聖母小黙想会【その13】 2017年8月15日(火)童貞聖マリアの被昇天のミサ
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2017年8月15日、聖母の被昇天の大祝日を祝っています。
今日この御ミサが終わりましたら、簡単な軽食が準備される予定です。
13時頃から、雨が降っても、嵐になっても、聖母行列をして、この近くの公園までマリア様と共に行列をする予定です。
その為に警察からの、公道や公園を使用する許可も取っております。特に日本の平和を求める為に、世界の平和を求める為に、マリア様に感謝する為に、この聖母行列をしたいと思っています。
特に日本は、マリア様に特別のお恵みをこの日に頂いておりますので、どうぞ皆さんいらして下さい。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日はマリア様の被昇天の大祝日、マリア様のいわば「帰天」の記念を行う日です。
そこで、この被昇天というのは一体どういう事だったのか?一体何が起ったのか?という事を黙想して、
被昇天が起こる、その被昇天を可能ならしめたマリア様のその素晴らしさというのは一体何だったのか?なぜマリア様にはその事が起こったのか?という事を黙想して、
ではそのマリア様の被昇天は私たち、21世紀に生きる現代の日本に生きる私たちにとってどのような意味があるのか?私たちにとってどんな意義があるのか?私たちにとってそれは何なのか?を黙想して、
最後に遷善の決心を立てる事にしましょう。
今日は多くの方がお墓に行って、先祖の死を弔ってお祈りをする日だ、日本中ではそうですけれども、実は、私たちが記念すべき、最高の私たちの霊的御母の「死」を記念する時であります。この死というのはあまりにも清い愛に満ちた、聖なる祝福に満ちた、幸せな死であったので、肉体も霊魂も天に上げられたという「死」であったので、この事を教会は昔から、マリア様の「お眠り“Dormitio”」と言って祝ってきました。
この祝日が、マリア様のお眠りがマリア様の被昇天が、歴史に残る限り最初に現れたのが、それは4世紀初頭、三百数年、つまりキリスト教が自由になって、そして既にその文献を残す事ができる事になったその時から、既に「マリア様の被昇天はエルサレムで祝われていた」という文献が残っています。
「このマリア様の被昇天は、全ローマ帝国で祝われなければならない」と定めたのは、ローマ皇帝マウリシウスでした。その時に文献によれば、「8月15日に荘厳に祝わなければならない」と記録を残しています。ローマ皇帝が全帝国に6世紀にそのような勅令を出しましたけれども、私たちの記録に残る限り、文献が私たちの手の元に残る限り、ローマのミサ典書の中にも既に7世紀の物には、マリア様の4大祝日の内の1つとして荘厳な典礼が定められて、記録に残っているのが伝わっています。
そして8世紀になると、レオ四世教皇様が、「マリア様のこの祝日はあまりにも重要なので、その前日のミサと、そして8日間の間毎日そのミサの記念をして、そして8日目には最大に荘厳にミサするように」と定めているのが分かります。それほど教会にとって大切な祝日でした。
なぜこれほど大切な祝日なのかというと、これはマリア様が天で、天にお生まれになった、天に凱旋された、天に荘厳に入場された、そしてイエズス・キリストの御母、天主の御母として、天主御父の愛する娘として、聖霊の花嫁として、三位一体の聖なる汚れ無い神殿として戴冠を受けた、私たちに先立って栄誉を受けた、マリア様は既にイエズス様の御受難に先立って、その御受難の功徳を先取りされて、無原罪の御孕りを受けました。
私たちの復活は、肉体の復活は世の終わりに起こります。しかし、イエズス様は、ご自分の母親の、罪の無い汚れの無い母の、その肉体の腐敗を許そうとしませんでした。そこでマリア様のお眠りと同時に、マリア様の肉体を天に上げられたのでした、同時に上げられたのでした。
これを見ると、マリア様のこの被昇天、お眠りというのは、ちょうど第1のアダムが眠っている間、この地上の楽園で眠っている間、その脇腹からエヴァが取られた創られたのとその似ていると考えられます。なぜかというと、このアダムが寝ている時において、アダムの配偶者であるエヴァが創られたのですから、天主はイエズス様が昇天された時に、「第2のアダムが一人でいるのは良くない。伴侶が必要だ」と思われ、そしてマリア様のお眠りにおいて、その伴侶を天国に作られました。第2のエヴァ、新しいエヴァが天国に上げられました。
まさにイエズス様が、第2のアダム新しいアダムが十字架の上で死の眠りについた時と、今日のマリア様の被昇天は似ています。なぜかというと、第2のアダムは十字架の上で眠っている時に、死の眠りについた時に、その目覚めは復活でありましたから。第2のエヴァにとっても、この被昇天の眠りは天国での先取った復活の目覚めによって、凱旋ある目覚めを得たからです。ちょうどアダムの、第2のアダムの目覚めと同じでした。
第2の点で、一体なぜマリア様にはそのような被昇天が与えられたのでしょうか?一体マリア様の被昇天を可能にしたのは何だったのでしょうか?
