アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年5月7日 秋田巡礼にて シュテーリン神父様の提案するロザリオの黙想をご紹介いたします。
【無原罪の聖母の騎士誌】
無原罪の聖母の騎士誌 第1号
無原罪の聖母の騎士誌 第2号
【ニュース】
アジア管区のニュースレター「アポストル」第44号ができました。ここです。どうぞご覧下さい。Apostle No 44
【2017年ファチマ・ローマ巡礼】
「ファティマとローマへの聖ピオ十世会国際巡礼 2017」についてのご案内は、こちらをご覧下さい。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
栄えの玄義黙想(2016年5月7日 秋田巡礼にて シュテーリン神父様)
同時通訳:小野田圭志神父
『栄えの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、主の復活し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて信仰の徳を乞い願わん。』
御受難の後に復活されたイエズス・キリストを受けたのは、まず最初にマリア様でした。イエズス・キリストが御体で受けた御受難を全て、マリア様は心で受けました。十字架のもとで、人類の受けるべき全ての苦しみをマリア様は、イエズス様と共に受けたからです。十字架のふもとでマリア様だけが、イエズス・キリスト様に最後まで忠実でした。マリア様だけがイエズス様のもとに霊的に一致していました。他の者が皆イエズス・キリストを疑い、信仰を失った時でさえも、マリア様だけはイエズス様に対する信仰を守りました。マリア様は疑った時が1つもありませんでした。マリア様はイエズス様が真の天主である、救い主である、という事をはっきりと確信していました。
イエズス・キリストが死者の内から復活するこの夜が来ました。御体はもはや傷だらけとなり、聖心は槍にて貫かされていた時、今突然イエズス様は復活して喜びに満ち、命に満ち、復活されます。傷はただ傷跡としてのみ残ります。この傷痕はもはや傷ではなく、光の源となります。
「私は復活であり、命である。」イエズス・キリストに於いて全ては、命を与える命です。この偉大な栄光において、イエズス様はマリア様に現れます。私たちは深い深い尊敬の念と、深い敬畏を以ってイエズス様とマリア様のこの出会いを目撃致します。イエズス様はマリア様のその忠実に、その信仰に報いを与え、そしてマリア様に喜びを与えます。
マリア様になさったのと同じように私たちにもイエズス様は、もしも私たちがイエズス様に忠実であるならば、最後まで忠実であるならば、報いを下さるでしょう。
この巡礼は、私たちの信仰を深めるという目的があります。私たちの主イエズス・キリストは救い主であり、天主であり、マリア様は私たちの母である、という事を確信する目的があります。
「あぁイエズスよ、マリア様、秋田の聖母よ、私の貧しい信仰を強めて下さい。」
『栄えの玄義 第2玄義:この一連を捧げて、主の昇天し給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて天国の福楽を深く望む心を乞い願わん。』
マリア様は私たちに天主の憐れみを下さります。特に、私たちにとって最も大切な臨終の時に。秋田のマリア様、そしてマリア様の御涙も同じメッセージを私たちに告げています。最も大切なのは、地獄の門が閉ざされ、天国の門が大きく開かれるという事です。イエズス様が天に上がった時に、「天に私たちの場所を準備しに行く」と約束されました。つまり私たち一人ひとりそれぞれの為に、終わりない命の喜びを準備しに行かれたという事です。
