アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
10月9日(主日)と10日は、レネー神父様が大阪でミサ聖祭を捧げて下さいました。
10月16日(主日)と17日は、兄弟姉妹の皆様のしもべが東京でミサ聖祭を捧げました。東京では、40名の方々が聖伝のミサに与ることができました。天主様に感謝!赤ちゃんたちと子供たちの数が増えているので大変うれしく思います。カトリック教会らしく素晴らしいことです。
聖霊降臨後第22主日のミサには、同じようなテーマが繰り返されます。私たちの祈りを注意深く聞いて欲しい、私たちの祈りの声に心を向けて欲しい、祈りの声に注意を払って下さい!です。
例えば入祭唱:主よ、深い所から御身に私は叫んだ、主よ、私の声を聞き給え!御身の両耳を私の祈りの声に注意深く向け給え!
De profundis clamavi ad te, Domine; Domine, exaudi vocem meam. Fiant aures tuæ intendentes in vocem deprecationis meæ. Si iniquitates observaveris, Domine, Domine, quis sustinebit?
集祷分:私たちの避難所かつ力である天主よ、御身の教会の敬虔な祈りに寄り添い給え!敬虔の創り主よ、私たちが忠実に祈り求めるものを効果的に得ることができるようになし給え。
Deus, refugium nostrum et virtus: adesto piis Ecclesiae tuae precibus, auctor ipse pietatis, et praesta; ut, quod fideliter petimus; efficaciter consequamur.
聖体拝領唱:私は叫んだ、天主よ御身は私の祈りを聞き入れ給うが故に。御身の耳を傾け給え。私の言葉を聞き入れ給え。
Ego clamavi, quoniam exaudisti me, Deus : inclina aurem tuam, et exaudi verba mea : custodi me, Domine, ut pupillam oculi : sub umbra alarum tuarum protege me.
ところで、今から100年前、ポルトガルの守護の天使は、3人の子供たちにこう言いました。
Os Corações de Jesus e Maria estão atentos à voz das vossas súplicas.
イエズスとマリアの聖心はあなたがたの嘆願の声に注意を払っておられます。
これを見ると、教会の「御身の両耳を私の祈りの声に注意深く向け給え!」に対する答として聞こえてきます。
「もちろんだ!イエズスとマリアの両の聖心は、あなたがたの祈りの声に注意を払っておられる!」Fiunt Cordes Iesu Mariaeque intendentes in vocem deprecationum vestrarum と。
では、いただいたご報告を紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
10月の大阪でのレネー神父様による主日の御ミサの報告をお送りいたします。
10月9日(日)聖霊降臨後第21主日の御ミサには15名が、
10日(月)聖フランシスコ・ボルジアの御ミサには10名の方々が御ミサに与る御恵みを頂きました。デオグラチアス!!
主日のお説教は、「ロザリオについて」で、ロザリオはキリスト教的完徳を獲得し、救霊の良い手段である事と、各玄義の黙想のアドバイスを頂きました。
また、御ミサの後、他の二つのお説教も読んで頂きました。「恩寵はどのようにはたらくのか?」 と、「罪の結果、恩寵の必要性」でした。
私事ですが、ここ数年、二つの疑問をもっていました。
ひとつは、『なぜ自分はこんなにも罪にかたよりやすいのだろうか?』という事、もう一つは『どうして自分は罪びとであるのにこんなにも沢山の御恵みを頂いているのだろう?』という事でした。
昨日の御ミサの後の二つのお説教をお聞きして、この疑問が解決しました。(^^)v
また、祭壇横の天使の像の前にファチマの天使の祈りの入った額がおかれていて、信徒会長からこの祈りをするように勧めて頂きました。
来年のファチマの聖母ご出現100周年に向けて、改めてこの祈りを沢山唱えるきっかけになりました。 ありがとうございました。
【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:
今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。
ミサの参列者数
男: 15人(内、子供1人)
女: 25人(内、子供5人)
計: 40人(内、子供6人)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ
いつもありがとうございます。昨日のごミサでは、カエザルのものはカエザルに、天主のものは天主に帰すとのことでした。天主さまのものでありたいと、強く祈る気持ちを少しでも持つことができるよう 努めたい、そのようにわずかでも努めるなら、罪ばかりの惨めな者である私であっても、天主さまの憐れみによって地獄を免れることができるかもしれない。そのようなことを 回心後しばらくは胸にありましたが、時間の流れとともに薄れ去っていたことに、このごミサにより気づかされましたように思います。
午後の公教要理では、ファチマについてお話しくださいまして、ありがとうございます。「人間の世界では 第一次世界大戦、地の下では悪魔的革命家レーニンを操っての地獄の勢力、天からは救いの勢力。地獄の頂点はモスクワ、ポルトガルのファチマには天の勢力。」この大変興味深いお話しに 聴き入ってしまいました。
ご講話は 1916年と1917年を、地上を見て 悪魔からの介入を見て 天からの介入を見てと、この3つの視点から眺めてみますとのことでした。
この3つの視点から、ファチマを見ることができて、これまで単にファチマの奇跡をのみ取り上げて、或いはコルベ神父さまの聖母の騎士会発足と関連づけて見ることしかなかったのですが、詳しく当時のヨーロッパの国勢をおはなしくださったことにより、悪がどれだけ酷いものだったかということと、ファチマの出来事はそれに対しての天からの介入の意味が強くあったのだ などということを深くはっきりとらえることができたように思います。特にこの時代のことは、高校生のときの世界史でも とても複雑に入り込んでいて、どの国の視点から見るかなど難解でした。「神聖ローマ帝国の死がカトリックの政治の死を象徴しているかのようでした」と カトリック信仰の目で解説していただいたことが、とても良かったです。神聖ローマ帝国の実質的に最後の皇帝フランツ・ヨゼフという方は、軍事用のベッドで寝起きし跪き台で祈りを捧げ、祈りによって周囲からの陰謀を食い止めようとするような方だったとのことでした。それなのに次々と身内をフリーメーソンや無政府主義者による暗殺や自殺などで失って、人類の罪の全てを捧げ尽くしたのかもしれないとのお話しにはジーンと来ました。そういう敵からの攻撃がカトリックの政治にたいして行なわれ、第一次世界大戦が始まることになったということがわかったように思います。このことをまず 地上の世界のこと、人間の世界の出来事として説明してくださいました。
お昼のときに、ラスプーチンの残忍な仕業を詳しくお話しくださいましたが、それは午後の講話につながるものだったのですね。ロシアでは国を混乱させ破滅に追いやったラスプーチンとか、スイスで革命を起こす計画を練っていたレーニンとかの動きなど、これらはフリーメーソンの動きとともに、悪魔からの介入と受け止めました。
ヨーロッパの1916年の状況が第一次世界の最中だということを、恥ずかしながら初めて認識しました。「西部戦線異常なし」というのは、映画の題名かもですが、いつもと同じく変わらず死傷者が多数発生中ということのアイロニーでしょうか。毎日たくさんの人が殺されていて、何百万人、数千万人もの人間が亡くなっていったというのは 大変なことです。
今は世界大戦はないけれど、教会への見えない攻撃が酷い状況で、教会の内側からの綻びがひどく、「通常通り霊魂の滅亡多数にて教会内部戦線異常無し」とは言い過ぎでしょうか。良いことのようにカモフラージュされた敵からの攻撃を見極めなければ、眠らされてしまっている霊魂が滅亡するその数は増えるばかりなのかなと 考えてみました。この戦争も止めさせてもらいたいです。
天からの介入のお話しは、何回読んでも何回聴いても飽きることなく 聴きたいです。天使とマリア様のご出現によって捧げられるようになった ルチアとジャシンタとフランシスコの犠牲と祈りは、どれほど天主様の御心をお慰めしたことでしょう。
印象的だったのは、10月13日のご出現と太陽の奇跡についての対比でした。太陽の奇跡を見ていたのは大群衆の見物人で、3人のルチアとジャシンタとフランシスコは、マリアさまヨセフさまイエズスさまのご出現を受けていたという対比です。
紙の本やインターネットで読んだ時 読み過ごしていました。私たちにも、ロザリオの祈りと犠牲をお捧げすることでファチマが単なる奇跡の話しになるのではなく、私たちの心の中にマリア様ヨセフさまイエズスさまに霊的にいらしてくださることになりますようにと願うものです。
少しでも心を込めてロザリオを唱え わずかなことしかできなくても犠牲をお捧げするよう努め、天使の教えてくれた祈りをわずかな時も利用して祈りたいと思います。たくさんの滅びに向かう霊魂のために、今わたしたちにもできることなのだと思いました。
30分延長しても時間が足りなく、最後は急ぎ足でお話くださいましたが、端折らない神父様のお話しを ちゃんとお聴きしたかったです。素晴らしいお話しをありがとうございました。
デオグラチアス!
