アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する巡礼者の皆様!
真の巡礼の一つ一つは、天主のお恵みの巨大な源泉です。私たちの主イエズス・キリストは、自分の家を離れて、大きな犠牲を払って、天主の無限の御憐れみの特権的な場所を訪問する人々にふんだんに報われます。これらの場所は、永遠の光に私たちを近づけるために、また、悪魔の罠から私たちを解放し、闇の勢力との戦いにおいて私たちに力を与えるために、天主によって選ばれています。これらの場所の選択と天主の介入の日付とは、しばしば驚くべきものです。
あたかも、現在の異端と反キリスト教的勢力の霊的原子爆弾のまさにその投下された地に、天主は信じられないほどの美しい聖寵の花の庭を植えることを望まれているかのようです。
天主は、1830年、パリにおいてそうなさいました。パリ全市とフランス全国がひどい社会主義革命を遂行しているまさにその時、聖母はパリで聖カタリナ・ラブレに現れて、不思議のメダイを与えました。天主は、1917年にもそうなさいました。ロシアの10月革命をもって、共産主義の恐怖政治が始まりつつあった時、聖母はその時、フリーメーソンによって支配されていたポルトガルのファティマに現れました。
私たちは日本について考えるとき、またこの国を支配している唯物主義と異教主義の悲しい現実を述べねばなりません。しかし天主の御摂理は、全世界のための無数の御恵みの源泉としてこの国を選んだのでした。秋田の非常にごく控えめな修道院に、慎ましいシンプルな木製の聖母マリア像があります。この彫像から、聖母マリアに近づくすべての人々に御恵みと憐れみの生ける水が流れ出たのであり、流れ出ています。
その水は、私たちには涙として来ます。このことは、聖母の涙は、信じられないほどの苦しみの実りであるという意味です。秋田のメッセージは、母親のメッセージであります。地獄の火から、現代の全ての誘惑から、自分の最愛の子供たちを救うために望んでいる母のメッセージです。
今年、私たちの巡礼は小さな記念の年となります:これらの生ける水を私たちの心の中に霊的に汲み取るためにインマクラータの元に来て、今年で10回目であるからです。
この生ける水は、完全に私たちに浸透しなければなりません。私たちの知性を貫通しなければなりません。それは、私たちが現代の混乱において誤らないように、それどころか、すべての近代主義、エキュメニズム、およびその他の異端に対抗して、しっかりと私たちの聖伝のカトリックの信仰を保持することができるようにするためです。
罪に対する恐怖と嫌悪感で私たちを満たし、イエズスと聖母マリアとの分かちがたく一致した聖心に対する常により大きな愛をもって私たちをいっぱいにするために、聖母からの生ける水は、私たちの心に浸透しなければなりません。
私たちの感覚を制御し、感覚をして真理と善との忠実なしもべにするために、聖母マリアの生ける水は、私たちの感覚を貫通しなければなりません。また、すべての私たちの行動、私たちの家庭生活、私たちの本分、職務、全てに浸透しなければなりません。それはいつでもどこででも、天主と隣人とを愛せという、天主の掟を守るためです。
秋田の聖母を通して、聖心からの御恵みの巨大な大河を受けるようによく準備するために、私たちは長崎で巡礼を開始します。真の唯一の真の信仰のために恐ろしい拷問の中で自分の命を与えた日本の殉教者たちの援助を私たちは懇願します。全歴史の中でもっとも聖母信心の厚かった最も偉大な聖人たちの一人である、聖マキシミリアノ・コルベの事業を私たちは観想・熟考します。最後に、1945年に、その都市に落ちた原子爆弾の大惨事を私たちの心の中に思い起こしますが、私たちはこれを世俗の目ではなく、この出来事の優れた目撃者であり被害者であるパウロ永井隆博士の素晴らしい指導の下、信仰の目で、恐ろしい出来事を見ることを望みます。
親愛なる巡礼者の皆様、巨大な恵みが私たちを待っています。今は天主の憐れみの聖年であるので、私たちは天主の御憐れみの真の次元を発見するためにこの巡礼を利用したいと思います。何故なら、この天主の御憐れみについてその正反対のことを、私たちはほとんど毎日聞かされているからです。しかも、真理のパンを私たちに与える義務を持っているにもかかわらず、天主の愛や天主の憐れみという聖なる言葉と現実を誤用して【たとえば、罪を犯し続けても天主は愛だから大丈夫だ、などと】最悪の石を私たちに与える人々の口からそれが来ています。
聖母は憐れみの御母でおられるので、私たちは天主の憐れみという光において、インマクラータなる聖母の玄義を黙想する霊的黙想会を巡礼とともに行いたいと思っています。私たちは、以前よりもはるかに深い方法で聖母を見いだすでしょうし、巡礼の後には、このような母を持っているという私たちの愛と感謝とは、私たちの現代の暗闇の時において、私たちの生活を喜びと慰めとで満たしてくれるでしょう。
私は、巡礼者の皆様にこの巡礼をよく準備することをお願いします。私たちが、無原罪の聖母の騎士アジアのウェブサイト www.militia-immaculate.asia に公開した全ての文章をできる限りお読みになって、特に聖マキシミリアノ・コルベに関すること、無原罪の聖母の騎士に関することを熟読して準備してください。
これらの霊的読書は、聖母マリアの精神の中に入ること、聖母がこの巡礼中に皆さんに与えようときわめて強く望んでいる、多くの愛と憐れみの御恵みをより多く受けることができるように準備するのに役立ちます。
2月11日、ルルドの聖母の祝日にて
感謝を込めて皆様のものである、
カール・シュテーリン神父
----------------
Dear pilgrims!
