二 十 九 日 諸 聖 人 の 元 后
天に大いなる徴(しるし)現れたり。日を着たる一人の婦人あり。
其の足許(あしもと)には月ありて、頭(こうべ)には十二の星の冠(かんむり)あり。 (黙示録十二。 一)
これは使徒(しと)聖ヨハネの言葉であるが、その中の婦人というのは、我等の母なる聖会の象(かた)徴(どり)であり、その背後(うしろ)に日を着、足下(あしもと)に月を踏んでいるのは、聖会が、永遠の太陽なるイエズス・キリストから不変(ふへん)の真理(しんり)と愛の光を与えられ、それに依(よ)って月の如く変わり易(やす)い世間に打ち勝つという事を意味し、叉、頭(こうべ)に戴いている十二の星の冠(かんむり)は十二使徒(しと)、即ち聖会の聖職者(せいしょくしゃ)の秩序(ちつじょ)を示しているのである。 聖会は洗礼によって新たに霊魂に生命(いのち)を与え、我等を天主の子、イエズス・キリストの兄弟、天国の相続者とし、断(た)えず我等の為に配慮する故(ゆえ)実際母と呼び、婦人を以て象(かたど)るに相応(ふさわ)しい。
しかしイエズスの御母聖マリアも、亦、我等の母であるから、この見方より、先に聖ヨハネの語った婦人を聖母マリアとする解釈(かいしゃく)の仕方もある。それによれば、その日を背負(せお)い月を踏み給うのは、月が自らは輝きを放(はな)たぬけれども、太陽に照らされて美しく反射するように、聖マリアも総(すべ)ての聖寵(せいちょう)を御子(おんこ)イエズスより受け給い、叉、之を聖会にお与えになる御伝達(おとりつぎ)の次第を現したもの、叉、頭(こうべ)の十二の星の冠(かんむり)は聖マリアが天地万物(ばんぶつ)の元后(げんこう)に在(ましま)すその権威(けんい)を示したものである。というのは、一体(いったい)十二という数は古(いにしえ)より、物の全体を意味するので、例えば旧約時代の十二族(ぞく)と云えば選ばれた民の総(すべ)てを指(さ)し、新約時代の十二使徒と云えば結局聖会の全体を現す、という風(ふう)であるされば聖マリアが選ばれた総(すべ)ての民の元后(げんこう)という事を形(かたち)に現す為に十二の星を用(もち)いたのである。
この聖マリアの御使命は、既に世の初めに於(お)ける「我は蛇と婦人(おんな)の間に怨(うら)みを置かん」という天主の御約束にも見られ、その後も屡々(しばしば)予言や象(かたど)りで現された如く、悪魔の勢力、地獄の勢力を打ち破って、能(あた)う限り多くの人々を救い給う事であるが、その御立場からして御自分の御功徳(おんくどく)を以て我等を助け給う事、即ち聖マリアの御通(ごつ)功(こう)が重大(じゅうだい)なものである事は云うまでもない。
全聖会の人々は時々勝利の教会、苦痛(くるしみ)の教会、戦闘の教会と区別される事がある。勝利の教会とは既に天国に凱旋(がいせん)された聖人方の事、苦痛(くるしみ)の教会とは煉獄(れんごく)に苦しんでいる霊魂、戦闘の教会とはなお此の世に於いて悪魔の誘惑(ゆうわく)、肉慾(にくよく)、世間と戦いつつある我等の事を云うのであるが、この三つは皆、イエズス・キリストを頭(こうべ)に戴(いただ)ける一つの体(からだ)のようなものであるから互いに功(こう)を通じて助け合う事が出来る。
勿論(もちろん)他の諸聖人も罪少なく功(こう)多き故(ゆえ)に、その余りの功(こう)を以て我等を助け給う事も多いであろうが、何といっても罪が少しもなく、功(こう)が溢(あふ)れるばかりに満(み)ち給う聖母の御通(ごつう)功(こう)には及ぶものがない。故(ゆえ)に「諸聖人の元后(げんこう)」と申し上げるのは聖母に最も相応(ふさわ)しい称号(しょうごう)であると云わねばならぬ。且(か)つ聖マリアは御自分の功(こう)を以て人をお助けになる他(ほか)に、「ロザリオの元后(げんこう)」と呼ばれ給うて、ロザリオの祈りにより、我等がこの世の信者や煉獄(れんごく)の霊魂(れいこん)を助ける時にも、御子(おんこ)の御前(みまえ)に取り次(つ)がれて我等の通(つう)功(こう)を手伝い給うのである。
