるいけにえを愛するようになりました。司祭たちが恭しくミサを唱える姿を見て、私はとても感動しました。当時8歳の少年だった私は、自分にこう言い聞かせました。「そうだ、私がここで目にしている司祭、彼は、ミサを捧げておられる私たちの主イエズス・キリストご自身なのだ」。
勝利の聖母カトリック学校への入学
2008年に勝利の聖母カトリック学校が開校したとき、高額な費用と長い通学時間のために、私がこの学校に入ることは不可能でした。そのため私は、主日と祝日には勝利の聖母教会で聖伝のラテン語ミサにあずかって侍者をする一方で、地元のカトリック学校に通い続けなければなりませんでした。
天主の御摂理は再び、私に道を開いてくれました。ロバート・マクファーソン神父様(当時は勝利の聖母カトリック学校校長、現在は米国の聖トマス・アクィナス神学校副校長)が、私たちが同じ場所で学び、生活できるよう、全寮制の男子校を開校するという構想に着手されたのです。侍者をしながら司祭と話ができることは、私にとって大きな喜びであり、勝利の聖母カトリック学校に通えることは、天主からのさらに大きな恩寵でした。寄宿学校にいることで、神父様方と話す機会が増えました。勝利の聖母カトリック学校のビジョンの一つは、フィリピンのカトリック信者のために将来のカトリック指導者を育成することです。カトリック指導者とは、家庭の父親であったり、さらには霊魂を天国に導く司祭であったりします。年月がたつに連れ、司祭になりたいという私の望みはますます明確になっていきました。
聖ベルナルド修練院での養成
私の旅は、校長がマクファーソン神父様からマイケル・フォルティン神父様、そして現在の校長であるピーター・フォルティン神父様へと交代する中で続きました。私は、前校長のマイケル・フォルティン神父様とさらに長い時間を過ごしました。彼はこう言われました。「では、祈りましょう。あなたは今行っていることを続け、勉強に集中しなさい」。高校教育を終えた後、私の次の段階は、神学校への入学を申請する前に、キャリアを追求するために地元の大学で勉強を続けることでした。再び、天主の御摂理のおかげで、私は高校卒業後すぐに聖ベルナルド修練院に受け入れられました。聖ベルナルド修練院院長のコンラード・ダニエルズ神父様は、2015年6月に予備神学生として入学することを許可してくださいました。まだ年齢が足らなかったため、神学校への入学を申請する前に2年間の養成期間を過ごさなければならなかったのです。
2017年3月、ようやく養成期間を終え、すぐに神学校に入ることができました。養成期間中、ブラザーたちと一緒に暮らしたことは、神学校生活を準備するに当たって大いに役立ちました。彼らは清貧、貞潔、従順の誓願によって、私に彼らの修道生活を教えてくれました。また、自分の召命を厳格に守り、霊性を成長させることも学びました。私が第二の故郷と呼んでいる聖ベルナルド修練院で過ごすことができた数年間を、本当に天主に感謝しています。
司祭養成の開始
私は神学校で7年間を過ごしました。それは、言葉では言い表せない経験でした。簡単に言えば、驚くべき恩寵の時間だったのです。私は、オーストラリアにある聖十字架神学校で最初の数年間をスタートさせました。聖ベルナルド修練院ですでに生活を送っていた私にとって、神学校生活に慣れることは問題にはなりませんでした。ただ、聖十字架神学校は国際神学校で、神学生はフィリピン人だけでなく、他の国籍の人たちもいました。韓国人、インド人、オーストラリア人、アフリカ人などです。私たちは、同じ超自然の精神と信仰を持つ一つの共同体として共に生きることの大切さを学びました。私たちは皆、司祭になるという同じ目標に向かって努力していたため、一人一人が天主の御旨に従い、それを求めることで、互いに助け合い、励まし合いました。私たちは、カトリック教会という一つの家族の中にいる、聖ピオ十世司祭会の一員になりたいと願っていました。
司祭養成と霊的生活の原則の学びに重点が置かれたため、勉強はさらに熱心になりました。研修が進むにつれて、私は聖トマス・アクィナスの偉大な教えについてさらに学びました。創立者のルフェーブル大司教は、すべての神学生に聖トマス・アクィナスとその教えを学んで好きになってほしいと願っておられました。私は、聖十字架神学校の教授や指導者全員から多くのことを学びました。
聖十字架神学校の閉鎖
