アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年5月6日 秋田巡礼にて シュテーリン神父様の提案するロザリオの黙想をご紹介いたします。
栄えの玄義黙想(2016年5月6日 秋田巡礼にて シュテーリン神父様)
同時通訳:小野田圭志神父
『栄えの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、主の復活し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて信仰の徳を乞い願わん。』
天主の憐れみは無限です。しかしこの地上では、天主の憐れみは与えるには制限があります。何故ならば、この地上では全てのものは不完全であって、罪の汚れに汚れているからです。しかし天に於いては、天主の聖心は限りなく大きく開かれる事ができます。
天国では、私たちの全くの無を全て満たす事ができます。そのようなものが存在しうるという事も全く想像も考えもつかないような喜びが、天国に於いて与えられるでしょう。
天主の御憐れみが本当に何かは、栄えの玄義において表れます。
第1玄義においては、憐れみの勝利が、凱旋が表れます。
悪に打ち勝つのは、技術でもなければ、力でもなければ、能力でもありません。極みまで終わりなく続く愛であり、憐れみです。
復活の主日のその夜、イエズス・キリストが御復活されたその時、天主の最高の憐れみを受けました。主の御体は死んでいました。この体はすでにただ1つの傷だらけとなっていました。このキリストの死体はもう粉々になっていました。復活のその瞬間、イエズス様の霊魂は御肉体と合体し、また命を戻します。突然体が変化します。死んでいたイエズス様の御体は今、復活して生き始めます。かつて暗闇の勝利があったところに、光の勝利が存在します。
これが天主の憐れみであり、その聖心の宝の勝利です。天主の宝が、死んだ体に入り込みました。主はこうも言っています、「私は復活である。」何故ならイエズス様の復活は、私たちの復活を予告するものだからです。
私たちは、「死の屈辱」という事が何か知っています。私たちの体は腐敗します。私たちの罪の罰として。私たちの体は肉体は塵に戻ります。私たちの主はいつの日かまたもう一度やって来られます。私たちはその時に死者から復活します。私たちの主イエズス・キリストにいつも忠実である恵みを乞い求めましょう。という事は、その御母マリア様に忠実であるという事です。
そうしてイエズス様の屈辱に参与する事によって、栄光にも参与する事ができるからです。皆さんが今、イエズス様の苦しみに参与するように、そして死に参与するように、それと同じように私たちは、イエズス様の復活と栄光に参与するのです。
『栄えの玄義 第2玄義:この一連を捧げて、主の昇天し給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて天国の福楽を深く望む心を乞い願わん。』
この昇天の日にはこの玄義を黙想します。御昇天の後、使徒たちは聖なるノベナ九日間の祈りをして、聖霊の来たり給うのを待ち望みました。彼らはマリア様の周りを取り囲みました。ちょうどマリア様が今、御像で何もお話しにならないように、マリア様は何も仰りませんでした。しかしマリア様は準備の中央に真ん中におられました。
イエズス・キリストがどなたかを理解する為には、マリア様を見るだけで十分でした。マリア様の御眼を拝見するだけで イエズス様の眼を見る事ができました。イエズス様の聖なる聖心を見つけ出すには、マリア様の御心に隠れる事で十分でした。
今日この最後の晩餐の高間で祈りをしている、マリア様を中心にお祈りしている弟子たちを見てください。ちょうどこの時にかつて使徒たちにマリア様が仰ったように、今日秋田でも皆さんに、マリア様は同じ事を仰っています、「ご覧なさい、御子は今天に昇られました。」昨日私たちは、イエズス様が昇天した時に多くの義人たちを連れて天国に凱旋したのを見ました。霊的に私たちは、天国で天使たちが喜び踊るのを見ました。永遠の王である主が天国に入るのを拝見しました。