かように聖マリアは我等の救(きゅう)霊(れい)に大いなる関係を有し給う。故(ゆえ)に我等は聖母の御助けを願ってその御徳に倣(なら)い、善(ぜん)を行(おこな)い悪を避(さ)け、誘惑(ゆうわく)と闘(たたか)い艱難(かんなん)を忍び、その功(こう)を悉(ことごと)く聖マリアの御手(みて)に委(ゆだ)ねて、煉獄(れんごく)の霊魂(れいこん)の為に祈るならば、聖母は我等の愛を嘉(よみ)されて、いつか我等を御許(みもと)に導き、諸天使諸聖人と共にその慈愛(いつくしみ)深き御顔(みかお)を仰ぎ見る幸福を与えて下さるに相違(そうい)ない。
祈 願
ああ、至(いと)聖(きよき)き童貞(どうてい)、光栄ある天の元后(げんこう)よ、御身(おんみ)は御憐(おんあわ)れみ深く、力強き者にて在(ましま)せば、御手(みて)に縋(すが)り奉る我等を助け、今より後、潔白(けっぱく)にして咎(とが)なき月日を送り、遂(つい)に天国にて御許(みもと)に集(つど)うの喜びを得(え)せしめ給え。
叉、我等が祈る煉獄(れんごく)の霊魂(れいこん)をも早く救い取り給いて、諸聖人の列に加え、我等も共々三(さん)位(み)一体(いったい)の天主を讃美(さんび)し奉るの幸福を与え給わん事を、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度繰(く)り返して願い奉る。
(天使祝詞 三度)
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天に大いなる徴(しるし)現れたり。日を着たる一人の婦人あり。
其の足許(あしもと)には月ありて、頭(こうべ)には十二の星の冠(かんむり)あり。 (黙示録十二。 一)
これは使徒(しと)聖ヨハネの言葉であるが、その中の婦人というのは、我等の母なる聖会の象(かた)徴(どり)であり、その背後(うしろ)に日を着、足下(あしもと)に月を踏んでいるのは、聖会が、永遠の太陽なるイエズス・キリストから不変(ふへん)の真理(しんり)と愛の光を与えられ、それに依(よ)って月の如く変わり易(やす)い世間に打ち勝つという事を意味し、叉、頭(こうべ)に戴いている十二の星の冠(かんむり)は十二使徒(しと)、即ち聖会の聖職者(せいしょくしゃ)の秩序(ちつじょ)を示しているのである。 聖会は洗礼によって新たに霊魂に生命(いのち)を与え、我等を天主の子、イエズス・キリストの兄弟、天国の相続者とし、断(た)えず我等の為に配慮する故(ゆえ)実際母と呼び、婦人を以て象(かたど)るに相応(ふさわ)しい。
しかしイエズスの御母聖マリアも、亦、我等の母であるから、この見方より、先に聖ヨハネの語った婦人を聖母マリアとする解釈(かいしゃく)の仕方もある。それによれば、その日を背負(せお)い月を踏み給うのは、月が自らは輝きを放(はな)たぬけれども、太陽に照らされて美しく反射するように、聖マリアも総(すべ)ての聖寵(せいちょう)を御子(おんこ)イエズスより受け給い、叉、之を聖会にお与えになる御伝達(おとりつぎ)の次第を現したもの、叉、頭(こうべ)の十二の星の冠(かんむり)は聖マリアが天地万物(ばんぶつ)の元后(げんこう)に在(ましま)すその権威(けんい)を示したものである。というのは、一体(いったい)十二という数は古(いにしえ)より、物の全体を意味するので、例えば旧約時代の十二族(ぞく)と云えば選ばれた民の総(すべ)てを指(さ)し、新約時代の十二使徒と云えば結局聖会の全体を現す、という風(ふう)であるされば聖マリアが選ばれた総(すべ)ての民の元后(げんこう)という事を形(かたち)に現す為に十二の星を用(もち)いたのである。
