2017年8月16日(水)童貞聖マリアの御父聖ヨアキムのミサ
小野田神父 説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
愛する巡礼者の皆さん、そして兄弟姉妹の皆さん、
今日は聖ヨアキムの大祝日を祝っています。聖ヨアキムというのは、マリア様のお父様、すなわちイエズス様のお爺様です。今日この聖ヨアキムの典礼について黙想して、聖ヨアキムの御取り次ぎを願って、私たちの人生の旅を、また巡礼を、聖ヨアキムの保護に委ねる事に致しましょう。
実は聖ヨアキムについては、中世の頃からそのミサがあったのです。しかし、ちょうどプロテスタントのマルチン・ルターが反乱を起こした時に、聖ピオ五世教皇様が、プロテスタントの人々がカトリックに戻る事が容易になるように、聖書に特に載っていなかったマリア様のお父様とお母様の祝日、聖ヨアキムと聖アンナの祝日を廃止してしまいました。聖ピオ五世が。しかしそれも数10年の間で、その後にはもう一度復活されました。
その特にマリア様の祝日、聖ヨアキムはマリア様の被昇天の間の8日間にある主日に祝う事になっていました。それを聖ピオ十世教皇様が、「そうではなくて、マリア様の被昇天のそのすぐ翌日、8月16日に祝うように」と定められました。
そして私たちは今日、聖ヨアキム様のお祝いを今日、2級祝日で祝っています。
なぜ聖ヨアキムがそれほど偉大であったかというと、まずイエズス・キリスト様のお爺様であり、マリア様のお父様であるので、もしも聖ヨアキムがマリア様に、「こうしなさい」と言えば、もしもイエズス様に聖ヨアキムが、「こうしてほしい」とお願いすれば、マリア様もイエズス様も、聖ヨアキムの願いを、小さなかすかな望みさえも拒むわけにはいかないからです。
聖ヨアキムはでは一体、どのような人柄だったでしょうか?
聖ヨアキムは聖伝によると、非常に憐れみの深い人でした。「ヨアキム」というのは実は「準備、主の準備」という意味でした。ヨアキムの妻は「アンナ」「お恵み」という名前で、マリア様を救い主の御母を準備する方、特別のお恵みを準備する方として、まさにふさわしい御方でした。
ダヴィドの王家の子孫で、非常に憐れみ深い人でした。自分の財産を3つに分けて、3分の1は自分の為に、後の3分の1は貧しい人々の為に、そして残る3分の1は神殿の為に捧げていました。特に自分の財産の3分の1を貧しい人に与えました。
そこで典礼では入祭誦の時に2回繰り返して、“Dispersit dedit pauperibus”また昇階誦も、“Dispersit dedit pauperibus”、3回同じ言葉を繰り返しますが、そのラテン語の意味は、「貧しい人たちに彼は分配して与えた。」「分配した、また、与えた。」これは聖ヨアキムの寛大さを表しています。
かといって、実はヨアキムはアンナとの間に子供がありませんでした。かなり年を取っても子供がありませんでした。「救世主を準備する」ために、イスラエルの人々にとって「子供ができる」という事は非常に大切な事でした。それが与えられないという事は、「あぁ、天主様から呪われているのだ」とさえ誤解を受けていました。そこである時には、せっかく神殿に捧げられたその自分からの奉献物も、誤解された為に、「呪われた金だ」として受け入れられなかった事もあった、と伝えられています。
しかし聖ヨアキムと聖アンナは、その屈辱にも耐え、それを奉献し、祈りと寛大さとを示していました。そのようなヨアキムは、苦しい人、あるいは悩む人、あるいは不当な取り扱いを受けるような人々に対して、特に寛大な心を持っていました。このような聖ヨアキムと聖アンナを天主は恵まれて、遂にマリア様を与えました。
マリア様はヨアキムとアンナに与えられた最初の、そして唯一の子供でした。これは天主の御一人子を生むべき御母として、初子が唯一の子供が与えられたというのは、真にふさわしい事でした。
マリア様は幼い頃から既に、寛大なる聖ヨアキムの手を離れて、ヨアキムの手によって神殿に奉献されました。せっかくの子供ですが、既に天主様のものとなされました。
これを見ると聖ヨアキムは、貧しい私たちにどれほど憐れみ深く、どれほど私たちの苦悩や苦しい事を理解する同情の心に溢れているか、という事が分かります。どれほど天主様の事に寛大であるか、そしてヨアキムに願う者にどれほど寛大に「恵もう」と思われるかという事が分かります。
親愛なる巡礼者の皆さん、ですから私たちも、特に巡礼の始まる前にマリア様の元に馳け寄る前に、ヨアキムに今日お祈りしてヨアキムの保護を願うのは、非常に素晴らしい御摂理に合った事だと言わざるを得ません。
ヨアキムが私たちを憐れんで、私たちに取り次いで、マリア様とイエズス様からたくさんのお恵みを分配して与えてくださいますように、私たちは貧しい者として聖ヨアキムに乞い求めます。ヨアキムはこの私たちの願いを、決して拒否される事はありません。
では今日は特に、マリア様のお父様に、そしてイエズス様のお爺様、聖ヨアキムを称えて、このミサを捧げていきましょう。
明日は朝6時にミサがあります。そしてそれによって遂に、マリア様の汚れなき御心の元にファチマに行くその準備、最後の準備を致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
