親愛なる無原罪の聖母の騎士の皆さん!
聖マキシミリアノ・コルベが騎士たちにメッセージを書いたとき、騎士たちはそのメッセージに「われらの指揮官なる神父の手紙」と名付けたものでした。聖コルベの死後、後継者である無原罪の聖母の騎士会(MI)の歴代国際モデレーターたちが、「国際モデレーター(調整官)」という少し複雑な教会法上の名称よりも、「指揮官」という名称を使う方が騎士たちにとっては簡単だという単純な理由から、この伝統を長く継続させました。天主の御摂理が長上たちの声を通して皆さんのしもべを「無原罪の聖母の騎士会-伝統厳守会」の国際モデレーターとしてお選びになったのですから、聖なる創立者の足跡に従って、ある程度定期的に皆さんに「指揮官なる神父の手紙」を送らせてください。当時の騎士たちは、聖マキシミリアノを父そして案内者の両方と認識していました。ですから今日、私は皆さんの祈りをこいねがうのです。私が聖マキシミリアノの忠実なこだまとなり、そうすることで、私たちに本当の父と案内者がまったくいない今日、聖マキシミリアノがもう一度、そしてこれまで以上に「われらの愛する指揮官なる神父」になってくださいますように。
この最初の手紙で、私は皆さんに、伝統を厳守する無原罪の聖母の騎士会の起源についてお知らせし、またその始まりから私たちの時代までの簡単な歴史的説明をしたいと思います。
それは、私が神学校に入った最初の年である1981年のことでした。ドイツの聖伝のカトリック青年運動(KJB)の指導者たちが、聖マキシミリアノ・コルベの生涯と使徒的業績に捧げた会報を発行しました。私たち神学生は、この私たちの時代の聖人を見いだして魅了されました。それは、聖コルベが、この深い信仰と使徒的情熱において完全に伝統的でしたが、同時に今の現代技術の手段を使って仕事をしたからです。現代の若者さえをも魅了する聖人です。
この若者たちの回心についての問いが、1986年以来私たちがアフリカに配属されているときに持ち上がりました。ファチマの聖母のご出現のメッセージ(聖三位一体のミシェル修道士による三巻)と聖マキシミリアノ・コルベの伝記(マリア・ウィノウスカ著)に触発され、ロイック・デュベルジェ神父は1988年、少女のための運動「無原罪の聖母の仲間たち(CI)」を創立しました。MIに三つのグループがあるように、少女たちは「無原罪の聖母の子どもたち、しもめたち、使徒たち」に分かれており、それぞれがファチマの汚れなき御心のお望みを寛大に実現させようとしました。そのひとりひとりがほかの少女たちの回心のためにもっと寛大になってゆきました。その結果は圧倒的でした。創立5年後には、「CI」のグループが近所の子どもたちを回心させるためにガボンの首都のいろいろな地域に設立され、多くの「使徒たち」が聖ピオ十世会のミッションの1500人の子どもたちのためにカテキストとして登録されました。ファチマの75周年を祝う年には、CIは多くの回数、ご出現についての芝居を上演し、新たに何百人もの人々を教会に導きました。しかし最も驚くべき実りは、多くの若い女性たちの内的な変化でした。彼女たちは本物の内的な生活を生き、異教の環境、または家族の中でさえ、信仰を守ろうという時には英雄的な勇気を見せたのです。彼女たちの中には、両親や兄弟姉妹を回心にまで至らせた者もいました。いろいろな熱帯病のために早死にした人々の中に、私たちはまれな段階に至った徳と聖性さえ見ることができました。この信じられないような驚くべき出来事によって、私たちの時代における無原罪の聖母の抜きんでた力に対する信頼、ファチマの特異な重要性、そして私たちのあらゆる使徒的なわざを聖母とともに、聖母の命令のもとでのみ行うことの必要性を、私たちは確信したのです。
しかし、のちの1994年のことでしたが、驚くべきことにポーランドにおいてカトリック聖伝のわざを始めるよう指名されたとき、聖マキシミリアノ・コルベとその騎士会がどのような人々であるのかを本当に発見したのです。母語で書かれた聖コルベの手紙や講話を読んで私たちが発見したのは、黙想的でありかつ最も行動的である万能の天才、マリア様の最も深い神秘に関する神学者であり、何百万もの人々が聖母を知るようにさせ、かつ愛させるために現代の技術的手段と発明を利用した組織づくりの師です。このいつも死ぬような病気にかかっていた小さな修道士は、「レジオ・マリエ」と「ファチマの聖母のブルー・アーミー」に続く世界で三番目に大きい最も重要なマリア様の運動を設立し、また大きな資金もなしに「無原罪の聖母の町」と呼ばれる修道院を開きました。そこは15年以内に、中世以来世界で最も大きな千人近くの修道士を擁する修道院になりました。自分の祖国でマリア様への愛の炎に火をつけるだけでは足りず、遠いアジアへのミッションにも、「何十億もの霊魂」に聖母の足元へもたらしたいとの望みを抱いてそれに着手したのでした。最後には、その英雄的な一生のあと、一家の父親である囚人仲間の代わりに死ぬというアウシュヴィッツの餓死室での英雄的な死を迎えました。
