アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
聖週間の聖月曜日となりました。主の御受難について黙想することにいたしましょう。
2005年の「十字架の道行」での黙想です。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2005年3月20日午後 十字架の道行
小野田神父
今日はこうやって皆さんと一緒に、イエズス様の歩まれた『十字架の道行』ができるのを嬉しく思います。このすばらしいお祈りと黙想が、四旬節中だけではなく、いつでも頻繁に唱えたり黙想したりすることができれば、何と良いことでしょうか。
『道行』を始める前に、少し背景を解説したいと思います。皆さんもお祈りの時にはこれらのポイントを押さえながら黙想するようになさって下さい。そして、イエズス様はすべての苦しみと艱難とを私達のために受け取って下さった、これはすべて私のためだったということをよく考えるようになさって下さい。そしてこの『十字架の道行』の時に、できれば、イエズス様の御苦しみに同情する涙、私達の罪を痛悔する涙を求めることに致しましょう。
まず、肉体の受けた苦しみを黙想します。
十字架というのは皆さんもご存じのとおり、古代においては最も痛々しく残酷な刑であると考えられました。
イギリスでカトリックが迫害された宗教改革の時代があって、カトリック信者が紐で十字架に付けられ吊るされたのですけれども、手と足はロープで縛られただけだったそうです。それでも、何時間と十字架に架かった後ではもう信者達は死んだようにぐったりとしてしまったということです。実際このように張り付けられるだけでも、ものすごい残酷な拷問なのだそうです。
イエズス様はロープで付けられたのではなく、釘を打たれました。
よく、イエズス様の御絵などには手の平に釘の痕がありますけれども、ラテン語の「手(manus)」という言葉の範囲には手の付け根も含まれるそうです。おそらく医学的にも、聖骸布のイエズス様もそうなのですけれども、手の平に釘を刺したのでは体の重みを皮膚が支えきれずに張り裂けて体が落ちてしまうので、手首のちょうど骨の間を釘刺したと言われています。聖骸布もそうなっています。
しかもここはちょうど神経の集まっているところですので、よく膝をポンと叩くと下の足がピクンとするように、ちょうど同じような手を動かす神経が手首の中に入っているそうです。それなので、ここを異物が貫き通すということは、ものすごい神経の痛みや痺れを催すということです。そしてこの両手に釘打たれたことによって神経は拷問状態になっていました。
聖ユスティヌスによると、古代には十字架に、座るようなところがあったのだそうです。体の重みを支えることができないので。聖ユスティヌスによると、イエズス様の十字架にもちょっと出っ張ったところがあって、それで体を支えたみたいです。
ところが聖十字架の聖遺物には、また古代の教父達の証言によれば、イエズス様の身体を支えた足は、足台がなかったのだそうです。イエズス様は直接、十字架に足台なく釘付けられたそうです。ですから体の重みは足の釘にかかってしまって、これはとてつもない痛みを足に与えていました。
ちょうど皆さんもこのような姿勢をとってしばらくいると感じると思いますが、血の流れが良くなくて、手からの血は体に流れ、そして息をするのも、肺を動かすためには肋骨を上下させなければならないので、それも動きにくくなって血液の循環が非常に悪くなったということと、あと、息をするのが非常に困難になったということで、窒息感をイエズス様は味わったに違いありません。
そのような状態になると、医学的には頭に上がる血圧が高まるのだそうです。それで体がむくんでしまって、おそらくそれによってイエズス様の茨の冠はますます痛みを増加させたと考えられます。
イエズス様はその時、服を着ていたわけではなく裸でしたので、冷たい風にそのまま晒されていました。今、3月でも少し外を歩けば寒いのですけれども、ちょうどイエズス様が十字架に架けられた12時から3時の間は太陽が光を失っていましたから、おそらく風は冷たく、イエズス様を温めるものは何もなく、全身は傷を負っていましたからその傷による熱と寒さによって、発熱した時に感じるような悪寒を全身に感じられたはずです。
さらにイエズス様は体中から血を流しておられましたから、水分は失っていました。そのために非常に鋭い喉の渇きを感じられたはずです。
前日から一睡もさせてもらえなかったので疲労は極度に達し、気絶する直前であったと思われます。
イエズス様はこうやって釘付けにさせられました。
私達のために釘付けにされたイエズス様をどうぞもう一度よくご覧になって下さい。これは私達を愛するがために釘付けにさせられ、そして私達を愛するためにご自分の御血をすべて流されました。
もし私達がイエズス様の御受難、肉体の苦しみをよく考えれば考えるほど、イエズス様の愛に感動せずにはいられなくなります。イエズス様のこの苦しみを考えれば考えるほど、私達が完全な罪の痛悔、今後罪を犯さないというこの痛悔を持たずにはいられなくなります。