なぜかというと、私たちの霊的な生活には3つの段階があると言われるからです。つまり「浄めの段階」「照らしの段階」そして「一致の段階」です。
浄めの段階というのは、私たちが罪から浄められる、この地上への愛着から浄められる、という霊的な段階の事です。
第2の照らしの段階というのは、イエズス様の愛に照らされて、私たちはますますイエズス様の事を愛する、という霊的な段階です。
第3の段階というのは、私たちが浄められ、照らされて、そしてイエズス様と一致するという一致の段階です。
マリア様は、この3つの段階をあっという間に、跳躍的に成し遂げられた御方であるからです。
マリア様は無原罪の御孕りによって、浄さそのものでしたので、ルルドでマリア様は言います、「私は無原罪の御孕りである。」地上のもの、被造物を欲しくて、被造のものを愛するが故に何かをするのではありませんでした。唯一、聖霊の息吹きによって、聖霊の望む事を、聖霊の動かすままに、地上での生活を全てなした方がマリア様でした。全くの汚れの無い、罪の汚れの無い、無原罪の御孕り、汚れ無きインマクラータでありました。マリア様にとって最初の段階から、罪からの離脱は完成していました。
またマリア様は、イエズス様の照らし、イエズス様への愛に轟々と燃える愛熱の炎でした。イエズス様への愛、イエズス様への憧れ、イエズス様への熱望、イエズス様を追求するその望み、イエズス様の御意志と全く同意して、それをのみ望むその渇望、これはマリア様が、「我は主の婢女なり。仰せの如く我になれかし。」「私のする事は主の御旨、それだけです」というその望みに表れています。
ですからこそマリア様は、被造物が達成する事のできる最高の一致をしました。天主の御母。天主聖父の愛娘。聖霊の浄配。
これを見ると、マリア様ほど天主と一致している方は、被造物はあり得ないと分かります。だからこそマリア様の霊魂は、この地上でもはや生きる事ができませんでした。この肉体の上に留まる事はできませんでした。イエズス・キリストとの一致を、天国での一致しか、もうもはや生きる術はありませんでした。
ではマリア様のこの被昇天は、私たちにとって21世紀にとって、どのような意味があるでしょうか?
特に今年、特別な意味を持っています。マリア様はこう仰いました、ルチアにこう仰いました。
「あなたは一体、どこからいらっしゃいましたか?」
「私は、天国からの者です。」
『天に壮大なしるしが現れた。太陽をまとい、12の星を被る王冠に被る夫人が現れた。』
まさに太陽の奇跡を起こして、太陽を自由自在に動かす事ができる、正義の太陽のすぐ近くに居て、太陽をあたかも着ているかのような、イエズス・キリストを着ている、一心同体になっているマリア様、無原罪の御孕り、天主の御母マリア様、その方が私たちに、「私は天からの者です。」そして私たちを天国に連れて行く事を熱望して、そしてその為に私たちを呼びに来ました。
私たちもルチアと共に言わなければなりません、子供たちと共に言わなければなりません、「私は、天国に行きますか?」「はい。」マリア様は私たちに教えています、「私たちはこの地上の為に作られたのではない。私たちは天国でイエズス様と一致する為に、永遠の命を楽しむ為に、永遠の無限の命を生きる為に、本当の幸せに入る為に生きているのだ。」
マリア様の神々しい、その光に輝く美しい、燦然と輝くその姿を見て、ルチアや子供たちは全くうっとりとしていました。「早く天国に行きたい!」
フランシスコは牢獄に入れられて、油で「茹で上げにされるぞ。さぁ!」と言うと、「やった!もうすぐ天国に行く!」喜びに満ちていました。
マリア様は私たちに天のしるしを見せます。私たちも天国に行く為に作られました。「この地上のものに愛着を持ってはならない。地上の汚い、汚れた、汚らしい、残酷な不潔な罪ではなく、天上の事を愛するように。地上の事から離脱するように」と。
「あぁ、マリア様。私たちを天国に連れて行って下さい。私たちが早く天国に行くように助けて下さい。天国に行く道を守って下さい。蛇の頭を踏み砕いて下さい。私たちを誘う、悪魔の誘いから守って下さい。イエズス・キリストを忘れる事がないように、イエズス・キリストだけを愛する事ができるように、イエズス・キリストへの愛の為に生きる事ができるように助けて下さい。私たちの目がいつもマリア様にしっかりと固定されていますように、見つめていますように。」
