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聖ピオ十世会 東京と大阪での聖伝のミサ(ラテン語ミサ)の報告 SSPX JAPAN Traditional Latin mass report

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 大天使聖ミカエルの祝日には、大阪でミサを捧げることができました。大天使聖ミカエルは日本の守護の天使です。何故なら、聖フランシスコ・ザベリオが大天使聖ミカエルを日本の守護者として決定したからです。

 10月1日には東京でミサを行いました。

 兄弟姉妹の皆様のしもべは、9月17日にはフィリピンのナガというところにミッションに参りました。9月24日には、いつものようにソウルでミサを捧げました。特にミサの直後には、ソウルで聖母行列を行いました。(2017 한국성비오10세회 절두산 순교성지 순례 (파타마 성모님과 함께 2017 .9. 24)

 ファチマ・ローマの巡礼、その他の報告を愛する兄弟姉妹の皆様から頂きました。とても興味深いものがありましたので、皆様にご紹介することをお許しください。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

御ミサの報告をお送りいたします。

9月29日金曜日 大天使聖ミカエルのミサ には12名が、
9月30日土曜日 聖ヒエロニモのミサには17名が御ミサに与り、御聖体拝領するお恵みを頂きました。
デオグラチアス!

聖フランシスコ・ザビエルが大天使聖ミカエルを日本の守護者に選んだ理由は、日本には謙遜が必要だからという理由だったことをお説教の中でうかがいました。
日本民族は勤勉で、清潔で、親切な民族でありながら謙遜が足りていないと私も感じます。聖フランシスコ・ザビエルが400年以上前に、一瞬で日本民族の欠陥を見抜いていたことには驚きます。
戦後、急成長を遂げた日本の経済や社会、教育などなど、日本人は自分たちの力でそれが成し得たと大きな勘違いをしたままでいることが、謙遜を忘れたことが、日本に回心が少ない事の一つの大きな原因ではないかと思いました。
天主に反乱を起こした天使が出たときに、聖ミカエルが真っ先にこれを打ち、戦ったことを思うと、謙遜というのは、引っ込み思案で遠慮しがちで、ただおとなしいだけではなく、天主を愛し、畏れるがゆえに、天主のためには戦う事を恐れない力なのだとわかりました。
聖ミカエルの力の原動は謙遜であったがゆえに、その力は大きかっただとわかりました。
マリア様も、あまりに謙遜でいらしたので、その力はすべての天使と聖人に勝るものであられるということも思い出しました。
聖ミカエルのように、天主を最初に、そしてすべてに置くことを私達日本は忘れてしまっているので、聖ミカエル様のお取次ぎによって天主様のために、悪と戦う力を、謙遜をお与え下さる事を祈ります。

土曜日の御ミサのお説教では5日後に向かえる守護の天使の祝日にむけてのお説教でした。
この日、聖ヒエロニモの祝日を私達は祝いましたが、彼が聖書をラテン語に翻訳したラテン教会の四大博士のひとりということは知っていましたが、すべての聖書に注解まで残しいたことは初めて知りました。聖トマス・アクイナスが聖ヒエロニモの注解をまとめた中に、守護の天使についての部分があるのでそれにそってお説教をすすめて頂きました。
その中で、今日一だったのが、「善徳は天主から聖寵や恩寵として与えられるが、賢明は天使が与える」といことでした。
私達ひとりひとりにあたえられた天使が、私達の救霊にどれほど大きな役目をはたして下さっているかを知る良い機会となりました。
守護の天使のすすめに常に気をつけて、天国へ一緒に帰る事ができるよ うにしたいです。

公教要理では、「衆議会」と、「会堂」について勉強しました。
イエズス様の裁判の時に、裁判や判決、すべての事がいかに不正に執り行われたかを知ることが出来ました。
聖書を勉強する一連の公教要理は私の黙想の大きな助けとなっています。

ファチマの聖母、グレゴリオ聖歌の会では、この度は特別に小野田神父様が指導をしてくださいました。
御ミサの固有文のラテン語の解説が素晴らしく、意味をよく理解しながら歌う事ができました。
どうぞまたよろしくお願いいたします!!

