アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
「フィリピン──第八回ローザ・ミスティカ・メディカル・ミッション」という記事を日本語に訳してくださった方がおられますので、感謝して愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
原文はこちら
フィリピン──第八回ローザ・ミスティカ・メディカル・ミッション
二〇一四年一月三十一日
昨年十一月七日、台風三十号(ヨランダ)がフィリピンを直撃し、数千の死者を出し、数十万の人々から家を奪った。レイテ島とその首都タクロバンは、二十五万の住民を有し、最も甚大な被害を受けた。聖ピオ十世会も例外ではない。タクロバンの聖堂とそこに駐留しておいた宣教用車が破壊された。信者たちの多くは同じように打ちのめされた。ある者たちは親族を失い、多くの人々は財産を破壊されたことによってである。
従って、今年のローザ・ミスティカ・メディカル・ミッションは、一月二十日から二十五日にかけて、壊滅したタクロバン市で行われた。医師と看護師がACIM(Association Catholique des Infirmieres et Medecins)と聖ピオ十世会アジア管区によってボランティアとして招かれた。(see DICI no. 285, 22/11/13)
フランス人ボランティアのグループが一月十八日、タクロバン空港に到着した。彼らは車内にはもはや椅子がなく、紐でくくられた運転席と窓の開かないトラックへと乗り込んだ。一人の子どもが彼らに近づいて「お腹がすいた!」と食べ物をねだった。フランス人ボランティアが旅行用のお菓子の残りをその子に与えた。彼らがタクロバンから受けた最初の印象は、乱雑に立てられたいくつものテント、色付きの防水布、ひしゃげた金属板、そして道端に積まれた生ゴミの山であった。人々はそこで、ぬかるみの上で生活していた。倒壊した家屋、うず高く積まれた装甲車、屋根がなくなった、あるいは破壊された倉庫、数枚の壁だけしか残っていない家々という光景を見るのは恐ろしく、悪夢のようでさえあった。巨大な木々が大地に倒れ、その根元は哀れにも天を仰いでいる。電柱はなぎ倒されていた。トラックはこの中を数キロ走って行った。トラックの中で「私たちは声も出ず、死のような沈黙の中で、想像を遥かに上回る現実を見ていました。私たちがメディアを通して見たどんなものともかけ離れた現実でした」。だが、ここで多くのフィリピン人ジャーナリストたちは、膨大な数のご像が被害を免れた、と強調するのを恐れなかった。
現地では、彼らはさまざまな宿泊施設で、できうる限り自分たちの寝場所を整えた。いくつかは水が出ず、電気がつかず、ベッドもなかった。他のボランティアたちが少しずつ、ぽつぽつとやって来た。暴風と豪雨で多くの飛行機やボートが欠航となり、来れない者たちもいた。聖ピオ十世会の修道士たちはイロイロからタクロバンまで四日かかった。普通なら飛行機で二時間半の旅行である。
一月十九日、日曜日にオリエンテーション(説明会)が開かれ、世界各地からやって来たボランティアたちが集合した。番号順に以下の通りである。フィリピン、フランス、オーストラリア、アメリカ、スイス、アイルランド、ベトナム、ベルギー、ニュージーランド、シンガポール、韓国、南アフリカ、マレーシア、カナダ、そしてトルコ人を先祖に持つアラム語を話す若い女性である。合計六十名のボランティアが集まり、後日、マニラとアメリカから、さらに二十名が加わることとなった。
ACIMの秘書、ヨリー・ガムタン(Yolly Gamutan)は、市当局に一ヶ月掛け合い、み摂理のおん助けと彼女の人を引きつける微笑みを武器に、比較的平和で安全な場所──国技であるバスケットボールのコートの中央にある巨大な円形競技場、このスタジアムの使用許可を得た。屋根は一部はぎ取られており、降りしきる雨から部分的にシェルターの役目を果たしていたが、医療処置を行う場所のど真ん中に、たちまち池を作り上げてしまった。皮肉なことに、水道も、トイレも、電気もない場所の中で、ボランティア・チームは一日につき五百名以上の人々のケアにあたらねばならないこととなった。