そしてイエズス様が私達を愛するがためにこのような極度の痛みを甘受されたのならば、私達も十字架をイエズス・キリスト様のために甘受せずにはいられなくなります。イエズス様の十字架の苦しみを考えれば考えるほど、そのことを私達の心に刻み付ければ刻み付けるほど、もはや私達はこの世の罪深い喜びや楽しみのために罪を犯すことはできなくなってしまいます。
では、イエズス様の受けた肉体の苦しみの次に、イエズス様の受けた屈辱を考えてみます。
日本民族は非常に誇り高い民族ですから、たとえ私達はいかなる苦しみを負おうとも、肉体の困難を負おうとも、名誉を傷付けられることは非常に嫌います。私達は自分の名誉に関しては非常に敏感ですが、イエズス様は私達よりもはるかに名誉のある方です。そしてこのイエズス様がどれほどの屈辱を味わったかを少し黙想します。
イエズス様の血は天主の御血で非常に高貴な血が流れています。マリア様の御胎内にいらっしゃる間から、その罪の汚れない血が流れていました。しかしイエズス様が鞭打たれ血を流される時に、この罪のない血は罪に汚れたこの地に滴り落ちたのでした。イエズス様はこの地を浄めるために、この屈辱を受け入れたのでした。
それよりももっとイエズス様の屈辱だったのは、この十字架の死というのはあまりにも残酷であって、ローマ市民、ローマの一般自由民は、ローマ人の特権として、いかなる罪を犯したとしても、どんなにものすごい悪をしでかしたとしても、十字架の刑だけは受けることがありませんでした。自由民だからです。
十字架に付けられるのは奴隷以外にはありませんでした。それほど残酷で凶暴な刑でした。
イエズス様は、この世を創られ、この世に太陽を光らせ、私達に雨を降らせ、そして食べ物を与える大恩人であるにも拘らず、私達からものを盗んで人を殺す極悪人として十字架に付けられたのでした。奴隷として十字架に付けられたのでした。
イエズス様が受けた屈辱は、自分の身を守るべき、最もプライバシーを守る、最も敏感なプライバシーを守るはずの衣服さえも剥ぎ取られてしまったということです。しかもこれは更衣室で剥ぎ取られたのではなく、皆の前で公然と辱めを受けて衣服を剥ぎ取られたのでした。
そればかりではありませんでした。イエズス様はありとあらゆる冒涜の言葉を聞きました。野次を飛ばされました。嘲りを受けました。しかもありとあらゆる階級の人々から。通りがかりの人から、司祭長から、あるいはローマ兵から、一緒に十字架に付けられた左にいた盗賊からも言われました。
まず、左にいた盗賊は「お前は本当に天主の子ならば十字架から下りてみろ。そして俺たちを救ってみろ」と言いました。
道を通った人も言いました。今日もマテオ(枝の主日の聖福音:マテオ26ノ36-75、27ノ1-60)で読んだのですけれども、「なんだ、お前は天主の神殿を壊して三日で建て直せると言った者ではないか。それなら自分を救ってみろ。お前が天主の子なら十字架から下りてみろ」と。
「ここから下りてみろ」という言葉は、これはイエズス様は、実はこれと同じことを四十日間を過ごした砂漠で悪魔から聞いたのでした。悪魔は神殿の高いところに連れて行って、「もしお前が天主の子なら、ここから身を投げてみろ。そうしたら天主はあなたの足が傷付かないように支えるだろう」と。実際、「十字架から下りてみろ」と言う声は、非常に悪魔的な声だったのです。
こうやってイエズス様は釘で手足を貫かれたばかりでなく、鋭い毒のような言葉をもって突き刺されたのでした。
大司祭達も同じことを言います。大司祭達は通りがかりの人よりももっと言い方が残酷なのです。なぜかと言うと通りがかりの人達はイエズス様に向かって「おい、お前が天主の子なら十字架から下りてみろ、そして自分を救ってみろ」と話しかけたのですが、大司祭達はイエズス様を見ようともせずに「彼は多くの人を救った。だからもし天主が彼を望むならば天主を来させよ、そして彼を救えば良い」と三人称で言っているのでした。
「もし彼が下りたら私達は信じよう」と言いますが、でもこれは、まったく心にもない発言でした。
なぜならイエズス様が十字架に付けられたその数日前に、イエズス様はラザロを命令によって死から甦らせたこともありました。
そしてこの十字架に付けられた三日後にはイエズス様ご自身が、ご自分の力によって墓から甦るのです。
しかしそれを見ても彼等は信じようとしませんでした。もし本当にイエズス様が十字架から下りたら一体彼等は何をしたでしょうか。
ある教父はこう言います。おそらく彼等はイエズス様に近寄って、自分の拳でイエズス様を殴り殺してしまっただろうと。天主が彼を救えば良い、彼は自分で十字架を下りれば良い、そうしたら私達は信じよう…、まったくの嘘、まったくの偽善に過ぎませんでした。