しかし私たちがその場所に到達する為には、どうしてもマリア様が必要です。ですからマリア様は、天主様の御恵みを全て携えて私たちの元にやって来ます。そして私たちが地獄の大きな道を駆け下っているのを見つけて、この場所にやって来ます。私たちがもしもこの世の喜びに身を委ねてしまっているならば、間違っている道に走っています。だからマリア様は涙を流しておられます。ですからマリア様は「償いをするように」と呼びかけています。ですからマリア様は、どれほど罪が天主を犯しているのかという事を思い出させ、ですからどれほど恐ろしい罰が待っているかという事を思い出させます。
しかしマリア様の御言葉を聞く子供を見つけると、御母としてマリア様はどれほどお喜びでしょうか。マリア様に従順である子供を見つけると、どれほど喜ばれる事でしょうか。もしもこの子供がマリア様にその小さな手を差し出すのなら、どれほど喜ばれるでしょうか。もしも私たちが手を少しでも差し伸べれば、マリア様はその手をとって天国まで必ず連れて行って下さいます。マリア様は罪と地獄に対する恐れを与えてくれます。と同時に、天国に対する大きな望みを与えてくれます。この御恵みを今乞い求めましょう。
『栄えの玄義 第3玄義:この一連を捧げて、聖霊の降臨し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて聖霊の賜物を乞い願わん。』
私たちの主イエズス・キリストは、聖霊の事を「慰め主」と言いました。「慰める」という事は、誰か苦しみ、或いは悲しみ、或いは困難な状況にいる人を「助ける」という事です。孤独、或いは寂しい人を慰めます。
私たちの担いでいる十字架がますます重く感じられる時に、私たちは慰めが必要です。聖霊が来たり給うという時に、イエズス様は非常に深い言葉を使われました、「私はお前たちに慰め主を送ろう。慰め主が来ると彼は、お前たちに全ての真理を教えて下さるだろう。」つまり慰める人は、「真理を教える」という事です。
全ての真理とは何でしょうか?
つまり、「唯一の本当の真の天主と、その憐れみを教える」事です。言葉でえも言うこともできない、その無限の天主の愛の事です。
また全ての真理とは、「私たちが無であり、何でもなく、そして罪深い、全く何でも価値の無いものである」という事実です。
全ての真理とは、「この無限の善である天主が、無である私たちの罪人の元にやって来て、この泥の中からそれを救い出し、永遠の幸せに運び出す。」これが真理です。
全ての真理というのは、「この地上での生活はあっという間に終わってしまう、瞬く間に終わってしまう一瞬のものであって、その永遠の為の準備の期間であって、後には永遠の喜びが待っている」という事です。
マリア様が御出現になった所はどこでも、また特に秋田のマリア様では、私たちは慰めを頂く為にやって来ました。私たちはマリア様の元に、私たちの持っている悲しみ、苦しみ、不安、心配を全て持ってきました。私たちの病気、病、十字架を持ってきました。この家族の問題、国の問題をマリア様の元に持ってきました。
私たちがもしもマリア様を信じるならば、マリア様は私たちに心に慰めを下さいます。何故ならば、聖霊はその浄配であるマリア様に、慰める力を与えたからです。
「あぁマリア様、ですから私たちは御元にやって来ました。御身の開いた両手は私たちをいつも招いておられます。」
「あぁ私の苦しむ子供たちよ、私の御心にいらっしゃい。私の心に抱きしめてあげましょう。そしてあなたを慰め、力付けてあげましょう。」
『栄えの玄義 第4玄義:この一連を捧げて、聖母の被昇天を黙想し、その御取次ぎによりて善き終わりを遂ぐる恵みを乞い願わん。』
今朝黙想したように、マリア様がこの地上を離れ、天主の元に発ち行かれるその時がやって来ました。マリア様のこの地上での生涯の最後の瞬間は、最も偉大な愛の瞬間であり、最も深い謙遜の瞬間でした。何故ならば、マリア様はご生涯の間常にご謙遜だったからです。マリア様がこの地上を離れ、この霊魂が天へと上げられる時に、そのマリア様の心には自分の事は一切なく、ただ単に天主の事だけで、その愛で燃え上がっていました。このマリア様の燃える愛の火はあまりにも大きく、肉体はその霊魂を肉体の内に留めておく事はできないほどでした。そこでマリア様はこの地上を離れ、天国に上ります。
マリア様はファチマで、またルルドで、秋田で、何を私たちに教えて下さるでしょうか?
