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聖ピオ十世会ファチマ国際巡礼者からのお便りをご紹介します SSPX Fatima pilgrimage, letters from pilgrims

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ファチマとローマとへの国際巡礼に参加された巡礼者の方から、ご報告の続きをいただきました。愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

 次の聖伝のミサは、次の通りです。ミサ聖祭の時には今回ローマで購入したお土産の香を使用する予定です。(香りの違いにもご注意下さい。)

大阪では、聖母の誕生日の祝日(9月8日)、9日(土)、10日(主日)の夕方、11日(月)にミサがあります。
東京では、9月10日(主日)の午前10時半からミサがあります。

【大阪】
   9月 8日(金) 童貞聖マリアの御誕生(2級祝日)白
            午後5時半 ロザリオ及び告解
            午後6時 ミサ聖祭

   9月 9日(土) 聖母の土曜日(4級)白
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

   9月10日(主) 聖霊降臨後第14主日(2級)緑
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭 

   9月11日(月) 聖霊降臨後の平日(4級)緑
            午前6時半 ミサ聖祭 

【東京】
   9月10日(主) 聖霊降臨後第14主日(2級)緑 
            午前09時 グレゴリオ聖歌練習 と 告解
            午前10時 ロザリオ      と 告解
            午前10時半 ミサ聖祭
            午後02時  公教要理
            午後04時  主日の晩課

   9月11日(月) 聖霊降臨後の平日(4級)緑
            午前7時 ミサ聖祭

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
+Ave Maria! Immaculata!

どれほどお疲れがおありでしょうに、巡礼後すぐの日本のミッションをありがとうございました!
ファチマローマ巡礼のお恵みの感謝としても、この初金と初土の御ミサに与りました(^-^)

このたびのファチマローマ巡礼のお恵みを天主様に、ファチマの聖母に、小野田神父様、聖ピオ十世会の神父様方、巡礼の手配をくださった方がたに感謝いたします。思いを全部書くことはできないですが、思いつくままですが所感を申し上げます。

【ファチマ】
まず巡礼の準備として、聖ピオ十世会でのノベナや聖母の小黙想会までお与えくださり、ファチマ巡礼の重要さを痛感いたしました。

ファチマに到着して、いま自分がファチマに巡礼に来ていることが信じられない思いでいっぱいで、まっ先にファチマのマリア様に心から感謝を申し上げました。

日本国、日本に住むすべての人、日本のカトリック教会の代表として、来ることができなかった方がたの分も、また日本の尊き殉教者様がたになりかわり(おこがましいですが(^_^;)、ファチマに詣で、マリア様の御出現100年を記念し、マリア様のお望みを果たすべく、満ち溢れる罪の償いとして、心から御ミサに与り、自らもマリア様の涙の一滴としてお捧げしました。

また着物を着て御ミサやロザリオ行列に参加することは、着る時間、体力、暑さ、身動きが不自由になる不便さ、履き慣れない草履での足のいたさ、などもすべて犠牲として、また日本の尊き殉教者様がたを思い、ファチマのマリア様にお捧げいたしました。

ファチマに着いて、最初に驚いたのは、日差しの強烈さでした。日陰は涼しい日もありましたが、日があたるとジリジリと肌が焼かれているのがわかりました。@@

8/18は、アジア管区でシュテーリン神父様のご指導のもとに、コヴァダイリアのバジリカ、ヴァリニョス、聖なる3人の牧童の通った道、家、カベソなど天使の御出現の場所を巡礼して、御出現から数年のうちに短い生涯を終えるまでに高い聖徳へ到達した子供たちのそこでの生活を黙想いたしました。ホテルでの食事には、果物やお肉も沢山でて、ああ子供たちは、こういう食事をしていたのかな・・・?などすべてを聖なる3人の牧童に思いを重ねておりました。(我慢して口にしなかったものも多かったかもしれませんが・・・)コヴァダイリアのバジリカには、聖なる3人の牧童のお墓があり、ファチマの真の使徒となる御恵みの御取り次ぎを願いました。

聖ピオ十世会の公式行事である8/19の御ミサには、祭壇のすぐ近くで御ミサに与る御恵みをいただきました。これはひとえに小野田神父様の24年間の溢れる犠牲と献身、聖母への愛にあふれたの司牧に対してのファチマのマリア様からのなぐさめ、「小さな奇蹟」だと感じました。

司教様がたや来日された神父様がたにも、ファチマの聖母のために日本から巡礼に馳せ参じた姿をお知らせすることができて嬉しかったです。

8/19のヴァリニョスでのマリア様の御出現のちょうど100周年に、ロザリオ行列でヴァリニョスに「つながった」ことが、大変嬉しかったです。

※嬉しいことに行列は1万人ほどいらしたそうで、まだ行列はほとんど出発していないのに、すでに先頭の司教様がたがヴァリニョスに到着されておられたそうです。人が多すぎて、私たちはヴァリニョスに到着することができませんでした(^_^;)

