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聖ピオ十世奉献修道女(オブレート・シスターズ)に関する質問への回答

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか? こちらフィリピンでは強い台風(22号)が襲ってきましたが、フィリピンの国民は皆でお祈りを捧げていました。私たちの教会では大きな被害はなく、天主様に感謝しております。

 今日は、グァダルーペの聖母マリア様の祝日でした。フィリピンの第2の守護の聖人です。

 さて、今回は、聖ピオ十世会の修道女会(Sisters of the SSPX)と、聖ピオ十世会奉献修道女(オブレート・シスター)とを先日ご紹介しました。今回は、後者のオブレート・シスター(奉献修道女)たちについていろいろなご質問に対する回答をご紹介します。

 聖ピオ十世会の修道女会(Sisters of the SSPX)と、聖ピオ十世会奉献修道女(オブレート・シスターズ)とは、極めて似ています。ほとんどそっくりです。外的な区別の仕方は、聖ピオ十世会の修道女会のシスターたちは、丸い聖ピオ十世のメダイを胸にかけています。奉献修道女は、聖ベネディクトのメダイのついた十字架をかけています。後は、ほとんど区別がつきません。

 見た目よりも目に見えない違いと言えば、聖ピオ十世会の修道女会は、聖ピオ十世司祭兄弟会とは法的に別の修道会で、別の総長を戴いています。(現在は、マザー・マリー・オーガスティンです。)

 奉献修道女は、聖ピオ十世司祭兄弟会の一部を成しており、奉献修道女の総長はフェレー司教様です。

 このような違いはありますが、両者とも聖ピオ十世会の司祭の働いている教会や学校の近くに修道院を持って、私たちの主イエズス・キリストのために、霊魂の救いのために、祈りと労働とによって、教会の活動を大きく支えてくださっています。

 このような素晴らしいシスター達のために、愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世奉献修道女会(オブレート・シスターズ)に関する質問への回答

1.オブレートとはどういう意味でしょうか?

ラテン語の語源によれば、「oblata」とは捧げるという動詞から派生しています。oblateという言い回しは「捧げられたもの」表しています。この言葉は私たちの召命全体を要約し、表現しています。

事実、多くの修道会にある単なる名前以上のもの、オブレートという名前そのものの中に、みずからを完全な捧げものとせよという招きがあるのではないでしょうか?

これこそ、聖櫃の足元にひざまずき、共贖者なる聖母に一致して、天主なる生贄のご聖体とともに生贄として天主へみずからをお捧げるするその奉献の日に、すべての修練女が理解していなければならないことです。

「我は我が人格、我が人生、我が所有するすべて、我がすべてを、おお我が天主よ、御身のより大いなる栄光のため、我が霊魂の救いのため、すべての霊魂の救いのため、とりわけ司祭と未来の司祭の聖化のため、御身に捧げ奉る」

2. 奉献女と聖ピオ十世会の関係はどのようなものですか?

一九七三年、友人と恩人の皆様への手紙・第五号の中で、ルフェーブル大司教様は「聖ピオ十世会はいくつかのいろいろな共同体で構成されているのですか?」という質問を受けました。大司教様は「聖ピオ十世会は司祭と未来の司祭たち、それから補佐司教たち、奉献女たち、そしてまもなく、私たちの希望により[生まれるであろう]聖ピオ十世修道女会で構成されています……。最後に、天主のおん助けを当てにしつつ、聖ピオ十世会の霊的祝福を世間にいる平信者たちに広げようとしています」とお答えになりました。

一九八〇年、聖ピオ十世会の四つの共同体の中の一つとして大司教様が心に抱いていた第三会が誕生したことで、大司教様はご自分の事業の実現をご覧になることができました。

この事業から分かれた四つの枝を順に並べ上げていくとしたら、人間と物事を分類するにあたって常に必要な優先順位は、習慣として奉献修道女を三番目の共同体に位置づけます。一番目は司祭たち、修道士たち、神学生たち、二番目は聖ピオ十世修道女会、そして四番目は第三会です。

3, 創立者はどなたですか?

マルセル・ルフェーブル大司教様によって創立され、聖ピオ十世奉献修道女のこの共同体は一九七三年に誕生しました。

最初にエコンのドアを叩いたのは、不忠実になってしまった修道会を、良心上去らざるを得なくなったフランス人看護修道女、シスター・マリー・ベルナールでした。

同じような他の修道女たちがやって来るまで時間はかかりませんでした。こうして私たちの会は誕生しました。初めの頃の奉献修道女たちは、各自の修道会ときちんと話し合った結果、教会法的に義務から解放され、公会議後の崩壊から自分たちの修道生活を守ることを強く望んでいた修道女たちでした。

そう時間が経たないうちに、身分上の義務から自由になった熟年の人々や、聖ピオ十世会とコンタクトをとることで、また仕事を捧げることで、みずからを聖化することを強く望む人々が加わるようになりました。

現在でも教会内の危機は存続しており、新たなニーズを生み出しています。私たちは入会希望者の募集内容を変更する傾向にあります。つまり、新しい柔軟な仕組みを作ることで、召命を持つ他の人々が、与えられた才能を発揮できる場所を見つけられるようにすることです。

4. 独自のヒエラルキーがあるのですか?

いいえ、奉献修道女 (Oblates) にはヒエラルキーはありません。このことが、聖ピオ十世修道女会のような一般的な女子修道会と本会とを区別しています。聖ピオ十世修道女会 (Sisters of the SSPX) は、その呼称と霊性が聖ピオ十世会に強く結びついているにも関わらず、裁治権上は独立しています。

奉献修道女は、聖ピオ十世会の完全な一員として、本会の司祭や修道士のように、修道女たちの中から選ばれた総長をいただきません。聖ピオ十世会総長が、現在はベルナール・フェレー司教様が直接の私たちの総長です。聖ピオ十世会の求めに対する総長の自由な決定にお任せしつつ、総長の権威のもとに私たちは奉献の誓いをします。

それぞれの修道院では、そこの院長が奉献女たちの直接の長上です。

修道院内での奉献女のグループが三人以上であるなら、総長は院長と相談ののち、奉献女の長上を指名することがあります。

5. 修道女(nun)と奉献女はどう違うのですか?

一九八二年にルフェーブル大司教様によって書かれた私たちの会則の文字通りの言葉によれば、奉献修道女は「聖ピオ十世司祭兄弟会のように、(誓願ではなく)誓約(engagement, promise)」を立てます。

これはどういう意味ですか?

まず第一に、天主への捧げものと、ある人が本来の意味で自発的に自分の人生を捧げる行為と、その人の活動全体とを注意深く区別するべきです。

教会の歴史を辿ってみると、(定住と厳粛な誓願を伴う)一般的かつ伝統的な修道院生活の構想から、ごく最近の形式である「完徳の身分」に至るまでの発展を眺めることができます。

事実、時が経つにつれて、修道生活の伝統を何も放棄することなくその特権的位置を保っている、新しい修道者の共同体が、柔軟な組織作りの方法に従って次々と創設されています。外的様式──確かに非常に重要ではありますが必要不可欠なものではない──に捕らわれない、これら新しい修道生活の様式は、天主への完全奉献という生活の本質のみを保ち、教会によって受け入れられ承認されています。

ですから「厳密な意味での、教会法上の完徳の身分」──(荘厳誓願を立てるオルドと単律誓願を立てるコングレガツィオが属する)完徳の身分の完全なかたち──の傍らに、教会法は無誓願の共同生活を送る集団を「第二の教会法上の完徳の身分」であると定義しています。厳密な意味での教会法上の完徳の身分を構成する、法的に必要な本質──例えば、清貧、貞潔、従順の公式誓願など、いくつか欠けているものはありますが、それにも関わらずこれらの集団は完徳の生活の本質に属するその他の性質を有しています。

つまり、教会の規定によれば、これらの集団が厳密な意味での修道会でなく、その会員が聖職者でないにも関わらず、その集団は教会法の中に含まれ一致しているのです。

奉献女である私たちには、ルフェーブル大司教様が望まれたように、聖ピオ十世会と教会の中に明確に定義された場所があります。これは、例えば聖ヴィンセンシオ・ア・パウロが創設し、その明確な望みにより、教会法上の字義通りの意味では決して修道者ではなかった愛徳姉妹会によって、私たちのために用意された道ではなかったでしょうか?

6. 奉献修道女の霊性とは何ですか?

奉献女の霊性は、聖ピオ十世会の霊性です。聖ピオ十世会の霊性は教会の霊性そのものであり、教会の心臓は十字架の聖なる犠牲です。それは日々のミサ聖祭において祭壇上で新たに繰り返されています。

従って、ミサ聖祭は、私たちの霊性と修道生活の尽きることのない泉であります(会則)。

私たちの一日全体は、天主の子羊のおん血に浸され、十字架の足元でのそれぞれの奉献のままに釘づけられています。聖務日課──一時課、六時課、終課──、念禱、ロザリオ、霊的読書、そして個人の祈りを通してです。

「奉献女たちは十字架のみ足元に立つ共贖者なる聖母のように、聖主の犠牲にあずかることで幸福を得るだろう」(会則)

マリアの精神で十字架上のイエズスを観想すること──これこそが奉献女のまことの召命です。「奉献女は霊的生活の意向として、十字架上のイエズス・キリストのおん悲しみを自分のものとし、奉献女の保護者、共贖者なる聖母のお姿に一致して、特別のやり方で結びつけるだろう──霊魂の贖いのため、司祭たちの聖性のため、奉献女自身の聖化のためにである」(会則)

「司祭たちのため」──聖ピオ十世会会員の、その目的は司祭職であり、それに関係するすべてのこと──これこそ、何にもまして司祭たちのため、私たちが自らを聖なるものとしなければならない理由です。

事実、一九八一年四月十日、聖母の共同受難の祝日に、ルフェーブル大司教様がエコンの奉献修道女たちに呼びかけた際、奉献女の霊性について次のように説明されました。

「ですから、親愛なるシスターたちよ、司祭たちの助け手、あなた方の両手だけでなく、あなた方の霊魂、あなた方の精神でとともに司祭たちの助け手となりなさい。つまり、司祭職の、聖主イエズス・キリストの犠牲の、聖主の十字架の、聖主の統治の、聖主の愛を広げるための助け手です──こうして、あなた方は自分たちを特別なやり方で童貞マリアに一致させるのです」