1998年にワルシャワに最初の修道院を開いたとき、もちろん、無原罪の聖母の町であるニエポカラノフをしばしば訪問しました。私たちがこの巨大な使徒職の名残(博物館、最初の礼拝堂や聖マキシミリアノが住んでいた各部屋、聖人の英雄的な同志たちの墓など)を黙想すると、まるで聖人自身が私たちに会っているかのようでした。また聖マキシミリアノを直接知っていた年老いた修道士たちと長い会話をすることは、他に類を見ない貴重な体験でした。しかし、私たちはMIの別の面も発見せざるをえませんでした。この場所はカリスマ運動でいっぱいのところで、その書店はリベラルかつ近代主義の書物で満杯であり、私たちはしばしば、野外ロックコンサートに見られるような、人々に空しい感情を引き起こす集会を目撃しました。1997年にはMIの新しい会則が公表されましたが、それは以前の会則とは大変異なるものでした。ベストセラーのうちの一冊は、騎士会の総長であるシンブラ神父の本でした。その本で同神父は聖なる創立者を、その考えが狭量であり、「彼の時代の意見に固執した」として、強く批判しました。聖マキシミリアノを知っていた年老いた修道士たちにこれらの変化について尋ねたところ、私たちはしばしば、悲しげに「今やすべては変わった」と言うのを聞きました。「無原罪の聖母の騎士誌」は近代主義的な暗示に満ちた信心会報になっており、創刊当時の雰囲気は失われました。
このとき、若い信者が何人か私たちのところにきて、無原罪の聖母の騎士会を、まさに聖マキシミリアノが創立したそのままの形で、私たちが再発足させることができないかどうかを尋ねました。1920年代以来ポーランドのカトリックはMIによって深く影響を受けていますから、聖なる創立者がMIを設立したのと同じ精神でMIを再創立することを…。
この願いのために、このアイディアが理にかなっているかどうかを分析しなければならなくなりました。聖伝のカトリックには、マリア様の運動が他にも既に沢山あったからです。単にもうひとつ別の運動を創立するだけでは、存在している多くの運動の参加者の数や力を分裂させてしまいかねません。ですから、無原罪の聖母がそのご意志を私たちに示してくださるよう、小さな祈りの十字軍を組織しました。
この時、私たちは騎士会とその聖なる創立者のさらに深い側面を発見して、この運動が世界で他に類を見ないものであり、私たちの時代に完全に適合していることを、以下の理由から、確信したのです。
1)その名称が示しているように、無原罪の聖母の騎士会(Militia Immaculatae)は戦闘の教会(Militant Church)、すなわち地上での悪魔や罪、誤謬との絶えることのない戦いの中にいるまことのカトリック教会を思い起こさせます。50年前から、これらカトリックの本質的な事項は、全世界の平和やすべての宗教の相互の尊重のために努力するよう教えられてきた信者たちの心から取り去られてしまっていました。さらに悪いことに、同じころから、天国や地獄、煉獄、死、審判、悪魔との戦い、誤謬から唯一のカトリックの真理への回心など、永遠にして最も重要な現実が広く捨てさられ、相互理解と平和において世界を統一する望みというものと置き換えられてしまっていました。フリーメーソン的な新しい世界秩序が多くのカトリック信者の理想となってしまったのです。
この現代主義の病に対抗して、MIは私たちの時代の平和主義に対する薬となり、唯一のまことの視点、すなわち、私たちはこの世では霊魂の救いのために戦っている、という事実を強く思い起こされるものとなるのです。MIは、永遠の価値と、私たちがこの世での短い時間を正しく使うことに重きをおいています。MIは、その定義自体において、すべての反教会主義者たちや偽りの宗教を、唯一のまことの教会へ回心させる、という反エキュメニズムの召命をもっているからです。
2)私たちの時代において非常に必要とされる霊的戦いというこの考えは、寛大な霊魂たち、特に青年たちに、偉大で魅力的な理想のために自らを捧げるという熱意を起こします。個人主義的な私たちの時代において、私たちは自分の霊的な安逸に閉じこもって自己中心になり、宗教的実践を個人的なこととしてのみ理解するという大きな危険の中にいます。このように長い間恐ろしい危機が続くと、私たちは自分が聖にして母なる教会に属しており、キリストの神秘体全員への責任があるのだということを忘れてしまうという危険があります。MIは私たちに、主の偉大なる新しい掟「主が愛されたように私たちの隣人を愛せよ」を深く理解させてくれます。これはすなわち、永遠の破滅の淵へ向かって走っている霊魂たちの救いのために私たちができるだけの努力をすることです。教会の中で誰かがまことの価値に立ち戻り、最も小さな小教区からバチカンに至るまでのそれぞれの場所で、無原罪の聖母を取り戻し、そして無原罪の聖母と共に全てのカトリックの聖伝を取り戻そうと望むときはいつでも、私たちは幸せであり感謝でいっぱいです。私たちは、霊的な病をもっているかわいそうな霊魂たちに対して、軽蔑をもって「そんな異端者とはかかわりたくない」と言うのではなく、その人を、無原罪の聖母を通じて私たちの主の不変の真理へ連れ戻すために私たちができうることをしたいと思うのです。