8/20は、御ミサの祭壇が全く見えない、遠くの木陰で御ミサに与りました。スピーカーからは声が良く聞こえたので、心を一致して御ミサに与りました。
フェレー司教様のお声がとても良く聞こえました。御ミサの後、ヴァリニョスでのロザリオ、無原罪の聖母の騎士会の「聖母の汚れ無き御心への奉献」更新のために、急いでホテルに戻り、着物を着替えて遅れてヴァリニョスに到着しました。特にこの日はとても暑い日だったようで、日陰も暑くて喉が渇いて、頭がクラクラするほどでした。気温は39度で、体感温度は45度だったそうです@@;生まれて初めて体験した暑さでした。この暑さのなか、ルチア、ヤチンタ、フランシスコは1ヶ月も水を飲まなかったことを思い出して、天主様への愛、罪人の救霊のために、マリア様の汚れ無き御心をお慰めするために、どれほど犠牲をお捧げしていたことかを、痛感し、自分が恥ずかしくなりました。

8/21には遠足でサンタレンとリスボンに行きました。
サンタレンでは奇蹟の御聖体を礼拝しました。夫の気持ちを取り戻すために犯した妻の大罪で、傷つき流れた御血が、今もはっきりと見ることができました。でもそれだけではなく、「いまの世の満ち溢れる多くの罪で流れ続けている御血」なのだとも思いました。

聖アントニオ様の生まれた所の教会に入るときに、いつの間にか鞄が開けられていて財布が盗まれてしまいました。呆然となりましたが、すぐに聖アントニオ様にお助けくださるようにお祈りしました。また盗んだ人たちの回心をお祈りいたしました。巡礼者の皆さまには、大変同情してくださり、寄付をいただいたり、助けていただきましたことを心から感謝申し上げます。帰国して出社してみると盗難にあった日の夕方にリスボンの警察官が財布を拾って、中に入っていた会社の名刺に書かれたメールアドレスに、財布を保管していることを知らせてくれていました。私からの連絡がないので在リスボンの日本大使館に財布を届けてくださり、大使館から財布を日本に返還してもらうことになりました。日本で使っている財布だったので、カード類、保険証も入っていましたが、現金だけがなくなっていたようです。財布が見つかったことに聖アントニオ様に感謝いたします。このハプニングもすべて犠牲としてファチマの聖母にお捧げいたします。

ファチマを旅立つ8/22は聖母の汚れ無き御心の大祝日で、ファチマでこの祝日を祝う歌ミサに与ることができ心から感謝申し上げます。
最後にもういちどコヴァダイリアにファチマのマリア様と3人の聖なる牧童に感謝とお祈りを捧げに行きました。これから、3人の聖なる牧童にならって生きることができますように。

【ローマ】
ローマには聖遺物がたくさんあるとは思っておりましたが、これは大きな間違いでした(>_<)
ローマは、他のどの国、どんな場所とは別格だということが理解できました。なぜ「ローマカトリック」というかがわかったような気がします。
フランスにも多くの教会があり、聖人の腐敗しない御遺体=カトリック教会の実りがたくさんありますが、ローマは別格だということがわかりました。
ローマにはイエズス様のお作りになったカトリック教会の「すべて」があると思いました。ルフェーブル大司教様が愛され、従われた永遠のローマ。聖ピオ十世会の神学生は1ヶ月間ローマに滞在することになっていることをお聞きして大変納得いたしました。

ローマにはいたるところに尊い歴史のある聖堂、大聖堂があり、あまりの多さに感覚がおかしくなってしまいました(^_^;)。なかでもヴァチカン聖ペトロ大聖堂は、セキュリティチェックを受けたあと、聖堂のなかに入るまでのスロープで、すでに感無量となっていました。聖堂の中に入るとあまりの荘厳さに言葉を失いました。これまでヴァチカンの写真や動画を見たことのある私でもこれほど感動しましたのに、福者ペトロ・カスイ岐部や天正遣欧使節はどれほど驚いたことでしょうか!天高い壁には1つの文字が2メートルのイエズス様の御言葉や、 Hinc una fides mundo refulgit. Hinc sacerdotii unitas exorditur. つまり「ここから唯一の信仰が世界を照らし出す。ここから司祭職の一致が由来する。」や、 Tu es Petrus et super hanc petram aedificabo ecclesiam mean et tibi dabo claves regni caelorum 「おまえはペトロである。そしてこのペトロの上に私は私の教会を建てよう。そしておまえに天の国の鍵を与えよう。」などが刻まれていました。「これこそが、イエズス様が打ち立てられた教会だ。だから地獄の門もこれには勝つことができないのだ。」と身体が震えました。自由時間になりましたが、とても聖堂内から離れることができませんでした。

聖ピオ十世教皇様の聖遺体のある祭壇で、小野田神父様が御ミサをあげられたことに、天主様の特別の祝福を感じました。

サンタマリア・マッジョーレ大聖堂、かいば桶、聖プラクセデス教会、イエズス様の鞭打ちの柱、スカラ・サンタ、聖十字架、聖釘、十字架の捨て札、コロッセオ・・・これからどれほどロザリオの黙想が良くできるでしょうか!ロザリオの聖母・ファチマの聖母に感謝申し上げます。いつかまた聖ペトロ大聖堂に、ローマに巡礼に訪れることができますように!

