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私的啓示と霊の識別 韓国のナジュ(羅州)のユン・ユリアの「出現」は本物ではない 公式に否定されている

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今回、東北に巡礼して、いろいろな方々とお目にかかることができました。その際に、韓国のナジュの「御出現」について尋ねられましたので、19年前に書いたものですが愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


韓国のナジュのメッセージは公式に否認されている
私的啓示と霊の識別 --- メデュゴリエの「出現」の韓国版

 1998年1月11日付の韓国カトリック新聞によると、光州大司教区長のユン・コンヒ(윤공희 尹恭熙)大司教は、「1985年6月30日から始まったナジュ(羅州)のユン・ユリアと関連した事件全体」に対して解析をし公式的な判断を今年の1月1日付で公示しました。


 この公式判断は『ナジュ小教区教会のユン・ユリアとその聖母像に起きている現象とメッセージに対する天主教光州大司教区長の公知』(나주본당 윤율리아와 그의 성모상에 일어나고 있는 현상들과 메시지에 대한 광주대교구장 공지)と題され発表されました。その中で、ユン・コンヒ大司教は今回教導権を行使し、「これまで12年間にわたってきたいわゆる『ナジュの聖母のメッセージ』を私的啓示と主張し、宣伝してきたユン・ユリアとそれに関連する一連の現象」に対して根本的な立場を整理し述べています。

 それによると、ユン大司教は、公知の核心内容(광주대교구장 공지의 핵심 내용)として次を挙げています。

ア)「ナジュの聖母のメッセージ」に関する判断として

1) 人間的であり人為的要素が介入している。純粋性と真実性に欠く。
2) メッセージの内容は既存の書籍などの真似、剽窃、引用部分が多い。
3) メッセージの内容が、周辺の人物や状況に応じて、目的指向的であり意図的に訂正、削除、追加される。
4) 自筆の日記の内容と出版物の内容が相違している。

イ)終末論に関する判断として

1) 世界終末の時がユン・ユリアによって延期されているような内容である。これは、教会の伝統的な信仰と離反している。

ウ)「聖体の奇跡」に関して

1) 聖体は有効な叙階の秘蹟を受けた司祭の聖変化によってのみ起こる。
2) 聖体は聖変化を行う司祭の個人的な聖徳と関係が無く、秘蹟において秘蹟を通して適応する。
3) 聖体は、「全実体変化」の後にもその形色はそのままパンとぶどう酒として残らなければならない。

結論:ユン・ユリアのメッセージは、個人的な体験や黙想と関連するものとして考えられる。個人的啓示と信ずる根拠は明らかにない。むしろ信仰的な混乱を引き起こすものだ。

エ)司牧的指針

1) ユン・ユリアと関係する広報物の発行を公式に禁止する。
2) これに関する広報物を読んだり見たりすることを自制すること。
3) ナジュの聖母の血の涙が流れた日に記念行事を中止すること。
4) ユン・ユリアはナジュの聖母のメッセージを私的啓示と宣伝してはならず、教導職に従順であること。
5) ユン・ユリアと関係する私的な場所でミサ、巡礼、秘蹟執行を禁止する。
6) 自称「共同体的祈祷集会」など禁止する。
7) ユン・ユリア周辺の人たち・ェそれぞれ以前の生活に復帰し日常的普通の信仰生活に励むこと。
8) 教区教会と教会機関、司牧者たちは、ナジュに関する事件に対する関心をあおり立てるようなうわさを立てないように特別の注意をすること。
9) 全ての聖職者、修道者、信者は、教会が認定した聖母信心を熱心に持つこと。

