2016年5月4日 秋田巡礼 御昇天の前日のミサ
小野田神父説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する巡礼者の皆さん、秋田の聖母の聖なる地にようこそ。
今日は2016年5月4日、御昇天の祝日の前日のミサをしております。
今日、カトリック教会は、秋田のマリア様を通して、「御昇天の神秘に入るように」と私たちを招いています。私たちが今から2000年前にタイムマシンで行って、マリア様の招きに従ってこの御昇天の神秘に入り、その「使徒たちがやったものと同じような事をするように」と招いていらっしゃいます。
マリア様は私たちに、人生の最も偉大な核心の真理を教えようとしています。
それは2つあります。ですから今日このミサを捧げるにあたって、このミサの間にこの2つの事をポイントを黙想する事を提案します。
ではその2つのポイントとは何でしょうか?
私の思うにはそれは イエズス様の御昇天が表わしている、「巡礼」という事と、「黙想」という事です。
第1の点の「巡礼」という事を考えましょう。
何故かというと、私たちの主はこの地上に於いて復活しました。40日間、本当に御自分が生きておられる事、肉を持っておられる事、復活されたという事を示して、弟子たちの間に現れて、本当の命の、復活祭の真理を、現実を見せます。しかしこの地上に永久に留まる事もできました。けれども、留まる事はしませんでした。そうではなくて、この地上がどれほど美しい自然に満ちていて、どれほど恵まれた所であり、どれほど天主様の恵みにあふれた所であったとしても、私たちの本当の究極の目的地からすると、はるかに遠い、はるかに足りない、暗闇のような所だ、牢獄のような所だ、という事をよく知っていたからで、それを私たちに教えようとしていたからです。
「私たちの本当の住処は、私たちの国籍は、天国にある」とパウロは言っています。私たちの本当の市民権は、私たちは天国の市民であって、天主イエズス・キリストと同じ国に住む、光り輝く永遠の至福の御国の、天の王国の、天の御父の王国の市民であり、イエズス・キリストの兄弟でありその子供たちである、永遠の遺産の、とてつもない輝きの遺産の相続者である、という事を教えようとしたのです。
そのとてつもない宝に比べると、この地上のどんなに美しい御殿も全く、洗面所で用が終われば汚物と一緒に水で流されてしまうような儚い存在である、という事を教えようとされたのです。
ちょうど私たちは長崎に行って、殉教者たちが例えば、浦上四番崩れで信徒が発見されて、3,397名が日本各地に追放の身になりました。その時彼らは何と言ったかというと、「旅に出る」と。まさに彼らはカトリック信仰によって、人生が何であるかをよく知っていました。
実は私たちはちょうど祭壇をここに立てて、ミサが終わると残念ながら祭壇を片付けてしまわなければならないように、ちょうど旅に出ている者にすぎないのです。私たちは単なる巡礼者で、ここに永久に留まる事ができないのです。
皆さんの多くは旅に出ると、お金が使えないという事が分かります。例えばいくら日本円を持っていても、ヨーロッパに行けば何の役も立ちません。私たちがいくらお金をたくさん持っていても、天国に行くには何の役も立ちません。天国で最も大切なお金は富は、天主様への信仰であり、天主様への愛であり、私たちの心を天に高く上げる事であり、それ以外のものは全く用をなさないのです。
第2のポイントは、昇天の時にマリア様が残されたことです。
マリア様と弟子たちが残されて、あたかも孤児になったかのように感じた弟子たちは、皆マリア様の元に行って10日間、聖霊の降臨の準備の為の「黙想会」に入りました。祈り、祈り、祈り、おそらくマリア様が色々なお話しをなさって下さったでしょう。弟子たちを準備して下さった事でしょう。人生に於いて最も大切な事は何なのか、イエズス・キリスト様の神秘は何なのか、そのお生まれになった事を、どうやってベトレヘムでお生まれになったのか、どうやってお告げを受けたのか、或いはどうなったのか、という事を教えて下さった事でしょう。
弟子たちは、「天主様のその御謙遜、その御憐れみ、マリア様の優しさ、その私たちの御母である」という事をしみじみと悟ったに違いありません。この私たちの、私たちの主が何故天に上がられたのか。私たちに天の国を準備する為に。私たちに聖霊を与える為に、聖霊を送る為に。聖霊が送られたら、私たちの主の御国の発展の為に使徒ができ、教師ができ、殉教者ができ、色々な役割を果たさなければならない事を準備された事でしょう。
イエズス様はこの地上の為には祈りませんでした。
弟子たちの為に、地上に残された弟子たちの為には祈りましたが、この世の為には祈りませんでした。今日の福音を読んで下さい、素晴らしい福音です。もう何度も何度も読んでももう涙が出るほど、深い内容です。
「永遠の命とは、イエズス・キリストを信じる事にある。御身、唯一の御身と、御身がお遣わしになったイエズス・キリストを信じる事にある。私はこの世の為には祈らない。この世に残されたお前たちの為に祈る。」
そのような事を黙想された事でしょう。私たちにとって大切なのは、この聖霊を受ける為の準備として、この黙想会に入らなければならない、という事です。
では最後に結論として今日は、今日この御ミサで何を結論としたら良いでしょうか?