【MIの100周年の記念と奉献の更新】
ローマの聖アンドリュー教会はラティスボンにインマクラータがご出現になった教会で、聖コルベ神父様が初ミサをあげられた祭壇があり、そこに巡礼できたことが大変嬉しかったです。
その美しいインマクラータの祭壇の前で、ロザリオを1環と「インマクラータに奉献する祈り」と「汚れ無き聖母の騎士会の歌」をお捧げできたことが大変嬉しかったです。無原罪の聖母の騎士として、自らのすべてをインマクラータに奉献することを願いました。

ファチマもローマも一日に11kmほど歩く日もあり、これまでの巡礼とは比較にならないほど足も身体もフラフラとなった巡礼でした(^_^;)
巡礼での疲れ、不便さ、暑さなどもすべて犠牲としてお捧げいたしました。
ローマでは先頭の方と離れすぎると無線が聞こえなくなり、ガイドさんや神父様の説明が聞けないことが多々ありましたが、その残念さも犠牲としてファチマの聖母に、インマクラータにお捧げいたします。

なによりも小野田神父様には3ヵ国語の翻訳や、旅程や信徒の移動での細かなことまで奔走させてしまい、どれほど御疲れになられたことかと大変申し訳なく、反省しております。
天主様がファチマの聖母が小野田神父様に報いてくださいますように!
ほんとうにありがとうございました!

聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
ファチマの聖母、ロザリオの聖母よ、我らのために祈りたまえ。

【報告】
今回は、ファチマの巡礼にお誘いくださいまして、誠にありがとうございました。
たくさんの聖ピオ10世会の信者の方々に出会えたことは、感動すると共に勇気をもらえたような気がします。
また、御ミサは、とても荘厳で、天主様の御力を感じるような、えもいわれぬ御ミサでした。
その他の行列やお祈りなど、本当に全てが全く真実に満ち溢れて、この世界が全て天主様のものであると感じながら、邪魔されるものもなく過ごすことができました。
このような信仰の外の世界では悲しいことが多いですが、ファチマの天使が教えてくださった祈りを唱え続けられるお恵みを願いたいと思います。

ローマでの巡礼では、教会の歴史やその大きさや美しさなどに心を奪われてしまいました。
サンピエトロ大聖堂を始めとした美しい教会の中にいると時を忘れ何とも言えない甘美な気持ちになりました。
また、イエズス様や聖人方の聖遺物にこんなにも近くで触れることができたことは、天国への思いを熱くするのに十分でした。
疲れを感じることもなく、ただ前へ前へと進むことは、心地良いものでした。

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
本当にお恵み溢れる11日間でした。
ローマは、カトリック信者として人生で一度は行ってみたいなぁと思っていまして、長崎も行ってみたいなぁと思っていましたら去年巡礼のお恵みを頂けましたので、またこのように聖ピオ十世会の巡礼として参加するお恵みを頂くこと事ができて本当に嬉しく思います!デオ・グラチアス!!
ローマに行って思った事は、ローマは本当にカトリック信仰の中心地であって、イエズス様の御旨は、このローマから真の唯一のカトリック信仰が宣べ伝えられる事なのだなぁという事でした。
最初に訪れた4大バジリカの1つ聖マリア大聖堂は、マリア様が直接、「あなたたちの祈りは聞き入れられました。そこで私が示す所に教会を建てて下さい」と仰って雪をお降らしになって示された場所はローマの丘でした。
そしてイエズス様が「汝はペトロなり。私はこの岩の上に我が教会を建てよう」と仰り、聖ペトロがローマから逃げようとした時に、イエズス様は再び十字架を担いでローマへ向かう姿をペトロにお現わしになり、ペトロがローマで殉教する御旨を強くお示しになりました。
まさにその聖ペトロの御墓の真上に建てられた聖ペトロ大聖堂は、他の教会とは一線を画した、イエズス様の真の教会である事を表わす、口では表現することのできない壮大な大聖堂でした。そしてこのカトリック教会にこそ天国の鍵が与えられていて、この教会は「地獄の門もこれに打ち勝つことはできない」のであると再確認しました。
ルフェーブル大司教様が「私たちは全身全霊を込めて、永遠のローマ、真理と知恵の教師であるローマに愛着し、それを支持し、それに密着する。」言葉を続けて、「私は、新しい近代主義の、そして新しいプロテスタント主義への傾向を持っている新しいローマは拒否し、それをいつも拒否してきた」と書かれた時の苦しみはいかばかりであったでしょうかと思います。
聖ペトロ大聖堂の聖ピオ十世教皇様の彫像の下にも、はっきりと子供が舌で御聖体を拝領している彫刻が彫られてありました。