3)MIは私たちにカトリック信者としての真のアイデンティティを取り戻させ、またそれとともに、地上で天主の国を広げるため努力するイエズス・キリストの兵士になるという、ここ地上での自分たちの役割を深く理解させてくれます。この生涯の任務を達成するため、私たちは堅振の秘蹟を受けたのです。無原罪の聖母の騎士会は、祈りや実践において他の運動や団体と並ぶようなものというよりは、私たちの生活に対する新しい法のように本質的なものなのです。その新しい法とは、つまり、何をするにしても、敵を改宗させることによって攻撃し、イエズスの聖心の国を広げる聖母の御手の道具、聖母の軍団の騎士として、それをするのだということです。この法が私たちの生活全般にわたって浸透するならば、私たちは空しいもので自分の時間を浪費せず、むしろ私たちが地上にいる短い期間を、最大限の最も偉大な行い、永遠の行い、霊魂の救いに満ちたものにするでしょう。
4)別の魅力的な側面:この運動は、無原罪の聖母への奉仕において、最も現代的な手段を使うことに熱心です。現代人をして、マスメディアへの新しいカトリック的なアプローチを取らせるのです。マスメディアは、強力な最悪の誘惑の手段として、大抵が闇の力によって悪用されています。とにかく若者が電子機器の中毒になるように、MIはこの中毒を、無原罪の聖母と霊魂の救いのための奉仕へと変えるのです。この側面によって、この運動が私たちの時代の状況やニーズに完全に適合することを多くの人々が理解して、彼らが外からMIに加入するようにさせることができるのです。
しかし同時に、この運動は、霊魂を救うための騎士たちの最も重要な武器として、祈りと犠牲の精神に深く根付いているのです。この運動は、非常に多くの霊魂が地獄に落ちており、それは彼らのために祈ったり犠牲をしたりする人がいないため、祈り、犠牲をするように、というファチマの聖母のお求めに完全に適合しています。さらに、聖マキシミリアノの使徒的祈りのための方法は、良き祈りの生活を送ることが困難である私たちの時代に完全に適しています。
5)しかし、最も重要な点は、私たちの生活の中で無原罪の聖母が占める場所にあります。MIは現実的な日々の生活において、聖ベルナルドや多くの聖母信心のあった聖人たちの主張を、特に聖ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォールのまことの信心を適用しています。彼は、すべてのことを、マリアを通して、マリアとともに、マリアにおいて、マリアのために行うように教えています。MIは、聖母の無原罪の御宿りという偉大なる真理、特にすべての人々のための回心と聖化の恩寵すべての仲介者としての聖母の役割という偉大なる真理を、具体的で寛大な実践へと至らせます。MIは、騎士の個人的な生活の中において無原罪の聖母の重要性を騎士に理解させ、特にいまだに誤謬と罪の中にいる失われた愛する子どもたちを永遠の破滅から救うためにご自分を助けてくれるようにとの聖母のお求めの重要性を騎士に理解させます。ここにおいてカトリック信者は、この世における自分の役割が何であるのか、人間がこの地上でできる最も偉大なわざにおいて自分がいかに重要であるのかを毎日学ぶのです。そのわざとは、永遠の幸せの最上のものを他の人たちに贈ることです。同時に、MIは騎士に必要な謙遜を教えます。騎士一人だけでは何もできませんが、無原罪の聖母の道具としてならば、聖母の忠実な騎士としてならば、なんでもすることができるのです。
6)これらすべての点は、確かにいくつかの国で聖伝に忠実に再創立されたレジオ・マリエにも見られます。しかし、レジオ・マリエはローマの軍団の形式に従って、エリート兵士たちの運動として作られたもので、そのメンバーには本質的に非常に多くのことが要求されます。ところが反対に、無原罪の聖母の騎士会はあらゆる人、たとえもっとも怠惰なひとでさえ加入でき、騎士になるのにほとんど何も要求しません。MIは、すべての人を聖母の足元に投げ出すための大衆運動であり、各人が聖母に少なくとも小指一本を捧げるように強いるのです。その後聖母はその人の手とその人自身をお取りになって運動を導かれます。フィリピンのレジオ・マリエが見いだしたのは、MIが、レジオ・マリエ会員が毎週訪問する多くの人々を、彼らを聖母の騎士にすることによって、聖母により近く結びつける特別な手段となることでした。
