アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年4月3日 白衣の主日に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2016年4月3日 白衣の主日
小野田神父 説教
日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。今日は2016年4月3日、白衣の主日のミサをしております。
今日このミサの後、14時半から、いつものように公教要理の勉強会があります。特に今回は、復活のイエズス様について、それから聖書の、聖書の歴史的な価値について、話を進めていきたいと思っています。16時からは第2晩課があります。
明日はマリア様のお告げの祝日です。3月25日が聖金曜日でしたので、明日に移動しています。7時からミサがあります。4月はもう1つ、2週間後の17日にもミサがあります、いらして下さい。
5月は残念ながら1回しかミサがなくて、レネー神父様がいらっしゃいます。5月は、5月の22日です。
“Dominus meus, et Deus meus.”
「我が主、我が天主。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟のみなさん、今日福音で、イエズス様が弟子たちにお現れになった、復活のイエズス様がお現れになった、2回の、2回お現れになった話があります。私たちは是非その、その場所に身を置いて、一体このイエズス様が2回お現れになったという事は、どんな事だったのか、歴史的に一体何が起こったのか、もしも私たちが今その場所にいたとしたら、例えばこの児童会館の、このミサの会場が、弟子たちの居た最後の高間の、最後の晩餐の高間で、ユダヤ人を恐れて、ドアも閉め切って隠れて、意気消沈していて、ひっそりとしていた、その中にイエズスが現れた、という事は弟子たちにとってどのような事だったのか、という事を黙想して、それから、イエズス様が確かに復活された、その復活はどういう事だったのか、という事を、聖書に基づいて見る事に致しましょう。最後に、この復活の決心を、遷善の決心を立てる事に致しましょう。
もしも私たちが、復活のその高間に、最後の晩餐の高間にいて集まっていて、そしたらそれは一体どんな状況があったのでしょうか?それは私たちは、その歴史的なコンテクト文脈の中に身を置いて、一体弟子たちが何を考えて、何を思っていたのか、という事を考えなければなりません。この弟子たちの心の変化、復活の前と後の変化を、私たちは深く理解するようにしなければなりません。復活の前と後で、弟子たちの態度はガラリと変わります。このとてつもない変化に注意して下さい。
イエズス様は聖金曜日に、復活の3日前、聖金曜日に、お昼から午後3時にかけて、十字架に付けられました。ローマ帝国の、ローマ皇帝に逆らう反逆者として、2人の盗賊の間に付けられて、ユダヤ当局、宗教的に最高の権威の大司祭が、ローマ当局、政治上の最高の権威者であるポンシオ・ピラトから公式に、死刑の宣告を受けました。ただの死刑ではありません、極刑です。何故かというと、ローマ市民にはこれを与える事が許されていない、十字架の死刑だったからです。反逆罪でした。イエズス・キリスト様には「ユダヤの王、ナザレトのイエズス」という罪標が書かれていました。それが皆に分かるように、ラテン語とギリシャ語とヘブライ語で書かれていました。
そればかりではありません。その当時、このイエズス様を裏切ったのが、最も近い弟子だったのです。ユダがイエズス様を奴隷のお金で、奴隷の値で売り飛ばしました。一番の弟子の頭であったペトロは、女中の声に恐れて、「この人を知らない、俺は知らない、誓って言うから、知らない!」と言って逃亡しました。弟子たちは全て、イエズス様を捨て去って、隠れて、恐れのあまり閉じこもっていました。
そればかりではありません。イエズス様を信じて、その5日前までは、「ユダヤの王、ダヴィドの王にホザンナ!」と叫んでいた人々は、「十字架に付けよ!」と叫び、イエズス・キリストの事を信じる人は誰1人もいませんでした。マリア様を除いて誰1人、イエズス・キリストの復活などを信じる人はいませんでした。