「聖母のように、聖母の天主なるおん子に近づき、聖母の苦しみを自分のものとして苦しむでしょう。こうして、あなた方にできる限りで、み摂理が必要な恩寵を与えてくださる範囲で、霊魂の贖いに非常に効果的な方法で、同じく貢献するでしょう」

「そしてあなた方はこの方法で、司祭たちの司祭職に、より深遠に結びつけられるのです。あなた方が仕えるこの司祭たち、この神学生たちがまことの司祭になるよう、まことにもう一人のキリストになれるよう、彼らが聖主イエズス・キリストのご受難に、より深く、ますます完全な方法で一致するよう乞い願いなさい」

「それから、あなた方は至聖なる童貞マリアにこのことを乞い願うでしょう。聖主イエズス・キリストの統治を広げるために、あなた方の苦しみ、あなた方の犠牲をこの意向でお捧げしなさい」

教会内と司祭職の危機を迎えているこの時に、ルフェーブル大司教様が私たちの使命に含めることを望まれたもう一つの特別な、次のような意向があります。

「かつてないほどに、あまりにも多くの聖主に対する冒瀆、耐え難い遺棄が、特に天主に奉献された者たちによって犯されています。これこそ、私たちがあなた方に、あなた方の小さな試練、犠牲、困難、聖主があなた方にお許しになるが故に経験するすべての苦痛を、至聖なる童貞マリアのおん苦しみに一致して、これらすべての冒瀆を償うためにお捧げするようにと熱烈に勧める理由です」

私たちの霊性を要約するなら、あらゆることが私たちの奉献の誓い(Act of Oblation)の中で表現されていると言えるでしょう。従って、できるだけ頻繁にこの誓いを心の中で繰り返します。こうすることで、私たちはこれまで以上に実りある力強い生命を引き出すことになります。

7. 奉献女たちが送る生活はどのようなものですか?

使徒的役割と呼べるものかも知れません。奉献修道女は、聖母と聖なる婦人たちが聖主と使徒たちの傍らで果たした目立たない役割──天主のお望みによる──を、司祭たちの傍らで続けなければならないからです。

より柔軟な仕組みによる修道生活の枠組み内で(無誓願の共同生活を送る集団の特質──質問5を参照)、司祭たちの置かれる状況がどんなものであれ、私たちは彼らに仕えるために持ち場にいます。これは最も多様性に富んだ生活様式──会則の規定にはいかなる制限もありません──での活動的生活です。

8. 奉献女の共同体に入会するためには、誰にコンタクトを取るべきですか?

奉献修道女会に入会するためには、聖ピオ十世会の総長にコンタクトを取って下さい。

ですが、最初にご自分の管区の管区長に、その手続きを認めていただくことをお勧めします。

9. 奉献女になるために必要な能力は何ですか?

入会希望者の入会が認められるためには、彼女が共同体の助けになるか負担になるかを長上が判断しなければなりません。

奉献修道女は、聖ピオ十世会の事業に献身するので──例えば、神学校、修道院、あるいは学校であれ司祭たちを助けること──こういった観点から見てみますと、次のような能力が求められます。

 ─一般的なバランスのとれた性格。
 ─最低限の正しい判断力と常識。
 ─奉献女はあらゆる種類の状況に直面しなければならないので、円熟した、困難にも関わらずやり抜く強い意志を持っていなければならない。
 ─正常で、感情面で安定していることが特に必要。奉献女は仕事のために呼ばれ、従って司祭たちと接触することになるからである。
 ─共同生活に必要な社交性。

以上述べた適性を持っていることが、必ずしも召命があるしるしではないことを言っておきます。つまり、この能力を持っているすべての人々が修道生活へとことごとく召されているわけではありません。ですが、この能力を持ちあわせていない人は間違いなく召されてはいません。

奉献女会に加わるために、すでに修道会にいる状態での教会法上の障害が、必ずしも妨げにはならないことを同じく明記しておきます。それぞれのケースは総長の判断次第です。

すべての修道会と同じく、奉献女になるためにもっとも重要なことは、天主から呼ばれていること──つまり、召命があることです。

10. 特別な勉強や心構えを作っておくことが必要ですか? 年齢の下限と上限はありますか?

奉献女になるために求められる唯一の心構えは、聖伝に基づく純粋なキリスト教的生活です。

年齢には一定の決まりはありません……。会則によれば「聖ピオ十世修道女会に入会できない一定の年齢(三十歳以上)の者」が奉献女会への入会資格があてはまります。

ですが、入会志願者が聖ピオ十世修道女会に受け入れられることを妨げる、年齢以外の他の障害がある場合、例外が設けられます。

入会志願者が共同生活に順応でき、聖ピオ十世会への奉仕が可能な限り、年齢制限はありません。

11. 健康でなければなりませんか?

個々のケースによります。従順が呼び求めるそれぞれの能力に応じて、自分自身をお捧げし、お仕えすることができるよう、健康であることは間違いなく必要です。

ですが、虚弱であることや持病があったとしても、奉献女会に入会するための妨げになるとは限りません。

12. 修練院はいつ創設されたのですか?

一九九三年まで、入会志願者たちは私たちの修道院の一つ──特にフランスのビッチェの修道院──や、聖ピオ十世修道女会の修練院で養成されていました。修道女たちは私たちの修練女たちを養成してくれましたが、それは、続々と増えていく召命のために、奉献女の主な長上たちが自分たちの修練院──教会法上の厳密なものではなく、奉献修道女のための特別な養成ができる場所──が必要だと決定するまで続きました。

この計画は、一九九三年に、聖ピオ十世会総本部が、総長フランツ・シュミットバーガー神父様のもとで創設された時にメンツィンゲンで了承を得ました。

自分たちを捧げようという入会志願者たちが絶えずいたため、全員を収容するには総本部は小さすぎました。別のすみかを必要としました。

従って、フェレー司教様は一九九九年八月に、奉献修道女の修練院をスイスのエコンから二十五キロ離れたヴァレー州の小さな村、サルヴァンに移転させました。聖ピオ十世会はすでにそこに建物を所有しており、ルフェーブル大司教様がご存命中、男の子たちのための学校を開くつもりで購入したものでした。

13. 修練院での養成期間はどのようなものですか? この期間はどのように成り立っているのですか?

会則に述べられているように、修練は二年の期間、すなわち志願期の一年と修練院での一年で成り立っています。修練院での期間は着衣式ののちに始まります。(正確にいえば)着衣式は修練院への入会のしるしです──この期間は種まきに比較されるであろう訓練の時期です。

サルヴァンでの私たちの務めは何でしょうか?

実際のところ、私たちはなんでもやってみなければなりません。ほうき、芝刈り機、ペンキのはけ、そして電気ドリルの扱い方を学ばなければなりません! 経験不足のときはどこにいても、いろいろ工夫して試してみなければなりません! ですがこれが本質的なことではありません。

沈黙と孤独のうちに瞑想にふけることで、志願者と修練者は司祭たちの助け手となるための準備をします──助け手とは、前述したように、両手だけでなく、霊魂と精神とともにということです。

彼女たちは、活動生活の慌ただしさにはまだ巻き込まれずに、将来の生活の土台を組み立て、内的生活の秘密へと入り込みます──「天主へ奉献された者の『存在理由』」と会則に述べられているようにです。天主と一致したこの生活をいっそう深遠なものにしなければならないと、彼女たちは悟ります。なぜなら、もっと後になれば[修道院外へと出て行くことで]自分たちを守るものが減るからです。各々の状態に順応することで、聖ヴィンセンシオ・ア・パウロが霊的娘たちに伝えた、次のような言葉を自分たちにあてはめます。

「……彼女たちが、修道院や共同の家(あるいは学校や小修道院)を持つことなく、禁域に住む修道女たちに比べて、世間の中へ出て、罪の機会へと身をさらす以上、彼女たちの禁域とは従順であり、格子は天主への畏れです。彼女たちは、修道院で誓願を立てたかの如くに、それと同じほどの徳を身につけていなければなりません。世間のただ中にいると気づくときはいつでも、修道院で孤独にあるまことの修道女たちのように、よりいっそう瞑想にふけり、よりいっそう貞潔な心と肉体を持ち、よりいっそう被造物に無関心になり、よりいっそう心を鍛えてふるまわなければなりません」

これが修練院での二年間の膨大な養成ブログラムです。長過ぎるということはありません!

奉献女たちはそれぞれのレベルに応じて、午前と午後の講座に従います。カトリック教義と教会史は修道院付き司祭に学びます。修練長は霊性と修道生活を教えます。

典礼についての発見は、典礼暦のリズムの中へと直接溶け込みます。エコンがすぐ近くにありますので、ミサに出席し、祝日の壮麗な儀式をよく理解できるようになります。

毎日の聖書朗読に加え、霊的読書は霊魂を養い、精神を強めます。

学んだことを吸収し、より深めることができるよう、奉献女は必要に応じて勉強時間を取ります。

この霊的な養成に加えて、修練女たちは修道院の家事の切り盛り、料理、裁縫、洗濯、そして香部屋の仕事の実践指導を受けます──つまり、修道院生活を成り立たせるすべてのことを学ぶのです。

さらにその上、毎日三十分のグレゴリオ聖歌の練習、二回のレクリエーション、美しいスイスの山々に月に一回ハイキングに行く習慣です。

さて、これで、私たちが「幼きイエズスの聖テレジア修練院」で送る生活の全体像をある程度は把握なさったことと思います。

修練院では正式にはフランス語が話されますが、あらゆる国籍の志願者の入会を認めています。最近では英語圏からの召命がさらに増えているため、フランス語と同時に英語での指導も行われています。さしあたり、み摂理がさまざまな言語の国々で修練院を開くことをお許しくださるのを私たちは待っています。

14. 奉献女は誓願を立てるのですか?

