アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年9月4日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2016年9月4日 聖霊降臨後第16主日のミサ
小野田神父説教
日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。今日は2016年9月4日、聖霊降臨後第16主日のミサをしております。
今日も、いつものように14時30分から公教要理の勉強会があります。16時からは主日の第2晩課、グレゴリア聖歌による晩課があります。
明日は7時から御ミサがあります。
次のミサは、9月はティシエ・ド・マルレ司教様が日本にいらっしゃるので、また来週9月11日にここでミサがあります。10時30分から堅振式、その次に直後にミサがあります。どうぞいらして下さい。それから私も一緒に参りますので、8時45分頃から一番最初のミサをする予定です。堅振を受けたいという方は、告解の秘跡を必ず受けなければならないので早めにいらして下さい。堅振を受ける予定の方々の為にたくさんお祈りなさって下さい。
“Amice,ascende superius.”
「友よ、上席に上がって下さい。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日イエズス様は福音の中で、「宴会に招かれた時には末席に着きなさい。何故ならば招いた人が私たちを見て、『上席に上がるように』と言うだろうから。自分をへりくだる者は上げられ、自分を高めるものは下げられる」という勧告をされました。
今日のミサのテキストを読んで黙想すると、2人の人物の姿が思い浮かばれました。それは昨日祝日を祝った聖ピオ十世の謙遜の姿と、そしてマリア様の謙遜の姿です。そこで私たちも、イエズス様の勧告に倣って末席に着く事ができる為に、私たちの先輩のモデルを一緒に黙想する事を提案します。
そこで第一に、聖ピオ十世の姿と、第二に聖ピオ十世教皇様が非常に大切にしたマリア様のお姿を見て、
第三に私たちはでは、現代21世紀に生きる今日私たちは、イエズス様の勧告に従う為に、つまり上席に天国に上げられる為にはどうしたら良いのか、そして多くの人々が天国に行く事ができる為にはどうしたら良いのか、という事を黙想して、良い遷善の決心を立てる事に致しましょう。
聖ピオ十世教皇様は、聖ピオ十世会の守護の聖人で、聖ピオ十世会の会員と聖ピオ十世会のミサに与る皆さんにとって、とても愛着を感じている方です。第1の点はですから、聖ピオ十世の簡単な生涯を見て、その聖ピオ十世教皇様が教皇として何を求めていたか、とうその事を黙想しましょう。それが第1の点です。
聖ピオ十世は貧しい家に生まれました。聖ピオ十世は非常に有名な逸話では、学校に行くまで約1時間ぐらい4キロほど毎日歩いて行って、そしてまた1時間かかって歩いて戻ってこなければならなかったので子供だったので、しかし靴を履いていると靴が擦り切れてしまうので、いつも靴を担いで裸足で学校に通った。そして叙任司祭から主任司祭、司教、枢機卿となる時までいつも、教皇となる時もいつも、「私は貧しく生まれたので、貧しく生き、貧しく死にたい」と言っていました。そして教皇様としての、或いは司教様としての生活も非常に慎ましい質素なものでした。
聖ピオ十世は1903年に教皇様にコンクラーベで選ばれるのですけれども、その時ヴェネツィアの枢機卿としてやって来ました。すぐヴェネツィアに帰るつもりで皆に、「すぐ戻ってくるから」と言って、結局ヴェネツィアに帰る事が戻る事ができないとは想像もしていませんでした。教皇様に選ばれたという時に涙を流して、「お願いだからこれはやめてほしい。できればこれを避けたい」という事で涙を流して皆に頼んだそうです、「他の人を選んで欲しい。」しかし多くの親友たちから、「お前しかやる人がいない。その責任を受けて欲しい」と言われて、祈りと涙にくれながら、「十字架として、この責務と名誉を受ける」と答えました。