ところが、それから第3日目の主日、弟子たちは確信に満ちて、「確かに、イエズス・キリストは自分の力でよみがえったのだ、確かにイエズス・キリストは真の天主だ!天主の御一人子だ!」という事を何も恐れずに、「イエズス・キリストが天主である、という事を証明するならば死も恐れない、殉教も覚悟だ、イエズスキリスト様に於いて聖書が全て成就した、という事を私は証明する、説明する事ができる。」この今まで、ガリレアの田舎の、何の勉強もした事がない、学校にも行った事がない、魚を捕っていた漁師が、おじさんたちが田舎からやってきて、エルサレムのその首都に、最高権威の前で、学問を積んで、聖書を研究した人の前で、「こうだ、こうだ」「こうして、こうして、こうある」と説明し出したのです。すると、それらを聞いて、「確かにそうだ、その通りだ。」と言って、何千名、最初には5,000名が洗礼を受けて、「イエズス・キリストが真に天主である」と信じたばかりでなく、ユダヤのその最も大切なエルサレムの神殿、エルサレムで多くの人々が、「イエズス・キリストが真の天主の子で、メシアだ」と信じたのみならず、遂にはローマ帝国、その首都であるローマに行って、聖ペトロが、「キリストは、イエズス・キリストこそ救い主であって、真の天主だ。」と言って、ローマ帝国をさえも回心させて、ヨーロッパをもキリストの信仰に導いた、というほどの大転換がありました。
一体何故、ガリラヤのおじさんが、漁師のおじさんがそんな事ができたのでしょうか?今まで隠れて、おっかながって、「知らない」と言った人が、3日の後に、そんなに変わる事ができたのでしょうか?何故ローマ帝国は、ローマ皇帝も、ローマの文学者たちも、知恵のある人たちが、「ユダヤの片隅のナザレト出身のイエズスこそが、真の天主であり、真の天主の人だ」という事を信じて、ローマ帝国全体が、全ヨーロッパが、この方をが真の救い主だと信じるようになったのでしょうか?
これには2つの事実があります。この事実をよく知って下さい。今日イエズス様が私たちの間に是非お現れになって、御自分の傷跡を見せて下さいますように。
どんな事実があるかというと、1つは、イエズス様のお墓が、確かにイエズス様は亡くなられて、ローマの使者、死んだか死なないかの鑑定の人がやってきて、2人の盗賊はまだ息があったので脛を折られて、だけれどもキリストは、イエズス・キリストはもう既に死んでいる。それで脛を折られずに、その代わりに胸を槍で突いて、そこから血と水が流れて、確かに窒息したところを確認して、弟子たちも、その御母マリア様がその御遺体を、冷たい御遺体を傷を洗って埋葬して、新しい墓に埋葬しました。ユダヤ人が当局は、「これは盗まれるといけないから、これを固く守って下さい」と警護を固めました、警備を固めました。ローマ兵士が武器を持って、墓を守っていました。墓には大きな、数名では動かす事ができない大きな石がありました。
ところが聖金曜日の夜から1日挟んで、朝明け方まだ早く、まだ日がまだ昇って白々としていないような、まだその朝早く、婦人たちが、「早く、安息日の為にできなかった埋葬の儀式を早くしよう」と、行っている、行ってみると、あんなに大きかった墓の石はゴロリと転がっていて、兵士はいないし、墓の中は空っぽでした。マグダラのマリアはそれを見て、「誰かが盗んだ」と思いました。すぐに弟子たちの方に行って、「盗まれました!墓が空っぽです。誰かが盗みました!」ペトロとヨハネが走って行って、「確かに空だ。」という事を見て、「でも彼らはイエズス様が復活するという事は理解できなかった、知らなかった」と書いてあります。
婦人たちが、他の婦人たちが弟子たちの方に行って、「私たちは天使を見た。墓に天使が座っていて、『復活した』と言っているの見た。」と言うと、弟子が、「くだらない話をするな、ばかばかしい。」聖ルカに書いてあります、「ばかばかしくて、弟子たちは信じなかった」と書いてあります、「婦人たちが天使を見た、男は信じない。」