Each true pilgrimage is an immense fountain of divine graces: Our Lord rewards abundantly those who leave their homes and make important sacrifices to visit the privileged places of His infinite Mercy. These places are chosen by Him, to bring us closer to the eternal light, to free us from the snares of the devil and gives us strength in our fight with the powers of darkness. The choice of these places and the dates of the divine interventions are often astonishing: it seems, that in the very epicenter of the spiritual atom bomb of the present heresies and anti-christian powers God wants to plant a garden of incredible flowers of graces. So he did in Paris 1830, when the whole city and country underwent the terrible socialist revolution, Our Lady appeared to Saint Catherine Laboure to give her the Miraculous Medal. So he did in 1917, when the October Revolution in Russia was the beginning of the communist terror, she appeared in Fatima in Portugal in a moment, when the whole country was dominated by the Freemasons.
When we think about Japan, we also state the sad realities of materialism and paganism dominating the country. However, the Divine Providence did chose this country as a source of innumerable graces for the whole world. In a very modest convent in Akita there is a very modest and simple wooden statue of Our Lady. From this statue came and come out living waters of graces and mercy to all those who approach Our Lady: the waters come to us as TEARS. This means, they are the fruits of incredible sufferings. And the message of Akita is a message of the MOTHER, who wants to save her beloved children from the fires of hell, from the temptations of our times.
Our pilgrimage this year will be a little jubilee: it is the 10th time that we come to the Immaculata to gather spiritually in our hearts those living waters, which must penetrate us entirely. They must penetrate our intelligence, so that we may not err in the troubles of our times, but hold firmly our traditional catholic faith against all modernism, ecumenism and other heresies. They must penetrate our hearts to fill us with horror and aversion towards sin and with an always greater love towards the United Hearts of Jesus and Mary. They must penetrate our senses to control them and make them faithful servants of the Truth and the Good. They must penetrate all our actions, our family life, our duties of state, everything - to fulfil the great commandment of God (Love of God and the neighbor) always and everywhere.
In order to be well prepared to receive such an immense river of graces from the Sacred Heart through Our Lady of Akita, we will start our pilgrimage in Nagasaki: we implore the assistance of the martyrs of Japan, who gave their life for the One true Faith amongst horrible tortures; we will contemplate the work of one of the greatest Marian Saints in the whole history, Saint Maximilian Kolbe, and finally we also want to revive in our hearts the catastrophe of the atom bomb which fell on that city in 1945: but we will meditate this horrible event not with the eyes of the world, but with the eyes of the faith under the wonderful guidance of the outstanding witness and victim of this event, Dr. Paul Takashi Nagai.
Immense graces wait for us, dear pilgrims. As we are in the holy year of the Divine Mercy, we want to profit from this pilgrimage to discover the true dimension of the DIVINE MERCY, which is the very contrary from that we hear almost everyday coming from the mouths of those, who should give us the bread of Truth, but fill us with hard stones of the worst of errors abusing the most holy words and realities ( Divine Love, Divine Mercy etc.) .
And because Our Lady is the MOTHER OF MERCY, we want to have this pilgrimage joint with a spiritual retreat considering the mystery of the Immaculata in the light of the Divine Mercy. We will discover Her in a much deeper manner than before, and after the pilgrimage our love and thanksgiving to have such a MOTHER will fill our life with joy and consolation inmidst the dark hours of our times.
May I ask you to prepare this pilgrimage in reading as much as you can all the texts we publish on the Militia Immaculatae Asia website www.militia-immaculate.asia , especially on Saint Maximilian Kolbe, the Militia Immaculatae etc.
These spiritual lectures will help you very much to enter the spirit of Mary, to become more and more disposed to the many graces of love and mercy Our Lady desires SO MUCH to give you during the pilgrimage.
