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聖ピオ十世会日本 2018年1月の聖伝のミサ(トリエント・ミサ)の報告 SSPX JAPAN Traditional Latin mass in Tokyo and in Osaka

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2018年1月の日本での聖伝のミサのご報告をさらにいただきました。愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

 次の聖伝のミサは、

 大阪:
1月19日(金)午後6時
1月20日(土)午前10時半

 東京
1月21日(主)午前10時半
1月22日(月)午前07時

です。

 大阪で、今年の1月の初土に行ったファイルの聖母行列の記事フランス管区のウェブサイトに取り上げられましたので、ご報告致します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

1月の最初の大阪での御ミサの報告をお送りいたします。

2018年、初めての御ミサ、しかも初金曜、初土曜日の御ミサに与る事が出来て、ことしも早速大きなお恵みを頂き感謝しています。

初金曜日の御ミサではお説教をヒントに、特に幼きイエズス様の小さな聖心を感じ、ご公現を黙想しながらミサに与りました。
初土曜には初土曜日のミサに続いて世界と日本の平和の為にファチマのマリア様のお取次ぎを願って行われた聖母行列に参加しました。

ミサに来られたほとんどの方が参加され小さな行列でしたがお天気にも恵まれ、年明けの新大 阪のオフィス街のメイン通りをマリア様と歩くことが出来ました。
静かとは言えないオフィス街の雑踏の中、小野田神父様の静かな深い祈りの先唱に続いて私たちもロザリオを唱え、ファチマのアヴェマリアを歌いながら行列は進みました。最初から最後までマリア像を担がれた方、歩行が困難であられるのに押し車を押しながら歩かれたり、着物を着て履きなれない草履に足をとられながら歩く方、空腹を押して行列に参加された方、御公現の祝日に行われた小さな行列の中には確かに、三人の博士がイエズス様に捧げられたように黄金の礼拝と、祈りの乳香と、犠牲の没薬がマリア様を通して捧げられたように思いました。

途中の公園でマリア様を安置して、跪き聖ピオ十世会を聖ピオ十世会を聖母の汚れなき御心に捧げる祈りを唱え、聖歌を捧げました。
公園で遊んでいた4,5人の子供達がマリア様に引き寄せられるように寄ってきて、神父様に誘われるまま一緒にアヴェ・マリアの聖歌を歌って帰って言ったことにも大きな喜びを感じました。

聖母行列を計画して、ご同行下さった小野田神父様にも心から感謝を申し上げたいと思います。
始まったばかりのこの一年もこの日の行列の精神で最後まで過ごす事ができますように、そして最後にはマリア様を通してイエズス様の御元へたどり着くことが出来ますように!!

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

イエズス、マリア、ヨゼフ、聖家族の祝日の御ミサをありがとうございます。
この日のお説教で、神父様はイエズス様がどのようにマリア様とヨゼフ様との家庭での生活をお過ごしなられていたか、深く黙想してくださいました、ありがとうございます。

今回、聖家族の聖書の小さな一字一句にも、深い意味がその背景には隠されているということを、教えていただいたように思います。公教要理にて教えていただいたこともお説教の中のあちらこちらに出てきて、いろいろ思い出されました。

聖書の背景となっている地理や当時の社会情勢や登場人物の性格や行い生活の様子などを知ることは大切なことだということがよくわかりました。たとえば、ヘロデ王の残忍さについての具体的な事柄から類推して、聖家族がどうしてもエジプトへ避難しなければならなかった根拠や三人の博士の動きなども類推できるのですね。あらためて公教要理での学びを感謝いたしました。ありがとうございます。

イエズス様がお生まれになられてから、公生活に入られるまでの30年間は、イエズス様の人生の90パーセントで、その人生のほとんどにおいて、御母マリア様と御養父ヨゼフ様に、従われていらっしゃったということを、教えていただきました。

イエズス様の三年間の公生活の方に視線が行ってしまいますが、それ以前の隠れた生活のイエズス様と御家族の三人の過ごされた時間にも、私たちへの模範を示される大事な無言の教えが隠されていることがわかりました。

そして、聖家族は、まったく最初から、財産も地位も仕事も知り合いも所有物も、食糧や安全とか保険などというものもないまま、ただ御摂理を信頼して、預言の成就を心に留め、天主様の信頼とご保護に全てをお任せして、ベトレヘムの馬小屋から小さな家へ、そこからエジプトへ、そしてナザレトへと移られて、家庭生活を営まれたということを、思い巡らすことができました。

三人の博士が、贈り物を携えてきたその象徴的な意味を味わうことに心を奪われるのですが、それとともに現実的にもどれほどこの贈り物が聖家族の激動の移動の多い不安定な生活を助けてくれたことかと想像することができました。

それも十分とは言えないほどの、激変する生活を乗り越えねばならなかったに違いありません。天主の御摂理を信頼するということの模範というには、あまりにも大変であったのではと思われます。経済的にも社会的にも非常に不安定な中で、どれほどの祈りと犠牲の日々だったことでしょう。

それから、「イエズス様は、マリア様にそっくりだった、いやマリア様がイエズス様にそっくりだった」というお話も、とても印象に残りました。ナイロの一人息子に死なれたナイロのやもめの女へのご配慮とその奇跡には、イエズス様の愛情深い優しさに隠されたより深い意味があるのだとわかりました。御自分のご死去の後のマリア様のお悲しみを思われたに違いないというところに胸を打たれました。

そして、マリア様に倣って、マリアの汚れなき御心の信心を深くできるようになればなるほどイエズス様に倣ってイエズス様に似るものとなる、という教えられたことを思い出すことができました。

神父様が示してくださった三つの提案、天主が被造物に従ったのだからイエズス様に倣って私たちは置かれたところにある権威に従うことができるよう従順の徳を希い、イエズス様に似奉ることができますようマリア様に瓜二つとなることができますようにと希い、聖家族がおくられていた生活のように御摂理に信頼して祈りと犠牲の生活ができますよう希いました。自分の弱さをかえりみると、あまりにも大きな願いのように思われますが。

それから、この聖家族の祝日に2人の赤ちゃんのための幼児洗礼式が行われました。とても良い巡り会わせで聖家族の日に洗礼を受けることのできる赤ちゃんとそのご両親とご家族はなんて幸せなのだろうと思いました。洗礼式は、とても感動しました。貧しい仮の場である教会のなかが、皆の喜びと祈りに満ちあふれて、厳かな中にも明るく希望が輝いて、とても素晴らしい場所に感じられました。洗礼がどれほど大切なものであるかを直接感じることができました。2人の赤ちゃんのためにお祈りいたします。

また、日本では月の第一主日が7月の聖ピオ十世会の総会のために捧げられるとのことで、聖ピオ十世会の総会の成功を願い、祈りをお捧げしました。

小野田神父様、フィリピンからいつも来ていただきましてありがとうございます。神父様の往路復路そしてご健康と全ての無事をいつもお祈りいたします。今年もどうぞよろしくお願いいたします。


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