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「聖母の連祷についての解説」:聖ピオ十世会司祭 レネー神父様

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
レネー神父様の「聖母被昇天の大祝日」のお説教(日本語訳)をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2016年8月15日 聖母被昇天の大祝日―ソウル 
お説教「償いの必要性-マリアの汚れなき御心は現代の罪の解毒剤。聖母の連祷についての解説」

親愛なる兄弟の皆さん、

本日、私たちは童貞聖マリアの受けられた報いをお祝いします。聖母の地上での生涯は私たちの主イエズス・キリストに大変忠実だったため、聖母は最高の報いを受けるにふさわしく、それだけの功徳があったのです。でも天主は功徳以上の報いをお与えになります。それは、寛容さにおいて天主は誰よりも勝っていらっしゃるからです。まず、天主ご自身がその功徳の源です。なぜなら、天主がまず恩寵を与えてくださり、それによって私たちは功徳を積むからです。そして天主はその功徳に対して報いを与えてくださり、それはその功徳以上の報いなのです! まことに幸いなるかな、聖母のように天主に忠実にお仕えする人々は!

聖母の最初の恩寵は無原罪の御宿りでした。最初の恩寵というものは常に、功徳によるのではありません。聖パウロはこう言います。「先に天主に与えて、のちにその報いを受けた者があったか」(ローマ11章35節)。聖母はこの最初の恩寵に完全に忠実で、天主の恩寵に全力で協力なさいましたから、この完全な報いにふさわしい方でした! さて、マリア様の全生涯にわたる天主の恩寵への完全な協力は、私たちが「マリアの汚れなき御心」と呼んでいるものです。そのため皆さんには、被昇天の祝日とマリアの汚れなき御心の祝日に緊密な結びつきがあるのが分かるでしょう。教皇ピオ十二世が、汚れなき御心の祝日を被昇天の八日目に適切に定められたのです。

さて、フェレー司教は一年間のロザリオ十字軍を起動しました。マリアの汚れなき御心をたたえて、本日からファチマの聖母のご出現の百周年となる来年の汚れなき御心の祝日まで続きます。皆さんは、毎日ロザリオ(5玄義)を唱えるよう、できるならロザリオ全部(15玄義、もしできるならもっと多く)を唱えるよう、また罪の償いのために犠牲をするよう、とりわけマリアの汚れなき御心に対して犯される罪の償いのための犠牲をするよう強く励まされています。

私たちがこの世の悪が恐ろしい段階にまで増大しているのを見るとき、イスラムの暴力、最も不自然なレベルにまで至る道徳の腐敗、邪悪であることの「権利」さえも要求し、現代の不道徳のどこか縮図でもある妊娠中絶の広がり、中絶された胎児の体の一部の販売、などといったものを見るとき、私たちは自問します。私たちに何ができるだろうか? 私たちの主イエズス・キリストが罪から私たちを救うためにこの世に来られたとき、主はいかにしてお救いになったのだろうか? 主は十字架上でご自分を完全ないけにえとして捧げられました! 現代世界の腐敗に直面して、主は私たちに、主に倣い、これらすべての罪を償うよう呼びかけておられます。実際、聖パウロはこう言っています。「実に愛される子らとして、天主に倣う者であれ。私たちを愛し、私たちのために芳しい香りのいけにえとして天主にご自分を渡されたキリストの模範に従って、愛のうちに歩め」(エフェゾ5章1-2節)。私たちの主イエズス・キリストに倣うため、正確には主が私たちの救いのためにご自分をいけにえとして実際にお捧げになったその愛において主に倣うため、これこそが私たちが行うべきことです。私たちは罪の償いの犠牲をすることによって、これを行うのです。