私たちは、弟子たちと、2000年前の弟子たちと同じ事するという事です。つまり私たちは巡礼者であって、マリア様への巡礼者であって、マリア様と共に黙想会に入る、という事です。ちょうど奇しくも御摂理によって、私たちは本当に巡礼に来ています。本当に今から今日から、シュテーリン神父様のお話しのもとに 、「イエズス様の御憐れみ」と、「マリア様が私たちの母である」という事、単なる母ではなくて、「憐れみの母」であって、私たちを愛して、私たちの為に、私たちの救霊の為に、私たちが天国に行く事ができるように、目的地に着く事ができるように計らって下さる、「愛の母」であるという事を私たちが深く理解できるように、マリア様は招いています。
どうぞ、巡礼の中にこの黙想の中に深く入って下さい。マリア様に、秋田のマリア様に、憐れみの御母であるマリア様にお願いなさって下さい。「この黙想会が、この巡礼が、良い最高の実りをもたらす事ができますように」と。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。
小野田神父説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する巡礼者の皆さん、秋田の聖母の聖なる地にようこそ。
今日は2016年5月4日、御昇天の祝日の前日のミサをしております。
今日、カトリック教会は、秋田のマリア様を通して、「御昇天の神秘に入るように」と私たちを招いています。私たちが今から2000年前にタイムマシンで行って、マリア様の招きに従ってこの御昇天の神秘に入り、その「使徒たちがやったものと同じような事をするように」と招いていらっしゃいます。
マリア様は私たちに、人生の最も偉大な核心の真理を教えようとしています。
それは2つあります。ですから今日このミサを捧げるにあたって、このミサの間にこの2つの事をポイントを黙想する事を提案します。
ではその2つのポイントとは何でしょうか?
私の思うにはそれは イエズス様の御昇天が表わしている、「巡礼」という事と、「黙想」という事です。
第1の点の「巡礼」という事を考えましょう。
何故かというと、私たちの主はこの地上に於いて復活しました。40日間、本当に御自分が生きておられる事、肉を持っておられる事、復活されたという事を示して、弟子たちの間に現れて、本当の命の、復活祭の真理を、現実を見せます。しかしこの地上に永久に留まる事もできました。けれども、留まる事はしませんでした。そうではなくて、この地上がどれほど美しい自然に満ちていて、どれほど恵まれた所であり、どれほど天主様の恵みにあふれた所であったとしても、私たちの本当の究極の目的地からすると、はるかに遠い、はるかに足りない、暗闇のような所だ、牢獄のような所だ、という事をよく知っていたからで、それを私たちに教えようとしていたからです。
「私たちの本当の住処は、私たちの国籍は、天国にある」とパウロは言っています。私たちの本当の市民権は、私たちは天国の市民であって、天主イエズス・キリストと同じ国に住む、光り輝く永遠の至福の御国の、天の王国の、天の御父の王国の市民であり、イエズス・キリストの兄弟でありその子供たちである、永遠の遺産の、とてつもない輝きの遺産の相続者である、という事を教えようとしたのです。
そのとてつもない宝に比べると、この地上のどんなに美しい御殿も全く、洗面所で用が終われば汚物と一緒に水で流されてしまうような儚い存在である、という事を教えようとされたのです。
ちょうど私たちは長崎に行って、殉教者たちが例えば、浦上四番崩れで信徒が発見されて、3,397名が日本各地に追放の身になりました。その時彼らは何と言ったかというと、「旅に出る」と。まさに彼らはカトリック信仰によって、人生が何であるかをよく知っていました。
