アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年8月19日(金)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2016年8月19日(金) 証聖者聖ヨハネ・ユードのミサ
小野田神父説教
聖母の汚れ無き御心教会にようこそ。今日は2016年8月19日、聖ヨハネ・ユードの祝日のミサをしております。今日この御ミサを特に、私たちの姉妹であるマルガリタ・マリア・アラコックさんのお祖父様が今岡山で危篤状態だそうです。また、お祖父様が孫娘と同じ信仰を、特別にマリア様の御取り次ぎで得る事ができますように、同時にマリア様の御取り次ぎによって救霊の道が開かれますように、お祈りをお願いします。その為にこの御ミサを特に捧げております。
8月15日からロザリオの十字軍が始まりました。どうぞ皆さん寛大にご参加下さい。皆さんの為に、ロザリオの数を数える為にとても良い小冊誌が作られております、どうぞ。それから毎月いつもの通り皆さんからのご報告をお願いします。今までやったロザリオの十字軍はジョギングのようなものでウォーミングアップで、このファチマ100周年の準備の為の特別のこのロザリオの十字軍を準備する為のものでした。
今回はオリンピックで、本番に出場して、日本が金メダルを取らなければなりません。どうぞ2017年8月22日の決勝戦までにマリア様の御心にたくさんの、私たちの目指すのはもちろん量もそうですけれども質もそうです。良い真心からの愛と信心を込めて、マリア様にたくさんの祈りと犠牲を捧げて下さい。マリア様はこの私たちを愛深くご覧になって、沢山のお恵みと祝福を私たちと、私たちの祖国に下さると必ず信じております。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、姉妹の皆さん、今日は聖ヨハネ・ユードの祝日です。今日の集祷文をご覧になるとすぐ分かりますように、聖ヨハネ・ユードは特にイエズス様とマリア様の御心に対して特別の信心を持っていました。このイエズス様の聖心に対する信心、マリア様の御心に対する信心の神学的な根拠付けや、典礼的な理由を述べて、それを確立した最も重大な神学者の1人です。マリア様とイエズス様は聖ヨハネ・ユードに特別の御恵みを与えて、この修道会も栄え、多くの教会に多くの恵みを、この聖人を通して与えて下さいました。
そこで今日は、聖母の汚れ無き御心に捧げられた、私たちこの御聖堂に与る私たちは、聖ヨハネ・ユードの精神に従って、マリア様の御心の素晴らしさを少し垣間見て、なぜ「少し垣間見る」と言うかというと、本当のそのマリア様の素晴らしさは、マリア様の大海のような大海原の現実は、イエズス様でしかその素晴らしさが完璧には分かりません。私たちが知っているのは、こう大海原をちょっとこう外で見て、上から見て、その中に一滴、水を一滴その海の中に入るか入らないか、ポチョンと落ちるかのようなものが私たちの頭で考えるものは、そのマリア様の本当の現実と比べたらもうとてつもなくかけ離れているようなものだからです。
マリア様の轟々たる愛の炎で燃えるようなこの愛熱の竈の御心の美しさとその愛を、もう私たちもそれについて想像するのは、ほんの藁くずに火が燃えたようなものしか考える事しかできないようなもので、その鉄をも金属をも全てを溶かしてしまうようなものすごい熱いもう愛の炎を、私たちはただ儚く今この現時点では、現世ではただおぼろながらに黙想するだけにしかできないからです。でも聖ヨハネ・ユードの導きに従って、マリア様の助けによって、それを黙想して、特に被昇天のマリア様のその余韻を味わいつつ、黙想しつつ、遷善の決心を立てる事に致しましょう。
イエズス・キリスト様は、聖ヨハネ・ユードに従うと、イエズス・キリスト様は、天主の唯一の真の御子イエズス・キリストは、永遠の昔から、童貞聖マリアを御自分の御母として選び、このマリア様の御手によって養われる事、マリア様のもとにいる奴隷である事、そのマリア様に全く完全に従う者である、という事を選びました。無限の選択の余地がある中から、最高のものとして、マリア様のもとにある事を選ばれました。最高の選択の結果として、全イエズス・キリストの、永遠の知恵であるイエズス・キリストは自分の愛とその知恵を込めて、私たちに最高の贈り物として、マリア様が私たちの元后であり、御母であり、私たちの全てにおける避難所である、拠り所である事をお望みになりました。
マリア様は私たちの元后であるという事は、私たちはそのしもべであり奴隷となる事が最高の道であるという事です。マリア様は私たちの母であるという事をイエズス様が望んだという事は、私たちがそのマリア様の子供であり、娘であり、息子であるという事が最高の道であるという事を、イエズス様が知っていたからです。永遠の知恵、全知全能のイエズス・キリスト様は、マリア様を最高度に誉め讃え、最高度に愛し、その自分の天主三位一体の大傑作を誉め讃える事によって、天主に最高の栄光を着せる事を御望みになりました。