エンマウスに行く弟子たちはその夜、「あぁ、残念だ、イエズスという方が本当に私たちのメシアだ、力のある方だと思ったのに、これで万事休すだ。十字架に付けられた。もうダメだ。」「なんかおかしい話があるけど、婦人が朝行ったら、墓は空っぽで盗まれてて、天使を見たと言うけど、ばかばかしいよ、何の話だ。」と。「もうエルサレムなんか行っても知らない、エンマウスに行こう」と、そういう話をしていました。そういう時に弟子たちは、部屋の中で恐れて、隠れていたのです。
考えて下さい。私たちの信じていた誰かが、天皇陛下に対する反逆罪で無実の罪で捕まった、死刑になった、オウム真理教の第2だ、危ない。さあその弟子たちは全て警察が調査している、機動隊も動いている、インターネットでも新聞でも大騒ぎだ。と言ったら、私たちはどうなるでしょうか。もしかしたら鍵をかけて、アパートの中に、マンションの中に隠れているかもしれません。人の顔を見ないように。そのような時にイエズス様は、真に復活して現れました。
第2の歴史的な事実は、墓が空であったのみならず、イエズス様が何度も何度も、多くの弟子たちに同時に、或いは別々に現れて、自分が本当に肉を持って復活した、という事を証明した事です。いきなり、ドアはビタッと鍵がかかっていたのにもかかわらず、窓はピタッと閉めていたにもかかわらず、イエズス様は入ってきて、「お前たちに平安あれ!」と慰めるのです。「え?何の事だろう?」疑う者があって、「幽霊を見ているのか」と言う者があると、「お前たちに平安あれ。」と言って手を見せたり、「幽霊には肉があるか、さぁ食べ物を持ってきなさい、食べ物はあるか。」と言って食べてみたり、或いはガリレアの畔に行って、一生懸命魚を捕って、捕ろうとしても捕れなかった弟子たちに、「さぁ右に網を下ろしてみろ。」と言って、大量の奇跡的な大漁があって、その弟子たちの前で一緒に朝ごはんを食べて、或いは今日の福音のように、聖トマスは、「あぁ、僕はね、信じない。僕はね、科学的なんだよ。科学というのは反証可能でなければならない。この目で見て、この手で触って、実際に触れてみなければ信じない。君たちはほんとに夢の話をしている。」これだけ疑ったトマスが、ガラリと変わって、インドまで行って殉教するようになります。
「確かに、イエズス・キリストは復活して、私はそれを触って、見て、それを話をして、イエズス様が復活した為に奇跡を行って、その通りに、十字架に付けられたそのままのイエズス・キリスト様が復活した」というのを確かに確認したのです。何度も何度も、40日間。弟子たちもこれをどうしても疑う事ができませんでした、「イエズス・キリストが確かに今、生きている」という事だけは疑う事が出来ませんでした。いくら迫害があって、いくら「もう信仰を捨てろ」という人がいたとしても、「イエズス・キリストが復活しなかった」という話はありませんでした。
弟子たちの中には、イエズス・キリストを迫害しようとした者がいます。例えばパウロがいます、パウロはダマスコの途中で、キリスト教徒を投獄しようとして、怒りに燃えていたのですけども、復活のイエズス様を見て、「主よ、私は何をしたら良いですか。」洗礼を受けてキリスト教信者となり、「イエズス・キリストが真に天主の御子だ」と、「メシアだ」と、宣言するようになりました。「もしもイエズス様が復活しなかったら、私たちの信仰は全く空しい。もしも信仰の事を疑うようだったら、そのイエズス様と会った人が今生きているから聞いてみろ。ペトロには現れたし、誰にもそれにも現れたし、500人の人にも同時に現れたし、こんな事もあるし、こんな事もあって、こんな事もあって、聞いてみろ。」と言います。
この弟子たちは声を合わせて、「イエズス様は御自分の力で、天主の力で生き返った、復活した。昔誰かが預言者が、死者からよみがえらせた事があるけれども、イエズス様だけは自分の力でよみがえった。」聖パウロは言っています、「天主は天主の力によって生きておられる。」聖ヨハネによるとイエズス様はこう仰いました、「私は命を与える権利があり、また取り戻す権利もある。この神殿を壊したなら、私は3日でそれを建て直そう。」聖書によると、時々人間としてのキリストが出てくるので、天主御父によって復活させられた、復活された、と言う表現もありますが、天主としてのキリストでは、例えば聖パウロはローマ人の手紙の中で、「自分の力で復活した」と言っています。
