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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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2016年12月22-26日の聖伝のミサの報告:聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様

私たちの主イエズス・キリストの御降誕と新年のお喜びを申し上げます。

御降誕の前日(12月24日)には大阪で、9時から始まった洗礼式で2名の方々が洗礼を受け、31名の方々が10時半からの聖伝のミサに与るお恵みを得ました。
12月24日には午後の9時からは予定通り朝課を全て歌いました。
25日の真夜中からは、深夜ミサを始めました。外国からの方々が初めての日本でのクリスマスだったけれど、聖伝のミサだったから自国でクリスマスに与ったのと同じように感じた、とおっしゃって下さいました。ラテン語の聖伝のミサだから、世界中どこでも同じで、家に戻ってきた感じがしますね。

12月25日には朝の9時から「曉のミサ」を捧げました。多くの方々が既に集ってミサ聖祭に与っておられました。残念ながら、9時のミサだけでお帰りになった方々も私の知る限り5名ほどおられましたが、その他の方々は10時半からの歌ミサにも与りました。
10時半からの歌ミサには、68名の方々がミサに与ることが出来ました。(帰ってしまった方々を入れると73名です!大阪での前日のミサに与った方々と合わせると100名以上が聖伝のミサのお恵みに与ることが出来ました。)その方々を通して日本中にミサの祝福が伝わるので天主様に感謝です!
晩課も、大変うまく皆で歌い、ビックリです!

私たちも取り入れたローマの習慣に従って、ミサ聖祭の後は、幼きイエズスの御像に接吻をする儀式も行いました。

本当は12月26日にマニラに戻る予定でしたが、台風のために、飛行機がキャンセルに成り、その都合で28日に戻りました。マニラの教会のほうは、強い雨が降っただけで特に被害はなかったそうです。

では良き新年、ファチマ百周年の2017年をお迎え下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
Dear Father
How are you? I suppose you should be exhausted!
I want to thanks again for your kindness.
This is our first Christmas being outside our country, but we felt really as if we were at home.
You and all people were very nice with us.
This is what's incredible about traditional mass, it was exactly same as in home. (...)


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

この度は、クリスマスの3回の御ミサ、22日からの御ミサ、洗礼式、朝課など本当に色々ありがとうございました!!m(_ _)m
東京と大阪の両方でクリスマスの御ミサを捧げて下さるという非常にハードなスケジュールを、私たち日本信者の為に奔走して下さり本当にありがとうございます!非常な御恵みでクリスマスを迎える事ができました!天主様に感謝!マリア様に感謝!ヨゼフ様に感謝!

そしていつもいつも素晴らしく色々準備して下さり、教会の為に奔走して下さるヨゼフさん御一家にも心より感謝を申し上げます。

私たちの中にお生まれ下さったイエズス様の御降誕の神秘の中に深く入り、良き御降誕節を過ごすことができますように!

デオ・グラチアス!



【報告】
+Ave Maria! Immaculata!

【所感】
日本でのクリスマスのミッションをありがとうございました。
大阪では、22日23日24日と御降誕の真夜中の御ミサに与ることができました。
私たちの心に、幼き天主イエズス様をお迎えすることができました。
天主様に感謝!聖母マリア様に感謝!聖ヨゼフ様に感謝!申し上げます。
また、美しく飾られた御聖堂で、お二人の方が洗礼のお恵をいただきました。
大阪では2011年以来の受洗のお恵みではなかったでしょうか?
おふたりの受洗者のお祝いに、たくさんのご家族が駆けつけてくださいました。
ああ、教会には多くの家族が必要だなあと、改めて感じました。

24日の夜9時から御聖櫃に在す御聖体の御前でグレゴリアン聖歌で「朝課」を歌ってお捧げできましたことが、大変嬉しかったです。
朝課の後、クリスマスキャロルを引き続いて歌って、馬小屋に、幼き天主イエズス様をお迎えいたしました。

