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聖ピオ十世会 11月の聖伝のミサ(ラテン語ミサ 旧典礼のミサ)の報告 SSPX Japan Traditional Latin Mass in November 2017

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

こんにちは!

11月3日(初金)と4日(初土)は大阪で聖伝のミサを捧げることができました。
11月5日(主日)と6日(月)には東京でラテン語のミサ聖祭を捧げました。
また、今週は休暇をいただき、盛岡と山形でも旧典礼のミサを2回ずつ捧げることができました。

今回は一関のキリシタン史跡を巡り、祈ることができました。
一関駅を降りて大籠に向かいました。キリシタンの数は3万人に達したそうです。大籠でキリシタンの大量処刑がおこなわれ、死刑にされた数は309名です。
最後には大籠キリシタン殉教公園も訪れました。

次の聖伝のミサは、

大坂では
11月12日(主) 聖霊降臨後第23主日(2級)緑
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭 

11月13日(月) 証聖者聖ディダコ(3級祝日)白
            午前6時半 ミサ聖祭 

東京では
11月12日(主) 聖霊降臨後第23主日(2級)緑   ←追加されました
            午前09時 グレゴリオ聖歌の練習及び告解
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭
            午後02時 公教要理
            午後04時 主日の晩課(グレゴリオ聖歌)

です。

ご参考までに次の主日のミサの固有文の音源をご紹介いたします。

Introït Dicit Dominus
Schola Bellarmina – L’année liturgique en chant grégorien – Volume 7 / CD 14

Graduel : Liberasti nos
Abbaye Sainte-Anne de Kergonan – Les Saints dans la Gloire – (Dir. Dom Gaston Le Nézet)

Alléluia : De profundis
Abbaye de Ligugé – De la Pâque du chrétien à la gloire des saints

Offertoire : De profundis
Abbaye de Silos – La voix des monastères – Decca (1973)

Communion : Amen dico vobis
Abbaye Notre-Dame de Triors – Messes des dimanches d’automne II

では、この前の聖伝のミサのご報告をいただきましたので愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

大阪でのミッション、ありがとうございました。
御ミサの報告をお送りいたします。

11月3日(初金)至聖なるイエズスの聖心のミサには14名が、
11月4日(初土)聖母の汚れなき御心のミサには17名の方々が御ミサに与り、御聖体拝領するお恵みを頂きました。
デオグラチアス!

初金曜日のお説教では聖パウロの書簡を黙想しました。

御父は人間の罪の贖いをするため、御子を与えることを望まれ、イエズス様の聖心は、永遠の昔から私たちのために人となり、私たちのために苦しみ、私達のために命まで捧げつくすことをご存知でありながら、「それをしたい」と望まれたという愛の従順を見て、聖パウロはこれを天主の「愛の愚かさ」と表現したのだと思います。
天主の人間への愛は、ものすごくご親切とか、人並み外れて愛が深いとかいう人間が使うような言葉では表す事が出来ないのですから・・・。
イエズス様が私達人間を救う義務も、恩義も、必要も全くないにも拘わらずそう望まれた事がとんでもない恵みである事を私達は一時もわすれるべきではないと改めて痛感しました。
御聖体降福式ではイエズス様の聖心を傷つける罪に対する償いとして聖時間をお捧いた しました。
短い時間でしたが、深く黙想するお恵みを頂けたことに感謝します。
何度か練習した新しいタントゥムエルゴを心を込めて歌う事ができてしあわせでした。

土曜日のお説教では初土曜日の信心のおさらいと、喜びの玄義第一玄義の黙想をしました。
前回のお説教で、初土曜日の15分の黙想の準備を毎日するようにと勧めていただいていて、喜びの第一玄義を黙想するつもりで毎日準備していたので、お説教でも黙想のヒントを頂けてとても嬉しかったです。
御ミサの後で残った方々と15分の黙想をしましたが、準備して黙想すると15分があっというまでまだまだ足りないと感じました。

グレゴリオ聖歌の練習では聖霊降臨後第23主日の練習をしました。
デ・プロフンディスがアレルヤと奉献文で二度も歌われているのは、11月の死者の月と関係があるのかな思いました。
私も煉獄の霊魂のために11月の間は祈祷書にあるデ・プロフンディスを唱えようと思います。

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え


【報告】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 20人(内、子供1人)
女: 24人(内、子供2人)
計: 44人(内、子供3人)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

主日の御ミサをありがとうございます。
この日は最後の審判で主の御前に立つ日のことを考えるということをお話くださいました。
地上の権威の背後にある目に見えない権威を認めることが、大事だとお話いただいたように思います。

そして、最後の審判の時に、地上においての生活で、自分より目下にある人への態度、隣人や目上の人への態度がどうであるか、そして天主への態度がどうであるかということが、問われると伺って、毎日の普段の生活の中での自分の態度を反省いたしました。

また、霊魂にも天主の肖像が刻まれている、天主に還らなければならないとお話いただきました。
どんな人の霊魂にもその造り主である天主の像が刻まれているでしょうか。産まれて来てこの世の中でいろいろなことを経験するうちにその像が覆い隠されてしまうのでしょうか。

洗礼を受けて間もないころに出会った忘れられない神秘家にヨハネス・タウラ―という人がいます。霊魂の奥底に何が刻まれているかよく注意しなさいというタウラーの言葉がとても印象深く記憶に刻まれています。

自分が何に属しているか、よく自分の心の奥底に何があるか調べる必要があると感じたのでした。

天主への態度がどうであったかと問われるとは、いつも自分の霊魂には天主の銘が刻印されていることをわきまえて、この世を生きていたかどうかということかなと思いました。

私はこの世の何かで心がいっぱいになってしまうことがよくありますが、ふとそのことに気づかされると、とても恐ろしくなり不安になります。私は自分の心の奥深いところに刻まれているはずのとても大切な天主の御像を消してしまっているのではないだろうかと思います。

もしこの世の事柄でいっぱいになってしまって、霊魂の底に刻まれている天主の像を覆ってしまったまま、最後の審判になってしまったら、この世のものとともに火で焼かれてしまうかもしれません。ヤシンタとフランシスコとルシアはそれを見せられたのかもしれません。そのことを何よりも怖れます。そして、私のために聖ヤシンタと聖フランシスコに祈っていただきたいと思います。それから私も、火で焼かれるかもしれないたくさんの可哀そうな霊魂の救いのために祈りたいと思います。

また、ご聖体拝領は主の御前に立つ日のリハーサルのようなものと教えられました。
マリア様は、きっといつも、どんなときもイエズス様から目を離すことなくイエズス様をお育てになり、イエズス様が成長されていたからもずっとイエズス様と共に生活を共にされていて、イエズス様が公生活に入られてからもいつもイエズス様と離れることなく十字架の下にまでずっと一緒だったことでしょう。片時もそのマリア様の汚れなき御心からイエズス様の姿が消え去ることがなかったに違いありません。

主の到来に安心して主を受けることができますように、いつも自分の霊魂の奥底からイエズス様のお姿が消え去ることがありませんように、汚れなき御心の聖マリア様に助けを願ってご聖体拝領をしたいと思います。

普段は、生活の中ですべての人との関りの背後に、天主様と自分の関わりがあるということを考えることは少ないですが、神父様のお話くださったように、ロザリオを祈りながら自分の日々の生活のなかにあることと合わせて、それら全部を犠牲としてお捧げできますようにと思います。心から感謝申し上げます。

至聖なるイエズスの聖心我等のために祈り給え!聖マリアの汚れなき御心我等のために祈り給え!聖ヨゼフ我等のために祈り給え!



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