天主は完全に幸せでいらっしゃるため、罪がどうして天主を怒らせるのか理解するのが困難だという人がいます。しかし、私たちの母親が私たちの罪を悲しむことを理解するのは困難ではありません。母親は、子どもたちが良き人であることを願うものです。自分の子どもたちが犯罪者や変質者であると分かれば、母親は大変悲しみます。さて、聖母は私たちの母です。なぜなら、聖母はすべての人間の母であり、それは私たちの主イエズス・キリストがすべての人間の救いのために御血を流されたからです。ですからこんにち、聖母は、現代世界のあらゆる罪のせいで大変悲しんでおられます。そのため、聖母の良き子どもたちは自分たちの犠牲で償いをすることによって、聖母をお慰めするよう努めるのです。そうすることで、彼らは、罪びとも救われるために、私たちの主イエズス・キリストが罪びとに回心(と悔悛)の恩寵を与えてくださるよう、罪びとの上にあわれみを求めます。

マリアの汚れなき御心は、現代の罪とは正反対です。この御心は、あらゆる領域における最も美しい清さ、童貞性の聖域です。聖母は、罪の道を一歩たりとも歩み始められたことさえありませんでした。聖母はまた、柔和でやさしく、現代世界の暴力とはまったく反対です。聖母はすべての母親の中で最高の母親であり、命を与える方であって、母親の胎内の赤ん坊の殺害とは正反対です。ですから、マリアの汚れなき御心への信心は、これらの罪に対する解毒剤です。ですから、私たちの主イエズス・キリストは、この世に御母の汚れなき御心への信心を確立しようと望まれます。そんな美しい天主のご計画に、惜しむことなくお応えしましょう。

マリア様の御心をより良く知るために、私が聖母の連祷に短い解説を加えます。

「聖マリア」。私たちはここで、マリア様の聖なる御名をたたえます。天主の御子が地上での御母としてお選びになったお方のお名前ですから。

「天主の聖母」。聖母のいと潔きご胎内に聖霊によって宿り給うたその瞬間から、まことの天主でありまことの人間であるイエズスの御母になるという他に類を見ない聖母の使命を私たちはたたえます。従って、聖母は「天主の御母」の称号に完全にふさわしいのです。子どもの母親であるということは、人格(ペルソナ)の間の関係であり、御子の人格は至聖なる三位一体の第二のペルソナです。聖母の他の称号はすべて、この最初の称号から導かれるのです。

「童貞のうちにていとも聖なる童貞」。これは、「王の中の王」という表現に似たヘブライ語で最高を示す表現であり、最も完全な童貞を意味しています。実際、聖母はイエズスのご誕生の前も、その間も、そのあとも童貞であり、永遠に童貞でいらっしゃいます。聖母は体においても霊魂においても童貞であり、いかなる領域においても、その霊魂をまったく汚されたことがありません。

「キリストの御母」。「キリスト」とは油を塗られた者、ヘブライ語のメシアのことで、選ばれた民全体が何世紀もの間待ち望んでいたお方です。聖母はユダ族の出身、ダヴィド家の出身でした。聖母は、そのご胎内に「キリスト」を受胎すべく、天主によって選ばれたお方で、キリストを待ち望み、キリストを遠くから見た(ヘブライ11章13節参照)聖なる太祖や預言者が何世代にもわたって期待していたことが実現したのでした。

「教会の御母」。なぜなら、私たちの主イエズス・キリストは、その御体である教会(コロサイ1章24節参照)と分離され得ないからです。聖母が、体の母ではないのに頭の母であることはありえません! このように聖母が御母であるということを拒否する人々は事実上、キリストを教会から、頭を体から分離しようとしているのに等しく、それが私たちの主イエズス・キリストをお喜ばせさせることはありえません。彼らの回心のために祈りましょう。こんにち、キリストが救いに必要だということを進んで受け入れるものの、教会が救いに必要だということを拒否する人々が多くいます。カトリックの神学者の中にさえも。しかし、キリストの体の一部であるカトリック教会に属することなく、彼らはどのようにしてキリストと一致することができるでしょうか? キリストの体であるカトリック教会の内にいることなく、彼らはどのようにしてキリストの命を生きることができるでしょうか? こんにち私たちは、教会の肢体をまことに刷新することによって、教会の美しさを復興させるために、いまこそ教会のために聖母に祈る必要があります。