マリア様は1つの事を教えてくれます。「私たちの人生の毎日毎日、1つの事だけをしなければならない」と。それは、「私たちが愛において成長する事ができるように、マリア様がそうする事ができるように許す」という事です。
私たちの体は常に年を取りつつ、そして死に近づきます。この地上で私たちが関心を持っている、こう私たちの心を惹くようなものは全て失われます。私たちの美もなくなります。健康もなくなります。力もなくなります。私たちの影響力もなくなります。死に近づく時に私たちは全てを失います。しかしこれら全て、成長する為の手段です。
「私たちの健康が、肉体の健康がなくなったとしても、マリア様、私はこの苦しみを御身に捧げます。」「私の美しさがなくなります。でも関係ありません。御身こそが私の美しさです。」「死がもうすぐやって来ます。しかし構いません。何故ならば、死は永遠の命の始まりですから。」
「御母マリア様、天地の元后よ、私が愛に於いて成長する事ができるように助けて下さい、それを許して下さい。毎日少しでも少しずつ多く、天主を愛する事ができるようにさせて下さい。」
天主を愛するとは、天主の聖心に適う、天主を喜ばせるという事です。天主を幸せにする事です。そして悲しませない事です。或いはより少なく悲しませる事です。
「御母マリア様、私が隣人愛において成長するのを助けて下さい。私たちの隣人の永遠の救霊、永遠の幸せの事に心を砕く事ができますように、心配する事ができますように。汚れなき御手における良き、ますます良い道具とさせて下さい。御身が私を使って、回心と聖化の御恵みを霊魂たちに伝える事ができますように。そうすると私も、『死』に良い平穏な心で顔を向ける事ができます。」聖なる死をお祈り致しましょう。
『栄えの玄義 第5玄義:この一連を捧げて、聖母が天使と人類との元后に立てられ給いしを黙想し、その御取次ぎによりて永福の冠を乞い願わん。』
この天と地の元后としての戴冠式は、一度だけ起こった事ではありません。これは天国に於けるマリア様の永遠の凱旋です。これは何を意味しているでしょうか?
私たちがこの地上である事は全て、マリア様は天国で完全に持っておられるという事です。そして私たちのその天国に発つその瞬間を待っているという事です。マリア様は私たちが永遠の喜びに達するのを待っておられます。
マリア様は私たちの母であり、私たちはマリア様の子供です。でもまだ良い子供ではありません。忠実な子供でもありません。私たちはよく頻繁に悪い子供でもあります。天国に行けばマリア様は本当に私たちの良き母となって、私は本当に良い子供となります。永遠において、マリア様がお持ちのものは全て私に下さる事ができるようになります。最高の母であるマリア様から、天主様の全ての宝を、私は全て天国で受ける事ができるようになります。
マリア様は今、私たちの母であり元后です。私はマリア様の騎士であり兵士であります。何と弱々しい兵士でしょうか。よくこの戦いから逃げてしまっています。本当に怠慢で、マリア様の命令を実行するのにあまりにも不熱心です。でも天国に行けばマリア様は、本当に完全に私の女王様となります。そして私はマリア様の大勝利に参与します。永久に私たちの敵は破壊尽くされ、敗北を期します。悪魔はもういません。もう罪はあり得ません。暗闇も落胆も何もありません。問題も涙も悲しみもありません。愛の王国が永久に始まります。
マリア様はこの事をとても望んでおられるので、もう天国でただ単に待っているだけではできませんでした。マリア様は奇蹟を以って、「私はあなた達と一緒にいますよ」と教えてくれます。
マリア様は言います、「あぁこの場所に於いては、少なくともここに於いては、私があなたの母であるという事を許して下さい。もっと母であるという事を許して下さい。ここに於いてあなたを、あなたの女王としてあなたを導くのを許して下さい。そしてここではあなたは我が子よ、我が兵士よ、我が騎士よ、我が臣下よ、私にもう少し忠実であって下さい。」
聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年5月7日 秋田巡礼にて シュテーリン神父様の提案するロザリオの黙想をご紹介いたします。