聖ピオ十世教皇様は一体、司祭の時から、教皇になって、そして死ぬまで、一体何を求めていたのでしょうか?それは自分の事ではありませんでした。自分は一番貧しい末席にあって、「自分は何でもない」といつも思っていました。聖ピオ十世教皇様にとって最も大切なのは「イエズス・キリスト」でした。「イエズス・キリストが世界の中心でなければならない。」「イエズス・キリストこそが皆から知られなければならない。」「イエズス・キリストこそが愛されなければならない。」「イエズス・キリストこそが礼拝され、そして従順を受けなければならない。」そこで教皇様になって最初の回勅「E Supremi Apostolatus」の中では、「私のモットーはこれだ。たとえ誰かが私のところに圧迫や、脅迫や、或いはお金で誘惑しようとしても、そんな事は全く一切関係ない。私にはどんな党派もない。私の求めるのはこれだ、『全てをキリストに於いて復興させる』。イエズス・キリストが全てであって、イエズス・キリストだけで十分だ。自分の利益は全くない。イエズス・キリストこそが私の利益だ。イエズス・キリストの名誉こそが私の名誉だ。」自分はいつも末席に留まっていました。
教皇様は最初の回勅の中で、「今、全世界の人々は平和を求めている。しかしイエズス・キリストを追放しておいて、私たちに本当の正義と本当の秩序、本当の愛を与える方を除外しておいて、平和を求める努力は全く無駄に終わってしまうだろう。何故ならばイザヤの預言書にあるように、『平和というのは正義の場所』だから、正義の無いところには平和もありえない。もしも人々が平和を求めるならば、イエズス・キリストを通してのみ平和が与えられる。イエズス・キリストに世界が戻れば、イエズス・キリストが私たち全社会を天主へと、天主の秩序へと導いて下さる。イエズス・キリストの福音が天主の秩序に導いて下さる。」
そこで聖ピオ十世教皇様は、まず司教様たちにお願いしました、「人類がますますイエズス・キリストをよく知るように、イエズス・キリストを愛する事ができるように、聖職者たちの聖徳とその学識を、信仰を高めてほしい。人々の霊魂の中にイエズス・キリストの似姿が刻まれる事ができる為には、司祭たちがまずイエズス・キリストの似姿を持っていなければならない。だから司教様たちよ、兄弟たちよ、あなたたちの最も大切な業は、神学校で聖なる学徳のある、正当な信仰に根付いた、聖徳の高い司祭を養成する事である」とお願いしました。「神学校こそは司教様たちの最も大切な責務である」という事を思い出させました。「司祭たちの高い聖徳の水準、高ければ高いほど多くの霊魂たちは、イエズス・キリストにより多く立ち戻る事でしょう。」
その為に聖ピオ十世教皇様は、「多くの人々がイエズス・キリストを知る為に、イエズス・キリストについての知識を公教要理で、或いは色々な手段で教えてほしい。もしも人々が宗教の敵であるならば、多くの場合にそれは悪意というよりは『無知』の為だ。だから『イエズス・キリストの事を知らない事』と『宗教について無知である事』こそが敵である、私たちの敵である」と言っていました。
今日聖パウロの書簡を読むと、まさに聖パウロの燃えるような心が表れていますが、聖ピオ十世教皇様の心と全く同じだったに違いありません。「あなたたちがイエズス・キリストのその愛の、その超素晴らしい“supereminentia”これを、最も素晴らしい司教を持つように、そのイエズス・キリストの愛の深さと、広さと、幅と、その崇高さを知る事ができるように、イエズス・キリストの愛の、その巨大な愛がどれほど私たちに注がれているか、という事をみんなに知ってもらいたい。」これが聖パウロとそして聖ピオ十世教皇様の願いでした。聖ピオ十世はパウロと同じく、「私は皆さんあなたたちに、福音のみならず、自分の命さえも与えたいほどだ」と仰っていたに違いありません。