この聖マリアの御使命は、既に世の初めに於(お)ける「我は蛇と婦人(おんな)の間に怨(うら)みを置かん」という天主の御約束にも見られ、その後も屡々(しばしば)予言や象(かたど)りで現された如く、悪魔の勢力、地獄の勢力を打ち破って、能(あた)う限り多くの人々を救い給う事であるが、その御立場からして御自分の御功徳(おんくどく)を以て我等を助け給う事、即ち聖マリアの御通(ごつ)功(こう)が重大(じゅうだい)なものである事は云うまでもない。
全聖会の人々は時々勝利の教会、苦痛(くるしみ)の教会、戦闘の教会と区別される事がある。勝利の教会とは既に天国に凱旋(がいせん)された聖人方の事、苦痛(くるしみ)の教会とは煉獄(れんごく)に苦しんでいる霊魂、戦闘の教会とはなお此の世に於いて悪魔の誘惑(ゆうわく)、肉慾(にくよく)、世間と戦いつつある我等の事を云うのであるが、この三つは皆、イエズス・キリストを頭(こうべ)に戴(いただ)ける一つの体(からだ)のようなものであるから互いに功(こう)を通じて助け合う事が出来る。
勿論(もちろん)他の諸聖人も罪少なく功(こう)多き故(ゆえ)に、その余りの功(こう)を以て我等を助け給う事も多いであろうが、何といっても罪が少しもなく、功(こう)が溢(あふ)れるばかりに満(み)ち給う聖母の御通(ごつう)功(こう)には及ぶものがない。故(ゆえ)に「諸聖人の元后(げんこう)」と申し上げるのは聖母に最も相応(ふさわ)しい称号(しょうごう)であると云わねばならぬ。且(か)つ聖マリアは御自分の功(こう)を以て人をお助けになる他(ほか)に、「ロザリオの元后(げんこう)」と呼ばれ給うて、ロザリオの祈りにより、我等がこの世の信者や煉獄(れんごく)の霊魂(れいこん)を助ける時にも、御子(おんこ)の御前(みまえ)に取り次(つ)がれて我等の通(つう)功(こう)を手伝い給うのである。
かように聖マリアは我等の救(きゅう)霊(れい)に大いなる関係を有し給う。故(ゆえ)に我等は聖母の御助けを願ってその御徳に倣(なら)い、善(ぜん)を行(おこな)い悪を避(さ)け、誘惑(ゆうわく)と闘(たたか)い艱難(かんなん)を忍び、その功(こう)を悉(ことごと)く聖マリアの御手(みて)に委(ゆだ)ねて、煉獄(れんごく)の霊魂(れいこん)の為に祈るならば、聖母は我等の愛を嘉(よみ)されて、いつか我等を御許(みもと)に導き、諸天使諸聖人と共にその慈愛(いつくしみ)深き御顔(みかお)を仰ぎ見る幸福を与えて下さるに相違(そうい)ない。
祈 願
ああ、至(いと)聖(きよき)き童貞(どうてい)、光栄ある天の元后(げんこう)よ、御身(おんみ)は御憐(おんあわ)れみ深く、力強き者にて在(ましま)せば、御手(みて)に縋(すが)り奉る我等を助け、今より後、潔白(けっぱく)にして咎(とが)なき月日を送り、遂(つい)に天国にて御許(みもと)に集(つど)うの喜びを得(え)せしめ給え。
叉、我等が祈る煉獄(れんごく)の霊魂(れいこん)をも早く救い取り給いて、諸聖人の列に加え、我等も共々三(さん)位(み)一体(いったい)の天主を讃美(さんび)し奉るの幸福を与え給わん事を、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度繰(く)り返して願い奉る。
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