【無原罪の聖母の騎士誌】
無原罪の聖母の騎士誌 第1号
無原罪の聖母の騎士誌 第2号
【ニュース】
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【2017年ファチマ・ローマ巡礼】
「ファティマとローマへの聖ピオ十世会国際巡礼 2017」についてのご案内は、こちらをご覧下さい。
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トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
栄えの玄義黙想(2016年5月7日 秋田巡礼にて シュテーリン神父様)
同時通訳:小野田圭志神父
『栄えの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、主の復活し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて信仰の徳を乞い願わん。』
御受難の後に復活されたイエズス・キリストを受けたのは、まず最初にマリア様でした。イエズス・キリストが御体で受けた御受難を全て、マリア様は心で受けました。十字架のもとで、人類の受けるべき全ての苦しみをマリア様は、イエズス様と共に受けたからです。十字架のふもとでマリア様だけが、イエズス・キリスト様に最後まで忠実でした。マリア様だけがイエズス様のもとに霊的に一致していました。他の者が皆イエズス・キリストを疑い、信仰を失った時でさえも、マリア様だけはイエズス様に対する信仰を守りました。マリア様は疑った時が1つもありませんでした。マリア様はイエズス様が真の天主である、救い主である、という事をはっきりと確信していました。
イエズス・キリストが死者の内から復活するこの夜が来ました。御体はもはや傷だらけとなり、聖心は槍にて貫かされていた時、今突然イエズス様は復活して喜びに満ち、命に満ち、復活されます。傷はただ傷跡としてのみ残ります。この傷痕はもはや傷ではなく、光の源となります。
「私は復活であり、命である。」イエズス・キリストに於いて全ては、命を与える命です。この偉大な栄光において、イエズス様はマリア様に現れます。私たちは深い深い尊敬の念と、深い敬畏を以ってイエズス様とマリア様のこの出会いを目撃致します。イエズス様はマリア様のその忠実に、その信仰に報いを与え、そしてマリア様に喜びを与えます。
マリア様になさったのと同じように私たちにもイエズス様は、もしも私たちがイエズス様に忠実であるならば、最後まで忠実であるならば、報いを下さるでしょう。
この巡礼は、私たちの信仰を深めるという目的があります。私たちの主イエズス・キリストは救い主であり、天主であり、マリア様は私たちの母である、という事を確信する目的があります。
「あぁイエズスよ、マリア様、秋田の聖母よ、私の貧しい信仰を強めて下さい。」
『栄えの玄義 第2玄義:この一連を捧げて、主の昇天し給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて天国の福楽を深く望む心を乞い願わん。』
マリア様は私たちに天主の憐れみを下さります。特に、私たちにとって最も大切な臨終の時に。秋田のマリア様、そしてマリア様の御涙も同じメッセージを私たちに告げています。最も大切なのは、地獄の門が閉ざされ、天国の門が大きく開かれるという事です。イエズス様が天に上がった時に、「天に私たちの場所を準備しに行く」と約束されました。つまり私たち一人ひとりそれぞれの為に、終わりない命の喜びを準備しに行かれたという事です。
しかし私たちがその場所に到達する為には、どうしてもマリア様が必要です。ですからマリア様は、天主様の御恵みを全て携えて私たちの元にやって来ます。そして私たちが地獄の大きな道を駆け下っているのを見つけて、この場所にやって来ます。私たちがもしもこの世の喜びに身を委ねてしまっているならば、間違っている道に走っています。だからマリア様は涙を流しておられます。ですからマリア様は「償いをするように」と呼びかけています。ですからマリア様は、どれほど罪が天主を犯しているのかという事を思い出させ、ですからどれほど恐ろしい罰が待っているかという事を思い出させます。
