アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
典礼暦年も、あと残すところ1週間になりました!いかがお過ごしでしょうか。
私たちの敬愛するレネー神父様は、11月22日にフェレー司教様から、来年の2月付きでオーストリアのタイノン(Tynong)というところにある聖トマス・アクイナス学校の校長先生として新しく任命を受けました。そこで、12月でレネー神父様が日本に来られるのは最後となります。
レネー神父様は、12月には東京にも来られます。12月17日と24日、25日、26日です。
どうぞ、多くのお友達を誘っていらしてください。
神父様には、東京で「聖伝による無原罪の聖母の騎士会」の入会式や、聖骸布についてのお話をお願いしております。
詳しい予定などがわかり次第、愛する兄弟姉妹の皆様におしらせいたします。
私たちはレネー神父様の素晴らしいお説教を聞く機会に恵まれ、神父様の豊かな知識と経験とから多くの指導やアドバイスをいただくことが出来たことを深く感謝します。
神父様の我が身を忘れるほどの献身的で奉仕的な聖務と祈りは、私たちの模範でした。神父様の勤勉さと責任感と謙遜と愛徳は、私たちにとっての宝でした。愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、今からちょうど30年前に故郷を離れて聖ピオ十世会の神学校に入学しました。知性においても愛徳においてもその他の徳においても、優れた神学生や司祭たちの中で、共同生活を送るというお恵みを頂いてきました。そのお恵みの偉大さは、天主様にどう感謝したら良いか分からないほどです。
小教区の教会で一人で任命を受けて働いておられる司祭がおられます。そのお仕事はどれほど大変でありましょうか! 同じ兄弟である司祭とともに喜びと責任とを分かち合って司祭生活ができると言うことは、どれほど偉大な善でしょうか!Ecce quam bonum et quam jucundum habitare fratres in unum!
הנה מה טוב ומה נעים שבת אחים גם יחד.
その中でも、日本と韓国のミッションを一緒に分かち合って協力して働いてくださったレネー神父様には、心からの感謝で一杯です。
神父様の新しいミッションのために、愛する兄弟姉妹の皆様の熱烈な祈りをお願いいたします。
ところで次の12月3日の東京でのミサは午後の1時半からです。(午前中に防災訓練があるため。)ご不便をおかけしますが、どうぞご容赦くださいますようお願いします。ミサの開始時間をお間違えのないようにお願いいたします。
先日の大阪と東京での聖伝のミサの報告を頂きましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
大阪でのミッションありがとうございました。
この度の御ミサの報告をお送りいたします。
11月17日(金)奇跡家聖グレゴリオのミサには10名が、
11月18日(土)聖ペトロ、聖パウロ大聖堂の献堂式のミサには10名が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!
17日のお説教では信仰の人、聖グレゴリオについてでした。
この日の聖福音にあるように「信仰があれば、山をも動かす事ができる」とのイエズス様のお言葉をそのまま信じたが故に、山が動いて必要な土地が確保されたという話には驚きました。まさに、信仰 の人とよばれるにふさわしい聖人です。
彼が聖三位一体についてどのように表現すればよいかを思案していたときに、聖母と福音史家聖ヨハネがご出現になって、お二人の会話から三位一体についての問題を教えられたという有名な話を聞くたびに、聖母と聖ヨハネはいったいどのような事をお話になったのか知りたくなりました。
また、信仰の最高のお手本であるマリア様のお告げについても黙想できました。
御ミサの後には終課を歌いましたが、最後の祈りはマリア様への讃歌で終わり、安心感と幸福感を持って祈りを終えました。
18日は聖ペトロ大聖堂と聖パウロ大聖堂の献堂についてお話をして頂き、そこからマリア様のエリザベト訪問へと話が移って、聖グリニヨ ンド・モンフォールがマリア様の事を「主のエコー、特別なこだま」と呼ばれた事の意味を知りました。