ロザリオの十字軍は終わりましたが、ローマが聖伝のカトリック信仰に立ち戻りますように、そして教皇様が全ての司教様が一致してロシアを聖母の汚れなき御心に奉献なさいますように、聖母の汚れなき御心に奉献された日本が国として回心しますように、教皇様、司教様、司祭の為にたくさんロザリオをお捧げし続けたいと思いました。

最後になりましたが、このファチマ・ローマ巡礼を準備引率して下さり、非常に莫大な量の通訳を何カ国語にも通訳して下さった小野田神父様、素晴らしい巡礼の冊子を作って下さった方、巡礼中色々助けて下さった方々に心から感謝を申し上げます。
この巡礼には個人個人非常に大きな犠牲が御捧げされていたと思います。マリア様の汚れなき御心を通して、日本の方々が聖伝のカトリック信仰に導かれますように!

至聖なるイエズスの聖心、我らをあわれみ給え!
聖母の汚れなき御心、我らの為に祈り給え!
聖ピオ十世、我らの為に祈り給え!
聖フランシスコ・ザヴェリオ、我らの為に祈り給え!
日本の尊き殉教者、我らの為に祈り給え!

【報告】
+Ave Maria! Immaculata!

私たちの大切な小野田神父様、
ファチマ100年目の巡礼とローマ巡礼のお恵みを心から感謝申し上げます。

なによりも、巡礼の移動では、巡礼者の皆様には大変ご迷惑をおかけしてしまいまして、本当に申し訳なく思っております。
また何人もの方に押しづらい道を、車椅子を押したり持ち上げたりしていただきまして、なんと御礼を申し上げてよいかわかりません。
ただただ心から感謝を申し上げます。
歩くだけでも大変な道のりでしたのに、どれほどお疲れにならせてしまったことか!と申し訳なく思っておりますが、
ファチマのマリア様が、親切な方がたに、たくさんたくさん報いてくださいますようにとお祈りしております。

コヴァダイリアのマリア様、大聖堂のなかのヤチンタ、フランシスコ、ルチアのお墓、ヴァリニョスのマリア様のご出現の場所などなど・・・に
巡礼し、お祈りすることができましたことは、このうえなく大きなお恵みと感じております。
私は特にヤチンタにいつもお祈りしておりましたので、感激で涙が止まりませんでした。

聖ピオ十世会の公式の19日のロザリオの聖母の御ミサ、20日の聖母の汚れ無き御心のフェレー司教様の御ミサに与ることができました。
マリア様の汚れ無き御心で、御ミサに与り、マリア様の汚れ無き御心を通して、みじめな自分も十字架のイエズス様に一致させていただくためにお捧げいたしました。

ファチマで司教様や、これまでに日本に来てくださったたくさんの神父様にお会いできましたことが大変嬉しゅうございました。

たくさんの巡礼地を思い出して、毎日黙想いたします。

小野田神父様は、どれほどお疲れになったことかと心配しております。
くれぐれもご無理なさいませんように。
本当に巡礼に参加させていただきましてありがとうございました。

【報告】
ファチマとローマの巡礼は本当によいものでした。
ファチマでは、世界中の聖ピオ十世会の信者の皆さんとお会いし、日の丸を掲げて和装をしていたせいか、たくさんの外国の方から話しかけられ、記念撮影を依頼されました。
日本語を話せる方も何人かおられて、「3年間日本にいました」とか「日本語を勉強しています」とのお話を聞くと、何かうれしくなりました。米国人の若い神父様や、汚れなき御心への奉献の対象であるロシアの信者の方々ともつたないながら話をすることができ、実際にそのような方々にお会いすると、本で読んだり人から話を聞く以上の実感がわいてきました。
また、聖母ご出現の場所や3人の牧童の記念の場所を巡ると、「ああここであの出来事があったんだ」と
事前に勉強していた話が思い出されました。
ローマでは、聖ペトロ大聖堂の素晴らしさに息をのみ、そこでの小野田神父様のミサにあずかることができ、大変幸せを味わいました。不思議のメダイのラティスボン神父様と無原罪の聖母の騎士会創立者のコルベ神父様が結び付いた聖アンデレ教会も印象深く、他にも記念すべき教会や場所があり過ぎて、ローマにはぜひもう一度行ってみたいと思わずにはいられませんでした。

【報告】
ファチマ・ローマ巡礼の仮のご報告(ファチマ編)

ファチマ・ローマ巡礼の締め切りは約九か月も前のことでしたがロザリオ十字軍のロザリオと犠牲を捧げ天使の祈りを毎日祈りファチマの聖母の歌を毎ミサ後に歌ったということの他は何もしないうちにあっという間にそのときは訪れました。