愛する巡礼者の皆様!
真の巡礼の一つ一つは、天主のお恵みの巨大な源泉です。私たちの主イエズス・キリストは、自分の家を離れて、大きな犠牲を払って、天主の無限の御憐れみの特権的な場所を訪問する人々にふんだんに報われます。これらの場所は、永遠の光に私たちを近づけるために、また、悪魔の罠から私たちを解放し、闇の勢力との戦いにおいて私たちに力を与えるために、天主によって選ばれています。これらの場所の選択と天主の介入の日付とは、しばしば驚くべきものです。
あたかも、現在の異端と反キリスト教的勢力の霊的原子爆弾のまさにその投下された地に、天主は信じられないほどの美しい聖寵の花の庭を植えることを望まれているかのようです。
天主は、1830年、パリにおいてそうなさいました。パリ全市とフランス全国がひどい社会主義革命を遂行しているまさにその時、聖母はパリで聖カタリナ・ラブレに現れて、不思議のメダイを与えました。天主は、1917年にもそうなさいました。ロシアの10月革命をもって、共産主義の恐怖政治が始まりつつあった時、聖母はその時、フリーメーソンによって支配されていたポルトガルのファティマに現れました。
私たちは日本について考えるとき、またこの国を支配している唯物主義と異教主義の悲しい現実を述べねばなりません。しかし天主の御摂理は、全世界のための無数の御恵みの源泉としてこの国を選んだのでした。秋田の非常にごく控えめな修道院に、慎ましいシンプルな木製の聖母マリア像があります。この彫像から、聖母マリアに近づくすべての人々に御恵みと憐れみの生ける水が流れ出たのであり、流れ出ています。
その水は、私たちには涙として来ます。このことは、聖母の涙は、信じられないほどの苦しみの実りであるという意味です。秋田のメッセージは、母親のメッセージであります。地獄の火から、現代の全ての誘惑から、自分の最愛の子供たちを救うために望んでいる母のメッセージです。
今年、私たちの巡礼は小さな記念の年となります:これらの生ける水を私たちの心の中に霊的に汲み取るためにインマクラータの元に来て、今年で10回目であるからです。
この生ける水は、完全に私たちに浸透しなければなりません。私たちの知性を貫通しなければなりません。それは、私たちが現代の混乱において誤らないように、それどころか、すべての近代主義、エキュメニズム、およびその他の異端に対抗して、しっかりと私たちの聖伝のカトリックの信仰を保持することができるようにするためです。
罪に対する恐怖と嫌悪感で私たちを満たし、イエズスと聖母マリアとの分かちがたく一致した聖心に対する常により大きな愛をもって私たちをいっぱいにするために、聖母からの生ける水は、私たちの心に浸透しなければなりません。
私たちの感覚を制御し、感覚をして真理と善との忠実なしもべにするために、聖母マリアの生ける水は、私たちの感覚を貫通しなければなりません。また、すべての私たちの行動、私たちの家庭生活、私たちの本分、職務、全てに浸透しなければなりません。それはいつでもどこででも、天主と隣人とを愛せという、天主の掟を守るためです。
秋田の聖母を通して、聖心からの御恵みの巨大な大河を受けるようによく準備するために、私たちは長崎で巡礼を開始します。真の唯一の真の信仰のために恐ろしい拷問の中で自分の命を与えた日本の殉教者たちの援助を私たちは懇願します。全歴史の中でもっとも聖母信心の厚かった最も偉大な聖人たちの一人である、聖マキシミリアノ・コルベの事業を私たちは観想・熟考します。最後に、1945年に、その都市に落ちた原子爆弾の大惨事を私たちの心の中に思い起こしますが、私たちはこれを世俗の目ではなく、この出来事の優れた目撃者であり被害者であるパウロ永井隆博士の素晴らしい指導の下、信仰の目で、恐ろしい出来事を見ることを望みます。
親愛なる巡礼者の皆様、巨大な恵みが私たちを待っています。今は天主の憐れみの聖年であるので、私たちは天主の御憐れみの真の次元を発見するためにこの巡礼を利用したいと思います。何故なら、この天主の御憐れみについてその正反対のことを、私たちはほとんど毎日聞かされているからです。しかも、真理のパンを私たちに与える義務を持っているにもかかわらず、天主の愛や天主の憐れみという聖なる言葉と現実を誤用して【たとえば、罪を犯し続けても天主は愛だから大丈夫だ、などと】最悪の石を私たちに与える人々の口からそれが来ています。
聖母は憐れみの御母でおられるので、私たちは天主の憐れみという光において、インマクラータなる聖母の玄義を黙想する霊的黙想会を巡礼とともに行いたいと思っています。私たちは、以前よりもはるかに深い方法で聖母を見いだすでしょうし、巡礼の後には、このような母を持っているという私たちの愛と感謝とは、私たちの現代の暗闇の時において、私たちの生活を喜びと慰めとで満たしてくれるでしょう。
私は、巡礼者の皆様にこの巡礼をよく準備することをお願いします。私たちが、無原罪の聖母の騎士アジアのウェブサイト www.militia-immaculate.asia に公開した全ての文章をできる限りお読みになって、特に聖マキシミリアノ・コルベに関すること、無原罪の聖母の騎士に関することを熟読して準備してください。
これらの霊的読書は、聖母マリアの精神の中に入ること、聖母がこの巡礼中に皆さんに与えようときわめて強く望んでいる、多くの愛と憐れみの御恵みをより多く受けることができるように準備するのに役立ちます。
2月11日、ルルドの聖母の祝日にて
感謝を込めて皆様のものである、
カール・シュテーリン神父
----------------
Dear pilgrims!