それのみならず、聖ピオ十世は平信徒の方々にも、「多くの人々が天主に戻る為に、天主の掟を完璧に、教会の掟を完璧に、特に愛徳の掟を守るように。そして私たちの信仰を恥ずる事なく、率直に、オープンに表明してもらいたい。そして私たちが自分の利益、個人的なこの世的な利益ではなく、自分の個人的な上席ではなく、イエズス・キリストの利益を、イエズス・キリストの名誉を追求してもらいたい」と励ましました。「そうすれば、そのような立派な模範を見て、多くの人々たちがますますイエズス・キリストを知る事ができるだろう。何故ならばイエズス・キリストにおいてのみ、本当の幸せがあるから。何故かというと、『永遠の命とはすなわち、唯一なる天主と、御身がお送りなったイエズス・キリストを知る事にあります』とイエズスが言った通りであるから。」「そうする事によって全世界は、正義と愛徳とに満ちて、持てる者は持てない人を愛徳を以て助けるだろうし、持てない人は忍耐とそして堅忍を以て、反乱する事なく犠牲を苦しみを捧げるだろう。またこの全世界はキリストにおける平和が訪れるだろう」と言っていました。
第2の点は、第2の上席を求めなかった方はマリア様です。マリア様は大天使ガブリエルがお告げにやって来た時にこう仰いました、「私は主の婢女です。仰せの如く我になれかし。」マリア様も自分の利益や自分の都合を考えない方でした。その為にマリア様は、『天主の御母』との極みまで上げられました。遂には『天地の元后』にまで上げられます。大天使が、人間をはるかに超えた大天使が人の前に、マリア様の前に来て挨拶をした、というのも謙遜ですけれども、天主御子が人となった、という大奇跡を、マリア様の謙遜がまさに引き起こさせました。
聖ピオ十世は、「全てをキリストに於いて復興させる」という大目標の為に一番必要な手段を、第2の回勅で書きました。それは1904年の2月2日に、マリア様が無原罪の御宿りである、という事の50周年を記念してすぐに出された回勅でした。その回勅の中ではっきりと言っています、「イエズス・キリストに於いて全てを復興させる為に、最も優れた手段がある。それは無原罪の御宿りを通す事である。インマクラータを通す事である。インマクラータを通す事でなければ、その手によらなければ、イエズス・キリストを私たちは受ける事ができないからだ。」
聖ピオ十世はこの回勅の中で「Ad Diem Illum」の中で、色々な旧約の例を出すのです。
「旧約の時代で、アダムはすでにマリア様を見ていた。」
「ノアの箱舟というのは実はマリア様の事だ、マリア様の象徴だ。何故ならばノアがその箱舟の中に閉じ込められていたから。」
「ヤコブも眠っていながら天に上る階段を見た。その階段を通ってのみ、天使が祈りを上げたり下げたりしている。この階段はマリア様だ。マリア様を通ってのみイエズス・キリストは来る。」
「モーゼは燃える藪を見たけれども燃え尽きていなかった。これは、マリア様の童貞とそして天主の御母である、という事がその中に入っているという事だ。」
或いは「エリヤがカルメル山の上で、海から小さな雲が上がってくるのを見た。その雲が大雨を呼び起こしたのだ。この雲はマリア様だ。」
聖ピオ十世教皇様は、「旧約のイエズス・キリストの予言に関する全ての事に、必ずマリア様が含まれている。マリア様は30年間、イエズス・キリスト様の最も親密な、イエズス様を最もよく親密に知る唯一の御方であった事。そして全ての御誕生と幼年時代の私生活の秘密の神秘を、マリア様はその心に、汚れ無き御心に留めておられた」と言って、「マリア様を除いて、イエズス・キリストをこれ以上よく知る者は誰もいない。だからマリア様を通さなければ、私たちはイエズス・キリストに於いて全てを復興させる事ができない」と。「イエズス・キリスト様は全ての聖寵の源だけれども、マリア様はそれを私たちに伝える運河だ」と。
では私たちは、この聖ピオ十世とマリア様を見てどのような遷善の決心を取らなければならないでしょうか?