なぜでしょうか。この司祭長達ユデア人にとって、実は聖金曜日の午後3時というのは、ちょうどその時から旧約のいけにえである子羊を屠らなければならない時間でした。しかしそれを、その重大な義務をほっぽらかしてイエズス様のほうに来て野次を飛ばしていたのでした。実際、旧約の過ぎ去るべき前表の子羊よりも、この司祭長達は本当の天主の子羊の屠りのために十字架のところに来ていたのです。
そして彼等は十字架の神秘というものを全然わかっていませんでした。十字架が私達を救うことができるということを理解できなかったのです。これは私達にも、キリストに学ぶ者にもあてはまることなのです。
私達がもし苦しみや十字架に遭うと、どうやってそれを受けるでしょうか。
もしかしたら私達は友達から笑われ、「ああ、なんだお前はラテン語のミサに与っているのか。聖伝のミサに与っているのか」などと嘲りや嘲笑を受けるかも知れません。あるいは私達がカトリックの信仰を持つがために、この世の人達は私達を理解できないかも知れません。「なぜあなたの家庭には子供がそんなに多いのですか。お金もないくせに。責任を考えなさい、責任を取りなさい」「あなたはどうして流行を追わないのですか。今の流行はミニスカートです」「あなたはなぜ十字架の印をするのですか」…。
そのような嘲りと笑いが来る時、もしかしたら私達は「ああ、このような十字架から下りて、皆と一緒に、友達になりたい。そして自分をここから救いたい」という誘惑に駆られるかも知れません。
しかし私達が十字架から下りたそのとたんに、私達を今まで嘲笑った人達は却って私達を殴り殺してしまうかも知れません。その流行によって、悪い模範によって、道徳によって。
私達は新しい奇蹟、新しいイエズス様への奇蹟を求めるのではなく、イエズス様の行いに倣わなければなりません。
イエズス様がどうやって彼等の嘲りと冒涜に反応したかと言うと、それは十字架に留まることでした。
彼等は言うかも知れません。「お前が十字架から下りたら、私達は信じよう」「あなたがそのような十字架から下りたら私もカトリックになろう」と。
つまり、もし私達がイエズス・キリストの十字架を語らなかったら、私達がもしこの肉と罪を十字架に付けて新しい命を生きなければならないということを語らなかったら。私達が自分に死ななければならない、天主に生きなければならないということを語らなかったら。あるいは私達が自己犠牲をしなければならないという十字架の言葉を語らなかったら、彼等はカトリックになると言うかも知れません。
「十字架から下りてみろ、そうしたら私達もあなたを信じる」
でもそうなってしまっては、それはイエズス様の福音ではないのです。
なぜならばイエズス様は十字架にそのまま残ることによって、十字架の上でそのままご自分の命を捧げることを通して、そして御復活によって死を滅ぼすことによって、本当の十字架の意味を私達に教えて下さったからです。
キリストの答えはこうです。「私達は十字架に留まらなければならない。そしてそれによって新しい命へと行かなければならない」
ではイエズス様は、霊魂にはどのような苦しみを受けたでしょうか。
イエズス様はまず、天と地から打ち捨てられたという感じがしました。それを実感しました。
まずイエルザレム入城の時に、歓迎してくれたイエルザレムの住民達は却ってイエズス様を「十字架に付けよ」と言うほうに回りました。市民から捨てられました。また、イエズス様が最も愛していた弟子達からも打ち捨てられました。ヨルダン川で洗礼を受けた時には天が開いて、天から御父の声が聞こえました。しかし今回は、十字架の上ではそのような天からの声も聞こえません。
四十日の砂漠での断食、あるいはゲツセマニの園での祈りの時には、その後に天使達がイエズス様を慰めに現れました。が、十字架の上ではそのような天使達もありません。一人、右にいた盗賊が回心した以外、全世界はイエズス様に叛乱しているようです。
私達はこのようなイエズス様に、少なくとも私達がここにいるということを申し上げましょう。私達は金輪際、イエズス様を悲しませるような罪を犯すことあるまじ、少なくとも私達は小さな遷膳の決心と痛悔の念をもって、イエズス様をお慰め致しましょう。
イエズス様の霊魂の悲しみのもう一つは、聖書が成就しないのではないかという恐れがあったことです。
それは、イエズス様が服を剥ぎ取られてしまった時に、彼等はそれを最初、裂こうとしたからです。しかし実際にイエズス様が着ていた服が継ぎ目のないものだったので、彼等はさいころを振って分けることにしました。そして彼等ローマの兵士達はさいころに従ってそれを分配したのでした。
教父達によると私達はここから一つローマ兵に倣わなければならないことがあると言われます。イエズス様の着ていた継ぎ目のない服というのは、愛徳のシンボルだと言います。愛は一つにまとめるからです。
ところで誰かが亡くなった時に、その相続問題で兄弟姉妹親族の者が、非常に争うのではないでしょうか。残念ながらサンティ神父様が亡くなった時にもその遺品の配分のために揉め事がフィリピンであったようです。
しかし、私達はこの継ぎ目のない衣という愛徳を、決して遺産相続のために切り取ってしまってはなりません。ちぎってしまってはなりません。
