アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
更に3月の聖伝のミサのレポートをいただきましたのでご紹介いたします。
今年は、聖ヨゼフの祝日が3月20日に移動しています。ミッションの都合により、
3月20日には、東京では朝の7時に、大阪でも夕方の4時からミサを行う予定です。
3月21日には、大阪で早朝6時のミサがあります。
4月9日の枝の主日には、東京でも朝の10時半から(小野田神父)、大阪でも夕方の6時から(レネー神父)ミサがあります。
5月の秋田巡礼と、5月5-8日の最初のミッションはそのままです。しかし、5月の19-21日の日本での2回目のミッションは、マニラでの責務のために来ることが出来なくなってしまいました。愛する兄弟姉妹の皆様のご理解をお願いいたします。よろしくお願いします。
10月の最初のミッションも、都合によりキャンセルになってしまいました。2回目のミッションは予定の通りです。これについてもご理解をよろしくお願いします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】【大阪・レネー神父様のミサ】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
3月の大阪での主日の御ミサの報告をお送りいたします。
3月12日 四旬節第二主日には16名が、
翌13日の早朝ミサには7名が御ミサに与り御聖体を拝領するお恵みを頂きました。デオグラチアス!
主日のお説教では、この日の聖福音から、主の御変容と祈りについて黙想いたしました。
なぜ、この時期に、御変容の部分が聖福音で取り上げられるのか少し不思議に思っていましたが、神父様のお説教で教会が私たちに教えようして下さっていることが
はっきりとわかりました。
御変容が祈りと関係しているなど、今まで考えた事もありませんでしたのでとても勉強になりました。
四旬節のミサは、聖福音だけでなく、ミサの固有文も含めて、どんどんカルワリオへ向かっての準備がされていることが伝わってきます。
自分の今までの生ぬるい生活を一新して、また今日から四旬節を良く過ごそうと思います。
私が少し分かりにくかったのは、祈りの否定的な部分と、肯定的な部分という表現でした。まだまだ勉強が足りないのだと思います。( ゜Д゜)
神父様が勧めて下さったように、聖人の書いた書物と、毎日のミサ典書をもっともっと読んで、無駄な時間を過ごさないように細心の注意を払って天主様の方へ心を向けたいです。大阪のお聖堂のマリア様の前でお祈りしたり、聖歌を歌うと、マリア様の御助けがとても強く感じられて、勇気がわき、とても暖かい気持ちになります。
多くの御恵みを頂き本当に感謝いたします。
公教要理では、終油の秘跡についてお話頂きました。
天主様の深い憐みを一人でも多くの人が受けることが出来ればいいなと思います。
あまりにも大きな憐れみと愛をお持ちの善き天主様が全ての人に信じられ、礼拝され、希望され、愛されますように!!
【報告】【東京】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
トマス小野田神父様
四旬節を迎え 今回も東京での御ミサを捧げてくださいましてありがとうございました。
これより四旬節に入り、特別な祈りと犠牲の40日間に入るのだと自覚しました。
ミサ全体を通して詩編90で歌われたように、“主は私を守ってくれる”という天主様へのへの信頼の気持ちが強められました。
六旬節の御ミサで勝利するために走ると教えていただいて、さて自分ができることはほんの小さなことのみであり、勝利への道は遠いと思っていました。ミサの中で 霊的に救世主大聖堂ラテラノ大聖堂の中に入り、救い主と一緒に祈りと犠牲の砂漠に赴くことで、そしてイエズス様とともに40日間の断食 罪の断食に入ることで、イエズスとともに犠牲を捧げることとなり、イエズスとともに勝利を約束されたこととなるとお話しいただきました。イエズスといつもともにいるように努めてイエズスと一緒にわたしができる小さなことをお捧げしようと思います。イエズス様を模範に・・・。