私の思うには、聖ピオ十世のこの精神を私たちも今、実践していかなければならない、続けていかなければならない、という事を提案します。それは何かというと、「全てを、マリア様を通してキリストに於いて復興させる」という事です。
もしも聖ピオ十世教皇様が現代に生きていたら何と仰ったでしょうか?1903年最初に回勅を書いた時には、「この現代は病で覆われている。この現代世界のその病はますますひどくなって、その現代社会は死のうとしている。自己崩壊をしようとしている。その病の名前は『天主からの背教』だ。この社会に天主をまた戻さなければならない。その為にキリストを与えなければならない。」今もしも生きていたら、聖ピオ十世教皇様が今この世におられたら何と仰ったでしょうか?「この背教の病はますますひどくなっている。この病があまりにもひどいので、もはや私たちの希望は1つしかない。薬は1つしかない、特効薬は1つしかない。それはインマクラータだ。マリア様、無原罪のマリア様だ。無原罪のマリア様に行くしかない。無原罪のマリア様にたくさんお祈りしなければならない。」
ちょうど100年前にファチマでマリア様は同じ事を仰いました、「天主はこの世を、この霊魂を救う為にこの世に平和を与える為に、私の汚れ無き御心に対する信心を確立される事を望んでいます。」
どうぞその声に耳を傾けて下さい。聖ピオ十世教皇様が今またもう一度来たであろうとしたら、おそらく同じ事を言ったに違いありません。
「マリア様の、汚れ無きマリア様、インマクラータのマリア様の信心をどうぞ持って下さい。マリア様を通してのみ、初めてこの世界はまた健康になる事が、平和をもたらす事ができる」と。
では、その聖ピオ十世のその訴えを聞くと、何か私たちはどうしてもこの決心を取らざるを得ません。
ちょうどこの聖ピオ十世教皇様が言っていたであろうような事を言っている人がいるのです。そして聖ピオ十世教皇様が今生きていたであろうだったら言って、それと同じような事を今やろうとしているところがあるのです。
それは何かというと、ファチマのマリア様の声を聞いて、それをそのファチマの100周年を準備しようとしている方です。
それはフェレー司教様で、それがロザリオの十字軍なのです。今、現代世界を救う為に、全世界の本当の平和を与える為に、マリア様に多くのロザリオと犠牲をどうぞ捧げて下さい。マリア様をインマクラータを通して、マリア様を通して全てをキリストに於いて復興させる事ができますように。
そこで今日はぜひ遷善の決心として私たちは、私たちの利益ではなく、イエズス・キリスト様の利益の為に、一番末席に着く為に、そして遂には天国という上席に着く為に、イエズス・キリストの利益を、聖ピオ十世教皇様に倣ってマリア様に倣って、求める事にしましょう。そしてその為にもロザリオの十字軍にぜひ参加して、どうぞ多くのロザリオと犠牲を捧げて下さい。
“Amice,ascende superius.”
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年9月4日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2016年9月4日 聖霊降臨後第16主日のミサ
小野田神父説教
日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。今日は2016年9月4日、聖霊降臨後第16主日のミサをしております。
今日も、いつものように14時30分から公教要理の勉強会があります。16時からは主日の第2晩課、グレゴリア聖歌による晩課があります。
明日は7時から御ミサがあります。
次のミサは、9月はティシエ・ド・マルレ司教様が日本にいらっしゃるので、また来週9月11日にここでミサがあります。10時30分から堅振式、その次に直後にミサがあります。どうぞいらして下さい。それから私も一緒に参りますので、8時45分頃から一番最初のミサをする予定です。堅振を受けたいという方は、告解の秘跡を必ず受けなければならないので早めにいらして下さい。堅振を受ける予定の方々の為にたくさんお祈りなさって下さい。
“Amice,ascende superius.”