総長が聖十字架神学校の閉鎖を発表されたのは週の半ばでした。【訳注:コロナ禍のために外国人神学生がオーストラリアに入国できなくなったため一時オーストラリアの神学校を閉鎖する処置をとっている】私たちにとっては悲しいニュースでした。私たちは試験を終えて、すでに二学期を楽しみにしている最中でした。もちろん、総長に見捨てられたわけではありませんでした。私たちは養成を続けるために、ドイツ、米国、アルゼンチンの神学校に別々に移されることになりました。私はここアルゼンチンに送られることになり、数カ月でスペイン語を学ばなければならないと言われました。私はスペイン語について何も知りませんでした。タガログ語の中にある、フィリピンのスペイン文化に由来するスペイン語の単語をいくつか覚えることができていた程度だったでしょう。しかし、天主の恩寵により、アルゼンチンに到着して、現地の人々と会話し、コミュニケーションを取ることができるという生き残り作戦をこなすのに十分なほどには、何とか学ぶことができました。
アルゼンチンでの神学校過程の開始
私は神学の最後の2年間を続けるために、2022年4月にアルゼンチンに到着しました。それは私の人生の新たな章のような、新たな冒険の始まりでした。もちろん、私にとってすべてが新しく、すべてが異なるものであったため、不安もありました。聖ピオ十世会であるのは同じですから、すべては同じだと言われましたが、私はここアルゼンチンで新しいことを学ばなければなりませんでした。さまざまな国籍の人がいた聖十字架神学校と同じように、ここアルゼンチンにはメキシコ、ニカラグア、中米・南米全域から来た人たちがいます。オーストラリアにいたときと同じように、ここアルゼンチンやラテンアメリカの文化も学ばなければなりませんでした。到着したとき、私は神学校生活の新たなスタートを切ったばかりのように感じました。
神学の最後の2年間は、教授たちから再び多くのことを学びました。教授たちは、聖トマス・アクィナスに対する知識と愛、教会とその教えを伝える方法を本当に知っています。
ブエノスアイレスへの任命
さて、私の人生の新たな章が始まりました。叙階の直前に誰もが口にする質問は、「神父様はどこに任命されるのですか?」というものです。そうです、助祭として最後の年を迎えるとき、神学校生活にはいつもそんな不安がつきまといます。私の最初の任命先は、ここ南アメリカ管区、特にここアルゼンチンのブエノスアイレスの修道院になります。修道院長のルイス・クラウディオ・カマルゴ神父様を補佐することになります。
ブエノスアイレス修道院は、実際には南米における聖ピオ十世会の基礎となった場所です。それはまさに最初の共贖者聖母(Nuestra Señora Corredentora)神学校であり、ここアルゼンチンにおける聖ピオ十世会の最初のハウスでした。ルフェーブル大司教は、神学校をラ・レハに移す前に、何年もこの場所を訪れ、ここで司祭を叙階されました。現在は、約800人の教区民がいる修道院となっています。忙しい使徒職です。信者は今も増え続けています。年を追うごとに、もっと多くの霊魂が聖伝に目覚めるよう、私たちは祈ります。
修道院での将来の使徒職
今のところ、具体的な仕事の割り当ては受けていません。基本的には、修道院の一般的なミッションを手伝うことになるでしょう。主日のミサを捧げたり、告解を聞いたりするだけかもしれません。また、初聖体の信者に堅振の準備をするためにカテキズムを教えたり、あるいは成人にカテキズムを教えたりする可能性もあるかもしれません。アジア管区と同じように、ここブエノスアイレスにも侍者のための聖ステファノ会があります。この使徒職は本当に盛んですから、私も手伝いを頼まれるという可能性があります。
修道院のことをもっとよく知るようになれば、私の役割は将来にはさらにはっきりするでしょう。ウルグアイやブエノスアイレス郊外、その他の場所にある、他のミッションセンターで手伝うことも、将来的には可能性があるかもしれません。
さらなる召命を祈ってください
締めくくりに、すべての読者の皆さんに対する私の切なる願いは、召命が増えるように祈り続けてくださることです。読者の皆さんへの最後の言葉、それは、さらに多くの召命のために祈り続けてくださることです。サマーズ神父様が常々アジア管区の皆さんに伝えておられるように、さらに多くの召命のために祈ることが緊急に必要です。私たちの主が言われるように、仕事は多けれども、働く者は少ないのですから。
アジアだけでなく、どこの管区でも、なすべき仕事がたくさんあることがすでに分かっています。私は皆さんに、司祭職と修道生活のための召命が増えるように祈り続け、さまざまな方法で寛大になってくださるようお勧めします。教会への愛のためにルフェーブル大司教様が始めた聖ピオ十世会のミッションを支えてください。自分の子どもが司祭や修道者に召されることが天主の御旨であるならば、それを支援し、聖なるカトリックの家庭がさらに多くなるように祈ってください。皆さんの絶え間ない祈りを必要としているすべての神学生を支援してください。
最後に、この場をお借りして、すべての読者の皆さん、すべての管区の信者の皆さんのお一人お一人に対して、私の司祭叙階という喜びの日を実現させるためのお祈りとお力添えとご支援に対して感謝申し上げます!