イエズスと一緒にいることができましたら幸せです。心が彷徨ってしまうのを連れ戻して、少しでもイエズス様と一緒にいたいと思います。そのための努力を惜しまないようにしようと思います。
飛行機の中で読まれた新聞のお話しアメリカ議会でのことイエズスとともにいる者は天において栄光をいただくというお話に思わず聴き入っていました。私もマリア様のようにイエズス様のお苦しみを一緒に受けることが少しでも出来ますように、心の中で主の御受難を黙想して 四旬節の務めを果たせればと思います。入祭文の「彼がわたしに願えば、私は彼の願いをきき、彼をすくい出し、彼に光栄を与え、長い生命を与えるであろう。いと高き者に守られて住む者、天の保護の下にある者は、幸いである」という言葉が、深く沁み通ってくるようになりました。
"イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人たちの回心のため、そしてマリアの汚れ無き御心に対して犯される罪を償うためです"、と言いながら 何をするときも心を天に挙げたいと思います。
公教要理では、四福音書についてのお話の一回目でした。
[わかったこと]
① エゼキエル書1:10にある 人の顔、ライオン(獅子)、牛、鷲のそれぞれは、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書を示しているとのことでした。今回は聖マタイ福音書と聖マルコ福音書について お話を伺いました。
② 聖マタイのマタイ(マタイオス)はヤーウェの賜物という意味で、回心前はレヴィという名前で(レヴィ・マタイ)、住まいはガリラヤの湖のほとりのカファルウナムというところで、父親はアルフェオといい、職業はローマの方の税吏、そのためアラマイ語ヘブライ語も書くことができたので、マタイ福音書が後世に残された。最初に書き表された福音書であること。その特徴は、旧約聖書を良く引用していて、旧約が新約においてどのように成就したかということをパレスチナに住んでいたユダヤ人に向けて説明することに重きが置かれている。それによって イエズスが約束されたメシアであるということを説明している。そのため律法・地理・習慣・言い回しなどなど ユダヤ人なら当然よく知っているということを前提に書かれている。33年から44年の間に書かれたと思われる。
③ 聖マルコは、ヨハネ・マルコという名前を持ち、直接イエズスに会ったことはないが聖ペテロから洗礼を受けた弟子として通訳や書き物などを漁師出身のペテロのために行った。母親がお金持ちでマリアといい、キリスト信者が母の家に集まるのでいろいろな話を聴けた。旧約聖書からの引用はあまりない(二つくらい)。イエズス様の奇跡の話がたくさんある。聖マルコは キリストがまことのメシア救世主であることをその数々の奇跡を書くことによって、ローマの人に知らせようとして ローマで聖マルコ福音書を書いた。
[感想]マタイ福音書が旧約の引用をしながら書かれていること、マルコ福音書にイエズス様の奇跡の話が多いこと、に着目しながら二つの福音書に目を通してみたいと思います。次回のお話が楽しみです。いつもありがとうございます。
デオ・グラチアス!
追伸です。
実は、「勝利の教会、教会は必ず勝利します。」という神父様の力強い言葉が、わたしには 「今にもその霊的命が消え入りそうな瀕死のカトリック教会に見えるけれど、かならず甦って闘っている者たちに勝利の栄冠を与える」と 私たちへの励ましに加えて二重の意味を伴って聴こえてきました。
ラテン語のトリエント・ミサや 2000年変わらないカトリックの教義 聖人たちが生きたその証 それらが現在はもう過去のものになり見失われようとしているかに見えたとしても、その中に息づく愛が 信仰を求める人々を呼び集めて そこから天主の愛を受けて本当の故郷へ戻るための力を与えて下さる、それが今また少しずつ大きくなり、最後にはカトリック教会は勝利を得るだろうと。
