アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2017年6月4日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2017年6月4日(主日)聖霊降臨の大祝日のミサ
小野田神父 説教
聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2017年6月4日、聖霊降臨の大祝日です。
今日この御ミサの後に14時30分頃、公教要理の続きで聖書について話を、特に聖地の地理についての話をしたいと思っています。
16時からは聖霊降臨の晩課があります。今月は6月18日にもミサがあります。
ミサの予定の次にお知らせがあります。
今度7月16日の海の日に、マーチ・フォー・ライフというのが東京で行われます。
それを皆さんと一緒に、多くの方が今年は参加して下さるようにという事で呼び掛けをします。
特に日本では私たちはいつも「聖母行列をしたい、ファチマのマリア様の聖母行列をしたい」と望みながらも、なかなかその機会がありませんでしたが、そのマーチ・フォー・ライフの代表の方の賛成と同意とを得て、今年はファチマのマリア様を一緒にお連れして聖母行列がする事ができるようになりました。
日本でファチマの聖母行列をして、特に胎内で、お母様の胎内で今亡くなっている子供たちの罪を償う為にも、マリア様をお慰めする為にも、皆さんと聖母行列ができたらと思っています。
そこでもしもマリア様の聖母行列にたくさんの方が来る事ができるように、皆さんのご協力があれば、たくさんの方を呼んで下さればと思います。
「聖霊来たり給え。」
“Veni Sancte Spiritus”
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は聖霊降臨の大祝日です。
そこで、教会が一体何で、この聖霊降臨の大祝日を祝っているのか?この今日の典礼の意義というのは何か?をまず第1点に簡単に見てみます。
第2に、では聖霊降臨の日に一体何が起こったのか?
第3に、では教会が求めているように、教会が今典礼で第2の聖霊降臨として今日、聖霊の賜を私たちが豊かに受けるように求めている、その為にミサが作られたのだけれども、しかしそれをよく受ける為には一体どうしたら良いのか?
そして最後に、私たちは遷善の決心を立てる事に致しましょう。
では教会は、聖霊降臨の祝日をどうやって制定したのでしょうか?
まさにこれは、イエズス様の四旬節、御復活、御昇天、それから聖霊降臨というイエズス様の救霊の贖いの御業を完成させるものとして、御復活の後の50日目に、つまり今日、聖霊降臨の祝日を制定しました。初代からこの祝日があります。復活祭と並んで教会の最も大切な、クリスマスよりも更に大切な祝日としてあります。
ちょうど例えてみるならば、復活祭の時にイエズス様が、「正義の太陽が、あぁ、朝日として上がった、復活された、死の黄泉の国から打ち勝って、罪に打ち勝って上がった」とするならば、聖霊降臨はまさに、「正義の太陽が天の高きに、最も高きに上がって、そして私たちに光と熱とを降して下さる、その光と熱が聖霊である」と例える事ができるかもしれません。
或いは典礼学者の例えによると、「ちょうどイエズス様が復活した時には、ちょうど冬で、冬が終わって何もなくなった大地から芽が出て、そして花が開いた、それが花が開いて綺麗にこの青々とした大地がまた蘇った、それが復活祭だとすると、開いた花が更に実を付けて、豊かな実りとなった、そしてその実りは私たちを楽しませてくれて養ってくれる。この花が咲いている状態が復活祭だとすると、実りを付けて私たちを豊かにしてくれる、この時期が聖霊降臨だ」とも例えています。
もちろん植えられた花というのは、その復活祭の時に花を咲かせるこの花というのは、私たち洗礼を受けた者であって、そして実りを付けるというも私たちの事です。誰がこの木の剪定や世話をして下さるか、水を下さるか、肥やしを下さるかというのは、イエズス様です。
或いは、「復活祭の時には、私たちは洗礼を多く受ける、多くの方が洗礼を受ける時期ですけれども、ちょうど小さな幼子のような赤ちゃんが、ミルクのような真っ白な御聖体を私たちが頂いて、洗礼を受けたばかりの時が復活祭だとすると、母なる公教会が私たちを天国への巡礼者として、或いはこの世を旅するあたかも外国であるかのように、祖国に向かって旅する巡礼者のように、或いは兵士のように強めてくれる、それが聖霊降臨の日だ」と例えられています。
旧約時代では、この典礼学者の説明によればこれは2つの意味がありました。ペンテコステの祭り、つまり五旬祭というのは、モーゼがちょうどエジプトを脱出して50日後、シナイ山の上で十戒の石版を頂いたその日であり、その感謝の祈りであると同時に、ちょうど収穫の時に、パレスチナとか聖地では最初の収穫ができるので、その収穫の感謝のお祝い日でもありました。