今まで死者の中から復活した人々がいますが、イエズス様の復活だけは、死者の初穂として、死者の中から最初に生まれた方として、もうキリストは死ぬ事がない、死は何の力も持っていない、永遠に生きる、第1の復活をされた方として、使徒たちは私たちに教えています。昔生き返らされた人々はもう一度死ななければなりませんでした。しかしイエズス様の復活だけは、もはや死ぬ事のない、究極の復活でした。
1人の人によって死が来たように、1人の人によって死者の復活が来た。
このイエズス様は、私たちにお現れになって、確かに復活して、「本当に私こそが救い主であって、約束のキリストであって、命の与え主である。」という事を伝える為に、「あなたたちに平安あれ。」と何度も繰り返します。私たちに御傷を見せて下さいます。
どうぞ今日、イエズス様の御傷をご覧下さい。私たちに見せて下さる御傷は、御自分の栄光のしるしです、勝利の武器のしるしです。これによって、この御血、御傷によって、「死と地獄に打ち勝った」という勲章です。どうぞ、イエズス様のこの傷の中に手を深く入れて下さい。イエズス様は私たちの為に苦しまれて、本当に復活されました。これは歴史的な事実です。イエズス様の御傷をよくご覧になって、その中に手を入れて下さい。
聖ペトロはこう言います、「イエズス様の痛みと傷によって、私たちは罪を癒された。罪を許された。」
ですから、これほどまでにして私たちを許して下さったイエズス様の為に、この傷の中に深く手を入れて、聖トマスのように入れて、これから私たちは罪を避ける決心を立てましょう。イエズス様はこの特に、自分の心臓のすぐ近くの傷を大きく開いて、私たちに「手を入れろ」と言います。心臓が愛のシンボルなくて何でしょうか。イエズス様のハートの近くの傷の中に手を入れて下さい。信仰が、私たちの信仰が強まりますように。イエズス様への愛が強まりますように。イエズス様の為に苦しむ事ができますように。
イエズス様はこうやって、私たちに御傷を見せて、「確かに復活した」という事を見せて下さいます。もしもイエズス様が復活しなかったら、弟子たちの宣教はありませんでした。弟子たちはそのまま恐れ怖がって、そのまま歴史から忘れ去られてしまっていた事でしょう。「イエズス様が復活した」という事だけが、今2000年間キリスト教が続き、全ヨーロッパと、アメリカ大陸にキリスト教が伝わり、多くの方が殉教し、キリスト教文明が作られた、という事が唯一説明できます、合理的に説明できます。イエズス・キリストは真に復活されました。
どうぞ今日は聖トマスと声を合わせて仰って下さい、「我が主、我が天主。これこそ我が主、我が天主である。」
遷善の決心を立てて下さい。まず1つは、「イエズス様が必ず勝つ、確実に復活した」という事をもう一度深く確認なさって下さい。これよりも堅固な、歴史的な事実はありません。イエズス・キリストは真に復活されました。それこそが、今の歴史上説明する事ができる、唯一の合理的な答えです。
第2に、イエズス・キリストは死から復活して、私たちに慰めを与えようとして下さいます。ですから私たちは、イエズス様に感謝と、その復活の喜びの中に深く入って下さい。
第3に、イエズス様が私たちの為に、これほど苦しみと復活を受けたのですから、私たちもイエズス様の為に、犠牲と苦しみを捧げて、私たちの十字架を担い、遂には、イエズス様と同じ復活に辿り着く事ができますように。その王の道を、十字架の道を雄々しく歩む決心を取る事に致しましょう。
最後にマリア様にお祈りします。マリア様が私たちに、御子の傷を深く刻んで下さいますように。私たちがそのいつも、イエズス様の手と足と胸の5つの傷を忘れる事がないように、復活のイエズス様の傷に、いつも指を入れている事ができるようにお祈り致しましょう。
“Dominus meus, et Deus meus.”
