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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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ファチマの牧童たちはすごい!ロザリオの十字軍へのご協力を心から感謝します。

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年 9月 06日現在、
日本から今までの総計で、ロザリオ 25,621環、犠牲 67,820回が報告されております。天主様に感謝!愛する兄弟姉妹の皆様のご協力に感謝します。

マニラからは総計として、ロザリオ343,757環、犠牲133,287回が報告されています。

韓国からは、ロザリオ11250環、犠牲750回が報告されています。

今回のロザリオの十字軍では、数はあまり集まらなかったかも知れませんが、私たちは特に意向をはっきりさせることができたと思います。

ファチマの子供たちの模範は、すごいと思います。実際にやってみて彼らのすごさが分かります。一日や一週間だけではなく、聖ジャシンタや聖フランシスコは、死ぬまでやり通したのですから。

犠牲を捧げるのは、口で言うのは易しく、できるだろうと想像するのも簡単ですが、実際に少しでも実践するのは、本当に犠牲やつらさが伴います。ファチマの牧童たちから、なんと遠くにいることでしょうか!

このロザリオの十字軍によってファチマ100周年が準備できたことを感謝すると共に、この十字軍に寛大にご協力してくださった愛する兄弟姉妹の皆様に心からお礼申し上げます。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
ロザリオ十字軍の報告をさせていただきます。

2017年1月から8月22日までの ロザリオ 258環
  小さな犠牲 868回です。
たくさん、たくさん感謝です!

【報告】
アヴェ・マリア!

小野田修道院長様

ロザリオ十字軍で1年間捧げたロザリオの数をご報告します。
416環でした。
ご報告が遅くなり申し訳ありませんでした。

犠牲の数は正確にはできませんが、金曜日だけにすると50回と
ご報告させていただきます。

ファチマの巡礼のご報告読ませていただきました。
大変お疲れ様でございました。

私は10年前にファチマとリスボンに行ったことがあるのですが、
大変なつかしく思い出されます。
リスボンのここからフランシスコザベリオが東洋、日本に向かって
旅立たれたのだなあと想像したのも同じです。

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

ロザリオ十字軍の報告をいたします。
ご報告が遅れまして申し訳ありません。

7月と8/1~8/22まで  86回でした。


【報告】
ロザリオの十字軍のご報告 7月1日~8月22日

アヴェ・マリア・インマクラータ!

小野田神父様、こんにちは、

ロザリオの十字軍のご報告です。

7月1日~7月31日
ロザリオの祈り 99環
犠牲 136

8月1日~8月22日
ロザリオの祈り 87環
犠牲 104

ご報告が遅れて大変申し訳ございません。
前回2014年のロザリオの十字軍に参加させていただいてから、ロザリオの祈りを毎日することができるようになりました。以来、たくさん唱えることばかりでなく、意向を持つことと黙想を心がけるようにしました。
それで今回のロザリオの十字軍では、数を増やすことがなかなかできませんでしたが、7月に入ってからは、少しくらいは無理をしてお祈りをお捧げしようと決めまして、数を増やすようにしました。たとえ、からだでもって唱えるだけに終始してしまうことになってもそうすること、その時間をとることと決めて、聖母マリア様、聖ヨゼフ様に特にお願いを持ってこれを実行しました。
結果、数を増やしても、より意向を持っておいのりできたと思います。黙想がそれてしまったりすることも少なくなったと思います。その日その日にロザリオの祈りを数多くしようとするのは、正直億劫な感じが出ることがしばしばありまたが、そんなときは、この経験を思い起こして積極的になれます。わたくしのほんのささやかな経験ですが、感謝しきれない思いです。今もこれでもって引き続き同じ意向でロザリオの祈りを続けております。

 今回はできるだけ犠牲をお捧げしたことをカウントいたしました。犠牲をお捧げするときに「イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人の回心のため、また聖マリアの汚れ無き御心に対して犯さるる罪を償うためです。」と言うことと、数をカウントすることでもって、犠牲をお捧げしようとしている自分自身と向き合うこと、それは、ほんのちょっとした自分の中の何かから逃げ隠れしたい感じやごまかそうとしているかもしれないことを受け入れる機会を与えていただいていることに思い至るようになり、恥じ入るほかはないのですが、正直になれることは大きな安心につながり、励みもいただいていたと思います。
 自分の心や体の習慣の悪いところを少しでも償うことができれば・・・と思うばかりでした。「今この犠牲をしなければならないのは自分がよくないからでは?!」と思うこともありましたが、それでもお捧げさせていただきました。今回のロザリオの十字軍では、犠牲をお捧げすることがより真実に正直になる助けとなっていたと思いました。自分に正直になるなら、誇れるものは何一つ無く、恥と後悔しか無い・・・。これがわたくしの実態ですから、償いや犠牲をお捧げしていくほかに無いのです。汚れきっているこの自分でもって・・・。こんな自分を挽回して頑張ろうとする前に。
 ファチマの牧童たちが、お弁当も食べず、水も飲まずに犠牲をお捧げしていたことを、この夏の時期しばしば思い出し、倣うようにし、彼らにお取り次ぎをお祈りしました。十字架のイエズス様の御渇きに加えて幼い彼らの空腹とのどの渇きをも思い起しました。渇きや空腹は忍耐をするのにわかりやすく味わえますから。終生いつもいつもいつも彼らの渇きと忍耐をを忘れないで生活したいと思っております。
以上です。

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