8月16日に大阪の聖堂での前の晩の御ミサに与りました。童貞聖マリアの御父の聖ヨアキムの御ミサでした。翌8月17日にも早朝の御ミサ(証聖者聖ヒヤチント)に与り関西国際空港から飛び立った巡礼団がリスボンに着いたのは現地時間で17日の夜中でした。それからさらにバスに乗って一時間半ほど、ようやく深夜にファチマのドンゴンサロホテルにたどり着きました。

8月18日翌朝は9時半からスケジュールが組み込まれていて、アジア管区団はさっそくシュテーリン神父様の旗印のもと聖母の御出現のあった丘カベソへ向かいました。乾いた空気なので暑さも思ったより苦になりませんでしたが、日差しが強くて肌を出している部分はすっかり焼けてしまいます。街中を通り抜けオリーブ畑のなかの石畳の山道を十字架の道行の小さなステーションを幾つも通り抜けながら登って行きました。他の国々の巡礼団ともすれ違いました。

最初は天使の第一の御出現の場所でありまた秋にも御出現になった場所でもあるところのカベソの丘の東斜面で祈りました。少し崖の途中にあるような場所で百年前はもっと足場もよくなかったに違いありません。引き寄せられるように向かっていた先に金網がありその向こうに白い天使と三人の子供たちの御像があって強い感動に包まれました。

「恐れないで。私は平和の天使です。わたしと一緒に祈りなさい。」天使は地面に跪き、額が地につくまで身を屈めました。そしてこう祈りました。「我が天主よ、われ、信じ、礼拝し、希望し、御身を愛し奉る。」天使はこの祈りを3回繰り返した後、立ち上がって彼らに言いました。「このように祈りなさい。イエズスとマリアの御心はあなたがたの嘆願の声に注意を払っておられます。」

「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ,我、御身を深く礼拝し奉る。世界中のすべてのご聖櫃のうちにましまし給うイエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂と御神性を、イエズス・キリスト御自身が受け給う侮辱・冒涜・無関心を償うために、御身に捧げ奉る。イエズス・キリストの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心の無限の功徳によりて、哀れな罪人の回心を御身に願い奉る。」
いつも祈っていた祈りはこの場所で天使から授けられたものです。その場所でシュテーリン神父様の短いお話と祈りの先導を受けて天使の祈りを全員で跪いて祈りました。

そこから少しまた道を戻り今度はヴァリニョスの8月19日の聖母の御出現の場所で祈りました。狭い敷地に美しい聖母の御像がたてられていました。
「祈りなさい。たくさん祈りなさい。そして罪人たちのために犠牲を捧げなさい。多くの魂が、彼らのために犠牲を捧げたり、祈ったりしてくれる人を持っていないからです。」
シュテーリン神父様のお話を聴いて小野田神父様が訳して下さり黙想して祈りました。

もうそこはたくさんの国々からの巡礼団が行き交っていて次に私たちは天使の第二の御出現の場所に向かいました。アルジュストレルです。井戸のそばに木が高く生えていて不思議な形の天使の像と三人の子供たちの像が建てられていました。そこでもシュテーリン神父様のお話のもと祈りました。
「何をしているのですか?もっともっと祈りなさい!イエズスとマリアの御心はあなたがたの上に憐れみの御計画を持っておられます。いと高き御者にたえず祈りと犠牲を捧げなさい。」ルシアがどのように犠牲を捧げればよいのかと尋ねました。「あなたがたができるすべてのことを犠牲とし、それを天主に背く罪の償いの行いとして、また罪人の回心を嘆願して天主に捧げなさい。あなたがたはこのようにして自分たちの国に平和をもたらすでしょう。私はあなたがたの国の守護の天使、ポルトガルの天使です。特に主があなたがたにお与えになる苦しみを従順に受け入れ、忍びなさい。」

それからジャシンタとフランシスコの生家を見学してジャシンタかルシアの親戚の老嬢が座っていますところを拝見させていただきました。
ジャシンタの生家は小さなみすぼらしい貧しい住まいでした。ちょうど日本でいうなら明治時代の最後くらいだったのかもしれません。日本の昔の普通のごく貧しい農家の家がそうであったようなでも温かみのある質素な佇まいでした。平屋建てで幾つかの小さな部屋にはベッドと少しの家具があるだけで十字架がありました。ジャシンタとフランシスコが犠牲を捧げて祈っていた家なんだなと思いました。裏口から抜け出るとそこは裏庭でオリーブ畑が広がっておりました。

私たちはそれからお昼をどこかで食べなければなりませんでした。ホテルへ戻る途中のまだバジリカへ着く前の道中に、小野田神父様はドミニカンの修道院のホテルのレストランを見つけてくださり交渉に行ってくださいました。10ユーロほどでおいしい食事をたっぷりいただくことができました。その日は金曜日で食事が小斎でなかったことが残念でしたが。

午後はバジリカのイエズス様の聖心の御像のもとで集合してシュテーリン神父様の講話を拝聴する予定でした。あまりの強い日差しのために広場の中央ではなく木立のある周辺へ移動しアジア管区の聖ピオ十世会の信者は講話を聴きました。