「我が主、我が天主。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年4月3日 白衣の主日に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2016年4月3日 白衣の主日
小野田神父 説教
日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。今日は2016年4月3日、白衣の主日のミサをしております。
今日このミサの後、14時半から、いつものように公教要理の勉強会があります。特に今回は、復活のイエズス様について、それから聖書の、聖書の歴史的な価値について、話を進めていきたいと思っています。16時からは第2晩課があります。
明日はマリア様のお告げの祝日です。3月25日が聖金曜日でしたので、明日に移動しています。7時からミサがあります。4月はもう1つ、2週間後の17日にもミサがあります、いらして下さい。
5月は残念ながら1回しかミサがなくて、レネー神父様がいらっしゃいます。5月は、5月の22日です。
“Dominus meus, et Deus meus.”
「我が主、我が天主。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟のみなさん、今日福音で、イエズス様が弟子たちにお現れになった、復活のイエズス様がお現れになった、2回の、2回お現れになった話があります。私たちは是非その、その場所に身を置いて、一体このイエズス様が2回お現れになったという事は、どんな事だったのか、歴史的に一体何が起こったのか、もしも私たちが今その場所にいたとしたら、例えばこの児童会館の、このミサの会場が、弟子たちの居た最後の高間の、最後の晩餐の高間で、ユダヤ人を恐れて、ドアも閉め切って隠れて、意気消沈していて、ひっそりとしていた、その中にイエズスが現れた、という事は弟子たちにとってどのような事だったのか、という事を黙想して、それから、イエズス様が確かに復活された、その復活はどういう事だったのか、という事を、聖書に基づいて見る事に致しましょう。最後に、この復活の決心を、遷善の決心を立てる事に致しましょう。
もしも私たちが、復活のその高間に、最後の晩餐の高間にいて集まっていて、そしたらそれは一体どんな状況があったのでしょうか?それは私たちは、その歴史的なコンテクト文脈の中に身を置いて、一体弟子たちが何を考えて、何を思っていたのか、という事を考えなければなりません。この弟子たちの心の変化、復活の前と後の変化を、私たちは深く理解するようにしなければなりません。復活の前と後で、弟子たちの態度はガラリと変わります。このとてつもない変化に注意して下さい。
イエズス様は聖金曜日に、復活の3日前、聖金曜日に、お昼から午後3時にかけて、十字架に付けられました。ローマ帝国の、ローマ皇帝に逆らう反逆者として、2人の盗賊の間に付けられて、ユダヤ当局、宗教的に最高の権威の大司祭が、ローマ当局、政治上の最高の権威者であるポンシオ・ピラトから公式に、死刑の宣告を受けました。ただの死刑ではありません、極刑です。何故かというと、ローマ市民にはこれを与える事が許されていない、十字架の死刑だったからです。反逆罪でした。イエズス・キリスト様には「ユダヤの王、ナザレトのイエズス」という罪標が書かれていました。それが皆に分かるように、ラテン語とギリシャ語とヘブライ語で書かれていました。
そればかりではありません。その当時、このイエズス様を裏切ったのが、最も近い弟子だったのです。ユダがイエズス様を奴隷のお金で、奴隷の値で売り飛ばしました。一番の弟子の頭であったペトロは、女中の声に恐れて、「この人を知らない、俺は知らない、誓って言うから、知らない!」と言って逃亡しました。弟子たちは全て、イエズス様を捨て去って、隠れて、恐れのあまり閉じこもっていました。
そればかりではありません。イエズス様を信じて、その5日前までは、「ユダヤの王、ダヴィドの王にホザンナ!」と叫んでいた人々は、「十字架に付けよ!」と叫び、イエズス・キリストの事を信じる人は誰1人もいませんでした。マリア様を除いて誰1人、イエズス・キリストの復活などを信じる人はいませんでした。