7)この運動は、多くの大衆のために設立されたとはいえ、救いのわざのために私たちが協力するあらゆる可能性を内包しています。この運動は、個人として無原罪の聖母に奉仕したいと思う人々(MI 1)を招いていますが、より良くより広い使徒的結果に到達するためのグループやサークル、団体での共通使徒職(MI 2)も想定しています。最後にまた、霊的なエリートに加わって無原罪の聖母に完全に自分を明け渡して英雄的に一生を奉献する最も熱心なメンバー(MI 3)をも招いています。
このような運動はこれまで世界で創立されたことはありませんでしたが、その聖なる創立者の普遍性を伝えています。完全に観想的かつ同時に活動的であり、個人個人の努力を尊重しかつ大衆を集め、最も高い知的な活動(無原罪の聖母のアカデミー)の概念も、最も実践的な実現も包み込み、二千年の聖伝とともに永遠に変わることのないカトリック信仰を守るとともに、最も現代的な技術と現代の発明を利用するのです。
聖ピオ十世会総長は提案した議論に賛成し、ポーランドにおいて伝統を厳守するMIを創立することを認めてくださいました。2000年5月6日、マリア様の月の初土曜日に、約50人のカトリック信者が最初に無原罪の聖母の騎士になりました。彼らは、聖マキシミリアノ自身によって書かれ、署名された「ディプロミク(ちいさな学位証)」の写しを受けました。この創立の実りはすぐにやって来ました。騎士たちの中の寛大さ、規則的な祈りの生活、使徒的な精神が増え、特に書物による使徒職(冊子、書籍、パンフレット、ちらし)が著しく増え、それによってポーランドでカトリック聖伝が知られるようになりました。第二次世界大戦前に聖マキシミリアノ・コルベとその仲間の騎士たちが書いたそのままの文章を出版したため、第二バチカン公会議の精神による教会内の新奇なものと、MIの最初の50年の霊性や理想との間の大きな違い、さらには矛盾さえも、多くの信者が簡単に知ることができるようになりました。
2002年にはモルゴンの聖伝のカプチン会の神父たちがMIに加わりたいと望み、フランスでMIを創立したいと望みました。2004年には最初のアメリカ人司祭たちが、アメリカのいくつかの修道院や聖堂でMIを創立し、2006年にはスイスでも設立されました。しかし最初はすべて、聖マキシミリアノの「ファン」が何か個人的な誓約をしたのであり、この運動は聖伝のカトリックの世界では(ポーランドを除いて)一般的に知られていませんでした。やっと直近の3年間、聖母ご自身がこの小さな軍隊を成長させようと望まれていたように思えました。何も特別な宣伝や告知がなかったにもかかわらずどんどん多くの信者が興味を持ったのは、MIに関するパンフレットや書物の出版と、ポーランドとスイスとアジアでの三つの重要なウェブサイトの設立のおかげでした。3年の間に騎士の数は2013年の約5000人から2016年の1万3000人へと倍以上になりました。現在までさまざまな国でのMIの管理はそれぞれのMIの司祭たちの主導に任されており、司祭たちは長上の許可を得ながら彼ら自身主導によって個人的に「何かをしようと」してきたのです。そこでさまざまな努力を一つにまとめ、MIをカトリック聖伝の小さな軍隊として構成するために、MIの最高権威である聖ピオ十世会総長は、皆さんのしもべを国際コーディネーターに、すなわち聖マキシミリアノの言い方に従えばMIの「指揮官」に任命しました。
この私たちの時代におけるMIの重要性に関する上で述べた七つのポイントについてもう少し長く黙想してくだされば、私たちの夢がなぜファチマ聖母ご出現の100周年に十万人の騎士を聖母の足元に捧げることなのかを皆さんは理解してくださるかもしれません。1917年に巨大な反キリスト教の軍隊(ローマのフリーメーソン、モスクワの共産主義)がこの世に現れたとき、聖母はファチマとMIの創立によってそれに応えられました。2017年に反キリスト教の軍隊が、自分たちが全世界を支配する勝利の象徴として100周年を祝うとき、聖母が再び小さな軍隊、「最後の時代の聖母の使徒たち」(聖グリニョン・ド・モンフォール)、聖母の汚れなき御心に奉献された子どもたち(ファチマ)、聖母の忠実な騎士たち(聖マキシミリアノ・コルベ)によって再びお応えになる、と皆さんはお考えになりませんか?
ですから、皆さん一人一人への謙遜なお願いをもって私の話を終わらせてください。8月14日に私たちは聖マキシミリアノの英雄的な死の75周年をお祝いします。どうかその日までに、カトリック信者を一人見つけて、その人に無原罪の聖母の騎士会に加入してもらうよう、可能な限りの力を尽くしてくださいませんか?!
