Quantcast
Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4247

アルゼンチンより──「同性婚」に関する法案の可決と司教団の反応の分析

$
0
0
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 3月19日は聖ヨゼフの祝日であり、また、フランシスコ教皇様の在位1年周年でもあります。そこで、記事を掲載することをお許しください。この記事は、DICIなどに掲載されていたもので、すでにずっと前からとても寛大で親切な方によって翻訳がすんでいたものですが、ご紹介することがずっと遅れてしまったことをお詫び申し上げます。日本語に訳してくださった方には心から感謝します。


天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


アルゼンチンより──ブシャクール神父による「同性婚」に関する法案の可決と司教団の反応の分析

原文はこちら

アルゼンチンより──ブシャクール神父による「同性婚」に関する法案の可決と司教団の反応の分析

二〇一〇年七月二十六日

聖ピオ十世会南アメリカ管区長、クリスチャン・ブシャクール神父は、以下の公式声明を発表した。ブシャクール神父はDICI編集部に、法案の可決に関する次のような正確な詳細を知らせることに同意した。可決に関して、アルゼンチンの聖職者階級が演じた役割に、公式メディアが報道したこととは別の観点から光を当てている。

今月七月十五日の午前四時、丸一昼夜に渡る激論が戦わされたのち、賛成三十三票、反対二十七票、棄権三票の結果、上院議員らは同性婚の法案を可決しました。この可決によって、彼らはアルゼンチンをカルワリオの足元に投げ出しました。「同性婚」だけでなく、同性愛者たちによる児童の養子縁組の合法化によってもです。この嘆かわしい数時間中、可決以上の恥ずべき抗争がありました。一部のカトリック上院議員らの降伏と議会の一部の議員らの欠席です。(フランスで)堕胎法案に賛成票が投じられた時、私たちが経験した場合と同じようにです。討論はときおり、途方もなく激烈なものになりました。カトリックの女性上院議員が、結婚は天主の法に従うべきであると立派な弁護を述べました。可決法案の擁護者らは彼女をナチ党員のようだと言って侮辱し、攻撃しました。彼女はカメラの前で涙ぐんでうなだれました。以下のことが知られるべきです。この法案可決は次のような下院の仕業、つまり、大差をつけられて、この法案を承認した下院によってなされたのだと。憶測するところ、上院議員らはこの計画の承認を拒否するだろうと大部分の人々は考えていました。計画の傍らでこっそりと行われた取引と、一部の人々の臆病が、可決への方向転換をやり遂げたのです。

司教団は確かに断固とした抗議の反応を示しましたが、遅すぎました……。大規模なデモンストレーションの間、司教たちは締まりのない、ひどくトーンダウンしたメッセージを発しました。例を挙げましょう。法案投票の前日、ブエノスアイレス大司教、ベルゴリオ枢機卿の担当地域の平信者たちは、巨大なデモンストレーション運動を……福音派の信者たちと組織しました。一二〇万人の人々がいました。枢機卿はメッセージを一女性に託し、彼女が読み上げました──枢機卿は欠席しました。このメッセージはただ自然法からのみ論じていました。天主のみ名には言及されることすらなく、これは人口の九十パーセントがカトリック信者である国、アルゼンチンでは考えられないことです。聖母のみ名も口にされることはありませんでした。これも聖母に捧げられたこの国では同じように信じ難いことです。つまり、ベルゴリオ枢機卿は低姿勢で対応したのです。それに反して、福音派の牧師の説教は大変熱烈なものでした。その中で、彼は天主の権利、十戒その他を擁護しました……。彼は群集の共感を得ました。そして福音派の祈り、プロテスタント信者たちにとって解決の鍵であるかのように思われる祈りを、朗々と、雷鳴のように響き渡る声ではっきりと唱えました。悲しいかな、全信者が待っていたにも関わらず、カトリックの祈りは一つも唱えられませんでした。枢機卿のスピーチの後、多くのカトリック信者たちは落胆したのみならず、反逆をも起こしたのは明らかでした。数えきれないほど多くのカトリック信者たちが、裏切られたという思いで口々に叫びました。カトリックの群集は嘆きながらその場を去りました。

私は、聖伝派運動のフランスの雑誌や新聞で、アルゼンチンの司教たちは大変勇気があったと書かれた記事を読みました。わずかの例外もなく、これは真っ赤な偽りです! ベルゴリオ枢機卿に話を戻しますが、彼はブエノス・アイレスのカルメル会修道女たちに特筆すべき手紙を送りました。でも、この手紙はインターネットにアップされたとはいえ個人的なものです。全カトリック信者は七月十三日の集会の間、この手紙と同じ内容のスピーチを待ち望んでいました。でも違っていました──大変落胆させられました。彼は迎え撃とうとも、揺さぶりをかけようともしませんでした。