準備期間の終わりに、修練女は、公式誓願を立てるのではなく、誓約の行為によってみずからの立場を明らかにします。奉献女はこの行為で、天主なる生贄とともに自分をお捧げし、会則を忠実に守ること──特に従順、清貧、そして貞潔の特に関して会則が指示すること──を約束します。

年に一回の誓約を六年間更新したのち、奉献女は三年間の誓約の更新を求めることができます。九年後、終生の誓約を願うことができます。

誓約の更新は、九月十五日の七つのおん悲しみの聖母の祝日に行われます。

教会法上、聖ピオ十世会は(清貧、貞潔、従順という3つのの公式誓願を立てる)修道会ではないにせよ、奉献女は修道者的徳を実践するよう努力し、霊的指導者の同意を得て、私的誓願を立てることができます。(会則)

15. 奉献女が自分を奉献する使徒職はどのようなものですか?
会則は、各々の才能に応じて聖ピオ十世会の事業に献身するという目的以外のことを規定していませんので、奉献女の使徒職は事業の内容に沿ってさまざまです。

修練の終わりに、新奉献女は修道院、学校、あるいは神学校に派遣されます。

現在では、奉献女たちのたいへんさまざまな、たいへん慎ましい、時には人目につくことのないこういった生活の枠組みの中で、奉献女はその才能に応じてさまざまな種類に富んだ仕事に就くことができます。家事、裁縫、事務仕事、秘書業務、公教要理、幼稚園あるいは小学校で教えること、病人の看護などです。

修道院での使徒職のさまざまな分野ではあるゆることが可能ですし、総長は天主のより大いなる栄光のために、各奉献女が個人の能力を最も適切に伸ばせる場所を見つけてくださいます。

どこに派遣されようと、奉献修道女はみずからを「仕えるため」に与えたのだということを忘れてはなりません。

16. 奉献女の一日のスケジュールを教えて下さい。

6:00 a.m.  起床
6:30 a.m. 念禱に続いて共同の祈り(一時課あるいは讃課)
7:15 a.m. ミサ聖祭
8:00 a.m. 朝食、自由時間、部屋の掃除
9:00 a.m. 仕事
12:00 p.m. 仕事終了
12:15 p.m. 六時課
12:30 p.m. 昼食、レクリエーション、自由時間、霊的読書
3:00 p.m. 仕事
4:15 p.m. 休憩時間
4:30 p.m. 仕事
6:00 p.m. 自由時間
6:15 p.m. ロザリオまたはベネディクション
7:30 p.m. 夕食、レクリエーション
8:45 p.m. 終課、大沈黙


修練院で過ごす間は、修練の必要性に合わせてスケジュールを一部変更しなければなりません。

17. 奉献女の修道服は何を示しているのですか?

すべての修道服と同じように、奉献女の修道服は世間との分離、そして私たちが完全に天主のものであるという事実を示しています。

聖ピオ十世修道女会との区別をつけるために、ルフェーブル大司教様は、聖ピオ十世修道女会のヴェールは先がとがった形に、私たちのヴェールは弧を描く形に、そして聖ピオ十世修道女会のスカプラリオの襟元を四角い形に、私たちの襟元は丸い形にすると決定しました。

[聖ピオ十世修道女会のシスターたちが身につける]聖ピオ十世のメダイの代わりに、私たちは聖ベネディクトの十字架をいただき、身につけます。こうすることで、私たちは共贖者なる聖母と一致して、それぞれの奉献を生きるようにとの絶えざる招きを受けるのではないでしょうか? 私たちはオブラータ、捧げられた者です……。


***

※訳者より──本記事の翻訳にあたり、以下の書籍を参考にさせていただきました。
 ・サクラ・ヴィルジニタス 聖なる童貞性について(中央出版社/ピオ十二世回勅・今道瑤子訳)
 ・在俗修道会(ドン・ボスコ社/野原清)
 ・神の国の証人たち 修道生活の入門(中央出版社/P・カルパンティエ・山下房三郎訳)
 ・聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ(中央出版社/岳野慶作)
 ・お告げのマリア 長崎・女部屋の修道女たち(聖母文庫/小坂井澄)


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私たちはカトリックのローマに、聖伝の保護者である永遠のローマによりすがる
ルフェーブル大司教様のローマにおける1974年11月21日の宣言
ルフェーブル大司教様のエコン神学校での聖母の汚れ無き御心の祝日の説教 1976年8月22日





この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。


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毎年恒例の聖ピオ十世会公式秋田巡礼にご参加希望の方々は、聖ピオ十世会日本 秋田巡礼 SSPXJAPAN PILGRIMAGE TO AKITAなどを通してお申し込みください。

先日、シュテーリン神父様から日本語の良い公教要理のウェブ・サイトのリンク先を尋ねられましたので、次をご紹介しました。愛する兄弟姉妹の皆様にもご紹介します。


公教要理図解(ワグネル訳)
カトリック中央協議会編集の公教要理(1958年)
聖ピオ十世 公教要理詳解
ローマ公教要理 【使徒信経の部】



聖ピオ十世会の召命に関する情報

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 私たちの主イエズス・キリストの御降誕が近づいてきました。いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
 聖ピオ十世会の召命に関する情報をご紹介します。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

原文はこちら

SSPX vocational information
聖ピオ十世会の召命に関する情報


聖ピオ十世会を構成している修道者共同体をここに簡単に紹介します。アメリカで召命についてのコンタクトを取りたい方は、こちらをどうぞ。(日本の方は、どうぞ担当司祭である小野田神父にご連絡ください。)


聖ピオ十世会の創立者

 一九〇五年十一月二十九日、マルセル・ルフェーブル大司教様は、フランスはリール教区のトゥルクワンで生まれました。





 一九二九年九月二十一日司祭に叙階され、フランスでの教区で一年過ごしたのち、宣教師となっていた兄の熱烈な誘いにより、一九三一年に聖霊修道会の修練院に入会しました。

 一九三二年にガボンに派遣され、ダカールの司教代理に任命され、一九四七年九月十八日、司教に聖別されました。その後、一九五五年九月十五日、ダカールの大司教に着座しました。

 一九四八年から一九五九年までフランス語圏アフリカ諸国の教皇使節を務め、それから一九六二年にチュールの司教に指名されました。その同じ年に修道会の同僚司祭たちから聖霊修道会総長として選ばれ、公会議の教会によって始められたアジョルナメント(現代化)のために、総長職から退きました。

 ルフェーブル大司教様は聖ピオ十世会を創立し、一九七一年から一九八三年まで総長としての管理責任を引き受け、一九九一年三月二十五日、王たる司祭、イエズス・キリストの司祭職を受け取った記念の日、聖週間の月曜日に帰天するまで、賢明な助言で聖ピオ十世会を支え続けました。

聖ピオ十世会

 聖ピオ十世会は、第二バチカン公会議の後、教会の聖伝にのっとったまことの司祭になることを熱烈に望んでいた神学生たちの要請により誕生しました。その後、教区の教会の環境に従うなら、正真正銘の司祭であり続けることは不可能だという視点から、司祭兄弟会の構想は、在俗司祭とまったく同じ職務を全うしながら、司教たち(例えば教区に任命される修道会の司教)によって受け入れられ、司祭職を守るための最も適した解決法だと見なされるようになりました。

 一九七〇年十一月一日、聖ピオ十世会はスイス、フリブールのシャリエール司教によって正式に承認されました。その設立は聖職者聖省長官ライト枢機卿によって、翌年二月に好意的に認可されました。

 エコン神学校で成し遂げられた聖伝に基づく司祭職養成が知られるようになり、フランスの司教たちは、聖伝式に養成された若い司祭たちの到着をうとましく不愉快に思うようになりました。そこからローマに圧力がかかり、神学校の非合法な禁止処分(一九七五)と、聖ピオ十世会創立者に対するまったく合法的でない制裁措置(一九七六)を招く結果となりました。

 聖ピオ十世会は急成長を遂げ、現在(二〇〇〇年八月)では六五〇名以上の会員を含んでいます。そのうち四〇一名が司祭、一七〇名が神学生です。司祭たちは五大陸の三十ヶ国にある六つの神学校、約一二五の共同体と教会に散らばっています。

 メンツィンゲン総本部と総長の住居は同じであり、一九九四年以降、総長はベルナール・フェレー司教様であり(現在、二期目の総長職を務めています)、聖ピオ十世会の他の司祭たちが総長を支えています。聖ピオ十世会は、聖スルピス会やWhite Fathersなどのように、無誓願の共同生活を送る会です(つまり修道者の誓願を立てないということです。聖ピオ十世司祭兄弟会は在俗修道会であり、正式な禁域生活を送る修道会ではないからです)。

聖ピオ十世会の会員たち

 聖ピオ十世会会員は主に司祭たちで構成されていますが、修道士、修道女、奉献修道女、そして第三会会員として所属している会員たちがいます。

聖ピオ十世会の司祭職

 神学生たちと司祭たちは、一年間の霊的生活ののち、毎年十二月八日に公に誓約の宣言をし、十年間それを繰り返した会員たちは、終生誓約を求めることができます。

聖ピオ十世会の修道士

 聖ピオ十世会の修道士たちは、一年間の志願期と一年間の修練期ののち、司祭たちの使徒職への障害を取り除くために、さまざまな職務、つまり、公教要理のような使徒的事業や物質面の業務で司祭たちを助けます。彼らは修道誓願を立て、聖務日課を唱え、その他霊的義務を負っています。現在(二〇一〇年一月)、聖ピオ十世会には誓願を立てた修道士たちが一〇四名います。

聖ピオ十世会の修道女

 聖ピオ十世司祭兄弟会は、修道女たちの会とも協力しています。すなわち、ルフェーブル大司教様が、大司教様の妹、マリー・ガブリエル修母の協力のもと創立された聖ピオ十世修道女会です。修道女会は教会法上の自治権を有しており、修道女の総長(Mother Superior)をいただいていますが、聖ピオ十世会と親しく一致して働いています。

 六ヶ月の志願期と、二年間の修練期のち、さまざまな種類の仕事で司祭たちを支援します。小学校、公教要理、病者の訪問、香部屋の仕事、共同体の特に洗濯に関する家事業務、必要な場合は料理もします。修道女たちも司祭たち、修道士たちと聖務日課を唱え、毎日一時間の聖体礼拝の時間を持ちます。現在(二〇〇九年七月)では一五〇人の立誓願修道女たちが、本部修道院、四つの修練院、七つの学校、八つの修道院、神学校、黙想の家、老人ホーム、宣教地の十九の共同体に散らばっています。

聖ピオ十世会のイエズスとマリアの宣教修道女

 聖ピオ十世会は、最近になって、世界中の宣教地で聖ピオ十世会の使徒職を支援する宣教女たちの修道会を設立させました。このイエズスとマリアの宣教修道女会の外的な事業は、子どもたちと女性たちに公教要理を教え、学校では事務と経理の仕事を果たし、看護師や看護助手として医療支援を提供し、裁縫、家事、農業など、使徒職が要求することならなんでもするよう指示されています。