それと同時にイエズス様は、私たちをも御自分を真似てマリア様を誉めて、愛するという事をお望みになりました。そうする事によって、そのイエズス様のお望みを叶える事によって三位一体は、最高度の栄光を得るからです。
イエズス様はキリストの神秘体の頭です。私たちはその体の神秘体の一部です、肢体です。ですから私たちその体の一部は、頭と同じ精神に、頭と同じ考えに生きていなければなりません。頭と同じような心、頭と同じ精神に生かされていなければなりません。したがって、頭であるイエズス・キリストの思いの通りに、そのイエズス・キリストの歩いた道を歩き、イエズス・キリストのこの地上の生活、地上でなさった同じ生活を私たちも続けていかなければなりません。イエズス・キリスト様が御母に持っていたその信心と愛を、私たちも同じ心と同じ精神、同じ愛を持って持ち続けていなければなりません。何故ならばイエズス・キリストの神秘体の一部だからです。
イエズス様のいとも神聖な至聖なる聖心において、マリア様はいつも最高の愛の地位を占めてきました。永遠にこの地位を占め続けます。マリア様はイエズス様の聖心において最高の愛の対象でした。聖父に次ぐ愛の対象でした。イエズス・キリストの聖心を愛して、イエズス・キリストの聖心の望みに従う者は、この後をどうしても辿らなければなりません。
イエズス・キリスト様だけがマリア様のその本当の素晴らしさを完璧に御存知です。そのマリア様のその素晴らしさは大海の海にも例えられ、この大きな天の青空にも大宇宙にも例えられ、私たちはとても全てを知り尽くす事ができません。私たちの知識や知恵をはるかに超えるのがマリア様の素晴らしさです。私たちがマリア様について知っているのはほんの少しにしか過ぎません。
聖ヨハネ・ユードは教父たちを引用して、その中には聖アウグスチヌスや、明日祝う聖ベルナルドもありますが、黙示録の中に12章に書かれている、「偉大なしるしが天に現れた。『天に現れた』これこそマリア様だ。何故ならば、マリア様は天に現れるのがふさわしいから。マリア様は天よりも高いところにあるお方であるから。マリア様は太陽を着ておられるから。何故ならば、マリア様は全ての天使たちの上にあって、童貞女の内の童貞、全ての女の内から選ばれた女性、天主である人がその童貞の御胎内に宿られた御方。天の大傑作。天国の天使たちと聖人たちの喜びと愛の対象。天国にいる全ての市民たち聖人天使たちがいつもそのマリア様の美しさと、その特権を見て、いつも我を忘れて天主を讃美している、そのマリア様が、あまりにも天主の栄光と、天主の力と、天主の良さと、その神性さ、その聖徳を身に付けているので、あたかも天主とほぼ一体化しているので、太陽をあたかも着ているかのように見える。」
「このマリア様は、地上の全ての移り変わる月のような地上の上に立って、それを支配しておられる。全宇宙は全地上のこの世の全ての事は、マリア様の支配下にある。マリア様の上にあるのはただ天主であって、その他のものは全てマリア様のもとにある、足元に踏まれている。だからマリア様は月を踏んでいる、足に踏んでいる。この偉大なしるし、全てはマリア様において偉大であって素晴らしく、感嘆すべきである。」
「ちょうど聖母の連祷で、『感ずべき御母“mater admirabilis”』これがマリア様の偉大な天に現れたしるしだ。」
ファチマでも、太陽の奇跡をマリア様は起こしましたが、マリア様のその最高の偉大さと比べれば、このファチマの100年前の太陽の奇跡も何でもありません。マリア様の童貞の汚れ無き御心は、その天主様の全ての御恵みと、栄光と、秘密と、知恵と、聖寵で充ち満ておられます。マリア様のご謙遜とその純潔さ、マリア様の天主を愛するその愛、マリア様が天主の御母であるという事、これはもう奇跡の内の奇跡であって、人間がそこまで、天主の母となるというほどの高みまで上げられた、その御方。マリア様のその偉大さ。この偉大な天にあわれたしるしであるマリア様の事を知るには、それをよく正しくそれをよく理解するには、本当にイエズス様の聖心が、イエズス様の知性が、イエズス様の愛が必要です。ケルビムとセラフィムのような知恵でさえも、マリア様の素晴らしさを理解し尽くすには足りない事でしょう。
このマリア様は私たちの母として、女王として与えられました。イエズス様が私たちに与える事を御望みになりました。天主の無限の宝の宝庫であり、数え知れないほどの素晴らしさの宝庫であるマリア様の汚れ無き御心が私たちに与えられました。このマリア様の事を思うと、聖ヨハネ・ユードはこう言います、「天使たちと諸聖人たちは三位一体は、その美しさのあまり脱魂するかのような喜びに天では満たされているだろう」と。
では、私たちはこのマリア様の御心をイエズス様の心を以て愛し、それに信心を実行する事に致しましょう。
ではどのような決心を取ったら良いでしょうか?