聖堂はロラテ・チェリ(天の露)のような、天からの恩恵が降り注いでいるかのような「デコレーション」が聖堂内の壁一面に施されていて、
天主の第二のペルソナであられる「永遠の御言葉、天主の聖子」の御降誕という人類最大のお恵みを、ずうーっと感じることができました。

真夜中の御ミサの後、軽食を神父様と信徒みなで頂戴したあと、わずか2-3時間後の朝6時の始発の新幹線で、
東京へ移動された小野田神父様の愛徳に、その慈父のお姿に、ただただ心から感謝申し上げます。
御降誕の3回の御ミサを全て、日本の信徒に与えてくださいました。

「馬小屋」は、貧しく、汚れた、天主への愛に冷え切った、あまりにも粗末な「私の心」を象徴していて、
そこに聖ヨゼフ様がマリア様を連れてきてくださり、そこでマリア様が天主イエズス様をお生みになって、私たちにイエズス様をお与えくださったことと、
天主イエズス様をいただく、「御聖体拝領」(霊的聖体拝領)とは「同じ」だ!と気付きまして、
何年か前から、「御聖体拝領」(霊的聖体拝領)の前に心を準備する「祈り」をするようになりました。
それまでは、聖グリニヨン・ド・モンフォールの「聖母マリアへの真の信心」のとおりに「御聖体拝領」をしていましたが、
聖ヨゼフ様の御助けもいただきたく思うようになりました・・・。
神父様、私のこの信心は間違っていないでしょうか?(^_^;)

「いとも尊き聖ヨゼフ様、2016年前の馬小屋に、イエズス様とマリア様をお連れなさった聖ヨゼフ様、
私の心は馬小屋よりも貧しく、罪に汚れたものなれども、どうぞこれを浄めしつらえてください。
ひとえに御身の御功徳と御あわれみとによりて、イエズス様とマリア様を私の心にお連れください。
聖ヨゼフ様、御身こそイエズス様とマリア様をお連れくださる御者なればなり。

インマクラータよ、どうぞ御身の汚れ無き御心をお貸しくださいまして、
聖子イエズス様を御聖体拝領させてください。
そしていつも、御身の汚れ無き御心を我が心とさせてください。
私の思い、言葉、行いを全て支配したまえ。
インマクラータよ、御身こそイエズス様をお与えくださる御者なればなり。

天主イエズス様、私は全く弱き者、不忠実なるしもべにして、全くふさわしくない者ですが、
ただ天主の愛を信じ、天主のあわれみに寄りすがり、御身に近づきます。
ひとえにマリア様の汚れ無き御心に免じて、私の心においでください。
我は何をも持たざれども、我が心を主に捧げ奉る。
願わくは御身の至聖なる聖心を我に与え給いて、インマクラータを愛せしめたまえ、
インマクラータに仕えしめたまえ、インマクラータに全てを捧げさせたまえ。」
文体もでたらめで、恐縮です(^_^;)

幼き天主イエズス様、我らをあわれみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
いとも尊き聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ。

【お返事】
御聖体拝領と霊的聖体拝領の前の準備の祈り、とても素晴らしいと思います。
聖母と共に、聖母の内に、聖母によって、聖ヨゼフの慈父の御助けを持ってイエズス・キリストを私たちの霊魂に受けるのこそ、正に、もっとも効果的でイエズス様のお望みのやり方です!
どうぞ続けて下さい。私も見習って、聖ヨゼフにもお願いします!


【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日の参加者数はこれまでの最高記録です!
今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

10時半のミサの参列者数
男: 23人(内、子供4人)
女: 45人(内、子供7人)
計: 68人(内、子供11人)

軽食会の参加者数
男: 9人(内、子供1人)
女: 11人(内、子供1人)
計: 20人

第二晩課の参加者数
男: 6人
女: 10人
計: 16人



【報告】
+アヴェ・マリア・インマクラータ!