ルルドやファチマに御出現のマリア様が祈りと犠牲をお捧げしなさい、と呼び掛けてくださいましたが、それはまるで教会が四旬節に入るので祈りと犠牲をお捧げしなさいと呼びかけられたかのようにも思えてきました。「あなた方の主が侮辱されるのを償いなさい」と仰っておられます。とうとう主の大切なごミサが十字架につけられてしまって、秋田では涙をお流しになりながら償いの祈りが必要なことをあらためて教えてくださったかのようです。
その時以来カトリック教会は この世の精神によって侮辱され まるで天主が十戒を与えたことがなかったかのように 人間として好きな道を選び人間として望むことを尊重して人としての自由を尊びなさい、そのような生き方を目指しなさいと言っているかのようにも見えます。前回の公教要理において 聖伝の信仰と第二バチカン公会議の信仰との違いを考察する機会をいただいて、はっきりと見る視点を教えていただいたからでしょうか、こんなふうにとらえている自分に気づかされました。
私が洗礼を受けたときには 既に新しい典礼での御ミサでした。昔の御ミサが現在と違うものだということを伝え聞く機会もなく 存在したことすら知ることもなく 新しい教会のムーヴメントに呑まれて押し流されている中で、霊感(インスピレーション)によって心に響いていたことも、聖書の中でイエズスがおっしゃられている御言葉も見失いがちになり、不安な気持ちが増すようでした。
それが伝統的な御ミサに与るようになってからは、本質的なカトリック信仰からそらされるようなことがなくなり、イエズス様の約束が何かということがはっきりするようになりました。この違いを感じることができるようになったことを 小野田神父様に感謝申し上げます。無原罪の聖マリア様とロザリオと不思議なメダイとコルベ神父様による聖母の騎士会、・・・。これらがこの百数十年の間に起こっていることの意味も教えていただきました。マリア様を通してすべてのことを受けていて、マリア様を通してすべてのものをお捧げするということも、次第にわかってきているように思います。本当に感謝いたします。
私は自分の罪と忘恩を償うためにこの四旬節に祈りと犠牲をお捧げしようと決心していたのですが、今日のお説教を拝聴して つい それ以上の意味を持つ四旬節をも想像してしまいました。イエズスと一緒になって祈りと犠牲をお捧げすることで、わたしが勝利するというよりもむしろ教会が勝利するというように聴こえてまいりました。教会が勝利するためにこの四旬節のボーナスセールでいっそう祈りと犠牲をお捧げして、罪人の回心のため天主が受けている侮辱と忘恩を償うことができたらと思いました。
多くのカトリック信者がプロテスタントの影響を強く受けているミサに与ることで、熱狂の中で我知らずにキリストを拒みバラバを選んでしまっている群衆のように、カトリック本来のトリエント・ミサを十字架につけているのかもしれません。(昔からの信仰を尋ね求める人には 居場所がなくなっているかのようです。) でも聖なる日本の殉教者教会の御ミサに与ることは 十字架のイエズス様と共にいる聖母マリア様と一緒にいる愛された弟子のようで敬虔な婦人たちのようだ ということなのかなとふと思ってしまいました。
本当にそのようになるためには この御ミサに与る私が 聖伝のミサに与ることの意義をしっかり理解してもっと敬虔に与るように努め、御ミサをもっと大切にしなければならないと感じました。この聖なる日本の殉教者教会で御ミサをお捧げしていることが天においてもっと認められるようになるために たくさん祈りたいと思います。そうなったらマリア様はきっともっとたくさんの人をこの十字架のもとに呼び集めてくださいますことでしょう、そのためにもお祈りいたします。
私は 神父様がコーリン・オーウェンズさんのことを紹介してくださったお話しに引き込まれて思わず聴き入ってしまっていましたが、後になるとじわっとそんなことが思い浮かんできたのでした。追伸が長くなってしまって申し訳ありません、どうぞ割愛なさってくださいませ。神父様 私たちのために素晴らしい御ミサをお捧げ下さいましてありがとうございます!
デオ・グラチアス!
【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
公教要理のレポートの続きを書かせて頂きます!
