Quantcast
Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4247

「さらに強い人が来て勝ったら、その人がたのみとしていた武器をうばいとり、分捕品を分けるだろう。」 誰に向けての御言葉だったのか?

$
0
0
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年3月19日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年3月19日(主日) 四旬節第3主日のミサ
小野田神父 説教

聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。

今日は初めての方がいらっしゃって大変嬉しく思います。今日は2017年3月19日、四旬節第3主日のミサをしております。ミサの後にはいつもの通り、退場にはファチマのアヴェ・マリアを、それから感謝のお祈りを致しましょう。
14時30分から公教要理があります。今日は聖ルカについてお話をしようと思っています。16時からは晩課があります。

明日は、本来なら今日あるべき聖ヨゼフの祝日が、今日は主日と重なっていますので明日に移動になりました。そこで聖ヨゼフの祝日が明日の朝7時からあります、どうぞいらして下さい。

次回は4月2日と9日、御受難の第1主日とそれから枝の主日です。


Si autem fórtior eo supervéniens vícerit eum, univérsa arma eius áuferet, in quibus confidébat, et spólia eius distríbuet.

「さらに強い人が来て勝ったら、その人がたのみとしていた武器をうばいとり、分捕品を分けるだろう。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、四旬節も第3週になりました。イエズス様は第1週では悪魔から誘惑を受けて、それを追い払うだけでした。

今回の福音では悪魔に対して、「俺は悪魔よりもっと強い。悪魔がその自分の占領している霊魂たちを強く守っていたとしても、俺は更に強くやって来て、それを打ち負かしてしまって、悪魔の持っているものを全て奪って、それを天の国で分配する。より強い者がやって来る、それは私だ。私と一緒にいないものは私に逆らう者であって、私と共に集めない者は散らす者だ!」と攻撃に出て来ます。

そこで今日は、一体教会はこれで、一体何の話をしているのだろうか?一体何故この攻撃の話を、イエズス様が悪魔に対して攻撃する話をし出したのか?という事を黙想したいと思います。

それには理由があります。何故かというと、四旬節は教会にとって、「洗礼志願者」と、それから「公の罪人の回心の為の悔悛の為の儀式」を準備する特別な期間であったからです。

今回はこの特に、この2つのグループに対してメッセージを、強いメッセージを与えようとしています。つまり、「悪魔がお前たちを支配していたとしても、イエズス様は更にもっと強い。心配するな。さぁ、ますます四旬節の中に深く入って、洗礼の準備をせよ。痛悔の心を燃え立たせよ」と言っています。

そこで今日は第1に、洗礼志願者に対しては、教会はどんなメッセージを伝えようとしているのか?これは特に聖パウロから、書簡から。

第2に、では公の罪人たちに対してどうやって、何のメッセージを与えているのか?

それで最後に、私たちは2017年3月19日の今、四旬節の第3主日を迎えている私たちに対しては、教会はどんなメッセージを与えていて、一体私たちは何をしなければならないのか?その結論を、その黙想を遷善の決心として立てたいと思っています。

先程すでに申しましたけれども、四旬節は教会にとって、洗礼志願者と公の罪人の回心の儀式の為の特別の準備の時でした。洗礼志願者は復活の徹夜祭に洗礼を受けます。公の回心の人たちは、遂に告解の秘蹟を受けて、公の償いの業を与えられた業を果たし、そして今まで着ていた償いの服を脱いで、そして聖木曜日に一般の信徒の方と御聖体を一緒に拝領します。

今日はその準備段階として、霊的に私たちも招かれているのですけれども、ローマの門外にある聖ラウレンツィオの指定巡礼教会に行くようにと定められています。今日、今から1600年前のローマの時代に、タイムマシーンで一緒に飛び出す事に致しましょう。1600年前の四旬節第3主日にチャンネルを合わせて下さい。

私たちが行ってみると、まず莫大な数の洗礼志願者が行列で、「洗礼を受けよう」とする、大人たちを見て下さい。

或いは老人。「遂に、色々勉強したけれども、色々悩んだけれども、色々考えたけれども、色々人生を送ってきたけれども、やっぱりキリストの信仰を受けなければならない、キリストが正しい。ローマの異教の神々ではない」と悟った人々。

或いは少年の、若いまだ働き盛りの人々。やはりローマでの生活の、「その退廃した生活は良くない」と思うそのような、その「キリストの教えに倣って生活をしたい。天国を受けたい」と思う人々。

