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2017年6月18日主日の東京での聖伝のミサ(ラテン語ミサ)の報告 Traditional Latin Mass SSPX Japan

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2017年6月18日主日の東京での聖伝のミサのご報告をいただきました。愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

 次の聖伝のミサは、次の通りです

【大阪】
 6月30日(金)
 使徒聖パウロの記念(3級祝日)赤
 午後4時15分 洗礼式
 午後5時半  ロザリオ及び告解
 午後6時   ミサ聖祭

 7月1日(初土)
 イエズス・キリストのいと尊き御血(1級祝日)赤
 午前09時半 ロザリオ及び告解
 午前10時  婚姻の秘蹟
 午前10時半 ミサ聖祭

【東京】
 7月2日(主)
 聖霊降臨後第4主日(2級)緑
 午前09時  グレゴリオ聖歌の練習 及び 告解
 午前10時  ロザリオ 及び 告解
 午前10時半 ミサ聖祭
 午後02時  公教要理
 午後04時  主日の晩課(グレゴリオ聖歌)


 7月3日(月)
 殉教者司教聖イレネオ(3級祝日)赤
 午前7時 ミサ聖祭

です。多くの兄弟姉妹の皆様が聖伝のミサに与ることができますように!

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

御聖体の大祝日の御ミサと聖体賛美式をありがとうございました。

前回からマリア様の御像が聖堂の前にいらしてくださいましたこととても嬉しいです。美しくふさわしくお花を飾りご奉仕してくださる方にも心からお礼申し上げます。

今回は特別に御ミサとは何であるかを黙想し、胸に刻むことができたように思います。この日のお説教で分かったと思ったことはご聖体の神秘です。三位一体の天主は、私たちが流浪の旅に出たときから、もとの御父のもとに還るまでその永遠の昔から私たちをどのように養われようかと考えられいのちの糧をくださったのだとわかりました。

前表として、過ぎ越しの子羊、天から降ったマンナ、エリゼオのため灰の中で焼かれたパン、メルキゼデクのパンと葡萄酒、モーゼの打った岩から出た水と蜜、があったということです。

そして御ミサの中で御聖体と御血が分離して聖別されるということは、つまり犠牲が、屠りが完成したということを秘跡的に示すことであり、わたしの罪の贖いの値として御血が流されたことであるということをしっかりと胸に刻みました。それが秘跡的に行われる時、聖なるミサ聖祭が目の前で行われているとき、どれほど感謝しなければならないことでしょう、こんなに未熟で頭も鈍く心も汚れている私をも愛してくださる天主様にたいしての感謝は生ぬるいものでは申し訳ないことと、平伏して礼拝しました。

この御聖体がこの私の中に御自分の血を流そうとされることをお望みになられて、いけにえとして屠られ食されるものとなられた、そして天主が人間の身体を取ったのも私に天主の本性を与えるためであった、私を天主の血統の者として下さることのためであった、などとお話を伺ったことを思い出して、これは普通では想像することも難しいことだ、人間が考えつくことではないと思いました。ただただお恵みによって、このような素晴らしいことに招かれたことを知りました。

天上のことを知らず天的なものに憧れ、天の食べ物に飢えている人間に生涯の伴侶・糧としてご自身を屠ってまでご自分の本性を人間に食べさせ養おうとされたイエズス様へなんと理解も感謝も足りないことだろうかとあらためて反省させられました。「全実体変化」というご聖体のために特別に作られた言葉についてもお話しいただきました。ご聖体を拝領した私たちのもとにイエズス様はとどまってくださることを神学的に説明いただきました。本当に私たちはどんなにか聖性の状態でいるように努めなければならないことでしょう!いつも躓いてばかりおります。泥の中に落ち込んでばかりのようです。

そして幼きイエズスの聖テレジアの表現された「イエズス様の御血は白い乳のようだ(Le Pain de l'Ange est le lait virginal. Ma blanche Hostie est le lait virginal.)」という言葉をご紹介していただきました。幼子には何もむずかしいことはわかりませんが、与えられたお乳を母の胸から飲みます、そして養われて母の愛を受け愛によって生きることができます。霊的な母である聖母マリア様が永遠の命をいただいたように幼子も御聖体によって養われて終わりなきいのちを生きるものとなることなのでしょう。その乳のような御聖体はどこかから買ってきたようなものではなく、御自分の身体を糧として与えられたもので、母マリアよりも更に母親らしいイエズス様の愛がそこにありますとお話しいただきました。

このお話を伺って、自分のようにあまりわからなく秘跡に与らせていただいていたこともできる限り敬虔に御ミサに与ろう、改悛に努めようと臨んでいたことでおゆるしいただき、知らないうちにも養われていたのであろうかと思いました。安心して御ミサに与れること天主様の愛に感謝いたしました。