では、イエズス様の十字架の道行を黙想する前に、今からする前に、イエズス様が亡くなった、御死去の直前と直後に何が起こったか、ちょっとだけかいつまんでみることにします。
なぜならばこの『十字架の道行』には、そのことがパッと通り過ぎるだけだからです。
まず、イエズス様が亡くなる直前には、太陽が光を失いました。
この、太陽が光を失ったということは、これは普通の自然現象ではありませんでした。なぜかと言うと、日蝕が起こるのは新月の時であって、満月の時は日蝕が起こり得ないからです。でもちょうどこの聖金曜日は満月の時でしたから、本来ならば日蝕は起き得ない日でした。
しかし全自然はイエズス様の御死去を弔うために、そしてそれに同情するために光を失ったのでした。
イエズス様がクリスマスにお生まれになった時には、夜は光で輝かされ、光で充ち満ちた夜となりました。しかしイエズス様が死を迎えたこの聖金曜日には全地上は光を失い暗闇に包まれてしまったのでした。
十字架でのこの苦しみが終わったその時に、天主の正義は満足されたので、そして罪の赦しが完成されたので、もう一度太陽は輝きを取り戻します。
イエズス様が亡くなった時には、まず、神殿の幕が二つに、上から下まで裂けました。この神殿の幕は、至聖所と普通の所を分けていた頃で、この至聖所には司祭だけが入ることができるものでした。
なぜ神殿の幕が裂けてしまったのでしょうか。
これは旧約時代が終わりを告げた、旧約のいけにえがもう意味を為さなくなったということを意味しています。そしてモイゼの細かい規定は廃止され、新しいイエズス・キリストの新約の時代が始まりを告げたのでした。
またちょうどこの旧約時代には、大司祭達が何か不正義や天主に対する冒涜や、憤りなどがあると自分の祭服を二つにちぎって怒ったという記事がよくありますけれども、イエルザレムの神殿も、天主の子が不正義によって殺されたということで、自ら祭服である神殿の幕を二つに引き裂いてしまったのでした。これが第一に起こったことでした。
第二に起こったのは、地震があったことでした。地が震ったことでした。
第三に起こったのは、岩が裂けたことでした。
第四に起こったのは、墓が開いたことでした。そして墓が開いて復活の後に死者達は蘇ってイエズス・キリストが天主であることを証言したのであります。
イエズス・キリスト様がリンボに下って、古聖所にいる霊魂達を天国に引き上げるまでは、彼等は甦ることがありませんでした。しかしイエズス様の御復活の後には、彼等は暫くの間、もう一度生命が与えられたのでした。
これらのことを見て特に神殿の幕が裂けたこと、あるいは地震、あるいは岩が裂けたこと、墓が開いたことなどで、聖母はイエズス・キリストが真に天主の子であったということをますますはっきりと確信したのでした。
しかし多くの人にとっては、このような奇蹟はまったくの無駄でした。彼等はそれを見ても一つも心を動かしませんでした。そしてもう一度同じように、あたかも何事もなかったかのように罪の生活を続け、偽善の生活を続けたばかりでした。
天主は私達に時として自然の災害、不幸、死、隣人の死、あるいは地震や戦争や飢饉、津波などを私達に送ってそれを徴として、私達に痛悔するようにと呼びかけているのですけれども、残念なことに多くの人達はそれに「ああ、びっくりした」としても、もう一度罪の生活に戻って行くのです。
しかしその多くの無関心の中にも回心したローマ兵はいました。
たとえばイエズス様を見ていたローマの兵はこう言いました。「実に彼は天主の子であった。実に彼は義人であった」そして彼は罪を痛悔しつつ家に帰って行ったとあります。
実際、このローマの兵、聖伝によるとロンジウスという名前だそうですが、片目は実は失明していたそうですけれども、イエズス様の脇に槍を刺したその時に、そこから出る水と血を浴びて、それによってもう一度目が見えるようになった、そして霊魂ももう一度目が見えるようになった。そしてキリスト教信者になったと言われています。
では私達も天主様に立ち戻らなければなりません。
太陽はそのために暗まなければなりません。
これはどういうことかと言うと、教父達によれば、私達がまだこの世の罪に対する楽しみを明るい日で見ているうちは罪を改心できないから、何らか私達はこの地上の罪への愛着を暗闇に葬り去らなければならない、もはやこの世の罪深い楽しみや喜びは私達にとって闇の彼方へと追いやらなければならない、その意味で、太陽は光を失わなければならない。
その次に地震が起こったように、私達は心から罪に対する恐れと嫌悪感を抱かなければならない。
イエズス様が亡くなった時に岩が割れたように、私達の堅い岩のような心も割れて改心しなければならない。
墓が開いたように、私達は心を開いて告白して罪を改心しなければならない。
そしてイエズス・キリストと共に新しい生命に復活しなければなりません。
ではこれから、一緒に『十字架の道行』を唱えましょう。
本来なら『十字架の道行』の御絵があると良いのですけれども、今日はこの行列用十字架を先頭に、少しこの周りを回りましょう。