2016年5月31日、「元后なる聖マリア」の祝日に
私の司祭としての祝福をもって
感謝のうちに
英語原文はこちら Father Director’s letter No#1 MI “Militia Immaculatae – traditional observance”
聖マキシミリアノ・コルベが騎士たちにメッセージを書いたとき、騎士たちはそのメッセージに「われらの指揮官なる神父の手紙」と名付けたものでした。聖コルベの死後、後継者である無原罪の聖母の騎士会(MI)の歴代国際モデレーターたちが、「国際モデレーター(調整官)」という少し複雑な教会法上の名称よりも、「指揮官」という名称を使う方が騎士たちにとっては簡単だという単純な理由から、この伝統を長く継続させました。天主の御摂理が長上たちの声を通して皆さんのしもべを「無原罪の聖母の騎士会-伝統厳守会」の国際モデレーターとしてお選びになったのですから、聖なる創立者の足跡に従って、ある程度定期的に皆さんに「指揮官なる神父の手紙」を送らせてください。当時の騎士たちは、聖マキシミリアノを父そして案内者の両方と認識していました。ですから今日、私は皆さんの祈りをこいねがうのです。私が聖マキシミリアノの忠実なこだまとなり、そうすることで、私たちに本当の父と案内者がまったくいない今日、聖マキシミリアノがもう一度、そしてこれまで以上に「われらの愛する指揮官なる神父」になってくださいますように。
この最初の手紙で、私は皆さんに、伝統を厳守する無原罪の聖母の騎士会の起源についてお知らせし、またその始まりから私たちの時代までの簡単な歴史的説明をしたいと思います。
それは、私が神学校に入った最初の年である1981年のことでした。ドイツの聖伝のカトリック青年運動(KJB)の指導者たちが、聖マキシミリアノ・コルベの生涯と使徒的業績に捧げた会報を発行しました。私たち神学生は、この私たちの時代の聖人を見いだして魅了されました。それは、聖コルベが、この深い信仰と使徒的情熱において完全に伝統的でしたが、同時に今の現代技術の手段を使って仕事をしたからです。現代の若者さえをも魅了する聖人です。
この若者たちの回心についての問いが、1986年以来私たちがアフリカに配属されているときに持ち上がりました。ファチマの聖母のご出現のメッセージ(聖三位一体のミシェル修道士による三巻)と聖マキシミリアノ・コルベの伝記(マリア・ウィノウスカ著)に触発され、ロイック・デュベルジェ神父は1988年、少女のための運動「無原罪の聖母の仲間たち(CI)」を創立しました。MIに三つのグループがあるように、少女たちは「無原罪の聖母の子どもたち、しもめたち、使徒たち」に分かれており、それぞれがファチマの汚れなき御心のお望みを寛大に実現させようとしました。そのひとりひとりがほかの少女たちの回心のためにもっと寛大になってゆきました。その結果は圧倒的でした。創立5年後には、「CI」のグループが近所の子どもたちを回心させるためにガボンの首都のいろいろな地域に設立され、多くの「使徒たち」が聖ピオ十世会のミッションの1500人の子どもたちのためにカテキストとして登録されました。ファチマの75周年を祝う年には、CIは多くの回数、ご出現についての芝居を上演し、新たに何百人もの人々を教会に導きました。しかし最も驚くべき実りは、多くの若い女性たちの内的な変化でした。彼女たちは本物の内的な生活を生き、異教の環境、または家族の中でさえ、信仰を守ろうという時には英雄的な勇気を見せたのです。彼女たちの中には、両親や兄弟姉妹を回心にまで至らせた者もいました。いろいろな熱帯病のために早死にした人々の中に、私たちはまれな段階に至った徳と聖性さえ見ることができました。この信じられないような驚くべき出来事によって、私たちの時代における無原罪の聖母の抜きんでた力に対する信頼、ファチマの特異な重要性、そして私たちのあらゆる使徒的なわざを聖母とともに、聖母の命令のもとでのみ行うことの必要性を、私たちは確信したのです。
しかし、のちの1994年のことでしたが、驚くべきことにポーランドにおいてカトリック聖伝のわざを始めるよう指名されたとき、聖マキシミリアノ・コルベとその騎士会がどのような人々であるのかを本当に発見したのです。母語で書かれた聖コルベの手紙や講話を読んで私たちが発見したのは、黙想的でありかつ最も行動的である万能の天才、マリア様の最も深い神秘に関する神学者であり、何百万もの人々が聖母を知るようにさせ、かつ愛させるために現代の技術的手段と発明を利用した組織づくりの師です。このいつも死ぬような病気にかかっていた小さな修道士は、「レジオ・マリエ」と「ファチマの聖母のブルー・アーミー」に続く世界で三番目に大きい最も重要なマリア様の運動を設立し、また大きな資金もなしに「無原罪の聖母の町」と呼ばれる修道院を開きました。そこは15年以内に、中世以来世界で最も大きな千人近くの修道士を擁する修道院になりました。自分の祖国でマリア様への愛の炎に火をつけるだけでは足りず、遠いアジアへのミッションにも、「何十億もの霊魂」に聖母の足元へもたらしたいとの望みを抱いてそれに着手したのでした。最後には、その英雄的な一生のあと、一家の父親である囚人仲間の代わりに死ぬというアウシュヴィッツの餓死室での英雄的な死を迎えました。