そしてこれほどまでに人間への愛のためご自分を犠牲にされた三位一体の天主はご聖体のうちにましまし給うのに、御聖体は怖しく冒涜されているので天使は聖心を侮辱していることの償いのために、天使の祈りを教えた、この天使の祈りのなかには三位一体と御聖体と聖心の三つが入っていると教えていただき、なるほどそうだ!と思いました。三位一体の祝日と御聖体の祝日と聖心の祝日と続けて祝われるのもこの三つは深いつながりがある故であると教えていただきました。三位一体の天主とご聖体とイエズス様の聖心とマリア様の御心が怖しくも侮辱されていることへの罪の償いのために御聖体を拝領しなさいとの勧めに従いご聖体拝領をいたしました。

続けて御聖体が顕示されて、御聖体賛美式が執り行われて、いつもはできない御聖体への特別な礼拝をお捧げすることができましたこと感謝申し上げます。賛美と感謝とご聖体に対する侮辱・冒涜・無関心への償いのために心を込めてご聖体を礼拝いたしました。まことにありがとうございます。


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

公教要理では前回の続きのお話しでした。
今回はヘロデ大王が歴史的地理的に登場する背景を伺いました。
聖地パレスチナの地理の前回の復習からのお話しでした。

【前回の復習】
1聖地パレスチナを特徴づけるのは川である。ヨーロッパでは河は物資の運搬など恩恵をいただくものだが、イスラエルの場合はヨルダン川は障害となったり交通を妨げるものであったり敵から守られるものでもあった。

2ヨルダン川の源流よりはるか北の方(シリア地方)に、海抜2800mの高いヘルモン山がそびえている。この辺りには、イドゥメア人が住んでいた。

3ヘルモン山の南のヨルダン川の源流のフレー湖は海抜2m、チィべリア湖は海抜-208m、そこから流れ下るヨルダン川は海抜392mの死海に流れ込みその水はどこにも出ていくことがない。現在の死海は小さくなってきている、水量が少ないようだ。ヨルダン川はヘブライ語の動詞Yaradヤラドから由来しており、下がる・落ちるという意味で、「下り川」と訳すこともできる。

4ヨルダン川の西に連なる山脈は高い山々であり、その高低差の激しさが険しい地形を産み、敵から住民を守ることともなった。

5ヨルダン川の東の地方はトランスヨルダンと呼ばれていて、ヘロデ王の支配する6つの地域があった。そこにデカポリスという名前の意味は十の都市という名前だが、ギリシャ人が多く住んでいたところがあり、この辺はユダヤ人がほとんど住んでいないところだった。他にもヘロデ王の権力外にあるガラサ・ガラダ・フェラデルフェア・ベツサなどの都市があった。

6ヨルダン川の西の地方は四つに分かれていて、有名な都市は、パレスチナのカイザリア・ヨッペ・ユダヤ・エルサレム(海抜800m)などがあった。

7サマリア地方。エルサレムの北の方にある此処は砂漠のようなところでヘロデ王の支配化にあり、「セバスト」と言っていた。意味はローマ皇帝ユリウス・シーザー(カエサル)から取られていて、カイザルという言葉のギリシャ語がセバストである。サマリア地域では独自の一神教を信じていた。ここサマリアはアムリ王がサマリアを建設しているがHyrcanヒルカンが前100年にサマリアを滅ぼしてしまう。その後ヘロデ大王がサマリアを再建する。ここサマリアではエルサレムでの礼拝は行われなかった。

8ガリラヤは海のおかげで雨が降り、チィべリア湖のおかげで漁業が盛んだった。いろいろな国民のるつぼとなっていて多国民の住む街だった。マタイ福音書の第4章15節に“異邦人のガリラヤ”という表現があるが、異邦人の混ざっているところという意味である。

9チィべリア湖について。魚がたくさんある。語源は竪琴という意味のキネサル。キノルという言葉(竪琴と言う意味)があるのだが、この湖は形が竪琴のように細長くなっていたからであり、竪琴の湖と呼ばれていたから。この湖は縦が21kmで横が12mで深さは50mもない浅い湖であった。底が浅くて水温が温かかったかもしれなくて、餌のプランクトンが繁殖しやすい環境にあったようだ。そのために魚が繁殖しやすくたくさん多くいた。

10この辺りには、ナザレ・ナイン・カナ・マグダラ・カファルナム・コロザイン・サフェなどのような街があった。(コロザインという町は今は何処にあるか判らない、たくさん与えられたお恵みを拒絶したから。コロザインでイエズス様はたくさんの奇跡をおこなったが、信じようとしなかったから。サフェは山の上にあり1000m位のところにあった。イエズス様のお話しの中の「山の上のある町は隠せない」といういわれの町のようだ。)

【今回のお話し】
その後、ヘロデ大王の話を伺いました。ギリシャからインドの西方ガンダーラまでをも支配したアレクサンダー大王の時代からの歴史的背景を伺いました。

1アレクサンダー大王の死後に帝国が奪い合いされたが、その中にガリラヤ・サマリア・ユダヤの土地があった。この土地を、エジプトを支配していた者(ラジド朝 或いは プトレマイオス朝 - ラジド朝 Lagidai というのはプトレマイオスの父親の名前ラゴスから由来する)と、シリアを支配していた者(セレウコス朝)で、争った。結果はシリアの支配者が勝った。パネイヤの勝利と呼ばれる。(B.C.198)