「友よ、上席に上がって下さい。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日イエズス様は福音の中で、「宴会に招かれた時には末席に着きなさい。何故ならば招いた人が私たちを見て、『上席に上がるように』と言うだろうから。自分をへりくだる者は上げられ、自分を高めるものは下げられる」という勧告をされました。
今日のミサのテキストを読んで黙想すると、2人の人物の姿が思い浮かばれました。それは昨日祝日を祝った聖ピオ十世の謙遜の姿と、そしてマリア様の謙遜の姿です。そこで私たちも、イエズス様の勧告に倣って末席に着く事ができる為に、私たちの先輩のモデルを一緒に黙想する事を提案します。
そこで第一に、聖ピオ十世の姿と、第二に聖ピオ十世教皇様が非常に大切にしたマリア様のお姿を見て、
第三に私たちはでは、現代21世紀に生きる今日私たちは、イエズス様の勧告に従う為に、つまり上席に天国に上げられる為にはどうしたら良いのか、そして多くの人々が天国に行く事ができる為にはどうしたら良いのか、という事を黙想して、良い遷善の決心を立てる事に致しましょう。
聖ピオ十世教皇様は、聖ピオ十世会の守護の聖人で、聖ピオ十世会の会員と聖ピオ十世会のミサに与る皆さんにとって、とても愛着を感じている方です。第1の点はですから、聖ピオ十世の簡単な生涯を見て、その聖ピオ十世教皇様が教皇として何を求めていたか、とうその事を黙想しましょう。それが第1の点です。
聖ピオ十世は貧しい家に生まれました。聖ピオ十世は非常に有名な逸話では、学校に行くまで約1時間ぐらい4キロほど毎日歩いて行って、そしてまた1時間かかって歩いて戻ってこなければならなかったので子供だったので、しかし靴を履いていると靴が擦り切れてしまうので、いつも靴を担いで裸足で学校に通った。そして叙任司祭から主任司祭、司教、枢機卿となる時までいつも、教皇となる時もいつも、「私は貧しく生まれたので、貧しく生き、貧しく死にたい」と言っていました。そして教皇様としての、或いは司教様としての生活も非常に慎ましい質素なものでした。
聖ピオ十世は1903年に教皇様にコンクラーベで選ばれるのですけれども、その時ヴェネツィアの枢機卿としてやって来ました。すぐヴェネツィアに帰るつもりで皆に、「すぐ戻ってくるから」と言って、結局ヴェネツィアに帰る事が戻る事ができないとは想像もしていませんでした。教皇様に選ばれたという時に涙を流して、「お願いだからこれはやめてほしい。できればこれを避けたい」という事で涙を流して皆に頼んだそうです、「他の人を選んで欲しい。」しかし多くの親友たちから、「お前しかやる人がいない。その責任を受けて欲しい」と言われて、祈りと涙にくれながら、「十字架として、この責務と名誉を受ける」と答えました。
聖ピオ十世教皇様は一体、司祭の時から、教皇になって、そして死ぬまで、一体何を求めていたのでしょうか?それは自分の事ではありませんでした。自分は一番貧しい末席にあって、「自分は何でもない」といつも思っていました。聖ピオ十世教皇様にとって最も大切なのは「イエズス・キリスト」でした。「イエズス・キリストが世界の中心でなければならない。」「イエズス・キリストこそが皆から知られなければならない。」「イエズス・キリストこそが愛されなければならない。」「イエズス・キリストこそが礼拝され、そして従順を受けなければならない。」そこで教皇様になって最初の回勅「E Supremi Apostolatus」の中では、「私のモットーはこれだ。たとえ誰かが私のところに圧迫や、脅迫や、或いはお金で誘惑しようとしても、そんな事は全く一切関係ない。私にはどんな党派もない。私の求めるのはこれだ、『全てをキリストに於いて復興させる』。イエズス・キリストが全てであって、イエズス・キリストだけで十分だ。自分の利益は全くない。イエズス・キリストこそが私の利益だ。イエズス・キリストの名誉こそが私の名誉だ。」自分はいつも末席に留まっていました。
教皇様は最初の回勅の中で、「今、全世界の人々は平和を求めている。しかしイエズス・キリストを追放しておいて、私たちに本当の正義と本当の秩序、本当の愛を与える方を除外しておいて、平和を求める努力は全く無駄に終わってしまうだろう。何故ならばイザヤの預言書にあるように、『平和というのは正義の場所』だから、正義の無いところには平和もありえない。もしも人々が平和を求めるならば、イエズス・キリストを通してのみ平和が与えられる。イエズス・キリストに世界が戻れば、イエズス・キリストが私たち全社会を天主へと、天主の秩序へと導いて下さる。イエズス・キリストの福音が天主の秩序に導いて下さる。」