【お返事】
素晴らしいレポートです!特に、「通常通り霊魂の滅亡多数にて教会内部戦線異常無し」ということに思いついたのが、正にその通りだと思いました!ありがとうございます
一人一人の兵士には、その家族や友人や思い出や愛情がそれぞれありますが、戦争の中で亡くなっていきます。ヴェルダンの戦い(約100万名が死傷)、ラ・ソンムの戦い(イギリス軍は、42万名、フランス軍は20万名、ドイツ軍60万名が死傷)、などで毎日多くの人命が失われましたが、それでも戦線はほとんど動くことはありませんでした。
しかし、上層部は兵士をゲームの駒のようにしか見ていなく、一日に何千人が亡くなっていっても、戦線は数センチも動かず、何ヶ月も同じ所を守っていて、何の特記するニュースもない、「西部戦線異状なし」ということです。
第二バチカン公会議以後、司祭召命や修道者召命が激減し、カトリック信仰がますます失われている大戦争状態のようです。それでも「大本営」(?)は、聖変化の時には跪くな、御聖体は立って手で拝領せよ、と命じ「教会に危機はない」と言っているかのようですね。
フランツ・ヨゼフ皇帝には、実は後継者がいて、カールと言います。若くして皇帝になりました。29歳でした。1916年12月30日にブダペストで戴冠式がありました。(その翌日、12月31日の早朝4時頃に、ラスプーチンが暗殺されています。)
カール皇帝は、第1次世界大戦の終結を望み続けそのために力を尽くしました。
1922年4月1日、ポルトガル領のメデイラ島に追放されて、貧困のうちに死亡します。(ファチマもポルトガルでした。)カール皇帝は、ヨハネ・パウロ二世によって2004年に列福されました。
【報告】
+アヴェ・マリア・インマクラータ!
レポートをお送りいたします。
お説教
これだ! と分かった点
「チェザルの物はチェザルに、天主の物は天主にかえせ。」という言葉に従順の本質が隠されている、ということ。
それは全ての権威は天主から来るのであり、長上に従うことは天主の御旨である。私たちの人間の自然本性それだけでは上下の区別をつけることができないが、天主から来る権威をいただくことで、上下の差がつけられる。
なぜ天主はこの差異を与えられたのか、それは、天主は人間に社会生活を送ることをお望みになられるからである。ではなぜ、社会生活を送ることを望まれるか、それは私たちをして共通善に取り組ませ進ませるためである。
この部分は公教要理にもあると思いますが、「では、チェザルの物はチェザルに、天主の物は天主にかえせ。」というイエズス様のお言葉の中に従順の本質が隠されており、この一言だけでよくこの世の中で話題にされる「人間は皆平等なのか否か」とか「なぜ王制があるのか」とか「権威とは何か、権威は必要か」といった類の問題に一切の解決を与えます。本当にイエズス様は真理でいらっしゃるのだと再び感動致しました。
また、後にイエズス様が捕らえられピラトの前に引かれていった時、「チェザルに税を収めることを禁じ・・・」(ルカ23章2節)という偽証がでますが、これはイエズス様の仰ったこととは真逆の訴えであったこともよく理解ができました。
最近、お説教の中で神父様が御ミサ中のそれぞれのお祈り(集祷文や入祭文など)の意味と聖福音との繋がりを解説してくださるので、今日の御ミサ全体のお祈りの意向は特になんだろうか?ということを意識して御ミサに与るようになりました。
今日の御ミサは待降節に向けて、天主様への「私たちは天主からいただいた様々な能力や物や諸々を全く善く用いず、好き勝手に使ってきましたが、しかし、天主よ、私たちの声を聞いてください!!」と願い求めつつ、待降節と御降誕へ向かっているのではないかと思いました。
このことを考えると、ルフェーブル大司教様が教会の典礼暦に従って毎日の黙想をすることを勧めていらっしゃった理由が理解できたようでした。
今回の御ミサでよく分からないところはありませんでした。何をどこまで理解しているのか理解できていないのか、頭の中で区別が付かず、もっとよく聖福音を読んで黙想して考えようと思います。。。
御ミサののちの講話の時間には、ファティマでのマリア様のご出現を3つの視点から見て、解説していただきました。
1つは私たちの世界で、第一次大戦当時のヨーロッパ
2つめは、地獄で、ロシア・モスクワ
3つめは、天国で、ポルトガル・ファティマ です。
とても素晴らしい内容でした! 今までは、ファティマの御出現・第一次大戦・ロシア革命前夜と革命、と別々には勉強したり本を読んだことはあったのですが、それぞれを並列して見比べ、またそこに天国からのご介入と地獄の勢力の動きを見ることははじめてだったので、とても興味深くお話しを聞かせていただきました。もっと詳しく伺いたい!