祈祷書をお持ちの方は107ページです。
愛する兄弟姉妹の皆様、
聖週間の聖月曜日となりました。主の御受難について黙想することにいたしましょう。
2005年の「十字架の道行」での黙想です。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2005年3月20日午後 十字架の道行
小野田神父
今日はこうやって皆さんと一緒に、イエズス様の歩まれた『十字架の道行』ができるのを嬉しく思います。このすばらしいお祈りと黙想が、四旬節中だけではなく、いつでも頻繁に唱えたり黙想したりすることができれば、何と良いことでしょうか。
『道行』を始める前に、少し背景を解説したいと思います。皆さんもお祈りの時にはこれらのポイントを押さえながら黙想するようになさって下さい。そして、イエズス様はすべての苦しみと艱難とを私達のために受け取って下さった、これはすべて私のためだったということをよく考えるようになさって下さい。そしてこの『十字架の道行』の時に、できれば、イエズス様の御苦しみに同情する涙、私達の罪を痛悔する涙を求めることに致しましょう。
まず、肉体の受けた苦しみを黙想します。
十字架というのは皆さんもご存じのとおり、古代においては最も痛々しく残酷な刑であると考えられました。
イギリスでカトリックが迫害された宗教改革の時代があって、カトリック信者が紐で十字架に付けられ吊るされたのですけれども、手と足はロープで縛られただけだったそうです。それでも、何時間と十字架に架かった後ではもう信者達は死んだようにぐったりとしてしまったということです。実際このように張り付けられるだけでも、ものすごい残酷な拷問なのだそうです。
イエズス様はロープで付けられたのではなく、釘を打たれました。
よく、イエズス様の御絵などには手の平に釘の痕がありますけれども、ラテン語の「手(manus)」という言葉の範囲には手の付け根も含まれるそうです。おそらく医学的にも、聖骸布のイエズス様もそうなのですけれども、手の平に釘を刺したのでは体の重みを皮膚が支えきれずに張り裂けて体が落ちてしまうので、手首のちょうど骨の間を釘刺したと言われています。聖骸布もそうなっています。
しかもここはちょうど神経の集まっているところですので、よく膝をポンと叩くと下の足がピクンとするように、ちょうど同じような手を動かす神経が手首の中に入っているそうです。それなので、ここを異物が貫き通すということは、ものすごい神経の痛みや痺れを催すということです。そしてこの両手に釘打たれたことによって神経は拷問状態になっていました。
聖ユスティヌスによると、古代には十字架に、座るようなところがあったのだそうです。体の重みを支えることができないので。聖ユスティヌスによると、イエズス様の十字架にもちょっと出っ張ったところがあって、それで体を支えたみたいです。
ところが聖十字架の聖遺物には、また古代の教父達の証言によれば、イエズス様の身体を支えた足は、足台がなかったのだそうです。イエズス様は直接、十字架に足台なく釘付けられたそうです。ですから体の重みは足の釘にかかってしまって、これはとてつもない痛みを足に与えていました。
ちょうど皆さんもこのような姿勢をとってしばらくいると感じると思いますが、血の流れが良くなくて、手からの血は体に流れ、そして息をするのも、肺を動かすためには肋骨を上下させなければならないので、それも動きにくくなって血液の循環が非常に悪くなったということと、あと、息をするのが非常に困難になったということで、窒息感をイエズス様は味わったに違いありません。
そのような状態になると、医学的には頭に上がる血圧が高まるのだそうです。それで体がむくんでしまって、おそらくそれによってイエズス様の茨の冠はますます痛みを増加させたと考えられます。
イエズス様はその時、服を着ていたわけではなく裸でしたので、冷たい風にそのまま晒されていました。今、3月でも少し外を歩けば寒いのですけれども、ちょうどイエズス様が十字架に架けられた12時から3時の間は太陽が光を失っていましたから、おそらく風は冷たく、イエズス様を温めるものは何もなく、全身は傷を負っていましたからその傷による熱と寒さによって、発熱した時に感じるような悪寒を全身に感じられたはずです。
さらにイエズス様は体中から血を流しておられましたから、水分は失っていました。そのために非常に鋭い喉の渇きを感じられたはずです。
前日から一睡もさせてもらえなかったので疲労は極度に達し、気絶する直前であったと思われます。
イエズス様はこうやって釘付けにさせられました。
私達のために釘付けにされたイエズス様をどうぞもう一度よくご覧になって下さい。これは私達を愛するがために釘付けにさせられ、そして私達を愛するためにご自分の御血をすべて流されました。
もし私達がイエズス様の御受難、肉体の苦しみをよく考えれば考えるほど、イエズス様の愛に感動せずにはいられなくなります。イエズス様のこの苦しみを考えれば考えるほど、私達が完全な罪の痛悔、今後罪を犯さないというこの痛悔を持たずにはいられなくなります。