マリア様は言葉を続けて言います、「ご覧なさい、我が子はあなたたちの為に、あなたの為にも、天国に場所を準備していますよ。私はここに留まって、あなたを天国に、あなたの場所に導く為にここに留まっています。この黄金の玉座の所にあなたを連れて行く為に。この黄金の玉座はまだ今空席であなたを待っていますよ。黄金の文字であなたの名前が書かれていますよ。あなたの守護の天使はこの玉座にあなたが座るのを待っていますよ。私に信頼しなさい。私が天からこの地に来たのは、その理由をよく分かっていますね。私はあなたの母です。お前の手を下さい。私はお前を天国に連れて行きましょう。私と共ならば何も恐れる必要はありません。私と一緒になら必ず勝利します。しかしいつもあなたの目の前に、御子によって準備された永久黄金の玉座を、いつも目の前に置いていなければなりません。」
「あぁ秋田のマリア様、天の元后よ、どうぞ私に天国をひたすら望む心を与えてください。この世はあっという間に過ぎ去ってしまう事を悟らせて下さい。悪しき情欲から私を取り離して下さい。私の手を取って下さい。私がどこかに行ってしまうのを許さないで下さい。」
『栄えの玄義 第3玄義:この一連を捧げて、聖霊の降臨し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて聖霊の賜物を乞い願わん。』
マリア様は説明します、「聖霊が降臨された時には、使徒たちを愛の光と愛の火で満たすだろう」と。
「その時には1つの場所を見つけるでしょう。その場所に、その聖霊の場所に、愛を、全てを与えてください。何故ならば聖霊は、天主聖父と聖子の賜物であるからです。」
私たちが想像も及ばない賜物であって、贈り物であって、天主御自身です。天主の聖心の全ての宝です。天主の憐れみそれ自体です。天主が天主としてできる限り、際限もなく、できる限り終わりなく、この贈り物をこの賜物を与えたいと望んでいます。
しかし、私たちはそれを受けるに準備ができていません。この賜物は、「与えられたい」と思うのに、私たちのドアは固く閉ざされています。永遠の愛は、その賜物をカリスの中に注がれようとしているのですが、このカリスは汚物でいっぱいです。私たちの限度に従って、私たちの準備に従ってのみ天主は、この無限の賜物を部分的にしか与える事ができません。
しかし1つだけこのような心が存在します。この1つの心は天主に全く開かれていて、全人類の歴史上初めて、それが唯一、天主の賜物を受けた心でした。これには何の障害もありませんでした。罪も全くありません。ためらいもありません。ゴミもありません。全く天主に開かれて、全く空っぽになっています。純粋です。そして無原罪で汚れがありません。
そのこの心に、聖父と聖子から発出した聖霊が全くこれを満たすのです。全ての賜物によってこの心を満たします。天主の賜物の充満が与えられます。天主御自身によって。これが無原罪の聖母です。これがマリア様です。
今私たちの目の前で、この無原罪のマリア様は手を大きく広げています。何故なら聖霊は、マリア様の所で留まっているのを望まずに、マリア様を通して私たちへと来たいと、お恵みを与えたいと思っているからです。
「あぁ聖霊よ、私が御身を受け奉るのは、無原罪の聖母インマクラータを通してのみです。聖霊よ、無原罪の聖母インマクラータを通してのみ、私は聖徳と愛を受ける事ができます。聖霊よ、インマクラータを通してのみ、私は光と力を受ける事ができます。マリア様がいらっしゃる所には御身も在す。私はマリア様の前で跪きます。それは聖霊を受ける為です。そしてマリア様を通して罪の赦しを頂きます。マリア様を通して良き助言を頂きます。マリア様を通して聖霊は、私たちの絶え間ない助け手であります。マリア様に於いてのみ、聖霊は御身は慰め主です。また罪人の拠り所です。そして永遠の愛であります。」
『栄えの玄義 第4玄義:この一連を捧げて、聖母の被昇天を黙想し、その御取次ぎによりて善き終わりを遂ぐる恵みを乞い願わん。』
この地上で私たちの御母は泣き続けておられます。これは「マリア様が贖いの業に参与している」という事のシンボルです。ミサ聖祭において、イエズス・キリスト様がその祭壇において、御自分の十字架のいけにえをいつも捧げ続けているように、マリア様も十字架のもとに佇み、涙を流し続けておられます。
第2のアダムは第2のエヴァと共に、この世の終わりまで苦しみを捧げ続けるのです。