と思いましたが、時間が無くなってしまったので残念でした。。。本当にすばらしい内容で、カトリックやファティマの御出現をよくご存じない方に、逆にファティマの御出現は知っているけれども、その時のヨーロッパがどうなっていたのか、その時準備されていたロシア革命について詳しくご存じない方や、また、それらの出来事を俯瞰して考えた事のない方にも、もっともっと多くの方々に聞いていただきたいと思いました。
神父様がお話しくださった内容に映像資料をつけてNHK『映像の世紀』のようにインターネットやテレビで配信し、配信後には償いの御ミサ、その後には御聖体降福式も中継し、ロザリオをみなで唱えられれば良いのに。。。と思いました。
17日には、聖マルガリタ・マリア・アラコック様の御ミサにも与ることができ、大変幸せでした。
11月は多くの御ミサが捧げられる予定ですので本当に嬉しいです。
更に多くの方々が、御ミサに与ることができますように! ロザリオの月ですので、ロザリオももっと頑張って唱えたいと思います。
デオグラチアス!
+In Mary Immaculate,
愛する兄弟姉妹の皆様、
10月9日(主日)と10日は、レネー神父様が大阪でミサ聖祭を捧げて下さいました。
10月16日(主日)と17日は、兄弟姉妹の皆様のしもべが東京でミサ聖祭を捧げました。東京では、40名の方々が聖伝のミサに与ることができました。天主様に感謝!赤ちゃんたちと子供たちの数が増えているので大変うれしく思います。カトリック教会らしく素晴らしいことです。
聖霊降臨後第22主日のミサには、同じようなテーマが繰り返されます。私たちの祈りを注意深く聞いて欲しい、私たちの祈りの声に心を向けて欲しい、祈りの声に注意を払って下さい!です。
例えば入祭唱:主よ、深い所から御身に私は叫んだ、主よ、私の声を聞き給え!御身の両耳を私の祈りの声に注意深く向け給え!
De profundis clamavi ad te, Domine; Domine, exaudi vocem meam. Fiant aures tuæ intendentes in vocem deprecationis meæ. Si iniquitates observaveris, Domine, Domine, quis sustinebit?
集祷分:私たちの避難所かつ力である天主よ、御身の教会の敬虔な祈りに寄り添い給え!敬虔の創り主よ、私たちが忠実に祈り求めるものを効果的に得ることができるようになし給え。
Deus, refugium nostrum et virtus: adesto piis Ecclesiae tuae precibus, auctor ipse pietatis, et praesta; ut, quod fideliter petimus; efficaciter consequamur.
聖体拝領唱:私は叫んだ、天主よ御身は私の祈りを聞き入れ給うが故に。御身の耳を傾け給え。私の言葉を聞き入れ給え。
Ego clamavi, quoniam exaudisti me, Deus : inclina aurem tuam, et exaudi verba mea : custodi me, Domine, ut pupillam oculi : sub umbra alarum tuarum protege me.
ところで、今から100年前、ポルトガルの守護の天使は、3人の子供たちにこう言いました。
Os Corações de Jesus e Maria estão atentos à voz das vossas súplicas.