私達が、マリア様を賛美すれば、マリア様はそのこだまとして天主様へ清らかな讃美を返して下さる。この素晴らしいこだまは、罪深い自分の大きな希望で喜びです。
公教要理ではロザリオの視覚的黙想第一弾、お告げとご訪問について勉強しました。
プロジェクターで美しい聖画を見せて頂きました。
有名なアンジェリコの『お告げ』の絵ですが、ドミニコ会修道士である彼は、生涯何枚もこの絵を描いていて、それは少しずつ違っていまいした。作者の霊的な進歩や、黙想の段階が現れているようにも思いました。
今日見せて頂いた三枚の絵の中では、庭に アダムとエワが描かれていない、三枚目の絵が個人的には好きです。この絵のマリア様は三枚の中ではっとも質素で、簡素でありながらも清らかで、天使はそれまでの二枚とは違ってマリア様の前へ跪いているところが良いと思いました。
ドミニコ会は、マリア様のロザリオの普及のために、数多くのロザリオの玄義の絵を残してくれました。きっと昔の人々は現代のなんでもインターネットで見ることができる私達よりももっとこれらの聖画に感銘を受け、多くの事を黙想されたのだろうと思います。
「ご訪問」の絵の中に、出てくるマリア様とエリザベトのしもめと見える人々を自分に置き換えてみることを提案してくださった神父様には黙想の良いヒントを頂きました。
また、マリア様 の挨拶を聞いた洗者聖ヨハネが清められた話を聞きながら、ファチマの二人の子供や秋田のシスター笹川も、きっと清められたのだろうなと想像していました。
至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え
【報告】
Dear Fr Onoda:
今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。
ミサの参列者数
男: 21人(内、子供2人)
女: 25人(内、子供2人)
計: 46人(内、子供4人)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
聖霊降臨後第24主日の御ミサをありがとうございました。
今回は典礼暦の関係上、実は福音書や書簡がイレギュラレーになっている主日であるとお説教で、知りました。御公現後から四旬節までの期間が短かい時、聖霊降臨後の主日の回数が増えるために、今年は聖霊降臨後第24主日が、年間の最後の主日ではなかったのですね。
(今回は御公現中の第6主日と同じところの書簡と聖福音であり、事前に読んでいた福音書が違う所だったので、残念でした。)
お説教では、「天の国はからし種に例えられる」と、からし種とパン種について黙想いたしました。
神父様が、からし種もパン種も、弱々しい小さなかよわいものであり、隠れているものであり目に見えないものですと話されたことと、”天の国の最初のパンだね、最初のからしだねは、マリア様の「われになれかし」というお答えであった、ハイと言ったこのことからパンが膨らみ木が大きくった”というお話が、印象に残りました。
神父様がお説教の中で、”苦しみが待っているとわかっているけれども、天主様のみ旨ということであるならば、われになれかしと、答えること”、そしてそこに妨害を置かないならば、そのからし種の木は大きくなり、パン種の入ったパンはよく膨らむようになる、というお話を思い出しながら、その妨害とは一体何であろうかと、少し考えてみました。
妨害とは、自己愛であって、自分の好きなようにしたいと思うことを妨げるものをすべて批判して退けようとする傾向かもしれないと、ふと思いました。
本当に、実は一番、わかりづらく実行が難しいのはファチマのマリア様の仰られた「天主があなたに与えるすべての苦しみを耐え忍ぶこと」なのかもしれません。心のなか深く入り込もうとする天主のパン種の働きを妨げる、”自分への愛”、を無くしていかなければ、この苦しみは天主様が私に与えられたもの、という気づきが、生まれてこないかもしれません。その神秘に気づかされることもなく、実行することもできません。自分は苦しみを退け他人を苦しませてしまう苦しみに変わるかもしれません。(自分はこれまでどれだけ他人に苦しみを与えながら生きてきたことでしょう。)小さな苦しみを黙って忍ぶことができますように、マリア様に助けを願います。マリア様をもっともっと愛することができますように!