1998年にワルシャワに最初の修道院を開いたとき、もちろん、無原罪の聖母の町であるニエポカラノフをしばしば訪問しました。私たちがこの巨大な使徒職の名残(博物館、最初の礼拝堂や聖マキシミリアノが住んでいた各部屋、聖人の英雄的な同志たちの墓など)を黙想すると、まるで聖人自身が私たちに会っているかのようでした。また聖マキシミリアノを直接知っていた年老いた修道士たちと長い会話をすることは、他に類を見ない貴重な体験でした。しかし、私たちはMIの別の面も発見せざるをえませんでした。この場所はカリスマ運動でいっぱいのところで、その書店はリベラルかつ近代主義の書物で満杯であり、私たちはしばしば、野外ロックコンサートに見られるような、人々に空しい感情を引き起こす集会を目撃しました。1997年にはMIの新しい会則が公表されましたが、それは以前の会則とは大変異なるものでした。ベストセラーのうちの一冊は、騎士会の総長であるシンブラ神父の本でした。その本で同神父は聖なる創立者を、その考えが狭量であり、「彼の時代の意見に固執した」として、強く批判しました。聖マキシミリアノを知っていた年老いた修道士たちにこれらの変化について尋ねたところ、私たちはしばしば、悲しげに「今やすべては変わった」と言うのを聞きました。「無原罪の聖母の騎士誌」は近代主義的な暗示に満ちた信心会報になっており、創刊当時の雰囲気は失われました。
このとき、若い信者が何人か私たちのところにきて、無原罪の聖母の騎士会を、まさに聖マキシミリアノが創立したそのままの形で、私たちが再発足させることができないかどうかを尋ねました。1920年代以来ポーランドのカトリックはMIによって深く影響を受けていますから、聖なる創立者がMIを設立したのと同じ精神でMIを再創立することを…。
この願いのために、このアイディアが理にかなっているかどうかを分析しなければならなくなりました。聖伝のカトリックには、マリア様の運動が他にも既に沢山あったからです。単にもうひとつ別の運動を創立するだけでは、存在している多くの運動の参加者の数や力を分裂させてしまいかねません。ですから、無原罪の聖母がそのご意志を私たちに示してくださるよう、小さな祈りの十字軍を組織しました。
この時、私たちは騎士会とその聖なる創立者のさらに深い側面を発見して、この運動が世界で他に類を見ないものであり、私たちの時代に完全に適合していることを、以下の理由から、確信したのです。
1)その名称が示しているように、無原罪の聖母の騎士会(Militia Immaculatae)は戦闘の教会(Militant Church)、すなわち地上での悪魔や罪、誤謬との絶えることのない戦いの中にいるまことのカトリック教会を思い起こさせます。50年前から、これらカトリックの本質的な事項は、全世界の平和やすべての宗教の相互の尊重のために努力するよう教えられてきた信者たちの心から取り去られてしまっていました。さらに悪いことに、同じころから、天国や地獄、煉獄、死、審判、悪魔との戦い、誤謬から唯一のカトリックの真理への回心など、永遠にして最も重要な現実が広く捨てさられ、相互理解と平和において世界を統一する望みというものと置き換えられてしまっていました。フリーメーソン的な新しい世界秩序が多くのカトリック信者の理想となってしまったのです。
この現代主義の病に対抗して、MIは私たちの時代の平和主義に対する薬となり、唯一のまことの視点、すなわち、私たちはこの世では霊魂の救いのために戦っている、という事実を強く思い起こされるものとなるのです。MIは、永遠の価値と、私たちがこの世での短い時間を正しく使うことに重きをおいています。MIは、その定義自体において、すべての反教会主義者たちや偽りの宗教を、唯一のまことの教会へ回心させる、という反エキュメニズムの召命をもっているからです。
2)私たちの時代において非常に必要とされる霊的戦いというこの考えは、寛大な霊魂たち、特に青年たちに、偉大で魅力的な理想のために自らを捧げるという熱意を起こします。個人主義的な私たちの時代において、私たちは自分の霊的な安逸に閉じこもって自己中心になり、宗教的実践を個人的なこととしてのみ理解するという大きな危険の中にいます。このように長い間恐ろしい危機が続くと、私たちは自分が聖にして母なる教会に属しており、キリストの神秘体全員への責任があるのだということを忘れてしまうという危険があります。MIは私たちに、主の偉大なる新しい掟「主が愛されたように私たちの隣人を愛せよ」を深く理解させてくれます。これはすなわち、永遠の破滅の淵へ向かって走っている霊魂たちの救いのために私たちができるだけの努力をすることです。教会の中で誰かがまことの価値に立ち戻り、最も小さな小教区からバチカンに至るまでのそれぞれの場所で、無原罪の聖母を取り戻し、そして無原罪の聖母と共に全てのカトリックの聖伝を取り戻そうと望むときはいつでも、私たちは幸せであり感謝でいっぱいです。私たちは、霊的な病をもっているかわいそうな霊魂たちに対して、軽蔑をもって「そんな異端者とはかかわりたくない」と言うのではなく、その人を、無原罪の聖母を通じて私たちの主の不変の真理へ連れ戻すために私たちができうることをしたいと思うのです。