イエズスとマリアの聖心はあなたがたの嘆願の声に注意を払っておられます。
これを見ると、教会の「御身の両耳を私の祈りの声に注意深く向け給え!」に対する答として聞こえてきます。
「もちろんだ!イエズスとマリアの両の聖心は、あなたがたの祈りの声に注意を払っておられる!」Fiunt Cordes Iesu Mariaeque intendentes in vocem deprecationum vestrarum と。
では、いただいたご報告を紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
10月の大阪でのレネー神父様による主日の御ミサの報告をお送りいたします。
10月9日(日)聖霊降臨後第21主日の御ミサには15名が、
10日(月)聖フランシスコ・ボルジアの御ミサには10名の方々が御ミサに与る御恵みを頂きました。デオグラチアス!!
主日のお説教は、「ロザリオについて」で、ロザリオはキリスト教的完徳を獲得し、救霊の良い手段である事と、各玄義の黙想のアドバイスを頂きました。
また、御ミサの後、他の二つのお説教も読んで頂きました。「恩寵はどのようにはたらくのか?」 と、「罪の結果、恩寵の必要性」でした。
私事ですが、ここ数年、二つの疑問をもっていました。
ひとつは、『なぜ自分はこんなにも罪にかたよりやすいのだろうか?』という事、もう一つは『どうして自分は罪びとであるのにこんなにも沢山の御恵みを頂いているのだろう?』という事でした。
昨日の御ミサの後の二つのお説教をお聞きして、この疑問が解決しました。(^^)v
また、祭壇横の天使の像の前にファチマの天使の祈りの入った額がおかれていて、信徒会長からこの祈りをするように勧めて頂きました。
来年のファチマの聖母ご出現100周年に向けて、改めてこの祈りを沢山唱えるきっかけになりました。 ありがとうございました。
【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:
今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。
ミサの参列者数
男: 15人(内、子供1人)
女: 25人(内、子供5人)
計: 40人(内、子供6人)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ
いつもありがとうございます。昨日のごミサでは、カエザルのものはカエザルに、天主のものは天主に帰すとのことでした。天主さまのものでありたいと、強く祈る気持ちを少しでも持つことができるよう 努めたい、そのようにわずかでも努めるなら、罪ばかりの惨めな者である私であっても、天主さまの憐れみによって地獄を免れることができるかもしれない。そのようなことを 回心後しばらくは胸にありましたが、時間の流れとともに薄れ去っていたことに、このごミサにより気づかされましたように思います。
午後の公教要理では、ファチマについてお話しくださいまして、ありがとうございます。「人間の世界では 第一次世界大戦、地の下では悪魔的革命家レーニンを操っての地獄の勢力、天からは救いの勢力。地獄の頂点はモスクワ、ポルトガルのファチマには天の勢力。」この大変興味深いお話しに 聴き入ってしまいました。
ご講話は 1916年と1917年を、地上を見て 悪魔からの介入を見て 天からの介入を見てと、この3つの視点から眺めてみますとのことでした。
この3つの視点から、ファチマを見ることができて、これまで単にファチマの奇跡をのみ取り上げて、或いはコルベ神父さまの聖母の騎士会発足と関連づけて見ることしかなかったのですが、詳しく当時のヨーロッパの国勢をおはなしくださったことにより、悪がどれだけ酷いものだったかということと、ファチマの出来事はそれに対しての天からの介入の意味が強くあったのだ などということを深くはっきりとらえることができたように思います。特にこの時代のことは、高校生のときの世界史でも とても複雑に入り込んでいて、どの国の視点から見るかなど難解でした。「神聖ローマ帝国の死がカトリックの政治の死を象徴しているかのようでした」と カトリック信仰の目で解説していただいたことが、とても良かったです。神聖ローマ帝国の実質的に最後の皇帝フランツ・ヨゼフという方は、軍事用のベッドで寝起きし跪き台で祈りを捧げ、祈りによって周囲からの陰謀を食い止めようとするような方だったとのことでした。それなのに次々と身内をフリーメーソンや無政府主義者による暗殺や自殺などで失って、人類の罪の全てを捧げ尽くしたのかもしれないとのお話しにはジーンと来ました。そういう敵からの攻撃がカトリックの政治にたいして行なわれ、第一次世界大戦が始まることになったということがわかったように思います。このことをまず 地上の世界のこと、人間の世界の出来事として説明してくださいました。