これはまさに影でしかありません。本当の現実の、来たるべき実現されるべき影でしかありませんでした。
キリスト教の実現された典礼としては、聖霊が私たちの心に愛の掟を、イエズス・キリスト真の天主を、全てに越えて信じ、愛し、礼拝するというその掟を私たちの霊魂に、この心に深く刻み込んで火を点けて下さった、その感謝の祝日であり、また同時に霊的な実り、豊かな収穫を感謝するこの祝日でありました。物体的な物理的なものから、霊的なものへと新約では移行されています。
イエズス様は、私たちを「決してみなし子にはしない。孤児にはしない」と言って、慰め主を弁護者を送って下さる、パラクリトスを送って下さる、と約束されました。そして約束された通りに、私たちには別の代弁者、弁護者、慰め主が与えられました。これこそが聖霊です。そして聖霊は私たちの心にいつも住まわっています。
ところが今日、特にその多くの恵みと、愛と、光と、真理と、善の恵みを持って今日、皆さんの心に満ち溢れようとしています。そしてそれがよくできるように、今日カトリック教会は典礼を、聖霊降臨の大祝日の典礼を定めました。指定巡礼教会は聖ペトロ大聖堂で、これはラテラノ大聖堂がローマの教会だとすると、聖ペトロ大聖堂は諸国の為の全カトリック教会の為の普遍の教会の代表です。そこに私たちが集まって霊的に集まって、聖霊の賜を受ける事を望んでいます。ですから私たちも今日は霊的に、聖ペトロ大聖堂に馳せ参じる事に致しましょう。
では第2のポイントで、一体聖霊降臨の日には何があったのでしょうか?
イエズス・キリスト様は目に見えるかしらとして、この地上で聖ペトロに自分の代理者として教会を、「お前の上に教会を建てる」と約束し、そしてその全てを教えた後に、自分は栄光ある復活体として天に上がられました。肉体と霊魂をもって天に上がられました。確かに御聖体として地上に残るのですけれども、しかしそれはある意味で、その御姿はイエズス様だとは目に見えない形で、パンの形で残られました。これは私たちの罪の償いとして、犠牲として、また私たちへの霊的な糧として残られました。
教会の指導を実はイエズス様は、聖霊に任せようと思いました。ピオ十二世教皇様の「ミスティチ・コルポリス」という回勅の教えによると、「イエズス・キリスト様はキリストの神秘体のかしらであって、私たちはその体の一部、肢体であって、しかしその神秘体を生かしている霊魂は、聖霊だ」と言います。もしも肉体が霊魂と離れてしまっては、これは死を意味します。私たちを1つにまとめて生かして、そして主への愛に活動させているのは聖霊です。
この私たちの神秘体を生かす為に、イエズス様の御復活50日後、つまりイエズス様の御昇天の10日後、弟子たちが最後の晩餐の高間でお祈りをしている間に、マリア様を中心にお祈りをしている間に、突然、朝の9時頃、大きな音がしました。家がガタガタ揺れだしれたのです。風の音がしました。「地震かなぁ?」と思われました。「何でこんなに揺れているんだろう?」するといきなり、舌べらの形をした炎がまずマリア様の上に現れて、そこから使徒たちに、そこから弟子たちに、120名ほど集まっていた弟子たちに伝わりました。
するとこの弟子たちは聖霊に満たされて、諸国の言葉で主の偉大な業を語り出しました。「一体これは何が起こったのか?」と、その時五旬祭の巡礼に来ていた色々な人たちが、色々な国の人たちが、最後の晩餐の高間の周りに集まって、人がワイワイと集まって来ました。
「一体何事だ?」「何でこんな事が起こっているのか?不思議だ。」
するとペトロが家の前にやって来て、「皆さん、イエズス様は復活されました。昇天されました。そして今日聖霊を送って下さいました。皆から捨てられた石が、隅の親石となりました。」
すると皆はびっくりして、「一体何の事だろうか!?この彼らは学問のない、ガリレアから来た漁師ではないか。何で私たちが、その自分の生まれた故郷の国の言葉を聞く事ができるのか!?」
ちょうど色々な所から来た人たちが、1つの言葉で語る、天主の讃美をするというのは、「カトリック教会がここで生まれた」という事を意味します。皆の前に誕生して、この世に姿を現したという事を言いますが、そして彼らは聞きました。
「一体私たちは何をしたら良いのでしょうか?」
「悔い改めて、洗礼を受けなさい。そして霊魂を救いなさい。」
その時聖霊のその動きによって、聖霊のお恵みによって、3000名が洗礼を受けました。水と霊によって洗礼を受けました。
では私たちは一体、このミサの典礼によって2017年6月4日、どのようにして教会は私たちに、「この聖霊のお恵みを受ける事ができるように」としているのでしょうか?