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え


【報告】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 25人(内、子供2人)
女: 29人(内、子供4人)
計: 54人(内、子供6人)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

いつも御ミサをありがとうございます。

今回は少し間あいておりましたので、とりわけ御ミサに与れることうれしく感謝申し上げました。「すべてを超えて汝の主なる天主を愛せよ」とのみ言葉を、守護の天使の導きと守りと勧めの観点からお話しいただきました。守護の天使が、どれほど私たちが天国への道を歩めるようにと心を配りガイドしガードしてくださっているかを、黙想することができました。

印象に残ったことは、私達をそれほどまで親切に案内しガイドしてくださる守護の天使の声を無視することができるというお話です。「わたしたちの悪意は、天主の声を無視することができる」というお話は突き刺さりました。“このようにしたらどうだろう”とかいう善き思いが浮かんでも、「でもそれは私の考えや今のやり方(この世のやりかた)と違うから」といって、退けてしまうことを指しているのでしょうか。天使が私たちの目指すゴールはこの世の栄誉や繁栄でなく天国ですといつも囁いてくださらなければ、目に見える成果楽しみ喜びに心奪われたままでいるかもしれません。

天使が道を示してくれるその案内のささやきの声を無視したら、全然違った方向へ向かって歩いて行ってしまうように思います。天国は純粋な霊が天主を礼拝しているところとのこと、カトリック信者にはそのような天国の喜びへの憧れがあります。人間的プライドに負け天使のように純粋な気持で天主様を礼拝することができなくなることは、悲しく不幸なことと思いますが、このことをはっきり知ることは困難なことのようにも思います(聖ベルナルドの「神への愛について」の本に書かれていました・・)。

神父様がはっきりとこのことについてお話しくださいまして、とてもうれしく思いました。私もどれほどこれまで天使からの導きを振り払って生きてきたことかと反省しました。朝晩の祈りの中で、いつも守護の天使への挨拶もいたしますが、もっと心を込めてそのご保護に感謝して御加護と導きを願おうと思いました。

また、ファチマでのポルトガルの天使のお話しによって、天使の教えてくれたお祈りを深く考え味わうことができました。主なる天主を愛せよという最も大切なことをどうやって守ったらよいかということを、天使は実際に行動で模範を示してくださり、その精神を伝えてくださったというのは、本当に特別な出来事なのではないかとあらためて思いました。

そして「私たちがあまりにも天主様を侮辱し冒涜し無視していることについて、多くの守護の天使がどうすることもできなくなっている」というお話には胸が詰まりました。なんだか秋田でのことを思い出しました。

人間の都合で(もしかしたら悪意の混じった意向で)そのような天使の示された模範を無視するということは怖ろしいことですし、模範を無視するような規制を作ること、そのような規制に良心の声を無視して従うということは恐ろしいことに思います。

「もしも人類たちが罪を犯すことを止めないなら守護の天使の招きに従わないならば、人類の目を開かせるためもう少し厳しいことをしなければならないかもしれません。その前に私たちはその声に耳を傾けなければなりません。」というお説教は非常に現実的で多くの人が迫りくる脅威を感じていることと符合しているようです。もっと真剣に罪人の回心のために祈らなければならないと思いました。

天国へ行くために作られ天国で天主を褒めたたえ礼拝するために人間がつくられていることを知るようになっても、どのように信仰生活をおくればよいかわからず、常日頃の生活では自分を満足させるためにばかり生きているようなものでしたが、小野田神父様のお説教を拝聴するようになって、いっそう天国を深く望む恵みをいただけるようになりどのように天主様を礼拝したらよいか教えていただけるようになりましたことを感謝申し上げます。少しでも教えられたことに近づけますように努力したいと思います。

【報告】
公教要理のご報告です。
公教要理では衆議会、Sanhedrin、のことを詳しく教えていただきました。
〇制度的にはギリシャ文化から来たもので、1名の議長(大祭司)と70名の議員の71名で成立していた。
〇衆議会には多くの力が与えられていたが、死刑を決めることだけはできなかった。
〇司祭階級(サドカイ派)・世俗の貴族階級(サドカイ派)・律法学士や金持ちの庶民派などの人達(ファリサイ派)という3つのグループから成っていた。
〇衆議会は、エルサレム神殿内のlishkath haggazith という名前のところで開催された。その意味は《切石の広間》という意味だが、正確にエルサレム神殿のどの場所だったかということは、はっきりとわかっていない。イスラエル人だけが入れるところと司祭が入る所にまたがっていたのではないかという予想がたてられる。
〇衆議会は、半円形で開かれ、互いの顔を見ることができるようになっている。