2ガリラヤ・サマリア・ユダヤの土地は異邦人のシリア人に支配されるようになり、その当時に立ち上がったのが、マカベオ兄弟であった。(マカベオ兄弟は聖人であり見習うべき方々である。「安息日だからと言って、抵抗しないのはまずい。おきてを破ることになっても、安息日であっても剣を取り神殿を守るために戦う」ということだった。これは今でも私たちが見習うべきことだ。)このようにユダヤ人のそれも特に宗教の純粋さが保たれるようにと、マカベオ兄弟がたちあがったのだが、その中で生き残ったのがシモンというものであった。

3そしてガリラヤ・サマリア・ユダヤの土地ではシモンによりシリアの支配に打ち勝った。それなりに独立を勝ち取る、劣勢だったにもかかわらず、新しく王朝を勝ち取る。これをアスモネア朝という。ユダヤの王家が始まった。

4 そののち、子孫のヒルカン2世(ヨハネ・ヒルカノス2世)とアリストブル2世(アリストブロス2世)が跡目争いをするようになる。二人はローマ皇帝ポンぺイウスの時、ローマに調停をお願いするのだが、ローマ皇帝はこの機をとらえローマを占領してしまう。この時、自治を許されて自律的に生活できるようになり、ヒルカン2世は大司教兼王様となる。ちょっとした自治を維持する

5 ここで、この講話の最初に出てきたヘルモン山のふもとに住むイドゥメア人であるアンティパルという人物が、ユダヤを支配しようとしていた。アンティパルはローマからユダヤを支配しろと言われた。ローマはシリアを手に入れていて、パレスチナの地をシリアの総督のもとに置いていたので、そのシリアの総督を経由して、アンティパルはユダヤの土地を支配した。

6 アンティパルという人物はローマに政変が生ずるとすぐに手のひらを返したように鞍替えをして、ローマの総督に立てられるなど、とてもずる賢くて賄賂作戦に手を染めるいやらしい人物であり、紀元前43年に毒殺されてしまう。

7その子供が後を引き継ぐ。聖書に登場するヘロデ大王である。ヘロデ大王というのは、このアンティパルという人物の息子であった。アンティパルのいやらしさ・ずる賢さを2倍にして受け継いだ男。それがヘロデ大王であった。(カエサルの)ローマからできるだけ多くものを取ろうとうまく立ち振る舞う。ヘロデはヒルカンにもおべっかを使って権力を手に入れる。ヒルカンは大司教としての地位しか持たなくなる。

8 紀元前41年にはヘロデは兄弟ファサエル(ファサエロス)と共に分国王となる。しかし、アリストブロス2世の子どものアンティゴノスという人物が、パレスチナの独立のためにローマ帝国の支配から逃れるべくローマ人を追い払おうとする。そしてヘロデは一時的にローマに逃げる。
一時はアンティゴナはユダヤの独立を守ることができるかと思えた。

9しかしその後のヘロデの狡猾な策略によって、ヘロデはユダヤの王というタイトルをローマの元老院から受ける。(カエサルにとってユダヤの地は大帝国のほんの端っこに位置するに過ぎないどうでもよいような土地だったからヘロデのおべっかを受けて好きなようにさせたに過ぎなかった)。次にヘロデは、カエサルに「ユダヤの王様として認められるだけでなくユダヤの地を征服しなければならない」と言いくるめて、ローマの軍隊をこの地方に送ってもらうようにする。ヘロデは三年の戦いの後エルサレムを包囲してアンティゴナを生け捕りにして、ローマに連れゆきその首を切る。ヘロデはこの地に戻りもう一度ここを征服する。紀元前37~4年ヘロデはローマから認められた王としてユダヤを統治する。(ヘロデ大王)

10 カエサルの死後も、ヘロデ大王はずる賢くローマ皇帝と手を結びローマ帝国の一部として自分の位置・地位を確立した、そしてギリシャ文化にかぶれていてギリシャ文化を導入しようとした。エルサレムに劇場をつくったり、競馬場をつくったり、ギリシャ文化の娯楽施設をつくった。その周辺の地域(サマリア・エリコ・ヘブロン・マムロンなど)もギリシャ風に変えてしまう。そして、崩壊していたエルサレムの神殿を立てようとする(神殿の再建)。ヘロデ大王はパレスチナのみならず、アテネにもいろいろなモニュメントをつくった。

【感想】
ヘロデ大王の歴史的背景のお話しは少し難しかったけれど、聖書に登場する重要な人物であり、当時の社会的状況への理解に発展する貴重なものでした。
復習するのは大変でしたが、当時のユダヤ地方の地理や政治的歴史的なユダヤ人の状況がよく理解できるようになりました。間違って聞いていることもあるかと思います、どうぞお許しください。神父様とても貴重なお話をありがとうございました。



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