 十六歳から三十五歳までの女性たちに対して志願者の道が開かれており、志願期は一年間、続いて二年間の修練期、その後修道誓願を立てます。詳しくはこちらのページを読むか、問い合わせるかして下さい。

聖ピオ十世会の奉献修道女

 聖ピオ十世会は、第二バチカン公会議ののち、奉献生活を続けるための場所を改革されてしまったがために、それぞれの修道会を離れることを余儀なくされた修道女たちの求めに手を差し伸べることに賢明な理解を示しました。聖ピオ十世会はまた、修道生活に入る熱烈な望みを持ちながらも、一定の年齢を超えてしまったことや、未亡人であることが原因で修道会に受け入れられない女性たちのためにも居場所を差し出そうという望みを持っていました。この目的のために、聖ピオ十世会には、本会の司祭たちの権威のもと、本会の霊的環境で生活する奉献修道女たちも存在します。

 聖ピオ十世会の奉献修道女たちは、修道院、神学校、黙想の家や学校の司祭たちを、さまざまな仕事──家事、香部屋の管理、公教要理を教えること、事務や会計仕事から、料理──通して司祭たちを助けます。現在(二〇一〇一月)、世界中の聖ピオ十世会のさまざまな共同体には七十四名の奉献修道女たちがいます。

 修道女としての生活を送ったことがない場合、志願期の一年間と、それに続いて修練院で一年間を過ごします。共同体で一年間過ごしたのち、修練女たちは奉献女として入会を認められます。

聖ピオ十世会の第三会

 最後に、世間にとどまりつつ、聖ピオ十世会の霊的生活を共有したいと熱望する人々のために「第三会」が設立されました。聖ピオ十世会との彼らのつながりを通して、第三会会員たちは霊的恩恵のうちに分かち合い、彼らの祈りを通して会員たちを助け、その一方で自分自身の聖性を高めていこうと努力しています。

聖ピオ十世会の霊性

 聖ピオ十世会が打ち込んでいる霊性は、次のようにまとめあげることができます。「聖主イエズス・キリストによって打ち立てられたままの聖なる司祭職と司祭の使徒職を、教会の二千年の聖伝にのっとって続けること」です。ですが、この設立とこの聖伝は、司祭たちの存在理由は聖主の贖いの犠牲を永続させること、全世界の国々にその実りを施すことである、と教えています。聖主の刺し貫かれた聖心から教会と聖なる七つの秘跡が生まれ出で、これらを通して、ご自身の天主的生命を霊魂たちに伝え、その罪を洗います。こうしてミサの犠牲は教会の生命の不滅の源、信仰の偉大な神秘、啓示された全真理の統合体、あらゆる聖寵であると理解されています。生贄と秘跡、聖なるミサは主イエズス・キリストのまことの現存を私たちに間にもたらし、超自然の栄養を伝えるのです。

 この司祭の気高い役割こそ、聖ピオ十世会が永続させようと努力し続けてきたものであり、この役割はまた、私たちの霊魂、私たちの家庭、私たちの社会における聖主の統治の源泉であるとも意識しています。この「キリストにおいてすべてを復興させる」というモットーに対してこそ、聖ピオ十世会は、神学校、大学、教員たち、高校や中学校を通して、教会や黙想会、特に聖イグナチオの霊操が開かれる共同体を通して、使徒的宣教のまことの中心なる修道院を通して、そのすべての熱意を傾けています。この熱意を養うために、聖ピオ十世会は聖主イエズス・キリストの偉大な神秘(特に至聖なる聖心)である教会の典礼を、幸いなる童貞マリア(具体的には共贖者なる聖母)を、聖ヨゼフ(霊的、物質的事業での私たちの賢明な導き手)を、聖なる天使たち(あらゆる悪魔的影響に立ち向かう私たちの保護者)を、そして言うまでもなく、聖ピオ十世(私たちを信仰と聖性のうちに保ち、現代世界の誤謬と悪徳に反対させ続ける)を慕っています。


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先日、シュテーリン神父様から日本語の良い公教要理のウェブ・サイトのリンク先を尋ねられましたので、次をご紹介しました。愛する兄弟姉妹の皆様にもご紹介します。


公教要理図解(ワグネル訳)
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「私はあなたの母です」──グァダルーペの聖母

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 12月12日は、グァダルーペの聖母の祝日でした。このグァダルーペの聖母に関する記事、『「私はあなたの母です」──グァダルーペの聖母』をご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

原文はこちら
I am your mother": Our Lady of Guadalupe
「私はあなたの母です」──グァダルーペの聖母


 細やかな心配りの善き母親として、幸いなる童貞マリアはその子らを守ってくださる。

 グァダルーペの聖母の祝日は、アメリカ合衆国では十二月十二日に祝われている。一五三一年十二月のファン・ディエゴへの聖母のご出現と、それに続いて起こったファン・ディエゴのティルマ(植物繊維で織られた荒布のマント)にくっきりと印された聖母の絵の奇跡を三級祝日として記念している。



 この奇跡の絵はアステカ族の象徴的な──あるいは記号的な──言語として、アステカ族の多くの階級に向けて語りかけた。だが、まず第一にこの絵が教えていることは、テペヤックの丘のおとめは何者であるかということ、「太陽をまとい、月を足の下に置き、頭には十二の星の冠をいただく」ことで示された、おとめのおん力である。この重大な象徴化は、ファン・ディエゴにナワトル語で与えられた名前──「Coatlaxopeuh コアトラショペ」──スペイン語で「グァダルーペ」と翻訳された──「蛇を踏み砕く者」という意味──で念入りに確認された。ここでは単に悪魔についてだけでなく、具体的にアステカの多神教について触れている。




 この目を見張る奇跡がもたらしたものは、数百名のメキシコの原住民たちによる、唯一のまことのカトリック信仰への回心という奇跡的出来事そのもの以外にはあり得ない。それまで、この地のさまざまな階級の人々は、 異教の中でも最も残虐な形をとったことで知られるアステカの宗教のもたらす災難(例えば一日に一万人以上の人身御供を新たな神殿に捧げる)に苦しんでいた。



 ティルマに描かれた肖像について述べるなら、聖母は慰めるような物腰と姿勢で、平和と静穏を内側から放ち、しかしながら穏やかな力強さでアステカの凶暴な血に飢えた神々を圧倒している。この異教の最も強力な二つの神々──太陽の神を遮り、月の神を足の下に置くことで鮮やかに立証してみせたのだ。



 アメリカ全土の霊魂たち(北、中央、南のどの領土に住んでいようともである──従って 『南北アメリカ大陸の元后(Empress of the Americas)』なる聖母の称号は妥当である)へのグァダルーペの聖母の面影に表された行き届いた心遣いは、聖母がファン・ディエゴに言われた「私に信頼なさい。私はあなたの母なのですから」という慰めとなる言葉に端的に表されていることを思う時、よりいっそう深く理解されることだろう。



「私はあなたの母です」

 次に述べるグァダルーペの聖母の言葉は、アントニオ・ヴァレリアノによってナワトル語で書かれた、このご出現と奇跡の数々についての十六世紀の歴史的記事、Nican Mopohua(報告書)からの引用である。これらの聖母のお言葉は、数日間に渡ってファン・ディエゴに語られた。読者の方々が、聖なるおん母の細やかな心配りの、慰めとなるメッセージに集中できるよう、歴史的背景は省略してある。




最初の御出現──十二月九日

「フアニート、愛するファン・ディエゴよ」

「フアニート、私の愛する子よ、どこに行くのですか?」

「次のことをよく知りなさい、そして理解なさい、私のいとも慎ましい子よ。私は終生童貞なる聖マリア、私たちの命の源、万物の創造主、天と地の主なるお方であるまことの天主の母です。私はここに一つのお聖堂を、急いで建ててくれることを希望します。私はそのお聖堂で私のすべての愛、慈悲の心、助けの手、守りを示し、与えましょう。なぜなら私はあなたのあわれみ深い母、あなたにとって、この地とこの地以外に住むすべての人々にとって、私を愛し、私に祈り、私に信頼するすべての人々にとってのあわれみ深い母だからです。私はそこで彼らの嘆きに耳を傾け、彼らのあらゆる惨めさ、苦痛、そして悲しみを癒します。そして、私の憐れみが求めることを成し遂げます。メキシコの司教の館へ行きなさい。そして、この平野に、私のために一つのお聖堂を立てて欲しいという大いなる望みを私が明らかにしていると、司教に告げなさい。あなたが見て、称賛したすべてのこと、あなたが聞いたことを正確に説明するのです。私があなたに大変感謝し、報いを与えることを確信しなさい。なぜなら私はあなたを幸福にし、私が託したものをあなたが勝ち取るための、あなたの努力と骨折りに対してふさわしい報いを与えます。さあ、あなたは私の命令を聞きましたね。私の慎ましい子よ、行って、あらゆる努力をするのです」




第二のご出現──十二月九日

「お聞きなさい、私の小さな子よ、あなたは次のことを理解しなければなりません。私には多くのしもべたちと使者たちがいます。私は彼らに私のメッセージを届け、私の願いを運ぶことを託さなければなりません。でも、そのためには、あなた自身が嘆願し、支援し、私の願いに応じるようにというあなたの仲立ちを通してこそ、正確に一つ一つが成し遂げられるのです。私の最も小さな子よ、真摯にあなたにお願いします。そして断固として命令します。明日、もう一度司教に会いに行きなさい。私の名によって行き、そして私が司教に要求している、一つのお聖堂の建設を始めなければならないという私の望みをそっくりそのまま知らせるのです。私、終生童貞なる聖マリア、天主の母が、じかにあなたを遣わすのだと、もう一度司教に伝えるのです」



第四のご出現──十二月十二日

「私の言うことを聞きなさい。そしてよく理解しなさい、私の小さな子よ。あなたを恐れさせ、悲嘆に暮れさせるものは何もありません。あなたの心を乱れさせないように。あの病や、その他のどんな病も苦痛も恐れてはなりません。あなたの母である私がここにいるではありませんか? あなたは私の保護のもとにいるのではありませんか? 私こそがあなたの健康の源ではありませんか? 私のマントのひだの内に幸せにもくるまれているではありませんか? 他に何を望むのですか? どんなことにも悲しまず、心を乱されてもなりません。あなたの伯父の病のことで苦しんではなりません。彼は今、そのために死ぬことはありません。今や彼は治ったのだと確信しなさい」