ところが、それから第3日目の主日、弟子たちは確信に満ちて、「確かに、イエズス・キリストは自分の力でよみがえったのだ、確かにイエズス・キリストは真の天主だ!天主の御一人子だ!」という事を何も恐れずに、「イエズス・キリストが天主である、という事を証明するならば死も恐れない、殉教も覚悟だ、イエズスキリスト様に於いて聖書が全て成就した、という事を私は証明する、説明する事ができる。」この今まで、ガリレアの田舎の、何の勉強もした事がない、学校にも行った事がない、魚を捕っていた漁師が、おじさんたちが田舎からやってきて、エルサレムのその首都に、最高権威の前で、学問を積んで、聖書を研究した人の前で、「こうだ、こうだ」「こうして、こうして、こうある」と説明し出したのです。すると、それらを聞いて、「確かにそうだ、その通りだ。」と言って、何千名、最初には5,000名が洗礼を受けて、「イエズス・キリストが真に天主である」と信じたばかりでなく、ユダヤのその最も大切なエルサレムの神殿、エルサレムで多くの人々が、「イエズス・キリストが真の天主の子で、メシアだ」と信じたのみならず、遂にはローマ帝国、その首都であるローマに行って、聖ペトロが、「キリストは、イエズス・キリストこそ救い主であって、真の天主だ。」と言って、ローマ帝国をさえも回心させて、ヨーロッパをもキリストの信仰に導いた、というほどの大転換がありました。
一体何故、ガリラヤのおじさんが、漁師のおじさんがそんな事ができたのでしょうか?今まで隠れて、おっかながって、「知らない」と言った人が、3日の後に、そんなに変わる事ができたのでしょうか?何故ローマ帝国は、ローマ皇帝も、ローマの文学者たちも、知恵のある人たちが、「ユダヤの片隅のナザレト出身のイエズスこそが、真の天主であり、真の天主の人だ」という事を信じて、ローマ帝国全体が、全ヨーロッパが、この方をが真の救い主だと信じるようになったのでしょうか?
これには2つの事実があります。この事実をよく知って下さい。今日イエズス様が私たちの間に是非お現れになって、御自分の傷跡を見せて下さいますように。
どんな事実があるかというと、1つは、イエズス様のお墓が、確かにイエズス様は亡くなられて、ローマの使者、死んだか死なないかの鑑定の人がやってきて、2人の盗賊はまだ息があったので脛を折られて、だけれどもキリストは、イエズス・キリストはもう既に死んでいる。それで脛を折られずに、その代わりに胸を槍で突いて、そこから血と水が流れて、確かに窒息したところを確認して、弟子たちも、その御母マリア様がその御遺体を、冷たい御遺体を傷を洗って埋葬して、新しい墓に埋葬しました。ユダヤ人が当局は、「これは盗まれるといけないから、これを固く守って下さい」と警護を固めました、警備を固めました。ローマ兵士が武器を持って、墓を守っていました。墓には大きな、数名では動かす事ができない大きな石がありました。
ところが聖金曜日の夜から1日挟んで、朝明け方まだ早く、まだ日がまだ昇って白々としていないような、まだその朝早く、婦人たちが、「早く、安息日の為にできなかった埋葬の儀式を早くしよう」と、行っている、行ってみると、あんなに大きかった墓の石はゴロリと転がっていて、兵士はいないし、墓の中は空っぽでした。マグダラのマリアはそれを見て、「誰かが盗んだ」と思いました。すぐに弟子たちの方に行って、「盗まれました!墓が空っぽです。誰かが盗みました!」ペトロとヨハネが走って行って、「確かに空だ。」という事を見て、「でも彼らはイエズス様が復活するという事は理解できなかった、知らなかった」と書いてあります。
婦人たちが、他の婦人たちが弟子たちの方に行って、「私たちは天使を見た。墓に天使が座っていて、『復活した』と言っているの見た。」と言うと、弟子が、「くだらない話をするな、ばかばかしい。」聖ルカに書いてあります、「ばかばかしくて、弟子たちは信じなかった」と書いてあります、「婦人たちが天使を見た、男は信じない。」