そこで聖ピオ十世教皇様は、まず司教様たちにお願いしました、「人類がますますイエズス・キリストをよく知るように、イエズス・キリストを愛する事ができるように、聖職者たちの聖徳とその学識を、信仰を高めてほしい。人々の霊魂の中にイエズス・キリストの似姿が刻まれる事ができる為には、司祭たちがまずイエズス・キリストの似姿を持っていなければならない。だから司教様たちよ、兄弟たちよ、あなたたちの最も大切な業は、神学校で聖なる学徳のある、正当な信仰に根付いた、聖徳の高い司祭を養成する事である」とお願いしました。「神学校こそは司教様たちの最も大切な責務である」という事を思い出させました。「司祭たちの高い聖徳の水準、高ければ高いほど多くの霊魂たちは、イエズス・キリストにより多く立ち戻る事でしょう。」
その為に聖ピオ十世教皇様は、「多くの人々がイエズス・キリストを知る為に、イエズス・キリストについての知識を公教要理で、或いは色々な手段で教えてほしい。もしも人々が宗教の敵であるならば、多くの場合にそれは悪意というよりは『無知』の為だ。だから『イエズス・キリストの事を知らない事』と『宗教について無知である事』こそが敵である、私たちの敵である」と言っていました。
今日聖パウロの書簡を読むと、まさに聖パウロの燃えるような心が表れていますが、聖ピオ十世教皇様の心と全く同じだったに違いありません。「あなたたちがイエズス・キリストのその愛の、その超素晴らしい“supereminentia”これを、最も素晴らしい司教を持つように、そのイエズス・キリストの愛の深さと、広さと、幅と、その崇高さを知る事ができるように、イエズス・キリストの愛の、その巨大な愛がどれほど私たちに注がれているか、という事をみんなに知ってもらいたい。」これが聖パウロとそして聖ピオ十世教皇様の願いでした。聖ピオ十世はパウロと同じく、「私は皆さんあなたたちに、福音のみならず、自分の命さえも与えたいほどだ」と仰っていたに違いありません。
それのみならず、聖ピオ十世は平信徒の方々にも、「多くの人々が天主に戻る為に、天主の掟を完璧に、教会の掟を完璧に、特に愛徳の掟を守るように。そして私たちの信仰を恥ずる事なく、率直に、オープンに表明してもらいたい。そして私たちが自分の利益、個人的なこの世的な利益ではなく、自分の個人的な上席ではなく、イエズス・キリストの利益を、イエズス・キリストの名誉を追求してもらいたい」と励ましました。「そうすれば、そのような立派な模範を見て、多くの人々たちがますますイエズス・キリストを知る事ができるだろう。何故ならばイエズス・キリストにおいてのみ、本当の幸せがあるから。何故かというと、『永遠の命とはすなわち、唯一なる天主と、御身がお送りなったイエズス・キリストを知る事にあります』とイエズスが言った通りであるから。」「そうする事によって全世界は、正義と愛徳とに満ちて、持てる者は持てない人を愛徳を以て助けるだろうし、持てない人は忍耐とそして堅忍を以て、反乱する事なく犠牲を苦しみを捧げるだろう。またこの全世界はキリストにおける平和が訪れるだろう」と言っていました。
第2の点は、第2の上席を求めなかった方はマリア様です。マリア様は大天使ガブリエルがお告げにやって来た時にこう仰いました、「私は主の婢女です。仰せの如く我になれかし。」マリア様も自分の利益や自分の都合を考えない方でした。その為にマリア様は、『天主の御母』との極みまで上げられました。遂には『天地の元后』にまで上げられます。大天使が、人間をはるかに超えた大天使が人の前に、マリア様の前に来て挨拶をした、というのも謙遜ですけれども、天主御子が人となった、という大奇跡を、マリア様の謙遜がまさに引き起こさせました。
聖ピオ十世は、「全てをキリストに於いて復興させる」という大目標の為に一番必要な手段を、第2の回勅で書きました。それは1904年の2月2日に、マリア様が無原罪の御宿りである、という事の50周年を記念してすぐに出された回勅でした。その回勅の中ではっきりと言っています、「イエズス・キリストに於いて全てを復興させる為に、最も優れた手段がある。それは無原罪の御宿りを通す事である。インマクラータを通す事である。インマクラータを通す事でなければ、その手によらなければ、イエズス・キリストを私たちは受ける事ができないからだ。」
聖ピオ十世はこの回勅の中で「Ad Diem Illum」の中で、色々な旧約の例を出すのです。