十四名の医師たちはスタジアム内のぬかるみのないスペースへと散らばった。初日、通訳と患者の登録のための十六名のボランティアたちが、まだ到着していなかった。このため、続々とやって来る患者たちに対する当初の主な妨げとなった。各医師たちは、タガログ語と英語の通訳とともに、なんとかがたつかないテーブルを準備したものの、患者の多くはタガログ語ではなくビサヤの方言を話した。スタジアム内は数区画に区切られた。すなわち、七名の一般診療医、三名の小児科医、二名の眼鏡技師、一名の皮膚科医、一名の歯科医──ローザ・ミスティカ・ミッションのために記録的な数の医師たちがいた。隅の一区画は包帯の手当て、個別の診察、簡単な手術、心電図装置のために用意され、薬の調剤は三つのセクションに分割され(歯科医、大人、子ども)、パスケットボールのコートの全長を占めていた。
押し寄せる患者たちを、まずは名簿に記録することから始まり、その後、高血圧、及び気づかずに進行中の糖尿病を考慮した臨床評価があった。それから各患者たちは適切な区画へと案内された。診察の後、患者は薬の処方へと進む。ローザ・ミスティカ・ミッションは、すべての恩人のおかげで、生物学、放射線医学、そして入院治療に関する診療活動の全費用を請け負っている。
膨大な数の患者たちは、自分たちの困難な状況において、たくさんの祈りを捧げることに同意した。ボランティアたちは「(天主に対する)反抗などまったくありませんでした。なんと素晴らしい、希望についての教訓でしょう!」と報告した。
今年は、恩人たちの素晴らしい寛大さにより、オーストラリア人五名、アメリカ人二名、アイルランド人男性一名、ニューカレドニアに移民したピエ・ノワール[訳注: アルジェリア生まれのフランス系植民者]一名、フランス人男性三名と、約二十名のフィリピン人からなる建設チームを送り込むことができた。これら三十二名のボランティアたち、大工、電気技師、屋根職人、配管工、タイル工たちは、四軒の住宅と一件の聖堂を十日間で再建するという信じ難い課題に取りかかった。切迫した状況下にある数名の人々には、時間が足りないため、金銭的援助が与えられた。天主の恩寵を得て、建設チーム一人一人の情熱と才能のおかげで、この難しい課題は首尾よく成し遂げられた。
宣教活動はこれだけに限られなかった。四名の司祭たちはスカプラリオを配布し、秘跡を施すことができた。毎日、最初のミサが南アフリカ人司祭、コンラド・ダニエルス(Coenrad Daniels)神父によって捧げられた。なぜこれほど早い時間にミサが捧げられたのか? 午後五時半には、突然真っ暗闇になってしまうからに他ならない。建設チームは非常に朝早く、七時に始まる第二ミサに医療チームがあずかるより前に、仕事を開始していた。
日曜日のミサの説教で、アジア管区長ダニエル・クチュール(Daniel Couture)神父は、あるエピソードを引用してあわれみについて説明した。インドの路上で、死にかけていた一人の異教徒が拾い上げられ、聖なる修道女によって手当を受ける。瀕死の男は修道女に「あなたの信じるイエズスは、あなたみたいにいい方ですか?」と尋ねる。修道女は微笑んで答える。「いいえ、私のほうが、彼みたいに善い人になろうと努力しているのよ」
このミッションによってもたらされた援助が、たとえ大海の中のひとしずくにすぎないとしても、フィリピンの人々には現実的影響がある。彼らは逆境と戦い続けようと勇気づけられるからである。「困難は私たちに勇気を与える」「あなたの寛大さのおかげで私たちは立ち上がれる」「すべての人々に感謝します」と垂れ幕に書かれているとおりである。ローザ・ミスティカ・ミッションは八年間の宣教活動を続けてきたが「これほど多くの感謝を意を表されたことはありません。一人一人が前回同様に感動しています」とジャン・ピエール・ディケス(Jean-Pierre Dickes)医師は述べた。
フィリピン人たちは、親切と微笑みと快活さを武器に、自分たちの苦しみのさなかにある些細なことや、親愛の情をあらわすしぐさ、友情を示すささやかな言葉を、なおも楽しむことができる。人々は自分たちのために互いに助け合うキリスト者の精神を持ち続けている。それは彼らが生きている劇的状況を考えれてみれば称賛に値する。
「私たちがイロイロで税関を通過する時」と、ディケス(Dickes)医師は述べた。「国境警備兵は五十五歳の女性でしたが、ボランティアたちがこの国にやってきた理由を尋ねてきました。私たちは定期的に行われる医療ミッションのためだと彼女に説明しました。毎年、私たちはさまざまな地域に行くのだが、今年はこういった状況のため、一番被害が甚大なタクロバンに行くところだと。彼女はそれ以上なにも質問せず、すぐに私たちのグループに通るよう合図をし、にっこりと笑ってくれました。彼女に感謝すると、彼女はこう言いました。『天主様が祝福してくださいますように! あなたたちのために祈るわ』と」
(Source: ACIM – DICI no. 289, 31/01/14)
une vidéo qui se suffit à elle-même.