そしてイエズス様が私達を愛するがためにこのような極度の痛みを甘受されたのならば、私達も十字架をイエズス・キリスト様のために甘受せずにはいられなくなります。イエズス様の十字架の苦しみを考えれば考えるほど、そのことを私達の心に刻み付ければ刻み付けるほど、もはや私達はこの世の罪深い喜びや楽しみのために罪を犯すことはできなくなってしまいます。
では、イエズス様の受けた肉体の苦しみの次に、イエズス様の受けた屈辱を考えてみます。
日本民族は非常に誇り高い民族ですから、たとえ私達はいかなる苦しみを負おうとも、肉体の困難を負おうとも、名誉を傷付けられることは非常に嫌います。私達は自分の名誉に関しては非常に敏感ですが、イエズス様は私達よりもはるかに名誉のある方です。そしてこのイエズス様がどれほどの屈辱を味わったかを少し黙想します。
イエズス様の血は天主の御血で非常に高貴な血が流れています。マリア様の御胎内にいらっしゃる間から、その罪の汚れない血が流れていました。しかしイエズス様が鞭打たれ血を流される時に、この罪のない血は罪に汚れたこの地に滴り落ちたのでした。イエズス様はこの地を浄めるために、この屈辱を受け入れたのでした。
それよりももっとイエズス様の屈辱だったのは、この十字架の死というのはあまりにも残酷であって、ローマ市民、ローマの一般自由民は、ローマ人の特権として、いかなる罪を犯したとしても、どんなにものすごい悪をしでかしたとしても、十字架の刑だけは受けることがありませんでした。自由民だからです。
十字架に付けられるのは奴隷以外にはありませんでした。それほど残酷で凶暴な刑でした。
イエズス様は、この世を創られ、この世に太陽を光らせ、私達に雨を降らせ、そして食べ物を与える大恩人であるにも拘らず、私達からものを盗んで人を殺す極悪人として十字架に付けられたのでした。奴隷として十字架に付けられたのでした。
イエズス様が受けた屈辱は、自分の身を守るべき、最もプライバシーを守る、最も敏感なプライバシーを守るはずの衣服さえも剥ぎ取られてしまったということです。しかもこれは更衣室で剥ぎ取られたのではなく、皆の前で公然と辱めを受けて衣服を剥ぎ取られたのでした。
そればかりではありませんでした。イエズス様はありとあらゆる冒涜の言葉を聞きました。野次を飛ばされました。嘲りを受けました。しかもありとあらゆる階級の人々から。通りがかりの人から、司祭長から、あるいはローマ兵から、一緒に十字架に付けられた左にいた盗賊からも言われました。
まず、左にいた盗賊は「お前は本当に天主の子ならば十字架から下りてみろ。そして俺たちを救ってみろ」と言いました。
道を通った人も言いました。今日もマテオ(枝の主日の聖福音:マテオ26ノ36-75、27ノ1-60)で読んだのですけれども、「なんだ、お前は天主の神殿を壊して三日で建て直せると言った者ではないか。それなら自分を救ってみろ。お前が天主の子なら十字架から下りてみろ」と。
「ここから下りてみろ」という言葉は、これはイエズス様は、実はこれと同じことを四十日間を過ごした砂漠で悪魔から聞いたのでした。悪魔は神殿の高いところに連れて行って、「もしお前が天主の子なら、ここから身を投げてみろ。そうしたら天主はあなたの足が傷付かないように支えるだろう」と。実際、「十字架から下りてみろ」と言う声は、非常に悪魔的な声だったのです。
こうやってイエズス様は釘で手足を貫かれたばかりでなく、鋭い毒のような言葉をもって突き刺されたのでした。
大司祭達も同じことを言います。大司祭達は通りがかりの人よりももっと言い方が残酷なのです。なぜかと言うと通りがかりの人達はイエズス様に向かって「おい、お前が天主の子なら十字架から下りてみろ、そして自分を救ってみろ」と話しかけたのですが、大司祭達はイエズス様を見ようともせずに「彼は多くの人を救った。だからもし天主が彼を望むならば天主を来させよ、そして彼を救えば良い」と三人称で言っているのでした。
「もし彼が下りたら私達は信じよう」と言いますが、でもこれは、まったく心にもない発言でした。
なぜならイエズス様が十字架に付けられたその数日前に、イエズス様はラザロを命令によって死から甦らせたこともありました。
そしてこの十字架に付けられた三日後にはイエズス様ご自身が、ご自分の力によって墓から甦るのです。
しかしそれを見ても彼等は信じようとしませんでした。もし本当にイエズス様が十字架から下りたら一体彼等は何をしたでしょうか。
ある教父はこう言います。おそらく彼等はイエズス様に近寄って、自分の拳でイエズス様を殴り殺してしまっただろうと。天主が彼を救えば良い、彼は自分で十字架を下りれば良い、そうしたら私達は信じよう…、まったくの嘘、まったくの偽善に過ぎませんでした。
なぜでしょうか。この司祭長達ユデア人にとって、実は聖金曜日の午後3時というのは、ちょうどその時から旧約のいけにえである子羊を屠らなければならない時間でした。しかしそれを、その重大な義務をほっぽらかしてイエズス様のほうに来て野次を飛ばしていたのでした。実際、旧約の過ぎ去るべき前表の子羊よりも、この司祭長達は本当の天主の子羊の屠りのために十字架のところに来ていたのです。
