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聖ピオ十世のモットー “Omnia instaurare in Christ per Mariam.” マリア様を通して、全てをキリストに於いて復興させる

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2016年9月3日(初土)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2016年9月3日 初土曜日 教皇証聖者聖ピオ十世のミサ
小野田神父説教

聖母の汚れ無き御心聖堂にようこそ。今日は2016年9月3日、聖ピオ十世教皇様の祝日で、聖ピオ十世会の私たちの守護の聖人で、そして1級祝日を祝っております。

今日は9月の初土でもありますから、どうぞ今日は初土の信心をなさってこのミサを捧げて下さい。

このミサの後に公教要理があります。特に堅振を受けようという方の為にその準備があります。堅振を受けようという方は是非、今日の最終の公教要理に与って下さい。

次回は、ミサは来週の木・金・土とあります、来週の木・金・土はミサが2回ずつあって、ティシエ・ド・マルレ司教様の歌ミサと、私の読誦ミサがあります。是非、ティシエ・ド・マルレ司教様は日本に初めていらっしゃるという事で、歓迎の意味も含めてどうぞ皆さんいらして下さい。


“Instaurare Omnia in Christ.”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は聖ピオ十世教皇様の大祝日であって、聖ピオ十世会の守護の聖人ですから、特に4つのポイントを黙想する事を提案します。

1つは聖ピオ十世教皇様が主に何をなさったか、という事をざっと見て、

次に聖ピオ十世教皇様がその就任の、教皇聖座に教皇座に登位した、教皇様となった最初に、何をモットーとして、何を目指して、何が一番大切で、何をなさろうとしたのか、その確信のメッセージは何だったのか、

その次に、教皇様が第2の回勅として出したメッセージ「Ad Diem Illum」、マリア様の回勅で何を求めていたのか、

最後に第4番目には、私たちは聖ピオ十世教皇様の精神と、その事業と、その志をどうやって続けてやっていったら良いか、その決心を立てる事に致しましょう。

聖ピオ十世教皇様は、イタリアの農村のリエーゼという所で貧しい家族の中に生まれました。特に有名な話は、学校に行く時に裸足で行って、靴を担いで行った。何故かというと、靴が擦り切れるのを避ける為に、裸足で靴を担いで運んで行った。歩くのに、行き帰りに何時間もかかって行かなければなりませんでした。

聖ピオ十世教皇様、ヨゼフ・サルトは、司祭に叙階されて、主任司祭として、そして司教として、そして枢機卿として、遂には教皇様として、全ての教会の仕事を見てきた方でした。「自分はいつも貧しかったので、貧しく生き、貧しく死ぬ」という事を思っていました。ピオ十世教皇様が教皇様になったのは1903年の事でした。その教皇様にコンクラーベで選ばれた時には、本当はベネツィアの枢機卿としてベネツィアにすぐ帰ってくる予定だったので、「まさか自分が選ばれるとは」という事で、涙を流して、「お願いだからこれを受け受けたくない。その責任はとても私には果たしきれない」という事で泣いて泣いて泣いて、「これを何とかして、これを受けたくない」としたのですけども、皆から薦められて、「ぜひお前しかいやる人がいない」という事で、十字架として受けた。「十字架として受ける」と遂に決心しました。

教皇様となってから特に有名なのは、教会を、ローマの組織を改革したという事、聖務日課を改革した事です。司祭たちがどれほど聖務日課を大切にして祈るか、という事をよく知っていたので、それが司祭たちが一番唱えやすいように改革した、聖ピオ十世だからこそできた。また特にグレゴリオ聖歌を復興させた。子供たちに聖体拝領を、初聖体をもう早く、早い時期からする事ができるようにさせた事。ですから聖ピオ十世教皇様は、「御聖体の聖人」とも言われています。

ルフェーブル大司教様も私たち聖ピオ十世会の創立者も、聖ピオ十世教皇様のこの勅令によって子供の時からすぐに聖体拝領できるように、御聖体に対する愛を表す事ができました。聖ピオ十世教皇様に感謝の手紙を送った、という事も残されています。

聖ピオ十世は教会法も改革しました。今までは教会法というのは習慣法であって、昔の習慣はこうで、こうであって、1つに体系付けられていなかった事を1つにまとめました。

聖ピオ十世教皇様は教会の光として、特にカトリック教会の神学校、大学で、正しいカトリックの信仰が教えられるように近代主義を排斥しました。一番有名なのは「パッシェンディ」です。そして「反近代主義宣誓」というものを作って、「司祭になる者、或いは司教になる者、神学校で教える者、或いはカトリックの学校で教える者は必ず、この反近代主義宣誓を宣誓しなければならない」としました。

そして聖徳の香り高く、10年ほどの教皇様の仕事をした後に天に召されました。この短い間だったのですけれども、聖ピオ十世が教皇様であった時に教会はますます発展する事ができました。

ルフェーブル大司教様が私たちの修道会の創立者が、聖ピオ十世をこの保護者としたのは「なるほど」その訳があります。


では第2の点で、聖ピオ十世教皇様は教皇登位のその時に、一体何を自分はしようと、そして自分のモットーは何で、一番教皇の職として大切なものは何か、何だと言ったのでしょうか?