「天主の聖寵の御母」。成聖の恩寵は、私たちのうちにあるキリストの命です。母として聖母は、私たちが聖母を通して命を受け、聖母を通して恩寵を受けるというお方です。また良き母として聖母が私たちに持っていらっしゃる最大の望みは、ただ私たちが完全にキリストの命を生きることです。ですから、私たちは豊かに恩寵を得られるよう聖母に祈ることができるのです。

「いと潔き御母、いと操正しき御母、終生童貞なる御母、きずなき御母」。これらの称号はすべて、大いなる喜びをもって聖母の潔さを歌い、この完全な童貞性と母であることの見事な結合を歌います。まことに、現代世界に本当に必要とされている潔さの模範が聖母に見いだされます。聖母は、潔さは奉献された童貞のものだけでなく、すべての母親も自分のレベルに応じて守るべきものであることを私たちに思い出させてくださいます。結婚している信者は世の腐敗を避けなければなりませんし、身分に応じた貞潔を守り、互いに忠実であり、あらゆる乱用を避けなければなりません。

「愛すべき御母」。聖母は私たち聖母の子どもに対して、何と親切でいらっしゃるのでしょうか! 子どもとして、私たちは喜んで聖母と一緒に、聖母のおそばにいます。聖母は非常に愛すべきお方なのですから。

「感ずべき御母」。貞潔において感ずべき、十字架の下に至るまでイエズスへの愛において感ずべき、主が聖母にお与えになった特別な賜物、被昇天においてその頂点に達した賜物のゆえに感ずべきお方です。私たちは聖母が天国へ行かれるのをたたえます! まことにきょう、私たちは聖母に対して「感ずべき御母」と歌います。

「善き勧めを賜う御母」。聖母の善き勧めはカナで給仕人たちに与えられた勧めです。「何でもあの人の言うとおりにしなさい」(ヨハネ2章5節)。イエズスがお望みになることを常に行うことは、まことに人生における正しい規則です。主の掟に従うだけでなく、主の勧め、福音的勧告にも従うことは、キリスト教的完徳への近道です。

「創造主の御母」。良き子どもとして、私たちの主イエズス・キリストは「母に従って」(ルカ2章51節)おられます。しかしイエズスは創造主であり全能のお方です。そのため聖母は、私たちを救うため、あらゆる恩寵を得るために、どうにかして、イエズスの全能の力を発動させることがおできになるのです。

「救世主の御母」。主は十字架上で、私たちの罪の支払いをされ、すべての恩寵を得る功徳を獲得されました。御母として、マリア様は私たちのために主からこれらすべての恩寵を得ることがおできになります。そのため私たちは、聖母の取り次ぎの力に大きな信頼をもって、聖母のところに行くべきです。

「いとも賢明なる童貞」。聖母の賢明さは天使ガブリエルに対する質問に表れています。「私は男を知りませんが、どうしてそうなるのですか」(ルカ1章34節)。聖母は、この御使いが天主から来たことを確信したいので、それを試すため、天使が聖母の童貞の誓いを破るよう求めないことを確認されたのです。純潔を守るためには、人は賢明に行動し、あらゆる罪の機会を避けなければなりません。そんな機会が増大しているこんにちでは、賢明に行動することが最も必要とされています。聖母は、妥協することなくあらゆる罪の機会を避けるという賢明の徳を私たちに教えてくださいます。

「敬うべき童貞」。世は童貞性を軽蔑していますが、教会は―私たちの主イエズス・キリストご自身の教えに従って―童貞性を非常に高く尊重します。童貞の中の童貞である主の御母を敬うことは、すべての良きカトリック信者にとって大切であり、また純潔の重要性を常に思い出させます。

「誉むべき童貞」。私たちの主イエズス・キリストに次いで、歴史上、童貞聖マリアほど敬われ、愛されたお方はいません。また聖母の敵でさえも、まさに聖母に反対するがゆえに、聖母を知らずにはいられません。

