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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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2017年2月17-20日の聖伝のミサの報告:聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今回は、新しいミサの典礼では無くなってしまっている「七旬節」「六旬節」のミサを大阪と東京で捧げることが出来ました。

大阪では2月12日(主日)にレネー神父様が七旬節の主日のミサを捧げて下さり、17日(金)に愛する兄弟姉妹の皆様のしもべが平日のミサを、18日には土曜日の聖母のミサを捧げました。

東京では、19日(主日)に、六旬節の主日のミサを捧げました。御聖体拝領唱は、ミサに与った私たちの霊魂に起きていることを歌うクライマックスの聖歌で、メロディーも簡単なものが多いのですが、聖パウロが自分の苦しみや多くの困難を誇ることを黙想した後に、さあ私たちも四旬節に向けて聖パウロに倣おう、私も自分をいけにえに捧げよう、主と共に自分の十字架のいけにえを捧げよう、と思って十字架の成果・果実である御聖体を拝領したその時、聞こえてくるこの聖歌は、私たちの霊魂にビンビンと響いてくる感じがしました。Introibo ad alatare Dei, ad Deum qui laetificate juventutem meam! 私は天主の祭壇へと入って行こう!私の若さを喜ばせてくれる天主へ!

ミサに参加する或る方と「沈黙」についておしゃべりする機会がありました。彼は私に感想をこう言ってくれました。
「隣人の苦しみを無くすために、自分の信仰を捨てる、あたかもこれが素晴らしいことであると「沈黙」では描かれている。これと同じことが今目のあたりで繰り広げられている。何故なら、離婚が出来なくて苦しんでいる人がいる、同性愛者が夫婦として認められなくて苦しんでいる人がいる、安楽死が出来なくて苦しんでいる人がいる、自分のやりたいことが出来なくて苦しんでいる、彼らを助けるために「信仰」を捨てるが良い、「キリスト教倫理、道徳、天主の十戒」を捨てるが良い、と主張する人々がいるから。」

このことをずばり見抜いた彼の鋭さに私はうなりました。

例えば「アモーリス・レティチア」を巡って、枢機卿が枢機卿と対立し、司教と司教とが対立しているのを見ると、その戦いの中核にあるのは、まさに「沈黙」のテーマです。

小説「沈黙」のキリストは「踏め」と言ったとしても、歴史上の本当のキリストは「ころべ」とは言いませんでした。キリストは「償いをせよ」と聖フランシスコ・ザベリオを通して、マルチェロ・マストリッリ神父を送りました。

キリスト者は罪なくして虐待されて来ましたが、これらの不当な虐げでカトリック信徒の方々を傷つけてきた残虐な行為について謝罪を要求することには、カトリック教会には全く関心がありませんでした。そうではなく、「彼らの罪を償い、天主を慰める、彼らに代わって罪の償いをする」、これをキリストがお望みになっていました。

「祈り、償い」これが、2000年のカトリック教会の関心事です。

ファチマの天使はこう言います。
「あなたがたができるすべてのことを犠牲とし、それを天主に背く罪の償いの行いとして、また罪人の回心を嘆願して天主に捧げなさい。あなたがたはこのようにして自分たちの国に平和をもたらすでしょう。特に主があなたがたにお与えになる苦しみを従順に受け入れ、忍びなさい。」

「恩知らずの人々によって恐ろしく冒涜されたイエズス・キリストの御身体と御血を受け、飲みなさい。彼らの罪を償い、あなたたちの天主を慰めなさい。」

ファチマの聖母はこう言います。

「あなたたちは、天主に背く罪の償いと罪人たちの回心への嘆願の行いとして、喜んであなた自身を天主に捧げ、天主があなたにお与えになるすべての苦しみを耐えますか?」

「罪人たちのために犠牲をしなさい。たくさんこう言いなさい。特に何か犠牲をするときにこう言いなさい。“イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人たちの回心のため、そしてマリアの汚れ無き御心に対して犯される罪を償うためです”、と。」

殉教者たちは、自分の力だけで殉教したのではありません。天主の聖寵の助けを得て、天主と協力して、天主と共に殉教を果たしたのでした。殉教は、天主の聖寵の傑作であり、弱い私たちを助けて下さった天主様の憐れみの御業です。

罪の償いも、自分の力だけではできません。天主の聖寵の助けを得て、天主と協力して、天主と共に初めて出来ます。償いの業も、弱い私たちを助けて下さる天主様の憐れみの御業です。


3月1日は灰の水曜日です。四旬節がもうすぐ始まります!
私たちは天主の祭壇へと入って行きましょう!私たちの若さを喜ばせてくれる天主へ!

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

大阪でのミッションありがとうございました。
御ミサの報告をお送りいたします。

2月17日 金曜日 七旬節の平日のミサには11名が、
2月18日 土曜日 聖母の土曜日のミサには10名の方々が御ミサに与る御恵みを頂きました。デオグラチアス!