そして「小さな共償者となってほしい」ということばが、深く身に浸みます。イエズス様はずっとマリア様と共に苦しみをお捧げする準備をされて、そして人間の救いのために苦しみをマリア様とお捧げになられました。イエズス様はマリア様とともに、私たちが救われる道はその共償者として生きる道ですとおしゃられているようです。
弱々しく小さく隠れていて目に見えない大切な存在が、「わたし」の中で大きくなってくださいますように、「わたし」は小さいままでいることができますようにと祈ります。
自分への愛よりも天主様への愛をいつも優先いたしますと、いつも、言えますように。
普段気づかなかったことに、気づかせていただきましたこと、感謝申し上げます。
次の御ミサは、待降節第一主日で、新しい年になるのですね、(あっ、時間が午後からになる事忘れないようにします。)今年一年ありがとうございました。
【公教要理の報告】
今回は、視覚教材を使ってのマリア様のご訪問のお話ということだったのですが、機材の不具合のために、スライド等は次回に延期になりました。
ルカ第1章を読みながら、黙想のためのお話を伺いました。初土の信心を良く実行できますよう、準備をいつもしたいと思います、ありがとうございます。次は、フラ・アンジェリコの御影などを紹介してくださるとのこと、楽しみです。
グレゴリア聖歌は、AD te levavi animam meam の練習をしました。グレゴリア聖歌の練習も少しづつ慣れてきたように思います。神父様いつもご指導をありがとうございます。
19日の御ミサでは、スイスから見えた二人連れの方がおられました。御ミサの終了後に、友人と会話されていた方が、この夏のファチマの巡礼で同じホテルだったとわかったようで盛り上がっておりました。
また、この日初めて、ラテン語のミサに与られた方は、最後の終歌までご一緒下さいました。ラテン語が少しお分かりになられるとのことで、日本語のミサにくらべて、聖伝のミサは本当に素晴らしい!と、感動してくださっておりました。未信者の方ですのに、御ミサが全く違うことがはっきり感じられるとのこと、感想を詳しくお話いただくことができました。いろいろなお話ができて、楽しかったです。ありがとうございます。またぜひお会いしたいと思います。
愛する兄弟姉妹の皆様、
典礼暦年も、あと残すところ1週間になりました!いかがお過ごしでしょうか。
私たちの敬愛するレネー神父様は、11月22日にフェレー司教様から、来年の2月付きでオーストリアのタイノン(Tynong)というところにある聖トマス・アクイナス学校の校長先生として新しく任命を受けました。そこで、12月でレネー神父様が日本に来られるのは最後となります。
レネー神父様は、12月には東京にも来られます。12月17日と24日、25日、26日です。
どうぞ、多くのお友達を誘っていらしてください。
神父様には、東京で「聖伝による無原罪の聖母の騎士会」の入会式や、聖骸布についてのお話をお願いしております。
詳しい予定などがわかり次第、愛する兄弟姉妹の皆様におしらせいたします。
私たちはレネー神父様の素晴らしいお説教を聞く機会に恵まれ、神父様の豊かな知識と経験とから多くの指導やアドバイスをいただくことが出来たことを深く感謝します。
神父様の我が身を忘れるほどの献身的で奉仕的な聖務と祈りは、私たちの模範でした。神父様の勤勉さと責任感と謙遜と愛徳は、私たちにとっての宝でした。愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、今からちょうど30年前に故郷を離れて聖ピオ十世会の神学校に入学しました。知性においても愛徳においてもその他の徳においても、優れた神学生や司祭たちの中で、共同生活を送るというお恵みを頂いてきました。そのお恵みの偉大さは、天主様にどう感謝したら良いか分からないほどです。
小教区の教会で一人で任命を受けて働いておられる司祭がおられます。そのお仕事はどれほど大変でありましょうか! 同じ兄弟である司祭とともに喜びと責任とを分かち合って司祭生活ができると言うことは、どれほど偉大な善でしょうか!Ecce quam bonum et quam jucundum habitare fratres in unum!
הנה מה טוב ומה נעים שבת אחים גם יחד.