また間違っているところがありましたら申し訳ありません(>_<)>
《分かったところ》
◎聖マルコ
・第2の福音史家。
・聖マテオの名前はレビ(レビというのはユダヤ人独特の名前で、日本でいう太郎のような感じ)。
・マルコは、ヨハネとも呼ばれ、ヨハネ・マルコとも言われた。
・聖ペトロの伴侶(ペトロの第1の手紙5章13節)。聖パピアスによれば、マルコはイエズス様とは直接話をした事がないが、いつもペトロと一緒にいて、聖ペトロからよく話を聞いていた。また教養があったので、ペトロの通訳としても働いていた。
・母の名はマリア。ペトロが奇跡的に天使によって鎖を解かれて牢から脱出した時に、最初に行った所が、このマルコの母マリアの家(使徒行録12章)。
・44年に、第1次宣教旅行に行く。聖パウロとバルナバと共にエルサレム→チプロス→パンフィリア→ペルゲに。ペルゲでパウロと何らかの理由で行動を別にして、マルコは1人でエルサレムに戻る(使徒行録13章)。
・49年に、第2次宣教旅行に行く。パウロはシラと共にチリチアに。マルコはバルナバと共にキプロスに(使徒行録15章)。マルコとバルナバは実は親戚。
・パウロがローマで捕らえられ監視されている時(60-62年)にはマルコの名前が出てくるので、この時には仲直り(?)している。再びパウロがローマで監禁されている時に、ティモティオ(エフェゾの司教)に、「マルコと一緒に来てくれ」と言っている(66-67年)(ティモティオへの第二の手紙:4章11節)。
・聖伝によると、マルコはエジプトのアレクサンドリアという所に司教座をつくった。
・書かれた場所はローマ(聖ペトロと一緒にいるとき)。
・用語はラテン語的なギリシャ語を使っている。
・マルコは、ユダヤ人の独特の言い方や慣習に毎回説明を付けている。
《分からなかったところ》
・聖マルコ様が聖福音を書かれた時期は大体いつ頃なのでしょうか?宣教旅行に行かれる前くらいなのでしょうか?
・また聖マルコ様は、ユダヤ人独特の言い方や慣習などに説明を付けているという事は、マルコ様は異邦人に向けて聖福音を書かれたという事でしょうか?
お手数ですが、またお時間あります時にご指導をよろしくお願いいたしますm(__)m
デオ・グラチアス!
【お返事】
・聖マルコが聖福音を書かれた時期は、
1)聖マテオの福音の後に書かれた。
2)エルサレムが崩壊する(西暦70年)の前に書かれた。
3)聖ルカの福音の前(西暦62年の前)に書かれた。
・また聖マルコは、ユダヤ人独特の言い方や慣習などに説明を付けているという事は、聖マルコがローマの人々のために聖福音を書いたという事です。
旧約の引用は、次の二つだけのように思えます。
例えば「預言者イザヤの書の中に、「私はあなたの前に、道を準備する使いをおくる。"主の道を準備し、その小道を正しくせよ"と荒れ野で叫ぶ声がする」とあるように、洗者ヨハネは、荒れ野にあらわれて、罪のゆるしをえさせるくいあらための洗礼をのべつたえた。」
またイエズスとともに、二人の強盗を、一人を右に、一人を左にして十字架にかけた。「かれは罪人と並んだ」とある聖書のことばは、こうして実現した。
また次のような表現もあります。
イエズスは、人々にむかって、「あなたたちは、強盗に立ちむかうように、剣と棒とをもって、私を捕えに来たのか!私は毎日神殿で、あなたたちの中に立って教えていたが、その時には捕えようとしなかった。しかしこうなるのは、聖書が実現するためである」とおおせられた。
聖マルコが、ユダヤの言葉や習慣を知らない人々のために福音を書いていると面輪得るのは、例えば次のような説明が付いているからです。例を挙げます。
「ゼベデオの子ヤコボとその兄弟ヨハネの二人(かれらをボアネルゲス、すなわち雷の子と名づけられた)」
「「タリタ・クム」とおおせられた。それは、「娘よ、私は命じる。起きよ!」という意味である。」
「ファリザイ人と、イエルザレムから来たある律法学士とが、イエズスのもとに集まった。かれらは、イエズスの弟子たちの中に汚れた手、すなわち洗わない手でパンを食べる人がいるのを見た。ファリザイ人はもちろん、ユダヤ人はだれでも、古人の伝えをかたく守り、腕をひじの所まで洗ってからでないと食事をしないのである。また、市場から帰った時は、水で身を洗わないと食事せず、さかずきや土器や銅器も洗いきよめるなど、伝えとして守っている他の多くの風習がある。」
「イエズスは、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ!」と声高くお叫びになった。それは、「私の天主よ、私の天主よ、なぜ私を見すてられたのですか」という意味である。」
「夕ぐれになった。用意日、すなわち安息日の前日であった。」などなど。
他にもきっとあると思います。見つけたら教えて下さいね!