或いは若い少女たち。中には異教のお金持ちの男の子から「結婚をしよう」とプロポーズを受けた人もいたかもしれません。しかし、「いや、私はもしも生きるなら、キリストの生活を送る事を許す方と一緒になりたい」と言った人々。

或いは若い男の子たち、青年たち。もしかしたら中には、「キリスト教の洗礼を受けるようだったら、お前には財産をずっとあげない」と脅された人もいたかもしれません。しかしそれでも、「永遠の命を受けたい」と思って、その洗礼志願者に名前を連ねて、今行列で、聖ラウレンツィオ指定巡礼教会の方に荘厳に歩いて行きます。

その次には、償いの服を着た荒れ布を着た、洗礼は受けたけれども、しかし罪を犯してしまった、或いは泥棒をしてしまったのかもしれない、或いは何か重大な罪を犯して、肉の罪を犯してしまったのかもしれない、或いは何か、公の罪を犯してしまったのかもしれない、今では新聞の記事沙汰になったような事をしてしまったかもしれないような人たちが、痛悔の念をもって、断食でやつれた顔をして、そして聖ラウレンツィオ教会の方に行きます。

その次に聖職者、助祭、副助祭、司祭、その他ローマの全ての聖職者たちが、信者と共に一緒に入ります。その最後には、ローマの司教である教皇様が囲まれて、多くの枢機卿とか或いは他の高位聖職者たちに囲まれて入ります。

教会に入ると、「今から洗礼志願者たちの為に、特別の試験の時期が始まる。今から7回に分けて、」それは数が多かったからですけれども、「まず信仰が正しいか、或いはキリスト教に対する良い知識を持っているかどうかの試験がある」というアナウンスを受けて、それから教会に入ると、教会では聖歌隊が歌います。

「“Oculi mei semper ad Dominum.”私の目は常にずっと主に上げられている。」

或いは昇階誦や或いは詠誦でも、「私の目は常に主の方に、眼は主の方に向いている。憐れみを受けるまでずっと向いている。主よ、どうぞ私はもう今までずっと、地上の事を犬のように這い回してきましたけれども、私の眼差しはすでに上の方にあります」という声を響かせます。

聖パウロはそこで言います、「お前たちは今まで闇の中にあった。だからこれからは、今は光の中に入り、天主を真似た者となれ。お前たちは今まで肉の罪、こんな色々な口にするのも恥ずかしいような罪を犯してきた、そして偶像崇拝をしていた。しかしこれからはそうではない。これからは光の子として歩め。天主を真似る者として歩め。光の中を歩め」と、洗礼を受けようとする人たちに励ましの声を響かせます。


第2は、では痛悔の人たちにとってはどうなのでしょうか?それはイエズス様の言葉で教会は教えようとしています。

それは、せっかくイエズス様からの洗礼の御恵み、罪の赦し、しかもその為に天主の御血潮を全て流されて、私たちをきれいに洗って下さって、愛するが為にその御受難を受けたにもかかわらず、それを罪を犯す事によって「No!」と言ってしまった、イエズス・キリストに逆らってしまった、それを悔やむ霊魂たちに対しては、「イエズス・キリストは更に強く、悪魔がお前たちを攻めて守っていたとしても、更に強い。」

「でも気を付けろ、一度清められた家がもしも堅忍しないならば、守り続けていないならば、悪魔はまた戻って来るだろう、奪い返そうとするだろう。その時は自分よりももっとひどい悪魔を7匹連れて、もっと強い攻撃をするだろう。そしてもしも悪魔が戻って来たとしたら、霊魂の状態は更にひどくなってしまう。気を付けろ。」「今はお前たちは罪を痛悔する恵みを頂いた。しかしその恵みがいつまでもそれが与えられると油断してはならない。悪魔がもう汚らわしいものを連れて、何匹も連れてやって来て、お前たちを攻撃してしまった暁には、もしかしたらお前たちはもっともっとその状態が荒れてしまって、もはや立ち戻る事ができなくなってしまうかもしれない。気を付けろ 」と警告をしています。

実際に教会の前で、その大行列が入る前にそのようなアナウンスもあったのです。教会は、更に、福音でイエズス様の声を響かせました。

では、私たちは一体どのような決心を取ったら良いのでしょうか?