その中でも、日本と韓国のミッションを一緒に分かち合って協力して働いてくださったレネー神父様には、心からの感謝で一杯です。
神父様の新しいミッションのために、愛する兄弟姉妹の皆様の熱烈な祈りをお願いいたします。
ところで次の12月3日の東京でのミサは午後の1時半からです。(午前中に防災訓練があるため。)ご不便をおかけしますが、どうぞご容赦くださいますようお願いします。ミサの開始時間をお間違えのないようにお願いいたします。
先日の大阪と東京での聖伝のミサの報告を頂きましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
大阪でのミッションありがとうございました。
この度の御ミサの報告をお送りいたします。
11月17日(金)奇跡家聖グレゴリオのミサには10名が、
11月18日(土)聖ペトロ、聖パウロ大聖堂の献堂式のミサには10名が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!
17日のお説教では信仰の人、聖グレゴリオについてでした。
この日の聖福音にあるように「信仰があれば、山をも動かす事ができる」とのイエズス様のお言葉をそのまま信じたが故に、山が動いて必要な土地が確保されたという話には驚きました。まさに、信仰 の人とよばれるにふさわしい聖人です。
彼が聖三位一体についてどのように表現すればよいかを思案していたときに、聖母と福音史家聖ヨハネがご出現になって、お二人の会話から三位一体についての問題を教えられたという有名な話を聞くたびに、聖母と聖ヨハネはいったいどのような事をお話になったのか知りたくなりました。
また、信仰の最高のお手本であるマリア様のお告げについても黙想できました。
御ミサの後には終課を歌いましたが、最後の祈りはマリア様への讃歌で終わり、安心感と幸福感を持って祈りを終えました。
18日は聖ペトロ大聖堂と聖パウロ大聖堂の献堂についてお話をして頂き、そこからマリア様のエリザベト訪問へと話が移って、聖グリニヨ ンド・モンフォールがマリア様の事を「主のエコー、特別なこだま」と呼ばれた事の意味を知りました。
私達が、マリア様を賛美すれば、マリア様はそのこだまとして天主様へ清らかな讃美を返して下さる。この素晴らしいこだまは、罪深い自分の大きな希望で喜びです。
公教要理ではロザリオの視覚的黙想第一弾、お告げとご訪問について勉強しました。
プロジェクターで美しい聖画を見せて頂きました。
有名なアンジェリコの『お告げ』の絵ですが、ドミニコ会修道士である彼は、生涯何枚もこの絵を描いていて、それは少しずつ違っていまいした。作者の霊的な進歩や、黙想の段階が現れているようにも思いました。
今日見せて頂いた三枚の絵の中では、庭に アダムとエワが描かれていない、三枚目の絵が個人的には好きです。この絵のマリア様は三枚の中ではっとも質素で、簡素でありながらも清らかで、天使はそれまでの二枚とは違ってマリア様の前へ跪いているところが良いと思いました。
ドミニコ会は、マリア様のロザリオの普及のために、数多くのロザリオの玄義の絵を残してくれました。きっと昔の人々は現代のなんでもインターネットで見ることができる私達よりももっとこれらの聖画に感銘を受け、多くの事を黙想されたのだろうと思います。
「ご訪問」の絵の中に、出てくるマリア様とエリザベトのしもめと見える人々を自分に置き換えてみることを提案してくださった神父様には黙想の良いヒントを頂きました。
また、マリア様 の挨拶を聞いた洗者聖ヨハネが清められた話を聞きながら、ファチマの二人の子供や秋田のシスター笹川も、きっと清められたのだろうなと想像していました。
至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え
【報告】
Dear Fr Onoda:
今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。
ミサの参列者数
男: 21人(内、子供2人)
女: 25人(内、子供2人)
計: 46人(内、子供4人)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
聖霊降臨後第24主日の御ミサをありがとうございました。