そして彼等は十字架の神秘というものを全然わかっていませんでした。十字架が私達を救うことができるということを理解できなかったのです。これは私達にも、キリストに学ぶ者にもあてはまることなのです。
私達がもし苦しみや十字架に遭うと、どうやってそれを受けるでしょうか。
もしかしたら私達は友達から笑われ、「ああ、なんだお前はラテン語のミサに与っているのか。聖伝のミサに与っているのか」などと嘲りや嘲笑を受けるかも知れません。あるいは私達がカトリックの信仰を持つがために、この世の人達は私達を理解できないかも知れません。「なぜあなたの家庭には子供がそんなに多いのですか。お金もないくせに。責任を考えなさい、責任を取りなさい」「あなたはどうして流行を追わないのですか。今の流行はミニスカートです」「あなたはなぜ十字架の印をするのですか」…。
そのような嘲りと笑いが来る時、もしかしたら私達は「ああ、このような十字架から下りて、皆と一緒に、友達になりたい。そして自分をここから救いたい」という誘惑に駆られるかも知れません。
しかし私達が十字架から下りたそのとたんに、私達を今まで嘲笑った人達は却って私達を殴り殺してしまうかも知れません。その流行によって、悪い模範によって、道徳によって。
私達は新しい奇蹟、新しいイエズス様への奇蹟を求めるのではなく、イエズス様の行いに倣わなければなりません。
イエズス様がどうやって彼等の嘲りと冒涜に反応したかと言うと、それは十字架に留まることでした。
彼等は言うかも知れません。「お前が十字架から下りたら、私達は信じよう」「あなたがそのような十字架から下りたら私もカトリックになろう」と。
つまり、もし私達がイエズス・キリストの十字架を語らなかったら、私達がもしこの肉と罪を十字架に付けて新しい命を生きなければならないということを語らなかったら。私達が自分に死ななければならない、天主に生きなければならないということを語らなかったら。あるいは私達が自己犠牲をしなければならないという十字架の言葉を語らなかったら、彼等はカトリックになると言うかも知れません。
「十字架から下りてみろ、そうしたら私達もあなたを信じる」
でもそうなってしまっては、それはイエズス様の福音ではないのです。
なぜならばイエズス様は十字架にそのまま残ることによって、十字架の上でそのままご自分の命を捧げることを通して、そして御復活によって死を滅ぼすことによって、本当の十字架の意味を私達に教えて下さったからです。
キリストの答えはこうです。「私達は十字架に留まらなければならない。そしてそれによって新しい命へと行かなければならない」
ではイエズス様は、霊魂にはどのような苦しみを受けたでしょうか。
イエズス様はまず、天と地から打ち捨てられたという感じがしました。それを実感しました。
まずイエルザレム入城の時に、歓迎してくれたイエルザレムの住民達は却ってイエズス様を「十字架に付けよ」と言うほうに回りました。市民から捨てられました。また、イエズス様が最も愛していた弟子達からも打ち捨てられました。ヨルダン川で洗礼を受けた時には天が開いて、天から御父の声が聞こえました。しかし今回は、十字架の上ではそのような天からの声も聞こえません。
四十日の砂漠での断食、あるいはゲツセマニの園での祈りの時には、その後に天使達がイエズス様を慰めに現れました。が、十字架の上ではそのような天使達もありません。一人、右にいた盗賊が回心した以外、全世界はイエズス様に叛乱しているようです。
私達はこのようなイエズス様に、少なくとも私達がここにいるということを申し上げましょう。私達は金輪際、イエズス様を悲しませるような罪を犯すことあるまじ、少なくとも私達は小さな遷膳の決心と痛悔の念をもって、イエズス様をお慰め致しましょう。
イエズス様の霊魂の悲しみのもう一つは、聖書が成就しないのではないかという恐れがあったことです。
それは、イエズス様が服を剥ぎ取られてしまった時に、彼等はそれを最初、裂こうとしたからです。しかし実際にイエズス様が着ていた服が継ぎ目のないものだったので、彼等はさいころを振って分けることにしました。そして彼等ローマの兵士達はさいころに従ってそれを分配したのでした。
教父達によると私達はここから一つローマ兵に倣わなければならないことがあると言われます。イエズス様の着ていた継ぎ目のない服というのは、愛徳のシンボルだと言います。愛は一つにまとめるからです。
ところで誰かが亡くなった時に、その相続問題で兄弟姉妹親族の者が、非常に争うのではないでしょうか。残念ながらサンティ神父様が亡くなった時にもその遺品の配分のために揉め事がフィリピンであったようです。
しかし、私達はこの継ぎ目のない衣という愛徳を、決して遺産相続のために切り取ってしまってはなりません。ちぎってしまってはなりません。