以上のような公式声明を発表しました。

 私たちも、この公式見解に同意します。それは、ナジュのメッセージは聖伝のカトリックの霊の識別に従うと、疑わしいところが多くあるからです。

 ナジュのメッセージは、まさしくメデュゴリエの「出現」の韓国版という臭いが最初からしていました。ここで私たちも簡単に分析をしてみましょう。

1.「出現」を受ける以前の幻視者

 もう2年ぐらい(?)前のことになりますが、或る日本人の信者の婦人が、トマス安田貞治神父様からナジュについてどう思われるかと言うことを聞かれたそうです。小野田神父はこの婦人から直接証言を得ました。その時、安田神父様は、ユリア・ユン女史がいわゆる「メッセージ」を受ける前に、ユリア・ユンと秋田でお会いされたことがあること、その時に彼女が、安田神父様に、シスター笹川のようにメッセージを受けるにはどうしたらよいかを尋ねたこと、神父様は彼女に、メッセージを受けると言うことは探し求めるのではなく、戴くものであるから、自ら進んで願うものではないこと、この訪問の直後に神父様は彼女がナジュでメッセージを受けだしたという話を聞かれ、神父様はナジュの話を信じることが出来ないと言われたこと、日本には秋田があるのだから、ナジュには飛びつかないこと、をその日本人婦人に話されたそうです。

 [小野田神父は、この婦人がこう話してくれたことは本当なのか、そのことを確かめたく思い、安田神父様にお手紙をしたためました。是非神父様ご自身から証言を聞きたく思っていましたが、神父様から、この証言の真偽についてのお話は聞くことが出来ませんでした。ただ、安田神父様は、ナジュの司教様が否定の公式見解を出されたと言うことだけを伝えて下さいました。]

 さて、世のひかり社から出ている『韓国における聖母マリアから血と涙』(レイモンド・スピース著1994年)によると、ユリアは朝鮮戦争の勃発した1950年に4歳であり、1971年に結婚するときには25歳だったというので、1946年に生まれたようです。しかし、いつ、どこで、カトリックの洗礼を受けたのか、メッセージを受ける前にカトリック教会でどんなことをしていたのか、よく分かりません。

 この本によると、1982年の4月以来「イエズスさま[ソノママ]はさまざまな状態でご自分の聖心を開いて見せてくださ」(p19)ったと主張しています。「ナジュの聖母の現象」については彼女が39歳の時1985年6月30日に始まったようです。

 カトリック教会の霊の識別によると、超自然の現象を受ける前の霊魂の状況を知るのが非常に大切です。上記の本では、そのことがよく分かりません。

 ただ、ユリアが

ア)以前から聖霊運動をやっていたらしいこと(1985年の7月2日に聖母像が涙を流し続けたこと、その9時半頃から「不思議な感じがしはじめた」(p22)こと、「それは、ちょうど聖霊を体験したときのよう」(p23)だったことについて、7月4日付で日記を書いています。)

イ)ユリアはキリスト教について無知であったこと(旧約聖書を読んだことが無く、バベルの塔を知らなかったpp132-133)、

ウ)カトリックの純粋な信仰を保たなければならないことは全くの関心外であること、などが分かります。

2.出現の頻度

ナジュでは、「聖母が何回、いつ御出現されるか」と言うことが聖母によってあらかじめ決められてなく、メデュゴリエの時と同じように、全く不明です。

3.出現の態度、たち振る舞い

 メデュゴリエの時と同じように、聖母の気高さ、美しさ、上品さを損なうものがナジュには多くあります。簡単な例を挙げると、1988年正月には「マリア様は血の涙を流しました。鼻からもです。」(p80)

 また1988年6月5日には「イエズス」が「最初で唯一のメッセージ」を与えるのですが、ユリアが聖体拝領をして自分の席に戻ろうとすると「突然口の中が御聖体と御血でいっぱいになり、血なま臭いにおいを非常に強く感じました。」(p98)

4.御出現前後の聖職者の態度

 メデュゴリエ支持の聖職者とナジュ支持の聖職者とは一致しています。

 メデュゴリエを弁護するために都合の悪いことを隠してものを書いていたルネ・ローランタン神父は、最初の涙から既に一年後にはソウルに来ています。そして今度はナジュの弁護のためにクリスチャンマガジン誌に記事を書いています。(1988年1~3月号)

 1987年7月3日サン・マリーノでメデュゴリエの「出現」を支持する「聖母」のメッセージを受けていたステファノ・ゴッビ神父は、やはり1987年9月27日にソウルで「聖母」からナジュを支持するメッセージを受けています。ゴッビ神父の「聖母」は、「ここ[ナジュ]で起こることをもって、全教会は今、聖母の現存が教会の霊的刷新に不可欠であることを悟らねばなりません。・・・」と言っています。