エンマウスに行く弟子たちはその夜、「あぁ、残念だ、イエズスという方が本当に私たちのメシアだ、力のある方だと思ったのに、これで万事休すだ。十字架に付けられた。もうダメだ。」「なんかおかしい話があるけど、婦人が朝行ったら、墓は空っぽで盗まれてて、天使を見たと言うけど、ばかばかしいよ、何の話だ。」と。「もうエルサレムなんか行っても知らない、エンマウスに行こう」と、そういう話をしていました。そういう時に弟子たちは、部屋の中で恐れて、隠れていたのです。
考えて下さい。私たちの信じていた誰かが、天皇陛下に対する反逆罪で無実の罪で捕まった、死刑になった、オウム真理教の第2だ、危ない。さあその弟子たちは全て警察が調査している、機動隊も動いている、インターネットでも新聞でも大騒ぎだ。と言ったら、私たちはどうなるでしょうか。もしかしたら鍵をかけて、アパートの中に、マンションの中に隠れているかもしれません。人の顔を見ないように。そのような時にイエズス様は、真に復活して現れました。
第2の歴史的な事実は、墓が空であったのみならず、イエズス様が何度も何度も、多くの弟子たちに同時に、或いは別々に現れて、自分が本当に肉を持って復活した、という事を証明した事です。いきなり、ドアはビタッと鍵がかかっていたのにもかかわらず、窓はピタッと閉めていたにもかかわらず、イエズス様は入ってきて、「お前たちに平安あれ!」と慰めるのです。「え?何の事だろう?」疑う者があって、「幽霊を見ているのか」と言う者があると、「お前たちに平安あれ。」と言って手を見せたり、「幽霊には肉があるか、さぁ食べ物を持ってきなさい、食べ物はあるか。」と言って食べてみたり、或いはガリレアの畔に行って、一生懸命魚を捕って、捕ろうとしても捕れなかった弟子たちに、「さぁ右に網を下ろしてみろ。」と言って、大量の奇跡的な大漁があって、その弟子たちの前で一緒に朝ごはんを食べて、或いは今日の福音のように、聖トマスは、「あぁ、僕はね、信じない。僕はね、科学的なんだよ。科学というのは反証可能でなければならない。この目で見て、この手で触って、実際に触れてみなければ信じない。君たちはほんとに夢の話をしている。」これだけ疑ったトマスが、ガラリと変わって、インドまで行って殉教するようになります。
「確かに、イエズス・キリストは復活して、私はそれを触って、見て、それを話をして、イエズス様が復活した為に奇跡を行って、その通りに、十字架に付けられたそのままのイエズス・キリスト様が復活した」というのを確かに確認したのです。何度も何度も、40日間。弟子たちもこれをどうしても疑う事ができませんでした、「イエズス・キリストが確かに今、生きている」という事だけは疑う事が出来ませんでした。いくら迫害があって、いくら「もう信仰を捨てろ」という人がいたとしても、「イエズス・キリストが復活しなかった」という話はありませんでした。
弟子たちの中には、イエズス・キリストを迫害しようとした者がいます。例えばパウロがいます、パウロはダマスコの途中で、キリスト教徒を投獄しようとして、怒りに燃えていたのですけども、復活のイエズス様を見て、「主よ、私は何をしたら良いですか。」洗礼を受けてキリスト教信者となり、「イエズス・キリストが真に天主の御子だ」と、「メシアだ」と、宣言するようになりました。「もしもイエズス様が復活しなかったら、私たちの信仰は全く空しい。もしも信仰の事を疑うようだったら、そのイエズス様と会った人が今生きているから聞いてみろ。ペトロには現れたし、誰にもそれにも現れたし、500人の人にも同時に現れたし、こんな事もあるし、こんな事もあって、こんな事もあって、聞いてみろ。」と言います。
この弟子たちは声を合わせて、「イエズス様は御自分の力で、天主の力で生き返った、復活した。昔誰かが預言者が、死者からよみがえらせた事があるけれども、イエズス様だけは自分の力でよみがえった。」聖パウロは言っています、「天主は天主の力によって生きておられる。」聖ヨハネによるとイエズス様はこう仰いました、「私は命を与える権利があり、また取り戻す権利もある。この神殿を壊したなら、私は3日でそれを建て直そう。」聖書によると、時々人間としてのキリストが出てくるので、天主御父によって復活させられた、復活された、と言う表現もありますが、天主としてのキリストでは、例えば聖パウロはローマ人の手紙の中で、「自分の力で復活した」と言っています。