3)MIは私たちにカトリック信者としての真のアイデンティティを取り戻させ、またそれとともに、地上で天主の国を広げるため努力するイエズス・キリストの兵士になるという、ここ地上での自分たちの役割を深く理解させてくれます。この生涯の任務を達成するため、私たちは堅振の秘蹟を受けたのです。無原罪の聖母の騎士会は、祈りや実践において他の運動や団体と並ぶようなものというよりは、私たちの生活に対する新しい法のように本質的なものなのです。その新しい法とは、つまり、何をするにしても、敵を改宗させることによって攻撃し、イエズスの聖心の国を広げる聖母の御手の道具、聖母の軍団の騎士として、それをするのだということです。この法が私たちの生活全般にわたって浸透するならば、私たちは空しいもので自分の時間を浪費せず、むしろ私たちが地上にいる短い期間を、最大限の最も偉大な行い、永遠の行い、霊魂の救いに満ちたものにするでしょう。
4)別の魅力的な側面:この運動は、無原罪の聖母への奉仕において、最も現代的な手段を使うことに熱心です。現代人をして、マスメディアへの新しいカトリック的なアプローチを取らせるのです。マスメディアは、強力な最悪の誘惑の手段として、大抵が闇の力によって悪用されています。とにかく若者が電子機器の中毒になるように、MIはこの中毒を、無原罪の聖母と霊魂の救いのための奉仕へと変えるのです。この側面によって、この運動が私たちの時代の状況やニーズに完全に適合することを多くの人々が理解して、彼らが外からMIに加入するようにさせることができるのです。
しかし同時に、この運動は、霊魂を救うための騎士たちの最も重要な武器として、祈りと犠牲の精神に深く根付いているのです。この運動は、非常に多くの霊魂が地獄に落ちており、それは彼らのために祈ったり犠牲をしたりする人がいないため、祈り、犠牲をするように、というファチマの聖母のお求めに完全に適合しています。さらに、聖マキシミリアノの使徒的祈りのための方法は、良き祈りの生活を送ることが困難である私たちの時代に完全に適しています。
5)しかし、最も重要な点は、私たちの生活の中で無原罪の聖母が占める場所にあります。MIは現実的な日々の生活において、聖ベルナルドや多くの聖母信心のあった聖人たちの主張を、特に聖ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォールのまことの信心を適用しています。彼は、すべてのことを、マリアを通して、マリアとともに、マリアにおいて、マリアのために行うように教えています。MIは、聖母の無原罪の御宿りという偉大なる真理、特にすべての人々のための回心と聖化の恩寵すべての仲介者としての聖母の役割という偉大なる真理を、具体的で寛大な実践へと至らせます。MIは、騎士の個人的な生活の中において無原罪の聖母の重要性を騎士に理解させ、特にいまだに誤謬と罪の中にいる失われた愛する子どもたちを永遠の破滅から救うためにご自分を助けてくれるようにとの聖母のお求めの重要性を騎士に理解させます。ここにおいてカトリック信者は、この世における自分の役割が何であるのか、人間がこの地上でできる最も偉大なわざにおいて自分がいかに重要であるのかを毎日学ぶのです。そのわざとは、永遠の幸せの最上のものを他の人たちに贈ることです。同時に、MIは騎士に必要な謙遜を教えます。騎士一人だけでは何もできませんが、無原罪の聖母の道具としてならば、聖母の忠実な騎士としてならば、なんでもすることができるのです。
6)これらすべての点は、確かにいくつかの国で聖伝に忠実に再創立されたレジオ・マリエにも見られます。しかし、レジオ・マリエはローマの軍団の形式に従って、エリート兵士たちの運動として作られたもので、そのメンバーには本質的に非常に多くのことが要求されます。ところが反対に、無原罪の聖母の騎士会はあらゆる人、たとえもっとも怠惰なひとでさえ加入でき、騎士になるのにほとんど何も要求しません。MIは、すべての人を聖母の足元に投げ出すための大衆運動であり、各人が聖母に少なくとも小指一本を捧げるように強いるのです。その後聖母はその人の手とその人自身をお取りになって運動を導かれます。フィリピンのレジオ・マリエが見いだしたのは、MIが、レジオ・マリエ会員が毎週訪問する多くの人々を、彼らを聖母の騎士にすることによって、聖母により近く結びつける特別な手段となることでした。