「力ある童貞」。聖母は祈りによって力強いお方です。聖母は常にイエズスをお喜ばせすることをなさってきましたから、聖母はイエズスにご自分が望まれることなら何でもお願いできます(でも聖母は主をお喜ばせしないことは決してお望みになりません)。こうして聖母は、私たちが救いのために必要とするすべての恩寵を私たちのために取り成すことがおできになり、罪びとの回心、信者の聖化、煉獄の霊魂の解放を取り成すことがおできになります。

「寛仁なる童貞」。ラテン語では「最も寛大な」という意味です。寛大さは、悔い改めた罪びとへの罰を少なくする徳です。

「信実なる童貞」。聖母は、私たちの主イエズス・キリストの恩寵に常に忠実でした。聖母は自分の義務に常に忠実でした。聖母はまた、いとも忠実な友、忠実さの模範です!

「正義の鑑み」。聖書では、「正義」という言葉はしばしば「聖性」の同義語です。聖母は、私たちの主イエズス・キリストの徳と聖性を映し出す完全な鑑み(鏡)であり、私たちがイエズスを知り、特にイエズスが謙遜と純潔を愛されることを知る鑑み(鏡)です。

「上智の座」。私たちの主イエズス・キリストは、ご托身になった上智、知恵です。主は、御母の膝の上にお座りになった子どもとして、玉座の上にお座りになった王として、この世に来られました! 聖母は実際、このイエズスの知恵で、天主の神秘についての深い知識で満たされておられるのです。

「われらが喜びの源」。なぜなら、聖母は私たちに、私たちのすべての喜びの源であり、また私たちの至福直観の対象、永遠の至福であるイエズスを与えてくださったからです。

「霊妙なる器」。これはすなわち、最も美しい霊的な賜物、最も高められた霊的な命のための聖霊の七つの賜物を受けた人のことです。そして聖母はそれらを私たちにくださることがおできになるのです。

「崇むべき器」。これはすなわち、崇めるべきもの、有徳なもの、賞賛に値するもの、それらすべてのものが聖母において最も素晴らしい形で見られるということです。まことに天主は聖母を、ご自分の寛容さ、すなわち驚嘆すべき贖いのショーケースとされました。

「信心のすぐれたる器」。いったい誰が聖母の信心を描写することができるでしょうか? 聖母がいかに祈りを好んでおられたのかを、聖母の祈りがどれほどの高みまで上がるのかを、聖父と聖子と聖母の天主たる浄配である聖霊をいかに愛しておられるかを。私たちが祈りを学びたいのなら、聖母にお願いしましょう。

「くすしきばらの花」。このばらの花は、聖母の純潔のため白く、その十字架の下での御悲しみのため赤く、その被昇天の栄光のため黄金色です。

「ダヴィドの塔」。これはソロモンの雅歌で使われている言葉です。雅歌の中で、この言葉は花嫁に対して言われます。「あなたの首は、砦としてつくられたダヴィドの塔のようだ。そこには千個の円盾(まるたて)、勇士たちの盾が、掛け連ねてある」(雅歌4章4節)。聖母は、この雅歌で「戦列を整えし軍勢のごとく恐るべき」(雅歌6章10節)とも描写されています。このすべてが、悪魔とそれに従う者どもに対抗する聖母の力を示しています。聖母は、悪魔に対しては絶対的な「いいえ」を、罪に対しては「いいえ」を、一切妥協することなくおっしゃいました。聖母は、誘惑との闘いにおいて私たちに力を与えることがおできになります。ですから聖母への感謝を込めて、勝利を得た霊魂たちは(兵士としての)彼らの盾を聖母に捧げます。かくしてこれらの盾は、ダヴィドの塔が勇敢なダヴィドの兵士たちのすべての盾で飾られたように、聖母を飾るのです。

「象牙の塔」。これもソロモンの雅歌で使われている言葉です。「あなたの首は象牙の塔」(雅歌7章5節)。これはこの比喩的な方法で、聖母の美しさを、キリストの完全な花嫁の美しさを描写しています。なぜなら、聖母は御母であるだけでなく、新しいエバでもあり、新しいアダムの完全な助け手でいらっしゃるからです。聖母は、この新しいエバ、教会のかたどり、キリストの花嫁として十字架の下に立っておられたのです。