Each true pilgrimage is an immense fountain of divine graces: Our Lord rewards abundantly those who leave their homes and make important sacrifices to visit the privileged places of His infinite Mercy. These places are chosen by Him, to bring us closer to the eternal light, to free us from the snares of the devil and gives us strength in our fight with the powers of darkness. The choice of these places and the dates of the divine interventions are often astonishing: it seems, that in the very epicenter of the spiritual atom bomb of the present heresies and anti-christian powers God wants to plant a garden of incredible flowers of graces. So he did in Paris 1830, when the whole city and country underwent the terrible socialist revolution, Our Lady appeared to Saint Catherine Laboure to give her the Miraculous Medal. So he did in 1917, when the October Revolution in Russia was the beginning of the communist terror, she appeared in Fatima in Portugal in a moment, when the whole country was dominated by the Freemasons.
When we think about Japan, we also state the sad realities of materialism and paganism dominating the country. However, the Divine Providence did chose this country as a source of innumerable graces for the whole world. In a very modest convent in Akita there is a very modest and simple wooden statue of Our Lady. From this statue came and come out living waters of graces and mercy to all those who approach Our Lady: the waters come to us as TEARS. This means, they are the fruits of incredible sufferings. And the message of Akita is a message of the MOTHER, who wants to save her beloved children from the fires of hell, from the temptations of our times.
Our pilgrimage this year will be a little jubilee: it is the 10th time that we come to the Immaculata to gather spiritually in our hearts those living waters, which must penetrate us entirely. They must penetrate our intelligence, so that we may not err in the troubles of our times, but hold firmly our traditional catholic faith against all modernism, ecumenism and other heresies. They must penetrate our hearts to fill us with horror and aversion towards sin and with an always greater love towards the United Hearts of Jesus and Mary. They must penetrate our senses to control them and make them faithful servants of the Truth and the Good. They must penetrate all our actions, our family life, our duties of state, everything - to fulfil the great commandment of God (Love of God and the neighbor) always and everywhere.
In order to be well prepared to receive such an immense river of graces from the Sacred Heart through Our Lady of Akita, we will start our pilgrimage in Nagasaki: we implore the assistance of the martyrs of Japan, who gave their life for the One true Faith amongst horrible tortures; we will contemplate the work of one of the greatest Marian Saints in the whole history, Saint Maximilian Kolbe, and finally we also want to revive in our hearts the catastrophe of the atom bomb which fell on that city in 1945: but we will meditate this horrible event not with the eyes of the world, but with the eyes of the faith under the wonderful guidance of the outstanding witness and victim of this event, Dr. Paul Takashi Nagai.
Immense graces wait for us, dear pilgrims. As we are in the holy year of the Divine Mercy, we want to profit from this pilgrimage to discover the true dimension of the DIVINE MERCY, which is the very contrary from that we hear almost everyday coming from the mouths of those, who should give us the bread of Truth, but fill us with hard stones of the worst of errors abusing the most holy words and realities ( Divine Love, Divine Mercy etc.) .
And because Our Lady is the MOTHER OF MERCY, we want to have this pilgrimage joint with a spiritual retreat considering the mystery of the Immaculata in the light of the Divine Mercy. We will discover Her in a much deeper manner than before, and after the pilgrimage our love and thanksgiving to have such a MOTHER will fill our life with joy and consolation inmidst the dark hours of our times.
May I ask you to prepare this pilgrimage in reading as much as you can all the texts we publish on the Militia Immaculatae Asia website www.militia-immaculate.asia , especially on Saint Maximilian Kolbe, the Militia Immaculatae etc.
These spiritual lectures will help you very much to enter the spirit of Mary, to become more and more disposed to the many graces of love and mercy Our Lady desires SO MUCH to give you during the pilgrimage.