これは、このミサに与る事によって、典礼に与る事によってそうです。特にこの御聖体拝領の時には、私たちが舌の形をした火として現れた聖霊を受ける事ができるように、私たちもイエズス様を御聖体をよく受ける事によって、それを聖霊を受ける事を望んでいます。ですから聖体拝領誦もまさに、その「私たちが御聖体を受けると同時に、聖霊を受けるように」という祈りとなっています。
でも教会はイエズス様は、更にもっと良い手段を私たちに下さいました。それは私たちがイエズス様を受ける為に必ず通らなければならなかったその御方、聖霊降臨の時に必ず使徒たちも120名の弟子たちも必ずその方を通して受けなければならなかった、その御方を通す事によって私たちは更に良く聖霊の恵みを受ける事ができる、というその秘密を皆さんに是非知っていただきたいと教会は思っています。一体それはどなたでしょうか?
皆さんもよくご存知のように、聖霊の浄配である汚れなきマリア様です。マリア様はイエズス様が来る為に必ず、聖父・聖子・聖霊が「その方を通さなければならない」とされた方でした。聖父と聖子と聖霊がこの世に聖霊を送る為にも必ず通さなければならなかったのが、マリア様でした。ですからもしも私たちがイエズス様を、そしてイエズス様の愛である聖霊を受けようとするならば、必ずマリア様を通さなければなりません。
神学者の一致した意見によれば、「マリア様は全ての聖寵の仲介者です。全てのお恵みは、マリア様を通して必ず来る」というのがカトリックの一致した教義です。
マリア様はですから、ただ単にイエズス様がお生まれになる時に、或いはイエズス様が十字架の上で付けられる時に、或いは聖霊が降臨する時為だけに仲介者、そのそこを通したのではなくて、世の終わりまで、いつの時代も、必ず全てのお恵みをご自分を通して下さるという事なのです。
この事をファチマでマリア様は子供たちに見せて下さいました。5月13日と6月13日でした。マリア様は両手を広げると、光を子供たちに与えて下さいました。子供たちは光の中に包まれて、そして子供たちは「天主の中に包まれている」という事がよく分かりました。「主の愛と光の中に包まれて生きている」という事を見ました。5月13日と6月13日です。これはマリア様の御手から来ました。
後にトゥイというスペインの修道院でも、シスタールチアは特別のビジョンを見ました。三位一体の聖父・聖子・聖霊のビジョンです。聖父は聖子と非常に似た顔をした、少し年寄りのような顔を姿をしていて、そして手を開げて、その下に十字架に架かる聖子のイメージがありました。そしてその上に聖霊のシンボルであるハトのようなものがあり、そしてイエズス様の両手からは「憐れみ」と「恵み、聖寵」という2つの言葉が書かれていました。そしてイエズス様の胸からは御血が滴り出るのですけれども、その御血は全てカリスの上に注がれて、そのカリスの上には御聖体がありました。御血が御聖体にまず滴りかかり、そして御聖体からポタポタとカリスに流れて、そしてそのカリスから与えられた全ての恵みは、そこのすぐ横にいたちょうどそのマリア様に行き、そしてマリア様からシスタールチアの方にお恵みが行っているのを見ました。
これによって三位一体が教えたかった事は、「贖いの、三位一体の贖いの業、イエズス・キリストの贖いの業は、マリア様を通してでなければ伝えられない。聖霊の恵みも、マリア様を通してでなければ伝えられない」という事です。
そして先月シュテーリン神父様もお話して下さったように、ファチマのマリア様、例えばマリア様が行かれる所ではどこでも、回心や特別のお恵みが溢れました。1950年代に世界中で、カトリック教会でファチマのマリア様の御像がどこもかしこも行きましたが、このマリア様が通った所では特別のお恵みや、回心や、平和が訪れました。洗礼を受ける方が倍増したり、教会の中がカトリックの信仰でいっぱいになった、という話しがエピソードがたくさんありました。
或いはマリア様の不思議のメダイを受けた人は、多くの恵みを受けたり、奇跡的なものを受けたという事が実話がもう本になってたくさんあります。