そして全く言い尽くす事のできない神秘によって イエズス・キリスト様は今天国におられ、マリア様と共に天国におられます。天国ではイエズス様とマリア様だけが栄光の肉体を持っておられます。何故ならば、イエズス様は昨日天に昇天されたからです。そしてマリア様は8月15日に、霊魂と肉体を共に天に上げられたからです。マリア様は今この現在この瞬間、何億何兆もの天使たちの間に囲まれているのです。そしてイエズス様と共にマリア様は全ての天使たちの喜びの源となっています。
そしてその中に於いてもそうであるにもかかわらず、マリア様はこの地秋田に来られて、私たちのもとにやって来て、両手を広げてこう言います、「我が子よ、覚えなさい、私は今天国にいますよ。私の周りにいる全ての天使、全ての聖人たちは皆幸せです。皆一緒にあなたを待っていますよ。」
「マリア様、御身は何千何万もの大聖人たちに囲まれて喜びの中にいるのに、私のような無に等しい私を思い出して下さるのですか?」
マリア様はこう答えます、「もしもこの今地上にいる全ての良い母親の心を一緒に皆一つに集めたとしても、そして天国にいる全ての良い母親たちの心を集めたとしても、そしてその全ての良い母が心を合わせてたった1人の子供を愛したとしても、私はこうはっきりと宣言します、『それよりも私はあなたをもっと愛しています。』 私はあなたの事を忘れる事ができません。私はあなたの母です。私はあなたの後をいつも追って行きます。私はあなたにたくさんの幸せを与えたくて待っています。」
「あぁ秋田のマリア様、私がこの事を、この地上での生活でこの死を以て全てが終わりではない、という事を忘れないように助けてください。この世の全ての事は死に導いています。この世の全てのものは腐ってしまいます。ちょうど美しい花々のようです。あぁ、美しい花々もしばらく後にはあとは捨て去られてしまわなければなりません。たとえ美しい花々も、後には汚くなって汚れて臭くなります。」
「だからおぉ我が子よ、この地上から目を離して私の方を見なさい。私はいつも新鮮な花です。私の所に来るならば、いつも命があります。私の方に来るならば、天国が待っています。この世が与える事ができない喜びを以て、あなたを慰めてあげましょう。」
『栄えの玄義 第5玄義:この一連を捧げて、聖母が天使と人類との元后に立てられ給いしを黙想し、その御取次ぎによりて永福の冠を乞い願わん。』
私は御身が戦いの真最中にいらっしゃるという事を知っています。今現在ほどその戦いが非常に険しい事がありませんでした。しかし戦いが厳しくなればなるほど、勝利が近づいています。しばらく後には永遠が待っています。この戦い、ものすごい戦いはすぐに終わるでしょう。
聖母はこう言います、「私は天地の元后であります。あなたは私の事を天地の元后だと讃美していますね。そしてこのロザリオを唱えながら私の戴冠式に与っています。天国は全て私のものです。天国にはもはや涙も戦いも悲しみもありません。
この地上はほんのつかの間です。このつかの間というのは何百年かも知れません。でも永遠の前では何でもありません。しかし私はあなたに慰めを与える為にこの地にやって来ました。それは『勝利はもうすぐだ』と宣言する為です。
私は約束します。最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。今天国で凱旋をしているように、私に忠実な霊魂たちの心に於いて私は凱旋するでしょう。
私は約束します。悪魔の頭を永遠に永久に踏み砕きます。今はまだ最後の戦いが終わっていないのは、これはあなたが私をますます愛する為です。それはあなたが功徳をますますたくさん積む為です。あなたをますます聖とする為です。そしてますます良くする為です。
だから私はあなたにこの事をお願いします。私に従いなさい。私の事をいつも考えていなさい。いつも軍隊の指揮官を見ている良き兵士となりなさい。そして命令に従いなさい。何故なら、私はすでに勝利しているのですから、私の命令に従えば必ず勝ちます。たとえ朝昼祈っていたとしても、私の命令に従えないなら負けてしまいます。終わりまで忠実でありなさい、そうすれば栄光の冠を受けるでしょう。」
聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年5月6日 秋田巡礼にて シュテーリン神父様の提案するロザリオの黙想をご紹介いたします。
栄えの玄義黙想(2016年5月6日 秋田巡礼にて シュテーリン神父様)
同時通訳:小野田圭志神父
『栄えの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、主の復活し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて信仰の徳を乞い願わん。』
天主の憐れみは無限です。しかしこの地上では、天主の憐れみは与えるには制限があります。何故ならば、この地上では全てのものは不完全であって、罪の汚れに汚れているからです。しかし天に於いては、天主の聖心は限りなく大きく開かれる事ができます。
天国では、私たちの全くの無を全て満たす事ができます。そのようなものが存在しうるという事も全く想像も考えもつかないような喜びが、天国に於いて与えられるでしょう。
天主の御憐れみが本当に何かは、栄えの玄義において表れます。
第1玄義においては、憐れみの勝利が、凱旋が表れます。
悪に打ち勝つのは、技術でもなければ、力でもなければ、能力でもありません。極みまで終わりなく続く愛であり、憐れみです。
復活の主日のその夜、イエズス・キリストが御復活されたその時、天主の最高の憐れみを受けました。主の御体は死んでいました。この体はすでにただ1つの傷だらけとなっていました。このキリストの死体はもう粉々になっていました。復活のその瞬間、イエズス様の霊魂は御肉体と合体し、また命を戻します。突然体が変化します。死んでいたイエズス様の御体は今、復活して生き始めます。かつて暗闇の勝利があったところに、光の勝利が存在します。
これが天主の憐れみであり、その聖心の宝の勝利です。天主の宝が、死んだ体に入り込みました。主はこうも言っています、「私は復活である。」何故ならイエズス様の復活は、私たちの復活を予告するものだからです。
私たちは、「死の屈辱」という事が何か知っています。私たちの体は腐敗します。私たちの罪の罰として。私たちの体は肉体は塵に戻ります。私たちの主はいつの日かまたもう一度やって来られます。私たちはその時に死者から復活します。私たちの主イエズス・キリストにいつも忠実である恵みを乞い求めましょう。という事は、その御母マリア様に忠実であるという事です。
そうしてイエズス様の屈辱に参与する事によって、栄光にも参与する事ができるからです。皆さんが今、イエズス様の苦しみに参与するように、そして死に参与するように、それと同じように私たちは、イエズス様の復活と栄光に参与するのです。
『栄えの玄義 第2玄義:この一連を捧げて、主の昇天し給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて天国の福楽を深く望む心を乞い願わん。』
この昇天の日にはこの玄義を黙想します。御昇天の後、使徒たちは聖なるノベナ九日間の祈りをして、聖霊の来たり給うのを待ち望みました。彼らはマリア様の周りを取り囲みました。ちょうどマリア様が今、御像で何もお話しにならないように、マリア様は何も仰りませんでした。しかしマリア様は準備の中央に真ん中におられました。
イエズス・キリストがどなたかを理解する為には、マリア様を見るだけで十分でした。マリア様の御眼を拝見するだけで イエズス様の眼を見る事ができました。イエズス様の聖なる聖心を見つけ出すには、マリア様の御心に隠れる事で十分でした。
今日この最後の晩餐の高間で祈りをしている、マリア様を中心にお祈りしている弟子たちを見てください。ちょうどこの時にかつて使徒たちにマリア様が仰ったように、今日秋田でも皆さんに、マリア様は同じ事を仰っています、「ご覧なさい、御子は今天に昇られました。」昨日私たちは、イエズス様が昇天した時に多くの義人たちを連れて天国に凱旋したのを見ました。霊的に私たちは、天国で天使たちが喜び踊るのを見ました。永遠の王である主が天国に入るのを拝見しました。