「私の大切な子よ、丘の頂上に登りなさい。あなたが私を見て、私があなたに命令を与えた場所です。そこでさまざまな花が咲いているのを見つけるでしょう。それらを摘んで集めてまとめなさい。そして私の前に持って来なさい」

「私の大切な小さな子よ、この色とりどりのばらの花は、司教のもとへと持っていく証拠でありしるしです。私の名のもとに司教に伝えなさい。司教はこの花によって私の望みを理解し、私の望みに応じなければならないでしょうと。あなたは私の大使です。あらゆる信頼にもっともふさわしい者です。あなたに厳正に命じます。司教の前でだけあなたのマントを広げ、あなたが運んでいるものをお見せなさい。あなたはすべてのことを上手に説明するでしょう。私があなたに丘の頂上に登って花を切り取るよう命じたこと、あなたが見て賛美したすべてのことを告げなさい。そうすれば、私が要求したお聖堂を立ててくれるようにとの目的とともに、司教の支援を得られるよう説得できるはずです」




 グァダルーペの聖母の奇跡の歴史的背景についてもっと知るためには、『ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)の征服記』というベルナル・ディアス(Bernal Diaz)による同時代の報告書を読むことをお勧めする。また『Black Robes in Paraguay(バラグワイの黒衣の宣教師たち)』では、イエズス会宣教師たちについて読める。この本は、宣教が大成功をおさめたため、政治的な危機を招き、その結果イエズス会が弾圧されたことを描いている。




 最後になるが、中央アメリカのエクアドルにある、あまり知られていないキトの聖母の奇跡の絵とメッセージについて、読者の方々は耳にしたことがあるだろうか? キトの聖母が「善き司祭たちを養成することで司祭職を擁護し──この(二十世紀)背教と不敬虔の波に断固として反対する一人の高位聖職者」について語っていた時、聖母はルフェーブル大司教と聖ピオ十世会のことに言及していたのだろうか? ルフェーブル大司教が一九八八年の司教聖別の説教で、次のように述べていたように。

「この預言が私について語っているとは言いますまい。皆さん一人一人が、ご自分で結論を引き出すことでしょう。この文章を読んだ時、私は呆然となりましたが、これらを否定することはできません。これらの言葉は、このご出現の保管庫に記録され、保管されているからです」



「蛇の頭を踏み砕く女」である聖母は、あらゆる異端と誤謬の破壊者でもある。この母としての守りという真理に励まされ、私たちは信頼をもってこの言葉とともに聖母に近づこう──グァダルーペの聖母よ、我らのために祈り給え!




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ブラントミュラー枢機卿と、聖ピオ十世会ドイツ・ツァイツコーフェンの神学校で討論会

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愛する兄弟姉妹の皆様、

 ネリー神父様がお話しして下さったとおり、12月5日には、聖ピオ十世会のドイツのツァイツコーフェンの神学校に、ブラントミュラー枢機卿様が訪問されて、公会議の権威についての、討論がありました。

 フェレー司教様とドイツ語を話す神父様達と、ブランミュラー枢機卿様とが、第二バチカン公会議についてインフォーマルな討論をしました。

 詳しくは、DICIの次の記事をどうぞ。

 天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

On December 5, 2014, Cardinal Walter Brandmüller, president emeritus of the Pontifical Committee for Historical Sciences, met with Bishop Bernard Fellay, superior general of the Priestly Society of St. Pius X, accompanied by several priests. The meeting was held at the Herz Jesu Seminary of Zaitzkofen, in Bavaria.

This meeting was a follow up of the September 23, 2014 meeting in Rome, during which all had agreed to pursue the doctrinal discussions “in a larger and less formal context than that of the preceding meetings.” (see DICI no.302 Oct. 10, 2014). The theme was the Council and its magisterial authority.

The goal of these meetings is to make the Church’s authorities more aware of the Society and the works of Tradition, and at the same time to expose to them the serious objections and points of divergence that remain concerning Vatican Council II and its reforms. In this perspective, two more meetings are scheduled in the coming months, one at the Saint-Curé-d’Ars Seminary in Flavigny (France), and the other at St. Thomas Aquinas Seminary in Winona (USA).


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聖ピオ十世会ケニアにおける、イエズスとマリアの宣教修道女たちの着衣式と誓願式

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愛する兄弟姉妹の皆様、

 「ケニアの宣教修道女たちの着衣式と誓願式」についての記事をご紹介します。

原文はこちら

Taking of the habit and religious profession for the Missionary Sisters in Kenya
ケニアの宣教修道女たちの着衣式と誓願式


二〇一四年十二月五日

「御身の浄配になるとは、おお、イエズスよ、御身との契りによりて霊魂らの母になること」(幼きイエズスの聖テレジア)




 十一月二十一日──それは聖マリアの神殿奉献の祝日です。

 すでにして清らかなマリアを、神殿へ奉献するために導く聖ヨアキムと聖アンナのことを思い巡らすのは一つの喜びです。幼きマリアの心のうちには、天主よりの贈り物がすべてそろっていました。そしてこの最初の公の奉献は、いささかのひるみもなく、お告げの際のフィアットと十字架のみ足元へと続く、最初の一歩となったのです。
 私たちの創立者であるフェレー司教様は、この美しい祝日を私たちの儀式の日として選んで下さいました。こうして、昨日、二人の姉妹の着衣式と、一人の姉妹の初誓願に立ち会う喜びを得ました。ニクラス・フルーガー神父様がこの儀式を司式してくださり、私たちの毎年の黙想のために説教をしてくださるドミニク・ブルモー(Dominique Bourmaud)神父様、そして修道院付き司祭であるライナー・ベッヒャー(Rainer Becher)神父様が、同席してくださいました。

 二人のナイジェリア人志願者たちは、世間との分離を表す修道服、そして新しい人間になるために自分自身との分離を表す修道名を受け取りました。これこそまことに人生の新たなスタートであり、これに続く禁域である修練院での二年間は、天主なる子羊との永遠の契りのために私たちの霊魂を準備するためです。




 スイス人の修練女は初誓願を立てました。これは単純で、偉大な瞬間です。聖櫃は、一つの新たな霊魂を彼へと引き寄せるため、十字架上のイエズスの聖心のように開かれており、修練女は三年間の清貧、貞潔、従順の誓願を立てます。彼女はこの契りを封印する指輪を受け取ります。

 私たちの住む地域での天気はというと──儀式に先立って行われた黙想会の週は、雨季の始まりでした。儀式はどしゃぶりの中で行われるのではないかと心配していました。しかし、太陽の光が空を、そして私たちの心を照らし出してくれました。

 私たちは、奉献修道女たちに感謝します。とりわけ、修練院での毎日の修道生活のために、私たちを養成してくださっている院長様に感謝します。私たちの恩人の皆さまに、私たちのために祈ってくださっている方々に感謝します。み摂理のうちに私たちの小さな修道院を見守り、アフリカでの道のりをご自分へと導いてくださる天主様に感謝致します。

 マリア様の両親が神殿でマリア様をお捧げになったこの日、マリア様を満たされた自己奉献という同じ精神を、私たちの心のために童貞なるマリア様が勝ち得てくださいますように。デオ・グラツィアス!

 イエズスとマリアの一宣教修道女より
(source: sspx – DICI no.306 dated Dec. 5, 2014)


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聖ピオ十世会日本のためのカンパのお願い

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愛する兄弟姉妹の皆様、
聖ピオ十世会が、日本で教会を持つことが出来るように、お祈りをお願いいたします。

皆様からのカンパやご援助はたとえ少額であっても大変貴重です。もしも出来ましたら、下記口座までお願いいたします。心から感謝します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会日本の教会建設のためのカンパの送り先

【東京】
*ゆうちょ口座 (ゆうちょ間の振り込み)
口座記号:14030
口座番号:36673311
口座名義:セイピオジッセイカイトウキョウキョウカイケンセツキキンシエンカイ

*ゆうちょ銀行以外からの振込(他行よりの振り込み)
銀行名:ゆうちょ銀行
店名:四○八 店(ヨンゼロハチ店)
店番 408
口座番号 3667331
名前(口座名義)「聖ピオ十世会東京 教会建設基金支援会」
セイピオジッセイカイトウキョウキョウカイケンセツキキンシエンカイ

【大阪】
*ゆうちょ口座 (ゆうちょ間の振り込み)
口座記号:14090
口座番号:43009071
口座名義:セイピオジッセイカイオオサカキョウカイケンセツキキンシエンカイ

*ゆうちょ銀行以外からの振込(他行よりの振り込み)
店名 四○八(ヨンゼロハチ)
店番 408
口座番号 4300907
名前(口座名義)「聖ピオ十世会大阪 教会建設基金支援会」
セイピオジッセイカイオオサカキョウカイケンセツキキンシエンカイ

聖ピオ十世会の修道女たち──ルフェーブル大司教の霊的娘たち

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Alma Redemptoris Mater, peccatorum miserere!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会の修道女会について更に「聖ピオ十世会の修道女たち──ルフェーブル大司教の霊的娘たち」という記事をご紹介します。

 私たちの主イエズス・キリストの良き御降誕をお迎え下さい。12月25日には、大阪で聖伝のミサがあります。

 天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

SSPX Sisters: Daughters of Archbishop Lefebvre
聖ピオ十世会の修道女たち──ルフェーブル大司教の霊的娘たち



二〇一一年五月十九日

 ご復活から八日目の日曜日(またの名を白衣の主日)の五月一日、聖ピオ十世修道女会は新修練女たちと彼女たちの誓願、そして誓願の更新のための毎年恒例の祭式を催しました。ミシガン州ブラワーヴィル(Browerville)にあるイエズスの聖心修練院での、このすばらしいイベントに先立って、アメリカ管区長ロスタン(Arnaud Rostand)神父様主宰の黙想会がありました。管区長様はそれに続く誓願式と祭式──特集記事として何枚か写真を載せておきます──をも司式してくださいました。



 同様の祭式が、フランス、リュフェック(Rufflec(Charente))にある修道女たちのサン・ミシェル・アン・ブレン(St. Michel-en-Brenne)本部修道院付属の、先日修復された中世風の美しい教会で、アルフォンソ・デ・ガラレタ司教様司式による壮麗な司教荘厳ミサとともに催されました。