お昼のときに、ラスプーチンの残忍な仕業を詳しくお話しくださいましたが、それは午後の講話につながるものだったのですね。ロシアでは国を混乱させ破滅に追いやったラスプーチンとか、スイスで革命を起こす計画を練っていたレーニンとかの動きなど、これらはフリーメーソンの動きとともに、悪魔からの介入と受け止めました。
ヨーロッパの1916年の状況が第一次世界の最中だということを、恥ずかしながら初めて認識しました。「西部戦線異常なし」というのは、映画の題名かもですが、いつもと同じく変わらず死傷者が多数発生中ということのアイロニーでしょうか。毎日たくさんの人が殺されていて、何百万人、数千万人もの人間が亡くなっていったというのは 大変なことです。
今は世界大戦はないけれど、教会への見えない攻撃が酷い状況で、教会の内側からの綻びがひどく、「通常通り霊魂の滅亡多数にて教会内部戦線異常無し」とは言い過ぎでしょうか。良いことのようにカモフラージュされた敵からの攻撃を見極めなければ、眠らされてしまっている霊魂が滅亡するその数は増えるばかりなのかなと 考えてみました。この戦争も止めさせてもらいたいです。
天からの介入のお話しは、何回読んでも何回聴いても飽きることなく 聴きたいです。天使とマリア様のご出現によって捧げられるようになった ルチアとジャシンタとフランシスコの犠牲と祈りは、どれほど天主様の御心をお慰めしたことでしょう。
印象的だったのは、10月13日のご出現と太陽の奇跡についての対比でした。太陽の奇跡を見ていたのは大群衆の見物人で、3人のルチアとジャシンタとフランシスコは、マリアさまヨセフさまイエズスさまのご出現を受けていたという対比です。
紙の本やインターネットで読んだ時 読み過ごしていました。私たちにも、ロザリオの祈りと犠牲をお捧げすることでファチマが単なる奇跡の話しになるのではなく、私たちの心の中にマリア様ヨセフさまイエズスさまに霊的にいらしてくださることになりますようにと願うものです。
少しでも心を込めてロザリオを唱え わずかなことしかできなくても犠牲をお捧げするよう努め、天使の教えてくれた祈りをわずかな時も利用して祈りたいと思います。たくさんの滅びに向かう霊魂のために、今わたしたちにもできることなのだと思いました。
30分延長しても時間が足りなく、最後は急ぎ足でお話くださいましたが、端折らない神父様のお話しを ちゃんとお聴きしたかったです。素晴らしいお話しをありがとうございました。
デオグラチアス!
【お返事】
素晴らしいレポートです!特に、「通常通り霊魂の滅亡多数にて教会内部戦線異常無し」ということに思いついたのが、正にその通りだと思いました!ありがとうございます
一人一人の兵士には、その家族や友人や思い出や愛情がそれぞれありますが、戦争の中で亡くなっていきます。ヴェルダンの戦い(約100万名が死傷)、ラ・ソンムの戦い(イギリス軍は、42万名、フランス軍は20万名、ドイツ軍60万名が死傷)、などで毎日多くの人命が失われましたが、それでも戦線はほとんど動くことはありませんでした。
しかし、上層部は兵士をゲームの駒のようにしか見ていなく、一日に何千人が亡くなっていっても、戦線は数センチも動かず、何ヶ月も同じ所を守っていて、何の特記するニュースもない、「西部戦線異状なし」ということです。
第二バチカン公会議以後、司祭召命や修道者召命が激減し、カトリック信仰がますます失われている大戦争状態のようです。それでも「大本営」(?)は、聖変化の時には跪くな、御聖体は立って手で拝領せよ、と命じ「教会に危機はない」と言っているかのようですね。
フランツ・ヨゼフ皇帝には、実は後継者がいて、カールと言います。若くして皇帝になりました。29歳でした。1916年12月30日にブダペストで戴冠式がありました。(その翌日、12月31日の早朝4時頃に、ラスプーチンが暗殺されています。)
カール皇帝は、第1次世界大戦の終結を望み続けそのために力を尽くしました。
1922年4月1日、ポルトガル領のメデイラ島に追放されて、貧困のうちに死亡します。(ファチマもポルトガルでした。)カール皇帝は、ヨハネ・パウロ二世によって2004年に列福されました。
【報告】
+アヴェ・マリア・インマクラータ!