ですからそれらを見ると、それらの実話を知れば知るほど、確かにマリア様こそ私たちに、聖霊を受ける為の特別の運河として、特別の水道として、チャンネルとして与えられたのだという事が分かります。
どうぞ私たちはこの今日、遷善の決心を立てる事に致しましょう。
今日まず聖霊のお恵みをたくさん豊かに受ける事ができるように、強い望みを持って下さい。聖霊に、「ぜひ来て下さい。聖霊の恵みを私たちに与えて下さい。また私のみならず、私の知人や友人、隣人、或いはこの周りの人たちに全て与えて下さい」と心からお願いして下さい。その為にも御聖体を拝領なさって下さい。心を込めてなさって下さい。
第2には、是非ファチマのマリア様にお願いなさって下さい。マリア様は聖霊の充満を受けた方です。恵みに溢れた方です。聖霊を一度も「嫌だ」と拒否した事がありません。マリア様と聖霊は全く1つとなってしまって、マリア様であるのか聖霊であるか分からないかのように、あたかも聖霊が生きているかのようであるのがマリア様でした。そしてマリア様であります。ですからマリア様に是非、特にこの汚れなき御心に、私たちがたくさん聖霊のお恵みを受ける事ができるようにお祈りなさって下さい。
またもう私たちの心では足りないので、マリア様の汚れなき御心と交換して下さるようにお願い致しましょう。マリア様の汚れなき御心の信心はここにあります。汚れなき御心を以って、私たちの拙い祈りと犠牲を捧げる事によって、聖霊がやりたいと思っていた天主への罪の償いや、罪人たちの回心が果たされるという事です。極めて効果的に果たされるという事です。ではこの為にマリア様を通して、その聖霊のお恵みを乞い求めましょう。
“Veni Sancte Spiritus”
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
2017年6月4日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2017年6月4日(主日)聖霊降臨の大祝日のミサ
小野田神父 説教
聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2017年6月4日、聖霊降臨の大祝日です。
今日この御ミサの後に14時30分頃、公教要理の続きで聖書について話を、特に聖地の地理についての話をしたいと思っています。
16時からは聖霊降臨の晩課があります。今月は6月18日にもミサがあります。
ミサの予定の次にお知らせがあります。
今度7月16日の海の日に、マーチ・フォー・ライフというのが東京で行われます。
それを皆さんと一緒に、多くの方が今年は参加して下さるようにという事で呼び掛けをします。
特に日本では私たちはいつも「聖母行列をしたい、ファチマのマリア様の聖母行列をしたい」と望みながらも、なかなかその機会がありませんでしたが、そのマーチ・フォー・ライフの代表の方の賛成と同意とを得て、今年はファチマのマリア様を一緒にお連れして聖母行列がする事ができるようになりました。
日本でファチマの聖母行列をして、特に胎内で、お母様の胎内で今亡くなっている子供たちの罪を償う為にも、マリア様をお慰めする為にも、皆さんと聖母行列ができたらと思っています。
そこでもしもマリア様の聖母行列にたくさんの方が来る事ができるように、皆さんのご協力があれば、たくさんの方を呼んで下さればと思います。
「聖霊来たり給え。」
“Veni Sancte Spiritus”
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は聖霊降臨の大祝日です。
そこで、教会が一体何で、この聖霊降臨の大祝日を祝っているのか?この今日の典礼の意義というのは何か?をまず第1点に簡単に見てみます。
第2に、では聖霊降臨の日に一体何が起こったのか?
第3に、では教会が求めているように、教会が今典礼で第2の聖霊降臨として今日、聖霊の賜を私たちが豊かに受けるように求めている、その為にミサが作られたのだけれども、しかしそれをよく受ける為には一体どうしたら良いのか?
そして最後に、私たちは遷善の決心を立てる事に致しましょう。
では教会は、聖霊降臨の祝日をどうやって制定したのでしょうか?