「旧約の時代で、アダムはすでにマリア様を見ていた。」
「ノアの箱舟というのは実はマリア様の事だ、マリア様の象徴だ。何故ならばノアがその箱舟の中に閉じ込められていたから。」
「ヤコブも眠っていながら天に上る階段を見た。その階段を通ってのみ、天使が祈りを上げたり下げたりしている。この階段はマリア様だ。マリア様を通ってのみイエズス・キリストは来る。」
「モーゼは燃える藪を見たけれども燃え尽きていなかった。これは、マリア様の童貞とそして天主の御母である、という事がその中に入っているという事だ。」
或いは「エリヤがカルメル山の上で、海から小さな雲が上がってくるのを見た。その雲が大雨を呼び起こしたのだ。この雲はマリア様だ。」
聖ピオ十世教皇様は、「旧約のイエズス・キリストの予言に関する全ての事に、必ずマリア様が含まれている。マリア様は30年間、イエズス・キリスト様の最も親密な、イエズス様を最もよく親密に知る唯一の御方であった事。そして全ての御誕生と幼年時代の私生活の秘密の神秘を、マリア様はその心に、汚れ無き御心に留めておられた」と言って、「マリア様を除いて、イエズス・キリストをこれ以上よく知る者は誰もいない。だからマリア様を通さなければ、私たちはイエズス・キリストに於いて全てを復興させる事ができない」と。「イエズス・キリスト様は全ての聖寵の源だけれども、マリア様はそれを私たちに伝える運河だ」と。
では私たちは、この聖ピオ十世とマリア様を見てどのような遷善の決心を取らなければならないでしょうか?
私の思うには、聖ピオ十世のこの精神を私たちも今、実践していかなければならない、続けていかなければならない、という事を提案します。それは何かというと、「全てを、マリア様を通してキリストに於いて復興させる」という事です。
もしも聖ピオ十世教皇様が現代に生きていたら何と仰ったでしょうか?1903年最初に回勅を書いた時には、「この現代は病で覆われている。この現代世界のその病はますますひどくなって、その現代社会は死のうとしている。自己崩壊をしようとしている。その病の名前は『天主からの背教』だ。この社会に天主をまた戻さなければならない。その為にキリストを与えなければならない。」今もしも生きていたら、聖ピオ十世教皇様が今この世におられたら何と仰ったでしょうか?「この背教の病はますますひどくなっている。この病があまりにもひどいので、もはや私たちの希望は1つしかない。薬は1つしかない、特効薬は1つしかない。それはインマクラータだ。マリア様、無原罪のマリア様だ。無原罪のマリア様に行くしかない。無原罪のマリア様にたくさんお祈りしなければならない。」
ちょうど100年前にファチマでマリア様は同じ事を仰いました、「天主はこの世を、この霊魂を救う為にこの世に平和を与える為に、私の汚れ無き御心に対する信心を確立される事を望んでいます。」
どうぞその声に耳を傾けて下さい。聖ピオ十世教皇様が今またもう一度来たであろうとしたら、おそらく同じ事を言ったに違いありません。
「マリア様の、汚れ無きマリア様、インマクラータのマリア様の信心をどうぞ持って下さい。マリア様を通してのみ、初めてこの世界はまた健康になる事が、平和をもたらす事ができる」と。
では、その聖ピオ十世のその訴えを聞くと、何か私たちはどうしてもこの決心を取らざるを得ません。
ちょうどこの聖ピオ十世教皇様が言っていたであろうような事を言っている人がいるのです。そして聖ピオ十世教皇様が今生きていたであろうだったら言って、それと同じような事を今やろうとしているところがあるのです。
それは何かというと、ファチマのマリア様の声を聞いて、それをそのファチマの100周年を準備しようとしている方です。
それはフェレー司教様で、それがロザリオの十字軍なのです。今、現代世界を救う為に、全世界の本当の平和を与える為に、マリア様に多くのロザリオと犠牲をどうぞ捧げて下さい。マリア様をインマクラータを通して、マリア様を通して全てをキリストに於いて復興させる事ができますように。
そこで今日はぜひ遷善の決心として私たちは、私たちの利益ではなく、イエズス・キリスト様の利益の為に、一番末席に着く為に、そして遂には天国という上席に着く為に、イエズス・キリストの利益を、聖ピオ十世教皇様に倣ってマリア様に倣って、求める事にしましょう。そしてその為にもロザリオの十字軍にぜひ参加して、どうぞ多くのロザリオと犠牲を捧げて下さい。
“Amice,ascende superius.”
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。