今まで死者の中から復活した人々がいますが、イエズス様の復活だけは、死者の初穂として、死者の中から最初に生まれた方として、もうキリストは死ぬ事がない、死は何の力も持っていない、永遠に生きる、第1の復活をされた方として、使徒たちは私たちに教えています。昔生き返らされた人々はもう一度死ななければなりませんでした。しかしイエズス様の復活だけは、もはや死ぬ事のない、究極の復活でした。
1人の人によって死が来たように、1人の人によって死者の復活が来た。
このイエズス様は、私たちにお現れになって、確かに復活して、「本当に私こそが救い主であって、約束のキリストであって、命の与え主である。」という事を伝える為に、「あなたたちに平安あれ。」と何度も繰り返します。私たちに御傷を見せて下さいます。
どうぞ今日、イエズス様の御傷をご覧下さい。私たちに見せて下さる御傷は、御自分の栄光のしるしです、勝利の武器のしるしです。これによって、この御血、御傷によって、「死と地獄に打ち勝った」という勲章です。どうぞ、イエズス様のこの傷の中に手を深く入れて下さい。イエズス様は私たちの為に苦しまれて、本当に復活されました。これは歴史的な事実です。イエズス様の御傷をよくご覧になって、その中に手を入れて下さい。
聖ペトロはこう言います、「イエズス様の痛みと傷によって、私たちは罪を癒された。罪を許された。」
ですから、これほどまでにして私たちを許して下さったイエズス様の為に、この傷の中に深く手を入れて、聖トマスのように入れて、これから私たちは罪を避ける決心を立てましょう。イエズス様はこの特に、自分の心臓のすぐ近くの傷を大きく開いて、私たちに「手を入れろ」と言います。心臓が愛のシンボルなくて何でしょうか。イエズス様のハートの近くの傷の中に手を入れて下さい。信仰が、私たちの信仰が強まりますように。イエズス様への愛が強まりますように。イエズス様の為に苦しむ事ができますように。
イエズス様はこうやって、私たちに御傷を見せて、「確かに復活した」という事を見せて下さいます。もしもイエズス様が復活しなかったら、弟子たちの宣教はありませんでした。弟子たちはそのまま恐れ怖がって、そのまま歴史から忘れ去られてしまっていた事でしょう。「イエズス様が復活した」という事だけが、今2000年間キリスト教が続き、全ヨーロッパと、アメリカ大陸にキリスト教が伝わり、多くの方が殉教し、キリスト教文明が作られた、という事が唯一説明できます、合理的に説明できます。イエズス・キリストは真に復活されました。
どうぞ今日は聖トマスと声を合わせて仰って下さい、「我が主、我が天主。これこそ我が主、我が天主である。」
遷善の決心を立てて下さい。まず1つは、「イエズス様が必ず勝つ、確実に復活した」という事をもう一度深く確認なさって下さい。これよりも堅固な、歴史的な事実はありません。イエズス・キリストは真に復活されました。それこそが、今の歴史上説明する事ができる、唯一の合理的な答えです。
第2に、イエズス・キリストは死から復活して、私たちに慰めを与えようとして下さいます。ですから私たちは、イエズス様に感謝と、その復活の喜びの中に深く入って下さい。
第3に、イエズス様が私たちの為に、これほど苦しみと復活を受けたのですから、私たちもイエズス様の為に、犠牲と苦しみを捧げて、私たちの十字架を担い、遂には、イエズス様と同じ復活に辿り着く事ができますように。その王の道を、十字架の道を雄々しく歩む決心を取る事に致しましょう。
最後にマリア様にお祈りします。マリア様が私たちに、御子の傷を深く刻んで下さいますように。私たちがそのいつも、イエズス様の手と足と胸の5つの傷を忘れる事がないように、復活のイエズス様の傷に、いつも指を入れている事ができるようにお祈り致しましょう。
“Dominus meus, et Deus meus.”
「我が主、我が天主。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。