まさにこれは、イエズス様の四旬節、御復活、御昇天、それから聖霊降臨というイエズス様の救霊の贖いの御業を完成させるものとして、御復活の後の50日目に、つまり今日、聖霊降臨の祝日を制定しました。初代からこの祝日があります。復活祭と並んで教会の最も大切な、クリスマスよりも更に大切な祝日としてあります。
ちょうど例えてみるならば、復活祭の時にイエズス様が、「正義の太陽が、あぁ、朝日として上がった、復活された、死の黄泉の国から打ち勝って、罪に打ち勝って上がった」とするならば、聖霊降臨はまさに、「正義の太陽が天の高きに、最も高きに上がって、そして私たちに光と熱とを降して下さる、その光と熱が聖霊である」と例える事ができるかもしれません。
或いは典礼学者の例えによると、「ちょうどイエズス様が復活した時には、ちょうど冬で、冬が終わって何もなくなった大地から芽が出て、そして花が開いた、それが花が開いて綺麗にこの青々とした大地がまた蘇った、それが復活祭だとすると、開いた花が更に実を付けて、豊かな実りとなった、そしてその実りは私たちを楽しませてくれて養ってくれる。この花が咲いている状態が復活祭だとすると、実りを付けて私たちを豊かにしてくれる、この時期が聖霊降臨だ」とも例えています。
もちろん植えられた花というのは、その復活祭の時に花を咲かせるこの花というのは、私たち洗礼を受けた者であって、そして実りを付けるというも私たちの事です。誰がこの木の剪定や世話をして下さるか、水を下さるか、肥やしを下さるかというのは、イエズス様です。
或いは、「復活祭の時には、私たちは洗礼を多く受ける、多くの方が洗礼を受ける時期ですけれども、ちょうど小さな幼子のような赤ちゃんが、ミルクのような真っ白な御聖体を私たちが頂いて、洗礼を受けたばかりの時が復活祭だとすると、母なる公教会が私たちを天国への巡礼者として、或いはこの世を旅するあたかも外国であるかのように、祖国に向かって旅する巡礼者のように、或いは兵士のように強めてくれる、それが聖霊降臨の日だ」と例えられています。
旧約時代では、この典礼学者の説明によればこれは2つの意味がありました。ペンテコステの祭り、つまり五旬祭というのは、モーゼがちょうどエジプトを脱出して50日後、シナイ山の上で十戒の石版を頂いたその日であり、その感謝の祈りであると同時に、ちょうど収穫の時に、パレスチナとか聖地では最初の収穫ができるので、その収穫の感謝のお祝い日でもありました。
これはまさに影でしかありません。本当の現実の、来たるべき実現されるべき影でしかありませんでした。
キリスト教の実現された典礼としては、聖霊が私たちの心に愛の掟を、イエズス・キリスト真の天主を、全てに越えて信じ、愛し、礼拝するというその掟を私たちの霊魂に、この心に深く刻み込んで火を点けて下さった、その感謝の祝日であり、また同時に霊的な実り、豊かな収穫を感謝するこの祝日でありました。物体的な物理的なものから、霊的なものへと新約では移行されています。
イエズス様は、私たちを「決してみなし子にはしない。孤児にはしない」と言って、慰め主を弁護者を送って下さる、パラクリトスを送って下さる、と約束されました。そして約束された通りに、私たちには別の代弁者、弁護者、慰め主が与えられました。これこそが聖霊です。そして聖霊は私たちの心にいつも住まわっています。
ところが今日、特にその多くの恵みと、愛と、光と、真理と、善の恵みを持って今日、皆さんの心に満ち溢れようとしています。そしてそれがよくできるように、今日カトリック教会は典礼を、聖霊降臨の大祝日の典礼を定めました。指定巡礼教会は聖ペトロ大聖堂で、これはラテラノ大聖堂がローマの教会だとすると、聖ペトロ大聖堂は諸国の為の全カトリック教会の為の普遍の教会の代表です。そこに私たちが集まって霊的に集まって、聖霊の賜を受ける事を望んでいます。ですから私たちも今日は霊的に、聖ペトロ大聖堂に馳せ参じる事に致しましょう。
では第2のポイントで、一体聖霊降臨の日には何があったのでしょうか?