十字架の上で、イエズス様は私たちに言いました、「見よ、汝の母ここにあり。」マリア様には言います、「見よ、汝の子ここにあり。」マリア様は私たちを本当の子供として、天から愛を込めて見守っています。私たちも遂には、マリア様と共に天国に凱旋する事ができるように、既にマリア様において実現された、その栄光と喜びが私たちにも与えられますように、マリア様は待っています。天国でイエズス様に取り次いでおられます。
もしもマリア様が天国に上げられたのならば、天国で凱旋しているのならば、天国で天と地の女王として、元后として支配しているならば、憐れみの女王としてあるのならば、それはただ単に、憐れな私たちを助ける為です。私たちを天国へと導く為です。その為に100年前、ファチマで私たちを招きに来られました。
特に8月15日には、私たちにお恵み与える為に来られました。私たちの元に来られています。特に日本は、8月15日には特別のお恵みを受け続けてきました。今日も受けます。
「あぁ、マリア様、私たちのこの逐謫の終わらん後に、尊き御子イエズス様を示して下さい。仁慈、甘美、童貞なるマリア。」
では私たちは今日、どのような決心を立てなければならないでしょうか?
被昇天のマリア様に、汚れなき御心に、お祈り致しましょう。この「私たちがマリア様のこの凱旋を共に祝って、マリア様の後に続く事ができるように、地上の愛着を全て取り払って下さい」とお祈り致しましょう。
第2には、マリア様に倣って、イエズス様の為だけに愛する事ができるように、早くイエズス様の御元に行く事ができるようにお祈り致しましょう。
最後に、マリア様はもしかしたら私たちに、ルチアのように仰るかもしれません、「はい、ジャシンタとフランシスコはすぐに天国に連れて行きましょう。しかしあなたたちは、この地上にしばらく残って、イエズス様があなたたちを使って、私の御心を知らせ、愛させるようにする事を望んでおられます」と仰るかもしれません。
マリア様がお望みのままに、マリア様の御心を慰め、マリア様の栄光の為に、私たちが良い道具となる事ができるように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2017年8月15日、聖母の被昇天の大祝日を祝っています。
今日この御ミサが終わりましたら、簡単な軽食が準備される予定です。
13時頃から、雨が降っても、嵐になっても、聖母行列をして、この近くの公園までマリア様と共に行列をする予定です。
その為に警察からの、公道や公園を使用する許可も取っております。特に日本の平和を求める為に、世界の平和を求める為に、マリア様に感謝する為に、この聖母行列をしたいと思っています。
特に日本は、マリア様に特別のお恵みをこの日に頂いておりますので、どうぞ皆さんいらして下さい。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日はマリア様の被昇天の大祝日、マリア様のいわば「帰天」の記念を行う日です。
そこで、この被昇天というのは一体どういう事だったのか?一体何が起ったのか?という事を黙想して、
被昇天が起こる、その被昇天を可能ならしめたマリア様のその素晴らしさというのは一体何だったのか?なぜマリア様にはその事が起こったのか?という事を黙想して、
ではそのマリア様の被昇天は私たち、21世紀に生きる現代の日本に生きる私たちにとってどのような意味があるのか?私たちにとってどんな意義があるのか?私たちにとってそれは何なのか?を黙想して、
最後に遷善の決心を立てる事にしましょう。
今日は多くの方がお墓に行って、先祖の死を弔ってお祈りをする日だ、日本中ではそうですけれども、実は、私たちが記念すべき、最高の私たちの霊的御母の「死」を記念する時であります。この死というのはあまりにも清い愛に満ちた、聖なる祝福に満ちた、幸せな死であったので、肉体も霊魂も天に上げられたという「死」であったので、この事を教会は昔から、マリア様の「お眠り“Dormitio”」と言って祝ってきました。
この祝日が、マリア様のお眠りがマリア様の被昇天が、歴史に残る限り最初に現れたのが、それは4世紀初頭、三百数年、つまりキリスト教が自由になって、そして既にその文献を残す事ができる事になったその時から、既に「マリア様の被昇天はエルサレムで祝われていた」という文献が残っています。
「このマリア様の被昇天は、全ローマ帝国で祝われなければならない」と定めたのは、ローマ皇帝マウリシウスでした。その時に文献によれば、「8月15日に荘厳に祝わなければならない」と記録を残しています。ローマ皇帝が全帝国に6世紀にそのような勅令を出しましたけれども、私たちの記録に残る限り、文献が私たちの手の元に残る限り、ローマのミサ典書の中にも既に7世紀の物には、マリア様の4大祝日の内の1つとして荘厳な典礼が定められて、記録に残っているのが伝わっています。