 今年はまた、カンザス州セントメリーにあるセントメリー・カレッジとアカデミーに聖ピオ十世修道女会が到着して三十周年を記念しています。修道女たちはここで最も密接に関係した使徒職を実践しています。さらにその後、五十周年のお祝いを迎えることになるはずですが、さしあたって、世界中にさまざまな修道会の姿が広がっているのと同じように、聖ピオ十世修道女会の歴史、目的、生活を簡単にご紹介します。


"Tradidi quod et accepi──私は受け取ったものを伝えた"

 聖パウロのこの言葉を繰り返しながら、ルフェーブル大司教様はローマ・カトリック教会への忠誠を宣言することを望まれました。大司教様は、ミサと聖伝のためのご自分の戦いは、ご自分一人だけの十字軍でもなく、ご自分だけが説いてきた教義でもないということを明確にしていました。それどころか、天主の権利、霊魂、真理──信仰──こそが大司教様の関心でした。大司教様が伝えたものを受け取りながら、私たちは教会が守護者となっている光り輝く宝石のような教義の豊かさと聖性とに、本当に驚嘆しています。天主の用意された道に完全に歩みを合わせた一人の人物は、修道生活というとうとい宝をもその中に含ませていました。聖ピオ十世修道女会です。この会はルフェーブル大司教様によって創立された唯一の修道会ではありませんが、本会の呼称が暗示するように、司祭兄弟会の「姉妹会」を暗示しており、霊性と目的において対を成しています。

始まり

 一九七〇年、シャリエール司教は正式に聖ピオ十世司祭兄弟会の会則を承認しました。そこにルフェーブル大司教様が未来の修道女会について述べているのを読むことができます。しかしながら、この願望は三年近くの間、書面上にあるままでした。何が欠けていたのでしょうか? 修道女たちです! ですが、何事にもしかるべき時というものがあるのです!

 この三年の間、司祭たちと秘跡を求める声が世界中から上がっていました。結果として大司教様は息つく暇もないほど世界中を駆け巡ることとなりました。一九七三年二月、大司教様はオーストラリアのメルボルンに到着されました。そこで、修道生活で天主に身を捧げたいと熱望している十九歳の女性に出会います。入会志望者のジャニン・ワードは母国に入りたい会を見つけられず、あることを耳にしました──噂にすぎないとしても本当のことです!──訪問中のフランス人司教が修道会を創立するというのです。そこで彼女はとても単純に、志願者として受け入れてくれるよう懇願しました。大司教様はというと、この女性が自分に修道会の創立に着手するよう懇願しているのだと考えました。この二人の間に考えのずれがあったため、未来の志願者は旅行を計画しました。

 未来の修道女会の創立者と、その最初の霊的娘は何語で会話をしたのでしょうか? 英語でしょうか? フランス語でしょうか? 大司教様は彼女のアクセントを理解するのが困難で、彼女はひとこともフランス語を話せませんでした! 一九七三年九月になると、ジャニン・ワードは祖国を離れエコンへと出発しました。彼女が志願者にすぎないことを考えると驚くべきことです。他の修道女たちも、修道会もなかったのですから! しかしながら、あらゆる物事の監督者であるみ摂理は新しい志願者を見捨てませんでした。とはいえ、修道生活での養成ができるようになる前に、言葉の壁を壊さなければなりませんでした。大司教様はブルターニュのドミニコ会の共同体を見つけました。そこでは志願者と、すぐに続いてやってきた他の人々を温かく受け入れてくれました。その後、未来の修道女たちの修道者としての養成は自分には不可能だと確信していたため、大司教様は、宣教女であるご自分の妹、マリー・ガブリエル修母に援助を乞い求めました。



 マリー・ガブリエル修母は、四十年以上、聖霊修道女会で宣教事業に献身していました。霊魂たちのためにほがらかな熱心さに満たされて、彼女はアフリカ大陸で多くの時を過ごしました。

 一九七四年、マリー・ガブリエル修母はヨーロッパで病気療養中でした。愛するアフリカへ戻ることを待つ一方で、天主のみ摂理が別の方向を彼女に指し示しているのを見て取りました。そのしるし──教会内の危機、信仰の喪失が続き、彼女の修道会での修道者の精神が失われていること、衰えた健康、修道生活を伝えていくための助けの手を乞う彼女の兄のねばり強い要請──は徐々にはっきりしていきました。修道会への強い愛情にも関わらず、マリー・ガブリエル修母は大きな一歩を踏み出す決心をしました。聖ピオ十世修道女会の萌芽は彼女の母としての心へと取り入れられたのでした。

 最初の修練院はローマ近郊のアルバノに据えられました。そこでマリー・ガブリエル修母の指導のもと、ジャニンの志願期は、彼女の着衣式──一九七四年九月二十二日──まで続きました。これは新修道会のまことの誕生の日でした。二年後、一九七六年九月二十九日、初誓願が立てられました。儀式の間、お聖堂で十二名の修練女と八名の志願者たちの姿を数えるのはなんという喜びであったことか。マリー・ガブリエル修母は喜んで彼女の妹に手紙を書きました。「私はこの新しい修道会にますます愛着を感じるようになっていると認めます。み摂理がどれほど注意深く私どもを見守っていてくださるか、とてもよくわかるのですから」

 事実、天主はこの修道者共同体を祝福し続けてくださっています。一九七四年に創立されてから、二〇一〇年五月現在では、百五十名の立誓願修道女たちを数えるまでになりました。十ヶ国にある二十四の共同体には、四つの修練院(フランス、アルゼンチン、アメリカ、ドイツ)があります。本部修道院はフランスのSt. Michel-en-Brenneにあります。

共贖者なる聖母の修道女たち

 聖ピオ十世のご保護のもとに修道女たちを置き、信仰を何も分かつことなく保てますようにと聖人の守りを呼び求め、大司教様は、もう一つの美しい呼び名を彼女たちに与えました。すなわち「共贖者なる聖母の修道女たち」です。聖母こそ、大司教様が修道女たちの内的生活の模範、そして理想として提示した霊魂です。

 大司教様は会憲において「聖ピオ十世修道女会の霊性は、ミサの聖なる犠牲への献身を、まったき中心に置くことである」と説明されています。

 これこそ、聖ピオ十世会と「共贖者なる聖母の修道女たち」の創立の背後にあった意向です。カルワリオでのように、ミサ聖祭を捧げる祭壇には一人の司祭がいなければならず、この司祭の傍らには、ミサの聖なる犠牲にまったくその身を捧げた、共贖者の役割にまったくその身を捧げた、聖別された童貞女たちもいなければなりません。彼女たちはまた、そこで、祭壇の足元で、十字架の足元で、「共贖者なる聖母に従い、そのお姿のうちに」みずからをお捧げします。事実、ルフェーブル大司教様によってしるされた聖ピオ十世修道女会の深遠かつ際立った目的は、この共贖者としての生活、そして償いを愛することです。

 この目的は、みずからの聖化のため、使徒職の実りのために自分たちを捧げながら、聖ピオ十世会の司祭たちを霊的に支援する者になって欲しいとの、ルフェーブル大司教様の熱烈な望みに親密に結びついています。カルワリオにおいてすら、聖主はおひとりでご自分の犠牲を捧げようとは望まれず、聖母との一致と奉献を通して、聖母が世界を共に贖う者になって欲しいと強く望まれました。同じように、修道女たちは観想と犠牲によって、聖ピオ十世会の司祭たちのたゆまぬ活動と熱心な使徒職を支援するのです。

使徒職の霊魂

 聖ピオ十世修道女会は「半観想の」修道会です。つまり活動と観想の両方の一体化した「混合生活」を守っています。聖主ご自身、説教をなさり奇跡を起こし、その後、祈りに多くの時間を割ける孤独な場所へと退かれた、混合生活を送られました。修道会は使徒職の活動的事業を引き受ける一方で、その原則となる目的は、使徒職と修道者の聖霊の源なる、修道女たちの共贖者としての生活です。従って、修道女たちは通常の黙想に加え、ミサ、ロザリオ、そしてほとんどの修道会で唱える聖務日課など、修道女たちはご整体のみ前で礼拝の一時間を過ごします。すなわち、この一時間は教皇のため、司教たちのため、司祭たち、そして奉献された霊魂たちのための祈りに、特に、共贖者なる聖母に一致して、ご整体のうちにまします聖主に対して犯される侮辱を償うために捧げられています。

お召しの声

 聖ピオ十世修道女会の修道女たちの養成は、その他多くの修道会が要求する基本的なことと少しも変わりはありません。十八歳から三十歳までの、正しい意向に導かれ、共同体のさまざまな仕事に従事できる充分な健康を持っている女性ならば、修道会に入会できる可能性があります。まず初めに、少なくとも六ヶ月間の志願期が要求されます。この間、志願者は世間の多くのものに背を向け、みずからの召命を吟味し、修道生活の養成を受け、聖ピオ十世修道女会の霊性「愛徳の精神、祈りの精神、償いの精神、聖主の犠牲と自分自身の捧げを通して霊魂の救いを熱烈に望む精神(会憲)」を染み込ませることを探し求めます。

 この期間の終わりに、志願者は会の修道服をいただくことを願う許可を得ます。着衣式ののち、修練期が、修道者特有の生活が始まります。聖にして母なる教会は、少なくとも一年間の修練期を要求しており、二年目には修練女に会の霊性を深めることに没頭するよう奨励しています。これが聖ピオ十世修道女会の修練です。

修練女

「おお聖霊よ、我がうちに新しき心を作り給え。されば我、我がとうとき召命の霊と徳のうちに、休むことなく前へと進めるであろう」(着衣式中に唱えられる奉献の祈りより)

 修練女の生活、のちには誓願を立てた修道女としての生活は、内面的にも外面的にも非常に忙しいものです。修練女は超自然的生活を深めるため、日々それをもっと深めて生活するために働きます。修練女は聖パウロが言うように「新しい人間」、つまり天主のご意志を果たし、その栄光のために働けるよう、地上の物事から離脱し、天主へと向かう霊魂にならなければなりません。この変容は、聖堂にて沈黙のうちに、三位一体の天主のみこころを教えてくださる天主にてまします訪れの霊によってのみ、「経験から来る思索ではない、聖主の知識と愛」(ルフェーブル大司教)によってのみ、もたらされるのです。それにも関わらず、徳を得ようとの個人の(終生にわたる)努力もまた、最も必要なものです。修練長の母らしい指導のもとで、修練女はこの務めを勤勉に続けるのです。

