パリのオリンピックの開会式でおこなわれた冒涜の償いの三日間(第二日目)
創造主である天主を侮辱することの意味、地獄の特徴
2024年8月3日初土 説教
トマス小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
昨日からの三日間のミサは、パリオリンピックの開会式でおこなわれた冒涜の償いのために捧げられています。このミサと、御聖体降福式がそうです。
特に今日は初土でもありますから、この信心のためにもこのミサと御聖体拝領を、そしてご聖体降福式を捧げてください。
【冒涜:最悪の罪】
ところで、冒涜は最大で最悪の罪ということを昨日黙想しました。それについてもう少し黙想を致しましょう。
冒涜というのは、もっとも恐るべき重大な罪です。何故かというと、創造主である天主を被造物が冒涜する、侮辱するからです。
このことについて二つ、今日は見てみます。
第一点は、もしも誰かが非常に苦しんでいて悲しんでいて、私たちがその方を可哀そうに思って、近寄ってその方を助けだしたとします。そのために一生懸命努力しました。でもその人は、その私の親切に感謝しなかったばかりか私の親切を踏みにじって侮辱したとしたら、私はいったいどのような反応をしたらよいのでしょうか? “ああ、そんならもうわかりました、もうしません、もう親切は一切しません”と言って、打ち切るべきでしょうか。それとも、この方をもっと助けてあげるために、“そのような態度はよくなかった、非常識だ″ということを伝えてあげるべきなのでしょうか。若しもそうだとしたら、どうやって伝えたらよいでしょうか。
もしもある王様が、臣下である私を愛してくださって、私に全てを下さり、私はいろんなプロモーションを受けて、そして寵愛を受けて、お恵みを受けて、全てを受けながら、この恩人である王様にこの親切を国民の前で皆の前であざ笑って、馬鹿にして、王様の面前で屈辱したとしたら、この王様は私に何をすべきでしょうか?
王様は、非常に悲しんで、もう知らないよ、といって親切を止めるだけで十分なのでしょうか?もしも王様が国全体の秩序や善や正義の秩序を守るために、また他の国民たちの悪しき模範とならないように、私を悪いしもべだと見せしめに正義の罰を下したとしたら、王様は、これは悪いことをしたことになるのでしょうか?
イエズス・キリストは、私たち人間を永遠の昔から愛し、天主でありながら人となられました。わたしたちのために罪人の私たちのために十字架でご自分の命を渡されました。至聖なる天主が、最も聖なる御方天主が、罪人である私たちために死を受けました、わたしたちが命を受けるために。本当ならば、主に感謝するために、被造物である私たちが命を捧げても、それでも足りません。天主の“死”に被造物の命がどれだけの価値があるでしょうか。もしもその分際である人間が、天主を公然と侮辱するなら、主は私たちにいったい何をすべきなのでしょうか?何をして当然でしょうか?とくに主の最大の愛の業である御聖体の制定が、公然と全世界の前で侮辱されたならば、主はそのような私たちに何をなさるべきなのでしょうか?
【冒涜:地獄のもの】
第二の点は、天主に対する侮辱・冒涜は、地獄の特徴を持っているということです。聖霊は、聖人たちを通して行動し、そして聖人たちの口を通して天主に賛美を語ります。聖人たちを通して聖なる業を行います。しかし悪魔は、冒涜者を通して悪しき業を行い、冒涜の口を通して地獄の言葉を話すかのようです。
もちろん地獄にいる悪魔たちそして滅ぼされた罪人たちは、天主からたくさんの恵みを受けていたこと、しかしそれにもかかわらず自分のせいでその愛を無視して、地獄に進んで落ちてしまったことを知っています。しかしそれにもかかわらず、この愛の天主を逆恨みして、主を思いのまま冒涜します。あたかも地獄に落ちているのは、天主のせいであるかのように、呪い、恨みます。
ユダヤ人たちはペトロに「あなたもたしかにあのかれらの一人だ。おまえの方言でわかる」(マテオ26:73)と言いました。この言葉を解説して聖アントニノという聖人は、「天主を冒涜する人は、地獄に属する人…つまりサタンの弟子だ。呪われた者の言葉づかいで、そのしぐさでわかる、と言わなければならない。」と解説しました。さらに聖アントニノは、こうも言っています。「冒涜を行う者は、すでに地獄に属しているので、地獄の業を行っているのだ」と。
【償い】
では、わたしたちは、冒涜が恐ろしい天主に対する侮辱であるということ、そしてこれは地獄の業の延長であるということを黙想しました。私たちは、ですから、昨日から三日間、償いのミサと御聖体降福式を行っています。ミサ聖祭が侮辱され、御聖体が侮辱されたからです。
愛する兄弟姉妹の皆様、愛と礼拝をもって今日このミサ聖祭に与ってください。冒涜の罪を償いましょう。主は正義を要求されます。償いを要求されます。わたしたちが代ってその償いをお捧げしましょう。マリア様とともに十字架のもとに留まり、イエズス様の犠牲を罪の償いとして、御父天主にお捧げ致しましょう。
特に今日、跪いて口で舌で敬虔に御聖体を礼拝しながら、感謝をこめて礼拝しつつ御聖体拝領をなさって下さい。また、御聖体に対して、特にファチマの天使が教えてくれた祈りを心から唱えましょう。主を信ぜざる者 礼拝せざる者 希望しない人 愛さない人々に代って、わたしたちが主を信じ 礼拝し 希望し 愛することができますように。そして、世界中のすべてのご聖櫃にましまし給うイエズス・キリストの御体を、わたしたちは心から礼拝いたしましょう。
Deus propitius esto nobis peccatoribus!
天主よ、罪人である私たちを憐れみ給え!
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。