アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
ご無沙汰しております。いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
3月は、聖ヨゼフの聖なる月です。聖ヨゼフにノベナの祈りをすることを提案します。
今年は、日本が聖母の汚れなき御心に奉献されて170周年ですのでフォルカード司教様の話をすることをお許しください。
【3月2日:テオドール・フォルカード司教の生誕98周年】
3月2日は、テオドール・フォルカード(フランス語: Théodore-Augustin Forcade、1816年3月2日-1885年9月12日)司教の生誕98年周年でした。
フォルカード司教は、父 Auguste-Louis Forcade、母 Augustine Joséphine Alexandrine Giroustの間に1816年3月2日、ヴェルサイユで生まれました。
ヴェルサイユの神学校を卒業後に、神学校で1年ほど哲学を教える。ヴェルサイユの病弱な小教区司祭を助け、大きな成果を上げます。
1839年3月16日、パリ外国宣教会の司祭として叙階され、1842年に極東の宣教のために船で旅立ちます。
日本は1640年から鎖国をしていました。清国は1830年代から列強に開港しつつありました。
1840年5月、阿片戦争が起こり、その結果、1842年「英清(えいしん)南京条約」が締結され、上海、寧波、福州、厦門、広東など五港が開かれます。
1844年07月03日、マカオ郊外の望厦村において、イギリスに南京条約で認めた内容とほぼ同様のことを定めた修好通商条約がアメリカと結ばれ、これを「米清(べいしん)望厦(ぼうか)条約(じょうやく)」と言います。
1844年10月24日、広州郊外の黄埔において、フランスと清の間にも「仏清(ふつしん)黄埔(こうほ)条約」も締結されます。清国全権として耆英(きえい、1790-1858)と、フランスの外交官ドゥ・ラグルネ(Theodore-Marie-Melchior-Joseph de Lagrené (1800-1862)との間の交渉で、特に、この条約ではフランスのカトリック宣教師の中国入国の自由が最初に規定されました。
フランス印度支那艦隊司令官セシーユ提督は将来日本とも市場開拓を兼ねて宣教師の琉球滞在を提案していました。そこで、フォルカード神父は、琉球王国の尚育王の許可を受けて琉球王国や日本でも宣教活動を始めようとし、1844年3月11日、パリ外国宣教会テオドール・アウグスト・フォルカード神父(当時24歳)は、中国人通訳アウグスチノ高伝道士と琉球王国の那覇に上陸します。
そして、今から170年前の1844年5月1日に、日本を聖母の汚れなき御心に奉献し、沖縄に2年間滞在します。
1846年3月27日(弘化三年四月六日)、日本代牧区が設立されフォルカード神父が代牧に任命され(évêque de Samos in partibus infidelium, Titular Bishop of Samos)、1846年から1852年まで日本使徒座代理区の名目上の大司教を務めます。(1847年2月21日(弘化四年正月七日) ローマで司教聖別を受けて、日本に戻ろうとします。しかし何らかの理由で、香港に行くことになります。)
1848年(嘉永元年八月十五日)に香港へ帰着してみると六月一日には琉球滞在中のマッシュ・アドネ神父(Mathieu Adnet, 1813年12月8日 - 1848年7月1日)が亡くなり(享年34歳)、七月二十八日ピエール・マリ・ルチュルジュ神父とアウグスチノ高は、香港へ引き揚げでいたことを知らされます。
1850年フォルカード司教は日本代牧の辞職を願い出ると、1852年1月、日本代牧辞職が認められます。
1851年、パリ外国宣教会を去って、フランス領カリブ海にあるグアダルペ教区長になっています。
【3月2日:その他】
天主様は、大宇宙とこの地球の全ての生物を創造しましたが、大変神秘的です。今から2年前の2012年3月2日に亡くなったローレンンス・アンソニー(Lawrence Anthony)という南アフリカの人のことを最近知りましたので、ご紹介させてください。
2月28日(金)に、童謡の「ぞうさん」で有名なまど・みちおさんが老衰のため東京都内の病院で亡くなられたそうです。104歳だったそうです。最近知った話によると、2年前の2012年3月2日には、ぞうさんのお友達のローレンス・アントニーが亡くなると、象たちが不思議なことに彼の家に集まってきたそうです。