神父様、こんにちは。
フィリピンには大きな台風が上陸したそうですが、神父様は無事に修道院まで戻られましたでしょうか。またフィリピンにいる皆様はご無事でしょうか。
お祈りしております。

御ミサのレポートをお送りいたします。
今回も日本で御ミサを捧げてくださり、本当にありがとうございます! 神父様がハードスケジュールの中、東京にいらしてくださったので
御ミサに与ることができました。本当にありがとうございます。 また、今回、御降誕の主日の暁のミサと日中のミサを合わせると73人の方々が御ミサにいらっしゃったと伺いました!!!! イエズス様の御降誕を多くの方々と共にお祝いできたことを天主様に感謝いたします。

御ミサのレポート
これだ! とわかったこと
今回は2つあります。

1つ目は、御降誕の大祝日には司祭は3つの御ミサを捧げることを許されているが、この3つの御ミサは3つの誕生・神秘を祝っており、その意味について
・真夜中のミサ(第一の誕生の記念)永遠における今日、まだ天主が「光あれ」と仰るよりも前、永遠の夜において御父から御子が御生まれになっていることを記念する。これは、聖三位一体の神秘である。
・暁のミサ(第二の誕生の記念)12月25日のベトレヘムにて、童貞聖母マリア様から、肉を取り赤子として、私たちの為に生まれたことを記念する。イエズス様は、御父のことを教える為に、天主の愛を私たちの知らせる為にお生まれになった。
・日中のミサ(第三の誕生の記念)は、イエズス様が私たちの霊魂において誕生したい、と望んでいらっしゃることを記念する。この第三の誕生に、第一と第二の誕生の全てが含まれている。

永遠の王の王は、御父の愛を目に見えるものとし、私たちに知らせるため最も愛されやすい、私たちに怖れを抱かせないような赤ちゃんの姿で、まるで私たちの霊魂のような貧しい馬小屋に御生まれになった。これは人類における深い燃えるような愛によるもので、三位一体の全てのペルソナが関わっているが、特に聖霊の働きによるものだった。(「・・・すなわち聖霊によりて宿り、童貞マリアより生まれ・・・」使徒信経)
ということです。

もう1つは、この燃えるような愛、自らを人間の赤ちゃんとして現わし、私たちの霊魂に生まれることを強く望まれる天主の愛を、多くの人が信じようとせず、希望せず、理解せず、愛せず、さらに反対に無関心や冒涜をもって天主に報いていること、が分かりました。

御降誕の主日に捧げられる3つの御ミサの意味を初めて知ることができ、嬉しかったです。また、天主様の燃えるような愛に本当に感動いたしました。デオグラチアス! しかし、特に現代において多くの人が、そのような天主へ無知、無関心を持って報いていることも確かな事実であることも再確認いたしました。私自身もまた、時に天主様の存在に無関心であり、反省いたしました。

世間では「クリスマス」というとパーティーやプレゼントのイメージで本当は何を記念しているのか、意味しているのか注目されることは、以前にも増してますます少なくなっているように感じます。無知が回復されなければ上智に至ることは有り得ないと思うので、これは大きな損失だと思います。ロザリオのお祈りと犠牲と、不思議のメダイをひろめることによって、ますます多くの日本の方達がイエズス様の御誕生と愛とを知り、そしてカトリックの聖伝に出会うことができますように。拙いながらも祈らねばならないと改めて思いました。

2016 年も残すところあと数日となり、来たる2017年にむけてより良い準備ができますようマリア様のご助力を願いつつお祈りしております。
次の東京の御ミサは聖家族の祝日です。また、多くの方々が御ミサにあずかることができますように、多くのカトリックの家族が誕生しますようにお祈りしつつ、怠らず、良い祝日を迎える準備をしたいと思います。

+In Mary Immaculate,



【報告】
十アヴェ マリア インマクラータ!