では、イエズス様の十字架の道行を黙想する前に、今からする前に、イエズス様が亡くなった、御死去の直前と直後に何が起こったか、ちょっとだけかいつまんでみることにします。
なぜならばこの『十字架の道行』には、そのことがパッと通り過ぎるだけだからです。
まず、イエズス様が亡くなる直前には、太陽が光を失いました。
この、太陽が光を失ったということは、これは普通の自然現象ではありませんでした。なぜかと言うと、日蝕が起こるのは新月の時であって、満月の時は日蝕が起こり得ないからです。でもちょうどこの聖金曜日は満月の時でしたから、本来ならば日蝕は起き得ない日でした。
しかし全自然はイエズス様の御死去を弔うために、そしてそれに同情するために光を失ったのでした。
イエズス様がクリスマスにお生まれになった時には、夜は光で輝かされ、光で充ち満ちた夜となりました。しかしイエズス様が死を迎えたこの聖金曜日には全地上は光を失い暗闇に包まれてしまったのでした。
十字架でのこの苦しみが終わったその時に、天主の正義は満足されたので、そして罪の赦しが完成されたので、もう一度太陽は輝きを取り戻します。
イエズス様が亡くなった時には、まず、神殿の幕が二つに、上から下まで裂けました。この神殿の幕は、至聖所と普通の所を分けていた頃で、この至聖所には司祭だけが入ることができるものでした。
なぜ神殿の幕が裂けてしまったのでしょうか。
これは旧約時代が終わりを告げた、旧約のいけにえがもう意味を為さなくなったということを意味しています。そしてモイゼの細かい規定は廃止され、新しいイエズス・キリストの新約の時代が始まりを告げたのでした。
またちょうどこの旧約時代には、大司祭達が何か不正義や天主に対する冒涜や、憤りなどがあると自分の祭服を二つにちぎって怒ったという記事がよくありますけれども、イエルザレムの神殿も、天主の子が不正義によって殺されたということで、自ら祭服である神殿の幕を二つに引き裂いてしまったのでした。これが第一に起こったことでした。
第二に起こったのは、地震があったことでした。地が震ったことでした。
第三に起こったのは、岩が裂けたことでした。
第四に起こったのは、墓が開いたことでした。そして墓が開いて復活の後に死者達は蘇ってイエズス・キリストが天主であることを証言したのであります。
イエズス・キリスト様がリンボに下って、古聖所にいる霊魂達を天国に引き上げるまでは、彼等は甦ることがありませんでした。しかしイエズス様の御復活の後には、彼等は暫くの間、もう一度生命が与えられたのでした。
これらのことを見て特に神殿の幕が裂けたこと、あるいは地震、あるいは岩が裂けたこと、墓が開いたことなどで、聖母はイエズス・キリストが真に天主の子であったということをますますはっきりと確信したのでした。
しかし多くの人にとっては、このような奇蹟はまったくの無駄でした。彼等はそれを見ても一つも心を動かしませんでした。そしてもう一度同じように、あたかも何事もなかったかのように罪の生活を続け、偽善の生活を続けたばかりでした。
天主は私達に時として自然の災害、不幸、死、隣人の死、あるいは地震や戦争や飢饉、津波などを私達に送ってそれを徴として、私達に痛悔するようにと呼びかけているのですけれども、残念なことに多くの人達はそれに「ああ、びっくりした」としても、もう一度罪の生活に戻って行くのです。
しかしその多くの無関心の中にも回心したローマ兵はいました。
たとえばイエズス様を見ていたローマの兵はこう言いました。「実に彼は天主の子であった。実に彼は義人であった」そして彼は罪を痛悔しつつ家に帰って行ったとあります。
実際、このローマの兵、聖伝によるとロンジウスという名前だそうですが、片目は実は失明していたそうですけれども、イエズス様の脇に槍を刺したその時に、そこから出る水と血を浴びて、それによってもう一度目が見えるようになった、そして霊魂ももう一度目が見えるようになった。そしてキリスト教信者になったと言われています。
では私達も天主様に立ち戻らなければなりません。
太陽はそのために暗まなければなりません。
これはどういうことかと言うと、教父達によれば、私達がまだこの世の罪に対する楽しみを明るい日で見ているうちは罪を改心できないから、何らか私達はこの地上の罪への愛着を暗闇に葬り去らなければならない、もはやこの世の罪深い楽しみや喜びは私達にとって闇の彼方へと追いやらなければならない、その意味で、太陽は光を失わなければならない。
その次に地震が起こったように、私達は心から罪に対する恐れと嫌悪感を抱かなければならない。
イエズス様が亡くなった時に岩が割れたように、私達の堅い岩のような心も割れて改心しなければならない。
墓が開いたように、私達は心を開いて告白して罪を改心しなければならない。
そしてイエズス・キリストと共に新しい生命に復活しなければなりません。
ではこれから、一緒に『十字架の道行』を唱えましょう。
本来なら『十字架の道行』の御絵があると良いのですけれども、今日はこの行列用十字架を先頭に、少しこの周りを回りましょう。
祈祷書をお持ちの方は107ページです。