マリア様は言葉を続けて言います、「ご覧なさい、我が子はあなたたちの為に、あなたの為にも、天国に場所を準備していますよ。私はここに留まって、あなたを天国に、あなたの場所に導く為にここに留まっています。この黄金の玉座の所にあなたを連れて行く為に。この黄金の玉座はまだ今空席であなたを待っていますよ。黄金の文字であなたの名前が書かれていますよ。あなたの守護の天使はこの玉座にあなたが座るのを待っていますよ。私に信頼しなさい。私が天からこの地に来たのは、その理由をよく分かっていますね。私はあなたの母です。お前の手を下さい。私はお前を天国に連れて行きましょう。私と共ならば何も恐れる必要はありません。私と一緒になら必ず勝利します。しかしいつもあなたの目の前に、御子によって準備された永久黄金の玉座を、いつも目の前に置いていなければなりません。」
「あぁ秋田のマリア様、天の元后よ、どうぞ私に天国をひたすら望む心を与えてください。この世はあっという間に過ぎ去ってしまう事を悟らせて下さい。悪しき情欲から私を取り離して下さい。私の手を取って下さい。私がどこかに行ってしまうのを許さないで下さい。」
『栄えの玄義 第3玄義:この一連を捧げて、聖霊の降臨し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて聖霊の賜物を乞い願わん。』
マリア様は説明します、「聖霊が降臨された時には、使徒たちを愛の光と愛の火で満たすだろう」と。
「その時には1つの場所を見つけるでしょう。その場所に、その聖霊の場所に、愛を、全てを与えてください。何故ならば聖霊は、天主聖父と聖子の賜物であるからです。」
私たちが想像も及ばない賜物であって、贈り物であって、天主御自身です。天主の聖心の全ての宝です。天主の憐れみそれ自体です。天主が天主としてできる限り、際限もなく、できる限り終わりなく、この贈り物をこの賜物を与えたいと望んでいます。
しかし、私たちはそれを受けるに準備ができていません。この賜物は、「与えられたい」と思うのに、私たちのドアは固く閉ざされています。永遠の愛は、その賜物をカリスの中に注がれようとしているのですが、このカリスは汚物でいっぱいです。私たちの限度に従って、私たちの準備に従ってのみ天主は、この無限の賜物を部分的にしか与える事ができません。
しかし1つだけこのような心が存在します。この1つの心は天主に全く開かれていて、全人類の歴史上初めて、それが唯一、天主の賜物を受けた心でした。これには何の障害もありませんでした。罪も全くありません。ためらいもありません。ゴミもありません。全く天主に開かれて、全く空っぽになっています。純粋です。そして無原罪で汚れがありません。
そのこの心に、聖父と聖子から発出した聖霊が全くこれを満たすのです。全ての賜物によってこの心を満たします。天主の賜物の充満が与えられます。天主御自身によって。これが無原罪の聖母です。これがマリア様です。
今私たちの目の前で、この無原罪のマリア様は手を大きく広げています。何故なら聖霊は、マリア様の所で留まっているのを望まずに、マリア様を通して私たちへと来たいと、お恵みを与えたいと思っているからです。
「あぁ聖霊よ、私が御身を受け奉るのは、無原罪の聖母インマクラータを通してのみです。聖霊よ、無原罪の聖母インマクラータを通してのみ、私は聖徳と愛を受ける事ができます。聖霊よ、インマクラータを通してのみ、私は光と力を受ける事ができます。マリア様がいらっしゃる所には御身も在す。私はマリア様の前で跪きます。それは聖霊を受ける為です。そしてマリア様を通して罪の赦しを頂きます。マリア様を通して良き助言を頂きます。マリア様を通して聖霊は、私たちの絶え間ない助け手であります。マリア様に於いてのみ、聖霊は御身は慰め主です。また罪人の拠り所です。そして永遠の愛であります。」
『栄えの玄義 第4玄義:この一連を捧げて、聖母の被昇天を黙想し、その御取次ぎによりて善き終わりを遂ぐる恵みを乞い願わん。』
この地上で私たちの御母は泣き続けておられます。これは「マリア様が贖いの業に参与している」という事のシンボルです。ミサ聖祭において、イエズス・キリスト様がその祭壇において、御自分の十字架のいけにえをいつも捧げ続けているように、マリア様も十字架のもとに佇み、涙を流し続けておられます。
第2のアダムは第2のエヴァと共に、この世の終わりまで苦しみを捧げ続けるのです。