愛する兄弟姉妹の皆様、
更に3月の聖伝のミサのレポートをいただきましたのでご紹介いたします。
今年は、聖ヨゼフの祝日が3月20日に移動しています。ミッションの都合により、
3月20日には、東京では朝の7時に、大阪でも夕方の4時からミサを行う予定です。
3月21日には、大阪で早朝6時のミサがあります。
4月9日の枝の主日には、東京でも朝の10時半から(小野田神父)、大阪でも夕方の6時から(レネー神父)ミサがあります。
5月の秋田巡礼と、5月5-8日の最初のミッションはそのままです。しかし、5月の19-21日の日本での2回目のミッションは、マニラでの責務のために来ることが出来なくなってしまいました。愛する兄弟姉妹の皆様のご理解をお願いいたします。よろしくお願いします。
10月の最初のミッションも、都合によりキャンセルになってしまいました。2回目のミッションは予定の通りです。これについてもご理解をよろしくお願いします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】【大阪・レネー神父様のミサ】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
3月の大阪での主日の御ミサの報告をお送りいたします。
3月12日 四旬節第二主日には16名が、
翌13日の早朝ミサには7名が御ミサに与り御聖体を拝領するお恵みを頂きました。デオグラチアス!
主日のお説教では、この日の聖福音から、主の御変容と祈りについて黙想いたしました。
なぜ、この時期に、御変容の部分が聖福音で取り上げられるのか少し不思議に思っていましたが、神父様のお説教で教会が私たちに教えようして下さっていることが
はっきりとわかりました。
御変容が祈りと関係しているなど、今まで考えた事もありませんでしたのでとても勉強になりました。
四旬節のミサは、聖福音だけでなく、ミサの固有文も含めて、どんどんカルワリオへ向かっての準備がされていることが伝わってきます。
自分の今までの生ぬるい生活を一新して、また今日から四旬節を良く過ごそうと思います。
私が少し分かりにくかったのは、祈りの否定的な部分と、肯定的な部分という表現でした。まだまだ勉強が足りないのだと思います。( ゜Д゜)
神父様が勧めて下さったように、聖人の書いた書物と、毎日のミサ典書をもっともっと読んで、無駄な時間を過ごさないように細心の注意を払って天主様の方へ心を向けたいです。大阪のお聖堂のマリア様の前でお祈りしたり、聖歌を歌うと、マリア様の御助けがとても強く感じられて、勇気がわき、とても暖かい気持ちになります。
多くの御恵みを頂き本当に感謝いたします。
公教要理では、終油の秘跡についてお話頂きました。
天主様の深い憐みを一人でも多くの人が受けることが出来ればいいなと思います。
あまりにも大きな憐れみと愛をお持ちの善き天主様が全ての人に信じられ、礼拝され、希望され、愛されますように!!
【報告】【東京】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
トマス小野田神父様
四旬節を迎え 今回も東京での御ミサを捧げてくださいましてありがとうございました。
これより四旬節に入り、特別な祈りと犠牲の40日間に入るのだと自覚しました。
ミサ全体を通して詩編90で歌われたように、“主は私を守ってくれる”という天主様へのへの信頼の気持ちが強められました。
六旬節の御ミサで勝利するために走ると教えていただいて、さて自分ができることはほんの小さなことのみであり、勝利への道は遠いと思っていました。ミサの中で 霊的に救世主大聖堂ラテラノ大聖堂の中に入り、救い主と一緒に祈りと犠牲の砂漠に赴くことで、そしてイエズス様とともに40日間の断食 罪の断食に入ることで、イエズスとともに犠牲を捧げることとなり、イエズスとともに勝利を約束されたこととなるとお話しいただきました。イエズスといつもともにいるように努めてイエズスと一緒にわたしができる小さなことをお捧げしようと思います。イエズス様を模範に・・・。