7)この運動は、多くの大衆のために設立されたとはいえ、救いのわざのために私たちが協力するあらゆる可能性を内包しています。この運動は、個人として無原罪の聖母に奉仕したいと思う人々(MI 1)を招いていますが、より良くより広い使徒的結果に到達するためのグループやサークル、団体での共通使徒職(MI 2)も想定しています。最後にまた、霊的なエリートに加わって無原罪の聖母に完全に自分を明け渡して英雄的に一生を奉献する最も熱心なメンバー(MI 3)をも招いています。
このような運動はこれまで世界で創立されたことはありませんでしたが、その聖なる創立者の普遍性を伝えています。完全に観想的かつ同時に活動的であり、個人個人の努力を尊重しかつ大衆を集め、最も高い知的な活動(無原罪の聖母のアカデミー)の概念も、最も実践的な実現も包み込み、二千年の聖伝とともに永遠に変わることのないカトリック信仰を守るとともに、最も現代的な技術と現代の発明を利用するのです。
聖ピオ十世会総長は提案した議論に賛成し、ポーランドにおいて伝統を厳守するMIを創立することを認めてくださいました。2000年5月6日、マリア様の月の初土曜日に、約50人のカトリック信者が最初に無原罪の聖母の騎士になりました。彼らは、聖マキシミリアノ自身によって書かれ、署名された「ディプロミク(ちいさな学位証)」の写しを受けました。この創立の実りはすぐにやって来ました。騎士たちの中の寛大さ、規則的な祈りの生活、使徒的な精神が増え、特に書物による使徒職(冊子、書籍、パンフレット、ちらし)が著しく増え、それによってポーランドでカトリック聖伝が知られるようになりました。第二次世界大戦前に聖マキシミリアノ・コルベとその仲間の騎士たちが書いたそのままの文章を出版したため、第二バチカン公会議の精神による教会内の新奇なものと、MIの最初の50年の霊性や理想との間の大きな違い、さらには矛盾さえも、多くの信者が簡単に知ることができるようになりました。
2002年にはモルゴンの聖伝のカプチン会の神父たちがMIに加わりたいと望み、フランスでMIを創立したいと望みました。2004年には最初のアメリカ人司祭たちが、アメリカのいくつかの修道院や聖堂でMIを創立し、2006年にはスイスでも設立されました。しかし最初はすべて、聖マキシミリアノの「ファン」が何か個人的な誓約をしたのであり、この運動は聖伝のカトリックの世界では(ポーランドを除いて)一般的に知られていませんでした。やっと直近の3年間、聖母ご自身がこの小さな軍隊を成長させようと望まれていたように思えました。何も特別な宣伝や告知がなかったにもかかわらずどんどん多くの信者が興味を持ったのは、MIに関するパンフレットや書物の出版と、ポーランドとスイスとアジアでの三つの重要なウェブサイトの設立のおかげでした。3年の間に騎士の数は2013年の約5000人から2016年の1万3000人へと倍以上になりました。現在までさまざまな国でのMIの管理はそれぞれのMIの司祭たちの主導に任されており、司祭たちは長上の許可を得ながら彼ら自身主導によって個人的に「何かをしようと」してきたのです。そこでさまざまな努力を一つにまとめ、MIをカトリック聖伝の小さな軍隊として構成するために、MIの最高権威である聖ピオ十世会総長は、皆さんのしもべを国際コーディネーターに、すなわち聖マキシミリアノの言い方に従えばMIの「指揮官」に任命しました。
この私たちの時代におけるMIの重要性に関する上で述べた七つのポイントについてもう少し長く黙想してくだされば、私たちの夢がなぜファチマ聖母ご出現の100周年に十万人の騎士を聖母の足元に捧げることなのかを皆さんは理解してくださるかもしれません。1917年に巨大な反キリスト教の軍隊(ローマのフリーメーソン、モスクワの共産主義)がこの世に現れたとき、聖母はファチマとMIの創立によってそれに応えられました。2017年に反キリスト教の軍隊が、自分たちが全世界を支配する勝利の象徴として100周年を祝うとき、聖母が再び小さな軍隊、「最後の時代の聖母の使徒たち」(聖グリニョン・ド・モンフォール)、聖母の汚れなき御心に奉献された子どもたち(ファチマ)、聖母の忠実な騎士たち(聖マキシミリアノ・コルベ)によって再びお応えになる、と皆さんはお考えになりませんか?
ですから、皆さん一人一人への謙遜なお願いをもって私の話を終わらせてください。8月14日に私たちは聖マキシミリアノの英雄的な死の75周年をお祝いします。どうかその日までに、カトリック信者を一人見つけて、その人に無原罪の聖母の騎士会に加入してもらうよう、可能な限りの力を尽くしてくださいませんか?!
2016年5月31日、「元后なる聖マリア」の祝日に
私の司祭としての祝福をもって
感謝のうちに
英語原文はこちら Father Director’s letter No#1 MI “Militia Immaculatae – traditional observance”