私たちの聖母黙想会の決心をぜひ再更新する事に致しましょう。「マリア様と共に、マリア様を通して、マリア様において、マリア様の為に」私たちの日常の全ての事を致しましょう。特にロザリオの十字軍をよくなさって下さい。マリア様の、朝目覚まし時計がなったら、「あぁ、」マリア様を愛する為に起きる。本当はこの事をしたいのだけれども、マリア様の御旨はマリア様のお望みは今この仕事をする事だから、マリア様の為にこの仕事をする。本当はこれは辛くて、これをするのは嫌なんだけれども、でもマリア様をお喜ばせする為にこれをする、従順である、罪の機会を避ける。マリア様の為に犠牲を捧げたい。マリア様の為に射祷を唱えたい。いつもマリア様の事、マリア様であったらどうであるかを考え、マリア様の御旨は何であるかを考え、いつもマリア様の御元にいる。マリア様の為に全てをする。
このような私たちを見て、イエズス様の聖心はどれほど喜ばれる事でしょうか。マリア様は私たちのこの小さな愛に満ちた日常生活を見て、どれほど私たちの事を慈しみ深く思われる事でしょうか。ではこの聖ヨハネ・ユードに倣って、ヨハネ・ユードの特別の御取り次ぎを得て私たちも彼に倣ってこの聖人に倣って、マリア様の御心をますます知り、愛する事ができますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年8月19日(金)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2016年8月19日(金) 証聖者聖ヨハネ・ユードのミサ
小野田神父説教
聖母の汚れ無き御心教会にようこそ。今日は2016年8月19日、聖ヨハネ・ユードの祝日のミサをしております。今日この御ミサを特に、私たちの姉妹であるマルガリタ・マリア・アラコックさんのお祖父様が今岡山で危篤状態だそうです。また、お祖父様が孫娘と同じ信仰を、特別にマリア様の御取り次ぎで得る事ができますように、同時にマリア様の御取り次ぎによって救霊の道が開かれますように、お祈りをお願いします。その為にこの御ミサを特に捧げております。
8月15日からロザリオの十字軍が始まりました。どうぞ皆さん寛大にご参加下さい。皆さんの為に、ロザリオの数を数える為にとても良い小冊誌が作られております、どうぞ。それから毎月いつもの通り皆さんからのご報告をお願いします。今までやったロザリオの十字軍はジョギングのようなものでウォーミングアップで、このファチマ100周年の準備の為の特別のこのロザリオの十字軍を準備する為のものでした。
今回はオリンピックで、本番に出場して、日本が金メダルを取らなければなりません。どうぞ2017年8月22日の決勝戦までにマリア様の御心にたくさんの、私たちの目指すのはもちろん量もそうですけれども質もそうです。良い真心からの愛と信心を込めて、マリア様にたくさんの祈りと犠牲を捧げて下さい。マリア様はこの私たちを愛深くご覧になって、沢山のお恵みと祝福を私たちと、私たちの祖国に下さると必ず信じております。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、姉妹の皆さん、今日は聖ヨハネ・ユードの祝日です。今日の集祷文をご覧になるとすぐ分かりますように、聖ヨハネ・ユードは特にイエズス様とマリア様の御心に対して特別の信心を持っていました。このイエズス様の聖心に対する信心、マリア様の御心に対する信心の神学的な根拠付けや、典礼的な理由を述べて、それを確立した最も重大な神学者の1人です。マリア様とイエズス様は聖ヨハネ・ユードに特別の御恵みを与えて、この修道会も栄え、多くの教会に多くの恵みを、この聖人を通して与えて下さいました。
そこで今日は、聖母の汚れ無き御心に捧げられた、私たちこの御聖堂に与る私たちは、聖ヨハネ・ユードの精神に従って、マリア様の御心の素晴らしさを少し垣間見て、なぜ「少し垣間見る」と言うかというと、本当のそのマリア様の素晴らしさは、マリア様の大海のような大海原の現実は、イエズス様でしかその素晴らしさが完璧には分かりません。私たちが知っているのは、こう大海原をちょっとこう外で見て、上から見て、その中に一滴、水を一滴その海の中に入るか入らないか、ポチョンと落ちるかのようなものが私たちの頭で考えるものは、そのマリア様の本当の現実と比べたらもうとてつもなくかけ離れているようなものだからです。