そして記念撮影をおこないファチマの大聖堂のなかを見学しました。広場から大聖堂へ昇る階段を使ってアジア管区から全員の記念写真を撮り、バジリカの中に入っていくと、奥の祭壇の脇に右にフランシスコの墓左にはヤシンタとルシアの墓がありました。教会内部の装飾は後で聞くところによるとモダニズムとかいうもののようでした。お墓の前はどちらも人でいっぱいで前の方へ進むのが容易ではなくようやく最前列に跪くことができて真摯に祈りました。とても神秘的な場所でした。

コヴァダイリアの聖母の御出現の場所にはあまりにも有名なあのファチマの聖母像が安置されてガラスのケースに入りさらに御ミサが捧げられるよう準備されて囲むように椅子も設置されていて大きく屋根がかけられていました。その小聖堂の後方にはOur of Lady の御出現されたウバメガシが大木となって茂り現実に起きたことを証言しておりました。

私はようやくファチマのマリア様の御前に詣でることのできたことの感動でいっぱいになりました。しばし祈り続けました。そこは聖ピオ十世巡礼団以外にもたくさんの巡礼団が訪れているのできっちりとスケジュールがたてられている様子でじきに席を離れなければなりませんでした。

小聖堂から出てホテルへ戻ろうとするとき信者さんたちがたくさん膝行する行をされていました。小野田神父様がその場所で跪いてロザリオを唱えながら進み始めたので、私たちもすぐ倣って後を追い膝行しながらロザリオを二連ばかりお捧げすることができました。不思議なことに申し訳ないことに足や膝のどこも痛まず傷ついていませんでした。とても良い思い出です。

ホテルでの夕食の後のことはたぶんその日と前の晩からの疲れがたくさんで、もう何も覚えていません、きっとすぐ寝てしまったのだと思います。

8月19日ファチマでの二日目は国際巡礼の第一日目ということで午後三時からのミサに間に合うように至聖所駐車場14番に集合することでした。日本人は着物を着用し袴をつけて日本の巡礼団であることをアピールしようということでした。
皆さんユーチューブなどでしっかり着付けを覚えられてきていてまた着付けの技術を持っていらっしゃる方もおられ素晴らしい着物姿でした。(私は何も準備せず来てしまい申し訳なかったです。皆さん重く嵩張る和服をスーツケースに入れることに苦労されたことでしょう。それなのに思いがけず貸していただいて着つけていただき着物着用人数の割り増しにのみ貢献させていただきました。いろいろご迷惑をお掛けして申し訳ありません。)

遅くぎりぎりに会場に到着したにもかかわらず、ご配慮でミサ会場の祭壇の右側の聖歌隊のすぐ隣最前列に席を取らせていただくことができました。御ミサはシュミットバーガー神父様司式によるロザリオの聖母の御ミサでした。日本人グループは司教様達が居並ぶその真向かいに座って与りました。聖歌隊は素晴らしく美しいグレゴリア聖歌を歌いました。

ミサの後国際巡礼団はヴァリニョスまで聖母行列を行いました。ファチマの聖母の御像を先導に石畳の山道をみんなでロザリオを唱えながら歩き、最初に出発した先頭がついた時まだ最後の日本人巡礼団は至聖所駐車場第14のスペースで出発を待っていました。とてつもなく長い行列だったのだと思います。私たちが到着したらもうすぐに解散になりました。この日はこの場所での聖母の御出現から100年経った日だったのでした。丘から石畳の道を下り街中に入りバジリカの前を通るときに皆で記念写真を撮りホテルに帰りました。

8月20日翌朝はまた朝早くからホテルでの御ミサに与り昨日と同じ至聖所駐車場第14スペースに集合して9時半から主日のフェレー司教様の御ミサが始まりました。聖母の汚れ無き御心の御ミサが捧げられました。この日は祭壇からはるか遠くに場所をとり昨日とはまた違った趣でした。遠く祭壇からの司教様の声がマイクから流れてきて拝聴しました。野原のような場所のなかすぐ前にはサンパラソルのもと聴罪司祭様たちが簡易椅子に腰かけ次から次へとフランス人やイギリス人の信者の方々の告解を聴いて下さる風景がありました。日本にいるときは想像したこともないような不思議な光景でした。ご聖体拝領も大きな輪になってみんなで跪いていて神父様が口に入れてくださいます。屋外での告解、屋外でのミサ、屋外での聖体拝領。はてしなく広い野原のなかで遠くに祭壇がはるか彼方に見えました。これほどたくさんの信者が与るミサ聖祭は初めての経験でした。

終了後は素早くホテルにもどり着替えてお昼を食べてまた集合場所のイエズス様の御心の御像の前に向かわねばなりませんでした。この日は少し湿気が出てきて暑さも厳しくけっこう辛い天気でしたが、(気温39度で体感温度は42度という報道だったそうです、)急いでホテル裏のマクドナルドでお昼をゲットして次のミッションに向かいました。そう、なんだか次から次へとミッションをこなしていく戦闘部隊のような気分になってしまっていました。