しかしマリア様の御言葉を聞く子供を見つけると、御母としてマリア様はどれほどお喜びでしょうか。マリア様に従順である子供を見つけると、どれほど喜ばれる事でしょうか。もしもこの子供がマリア様にその小さな手を差し出すのなら、どれほど喜ばれるでしょうか。もしも私たちが手を少しでも差し伸べれば、マリア様はその手をとって天国まで必ず連れて行って下さいます。マリア様は罪と地獄に対する恐れを与えてくれます。と同時に、天国に対する大きな望みを与えてくれます。この御恵みを今乞い求めましょう。
『栄えの玄義 第3玄義:この一連を捧げて、聖霊の降臨し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて聖霊の賜物を乞い願わん。』
私たちの主イエズス・キリストは、聖霊の事を「慰め主」と言いました。「慰める」という事は、誰か苦しみ、或いは悲しみ、或いは困難な状況にいる人を「助ける」という事です。孤独、或いは寂しい人を慰めます。
私たちの担いでいる十字架がますます重く感じられる時に、私たちは慰めが必要です。聖霊が来たり給うという時に、イエズス様は非常に深い言葉を使われました、「私はお前たちに慰め主を送ろう。慰め主が来ると彼は、お前たちに全ての真理を教えて下さるだろう。」つまり慰める人は、「真理を教える」という事です。
全ての真理とは何でしょうか?
つまり、「唯一の本当の真の天主と、その憐れみを教える」事です。言葉でえも言うこともできない、その無限の天主の愛の事です。
また全ての真理とは、「私たちが無であり、何でもなく、そして罪深い、全く何でも価値の無いものである」という事実です。
全ての真理とは、「この無限の善である天主が、無である私たちの罪人の元にやって来て、この泥の中からそれを救い出し、永遠の幸せに運び出す。」これが真理です。
全ての真理というのは、「この地上での生活はあっという間に終わってしまう、瞬く間に終わってしまう一瞬のものであって、その永遠の為の準備の期間であって、後には永遠の喜びが待っている」という事です。
マリア様が御出現になった所はどこでも、また特に秋田のマリア様では、私たちは慰めを頂く為にやって来ました。私たちはマリア様の元に、私たちの持っている悲しみ、苦しみ、不安、心配を全て持ってきました。私たちの病気、病、十字架を持ってきました。この家族の問題、国の問題をマリア様の元に持ってきました。
私たちがもしもマリア様を信じるならば、マリア様は私たちに心に慰めを下さいます。何故ならば、聖霊はその浄配であるマリア様に、慰める力を与えたからです。
「あぁマリア様、ですから私たちは御元にやって来ました。御身の開いた両手は私たちをいつも招いておられます。」
「あぁ私の苦しむ子供たちよ、私の御心にいらっしゃい。私の心に抱きしめてあげましょう。そしてあなたを慰め、力付けてあげましょう。」
『栄えの玄義 第4玄義:この一連を捧げて、聖母の被昇天を黙想し、その御取次ぎによりて善き終わりを遂ぐる恵みを乞い願わん。』
今朝黙想したように、マリア様がこの地上を離れ、天主の元に発ち行かれるその時がやって来ました。マリア様のこの地上での生涯の最後の瞬間は、最も偉大な愛の瞬間であり、最も深い謙遜の瞬間でした。何故ならば、マリア様はご生涯の間常にご謙遜だったからです。マリア様がこの地上を離れ、この霊魂が天へと上げられる時に、そのマリア様の心には自分の事は一切なく、ただ単に天主の事だけで、その愛で燃え上がっていました。このマリア様の燃える愛の火はあまりにも大きく、肉体はその霊魂を肉体の内に留めておく事はできないほどでした。そこでマリア様はこの地上を離れ、天国に上ります。
マリア様はファチマで、またルルドで、秋田で、何を私たちに教えて下さるでしょうか?