イエズスと一緒にいることができましたら幸せです。心が彷徨ってしまうのを連れ戻して、少しでもイエズス様と一緒にいたいと思います。そのための努力を惜しまないようにしようと思います。
飛行機の中で読まれた新聞のお話しアメリカ議会でのことイエズスとともにいる者は天において栄光をいただくというお話に思わず聴き入っていました。私もマリア様のようにイエズス様のお苦しみを一緒に受けることが少しでも出来ますように、心の中で主の御受難を黙想して 四旬節の務めを果たせればと思います。入祭文の「彼がわたしに願えば、私は彼の願いをきき、彼をすくい出し、彼に光栄を与え、長い生命を与えるであろう。いと高き者に守られて住む者、天の保護の下にある者は、幸いである」という言葉が、深く沁み通ってくるようになりました。
"イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人たちの回心のため、そしてマリアの汚れ無き御心に対して犯される罪を償うためです"、と言いながら 何をするときも心を天に挙げたいと思います。
公教要理では、四福音書についてのお話の一回目でした。
[わかったこと]
① エゼキエル書1:10にある 人の顔、ライオン(獅子)、牛、鷲のそれぞれは、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書を示しているとのことでした。今回は聖マタイ福音書と聖マルコ福音書について お話を伺いました。
② 聖マタイのマタイ(マタイオス)はヤーウェの賜物という意味で、回心前はレヴィという名前で(レヴィ・マタイ)、住まいはガリラヤの湖のほとりのカファルウナムというところで、父親はアルフェオといい、職業はローマの方の税吏、そのためアラマイ語ヘブライ語も書くことができたので、マタイ福音書が後世に残された。最初に書き表された福音書であること。その特徴は、旧約聖書を良く引用していて、旧約が新約においてどのように成就したかということをパレスチナに住んでいたユダヤ人に向けて説明することに重きが置かれている。それによって イエズスが約束されたメシアであるということを説明している。そのため律法・地理・習慣・言い回しなどなど ユダヤ人なら当然よく知っているということを前提に書かれている。33年から44年の間に書かれたと思われる。
③ 聖マルコは、ヨハネ・マルコという名前を持ち、直接イエズスに会ったことはないが聖ペテロから洗礼を受けた弟子として通訳や書き物などを漁師出身のペテロのために行った。母親がお金持ちでマリアといい、キリスト信者が母の家に集まるのでいろいろな話を聴けた。旧約聖書からの引用はあまりない(二つくらい)。イエズス様の奇跡の話がたくさんある。聖マルコは キリストがまことのメシア救世主であることをその数々の奇跡を書くことによって、ローマの人に知らせようとして ローマで聖マルコ福音書を書いた。
[感想]マタイ福音書が旧約の引用をしながら書かれていること、マルコ福音書にイエズス様の奇跡の話が多いこと、に着目しながら二つの福音書に目を通してみたいと思います。次回のお話が楽しみです。いつもありがとうございます。
デオ・グラチアス!
追伸です。
実は、「勝利の教会、教会は必ず勝利します。」という神父様の力強い言葉が、わたしには 「今にもその霊的命が消え入りそうな瀕死のカトリック教会に見えるけれど、かならず甦って闘っている者たちに勝利の栄冠を与える」と 私たちへの励ましに加えて二重の意味を伴って聴こえてきました。
ラテン語のトリエント・ミサや 2000年変わらないカトリックの教義 聖人たちが生きたその証 それらが現在はもう過去のものになり見失われようとしているかに見えたとしても、その中に息づく愛が 信仰を求める人々を呼び集めて そこから天主の愛を受けて本当の故郷へ戻るための力を与えて下さる、それが今また少しずつ大きくなり、最後にはカトリック教会は勝利を得るだろうと。