 修練女には日々の家事仕事も与えられ、共同体の必要なものを満たせるよう「新しい仕事」を教えられます。後になって、彼女が任命されるさまざまな共同体でそれを生かすことになるでしょう。修練女は裁縫、料理、庭仕事、さまざまなメンテナンスの技術さえも習います。なによりもまず、修練女は信仰を熟知していなければなりません。この目的のため、修道院付き司祭によって、また数名の立誓願修道女たちによって教えられる、教義、典礼、護教論、教会史、修道生活などについての授業と霊的講話の時間があります。

 こういったことが、修練女の心と祈りの両方に不可欠な、滋養のある霊的食物を提供しながら、霊魂たちと一体化した修練女の未来の使徒職のためだけでなく、特に修練女自身の霊的かつ修道者としての生活の堅固な基礎となります。

 修練期はその上、共同体の喜びと試練に慣れていくための時です。「私たちは天主の教会において小さな家族を形成する」(会憲)この「家族生活」は修道女たちのすべての共同体にある規則です。すなわち、一人の総長(修母)によって、また総会によって治められる修道会ということです。各共同体は少なくとも三名の修道女で構成され、そのうちの一人がそこの長上になります。

天主へのまったき奉献

 見習いの二年間ののち、修練女は修道生活の義務と雄大さを理解しつつ、清貧、貞潔、従順の三つの誓願を立てることで、最後にはすべてのものに対し「はい」と答えます。この三誓願を通して、霊魂は彼女の持てるすべて、そして彼女の存在すべて──彼女の人格全体、彼女の持ち物すべてを天主にお捧げします。司教あるいは代理の司祭は修練女の指に指輪を置き、このように言います。「我はいと高きおん父のおん子、イエズス・キリストに汝をめとらす。ゆえに、この結婚の忠実の指輪、聖霊の封印を受けよ。汝が天主の浄配として生きんがために」この儀式は、祭壇の足元で、聖櫃の扉を開いた前で、ミサの奉献の時に行われます。イエズスの聖心そのものが新しい浄配を受け取るために開かれており、十字架の影で、生贄の祭壇で、互いを交換し合います。この三つの誓願は、教会の名のもとに受け取られ、天主に修道女を完全に奉献し、彼女が祈りと使徒職に完全に没頭できるよう、世間の財産と自分自身から離脱します。修道女は一年ごとに誓願を更新し、少なくとも十年間誓願を立て続けたのち、終生誓願を立てます。

 誓願を立てると、修道女は会の共同体の一つへ任命されます。ヨーロッパ、南北アメリカ、オーストラリアの修道院、あるいはどこかの宣教地で献身するよう呼ばれているのかも知れません。そこでは、共同体の使徒職の内容がどんなものであれ、修練院でのすべての霊操を保ちます。各自の能力に応じて、聖主イエズス・キリストの統治の拡大に協力するために必要なすべての恩寵を、そこから任命された場所に引き寄せるためにです。

刈入れは多けれども、働く者は少ない

 一般的方法では、修道女たちの使徒的活動には、司祭の使徒職を助け、完遂させるためという目的があります。

 修道女たちはどうやって司祭の使徒職を助けるのか? と問う人がいるかもしれません。聖主と使徒たちに従っていた聖母と聖なる婦人たちにならって、修道女たちは、洗濯、アイロンがけ、料理、家事などのような物質的心労から司祭たちを解放し、このようにして、司祭たちが勤めを成し遂げるために、彼らをもっと自由な状態にさせておくのです。

 修道女たちはミサ聖祭を中心とするすべてのもの、祭服の縫製から祭壇の準備、祭壇布やグレゴリオ聖歌を歌うことや教えることにまで献身しています。

 そして、司祭の使徒職を完遂させるためには? 各共同体や修道院で見つけられる家事に加え、修道女たちは教区や宣教地で修道者にふさわしい務めを引き受けます。すなわち、公教要理の時間に秘跡を受けるために子どもたちを準備すること、小学校で教えること、病人や老人を見舞うこと、などです。修道女たちのさまざまな仕事をよくよく見てみると、労働の分野の広大なことを改めて確認させられます。

 フランスの本部修道院は、一九八三年に大司教様から修道女たちに委ねられた仕事──「ファチマの聖母の通信教育カテキズム」を監督しています。信仰の知識と愛の次にあるものを渇望する霊魂はおおむね良いとしても、カトリック学校が欠けています。従って、通信教育による公教要理は、子どもたちのために深い宗教教育を探し求める家庭に教えの種を蒔くよう、特に定められています。三つの言語のバージョンがあり、何十年にも渡って、世界中の何千という霊魂たちに届けることに成功しています──ロシア国内にさえもです。公教要理の本はフランス語、英語、ドイツ語で書かれ、何百人もの霊魂たちに毎月送付されています。

 修道女たちは、小学校で司祭の使徒職をも果たします。校長としてであれ、公教要理の教師としてであれ、国内経済や宗教以外の科目を教えます。ヨーロッパのいくつかの学校での状況はこのようなものです。ベルギー(ブリュッセル)、スイス(ジュネーブとウィル)、フランス(ユニユー、マルセイユ、ボルドー)で、同じように、アルゼンチンのラ・レハ、オーストラリアのシドニー、アメリカのカンザス州のセントメリーとミシガン州のヴェネタにある聖ピオ十世会の学校で教えています。

 カンザス州のセントメリーでは、修道女たちは約五百名の子どもたち(小学校一年生から中学三年生まで)に公教要理を毎日教えています。

 教えることに加えて、信心会(マリアの子ども会のような)、サマーキャンプ(八ヶ国において伸びつつある修道女たちのための使徒職)、夏期講座(裁縫、料理、他の実践的技術の指導)を通して、修道女たちは、子どもたちや若い女性たちに教えと敬虔を身につけた堅固な基礎を築かせようと努力しつつ、キリスト教的徳を霊魂のうちに育んでいます。修道女たちはすべての共同体で、修道女たちは病人と老人たち──キリストの苦しむ会員たちを定期的に見舞います。これはフランスのル・ブレミアンの老人ホームで毎日行われています。そこでは、修道女たちは入居者を訪れ、秘跡を受けることと聖なる死を迎えるための準備ができるよう助けます。

 遠く離れた宣教地ではどうでしょうか? そこでも聖ピオ十世修道女会の修道女たちは、霊魂たちにキリストをもたらすことで宣教師たちを助けられるのです。例えば、ガボンの修道女たちは聖ピオ十世会ミッションに登録している子どもと大人に公教要理を教えている司祭たち、修道士たちを支援しています。修道女たちがそこで世話をする霊魂たちは数百名います。

 二〇〇九年以来、修道女たちの共同体がドミニカ共和国にあるイエズスの聖心修道院の司祭たちを支えています。修道女たちの主な務めの一つは、修道院付属の小学校で生徒たちに公教要理を教えることです。

 つまり、キリストの司祭たちを通してキリストにお仕えすることで、修道女たちは信者たちの霊的、肉体的に必要なことに献身しています。収穫の主が多くの寛大な働き手たちを送ってくださいますように。

「私が持っているものはなんでも与えましょう」(ルフェーブル大司教)

 二人の宣教師の娘なる修道女たちは、宣教師の霊の炎を持っています。すなわち、天主のうちに生き、天主に親密に結びつくことで、心において霊魂たちを天主に与え、すべての人々に天主を知らせ、愛させるのです。使徒職に呼ばれたのですから、労働の広大な畑の必要性と、信者たちの数え切れないほど多くの、さまざまな要求を満たすために、修道女たちは各自の異なる能力と才能を一致させ、熱心にみずからを与えています。修道女たちはこれらすべての仕事──ささやかで目立たないものであれ、もっと直接に使徒的なものであれ──を、同じ愛、同じ犠牲の精神で果たします。「修道女たちの生活に取るに足りないものなどない。万事が恩寵となり、修道女たちを聖化する」(会憲)

「修道生活は、ゆるやかに、非常にゆるやかに理解されていくものです。その美しさ、その実りを──なぜならその深遠さ、誠実さ、その目的の故にです……。修道生活とは、私たちが成し遂げる偉大なことではなく、私たちがあるべき姿であると理解します。新しい地平線が非常にゆるやかに見えてきます……そして、聖主は最良の部分を与えてくださったことで、私たちを甘やかしてくださったのだと、私たちにわかることはただこれだけです」(マリー・ガブリエル修母)

 このようなまことの修道者の霊魂は、みずからの召命への感謝にみちあふれており、その内省によって、本会の修道者たちは、みずからの召命の崇高さと謙遜と単純さのうちに、ふさわしく繰り返しています。

「この奉献と共贖者の霊性を終生生きる者たちは幸いなるかな! 彼女たちは天国の永福を勝ち取るため、最もすぐれた意向のうちに、この地上での巡礼の目的地に辿り着くだろう」(会憲)




この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。


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私たちの主イエズス・キリストの御降誕のお喜びを申し上げます。

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Alma Redemptoris Mater, peccatorum miserere!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 私たちの主イエズス・キリストの御降誕のお喜びを申し上げます。

 全宇宙の創造主が人間となって、私たちのうちにお生まれになりました。数万光年の巨大な銀河を創り、星座を定め、植物と動物の世界を統治している全知全能永遠の天主が、人間となって今から2000年前にお生まれになりました。

 その昔、イザヤを通して天主はこう預言されました。"Deus ipse veniet et salvabit vos. tunc aperientur oculi caecorum et aures surdorum patebunt." (35章)天主自身が来られ、おまえたちを救いたもうだろう。その時、盲目らの目は開け、耳の聞けない者らの耳は開くだろう。死と地獄とに打ち勝つ天主が、天国の門を開くためにお生まれになりました。

 ベトレヘムの寒村に、「静けき真夜中」にお生まれになり、天主の御一人子、人間となった永遠の天主の御言葉は、み母の胸にやすらかに眠っておられます。まき場の夜空高くに、天主のみつかいのうた声がひびきます。天のいと高きところに天主に栄光あれ!と。天使たちは、牧場にいる羊飼いたちに、よき便り告げ、光にみちて天のみ使いらは、喜びあふれてほめ歌うたいます。天のいと高きところに天主に栄光あれ!地には善意の人々に平安あれ!と。み告げ受けて、羊かいは、群れ打ちおきて人間となった天主を礼拝しようと道をいそぎます。