それから次に、イエズス様が裁判に掛けられたとき、いろいろな点で違法であったと聖書にかかれていることについて、検証してくださいました。
〇このエルサレム神殿の中にある《切石の広間》以外の場所での裁判は無効のはずなのに、実際にはカイファの家に連れていかれてそこで裁判に掛けられた、
〇裁判の最初は一番若い人から口火を切ることになっているのに、この時はカイファが最初の口火を切った。
〇夜に衆議会が開かれることは禁止されていたにもかかわらず、イエズス様は夜の間にそれも安息日の夜に衆議会にかけられて裁かれた。
〇死刑については裁判の後のその翌日に死刑を宣告するものとされるのに、すぐに死を宣告された。
〇そのほか証人に関してもいろいろな違反がなされていた。
〇カイファの家に連れていかれる前に大祭司アンナスのもとに連れていかれたのは、大祭司という役職の事実上の権力を握っている正式なボスはアンナスであるということを誰ものがよく知っていたため。(このことはヨハネ福音書にしか書かれていませんでした。)
〇この時の衆議会の人達の名前の71名中、少なくとも40名の名前がわかっている。

感想です。聖書にはイエズス様が衆議会にかけられると書かれているけれども、実際に行われた衆議会でのイエズス様の裁判がどのような意味で違法なものでありリンチ(私刑)的なものであったかということがよく理解できました。イエズス様が侮辱を受け冒涜されたときの状況を知り少しみんなで黙想できたように思います。またイエズス様を裁判にかけた当時の衆議院の名簿の中に、ガマリエル、アリマタヤのヨゼフ、ニコデモという三人の名前が残っていると教えていただき、あらためて聖書に書かれていることは歴史的にも証明される事実であるということがわかりました。(間違って理解している部分があるかもしれずどうぞお許しください。)

神父様いつも貴重なお話をありがとうございます。


【報告】
皆様とファチマにいたのが、もう1ヶ月も前のことだなんて、嘘のようです。

巡礼のことを忘れてしまわない内に、少しずつ書き留めておかなくてはと思っていますが、順番がバラバラになってしまうと思います。ご容赦ください。

大阪からポルトガルは、予想以上に遠く、(一日何時間あったのでしょう。日付を越えたと思ったらまた戻っていて、思わずその長さに笑ってしまいました。)

ファチマでは、田舎独特のゆっくりとした時の流れのお陰か、忙しかったはずなのに、思い出してみると、のんびりとした時間が流れていたような感じがします。時差ぼけもありましたが、さほど疲れもたまっていなかったので、体も思うように動いて、ローマでのように時間に追われてできないことがたくさんということにはならなかったので、助かりました。

特に、嬉しかったことは、長時間の飛行機で、腰痛が悪化し、ポルトガルに着く頃には寝込むことになってしまわないかと憂慮していた持病の腰痛が、驚く程調子が良く、皆様と共に跪いて祈ることができたことです。

ファチマのマリア様のお恵みだったのだと思います。11月から、ずっと身近に感じてきたファチマのマリアに、心から感謝と賛美を申し上げました。

また、私の大切な人たちにも、マリア様を共に賛美いたしましょう、と伝えたいと思いました。

天使が現れた場所に着いた時には、とても感動しました!!(シュテーリン神父様のお話はあまり分からなかったのですが、)皆でお祈りをして、お恵みの中で、ただ今、ここでこのように祈っていられるということが、とても幸せに感じた時間でした。








それから、マリア様がお現れになった場所でお祈りをしました。皆で跪いて祈ることがとても心地よく、同じ信仰の方たちと共にいるのだと感じました。

バジリカに向かって、記念撮影をして、皆でお祈りをして、

その後のシュテーリン神父様の講話では、途中で何度も眠ってしまいました💦起きていても、英語は分からないのですが…







それから、バジリカの中に入り、お墓の前でお祈りをしました。流れがあったので、さっと祈って前に進むような感じだったのですが、後で、皆様がゆっくりお祈りをしていたと知って、その仲間に加われなかったことが、とても残念でした。

その後は、神父様の御ミサに与りました。

巡礼中、毎日、御ミサに与ることができたのは、本当に大きなお恵みでした!!