ルルドやファチマに御出現のマリア様が祈りと犠牲をお捧げしなさい、と呼び掛けてくださいましたが、それはまるで教会が四旬節に入るので祈りと犠牲をお捧げしなさいと呼びかけられたかのようにも思えてきました。「あなた方の主が侮辱されるのを償いなさい」と仰っておられます。とうとう主の大切なごミサが十字架につけられてしまって、秋田では涙をお流しになりながら償いの祈りが必要なことをあらためて教えてくださったかのようです。
その時以来カトリック教会は この世の精神によって侮辱され まるで天主が十戒を与えたことがなかったかのように 人間として好きな道を選び人間として望むことを尊重して人としての自由を尊びなさい、そのような生き方を目指しなさいと言っているかのようにも見えます。前回の公教要理において 聖伝の信仰と第二バチカン公会議の信仰との違いを考察する機会をいただいて、はっきりと見る視点を教えていただいたからでしょうか、こんなふうにとらえている自分に気づかされました。
私が洗礼を受けたときには 既に新しい典礼での御ミサでした。昔の御ミサが現在と違うものだということを伝え聞く機会もなく 存在したことすら知ることもなく 新しい教会のムーヴメントに呑まれて押し流されている中で、霊感(インスピレーション)によって心に響いていたことも、聖書の中でイエズスがおっしゃられている御言葉も見失いがちになり、不安な気持ちが増すようでした。
それが伝統的な御ミサに与るようになってからは、本質的なカトリック信仰からそらされるようなことがなくなり、イエズス様の約束が何かということがはっきりするようになりました。この違いを感じることができるようになったことを 小野田神父様に感謝申し上げます。無原罪の聖マリア様とロザリオと不思議なメダイとコルベ神父様による聖母の騎士会、・・・。これらがこの百数十年の間に起こっていることの意味も教えていただきました。マリア様を通してすべてのことを受けていて、マリア様を通してすべてのものをお捧げするということも、次第にわかってきているように思います。本当に感謝いたします。
私は自分の罪と忘恩を償うためにこの四旬節に祈りと犠牲をお捧げしようと決心していたのですが、今日のお説教を拝聴して つい それ以上の意味を持つ四旬節をも想像してしまいました。イエズスと一緒になって祈りと犠牲をお捧げすることで、わたしが勝利するというよりもむしろ教会が勝利するというように聴こえてまいりました。教会が勝利するためにこの四旬節のボーナスセールでいっそう祈りと犠牲をお捧げして、罪人の回心のため天主が受けている侮辱と忘恩を償うことができたらと思いました。
多くのカトリック信者がプロテスタントの影響を強く受けているミサに与ることで、熱狂の中で我知らずにキリストを拒みバラバを選んでしまっている群衆のように、カトリック本来のトリエント・ミサを十字架につけているのかもしれません。(昔からの信仰を尋ね求める人には 居場所がなくなっているかのようです。) でも聖なる日本の殉教者教会の御ミサに与ることは 十字架のイエズス様と共にいる聖母マリア様と一緒にいる愛された弟子のようで敬虔な婦人たちのようだ ということなのかなとふと思ってしまいました。
本当にそのようになるためには この御ミサに与る私が 聖伝のミサに与ることの意義をしっかり理解してもっと敬虔に与るように努め、御ミサをもっと大切にしなければならないと感じました。この聖なる日本の殉教者教会で御ミサをお捧げしていることが天においてもっと認められるようになるために たくさん祈りたいと思います。そうなったらマリア様はきっともっとたくさんの人をこの十字架のもとに呼び集めてくださいますことでしょう、そのためにもお祈りいたします。
私は 神父様がコーリン・オーウェンズさんのことを紹介してくださったお話しに引き込まれて思わず聴き入ってしまっていましたが、後になるとじわっとそんなことが思い浮かんできたのでした。追伸が長くなってしまって申し訳ありません、どうぞ割愛なさってくださいませ。神父様 私たちのために素晴らしい御ミサをお捧げ下さいましてありがとうございます!
デオ・グラチアス!
【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
公教要理のレポートの続きを書かせて頂きます!