マリア様は1つの事を教えてくれます。「私たちの人生の毎日毎日、1つの事だけをしなければならない」と。それは、「私たちが愛において成長する事ができるように、マリア様がそうする事ができるように許す」という事です。
私たちの体は常に年を取りつつ、そして死に近づきます。この地上で私たちが関心を持っている、こう私たちの心を惹くようなものは全て失われます。私たちの美もなくなります。健康もなくなります。力もなくなります。私たちの影響力もなくなります。死に近づく時に私たちは全てを失います。しかしこれら全て、成長する為の手段です。
「私たちの健康が、肉体の健康がなくなったとしても、マリア様、私はこの苦しみを御身に捧げます。」「私の美しさがなくなります。でも関係ありません。御身こそが私の美しさです。」「死がもうすぐやって来ます。しかし構いません。何故ならば、死は永遠の命の始まりですから。」
「御母マリア様、天地の元后よ、私が愛に於いて成長する事ができるように助けて下さい、それを許して下さい。毎日少しでも少しずつ多く、天主を愛する事ができるようにさせて下さい。」
天主を愛するとは、天主の聖心に適う、天主を喜ばせるという事です。天主を幸せにする事です。そして悲しませない事です。或いはより少なく悲しませる事です。
「御母マリア様、私が隣人愛において成長するのを助けて下さい。私たちの隣人の永遠の救霊、永遠の幸せの事に心を砕く事ができますように、心配する事ができますように。汚れなき御手における良き、ますます良い道具とさせて下さい。御身が私を使って、回心と聖化の御恵みを霊魂たちに伝える事ができますように。そうすると私も、『死』に良い平穏な心で顔を向ける事ができます。」聖なる死をお祈り致しましょう。
『栄えの玄義 第5玄義:この一連を捧げて、聖母が天使と人類との元后に立てられ給いしを黙想し、その御取次ぎによりて永福の冠を乞い願わん。』
この天と地の元后としての戴冠式は、一度だけ起こった事ではありません。これは天国に於けるマリア様の永遠の凱旋です。これは何を意味しているでしょうか?
私たちがこの地上である事は全て、マリア様は天国で完全に持っておられるという事です。そして私たちのその天国に発つその瞬間を待っているという事です。マリア様は私たちが永遠の喜びに達するのを待っておられます。
マリア様は私たちの母であり、私たちはマリア様の子供です。でもまだ良い子供ではありません。忠実な子供でもありません。私たちはよく頻繁に悪い子供でもあります。天国に行けばマリア様は本当に私たちの良き母となって、私は本当に良い子供となります。永遠において、マリア様がお持ちのものは全て私に下さる事ができるようになります。最高の母であるマリア様から、天主様の全ての宝を、私は全て天国で受ける事ができるようになります。
マリア様は今、私たちの母であり元后です。私はマリア様の騎士であり兵士であります。何と弱々しい兵士でしょうか。よくこの戦いから逃げてしまっています。本当に怠慢で、マリア様の命令を実行するのにあまりにも不熱心です。でも天国に行けばマリア様は、本当に完全に私の女王様となります。そして私はマリア様の大勝利に参与します。永久に私たちの敵は破壊尽くされ、敗北を期します。悪魔はもういません。もう罪はあり得ません。暗闇も落胆も何もありません。問題も涙も悲しみもありません。愛の王国が永久に始まります。
マリア様はこの事をとても望んでおられるので、もう天国でただ単に待っているだけではできませんでした。マリア様は奇蹟を以って、「私はあなた達と一緒にいますよ」と教えてくれます。
マリア様は言います、「あぁこの場所に於いては、少なくともここに於いては、私があなたの母であるという事を許して下さい。もっと母であるという事を許して下さい。ここに於いてあなたを、あなたの女王としてあなたを導くのを許して下さい。そしてここではあなたは我が子よ、我が兵士よ、我が騎士よ、我が臣下よ、私にもう少し忠実であって下さい。」
聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。