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聖ピオ十世会のファチマ国際巡礼のご報告 (その1) 2017年8月21日

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会のファチマ国際巡礼のご報告をいたします。

 8月19日と20日には、ファチマにおいて聖ピオ十世会の国際巡礼を行いました。約1万名が参加しました。

 私たち巡礼団は、8月21日に、サンタレンの御聖体の秘蹟の教会を訪問しました。

 リスボンにも行きました。リスボンに流れる河と河口の海を見ていろいろなことを思いました。日本に初めて到来した南蛮人がポルトガル人で、リスボンから出航しました。日本に聖福音を伝えてくれた聖フランシスコ・ザベリオもポルトガル王の下でリスボンから出航しました。そのリスボンに今いるのだ、と。

 天正遣欧使節も1582年(天正10年)2月20日に長崎を出港し、命がけの長い航海の後(二年半後の1584年8月)リスボンに到着しました。彼らはいろいろな都市を訪問しつつローマに行き(1585年3月ローマ到着)、1586年4月リスボンから帰路出航して長崎に(4年と3ヶ月後の)1590年7月に帰国しています。

 私にとってリスボンに行ったのは初めてでした。飛行機で大阪を発って、乗り換えは一回で、24時間以内で到着しました。私たちはリスボンからローマにも行きましたが、私たちは飛行機で移動し、飛行時間は2時間半ほどでした。それでも、迷子にならないようにしたり、スリに遭わないように注意したり、落とし物や忘れ物をしないように気をつけて、暑さ、疲れ、空腹、喉の渇き、様々な不便、日本の生活ややり方と違うこと、言葉の違い、など巡礼の旅は大変です。

 天正遣欧使節も、命がけの長い船旅、身の危険、盗難の危険、生活様式の違い、言葉の違い、大きな勇気と忍耐力、天主への信頼や犠牲の覚悟などが必要だったと思います。当時に日本からヨーロッパに大旅行をするには多くの資金が必要だったと思いますが、それ以上に、ヨーロッパに行くことを望む強い意志と使命感があったことだろうと思いました。

 彼らがリスボンに到着したとき、どれほどの感動と喜びがあったことでしょうか!リスボンからついにローマにたどり着いたときはどれほど大きな感謝があったことでしょうか!

(つづく)

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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