小野田神父様

イエズス様の御降誕おめでとうございます。
この度 聖伝におけるご降誕祭における暁のミサと日中のミサに 初めて与る恵みを受けました、ありがとうございます。
神父様には真夜中のミサを大阪で捧げられてそのまま東京においでくださり、強行スケジュールだったことと思います。ありがとうございます。

今日の御ミサは特別な御ミサでした。典礼暦の初めに 準備してイエズス様をお迎えできますことを 心から感謝いたしました。
この三回捧げられるクリスマスミサには それぞれ意味があると伺いました。最初の真夜中の御ミサは 永遠の夜における誕生と聖霊による童貞聖マリア様におけるイエズス様のご誕生、そして暁のミサはベトレヘムにおける真夜中のイエズス様のご誕生で羊飼いたちに姿をあらわし御父へ行く道を 御父の神秘を教えてくださる、そして第三の日中のミサにおいてはイエズス様が今日御父の燃えるような私たちへの愛によって世界中の人間の霊魂にお生まれになりたいと願われたがゆえとのことです。そして最も愛されやすい形になろうとされ幼子の人間の赤ちゃんの御姿をとられたとのこと、あらためて三位一体の天主様に心から感謝を申し上げました。「燃えるような愛の技・人間に対する正気を失ったような愛の技であり永遠の天主の御言葉は私たちを愛するあまり燃えておられる!」。どれほど熱烈な愛で御父は人間を愛されているだろうかという神父様のお説教を拝聴しながら、普段あまり御父からの愛のことを考えない自分を反省しました。毎日の生活のなかでつい自分のみじめさの方ばかりに目が行きがちになることを省み、天主様の人間への愛の強さを教えられて胸を打たれました。

そして この恵みに感謝するなら 他の人のためにも、まだイエズス様を信じることなく礼拝することなく希望することなく愛することのなき人々のためにも、どうかイエズス様がその霊魂のもとに受け入れられますようと祈ってくださいというお話を伺って、まだイエズス様の愛を知らない人たちのため祈らなければと思いました。 自分はイエズス様の愛を知っているとの思い込みが余計その心を閉ざさせている霊魂のためにも 祈りたいと思いました。もし私の霊魂がそうであるなら どうかその過ちから立ち直らせてくださいますように!と。 そして 今日御生まれになる! との御言葉の通り、いつも今日!心を浄めて心を開いて イエズス様をお迎えできるように過ごさなければと 思いました。

待降節の間 祈りの中ではとてもこのようなひどい霊魂のうちにはいらしていただくことはできないだろうと苦しく思いながらも それをも犠牲としてお捧げし この御降誕および主日のミサに与ることができました。聖堂は少しづつ礼拝する方々で満ちていっぱいになってしまいました。喜びでいっぱいになるようでした。 クリスマスには 犠牲をお捧げし大小斎をして心も体も浄めてご降誕祭に臨むようにするという伝統的な慣わしのことを初めて教えていただきました。十分にはできないながらも そのような準備をしてご降誕祭のミサに与ることができて とてもよかったです。本当に この貧しい霊魂にイエズス様をお迎えできますようにと祈りながらその時をお待ちして ご聖体拝領を行うことが出来ましたことを心から感謝します。また 幼子イエズス様への小さな御手への接吻を初めてさせていただきました。

イエズス様は この地上のみじめな単なる被造物に過ぎなく いずれ朽ち果てる身の人間の私の内においでくださり、霊魂を聖化してくださると感じられました。霊魂のことを考えることも それがあるかどうかを考えることもしない方がどれほど多いことでしょう。それは全く塵に埋もれていてその人には見えなくなっているかのようです。けれど 天主様は人間には霊魂を与えてくださいました。そしてそれをカトリックの信仰によって この正しく準備されたご聖体拝領という人の考えつくことできない方法で、聖化してくださるご予定だったのだ、と この日はまことに感じられました。本当にもったいないことです。自分自身で努力しようとしたところで 霊魂の聖化などということをこれっぽちもできるわけがありません。造り主である天主様のご計画によって、イエズス様の豊かな贖いによって、ただそのことへの信仰によってのみ 人間のみじめな霊魂が聖化され天国で御父を賛美しその栄光を礼拝することができるようになるのだと思うと、このようなお恵みをいただいて 感謝に耐えません。ご降誕祭を毎年祝うということは単に救い主が御生まれになったという記念として行われるのではなく、このようなはっきりとした意味を持って毎年御ミサに与るべき大切な勤めであったということを 知ることできたように思います。この恵みを 簡単に失ってしまうことがないよう どれほど気を付けて毎日過ごさなければならいか 私はまだ 十分に理解しておりません。