日本の旗を持ってまたバジリカの前のイエズス様の御心の御像の集合場所に行くともうすでに誰もがヴァリニョスの丘へ向かって歩き始めている状況でした。ルキス神父様は私たちが着くとすぐ出発されました。なんだか誰もかれもが丘を目指して歩いている風景は不思議な光景でした。

丘ではすでにたくさんの巡礼団で入り混じりごった返しているという様相でした。それのみならずシスター方も整然と参加されようとしておりました。私たちは日本の巡礼団の旗を持っていたのでどこでも声を掛けられました。おージャパン!と。
オーストラリアからの神父様は韓国の神学生を紹介してくださいました。彼は日本語がとても上手で、きっと司祭になられた暁には日本にもミッションに来てくださるに違いないと思いました。そのうちフェレー司教様を見つけて挨拶に駆け寄りました。日本の着物のことをおっしゃってくださって私達一人一人は祝福をいただきました。思ってもないことだったので驚きました。こんなに簡単に私たちの修道会の総長様と気軽にお話ししているなんて!?私たちは跪いて深い尊敬を持って恭しく指輪に接吻をさせていただきました。

あまりの人ごみのなかどこに陣取ってどこで祈るのかもわかりません。狭い丘の上であまりにも人が多くてどこへ行けばよいかわからないのです。マリア様の御像の建物から遠くないところの茂みの中に入って木立の隙間に跪くことにしました。道路わきの畑のなかにいたので、皆からジャパンジャパンと親しみの挨拶をいただき、巡礼の旗はたくさん写真に撮られました。この春にイタリアから仕事で日本に見えていた職人さんご家族もあなたの顔を覚えているよ、Sさんは元気か?と声を掛けてくださいました。東京でのお仕事のために来日していて、その後長崎へと仕事に向かうと仰っていたことを思い出しました。

式は始まり、厳粛にその日のプログラムに沿って司教様達によるロシアの奉献お祈りが捧げられフェレー司教様・ガラレダ司教様・マルレ司教様の先導のもと全員でロザリオを唱えました。

それでも無原罪聖母の騎士会の更新の式の際は少しでも皆の無原罪聖母の騎士会の旗のそばに並ばねばと思いました。ようやく各国の無原罪聖母の会の旗が前方に並んでいることに気づいたのです。ジャパンの無原罪聖母の騎士会の旗を持ち輪の前方へ分け進み旗を高く揚げて参加いたしました。隣のドイツ人の男性が旗を掲げるのを手伝ってくれたことが、むしょうにうれしかったです。そうして無原罪聖母の騎士会創立100周年を記念して「聖母の汚れなき御心への奉献」が執行されました。

それを持って国際巡礼の行事が終了し、それから丘を下りゆっくりとホテルに戻りました。前日に引き続いて坂道を下る途中、もう一度マルレ司教様と出会いまた祝福をいただくことができました。カフェで冷たいものを手に入れのどの渇きをいやしました。

その晩は夕食後に日本人と韓国のグループはバジリカの広場でのろうそくをともしての聖母行列に参加する事になりました。私たちと良く行動を共にしてくれていたドイツ人のイリスがろうそくを用意してくださったとか?と少し耳にしたのですが、お礼を言いそびれてきてしまいました。イリス!ありがとう!

ろうそくをともしてみんなで黙想してロザリオを祈っていると途中で聖母の御像がいつものお住まいから出てこられて、夜空のもと広場を歩いてくださいました。その後に従ってみんなでロザリオを唱えながら広場を回りました。初めはそれほどでもなくごく普通にろうそくをともしての聖母との祈りの行列と思っていましたが、しだいに気持ちが清められ集中してきて広場いっぱいの参加者たちと共に心を一つにして祈り世界中から集まった数知れぬ人たちと一緒にみんなでロザリオを祈っていることに感動しそしてみんなが聖母の御心の中に包まれて愛されているようでした。最後に聖母の御心の中にこそ平和と安心と正義と愛があることを感じさせられたのでした。美しく素晴らしい一夜でした。

8月21日翌日はサンタレンとリスボンまでバスでの遠足でした。早朝ホテルを立って、まずサンタレンの教会へ行きました。ご聖体の奇跡の教会です。私たちに今も大切なことを教えてくださっている奇跡のご聖体を礼拝しました。それからその前の小さな広場で朝の食事のお弁当を食べました。ホテルで用意してくれたサンドイッチと焼き菓子とフルーツとジュースだったかなと思います。美味しかったです。