実は私たちはちょうど祭壇をここに立てて、ミサが終わると残念ながら祭壇を片付けてしまわなければならないように、ちょうど旅に出ている者にすぎないのです。私たちは単なる巡礼者で、ここに永久に留まる事ができないのです。
皆さんの多くは旅に出ると、お金が使えないという事が分かります。例えばいくら日本円を持っていても、ヨーロッパに行けば何の役も立ちません。私たちがいくらお金をたくさん持っていても、天国に行くには何の役も立ちません。天国で最も大切なお金は富は、天主様への信仰であり、天主様への愛であり、私たちの心を天に高く上げる事であり、それ以外のものは全く用をなさないのです。
第2のポイントは、昇天の時にマリア様が残されたことです。
マリア様と弟子たちが残されて、あたかも孤児になったかのように感じた弟子たちは、皆マリア様の元に行って10日間、聖霊の降臨の準備の為の「黙想会」に入りました。祈り、祈り、祈り、おそらくマリア様が色々なお話しをなさって下さったでしょう。弟子たちを準備して下さった事でしょう。人生に於いて最も大切な事は何なのか、イエズス・キリスト様の神秘は何なのか、そのお生まれになった事を、どうやってベトレヘムでお生まれになったのか、どうやってお告げを受けたのか、或いはどうなったのか、という事を教えて下さった事でしょう。
弟子たちは、「天主様のその御謙遜、その御憐れみ、マリア様の優しさ、その私たちの御母である」という事をしみじみと悟ったに違いありません。この私たちの、私たちの主が何故天に上がられたのか。私たちに天の国を準備する為に。私たちに聖霊を与える為に、聖霊を送る為に。聖霊が送られたら、私たちの主の御国の発展の為に使徒ができ、教師ができ、殉教者ができ、色々な役割を果たさなければならない事を準備された事でしょう。
イエズス様はこの地上の為には祈りませんでした。
弟子たちの為に、地上に残された弟子たちの為には祈りましたが、この世の為には祈りませんでした。今日の福音を読んで下さい、素晴らしい福音です。もう何度も何度も読んでももう涙が出るほど、深い内容です。
「永遠の命とは、イエズス・キリストを信じる事にある。御身、唯一の御身と、御身がお遣わしになったイエズス・キリストを信じる事にある。私はこの世の為には祈らない。この世に残されたお前たちの為に祈る。」
そのような事を黙想された事でしょう。私たちにとって大切なのは、この聖霊を受ける為の準備として、この黙想会に入らなければならない、という事です。
では最後に結論として今日は、今日この御ミサで何を結論としたら良いでしょうか?
私たちは、弟子たちと、2000年前の弟子たちと同じ事するという事です。つまり私たちは巡礼者であって、マリア様への巡礼者であって、マリア様と共に黙想会に入る、という事です。ちょうど奇しくも御摂理によって、私たちは本当に巡礼に来ています。本当に今から今日から、シュテーリン神父様のお話しのもとに 、「イエズス様の御憐れみ」と、「マリア様が私たちの母である」という事、単なる母ではなくて、「憐れみの母」であって、私たちを愛して、私たちの為に、私たちの救霊の為に、私たちが天国に行く事ができるように、目的地に着く事ができるように計らって下さる、「愛の母」であるという事を私たちが深く理解できるように、マリア様は招いています。
どうぞ、巡礼の中にこの黙想の中に深く入って下さい。マリア様に、秋田のマリア様に、憐れみの御母であるマリア様にお願いなさって下さい。「この黙想会が、この巡礼が、良い最高の実りをもたらす事ができますように」と。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。