今回は典礼暦の関係上、実は福音書や書簡がイレギュラレーになっている主日であるとお説教で、知りました。御公現後から四旬節までの期間が短かい時、聖霊降臨後の主日の回数が増えるために、今年は聖霊降臨後第24主日が、年間の最後の主日ではなかったのですね。
(今回は御公現中の第6主日と同じところの書簡と聖福音であり、事前に読んでいた福音書が違う所だったので、残念でした。)
お説教では、「天の国はからし種に例えられる」と、からし種とパン種について黙想いたしました。
神父様が、からし種もパン種も、弱々しい小さなかよわいものであり、隠れているものであり目に見えないものですと話されたことと、”天の国の最初のパンだね、最初のからしだねは、マリア様の「われになれかし」というお答えであった、ハイと言ったこのことからパンが膨らみ木が大きくった”というお話が、印象に残りました。
神父様がお説教の中で、”苦しみが待っているとわかっているけれども、天主様のみ旨ということであるならば、われになれかしと、答えること”、そしてそこに妨害を置かないならば、そのからし種の木は大きくなり、パン種の入ったパンはよく膨らむようになる、というお話を思い出しながら、その妨害とは一体何であろうかと、少し考えてみました。
妨害とは、自己愛であって、自分の好きなようにしたいと思うことを妨げるものをすべて批判して退けようとする傾向かもしれないと、ふと思いました。
本当に、実は一番、わかりづらく実行が難しいのはファチマのマリア様の仰られた「天主があなたに与えるすべての苦しみを耐え忍ぶこと」なのかもしれません。心のなか深く入り込もうとする天主のパン種の働きを妨げる、”自分への愛”、を無くしていかなければ、この苦しみは天主様が私に与えられたもの、という気づきが、生まれてこないかもしれません。その神秘に気づかされることもなく、実行することもできません。自分は苦しみを退け他人を苦しませてしまう苦しみに変わるかもしれません。(自分はこれまでどれだけ他人に苦しみを与えながら生きてきたことでしょう。)小さな苦しみを黙って忍ぶことができますように、マリア様に助けを願います。マリア様をもっともっと愛することができますように!
そして「小さな共償者となってほしい」ということばが、深く身に浸みます。イエズス様はずっとマリア様と共に苦しみをお捧げする準備をされて、そして人間の救いのために苦しみをマリア様とお捧げになられました。イエズス様はマリア様とともに、私たちが救われる道はその共償者として生きる道ですとおしゃられているようです。
弱々しく小さく隠れていて目に見えない大切な存在が、「わたし」の中で大きくなってくださいますように、「わたし」は小さいままでいることができますようにと祈ります。
自分への愛よりも天主様への愛をいつも優先いたしますと、いつも、言えますように。
普段気づかなかったことに、気づかせていただきましたこと、感謝申し上げます。
次の御ミサは、待降節第一主日で、新しい年になるのですね、(あっ、時間が午後からになる事忘れないようにします。)今年一年ありがとうございました。
【公教要理の報告】
今回は、視覚教材を使ってのマリア様のご訪問のお話ということだったのですが、機材の不具合のために、スライド等は次回に延期になりました。
ルカ第1章を読みながら、黙想のためのお話を伺いました。初土の信心を良く実行できますよう、準備をいつもしたいと思います、ありがとうございます。次は、フラ・アンジェリコの御影などを紹介してくださるとのこと、楽しみです。
グレゴリア聖歌は、AD te levavi animam meam の練習をしました。グレゴリア聖歌の練習も少しづつ慣れてきたように思います。神父様いつもご指導をありがとうございます。
19日の御ミサでは、スイスから見えた二人連れの方がおられました。御ミサの終了後に、友人と会話されていた方が、この夏のファチマの巡礼で同じホテルだったとわかったようで盛り上がっておりました。
また、この日初めて、ラテン語のミサに与られた方は、最後の終歌までご一緒下さいました。ラテン語が少しお分かりになられるとのことで、日本語のミサにくらべて、聖伝のミサは本当に素晴らしい!と、感動してくださっておりました。未信者の方ですのに、御ミサが全く違うことがはっきり感じられるとのこと、感想を詳しくお話いただくことができました。いろいろなお話ができて、楽しかったです。ありがとうございます。またぜひお会いしたいと思います。