イエズス・キリスト様は目に見えるかしらとして、この地上で聖ペトロに自分の代理者として教会を、「お前の上に教会を建てる」と約束し、そしてその全てを教えた後に、自分は栄光ある復活体として天に上がられました。肉体と霊魂をもって天に上がられました。確かに御聖体として地上に残るのですけれども、しかしそれはある意味で、その御姿はイエズス様だとは目に見えない形で、パンの形で残られました。これは私たちの罪の償いとして、犠牲として、また私たちへの霊的な糧として残られました。
教会の指導を実はイエズス様は、聖霊に任せようと思いました。ピオ十二世教皇様の「ミスティチ・コルポリス」という回勅の教えによると、「イエズス・キリスト様はキリストの神秘体のかしらであって、私たちはその体の一部、肢体であって、しかしその神秘体を生かしている霊魂は、聖霊だ」と言います。もしも肉体が霊魂と離れてしまっては、これは死を意味します。私たちを1つにまとめて生かして、そして主への愛に活動させているのは聖霊です。
この私たちの神秘体を生かす為に、イエズス様の御復活50日後、つまりイエズス様の御昇天の10日後、弟子たちが最後の晩餐の高間でお祈りをしている間に、マリア様を中心にお祈りをしている間に、突然、朝の9時頃、大きな音がしました。家がガタガタ揺れだしれたのです。風の音がしました。「地震かなぁ?」と思われました。「何でこんなに揺れているんだろう?」するといきなり、舌べらの形をした炎がまずマリア様の上に現れて、そこから使徒たちに、そこから弟子たちに、120名ほど集まっていた弟子たちに伝わりました。
するとこの弟子たちは聖霊に満たされて、諸国の言葉で主の偉大な業を語り出しました。「一体これは何が起こったのか?」と、その時五旬祭の巡礼に来ていた色々な人たちが、色々な国の人たちが、最後の晩餐の高間の周りに集まって、人がワイワイと集まって来ました。
「一体何事だ?」「何でこんな事が起こっているのか?不思議だ。」
するとペトロが家の前にやって来て、「皆さん、イエズス様は復活されました。昇天されました。そして今日聖霊を送って下さいました。皆から捨てられた石が、隅の親石となりました。」
すると皆はびっくりして、「一体何の事だろうか!?この彼らは学問のない、ガリレアから来た漁師ではないか。何で私たちが、その自分の生まれた故郷の国の言葉を聞く事ができるのか!?」
ちょうど色々な所から来た人たちが、1つの言葉で語る、天主の讃美をするというのは、「カトリック教会がここで生まれた」という事を意味します。皆の前に誕生して、この世に姿を現したという事を言いますが、そして彼らは聞きました。
「一体私たちは何をしたら良いのでしょうか?」
「悔い改めて、洗礼を受けなさい。そして霊魂を救いなさい。」
その時聖霊のその動きによって、聖霊のお恵みによって、3000名が洗礼を受けました。水と霊によって洗礼を受けました。
では私たちは一体、このミサの典礼によって2017年6月4日、どのようにして教会は私たちに、「この聖霊のお恵みを受ける事ができるように」としているのでしょうか?
これは、このミサに与る事によって、典礼に与る事によってそうです。特にこの御聖体拝領の時には、私たちが舌の形をした火として現れた聖霊を受ける事ができるように、私たちもイエズス様を御聖体をよく受ける事によって、それを聖霊を受ける事を望んでいます。ですから聖体拝領誦もまさに、その「私たちが御聖体を受けると同時に、聖霊を受けるように」という祈りとなっています。
でも教会はイエズス様は、更にもっと良い手段を私たちに下さいました。それは私たちがイエズス様を受ける為に必ず通らなければならなかったその御方、聖霊降臨の時に必ず使徒たちも120名の弟子たちも必ずその方を通して受けなければならなかった、その御方を通す事によって私たちは更に良く聖霊の恵みを受ける事ができる、というその秘密を皆さんに是非知っていただきたいと教会は思っています。一体それはどなたでしょうか?