この初日の朝に、ヴァリニョスまで歩く時に、ロスキ神父様が歌っていらっしゃったアベマリアをまた聞きたいと思い、YouTubeで探しているのですが、見つかりません。

その後、世界の聖ピオ10世会の信者一万人の方と共に野外ミサに与りました。
後から行ったにも関わらず、聖歌隊の前で御ミサに与るお恵みをいただきました!
初め、一番前の席にいた方々が、この前に来ては駄目だと怒っていて、日本の信者の方々も、それは怒るよね。他の場所がいいのでは?とりあえず跪いて祈ろう。などと話していて、ドキドキでしたが、あのようなお恵みをいただき、交渉してくださった神父様、ありがとうございました

綺麗に着物を着付けられた方々は、お洗濯も簡単ではなくて大変だろうと感じましたが、そのような素振りも見せずに、いつも跪いて、聖歌を歌って、お祈りされて、本当に立派な方々だなぁと感じていました。

この日の御ミサでは、私は、ロシア奉献のことがふと頭に浮かび、ただそのことだけに身を捧げてお祈りをしていました。

ロシア奉献については、只今神父様のホームページで勉強中です。荘厳さの中で、ただただ信頼を込めて祈りました。

その後、なだらかとは言えない道を行列し、大変ではあったけれど幸せでした。

天気もとても良く、たくさんの世界中の信者と心を1つにしての行列は、清々しくて気持ちが良かったです。

ホテルに帰り、夕食を食べ、その夜は、聖体降福式に行きました。日本人の方々は、お休みになるということでしたが、親切なイリスさんが私と時間を合わせて行ってくださるということになりました。

イリスさんは、徹夜で朝まで過ごすということでした。夜にも関わらず、たくさんの家族連れもいて、皆、熱心にお祈りをしていました。暗闇の中でも祭壇が美しく、たくさんの神父様もいらっしゃって、静かで厳粛で、「お祈り」ただそれだけで、それが全てで、本当にここで祈られていることが天に届いているんだ、と感じる空間でした。私は、疲れていたので、途中何度も眠ってしまい、一環唱え終わるのに一時間ぐらいかかってしまったと思います。
帰り道は、守護の天使に守っていただいて、無事ホテルに着き、真っ白になった靴を始め、そろそろ洗わなくては限界になっていた洗濯物を(この日の御ミサは溜まった洗濯物を洗うきっかけになりました。)洗いかけで出掛けたので、最後まで洗って干して休みました。

次の日は、7時から朝ミサでした。

20日の御ミサは、ずっと後ろの方の野原の木陰で与りました。
犬を連れた、幼い5人の子どもたちを連れたご家族の後ろで、ちょうど木と木の間から祭壇が良く見える場所を見つけました。

神父様方の入場の時も遥か遠くでしたが、司教様が、皆に十字架のしるしをしながら入場されるのも見えました。
祭壇からこんなに遠く離れた場所でも、皆が御ミサに集中して熱心に祈っていて、特に
子どもたちの態度は、新しいミサの教会で、好き勝手に大騒ぎしている子どもと同じ神様を信じているとは思えないと思うくらい驚きました。
世界の聖ピオ10世会の家庭は、どのような生活をしているのだろう?きっと我が家とは、比べようがないくらい信仰の厚い家族ばかりなんだろうなぁ、と感じながら、周りの熱心な雰囲気のお陰で私も集中して祈ることができました。

ヴァリニョスで、最後のお祈りということだったようなのですが、私たちは暫く集合場所を勘違いしてしまったり、道に迷ったりで、時間までに着けるか分からなくなってしまいました。それで、何とか間に合うようにと急いでいたら、途中で偶然にも小野田神父様にお会いすることができ、とても嬉しかったです!
そして、日本人の輪に加えていただき、マリア様の見えるすぐ近くで、ロザリオを祈ることができました。
それで、ファチマでの巡礼は全て終了とのことで、何だかとても達成感がありました。ずーっとずっと、何ヵ月もファチマのことを考え、家族でファチマのことばかりを話題に過ごしてきてからです。

その夜は、ろうそくの行列がありました。

あの蝋燭は、本物の蝋でできたものだったでしょうか?傾きによって自然と形が変わり、風避けもとても良くできていて、普段家庭で用意して復活祭などで使っている蝋燭と比べて、なんて便利で素敵な蝋燭だろうと、自分でも作れるかなと考えたりしながら見ていました。

この蝋燭の行列のお写真を、インターネットで拝見いたしました。本当に美しいですね…。自分もあの場にいることができたのだということに、心から感謝!