マリア様の轟々たる愛の炎で燃えるようなこの愛熱の竈の御心の美しさとその愛を、もう私たちもそれについて想像するのは、ほんの藁くずに火が燃えたようなものしか考える事しかできないようなもので、その鉄をも金属をも全てを溶かしてしまうようなものすごい熱いもう愛の炎を、私たちはただ儚く今この現時点では、現世ではただおぼろながらに黙想するだけにしかできないからです。でも聖ヨハネ・ユードの導きに従って、マリア様の助けによって、それを黙想して、特に被昇天のマリア様のその余韻を味わいつつ、黙想しつつ、遷善の決心を立てる事に致しましょう。
イエズス・キリスト様は、聖ヨハネ・ユードに従うと、イエズス・キリスト様は、天主の唯一の真の御子イエズス・キリストは、永遠の昔から、童貞聖マリアを御自分の御母として選び、このマリア様の御手によって養われる事、マリア様のもとにいる奴隷である事、そのマリア様に全く完全に従う者である、という事を選びました。無限の選択の余地がある中から、最高のものとして、マリア様のもとにある事を選ばれました。最高の選択の結果として、全イエズス・キリストの、永遠の知恵であるイエズス・キリストは自分の愛とその知恵を込めて、私たちに最高の贈り物として、マリア様が私たちの元后であり、御母であり、私たちの全てにおける避難所である、拠り所である事をお望みになりました。
マリア様は私たちの元后であるという事は、私たちはそのしもべであり奴隷となる事が最高の道であるという事です。マリア様は私たちの母であるという事をイエズス様が望んだという事は、私たちがそのマリア様の子供であり、娘であり、息子であるという事が最高の道であるという事を、イエズス様が知っていたからです。永遠の知恵、全知全能のイエズス・キリスト様は、マリア様を最高度に誉め讃え、最高度に愛し、その自分の天主三位一体の大傑作を誉め讃える事によって、天主に最高の栄光を着せる事を御望みになりました。
それと同時にイエズス様は、私たちをも御自分を真似てマリア様を誉めて、愛するという事をお望みになりました。そうする事によって、そのイエズス様のお望みを叶える事によって三位一体は、最高度の栄光を得るからです。
イエズス様はキリストの神秘体の頭です。私たちはその体の神秘体の一部です、肢体です。ですから私たちその体の一部は、頭と同じ精神に、頭と同じ考えに生きていなければなりません。頭と同じような心、頭と同じ精神に生かされていなければなりません。したがって、頭であるイエズス・キリストの思いの通りに、そのイエズス・キリストの歩いた道を歩き、イエズス・キリストのこの地上の生活、地上でなさった同じ生活を私たちも続けていかなければなりません。イエズス・キリスト様が御母に持っていたその信心と愛を、私たちも同じ心と同じ精神、同じ愛を持って持ち続けていなければなりません。何故ならばイエズス・キリストの神秘体の一部だからです。
イエズス様のいとも神聖な至聖なる聖心において、マリア様はいつも最高の愛の地位を占めてきました。永遠にこの地位を占め続けます。マリア様はイエズス様の聖心において最高の愛の対象でした。聖父に次ぐ愛の対象でした。イエズス・キリストの聖心を愛して、イエズス・キリストの聖心の望みに従う者は、この後をどうしても辿らなければなりません。
イエズス・キリスト様だけがマリア様のその本当の素晴らしさを完璧に御存知です。そのマリア様のその素晴らしさは大海の海にも例えられ、この大きな天の青空にも大宇宙にも例えられ、私たちはとても全てを知り尽くす事ができません。私たちの知識や知恵をはるかに超えるのがマリア様の素晴らしさです。私たちがマリア様について知っているのはほんの少しにしか過ぎません。