5.メッセージ

 ファチマのメッセージの核心は誰にでも明らかです。ファチマでマリア様は「聖なるカトリック信仰の喪失」を嘆かれ、最後の大離教の時が来たことを警告されるのです。それから私たちを救う対策として、「彼らを救うために天主はこの世に私の汚れなき御心に対する信心を確立することを望んでいます。」(ファチマの聖母)と言われました。ファチマの聖母は、何よりもまずカトリック信仰を語ります。聖パウロもいうとおり「信仰がなければ天主に嘉されることは出来ない」からです。ファチマでは、聖母は何よりも天主に対する信仰、天主に対する愛、これを説きました。信仰がないところには、正しい道徳があり得ないからです。プロテスタント信仰には彼らなりの「道徳」があます。例えば、離婚は認めるとか。イスラム教徒にはそれなりの「道徳」があります。例えば4人まで妻をめとって良いとか。さらに、超自然の信仰のない時に、道徳は御利益主義になり下がります。例えば、これをするとこんな良いことがある、とかです。

 ラ・サレットというところでは、聖母は、人々が天主の御名をみだりに使うこと、日曜日にミサに与らず主日を守らないこと、を嘆かれました。

 聖母は、まず天主への信仰、愛を語ります。

 しかし、ナジュの「聖母」は、聖なるカトリック教会の信仰を守ることについては一言も話しません。「この世は今、腐敗と堕落のためにやつれてゆきます。」(p208)「さあ、急ぎなさい。倫理道徳が堕落に向かって走っています。」(p256)

 天主は全人類をキリストのもとに一つに集めようという計画をもっています。それがカトリック教会というキリストの神秘体における一致です。真の天主、聖三位一体を信じることによってのみ、真理においてのみ、全人類は一つとなり得ます。その時平和の君キリストが全人類に平和を下さるでしょう。しかし、天主のいないところに真の一致も平和もあり得ません。

 ところで、ナジュの「聖母」は、また信仰の遺産による真理における一致について何も話しません。ただ、天主のいない国連的な一致の話ばかりしています。フリーメーソンの会員が言いそうな、愛、協力、平和、一致ばかりを話しています。「世界中の国々が一致しなければならないこの時・・・」(p80)、「全ての人が一致団結するように祈りなさい」(p81)。

 さらに、ナジュの「聖母」は堕胎に反対します。しかし、その理由は、聖母からのものらしくありません。

 つまり、カトリック信仰によるなら「堕胎がいけないのは、天主の掟であるから」と言うでしょう。或いは、「堕胎がいけないのは天主のみが人間の生死の絶対の権をもっているから」と言うでしょう。或いは、「天主の御旨にもとるから」、または、「人間が天主の似姿であるから」と言うでしょう。

 カトリック教会は、二千年間、天主の十戒や、新旧約聖書に基づいて、倫理を教えました。つまり、全ては天主のみ旨に基づいています。聖伝によれば教会は、倫理体系を人間の尊厳を土台に作り上げたことはありません。天主を信じない人々が、天主ない倫理体系を作ろうとして、全てを人間の尊厳や、人間の自由を土台に、新しい倫理を構築しようとしています。

 ところで、ナジュの「聖母」が堕胎に反対なのは、ただ、胎児が「人間としての尊厳を奪い取られ」(p115)ているから、です。胎児が「ママ、私は生きたい!生かせてママ!」(p116)と願い、胎児の人権と自由のために「聖母」は堕胎に反対します。

「今のこの時代は、悪魔が良心までも堕落させる不道徳をもって貞潔の徳を犯し、殺人を行わせ、堕胎によって人間の尊厳性を破壊し・・・」(p205)、「良心まで腐敗させる不道徳によって人間の尊厳を破壊させ、堕胎によって残酷な殺人まで行わせるのです。」(p216)