私たちは同時に、洗礼を受けた、日本の1億2700万の中から特別に選ばれて洗礼の恵みを受けた者でありますが、たとえ私たちはこの「公の罪人」というタイトルを受けなかったにしろ、しかし残念ながらイエズス・キリストに対して、かつて罪を犯してしまった、洗礼の御恵みを受けていたにもかかわらず罪を犯してしまった者であります。悪魔の罠をよく知っている者です。

最初は、「あぁ、これぐらいでは良いんじゃないか。」次には、「こうでも良いんじゃないか。」遂には「もっとこれも良いんじゃないか。あぁ誰も見ていないよ」と、ますます罪を重ねてしまった者ではないでしょうか。ですから私たちはそれと同時に、悔悛の立場を、公の罪人の立場をも兼ねている者です。

ですから私たちも今日、教会の招きに従ってこのメッセージをよく聞く事に致しましょう。

「洗礼の御恵み、これによって私たちは偶像崇拝を捨てて、光の子となる者となったのだ。そしてその光の子となる者となったにもかかわらず、私たちはイエズス様を捨ててしまった。しかしこの今、悔悛の御恵みの時期が与えられている。それを是非利用しなければならない。私たちの名前もこの公の罪人の中に入れよう。そしてこの四旬節を彼らと共に過ごそう。そして良い復活祭を準備しよう。」

それだけではありません。私たちは同時に、一般の信徒たちと共に聖ラウレンツィオ教会に巡礼致しましょう。

一般の信徒たちは、「あぁ、この洗礼を受ける人は俺とは関係ないよ。」或いは「罪人、公の罪人、関係ないよ」と言ったのではありませんでした。一般の信徒たちは、彼らの為に教会と共に祈っていました。この2つのグループの人々の為に、祈りと犠牲を特にこの四旬節に捧げていました。

まさにここにこそ教会の真髄があります。特にこの第2の点を、皆さんにはこの四旬節に今日良い決心を取って頂きたいと思っています。何故かというと、例えば「クリストヴァン・フェレイラが転んだ、躓いてしまった、堕ちてしまった」と聞いた時に、同じイエズス会の同僚たちは皆、「フェレイラに代わって、自分の兄弟に代わって、俺が日本に行って血を流して、その罪を償いたい。」祈りと犠牲を倍増させました。40時間の御聖体礼拝、教会を特別にきれいにして、「イエズス様の栄光を表したい。そしてできる事ならば自分の血を以て罪を償いたい」と。

ファチマのマリア様も同じです。子供たちに、「多くの霊魂が地獄に行っている。何故かというと、誰も彼らの為に祈り、償いをする人がいないから。しかし、もしも彼らの為に喜んで祈り、喜んで償いを果たす霊魂がいれば、多くの霊魂は天国に行く。そしてこの地上には平和が来る。キリストのカトリック教会には栄光が与えられる」と。

まさに四旬節のこの第3主日の精神なのです、「罪人の為に、今から洗礼を受けようとする彼ら求道者の為に、信者は祈り、償いをよりたくさん捧げて、彼らの為に全力を尽くさなければならない」と教えているのです。今日ここにその意義があります。

愛する兄弟の皆さん、ですから私たちもますます熱心に、お祈りと犠牲の奮発心を起こす事に致しましょう。

今から400年前日本では、もしもフェレイラ神父の為に多くの殉教者が命を捧げて、そして祈りと犠牲を捧げたとすれば、現代、そのような公の罪人たちの為に、犠牲と祈りを捧げる霊魂が一体どこにいるでしょうか。

ファチマのルチアは言っています、「祈りと償いの呼びかけを、ローマや修道会からもはや期待する事ができなくなる時が来るでしょう。私たちがむしろ進んでそれをしなければならないでしょう。」ですからこの四旬節のこの時は、ますます貴重となっています。是非私たちが彼らに代わって、多くの犠牲と祈りを捧げ、彼らの回心の為に祈る事に致しましょう。

ファチマのマリア様にお願い致しましょう。どうぞ私たちにその恵みが与えられますように、寛大さが与えられますように。

悪魔がこの世界を支配していたとしても、聖母の汚れなき御心は最後に凱旋します。ますます四旬節の中に深く入って、洗礼志願者のために、罪人たちのために、祈りと償いの呼びかけに答えましょう。

「さらに強い人が来て勝ったら、その人がたのみとしていた武器をうばいとり、分捕品を分けるだろう。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 4247

Trending Articles