被災者の方々が、以前の生活に早く戻ることができますように!
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昨年十一月七日、台風三十号(ヨランダ)がフィリピンを直撃し、数千の死者を出し、数十万の人々から家を奪った。レイテ島とその首都タクロバンは、二十五万の住民を有し、最も甚大な被害を受けた。聖ピオ十世会も例外ではない。タクロバンの聖堂とそこに駐留しておいた宣教用車が破壊された。信者たちの多くは同じように打ちのめされた。ある者たちは親族を失い、多くの人々は財産を破壊されたことによってである。
従って、今年のローザ・ミスティカ・メディカル・ミッションは、一月二十日から二十五日にかけて、壊滅したタクロバン市で行われた。医師と看護師がACIM(Association Catholique des Infirmieres et Medecins)と聖ピオ十世会アジア管区によってボランティアとして招かれた。(see DICI no. 285, 22/11/13)
フランス人ボランティアのグループが一月十八日、タクロバン空港に到着した。彼らは車内にはもはや椅子がなく、紐でくくられた運転席と窓の開かないトラックへと乗り込んだ。一人の子どもが彼らに近づいて「お腹がすいた!」と食べ物をねだった。フランス人ボランティアが旅行用のお菓子の残りをその子に与えた。彼らがタクロバンから受けた最初の印象は、乱雑に立てられたいくつものテント、色付きの防水布、ひしゃげた金属板、そして道端に積まれた生ゴミの山であった。人々はそこで、ぬかるみの上で生活していた。倒壊した家屋、うず高く積まれた装甲車、屋根がなくなった、あるいは破壊された倉庫、数枚の壁だけしか残っていない家々という光景を見るのは恐ろしく、悪夢のようでさえあった。巨大な木々が大地に倒れ、その根元は哀れにも天を仰いでいる。電柱はなぎ倒されていた。トラックはこの中を数キロ走って行った。トラックの中で「私たちは声も出ず、死のような沈黙の中で、想像を遥かに上回る現実を見ていました。私たちがメディアを通して見たどんなものともかけ離れた現実でした」。だが、ここで多くのフィリピン人ジャーナリストたちは、膨大な数のご像が被害を免れた、と強調するのを恐れなかった。
現地では、彼らはさまざまな宿泊施設で、できうる限り自分たちの寝場所を整えた。いくつかは水が出ず、電気がつかず、ベッドもなかった。他のボランティアたちが少しずつ、ぽつぽつとやって来た。暴風と豪雨で多くの飛行機やボートが欠航となり、来れない者たちもいた。聖ピオ十世会の修道士たちはイロイロからタクロバンまで四日かかった。普通なら飛行機で二時間半の旅行である。
一月十九日、日曜日にオリエンテーション(説明会)が開かれ、世界各地からやって来たボランティアたちが集合した。番号順に以下の通りである。フィリピン、フランス、オーストラリア、アメリカ、スイス、アイルランド、ベトナム、ベルギー、ニュージーランド、シンガポール、韓国、南アフリカ、マレーシア、カナダ、そしてトルコ人を先祖に持つアラム語を話す若い女性である。合計六十名のボランティアが集まり、後日、マニラとアメリカから、さらに二十名が加わることとなった。
ACIMの秘書、ヨリー・ガムタン(Yolly Gamutan)は、市当局に一ヶ月掛け合い、み摂理のおん助けと彼女の人を引きつける微笑みを武器に、比較的平和で安全な場所──国技であるバスケットボールのコートの中央にある巨大な円形競技場、このスタジアムの使用許可を得た。屋根は一部はぎ取られており、降りしきる雨から部分的にシェルターの役目を果たしていたが、医療処置を行う場所のど真ん中に、たちまち池を作り上げてしまった。皮肉なことに、水道も、トイレも、電気もない場所の中で、ボランティア・チームは一日につき五百名以上の人々のケアにあたらねばならないこととなった。
十四名の医師たちはスタジアム内のぬかるみのないスペースへと散らばった。初日、通訳と患者の登録のための十六名のボランティアたちが、まだ到着していなかった。このため、続々とやって来る患者たちに対する当初の主な妨げとなった。各医師たちは、タガログ語と英語の通訳とともに、なんとかがたつかないテーブルを準備したものの、患者の多くはタガログ語ではなくビサヤの方言を話した。スタジアム内は数区画に区切られた。すなわち、七名の一般診療医、三名の小児科医、二名の眼鏡技師、一名の皮膚科医、一名の歯科医──ローザ・ミスティカ・ミッションのために記録的な数の医師たちがいた。隅の一区画は包帯の手当て、個別の診察、簡単な手術、心電図装置のために用意され、薬の調剤は三つのセクションに分割され(歯科医、大人、子ども)、パスケットボールのコートの全長を占めていた。