加えて、司教団はこの計画に応戦するため、いかなる超自然的手段も使いませんでした。信者たちはロザリオの十字軍を提案し、たくさんのミサにあずかり、犠牲を捧げることで熱狂的に答えたというのにです……。国家レベルでは何も、何ひとつ組織されませんでした! しかしながら、アルゼンチンのカトリック信者たちは、自分たちの牧者たちからの訴えに寛大に応える方法を知っています。アルゼンチンのルルドと呼ばれるブエノス・アイレスのルハン(Lujan)では、毎年、天主のおん母を讃えるため、七十キロの道のりを巡礼する百万人近い巡礼者たちがいるのです。 

カトリック教会は、この手痛い敗北とともに公会議後の時代における信仰からの逸脱を償っています。教会のメッセージは十年間、中道左派の政党のものであり続けています。教会の言葉は、日ごとに聞き取れなくなっています。若者たちは教会を見捨て、プロテスタントのセクトがその宗派を広げています。

この状況への回答として、南アメリカの聖ピオ十世会管区は、各修道院と教会で償いのミサを捧げる予定です。この償いのミサの大部分は七月二十二日、聖マリア・マグダレナ──自らの罪に涙した悔悛女の祝日に立てられるでしょう。私たちもまた、国家の公選役職者たちが、天主に対して犯した重大な罪を悔やんで泣き、天主に赦しを乞うでしょう。今まで、一部の司教たちが、他に類を見ない、この国の運命を決定づける方法で可決されたこの法案に対し反撃を返しましたが、司教評議会はいまだに何の声明も出していません。

最後に、実に憂慮すべきことは、南アメリカではアルゼンチンが最初にこの法案を可決した国であるということです。ドアは半分開かれました。今や南アメリカ大陸の全国家が、次から次へと同じ倫理観を受諾しようとして突進するでしょう……アルゼンチンは南アメリカにとって、ヨーロッパにとってのフランスのようなものです。この国は悪い模範となることを証明しました。引き続いて混沌の中へと入って行くでしょう……天主が我らをあわれみ給わんことを!

二〇一〇年七月十七日のメールより、クリスチャン・ブシャクール神父
(Source: FSSPX – DICI N°219 of July 24, 2010)


以下は、一年前の話題です。

原文はこちら

白のスータンと「名誉教皇 "Pope Emeritus"」の称号、周囲を瞠目させる

二〇一三年三月十五日

I.MEDIAによると、内々にコンクラーベを準備中の聖省本部では、ベネディクト十六世が白いスータンを着用し続け「名誉教皇」の称号を用いることを決めたことに、一部の者が驚きを隠せないでいるということである。後継者である教皇が不快に思うかも知れないとの判断からである。

教皇庁最高裁判所長官、アメリカ人のレイモンド・レオ・バーク枢機卿は、ベネディクト十六世が黒ではなく白のスータンを選んだことについて当惑したと報道された。確かに、ヴァチカン報道局長フェデリコ・ロンバルディーニ神父は、ベネディクト十六世の正式な退位の二日前、二月二十六日に、彼が今後「簡素な白のスータン」を着用すると告知していた。

教会法学者でありラテラノ大学校長代理Patrick Valdrini司教は、イタリア日刊紙Avvenire上とKTOで、教皇の退位にあたり「ベネディクト十六世はローマ名誉司教となり、ペトロの座を退きました。従って、私の意見を述べるなら『ローマ名誉司教』の呼び名が最も正確であるかも知れません」と述べている。同様に、イエズス会司祭であり教会法学者のGianfranco Ghirlanda神父はLa Civiltà cattolicaでこのように説明した。「ペトロの役職を終える者は司教であり続けるものの、言うまでもなくもはや教皇ではありません」(Sources: kipa-apic.ch – imedia – KTO – DICI no. 272 dated March 15, 2013)


昨年、聖ピオ十世会アメリカ管区のサイトの、トップページの中程に "Pope Francis, but without the number" という記事がありました。

教皇フランシスコに一世は付けない

バチカンAP通信─新教皇の公式な名は教皇フランシスコであり、ローマ数字を付けないとバチカンは述べている。広報担当のフェデリコ・ロンバルディーニ神父は、全世界に向けて新教皇の名を告げたジャン=ルイ・トーラン枢機卿が、単にフランシスコと述べたことに留意し、いささかの混乱があると想定し、これを解決しようと努めた。第一バチカン公会議の公報には、新教皇に関する慣習が記載されている。「後世、フランシスコ二世が出てから、フランシスコ一世と呼ばれるでしょう」とロンバルディーニ神父は軽いユーモアで答えた。

【フランシスコ一世 Franciscus Primus というのは、Walter Francis Murphy の1979年の小説「キリストの代理者」(The Vicar of Christ)の登場人物だそうです。】



Viewing all articles
Browse latest Browse all 4247

Trending Articles