 マリア様は永遠の至福におられ、過去・現在・未来を既にご存じのはずです。しかし、ナジュの「聖母」は、ヒステリックで忍耐心に欠け、こう言います。「娘よ、今あなたはあまりにも焦っています。私もあせっています。」(p85)「さあ、早く私の勧めに従いなさい。私は、もうこれ以上がまんして待っていられません。」(p259)

 聖母は全能の仲介者、全ての聖寵を私たちに施して下さる方、天主の御母なのですが、ナジュの「マリア様」は「私にほどこしを下さい。そうです。この天の乞食に(!!)施しを下さい。」(p90)と言います。

 戦争は、天主が人類の犯す罪のために下す天罰です。平和は天主のみが与えることの出来る恵みです。私たちを罰するために、天主は、敵軍を起こして私たちに向けて戦争を仕掛けることを許されるのです。人間の作る自然のレベルでの一致や、愛などは、もし天主がいなければ、裏切りに変わります。平和の元后である聖母は、真の平和をもたらすために、全ての人々が真の宗教、カトリック教を信じ、天主のもとで敬虔に生きることを願われるはずです。

 しかし、ナジュの「聖母」は超自然の信仰は語りません。こう言います。「一致が欠け、愛が滅ぼされたため、人間が罪悪の中で泣きわめき、ののしり合う声が戦争の爆音に変わり、天をつくような痛みで神の聖なる怒りを招いています。」(p144)

 ナジュの「聖母」は自分のために大聖堂を建設することを要求します。「大聖堂を準備しなさい。・・・“マリアの救いの箱船”である大聖堂の建設のために努力して下さい。」(p225)と、非常にしばしば「聖母」は大聖堂を建設しなければならないことを強調します。

 しかもナジュの「聖母」は、この大聖堂建設こそが救いの最終手段であるかのようにおだてています。「私の末っ子である韓国を非常に愛した私は、この国を通して、私の愛と勝利が全世界に広がっているようにするでしょう。」(p242)「今ここは、イエズスの愛の聖心を私の愛の心がいつも一致する愛の王国となるでしょう。また、世界中でこのようなことは得難い救いの場所となるでしょう。今ここにおいて、私たち(イエズスとマリア)の聖心の光が継続的に照らし、バラの香りが漂い、奇跡の泉では、永遠の生命の水[!!!???]が飲まれるでしょう。」「こうした[ママ]散らばっている子らを私の心の愛の中に呼び集めるには、出来るだけ早く大聖堂を建設しなければなりません。[つまり、大聖堂がなければ、子供たちは聖母の元に戻ってこないということです]」(p238)「マリアの“救いの箱船”の大聖堂の建設を助けて下さい。」(p240)「さあ、愛の母である私と一緒に、誘惑に落ちてゆく霊魂たちの前途を照らしてあげましょう。そのために、マリアの救いの箱船大聖堂をあなた達皆で力を合わせて準備しなさい。」(p251)「良い種子は100倍の収穫を収めるということを信じ[福音書では、“良い種子”ではなく、“良い土地に落ちた種”のことをキリストは話されています]、汚れない私の心に全く委ねて働くなら“マリアの救いの箱船”の大聖堂が出来上がるでしょう。早く急がねばなりません。」(p259)

結論:

 私たちは、メッセージではなく、教会の過去の公教要理、教皇様方の文書、過去の不可謬の公会議の決議をますます勉強しなければなりません。カトリック教会は決して誤ることがありません。 私たちは、メデュゴリエと共にナジュを初めとするあらゆる未認可のメッセージや、非認可のメッセージから遠ざかるようにしましょう。


【参考資料】

私的啓示と霊の識別 ファチマとメデュゴリエ カトリック教会は、どの様な精神を持って御出現を識別するのか

私的啓示と霊の識別 ファチマとメデュゴリエ その2 カリスマ刷新運動と聖霊降臨運動

私的啓示と霊の識別 ファチマとメデュゴリエ その3 ファチマの御出現のポイントをメデュゴリエの出現に適応して比較してみる

私的啓示と霊の識別 ファチマとメデュゴリエ その4 メデュゴリエの出現のメッセージを考察する

私的啓示と霊の識別 ファチマとメデュゴリエ その5 メデュゴリエの出現について結論を出す:パワオ・ザニッチ司教

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