そして8世紀になると、レオ四世教皇様が、「マリア様のこの祝日はあまりにも重要なので、その前日のミサと、そして8日間の間毎日そのミサの記念をして、そして8日目には最大に荘厳にミサするように」と定めているのが分かります。それほど教会にとって大切な祝日でした。
なぜこれほど大切な祝日なのかというと、これはマリア様が天で、天にお生まれになった、天に凱旋された、天に荘厳に入場された、そしてイエズス・キリストの御母、天主の御母として、天主御父の愛する娘として、聖霊の花嫁として、三位一体の聖なる汚れ無い神殿として戴冠を受けた、私たちに先立って栄誉を受けた、マリア様は既にイエズス様の御受難に先立って、その御受難の功徳を先取りされて、無原罪の御孕りを受けました。
私たちの復活は、肉体の復活は世の終わりに起こります。しかし、イエズス様は、ご自分の母親の、罪の無い汚れの無い母の、その肉体の腐敗を許そうとしませんでした。そこでマリア様のお眠りと同時に、マリア様の肉体を天に上げられたのでした、同時に上げられたのでした。
これを見ると、マリア様のこの被昇天、お眠りというのは、ちょうど第1のアダムが眠っている間、この地上の楽園で眠っている間、その脇腹からエヴァが取られた創られたのとその似ていると考えられます。なぜかというと、このアダムが寝ている時において、アダムの配偶者であるエヴァが創られたのですから、天主はイエズス様が昇天された時に、「第2のアダムが一人でいるのは良くない。伴侶が必要だ」と思われ、そしてマリア様のお眠りにおいて、その伴侶を天国に作られました。第2のエヴァ、新しいエヴァが天国に上げられました。
まさにイエズス様が、第2のアダム新しいアダムが十字架の上で死の眠りについた時と、今日のマリア様の被昇天は似ています。なぜかというと、第2のアダムは十字架の上で眠っている時に、死の眠りについた時に、その目覚めは復活でありましたから。第2のエヴァにとっても、この被昇天の眠りは天国での先取った復活の目覚めによって、凱旋ある目覚めを得たからです。ちょうどアダムの、第2のアダムの目覚めと同じでした。
第2の点で、一体なぜマリア様にはそのような被昇天が与えられたのでしょうか?一体マリア様の被昇天を可能にしたのは何だったのでしょうか?
なぜかというと、私たちの霊的な生活には3つの段階があると言われるからです。つまり「浄めの段階」「照らしの段階」そして「一致の段階」です。
浄めの段階というのは、私たちが罪から浄められる、この地上への愛着から浄められる、という霊的な段階の事です。
第2の照らしの段階というのは、イエズス様の愛に照らされて、私たちはますますイエズス様の事を愛する、という霊的な段階です。
第3の段階というのは、私たちが浄められ、照らされて、そしてイエズス様と一致するという一致の段階です。
マリア様は、この3つの段階をあっという間に、跳躍的に成し遂げられた御方であるからです。
マリア様は無原罪の御孕りによって、浄さそのものでしたので、ルルドでマリア様は言います、「私は無原罪の御孕りである。」地上のもの、被造物を欲しくて、被造のものを愛するが故に何かをするのではありませんでした。唯一、聖霊の息吹きによって、聖霊の望む事を、聖霊の動かすままに、地上での生活を全てなした方がマリア様でした。全くの汚れの無い、罪の汚れの無い、無原罪の御孕り、汚れ無きインマクラータでありました。マリア様にとって最初の段階から、罪からの離脱は完成していました。
またマリア様は、イエズス様の照らし、イエズス様への愛に轟々と燃える愛熱の炎でした。イエズス様への愛、イエズス様への憧れ、イエズス様への熱望、イエズス様を追求するその望み、イエズス様の御意志と全く同意して、それをのみ望むその渇望、これはマリア様が、「我は主の婢女なり。仰せの如く我になれかし。」「私のする事は主の御旨、それだけです」というその望みに表れています。
ですからこそマリア様は、被造物が達成する事のできる最高の一致をしました。天主の御母。天主聖父の愛娘。聖霊の浄配。
これを見ると、マリア様ほど天主と一致している方は、被造物はあり得ないと分かります。だからこそマリア様の霊魂は、この地上でもはや生きる事ができませんでした。この肉体の上に留まる事はできませんでした。イエズス・キリストとの一致を、天国での一致しか、もうもはや生きる術はありませんでした。
ではマリア様のこの被昇天は、私たちにとって21世紀にとって、どのような意味があるでしょうか?