皆さんもよくご存知のように、聖霊の浄配である汚れなきマリア様です。マリア様はイエズス様が来る為に必ず、聖父・聖子・聖霊が「その方を通さなければならない」とされた方でした。聖父と聖子と聖霊がこの世に聖霊を送る為にも必ず通さなければならなかったのが、マリア様でした。ですからもしも私たちがイエズス様を、そしてイエズス様の愛である聖霊を受けようとするならば、必ずマリア様を通さなければなりません。
神学者の一致した意見によれば、「マリア様は全ての聖寵の仲介者です。全てのお恵みは、マリア様を通して必ず来る」というのがカトリックの一致した教義です。
マリア様はですから、ただ単にイエズス様がお生まれになる時に、或いはイエズス様が十字架の上で付けられる時に、或いは聖霊が降臨する時為だけに仲介者、そのそこを通したのではなくて、世の終わりまで、いつの時代も、必ず全てのお恵みをご自分を通して下さるという事なのです。
この事をファチマでマリア様は子供たちに見せて下さいました。5月13日と6月13日でした。マリア様は両手を広げると、光を子供たちに与えて下さいました。子供たちは光の中に包まれて、そして子供たちは「天主の中に包まれている」という事がよく分かりました。「主の愛と光の中に包まれて生きている」という事を見ました。5月13日と6月13日です。これはマリア様の御手から来ました。
後にトゥイというスペインの修道院でも、シスタールチアは特別のビジョンを見ました。三位一体の聖父・聖子・聖霊のビジョンです。聖父は聖子と非常に似た顔をした、少し年寄りのような顔を姿をしていて、そして手を開げて、その下に十字架に架かる聖子のイメージがありました。そしてその上に聖霊のシンボルであるハトのようなものがあり、そしてイエズス様の両手からは「憐れみ」と「恵み、聖寵」という2つの言葉が書かれていました。そしてイエズス様の胸からは御血が滴り出るのですけれども、その御血は全てカリスの上に注がれて、そのカリスの上には御聖体がありました。御血が御聖体にまず滴りかかり、そして御聖体からポタポタとカリスに流れて、そしてそのカリスから与えられた全ての恵みは、そこのすぐ横にいたちょうどそのマリア様に行き、そしてマリア様からシスタールチアの方にお恵みが行っているのを見ました。
これによって三位一体が教えたかった事は、「贖いの、三位一体の贖いの業、イエズス・キリストの贖いの業は、マリア様を通してでなければ伝えられない。聖霊の恵みも、マリア様を通してでなければ伝えられない」という事です。
そして先月シュテーリン神父様もお話して下さったように、ファチマのマリア様、例えばマリア様が行かれる所ではどこでも、回心や特別のお恵みが溢れました。1950年代に世界中で、カトリック教会でファチマのマリア様の御像がどこもかしこも行きましたが、このマリア様が通った所では特別のお恵みや、回心や、平和が訪れました。洗礼を受ける方が倍増したり、教会の中がカトリックの信仰でいっぱいになった、という話しがエピソードがたくさんありました。
或いはマリア様の不思議のメダイを受けた人は、多くの恵みを受けたり、奇跡的なものを受けたという事が実話がもう本になってたくさんあります。
ですからそれらを見ると、それらの実話を知れば知るほど、確かにマリア様こそ私たちに、聖霊を受ける為の特別の運河として、特別の水道として、チャンネルとして与えられたのだという事が分かります。
どうぞ私たちはこの今日、遷善の決心を立てる事に致しましょう。
今日まず聖霊のお恵みをたくさん豊かに受ける事ができるように、強い望みを持って下さい。聖霊に、「ぜひ来て下さい。聖霊の恵みを私たちに与えて下さい。また私のみならず、私の知人や友人、隣人、或いはこの周りの人たちに全て与えて下さい」と心からお願いして下さい。その為にも御聖体を拝領なさって下さい。心を込めてなさって下さい。
第2には、是非ファチマのマリア様にお願いなさって下さい。マリア様は聖霊の充満を受けた方です。恵みに溢れた方です。聖霊を一度も「嫌だ」と拒否した事がありません。マリア様と聖霊は全く1つとなってしまって、マリア様であるのか聖霊であるか分からないかのように、あたかも聖霊が生きているかのようであるのがマリア様でした。そしてマリア様であります。ですからマリア様に是非、特にこの汚れなき御心に、私たちがたくさん聖霊のお恵みを受ける事ができるようにお祈りなさって下さい。
またもう私たちの心では足りないので、マリア様の汚れなき御心と交換して下さるようにお願い致しましょう。マリア様の汚れなき御心の信心はここにあります。汚れなき御心を以って、私たちの拙い祈りと犠牲を捧げる事によって、聖霊がやりたいと思っていた天主への罪の償いや、罪人たちの回心が果たされるという事です。極めて効果的に果たされるという事です。ではこの為にマリア様を通して、その聖霊のお恵みを乞い求めましょう。
“Veni Sancte Spiritus”
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。