ローレンンス・アンソニーは1950年9月17日、ジョハネスバーグに生まれ、クワズールーナタール州最古の私設野生動物公園「トゥラトゥラ」(Thula Thula)を購入します。2000ヘクタールのトゥラトゥラ(「静か」の意)に、1999年、ジンバブエの生まれ故郷から無理やり移動させられ、その過程で子供たちを殺された野生の象たち7頭を迎えます。象は人間に対する怒りと不信感に満ちていましたが、アンソニー氏はその象たちの信頼を勝ち取ることに成功。象人口は順調に増加し、現在では群2つ、計20頭の象がトゥラトゥラで暮らしているそうです。この体験は『The Elephant Whisperer』(2010年)という本にまとめられました。(日本語訳『象にささやく』ローレンス アンソニー (著), グレアム スペンス (著), 中嶋 寛 (翻訳) )
「象に囁く人」が世界的に有名になったのは、2003年、戦火のイランへ飛び、バクダッド動物園の動物たちを救出した時で、この物語は『Babylon's Ark』(バビロンの箱舟)として、2008年に出版された。(日本語訳は、『戦火のバグダッド動物園を救え―知恵と勇気の復興物語』ローレンス アンソニー (著), グレアム スペンス (著), 青山 陽子 (翻訳) )
2012年3月2日金曜日の早朝、アンソニー氏は自宅のベッドで息を引き取った。享年61歳。死因は睡眠中の心臓発作。そして、不思議なことが起こったそうです。一年半も姿を見せなかった象の群がふたつとも、アンソニー氏が亡くなって間もなく、家にやってきたのです。象たちがいた場所からアンソニー氏の家まで、象の足で12時間はかかると推定されているから、恐らく別の場所にいたふたつの群は、何らかの形でアンソニー氏の死を「察知」し、すぐ駆けつけたようです。まるで、アンソニー氏に「さよなら」を言うように。そして、別れを名残惜しんでいるかのように。
(以上は、【参考資料】象も悲しんだ 環境保護活動家ローレンス・アンソニーの死を参考にしました。)
もしも象でさえ恩人にお礼をするのなら、天主様からたくさんの恵みを受けている人間ですが、天主が私たちの罪の償いのために十字架で亡くなったことをどれほど感謝しなければならないでしょうか!
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
愛する兄弟姉妹の皆様、
ご無沙汰しております。いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
3月は、聖ヨゼフの聖なる月です。聖ヨゼフにノベナの祈りをすることを提案します。
今年は、日本が聖母の汚れなき御心に奉献されて170周年ですのでフォルカード司教様の話をすることをお許しください。
【3月2日:テオドール・フォルカード司教の生誕98周年】
3月2日は、テオドール・フォルカード(フランス語: Théodore-Augustin Forcade、1816年3月2日-1885年9月12日)司教の生誕98年周年でした。
フォルカード司教は、父 Auguste-Louis Forcade、母 Augustine Joséphine Alexandrine Giroustの間に1816年3月2日、ヴェルサイユで生まれました。
ヴェルサイユの神学校を卒業後に、神学校で1年ほど哲学を教える。ヴェルサイユの病弱な小教区司祭を助け、大きな成果を上げます。
1839年3月16日、パリ外国宣教会の司祭として叙階され、1842年に極東の宣教のために船で旅立ちます。
日本は1640年から鎖国をしていました。清国は1830年代から列強に開港しつつありました。
1840年5月、阿片戦争が起こり、その結果、1842年「英清(えいしん)南京条約」が締結され、上海、寧波、福州、厦門、広東など五港が開かれます。
1844年07月03日、マカオ郊外の望厦村において、イギリスに南京条約で認めた内容とほぼ同様のことを定めた修好通商条約がアメリカと結ばれ、これを「米清(べいしん)望厦(ぼうか)条約(じょうやく)」と言います。
1844年10月24日、広州郊外の黄埔において、フランスと清の間にも「仏清(ふつしん)黄埔(こうほ)条約」も締結されます。清国全権として耆英(きえい、1790-1858)と、フランスの外交官ドゥ・ラグルネ(Theodore-Marie-Melchior-Joseph de Lagrené (1800-1862)との間の交渉で、特に、この条約ではフランスのカトリック宣教師の中国入国の自由が最初に規定されました。