「黄金の堂」。黄金のような純粋な愛徳、霊的な富、まことの「しみも虫もつかず、盗人が穴をあけて盗み出すこともない天の宝」(マテオ6章20節)のことです。また、「[ソロモンがつくった旧約の神殿の]至聖所にあたる本堂を六百タレントの目方にあたる黄金の板で覆った」(歴代の書下3章8節)にある言葉でもあります。この内的な「黄金の堂」は霊魂の内的な聖所を意味しており、その中には聖霊が住み給うのです。その純粋さと聖性から、マリア様は教会によって特別に「天主の神殿、聖霊の聖所」(「聖母の土曜日」の聖務日課の賛課の交誦)と呼ばれています。成聖の恩寵の状態で生きている人もすべて「聖霊の神殿」ですが、聖母に比べればその美しさははるかに劣っています。聖母は私たちすべての模範である「黄金の堂」です。

「契約のひつ」。神殿の最も中心の幕屋の中に、モーゼによって造られた契約の櫃があり、その中にモーゼはマンナと律法の石版を置きました。マンナは、天から下ったまことのパンである私たちの主イエズス・キリストを象徴していましたが、このパンはまさに聖母のいと潔きご胎の中に置かれました。また私たちの主イエズス・キリストの恩寵によって、聖母は完全に律法に、特に愛徳という律法に従われました。そのため聖母は、「契約のひつ」と呼ばれるにふさわしいのです。契約の櫃はまた、黄金の板で全体を覆われ、この櫃をいとも美しいものとしました。ちょうど、愛徳とあらゆる徳によって全体を飾られた祝されし童貞の霊魂のように。

「天の門」。これは、エゼキエルが見た新たな神殿の東の門のことを言っています。「主は私に言われた。『この門は閉じていなければならぬ。開くことはない。誰も、ここを通ってはならぬ。閉じたままにしておく。ここは、イスラエルの神、主が入られたところだからである』」(エゼキエル44章2節)。聖ヒエロニモは私たちに、この門は聖母を象徴しており、それは聖母を通って天主なる主がこの世に入られたからである、と説明しています。閉じた扉は聖母の終生童貞のしるしです。しかし私たちは、聖母へのまことの信心によって、聖母を通って天国へ行くことができるのです。

「暁の星」は、「正義の太陽」と呼ばれる私たちの主イエズス・キリストのご出現を意味しています。「私の名を恐れるものには、正義の太陽が昇り、その翼には、救いがある」(マラキア4章2節)。その翼は十字架上の私たちの主イエズス・キリストの広げられた腕であり、これによって私たちの霊魂は癒やされるのです。

「病人の快復」。罪によって傷を負ったすべての人々は聖母のところに行くことができ、そうすれば聖母は、彼らを癒やしてくださる私たちの主イエズス・キリストへ彼らを導いてくださいます。主はこの美しい癒やしの恩寵を聖母に委ねられました。聖母は「すべての恩寵の分配者」であり、私たちの主イエズス・キリストのすべての恩寵を分配するお方なのです。

「罪人の拠り所」。自分の罪、その重さ、その頻繁さに打ちのめされ、それから抜け出したいと思っている人々はみな聖母のところへ行き、聖母を通してまことの回心の恩寵、堅固な回心の恩寵を得ることができます。聖母は彼らを追い帰したりなさいません。

「憂き人の慰め」。肉体的にも精神的にも苦しんでいる人々はみな、聖母のところへ行けば恩寵を見いだすでしょう。癒やしの恩寵を、十字架につけられた私たちの主イエズス・キリストと一致して自分の苦しみを耐え忍ぶ恩寵を、慰めと力強さの恩寵を。

「キリスト信者の助け」。子どもはいつもその母親を呼び求めることができます。子どもは母親が自分を見捨てるつもりがないことを知っているからです。聖母はすべての母親の中で最高の母親です。ですから聖母はご自分を呼び求めるすべての人々をお見捨てになることはなく、むしろ急いで助けに来てくださいます。キリスト教世界には、この称号あるいは別の似た称号の聖母に捧げられた多くの聖堂があります。聖母の御取り次ぎによって、その聖堂で特別な御助けが与えられたからです。