押し寄せる患者たちを、まずは名簿に記録することから始まり、その後、高血圧、及び気づかずに進行中の糖尿病を考慮した臨床評価があった。それから各患者たちは適切な区画へと案内された。診察の後、患者は薬の処方へと進む。ローザ・ミスティカ・ミッションは、すべての恩人のおかげで、生物学、放射線医学、そして入院治療に関する診療活動の全費用を請け負っている。
膨大な数の患者たちは、自分たちの困難な状況において、たくさんの祈りを捧げることに同意した。ボランティアたちは「(天主に対する)反抗などまったくありませんでした。なんと素晴らしい、希望についての教訓でしょう!」と報告した。
今年は、恩人たちの素晴らしい寛大さにより、オーストラリア人五名、アメリカ人二名、アイルランド人男性一名、ニューカレドニアに移民したピエ・ノワール[訳注: アルジェリア生まれのフランス系植民者]一名、フランス人男性三名と、約二十名のフィリピン人からなる建設チームを送り込むことができた。これら三十二名のボランティアたち、大工、電気技師、屋根職人、配管工、タイル工たちは、四軒の住宅と一件の聖堂を十日間で再建するという信じ難い課題に取りかかった。切迫した状況下にある数名の人々には、時間が足りないため、金銭的援助が与えられた。天主の恩寵を得て、建設チーム一人一人の情熱と才能のおかげで、この難しい課題は首尾よく成し遂げられた。
宣教活動はこれだけに限られなかった。四名の司祭たちはスカプラリオを配布し、秘跡を施すことができた。毎日、最初のミサが南アフリカ人司祭、コンラド・ダニエルス(Coenrad Daniels)神父によって捧げられた。なぜこれほど早い時間にミサが捧げられたのか? 午後五時半には、突然真っ暗闇になってしまうからに他ならない。建設チームは非常に朝早く、七時に始まる第二ミサに医療チームがあずかるより前に、仕事を開始していた。
日曜日のミサの説教で、アジア管区長ダニエル・クチュール(Daniel Couture)神父は、あるエピソードを引用してあわれみについて説明した。インドの路上で、死にかけていた一人の異教徒が拾い上げられ、聖なる修道女によって手当を受ける。瀕死の男は修道女に「あなたの信じるイエズスは、あなたみたいにいい方ですか?」と尋ねる。修道女は微笑んで答える。「いいえ、私のほうが、彼みたいに善い人になろうと努力しているのよ」
このミッションによってもたらされた援助が、たとえ大海の中のひとしずくにすぎないとしても、フィリピンの人々には現実的影響がある。彼らは逆境と戦い続けようと勇気づけられるからである。「困難は私たちに勇気を与える」「あなたの寛大さのおかげで私たちは立ち上がれる」「すべての人々に感謝します」と垂れ幕に書かれているとおりである。ローザ・ミスティカ・ミッションは八年間の宣教活動を続けてきたが「これほど多くの感謝を意を表されたことはありません。一人一人が前回同様に感動しています」とジャン・ピエール・ディケス(Jean-Pierre Dickes)医師は述べた。
フィリピン人たちは、親切と微笑みと快活さを武器に、自分たちの苦しみのさなかにある些細なことや、親愛の情をあらわすしぐさ、友情を示すささやかな言葉を、なおも楽しむことができる。人々は自分たちのために互いに助け合うキリスト者の精神を持ち続けている。それは彼らが生きている劇的状況を考えれてみれば称賛に値する。
「私たちがイロイロで税関を通過する時」と、ディケス(Dickes)医師は述べた。「国境警備兵は五十五歳の女性でしたが、ボランティアたちがこの国にやってきた理由を尋ねてきました。私たちは定期的に行われる医療ミッションのためだと彼女に説明しました。毎年、私たちはさまざまな地域に行くのだが、今年はこういった状況のため、一番被害が甚大なタクロバンに行くところだと。彼女はそれ以上なにも質問せず、すぐに私たちのグループに通るよう合図をし、にっこりと笑ってくれました。彼女に感謝すると、彼女はこう言いました。『天主様が祝福してくださいますように! あなたたちのために祈るわ』と」
(Source: ACIM – DICI no. 289, 31/01/14)
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