特に今年、特別な意味を持っています。マリア様はこう仰いました、ルチアにこう仰いました。
「あなたは一体、どこからいらっしゃいましたか?」
「私は、天国からの者です。」
『天に壮大なしるしが現れた。太陽をまとい、12の星を被る王冠に被る夫人が現れた。』
まさに太陽の奇跡を起こして、太陽を自由自在に動かす事ができる、正義の太陽のすぐ近くに居て、太陽をあたかも着ているかのような、イエズス・キリストを着ている、一心同体になっているマリア様、無原罪の御孕り、天主の御母マリア様、その方が私たちに、「私は天からの者です。」そして私たちを天国に連れて行く事を熱望して、そしてその為に私たちを呼びに来ました。
私たちもルチアと共に言わなければなりません、子供たちと共に言わなければなりません、「私は、天国に行きますか?」「はい。」マリア様は私たちに教えています、「私たちはこの地上の為に作られたのではない。私たちは天国でイエズス様と一致する為に、永遠の命を楽しむ為に、永遠の無限の命を生きる為に、本当の幸せに入る為に生きているのだ。」
マリア様の神々しい、その光に輝く美しい、燦然と輝くその姿を見て、ルチアや子供たちは全くうっとりとしていました。「早く天国に行きたい!」
フランシスコは牢獄に入れられて、油で「茹で上げにされるぞ。さぁ!」と言うと、「やった!もうすぐ天国に行く!」喜びに満ちていました。
マリア様は私たちに天のしるしを見せます。私たちも天国に行く為に作られました。「この地上のものに愛着を持ってはならない。地上の汚い、汚れた、汚らしい、残酷な不潔な罪ではなく、天上の事を愛するように。地上の事から離脱するように」と。
「あぁ、マリア様。私たちを天国に連れて行って下さい。私たちが早く天国に行くように助けて下さい。天国に行く道を守って下さい。蛇の頭を踏み砕いて下さい。私たちを誘う、悪魔の誘いから守って下さい。イエズス・キリストを忘れる事がないように、イエズス・キリストだけを愛する事ができるように、イエズス・キリストへの愛の為に生きる事ができるように助けて下さい。私たちの目がいつもマリア様にしっかりと固定されていますように、見つめていますように。」
十字架の上で、イエズス様は私たちに言いました、「見よ、汝の母ここにあり。」マリア様には言います、「見よ、汝の子ここにあり。」マリア様は私たちを本当の子供として、天から愛を込めて見守っています。私たちも遂には、マリア様と共に天国に凱旋する事ができるように、既にマリア様において実現された、その栄光と喜びが私たちにも与えられますように、マリア様は待っています。天国でイエズス様に取り次いでおられます。
もしもマリア様が天国に上げられたのならば、天国で凱旋しているのならば、天国で天と地の女王として、元后として支配しているならば、憐れみの女王としてあるのならば、それはただ単に、憐れな私たちを助ける為です。私たちを天国へと導く為です。その為に100年前、ファチマで私たちを招きに来られました。
特に8月15日には、私たちにお恵み与える為に来られました。私たちの元に来られています。特に日本は、8月15日には特別のお恵みを受け続けてきました。今日も受けます。
「あぁ、マリア様、私たちのこの逐謫の終わらん後に、尊き御子イエズス様を示して下さい。仁慈、甘美、童貞なるマリア。」
では私たちは今日、どのような決心を立てなければならないでしょうか?
被昇天のマリア様に、汚れなき御心に、お祈り致しましょう。この「私たちがマリア様のこの凱旋を共に祝って、マリア様の後に続く事ができるように、地上の愛着を全て取り払って下さい」とお祈り致しましょう。
第2には、マリア様に倣って、イエズス様の為だけに愛する事ができるように、早くイエズス様の御元に行く事ができるようにお祈り致しましょう。
最後に、マリア様はもしかしたら私たちに、ルチアのように仰るかもしれません、「はい、ジャシンタとフランシスコはすぐに天国に連れて行きましょう。しかしあなたたちは、この地上にしばらく残って、イエズス様があなたたちを使って、私の御心を知らせ、愛させるようにする事を望んでおられます」と仰るかもしれません。
マリア様がお望みのままに、マリア様の御心を慰め、マリア様の栄光の為に、私たちが良い道具となる事ができるように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。