そして全く言い尽くす事のできない神秘によって イエズス・キリスト様は今天国におられ、マリア様と共に天国におられます。天国ではイエズス様とマリア様だけが栄光の肉体を持っておられます。何故ならば、イエズス様は昨日天に昇天されたからです。そしてマリア様は8月15日に、霊魂と肉体を共に天に上げられたからです。マリア様は今この現在この瞬間、何億何兆もの天使たちの間に囲まれているのです。そしてイエズス様と共にマリア様は全ての天使たちの喜びの源となっています。
そしてその中に於いてもそうであるにもかかわらず、マリア様はこの地秋田に来られて、私たちのもとにやって来て、両手を広げてこう言います、「我が子よ、覚えなさい、私は今天国にいますよ。私の周りにいる全ての天使、全ての聖人たちは皆幸せです。皆一緒にあなたを待っていますよ。」
「マリア様、御身は何千何万もの大聖人たちに囲まれて喜びの中にいるのに、私のような無に等しい私を思い出して下さるのですか?」
マリア様はこう答えます、「もしもこの今地上にいる全ての良い母親の心を一緒に皆一つに集めたとしても、そして天国にいる全ての良い母親たちの心を集めたとしても、そしてその全ての良い母が心を合わせてたった1人の子供を愛したとしても、私はこうはっきりと宣言します、『それよりも私はあなたをもっと愛しています。』 私はあなたの事を忘れる事ができません。私はあなたの母です。私はあなたの後をいつも追って行きます。私はあなたにたくさんの幸せを与えたくて待っています。」
「あぁ秋田のマリア様、私がこの事を、この地上での生活でこの死を以て全てが終わりではない、という事を忘れないように助けてください。この世の全ての事は死に導いています。この世の全てのものは腐ってしまいます。ちょうど美しい花々のようです。あぁ、美しい花々もしばらく後にはあとは捨て去られてしまわなければなりません。たとえ美しい花々も、後には汚くなって汚れて臭くなります。」
「だからおぉ我が子よ、この地上から目を離して私の方を見なさい。私はいつも新鮮な花です。私の所に来るならば、いつも命があります。私の方に来るならば、天国が待っています。この世が与える事ができない喜びを以て、あなたを慰めてあげましょう。」
『栄えの玄義 第5玄義:この一連を捧げて、聖母が天使と人類との元后に立てられ給いしを黙想し、その御取次ぎによりて永福の冠を乞い願わん。』
私は御身が戦いの真最中にいらっしゃるという事を知っています。今現在ほどその戦いが非常に険しい事がありませんでした。しかし戦いが厳しくなればなるほど、勝利が近づいています。しばらく後には永遠が待っています。この戦い、ものすごい戦いはすぐに終わるでしょう。
聖母はこう言います、「私は天地の元后であります。あなたは私の事を天地の元后だと讃美していますね。そしてこのロザリオを唱えながら私の戴冠式に与っています。天国は全て私のものです。天国にはもはや涙も戦いも悲しみもありません。
この地上はほんのつかの間です。このつかの間というのは何百年かも知れません。でも永遠の前では何でもありません。しかし私はあなたに慰めを与える為にこの地にやって来ました。それは『勝利はもうすぐだ』と宣言する為です。
私は約束します。最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。今天国で凱旋をしているように、私に忠実な霊魂たちの心に於いて私は凱旋するでしょう。
私は約束します。悪魔の頭を永遠に永久に踏み砕きます。今はまだ最後の戦いが終わっていないのは、これはあなたが私をますます愛する為です。それはあなたが功徳をますますたくさん積む為です。あなたをますます聖とする為です。そしてますます良くする為です。
だから私はあなたにこの事をお願いします。私に従いなさい。私の事をいつも考えていなさい。いつも軍隊の指揮官を見ている良き兵士となりなさい。そして命令に従いなさい。何故なら、私はすでに勝利しているのですから、私の命令に従えば必ず勝ちます。たとえ朝昼祈っていたとしても、私の命令に従えないなら負けてしまいます。終わりまで忠実でありなさい、そうすれば栄光の冠を受けるでしょう。」
聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。