また間違っているところがありましたら申し訳ありません(>_<)>
《分かったところ》
◎聖マルコ
・第2の福音史家。
・聖マテオの名前はレビ(レビというのはユダヤ人独特の名前で、日本でいう太郎のような感じ)。
・マルコは、ヨハネとも呼ばれ、ヨハネ・マルコとも言われた。
・聖ペトロの伴侶(ペトロの第1の手紙5章13節)。聖パピアスによれば、マルコはイエズス様とは直接話をした事がないが、いつもペトロと一緒にいて、聖ペトロからよく話を聞いていた。また教養があったので、ペトロの通訳としても働いていた。
・母の名はマリア。ペトロが奇跡的に天使によって鎖を解かれて牢から脱出した時に、最初に行った所が、このマルコの母マリアの家(使徒行録12章)。
・44年に、第1次宣教旅行に行く。聖パウロとバルナバと共にエルサレム→チプロス→パンフィリア→ペルゲに。ペルゲでパウロと何らかの理由で行動を別にして、マルコは1人でエルサレムに戻る(使徒行録13章)。
・49年に、第2次宣教旅行に行く。パウロはシラと共にチリチアに。マルコはバルナバと共にキプロスに(使徒行録15章)。マルコとバルナバは実は親戚。
・パウロがローマで捕らえられ監視されている時(60-62年)にはマルコの名前が出てくるので、この時には仲直り(?)している。再びパウロがローマで監禁されている時に、ティモティオ(エフェゾの司教)に、「マルコと一緒に来てくれ」と言っている(66-67年)(ティモティオへの第二の手紙:4章11節)。
・聖伝によると、マルコはエジプトのアレクサンドリアという所に司教座をつくった。
・書かれた場所はローマ(聖ペトロと一緒にいるとき)。
・用語はラテン語的なギリシャ語を使っている。
・マルコは、ユダヤ人の独特の言い方や慣習に毎回説明を付けている。
《分からなかったところ》
・聖マルコ様が聖福音を書かれた時期は大体いつ頃なのでしょうか?宣教旅行に行かれる前くらいなのでしょうか?
・また聖マルコ様は、ユダヤ人独特の言い方や慣習などに説明を付けているという事は、マルコ様は異邦人に向けて聖福音を書かれたという事でしょうか?
お手数ですが、またお時間あります時にご指導をよろしくお願いいたしますm(__)m
デオ・グラチアス!
【お返事】
・聖マルコが聖福音を書かれた時期は、
1)聖マテオの福音の後に書かれた。
2)エルサレムが崩壊する(西暦70年)の前に書かれた。
3)聖ルカの福音の前(西暦62年の前)に書かれた。
・また聖マルコは、ユダヤ人独特の言い方や慣習などに説明を付けているという事は、聖マルコがローマの人々のために聖福音を書いたという事です。
旧約の引用は、次の二つだけのように思えます。
例えば「預言者イザヤの書の中に、「私はあなたの前に、道を準備する使いをおくる。"主の道を準備し、その小道を正しくせよ"と荒れ野で叫ぶ声がする」とあるように、洗者ヨハネは、荒れ野にあらわれて、罪のゆるしをえさせるくいあらための洗礼をのべつたえた。」
またイエズスとともに、二人の強盗を、一人を右に、一人を左にして十字架にかけた。「かれは罪人と並んだ」とある聖書のことばは、こうして実現した。
また次のような表現もあります。
イエズスは、人々にむかって、「あなたたちは、強盗に立ちむかうように、剣と棒とをもって、私を捕えに来たのか!私は毎日神殿で、あなたたちの中に立って教えていたが、その時には捕えようとしなかった。しかしこうなるのは、聖書が実現するためである」とおおせられた。
聖マルコが、ユダヤの言葉や習慣を知らない人々のために福音を書いていると面輪得るのは、例えば次のような説明が付いているからです。例を挙げます。
「ゼベデオの子ヤコボとその兄弟ヨハネの二人(かれらをボアネルゲス、すなわち雷の子と名づけられた)」
「「タリタ・クム」とおおせられた。それは、「娘よ、私は命じる。起きよ!」という意味である。」
「ファリザイ人と、イエルザレムから来たある律法学士とが、イエズスのもとに集まった。かれらは、イエズスの弟子たちの中に汚れた手、すなわち洗わない手でパンを食べる人がいるのを見た。ファリザイ人はもちろん、ユダヤ人はだれでも、古人の伝えをかたく守り、腕をひじの所まで洗ってからでないと食事をしないのである。また、市場から帰った時は、水で身を洗わないと食事せず、さかずきや土器や銅器も洗いきよめるなど、伝えとして守っている他の多くの風習がある。」
「イエズスは、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ!」と声高くお叫びになった。それは、「私の天主よ、私の天主よ、なぜ私を見すてられたのですか」という意味である。」
「夕ぐれになった。用意日、すなわち安息日の前日であった。」などなど。
他にもきっとあると思います。見つけたら教えて下さいね!