レポートをお送りいたします。
お説教
これだ! と分かった点
「チェザルの物はチェザルに、天主の物は天主にかえせ。」という言葉に従順の本質が隠されている、ということ。
それは全ての権威は天主から来るのであり、長上に従うことは天主の御旨である。私たちの人間の自然本性それだけでは上下の区別をつけることができないが、天主から来る権威をいただくことで、上下の差がつけられる。
なぜ天主はこの差異を与えられたのか、それは、天主は人間に社会生活を送ることをお望みになられるからである。ではなぜ、社会生活を送ることを望まれるか、それは私たちをして共通善に取り組ませ進ませるためである。
この部分は公教要理にもあると思いますが、「では、チェザルの物はチェザルに、天主の物は天主にかえせ。」というイエズス様のお言葉の中に従順の本質が隠されており、この一言だけでよくこの世の中で話題にされる「人間は皆平等なのか否か」とか「なぜ王制があるのか」とか「権威とは何か、権威は必要か」といった類の問題に一切の解決を与えます。本当にイエズス様は真理でいらっしゃるのだと再び感動致しました。
また、後にイエズス様が捕らえられピラトの前に引かれていった時、「チェザルに税を収めることを禁じ・・・」(ルカ23章2節)という偽証がでますが、これはイエズス様の仰ったこととは真逆の訴えであったこともよく理解ができました。
最近、お説教の中で神父様が御ミサ中のそれぞれのお祈り(集祷文や入祭文など)の意味と聖福音との繋がりを解説してくださるので、今日の御ミサ全体のお祈りの意向は特になんだろうか?ということを意識して御ミサに与るようになりました。
今日の御ミサは待降節に向けて、天主様への「私たちは天主からいただいた様々な能力や物や諸々を全く善く用いず、好き勝手に使ってきましたが、しかし、天主よ、私たちの声を聞いてください!!」と願い求めつつ、待降節と御降誕へ向かっているのではないかと思いました。
このことを考えると、ルフェーブル大司教様が教会の典礼暦に従って毎日の黙想をすることを勧めていらっしゃった理由が理解できたようでした。
今回の御ミサでよく分からないところはありませんでした。何をどこまで理解しているのか理解できていないのか、頭の中で区別が付かず、もっとよく聖福音を読んで黙想して考えようと思います。。。
御ミサののちの講話の時間には、ファティマでのマリア様のご出現を3つの視点から見て、解説していただきました。
1つは私たちの世界で、第一次大戦当時のヨーロッパ
2つめは、地獄で、ロシア・モスクワ
3つめは、天国で、ポルトガル・ファティマ です。
とても素晴らしい内容でした! 今までは、ファティマの御出現・第一次大戦・ロシア革命前夜と革命、と別々には勉強したり本を読んだことはあったのですが、それぞれを並列して見比べ、またそこに天国からのご介入と地獄の勢力の動きを見ることははじめてだったので、とても興味深くお話しを聞かせていただきました。もっと詳しく伺いたい!
と思いましたが、時間が無くなってしまったので残念でした。。。本当にすばらしい内容で、カトリックやファティマの御出現をよくご存じない方に、逆にファティマの御出現は知っているけれども、その時のヨーロッパがどうなっていたのか、その時準備されていたロシア革命について詳しくご存じない方や、また、それらの出来事を俯瞰して考えた事のない方にも、もっともっと多くの方々に聞いていただきたいと思いました。
神父様がお話しくださった内容に映像資料をつけてNHK『映像の世紀』のようにインターネットやテレビで配信し、配信後には償いの御ミサ、その後には御聖体降福式も中継し、ロザリオをみなで唱えられれば良いのに。。。と思いました。
17日には、聖マルガリタ・マリア・アラコック様の御ミサにも与ることができ、大変幸せでした。
11月は多くの御ミサが捧げられる予定ですので本当に嬉しいです。
更に多くの方々が、御ミサに与ることができますように! ロザリオの月ですので、ロザリオももっと頑張って唱えたいと思います。
デオグラチアス!
+In Mary Immaculate,