「天使の元后、太祖の元后、預言者の元后、使徒の元后、殉教者の元后、証聖者の元后、童貞者の元后、諸聖人の元后」。これらの美しい聖人たちはみな、いやむしろ全ての聖人たちが、主に対する聖母の地位の優越性のゆえに、聖母を元后、女王として敬っています。旧約においては、女王である人は王の妻ではなく(王には通常何人も妻がいました)、ソロモンの母のように、むしろ王の母でした(列王の書上2章19節参照)。聖書は、私たちの主イエズス・キリストの先祖であり、自身が「ダヴィドの子ら」であったユダの王たちの母全員に言及していますが、これは彼女らがみな、あのダヴィドの子(キリスト)の母、諸聖人の元后の前表だったからです。聖母は、王である私たちの主イエズス・キリストの母であるがゆえに女王でいらっしゃるのです。

特に聖母が太祖の元后でいらっしゃるのは、聖母がキリストの先祖のうちで最後にして最も優れた先祖、すぐ前の先祖、その御母その人でいらっしゃるからです。最も優れた太祖たち、アブラハムとダヴィドに対しては、キリストは彼らの「子孫」であるという約束が与えられました。この「子孫」は、聖パウロが記すように単数形であり、預言が当てはまるのはヘブライの民全体に対してではなく、キリストに対してなのです。さて、聖母は「イェッセの根から出る枝」、すなわちアブラハムとダヴィドの長く続く子孫たちから出る新芽であり、ついにそこにキリストという花が咲いたのです。

聖母が預言者の元后でいらっしゃるのは、預言者の多くが聖母について預言したからです。
聖母が使徒の元后でいらっしゃるのは、使徒たちが聖母を知り、聖母を私たちの主に次ぐキリスト教徒の最も完全な模範として、自分たちの母として尊敬していたからです。実際、私たちがその次の世紀に見いだすのは、教父たちが、例えば聖イレネオが聖母を新しいエバとして提示していることです。彼はこの教えを聖ポリカルポから学んだに違いないのであり、聖ポリカルポ自身はそれを、童貞聖マリアを(主から)委ねられた使徒聖ヨハネから学んだのです。

聖母が殉教者の元后となられたのは、死に至るまで素晴らしい剛毅の模範として、とりわけ十字架の下にたたずんでおられたからです。
聖母が証聖者の元后、すなわち卓越した英雄的な生涯によって主のことを証しした諸聖人の元后でいらっしゃるのは、聖母の生涯がそれら諸聖人すべての生涯よりもさらに完全なものであったからです。
聖母が非常に特別な意味で童貞者の元后とされるのは、聖母が最も完全に無垢であり、つまり聖母が汚れなきお方であるからなのです!

「原罪なく宿りし元后」。これは聖母の並外れた特権であり、そのため聖母は他のすべての聖人をはるかに超えた地位におられます。この称号は、私たちの主イエズス・キリストの恩寵が私たちにも必要であることを思い出させるものです。私たちの本性には、生まれたときから持っている原罪による傷があるのですから。

「被昇天の元后」。聖母だけが、世の終わりの前に、体と霊魂を天に上げられたのです。聖母の生涯の終わりにおけるこの特権は、聖母の生涯の始まりにおける無原罪の御宿りという特権に対応しているのです。

「いと尊きロザリオの元后」。ロザリオは、聖母への信心の素晴らしい手段であり、聖母が聖ドミニコにお与えになったもので、数えきれないほどの世代にわたって信者を聖化してきました。聖母はロザリオによって、聖母の汚れなき御心への信心を再び確立され、そうして世の回心の恩寵を獲得されます。

「平和の元后」。聖母は地上に平和をもたらしてくださいますが、そのうえ私たちを天国での永遠の平和へと導いてくださいます。

聖母の汚れなき御心への信心を確立することによって、マリア様の統治を通じて私たちの主イエズス・キリストの統治が到来しますように! アーメン!



聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。

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