愛する巡礼者の皆さん、そして兄弟姉妹の皆さん、
今日は聖ヨアキムの大祝日を祝っています。聖ヨアキムというのは、マリア様のお父様、すなわちイエズス様のお爺様です。今日この聖ヨアキムの典礼について黙想して、聖ヨアキムの御取り次ぎを願って、私たちの人生の旅を、また巡礼を、聖ヨアキムの保護に委ねる事に致しましょう。
実は聖ヨアキムについては、中世の頃からそのミサがあったのです。しかし、ちょうどプロテスタントのマルチン・ルターが反乱を起こした時に、聖ピオ五世教皇様が、プロテスタントの人々がカトリックに戻る事が容易になるように、聖書に特に載っていなかったマリア様のお父様とお母様の祝日、聖ヨアキムと聖アンナの祝日を廃止してしまいました。聖ピオ五世が。しかしそれも数10年の間で、その後にはもう一度復活されました。
その特にマリア様の祝日、聖ヨアキムはマリア様の被昇天の間の8日間にある主日に祝う事になっていました。それを聖ピオ十世教皇様が、「そうではなくて、マリア様の被昇天のそのすぐ翌日、8月16日に祝うように」と定められました。
そして私たちは今日、聖ヨアキム様のお祝いを今日、2級祝日で祝っています。
なぜ聖ヨアキムがそれほど偉大であったかというと、まずイエズス・キリスト様のお爺様であり、マリア様のお父様であるので、もしも聖ヨアキムがマリア様に、「こうしなさい」と言えば、もしもイエズス様に聖ヨアキムが、「こうしてほしい」とお願いすれば、マリア様もイエズス様も、聖ヨアキムの願いを、小さなかすかな望みさえも拒むわけにはいかないからです。
聖ヨアキムはでは一体、どのような人柄だったでしょうか?
聖ヨアキムは聖伝によると、非常に憐れみの深い人でした。「ヨアキム」というのは実は「準備、主の準備」という意味でした。ヨアキムの妻は「アンナ」「お恵み」という名前で、マリア様を救い主の御母を準備する方、特別のお恵みを準備する方として、まさにふさわしい御方でした。
ダヴィドの王家の子孫で、非常に憐れみ深い人でした。自分の財産を3つに分けて、3分の1は自分の為に、後の3分の1は貧しい人々の為に、そして残る3分の1は神殿の為に捧げていました。特に自分の財産の3分の1を貧しい人に与えました。
そこで典礼では入祭誦の時に2回繰り返して、“Dispersit dedit pauperibus”また昇階誦も、“Dispersit dedit pauperibus”、3回同じ言葉を繰り返しますが、そのラテン語の意味は、「貧しい人たちに彼は分配して与えた。」「分配した、また、与えた。」これは聖ヨアキムの寛大さを表しています。
かといって、実はヨアキムはアンナとの間に子供がありませんでした。かなり年を取っても子供がありませんでした。「救世主を準備する」ために、イスラエルの人々にとって「子供ができる」という事は非常に大切な事でした。それが与えられないという事は、「あぁ、天主様から呪われているのだ」とさえ誤解を受けていました。そこである時には、せっかく神殿に捧げられたその自分からの奉献物も、誤解された為に、「呪われた金だ」として受け入れられなかった事もあった、と伝えられています。
しかし聖ヨアキムと聖アンナは、その屈辱にも耐え、それを奉献し、祈りと寛大さとを示していました。そのようなヨアキムは、苦しい人、あるいは悩む人、あるいは不当な取り扱いを受けるような人々に対して、特に寛大な心を持っていました。このような聖ヨアキムと聖アンナを天主は恵まれて、遂にマリア様を与えました。
マリア様はヨアキムとアンナに与えられた最初の、そして唯一の子供でした。これは天主の御一人子を生むべき御母として、初子が唯一の子供が与えられたというのは、真にふさわしい事でした。
マリア様は幼い頃から既に、寛大なる聖ヨアキムの手を離れて、ヨアキムの手によって神殿に奉献されました。せっかくの子供ですが、既に天主様のものとなされました。
これを見ると聖ヨアキムは、貧しい私たちにどれほど憐れみ深く、どれほど私たちの苦悩や苦しい事を理解する同情の心に溢れているか、という事が分かります。どれほど天主様の事に寛大であるか、そしてヨアキムに願う者にどれほど寛大に「恵もう」と思われるかという事が分かります。
親愛なる巡礼者の皆さん、ですから私たちも、特に巡礼の始まる前にマリア様の元に馳け寄る前に、ヨアキムに今日お祈りしてヨアキムの保護を願うのは、非常に素晴らしい御摂理に合った事だと言わざるを得ません。
ヨアキムが私たちを憐れんで、私たちに取り次いで、マリア様とイエズス様からたくさんのお恵みを分配して与えてくださいますように、私たちは貧しい者として聖ヨアキムに乞い求めます。ヨアキムはこの私たちの願いを、決して拒否される事はありません。
では今日は特に、マリア様のお父様に、そしてイエズス様のお爺様、聖ヨアキムを称えて、このミサを捧げていきましょう。
明日は朝6時にミサがあります。そしてそれによって遂に、マリア様の汚れなき御心の元にファチマに行くその準備、最後の準備を致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。