それは最初の回勅、1903年10月4日に出された“E Supremi Apostolatus”の中に書かれています。「この今人類は、」聖ピオ十世が今から100年以上前に話す事には、「今、全人類は非常に重大な病に犯されている。そしてこの病はますます日ごとに悪くなっているばかりだ、悪化するばかりだ。人類はこの病の為に、人類の滅亡にまで追いやられている。その危険にさらされている。この病の名前は、『天主からの背教』である。天主から離れている事である。ますますイエズス・キリストを打ち捨てて、天主の教えから離れている事である」と嘆きました。

そのこの病を癒す為に、聖ピオ十世教皇様は、「私の教皇となった時の願いは1つしかない。そしてこれはどのような政治的な圧力も、圧迫もあっても、私はこの願いとモットーはこれである。そしてもしも誰か私を、どのような圧迫や、脅迫や、或いは何か賄賂や、何とかで私をそれから外そうとしても、全く無駄である。私の利益は、天主の利益こそ私の利益だ。そして私が求める事は、『全てをキリストに於いて復興させる』事だ。私はその為に命をかける。」

つまり聖ピオ十世教皇様は、その当時から歌われていた、「Christus Vincit!Christus Regnat!Christus Imperat!」「キリストが勝利した!キリストが統治した!キリストが命令し給うた!」これを是非全世界に実行させて、そしてこの病から、背教の病から、人類の破滅の危機から救おうと思ったのでした。

聖ピオ十世はその最初の書簡の中でこう言います、「今全人類は平和を求めている、熱望している。しかし天主から遠ざかりつつ、天主を無視しつつ、天主をほっぽり出しながら平和をも探すのは全く愚かな事であって、無駄な事だ、馬鹿馬鹿しい。何故かというともしも天主が、この世の創造主であり、正義であり、真理である天主が、私たちの生活から排除されているならば、正義が排除される事であって、もしも正義が無いという事であれば、平和が無い事だ。何故ならば、イザヤの預言によると、『平和とは正義の業』だから。」「もしも天主を認めるならば、天主を認めるような組織があるならば、この組織こそが本当の平和を私たちにもたらす事ができる。天主のもとに戻る為には、私たちはキリストを通してでなければ戻る事ができない。だから全てをキリストに於いて復興させなければならない。」「全てをキリストのもとに復興させる為に一番大切なものは何か。それは司祭たちだ。それは聖職者だ。」

そこで聖ピオ十世は、この全ての兄弟の司教様たちに、「兄弟たちよ、尊敬する兄弟たちよ司教様たちよ。良き聖なる教義の、正しい教義を知っている非常にレベルの高い神学知識を持った司祭、のみならず、非常にレベルの高い聖徳の高い生活を以ってキリストを皆に示す事ができるような司祭を養成しなさい」と訴えました。ちょうど聖パウロが言ったように、「キリストの姿を映し出すように、私はその生みの苦しみを今感じている」と言ったように、「司祭たちの中にキリストの生きる姿を映し出しなさい」と聖ピオ十世は訴えました。「第2のキリストを生み出すように。そこで司教様たちにとって一番大切なのは神学校の運営であって、聖職者、聖なる学徳の高い司祭の養成である」としました。「聖徳の高い、聖なる多くの司祭を生み出してもらいたい。第2のキリストたちをたくさん生み出してもらいたい。そうする事によって、社会を全てキリストにおいて復興させる。」これが聖ピオ十世の求めていた事でした。

更に、「もしも今天主から背教しているとしたら、天主の教えから離れているとしたら、多くの場合それは悪意ではなくて『無知』からだ。宗教の、真の宗教、カトリック宗教への敵は、言うなれば無知こそが、知らない事こそが敵だ。だから多くの人がイエズス・キリストの教えをよく知る事ができるように助けてほしい。もしもそれができないならば、それは教えるべき人が教えないからだ。そこに問題がある。全ての人々の霊魂を天主に戻す為に、天主の教えを教えて欲しい。」

そして平信徒の人々には、「天主の掟と教会の掟を忠実に守る、それを忠実に遵守する事に根付いた行動を起こすように」と求めました。そして、「特に愛徳の掟と、信仰を表明するのに率直で、そしてオープンであって、自分にはこの自分の利益やこの世俗の利益を追求するよりも、イエズス・キリストの利益を追求するように」とお願いしました。

つまり聖ピオ十世教皇様にとっては、「イエズス・キリストこそが中心であって、イエズス・キリストに於いて生きる」という、「私たちにとって生きるというのはキリストである」という事こそが彼の霊性でした、霊的な精神でした。全てはイエズス・キリストの贖いの観点から、私たちが霊魂を救って、全てはキリストのもとに行く、という観点から考えられていました。「全ての人類がイエズス・キリストのもとに行く為に、私たちは皆キリストのようになる、キリストのようにさせる、私たちにおいてキリストを養成する姿を映し出させる。」これが聖ピオ十世の願いでした。

第3の点は、では第2の回勅に聖ピオ十世は何を言ったでしょうか?