17日のお説教によると、七旬節のミサの書簡で聖パウロはコリント人への手紙の中で、私たちの人生の目的は、一体なんなのか?を問い、その答えを栄冠、つまり天国での永遠の永福を受けることであると教えています。競技場で走る人が賞を取るために走り、その前には節制 するのであるから、私たちは天の永福を受けるためにこの世で準備をする必要があること、この世でどんな栄誉、富を得ても永遠の命を失ってしまったら何の意味もないことをはっきりと書いています。

また、聖福音は、ブドウ園の主人が働く人を雇って賃金を支払うたとえでした。このブドウ園のブドウは私たちの霊魂の事をあらわしていて、そこで働くという事は霊魂の世話をするつまり、救霊のために働くという意味がある。私たちはきちんと霊魂の世話をしているだろうか?との問いかけには自身の生活を振り返って、反省する事がたくさんありました。七旬節に入り、四旬節をよく過ごすための準備のため、永遠のメダルを獲得するためにも、罪びとのより所、天国への道であるマリア様の汚れな き御心へもっと深く入ってファチマの精神で毎日を過ごそうと思います。

18日のお説教では私達がマリア様の望まれる四旬節を過ごせるようにどうすればよいかを黙想しました。
日々の十字架や苦しみは、マリア様が考えられるようにその意味を考えれば苦しみももはや忌み嫌うもの、逃げ出すべきものではないことがはっきりわかります。
世界中の多くの人はこの世の小さな儚い喜びや栄誉のために苦痛や練習や試練を耐え忍ぶことを知っています。それは目的達成のための手段であり、そのあとに自分のうけるべき幸福のため、目的達成のためであります。

永遠の幸福のために天主様が私に一番良い十字架を送って下さっていることを思い、罪の償いのために喜んでお捧するのは当然の事だといえます。そしてそれこそが、マリア様の苦しみに対する考え方であり、マリア様の御生涯でありました。

ファチマの聖母ご出現の100周年である今年、マリア様が呼びかけられるように、その汚れなき御心と一致して、自分だけでなく、多くの罪びとの救霊のために苦しみを雄々しく耐え忍ぶ覚悟と勇気をマリア様の汚れなきみこころを通して御聖体にましますイエズス様にこいねがいました。

土曜日の公教要理は、
1633年の西坂でのクリストヴァン・フェレイラの背教にたいする「フェレイラ償い作戦2」として大変興味深いお話を伺いました。

天主様が罪に対して、償いの機会をお与え下さっているという歴史的事実には感動してしまいます。
1517年のルターの宗教改革にたいしては、プロテスタントを食い止めるために聖イグナチオ率いるイエズス会が間もなく発足。
1830年のパリ・コミューンに対しては、同年、同じくパリで聖母がカタリナ・ラブレに不思議のメダイをお与えになる。
1917年のロシア革命にたいしては、同年ファチマで聖母かご出現になり、また、聖コルベの聖母の騎士が発足。
1633年のフェレイラの背教に対しては、同じ年にフェレイラの回心の為に日本に渡り、殉教するマストリッリ神父の奇跡的治癒があった。

フェレイラ神父の背教の連絡を受けたイエズス会の同志たちはその回心のために、また償いの為に迫害下の日本へ来ることを志願されました。
最初の4名は全員殉教し、後に来た4人には大きな試練がありました。
小説では描かれていませんでしたが、フェレイラはこれらの償い作戦によって天主から回心の恵みを頂き、信仰を宣言したため最後は殉教します。

その史実と、小説「沈黙」とを比べてみると、大きな違いが見つかりました。

殉教者たちが求めたものは「永遠の命」⇔ 小説では、「この世の建設」
          「超自然の恩寵」⇔      「沈黙」
       「祈りと苦しみの価値」⇔      「苦しみはあってはいけない」
           「十字架の木」⇔      「キリストはすでに贖いをしたのだから、人間は何をしても、もう救われている。」
                         「罪も罰もない。天主は憐れみだ。」 

よく見てみると「史実」と「小説」の決定的な違いは「聖伝」と、「第二バチカン公会議の精神」の違いだとわかります。
フェレイラ神父の回心を描かなかった小説の意図は伺いしれませんが、映画「沈黙」が聖伝を拒否し、第二バチカン公会議の精神を反映するのにひとやく買ってしまったといえると思いました。

償い作戦で、フェレイラ神父の回心の恵みを勝ち取られたように、私たちも、ファチマのマリア様の「償い作戦」に心から賛同して参加しなければいけないと思いました。



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

金曜日・土曜日と大阪で御ミサを捧げてくださり、終課と公教要理もして下さりありがとうございました!!(*^▽^*)フィリピンでお風邪を召した直後にこの寒い日本に来られて、早速天主様は小野田神父様に七旬節の犠牲をお望みになっているのだなあと思いました…(ToT)

体調が悪い中、私たちの為にまた日本に帰って来て下さり本当にありがとうございます!

教会は母の心を以て、私たちが四旬節の準備が良くできるように、少しずつ七旬節・六旬節・五旬節とウォーミングアップするように呼びかけて下さっているのに、新しいミサではこの七旬節・六旬節・五旬節が全て無くなってしまっているなんて(;_;)

聖霊の愛の導きをそのまま守り伝えて下さっている、この聖ピオ十世会の聖伝のカトリック信仰に、より多くの方が導かれ、マリア様の汚れなき御心を愛し、お慰めする事ができますように!

そしてマリア様の汚れなき御心にお祈りして、良い四旬節を過ごすための良い準備ができますように、これから六旬節の中に深く入ることができますように!

デオ・グラチアス!



【報告】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 13人(内、子供1人)
女: 25人(内、子供3人)
計: 38人(内、子供4人)

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