聖ヨハネ・ユードは教父たちを引用して、その中には聖アウグスチヌスや、明日祝う聖ベルナルドもありますが、黙示録の中に12章に書かれている、「偉大なしるしが天に現れた。『天に現れた』これこそマリア様だ。何故ならば、マリア様は天に現れるのがふさわしいから。マリア様は天よりも高いところにあるお方であるから。マリア様は太陽を着ておられるから。何故ならば、マリア様は全ての天使たちの上にあって、童貞女の内の童貞、全ての女の内から選ばれた女性、天主である人がその童貞の御胎内に宿られた御方。天の大傑作。天国の天使たちと聖人たちの喜びと愛の対象。天国にいる全ての市民たち聖人天使たちがいつもそのマリア様の美しさと、その特権を見て、いつも我を忘れて天主を讃美している、そのマリア様が、あまりにも天主の栄光と、天主の力と、天主の良さと、その神性さ、その聖徳を身に付けているので、あたかも天主とほぼ一体化しているので、太陽をあたかも着ているかのように見える。」
「このマリア様は、地上の全ての移り変わる月のような地上の上に立って、それを支配しておられる。全宇宙は全地上のこの世の全ての事は、マリア様の支配下にある。マリア様の上にあるのはただ天主であって、その他のものは全てマリア様のもとにある、足元に踏まれている。だからマリア様は月を踏んでいる、足に踏んでいる。この偉大なしるし、全てはマリア様において偉大であって素晴らしく、感嘆すべきである。」
「ちょうど聖母の連祷で、『感ずべき御母“mater admirabilis”』これがマリア様の偉大な天に現れたしるしだ。」
ファチマでも、太陽の奇跡をマリア様は起こしましたが、マリア様のその最高の偉大さと比べれば、このファチマの100年前の太陽の奇跡も何でもありません。マリア様の童貞の汚れ無き御心は、その天主様の全ての御恵みと、栄光と、秘密と、知恵と、聖寵で充ち満ておられます。マリア様のご謙遜とその純潔さ、マリア様の天主を愛するその愛、マリア様が天主の御母であるという事、これはもう奇跡の内の奇跡であって、人間がそこまで、天主の母となるというほどの高みまで上げられた、その御方。マリア様のその偉大さ。この偉大な天にあわれたしるしであるマリア様の事を知るには、それをよく正しくそれをよく理解するには、本当にイエズス様の聖心が、イエズス様の知性が、イエズス様の愛が必要です。ケルビムとセラフィムのような知恵でさえも、マリア様の素晴らしさを理解し尽くすには足りない事でしょう。
このマリア様は私たちの母として、女王として与えられました。イエズス様が私たちに与える事を御望みになりました。天主の無限の宝の宝庫であり、数え知れないほどの素晴らしさの宝庫であるマリア様の汚れ無き御心が私たちに与えられました。このマリア様の事を思うと、聖ヨハネ・ユードはこう言います、「天使たちと諸聖人たちは三位一体は、その美しさのあまり脱魂するかのような喜びに天では満たされているだろう」と。
では、私たちはこのマリア様の御心をイエズス様の心を以て愛し、それに信心を実行する事に致しましょう。
ではどのような決心を取ったら良いでしょうか?
私たちの聖母黙想会の決心をぜひ再更新する事に致しましょう。「マリア様と共に、マリア様を通して、マリア様において、マリア様の為に」私たちの日常の全ての事を致しましょう。特にロザリオの十字軍をよくなさって下さい。マリア様の、朝目覚まし時計がなったら、「あぁ、」マリア様を愛する為に起きる。本当はこの事をしたいのだけれども、マリア様の御旨はマリア様のお望みは今この仕事をする事だから、マリア様の為にこの仕事をする。本当はこれは辛くて、これをするのは嫌なんだけれども、でもマリア様をお喜ばせする為にこれをする、従順である、罪の機会を避ける。マリア様の為に犠牲を捧げたい。マリア様の為に射祷を唱えたい。いつもマリア様の事、マリア様であったらどうであるかを考え、マリア様の御旨は何であるかを考え、いつもマリア様の御元にいる。マリア様の為に全てをする。
このような私たちを見て、イエズス様の聖心はどれほど喜ばれる事でしょうか。マリア様は私たちのこの小さな愛に満ちた日常生活を見て、どれほど私たちの事を慈しみ深く思われる事でしょうか。ではこの聖ヨハネ・ユードに倣って、ヨハネ・ユードの特別の御取り次ぎを得て私たちも彼に倣ってこの聖人に倣って、マリア様の御心をますます知り、愛する事ができますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。