「Ad Diem Illum」それはマリア様の無原罪の御宿りについてで、マリア様を通して、私たちをイエズス・キリストへと導こうと考えました。つまり「“Omnia instaurare in Christ per Mariam.”マリア様を通して、全てをキリストに於いて復興させる」これが聖ピオ十世のモットーでした。

聖ピオ十世教皇様はマリア様についてこう言います、「イエズス様は正義において完璧な、正義の要求する絶対的な権利として功徳を得た。しかしマリア様は、」この事をラテン語で“Condigno”と言いますが、「しかしマリア様は、イエズス様の助け手として伴侶として、贖いの伴侶として共贖者として、それにふさわしい“Congruo”の功徳を得た。マリア様はイエズス・キリスト様と共に贖いの業を果たした。だから私たちがイエズス・キリストのもとに行くには、必ずマリア様を通さなければならない。旧約の時代も、イエズス・キリストについては全てをマリア様を通して与えられている」と言いました。ですから聖ピオ十世は、「キリストのところに行く為に、必ずマリア様を通すように。マリア様に於いて、マリア様と共に行くように」と訴えました。


では私たちは何をどのような決心をしたら良いでしょうか。

私たちも聖ピオ十世教皇様の精神を今でも受け継いで、それを果たさなければなりません。聖ピオ十世教皇様は今現代に生きていたら、この病気について、人類の日々悪くなってる病気について何と嘆いた事でしょうか。「もう癌のようなこの病は体中に広まってしまって、もう死なんばかりとしているのではないかと思われる」と仰るかもしれません。しかし聖ピオ十世教皇様はそれでも決して絶望はしなかったでしょう。「全てをキリストに於いて復興させなければならない。人類がイエズス・キリストに戻るようにしなければならない。」おそらく聖ピオ十世教皇様は現代におられたら、ますますマリア様に行くように、私たちを促した事でしょう。「マリア様こそ私たちの唯一の希望だ。マリア様を通してこそ、私たちはイエズス様を受けたのだから。だからマリア様への信心をますます強めるように」と仰ったに違いありません。

聖ピオ十世教皇様は、初土の信心も、ファチマのマリア様の仰る前から既に仰っていました、「初土の御聖体拝領、初土の告解をするように。」そしてマリア様、ファチマのマリア様と聖ピオ十世教皇様はあたかも瓜二つであるかのようです。おそらく聖ピオ十世教皇様はもしも今生きていたら、今年ファチマの100周年を準備する為に、「これからロザリオの十字軍を起こしなさい」と教皇様として全世界に言っていたに違いありません。「ファチマのマリア様の100周年をよく準備するように」と心から訴えて、「人類がここで復活するかしないかは、これにかかっている」と訴えたに違いありません。「ファチマのマリア様のメッセージをよく聞くように。汚れ無き御心の信心を私たちが実践するように。初土の信心をするように。ロザリオを毎日唱えるように。犠牲を、マリア様の御心に対して犯される罪を償う為に祈りと犠牲を捧げるように」と訴えたに違いありません。全世界にご自分の声を放っていたに違いありません。もしも聖ピオ十世がこの現代に生きていたら必ずそうしたに違いありません。

ですからそれをそのような事を、聖ピオ十世の精神を知れば知るほど、その今なさるだろうような事を知れば知るほど、私たちはこの聖ピオ十世会が今皆さんに呼びかけているロザリオの十字軍、これにぜひ答えなければならない、と皆さん確信するに違いないと思います。まさに現代21世紀、2016年に生きている私たちが、日本に生きている私たちが、一番大切にされているこのカトリック教会で一番大切にされている事は、このメッセージだ、この実践だ、という事です。

そこで今日、聖ピオ十世教皇様の祝日を祝う事ができて、そのミサを捧げる事ができて、聖ピオ十世のこのモットーを私たちのモットーとする事ができるように、この聖人の執りなしを求めましょう。

聖ピオ十世の御取り次ぎによりて、私たちもファチマのマリア様のメッセージを聞く事ができますように、実践する事ができますように。そして聖ピオ十世教皇様がその御取り次ぎによって、私たちの修道会を聖ピオ十世会をいつも守り導いて、教会の復興の為にマリア様の道具として使って下さいますように。

聖ピオ十世教皇様が望まれるような事を私たちがいつもし続ける事ができるように、聖なる司祭を生み出す事ができますように、多くの聖なる司祭が生み出す事ができますように。そしてそれらを通して多くの聖なる修道者、そして多くの聖なる家族、そして聖なる社会が、キリストに立ち戻る社会が、全世界が平和の内にキリストに立ち戻る事ができますように、その御恵みを求めたいと思います。

“Instaurare Omnia in Christ.”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。

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