フランス印度支那艦隊司令官セシーユ提督は将来日本とも市場開拓を兼ねて宣教師の琉球滞在を提案していました。そこで、フォルカード神父は、琉球王国の尚育王の許可を受けて琉球王国や日本でも宣教活動を始めようとし、1844年3月11日、パリ外国宣教会テオドール・アウグスト・フォルカード神父(当時24歳)は、中国人通訳アウグスチノ高伝道士と琉球王国の那覇に上陸します。
そして、今から170年前の1844年5月1日に、日本を聖母の汚れなき御心に奉献し、沖縄に2年間滞在します。
1846年3月27日(弘化三年四月六日)、日本代牧区が設立されフォルカード神父が代牧に任命され(évêque de Samos in partibus infidelium, Titular Bishop of Samos)、1846年から1852年まで日本使徒座代理区の名目上の大司教を務めます。(1847年2月21日(弘化四年正月七日) ローマで司教聖別を受けて、日本に戻ろうとします。しかし何らかの理由で、香港に行くことになります。)
1848年(嘉永元年八月十五日)に香港へ帰着してみると六月一日には琉球滞在中のマッシュ・アドネ神父(Mathieu Adnet, 1813年12月8日 - 1848年7月1日)が亡くなり(享年34歳)、七月二十八日ピエール・マリ・ルチュルジュ神父とアウグスチノ高は、香港へ引き揚げでいたことを知らされます。
1850年フォルカード司教は日本代牧の辞職を願い出ると、1852年1月、日本代牧辞職が認められます。
1851年、パリ外国宣教会を去って、フランス領カリブ海にあるグアダルペ教区長になっています。
【3月2日:その他】
天主様は、大宇宙とこの地球の全ての生物を創造しましたが、大変神秘的です。今から2年前の2012年3月2日に亡くなったローレンンス・アンソニー(Lawrence Anthony)という南アフリカの人のことを最近知りましたので、ご紹介させてください。
2月28日(金)に、童謡の「ぞうさん」で有名なまど・みちおさんが老衰のため東京都内の病院で亡くなられたそうです。104歳だったそうです。最近知った話によると、2年前の2012年3月2日には、ぞうさんのお友達のローレンス・アントニーが亡くなると、象たちが不思議なことに彼の家に集まってきたそうです。
ローレンンス・アンソニーは1950年9月17日、ジョハネスバーグに生まれ、クワズールーナタール州最古の私設野生動物公園「トゥラトゥラ」(Thula Thula)を購入します。2000ヘクタールのトゥラトゥラ(「静か」の意)に、1999年、ジンバブエの生まれ故郷から無理やり移動させられ、その過程で子供たちを殺された野生の象たち7頭を迎えます。象は人間に対する怒りと不信感に満ちていましたが、アンソニー氏はその象たちの信頼を勝ち取ることに成功。象人口は順調に増加し、現在では群2つ、計20頭の象がトゥラトゥラで暮らしているそうです。この体験は『The Elephant Whisperer』(2010年)という本にまとめられました。(日本語訳『象にささやく』ローレンス アンソニー (著), グレアム スペンス (著), 中嶋 寛 (翻訳) )
「象に囁く人」が世界的に有名になったのは、2003年、戦火のイランへ飛び、バクダッド動物園の動物たちを救出した時で、この物語は『Babylon's Ark』(バビロンの箱舟)として、2008年に出版された。(日本語訳は、『戦火のバグダッド動物園を救え―知恵と勇気の復興物語』ローレンス アンソニー (著), グレアム スペンス (著), 青山 陽子 (翻訳) )
2012年3月2日金曜日の早朝、アンソニー氏は自宅のベッドで息を引き取った。享年61歳。死因は睡眠中の心臓発作。そして、不思議なことが起こったそうです。一年半も姿を見せなかった象の群がふたつとも、アンソニー氏が亡くなって間もなく、家にやってきたのです。象たちがいた場所からアンソニー氏の家まで、象の足で12時間はかかると推定されているから、恐らく別の場所にいたふたつの群は、何らかの形でアンソニー氏の死を「察知」し、すぐ駆けつけたようです。まるで、アンソニー氏に「さよなら」を言うように。そして、別れを名残惜しんでいるかのように。
(以上は、【参考資料】象も悲しんだ 環境保護活動家ローレンス・アンソニーの死を参考にしました。)
もしも象でさえ恩人にお礼をするのなら、天主様からたくさんの恵みを受けている人間ですが、天主が私たちの罪の償いのために十字架で亡くなったことをどれほど感謝しなければならないでしょうか!
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)