途中見晴らしの良い丘リバテージョの展望台に立ち寄り、リスボンまで移動しました。サント・アントニオ・デ・リシュボア教会の聖アントニオの墓に詣でました。入り口でたくさんの大きなパンを見かけましたが、なんだか貧しい人たちへの施しもののようでした。そこから少し坂を上ったところのサンタ・マリア・マイオール・デ・リシュボア大聖堂つまりリスボン大聖堂では神父様方の昼の聖務日課を拝聴しました。それからその近辺は旅慣れていない日本人たちが歩き回るにはあまりに物騒だということで、場所を変えてバスで移動して、昼食をとるための店に入りました。普通にコーヒーを頼んでも日本の盃くらいの量のコーヒーしか飲めないので、もう一度ダブルのコーヒーというのを頼みました。それでもカップに半分の量しか入っていないのでした。でも最高に美味しく満足でした。

次に向かったところはべレン地区の「発見のモニュメント」です。月曜日のために観光名所でもあるジェロニモス修道院は残念ながら閉まっていて大噴水の前で記念撮影の後、海辺をのんびりと散策して過ごしました。大航海時代に世界に船出した航海者のモニュメントがとてもユニークでフランシスコ・ザビエルもここから日本を訪れたのかと思うと感慨深い思いになりました。ホテルに戻り夕食後、翌日の御心の祝日のミサのために各国の聖歌隊が集まって夜遅くまで練習をしてくださっていたようです。

9月22日翌朝のマリア様の汚れなき御心の祝日のミサではホテルにて素晴らしいグレゴリア聖歌での御ミサに与ることができました。指導してくださったのはフランス人のシスターでフィリッピンの無原罪聖母の騎士会修道会のシスターだったそうです。彼女は水色の修道服がとてもお似合いの若くて美しい方です。

この日はファチマで過ごす最終日であり朝食後にファチマを出発する前のわずかの時間を用いて日本人の有志でコヴァダイリアに行きました。小野田神父様はここコヴァダイリアの聖母の御像の前においても聖母の汚れなき御心に私たち一人一人とその家族の名前を奉献してくださいました。小聖堂はミサが行われていたので、ヤシンタちゃんのお墓にもう一度詣でて祈りを捧げました。それから戻ると不思議にもちょうど他の団体のミサの合間を縫うようにしてファチマの聖母様の御前で奉献の祈りをささげることができました。マリア様のご配慮に違いありません。小野田神父様はファチマの聖母の御像の御前で「聖ピオ十世司祭兄弟会を聖母とその悲しみに満ちた汚れなき御心に奉献する祈り」と「ファチマの聖母の会を聖母の汚れなき御心に奉献する祈り」、「日本を聖母の汚れなき御心へ奉献する祈り」を唱えて奉献してくださいました。

ホテルに戻ると慌ただしいファチマでの巡礼が終わり、10時45分私たちは無原罪聖母の騎士会修道会のシスターに見送られドンゴンサロホテルを後にしてリスボンの空港へと向かいました。

振り返ると毎日コヴァダイリアの聖母のバジリカを超えてオリーブ畑のなか石畳の道をヴァリニョスの丘のマリア様のところまで歩いて登っていたことになります。私たちの泊まったホテルはそこから最も遠いホテルでした。毎日かなりの距離を歩いたことになります。この目で見てこの体で感じたファチマの土地のことを忘れることはないでしょう。乾いた灼熱の田舎町の畑や山に入り、天使やマリア様やヨゼフ様・御子も御出現された実際の場所を訪問できて祈ることができましたことに感謝いたします。

聖ピオ十世会の国際巡礼としてのファチマ巡礼は体は大変でしたがのびのびした気持ちになりました。日本にいると聖ピオ十世会への偏見を感じないわけにはいきませんが、一万人以上も集まったとされるこの国際巡礼のなかに入っていくつもの行事に必死でついていく中、そのような憂いが消えていました。堅振を授けていただいたマルレ司教様を幾度もお見かけしたのみならず祝福もいただきフェレー司教様ともお会いできましたこと感謝でした。聖伝のミサが長いために時間的な関係でバジリカの第14駐車場が会場となったということでしたが、10,000名ほどもの参列者からなる素晴らしいミサに二度参列できました。ヴァリニョスでの司教様達とともに祈るロザリオの祈りや無原罪聖母の騎士会の百周年記念の「聖母の汚れなき御心への奉献」の更新の祈りにも参加できて有意義な素晴らしい国際巡礼でした。こうして世界中から集まった聖ピオ十世会の司教様方や司祭の方々そして信者さんたちと一緒に祈れたことは素晴らしい体験でした。

また帰国してすぐに日本ではJアラートが発信されて戦争の危機を感じる出来事がありました。私はどうか日本のカトリック教会においても司教様達による奉献が行われますようにと願います。ファチマの聖母のお話をどうか真剣に受けいれて超自然の恩寵によってまことの平和へと導かれますように、と。人間は無にも等しい存在であり、天主様がすべてを統治されていらっしゃいます。本当の意味で戦争という悪を打ち砕いてくださるのは聖母の御足だけでしょうから。カトリック信仰だけがこのことを知っているのではないでしょうか。

この巡礼において日本のカトリック教会のためにたくさんお祈りすることができましたことを感謝申し上げます。



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