御昇天後の主日―天国― 説教
ワリエ神父 2024年5月12日
「すると、救われるのはどんな人だろう?
人にはできぬが、天主にとってはそうではない。天主にはできないことはない」(マルコ10章26b-27節)
トリエント公会議(デンツィンガー805番)は、特別な啓示がなければ、私たちはこの世において自分の救霊予定を確信することはできないと宣言しています。この特別な啓示を別にすれば、誰も自分が最後まで善い行いを貫き通すかどうかを知ることはできません。
とはいうものの、人が最後まで貫き通す一種の道徳的な確信を与える救霊予定のしるしがあります。
救霊予定のしるし
1.徳のある生活(真福八端の精神による)
「心の貧しい人は幸せである、柔和な人は幸せである、悲しむ人は幸せである、正義に飢え渇く人は幸せである、あわれみのある人は幸せである、心の清い人は幸せである、平和のために励む人は幸せである、正義のために迫害される人は幸せである。天主の国はこれらの人のものである」。
1.謙遜。
2.絶え間ない祈り。「求めよ、そうすれば与えられる」。
3.敵への愛、苦しむ者へのあわれみ。
4.天主への愛のために苦難に耐えること。
「重い十字架を忍耐強く担うことは、救霊予定の大いなるしるしである」(ガリグー・ラグランジュ)。
2.霊魂のための不屈の熱意
「一人の罪人を迷いの道から連れ戻す人は、自分の霊魂を死から救い、多くの罪を消す」(ヤコボ5章20節)。
3.ご聖体
●私たちは、救われるために、ご聖体にまします私たちの主を受けなければなりません。
「人の子の肉を食べず、その血を飲まなければ、あなたたちの中には命がない」(ヨハネ6章54節)。
すべての人はご聖体を、少なくとも霊的にいただくように(すなわちこの秘跡を受ける願望あるいはあこがれを持つように)義務付けられています。なぜなら、これは、キリストに一体化されることだからです[1](神学大全III部、第80問、第11項)。
●さらに、ご聖体を、敬虔かつ頻繁に拝領することは、救霊予定のしるしです。
この秘跡は、すぐに私たちを栄光に導くのではなく、私たちに栄光に至る力を授けるのです。
これは、「旅路の糧」(Viaticum)と呼ばれ、列王記(上19章8節)に記されたことのかたどりです。「エリアは飲食し、その食べ物の力によって、天主の山ホレブまで四十日四十夜歩いた」(神学大全III部、第79問、第2項)。
O sacrum convivium, in quo Christus sumitur, recolitur memoria passionis ejus, mens impletur gratia, et futurae gloriae nobis pignus datur.
キリストの聖体の祝日の典礼はこう宣言しています。「キリストが受けられ、御受難の記憶を思い起こさせ、霊魂が恩寵で満たされ、われらに将来の命の誓約が与えられる、聖なる宴よ」。
「ふさわしい聖体拝領の主な効果は、ある程度まで天国を前もって味わわせることであり、実際、私たちが将来、至福直観で愛によって天主との一致にあずかることの期待であり、誓約である」(『カトリック百科事典』)。
ご聖体は、「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を有し、終わりの日にその人々を私は復活させる」(ヨハネ6章54節)というキリストの約束によって、「われわれの栄光の復活と永遠の幸福の誓約」(トリエント公会議第13総会第2章)なのです。
●イエズスの聖心をたたえて9回の初金曜日の信心を私たちが行うときは、告解に行き、なおかつご聖体を受けなければなりません。
4.童貞聖マリアへの信心
すべての聖人が、聖母への信心は救霊予定のしるしであることを証言しています。
「マリアへの愛とマリアへの信心は、永遠の救いを得る確実なしるしである」(聖ベルナルド)。
「マリアのしもべのしるしを持つ者は、すでに命の書に書き記されている」(聖ボナヴェントゥーラ)。
「聖母への信心は救いに必要である。
聖なる童貞への敬意と愛を持たないことは、間違いなく天主から見捨てられたしるしであるが、
聖母への全面的かつまことの信心を持つことは、救霊予定の揺るぎないしるしである。」(聖ルイ・マリー・ド・モンフォール)
「聖マリアへのまことの信心は、救霊予定の最も確実なしるしの一つである。
しかし、その信心はまことのものでなければならない。なぜなら、もしそれが偽りのものならば、その目的には役に立たない。それはお金に例えることができる。もし本物でなければ、偽造したものであれば、何の価値もない」(聖アントニオ・マリア・クラレト)。
「マリアへのまことの信心は、効果的に救いに導く。なぜなら、マリアは、最後まで貫き通す恩寵を求めて忠実にご自分に祈るすべての人のために、その恩寵を獲得することがおできになるからである。このため、聖母へのまことの信心は、一般に、救霊予定のしるしの一つと見なされている。
この確固とした希望は、マリアの偉大な取り次ぎの力と、マリアに祈り求める人々に対する特別な愛に基づいている。」
―聖アルフォンソ(『聖母マリアの栄光』第1部、第8章)によれば、自分の生活を改めたいと願い、天主の御母を忠実にたたえ、そのご保護に身を委ねる人々が失われることは、事実上あり得ないことである。
―生活を改めたいという真剣な願望を持たない人々は、もちろん、見かけ上は聖母への一種の信心を守っているという事実を、救霊予定の可能性の高いしるしと見なすことはできない。
―しかし、罪を捨てようとしてマリアに助けを求める罪人は、マリアがその罪人を失望させないことを知るであろう」。 (ガリグー・ラグランジュ)
• 「私のロザリオの信心は、救霊予定の大きなしるしです」(聖ドミニコと福者アランに与えられた)。
• カルメル山のスカプラリオ。これを身に着けて死ぬ者は救われるでしょう。
• マリアの汚れなき御心をたたえて、告解と聖体拝領をする五回連続の初土曜日の信心。
結論
1.救霊予定は神秘です。
成聖の恩寵の状態で死ななければ、誰も天国には行けません。自分の過ち以外からは、誰も地獄に行くことはできません。
2.救いの絶対的な確実性はありませんが、事実上の確実性はあります。四つの救霊予定のしるしです。
3.大人は永遠の命に値する者とならなければいけないのですから、救霊予定は、私たち自身の努力を余計なものにするものではありません。
「ある日、(自分の救いに関して)不安に襲われて、しばしば希望と恐れの間で揺れ動くある人が悲しみに打ちのめされたとき、ある教会の祭壇の前にひざまずいて謙遜に祈った。
これらのことを黙想しながら、彼はこう言った。『ああ、ただ私が終わりまで忍び通すかどうか、知りたいものだ!』。
彼はすぐに心の中で天主のお答えを聞いた。『あなたはそれを知ったら、どうするつもりなのだ。そのときしようと思うことをいま行え、そうすればあなたはまったく安心であろう』」(『キリストにならいて』第1巻第25章)。
私たちは「涙のうちに震えながら自分の救いをまっとう」しなければなりません。
「死ぬまであなたが忠実であれば、私はあなたに命の冠を与えよう」(黙示録2章10節)。
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そして、私たちはしばしば天国を観想し、天国を待ち望まなければなりません。
「いつ私は行って、天主の御顔を仰げようか」(詩篇41篇3節)。
「目がまだ見ず
耳がまだ聞かず
人の心にまだ思い浮かばず
天主がご自分を愛する人々のために準備されたこと」(コリント前書2章9節)。