これまで このようなことをクリスマスミサで 感じたことがなく、お恵みに感謝いたします。

なお、もう数日で2017年に入りますが、今日来年のカレンダーの付録を読んでいましたら、ベネディクト15世教皇様の祈りに聖母がお答えくださって 8日後にファチマの三人の牧童の前に御出現くださったと書いてあることに とりわけ心を惹かれました。なぜなら、このことが 聖母が私たちの祈りにいつも耳を傾けてくださっていることを 教えてくださっているから。私のこの一つの祈りが何の役に立つことだろう、このテロや難民や政治の混乱や信仰への攻撃に満ちた世界の方に目を向けると、つい自分の無力さばかりを痛感してしまいます。天主様には何事もできる、最後には聖母が勝利をなさる!ということを 信じているといっても、外に目を向けるときの不安や驚愕・心の痛みは とても大きいし無力感は蔓延しているように思います。でも、確かに聖母は祈りに耳を傾けてくださっている、ということを この部分で教えられるからです。

世界のなかで信仰が打ち捨てられ、それによって恵みの通路を塞いでしまったのは 人間の側の落ち度でしかないのに、信仰を捨てず信仰を以って祈るベネディクト15世教皇様の尊い祈りにこたえてくださった ファチマのマリア様の呼びかけはまだ 続いているように思います。日本においては 30年近く前には ファチマの本はまだ判断のわからない本の一つであるかのようでそれでも当時その本で熱心に祈り周りにもファチマのマリア様のことを伝えたいと熱意を持っていた人が昔はその本を読んだわね、でももう過去のことよねというの言葉を 何人もの人から聞きました。そういう中で、日本で今 こうしてファチマのマリア様の呼びかけのことを 尊い御ミサのお説教の中で拝聴できることは 本当に幸せであり、そして実行しなければならないと思います。

マリア様は この正しく人間の霊魂を聖化することを阻むすべてのことに抵抗するように努めて、天国への望みを失わないようにと おっしゃてくださっているようにも思えます。世界のために祈るということは、一人でも多くの霊魂が救われるようにとの祈りです。伝統的な典礼と祈りがどれほど大切かを こうして知ることができて、自分の考えや態度がその聖なるものを阻むことになっていないか汚してしまってはいないかと気を付けなければならないと感じました。

ちょうど黙示録のことを学んだあと、現実を見る目が新しくされたとき、ショックはとても大きいものでした。『伝統的な典礼は私たちの霊魂を聖化し守るように形作られていたのだ!それなのにそれが今壊され続けている!』ということは実際に聖伝の御ミサに与ることがなければ、黙示録の中の警告もすぐ理解しずらかったかもしれません。”人間の霊魂を聖化することを阻もうとする力”に これまで どれほど取り囲まれていて騙されていたままであったことかと 気づかされています。また、「ごまかされているままの方がなにかと摩擦が少ないので楽であるかもしれないのに、本当のことを受け止めようとすると辛くなるのです」と、信仰の大切な友に、その苦しさを打ち明けましたが、そのように心を打ち明けて慰められ励ましていただける友人がいることはなんと幸せかと気づかされました。これまでは 一人で本当のことを考え求め続けてきたので。

「周りの人に、御父の燃えるような愛を 伝えることができますように。」マリア様は祈りに答えてくださるのですから、しっかりと祈らなければと思います。

イエズスの至聖なるみ心よ 我らのために祈り給え!聖マリアの汚れなきみ心よ 我らのために祈り給え!



【お便り】
先日は美しい御ミサを、ありがとうございました。食事の後、みんなでCarolingをしたのがとても楽しく、いい思い出になりました(⌒▽⌒)

東京で初めてのX'masミサは、こんなに沢山の人でほんとうに良かったですね~(^_^)



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