その次の日は、お弁当を持って、遠足の日でした。

サンタレンと、聖アントニオの生誕教会。ポルトガルの街並みは、その歴史のせいか、どこか懐かしく心が落ち着く街並みでした。古く歴史のあるものからくる独特の感覚なのか、ローマでもとても懐かしい、その街並みを歩いていると、安心するような心地よい感覚を覚えました。

大聖堂は(他の教会も)、日本にいる間、ずっと楽しみにしていた、古く美しい教会で、本当に祈ることを助けてくれるような立派な教会でした。

大聖堂の周りは、治安があまり良くなかったようですね。

レストランで、皆様と、楽しく食事をとらせていただきました。皆さんの優しさのお陰で、思い出に残る素敵な時間になりました。

今回の巡礼の報告は、ここまでにいたします。

神父様が、毎日、喜びの内に、お元気に過ごされますように。

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

マリア様の汚れなき御心をもってイエズス様の聖心を愛し、イエズス様の聖心をもってマリア様の御心を愛し、という事を仰っていて、このようなマリア様とイエズス様の間の美しい愛の交換、その愛の中に特に深く入ることができる初金・初土の御ミサが毎月捧げられる、日本の聖母の汚れなき御心教会は、数少ない信者でありながら本当にマリア様の御恵みに溢れていて、とても感謝し尽くせないと思いました!

この御恵みにより、その数少ない信者が皆聖人となり、ファチマのマリア様の汚れなき御心をもって多くの方を回心に導く道具となる事ができますように!

デオ・グラチアス!

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

日本で堕胎が無くなりますように、ファチマのマリア様にお祈りさせて頂きます。もっと日本の方々が、同胞の命を尊び、命に至るまでの過程を尊び、命が天主様のものである事を尊びますように!

おおイエズスよ。これは御身の愛の為、罪人達の回心の為、マリア様の汚れ無き御心に対して犯された罪の償いの為です!

聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

シュテーリン神父様はこのお説教で、ファチマの太陽の奇跡が、イエズス様の御復活後かつてないほどのものであった事、そして奇跡が大きければ大きいほど、そのメッセージが重要である事を仰って下さいました。

このファチマ100周年にあたって、更にマリア様のメッセージを黙想し、3人の牧童たちに倣って、罪によって犯され続けている天主様をお慰めし、罪人たちの回心の為に、マリア様の汚れなき御心を以て、祈りと犠牲をお捧げし、そしてまたファチマの太陽の奇跡について、職場などでもお話しする機会があれば良いなと思いました。

そして更に思った事は、ファチマの太陽の奇跡のように派手な奇跡ではないですが、秋田のマリア様も、101回も奇跡を起こされた事はすごい事だなぁと改めて感じました。

シュテーリン神父様は前回の講話で、ファチマのマリア様の中核にあるドグマ的な教義的なメッセージは、汚れなき御心がそのシンボルである、「マリア様が全ての恵みの中継者である、仲介者である」という教義です。と仰っていました。

そして秋田のマリア様が流された101回の涙の意味は、天使がはっきりと、創世記3章15節と共に、「…一人の女によって罪がこの世に入って来たように、一人の女によって救いの恵みがこの世に入って来たことを、かたどるものです。数字の1と1の間には0があり、その0は、永遠から永遠にわたって存在する神を意味しています…」とマリア様の「共贖」の玄義をお示しになりました。

そしてそのイエズス様の十字架の足下に留まられた秋田のマリア様は、「私は主を慰める者を望んでおります」と仰っています。

私は、この時代、この日本に日本人として生まれさせて下さった事を天主様に感謝し、秋田のマリア様の呼びかけにできる限りお応えするために、これからの人生を、罪によって犯されている天主様をお慰めするために、十字架上で私たちの為に自らをいけにえとしてお捧げして下さったイエズス様の聖心をお愛し、お慰めするために、十字架の足下で贖いの御業に参与された共贖者であるマリア様の、悲しみに満ちた汚れなき御心をお慰めするために、拙いながらも私自身も御捧げしたいと思っています。

秋田のマリア様は、「…ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈って下さい。悪魔の働きが教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう…」と仰っていて、これはファチマの隠されている第3の秘密、今の教会の危機をまさに暴露なさっています。

その中で聖ピオ十世会の神父様方は、聖伝のカトリック信仰を守り、宣べ伝えるために、偽りの破門の汚名や侮辱や虐げを受けられながらも、私たち信者の霊魂を真の天主様への一致へと導く為に懸命に働いて下さっています。

至聖なるイエズスの聖心、我らを憐れみ給え!
聖母の汚れなき御心よ、我らの為に祈り給え!
聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え!

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