 聖母マリアと聖ヨゼフとの後、ベトレヘムの羊飼いたちが、人となった天主を最初に礼拝する特権を受けます。そしてベトレヘム(その意味は「パンの家」)という地も、御聖体を制定すべく生まれた贖い主によって祝福されます。ベトレヘムの旅籠屋には救い主を受け入れる場所がありませんでした。しかし、ベトレヘムの羊飼いたちは違いました。

 ベトレヘムに天主がお生まれになって200年後、ユダヤ人が追い出され、異教徒らが入り込み、キリスト教は禁止され迫害を受けていましたが、オリゲネスは、ベトレヘムにはイエズス・キリストが生まれた洞窟が生まれた場所があること、信仰に反対する敵でさえキリスト者らが礼拝するイエズス・キリストが生まれた場所であることを認めていることを書き記しています。(ケルスス反駁1章51)339年には、聖ヘレナがベトレヘムに聖誕の教会を献堂し完成します。

 638年、イスラムによる占領により、ベトレヘムはイスラムの支配下に入ります。イスラムは聖地を500年支配し、キリスト者は迫害を受け、残念ながら多くは背教しました。ナザレトでさえもキリスト者がほぼいなくなり、さらに1009年に起きた迫害によって、聖地の至聖所はことごとく破壊されますが、ベトレヘムの聖誕のだけは奇跡的に免れました。第一次十字軍が到着したとき、キリスト教の町として留まったベトレヘムのキリスト者たちはこの解放者を大歓迎します。ベトレヘムは、20世紀まで人口の大部分がキリスト者としてとどまり、2014年のクリスマスもキリスト教の町として人となった天主を迎えています。最初の羊飼いたちの礼拝者と、最初の幼子の殉教者たちの後継者として。

 私たちもベトレヘムの洞窟を訪問しに行きましょう。ベトレヘムには、私たちが感嘆しなければならないものがあります。私たちが愛さなければならないものがあります。私たちがまねしなければならないものがあります。

 はい、ベトレヘムの洞窟には、私たちが感嘆しなければならないものがあります。天主が、馬小屋で眠っておられる! 天主が藁の上に寝ておられる! 天のいと高きところに玉座を持つ天主が、拒絶されて、貧しい羊飼いたちと動物らと友におられる!

 はい、ベトレヘムには、私たちが愛さなければならないものがあります。最高の善、無限の善である天主がそこにおられます。まずしい赤子として生まれることを選んだ天主が、そこにまします。恐るべき天主ではなく愛すべき天主として。

 ベトレヘムには、私たちがまねしなければならないものがあります。天の主、創造主、王の王が、私たちにその模範を持って教えておられます。「私は柔和で心の謙遜な者であるから、私に倣え」と。

 ベトレヘムの愛すべき幼きイエズス・キリストを礼拝し、お愛ししましょう。そして、イエズス・キリストを愛するが故に、私たちの隣人を愛しましょう。

 ベトレヘムの馬小屋に行きましょう! まぐさ桶で寒さに震え、私たちのために泣き、凍えておられる贖い主イエズス・キリストに感謝しましょう。私たちの主イエズス・キリストは、私たちに赦しを与えるために、私たちを待っておられます。さあ、すぐに、今すぐ、ベトレヘムに行きましょう。赦しを得るために。イエズス・キリストが私たちのために持っている計り知れない愛をいつも考えましょう。

 幼子が私たちのために生まれました。救い主が私たちのために生まれました。さあ、ベトレヘムに行って、天主なる幼子を礼拝しましょう。私たちも、私たちの受ける十字架と寒さと苦しみをイエズス・キリストのために捧げましょう。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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カトリック教会では大晦日にテ・デウム Te Deum を歌います。元旦には Veni Creator Spiritus を歌います。

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 明日の12月31日には、天主に感謝する Te Deum を歌うことによって全贖宥を得ることが出来ます。以下YouTubeをご紹介いたします。もっとも有名なシンプル・トーンです。




 愛する兄弟姉妹の皆様もどうぞお歌い下さい。

Te Deum laudamus: te Dominum confitemur.
Te aeternum Patrem omnis terra veneratur.
Tibi omnes Angeli; tibi caeli et universae Potestates;
Tibi Cherubim et Seraphim incessabili voce proclamant:
Sanctus, Sanctus, Sanctus, Dominus Deus Sabaoth.
Pleni sunt caeli et terra maiestatis gloriae tuae.
Te gloriosus Apostolorum chorus,
Te Prophetarum laudabilis numerus,
Te Martyrum candidatus laudat exercitus.
Te per orbem terrarum sancta confitetur Ecclesia,
Patrem immensae maiestatis:
Venerandum tuum verum et unicum Filium;
Sanctum quoque Paraclitum Spiritum.
Tu Rex gloriae, Christe.
Tu Patris sempiternus es Filius.
Tu ad liberandum suscepturus hominem, non horruisti Virginis uterum.
Tu, devicto mortis aculeo, aperuisti credentibus regna caelorum.
Tu ad dexteram Dei sedes, in gloria Patris.
Iudex crederis esse venturus.
Te ergo quaesumus, tuis famulis subveni: quos pretioso sanguine redemisti.
Aeterna fac cum sanctis tuis in gloria numerari.

V. Salvum fac populum tuum, Domine, et benedic hereditati tuae.
R. Et rege eos, et extolle illos usque in aeternum.

V. Per singulos dies benedicimus te.
R. Et laudamus nomen tuum in saeculum, et in saeculum saeculi.

V. Dignare, Domine, die isto sine peccato nos custodire.
R. Miserere nostri, Domine, miserere nostri.

V. Fiat misericordia tua, Domine, super nos, quemadmodum speravimus in te.
R. In te, Domine, speravi: non confundar in aeternum.

日本公教会祈祷文より日本語訳です。

天主にまします御身(おんみ)をわれらたたえ、主にまします御身を讃美し奉る。
永遠(えいえん)の御父(おんちち)よ、全地は御身を拝みまつる。
すべての御使いら、天(あま)つ御国(みくに)の民、よろずの力ある者、ケルビムも、セラフィムも、絶間なく声高らかに御身がほぎ歌をうたいまつる。

聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の天主、天も地も、御身の栄えと御霊威とに充ち満てりと。
ほまれにかがやく使徒のむれ、ほめたとうべき預言者のあつまり、潔(きよ)き殉教者の一軍、みなもろともに御身をたたえ、全地にあまねき聖会は、御身、限りなき御(み)いつの聖父(おんちち)を、いとたかき御身がまことの御独り子と、また慰め主なる聖霊と、ともに讃美し奉る。
御身、栄えの大君(おおぎみ)なるキリストよ、御身こそは、聖父(おんちち)のとこしえの聖子(おんこ)、世を救うために人とならんとて、おとめの胎をもいとわせ給わず、死のとげにうち勝ち、信ずる者のために天国を開き給えり。
御身こそは、御父の御栄(みさか)えのうちに、天主の右に坐(ざ)し、裁き主として来りますと信ぜられ給う。
願わくは、尊き御血(おんち)もてあがない給いししもべらをたすけ給え。
かれらをして諸聖人と共に、永遠の栄えのうちに数えらるるを得しめ給え。

主よ、御身の民を救い、御身の世継ぎを祝し、かれらを治め、永遠にいたるまで、かれらを高め給え。
われら、日々、御身に謝(しゃ)し、世世にいたるまで聖名(みな)をたたえ奉る。
主よ、今日(こんにち)われらを護(まも)りて、罪を犯さざらしめ給え。
われらをあわれみ給え、主よ、われらをあわれみ給え。
主よ、御身に依り頼みしわれらに、御あわれみをたれ給え。
主よ、われ御身に依り頼みたり、わが望みはとこしえに空(むな)しからまじ。


 つぎのYouTubeは、あまり知られていませんが、次が、荘厳トーンの Te Deum です。ソレムの修道院の録音です。




 1月1日(元旦)には、聖霊に対して Veni Creator Spritus を歌うことによってやはり全贖宥を受けることが出来ます。

 天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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長崎の鐘
長崎の鐘 その2
ド・ロ神父様の教理の唄、イエズス・キリストのご誕生の唄





この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。


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公教要理図解(ワグネル訳)
カトリック中央協議会編集の公教要理(1958年)
聖ピオ十世 公教要理詳解
ローマ公教要理 【使徒信経の部】

インマクラータなる聖母マリア様の新年となりますように 聖ピオ十世会アジア管区

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 新しい2015年が、愛する兄弟姉妹の皆様にとって天主の恵みと祝福で満たされる年でありますように、新年のご挨拶を申し上げます。

 聖ピオ十世会アジア管区では、新しい管区長シュテーリン神父様の指導の下に、2017年のファティマ100周年を準備しはじめることになりました。何故なら、2017年は、天主の聖母、終生童貞なる聖マリアを愛する人々にとっても、また、カトリック教会に反対する人々にとっても、重大な記念の年になるからです。何故かというと、マルチン・ルターによる宗教革命の500周年、フリーメーソンの最初のロッジの300周年、ボルシェビキ共産革命100周年であるからです。他方で、ファティマの100周年、また聖マクシミリアノ・コルベのインマクラータの騎士創立100周年だからです。

 無原罪の童貞女は、私たち無しに、勝利し凱旋することができます。その方がより簡単になるのかもしれません。しかし、天主の無限の憐れみと智恵とは、私たちがインマクラータなる聖母マリアの勝利に参与することをお望みです。私たちがインマクラータのために、インマクラータと共に力を尽くすことをお望みです。
Dignare me laudare te, Virgo sacrata! Da mihi virtutem contra hostem tuos!
聖なる童貞女よ、我をして御身を賛美するを得しめ給え!御身の敵どもに反対する力を我に与え給え!

 もしも私たちが骨折をしたら、私たちは何をしても無駄だ、私たちが何もしなくても天主様が何かしてくれるのを待っていよう、とは言いません。私たちは、祈りと行動を起こします。私たちが祈るのみならず、病院に行って治療を受けることを天主がお望みのように、私たちも、インマクラータなる聖母マリア様の勝利のためのに祈りと、私たちにできる限りのことをいたしましょう。

 私たちの目標は、2017年5月13日で、その直前の準備期間として、2016年8月13日から始まる9ヶ月に亘るノベナを実行する予定です。

 私たちにとってまず必要なのは祈りです。聖コルベ神父はこう言っています。
「聖グリニョン・ド・モンフォールが言うように、聖母マリアがあなたに実際に聖母の神秘を理解するため恵みを与えて下さったことをインマクラータに感謝しなさい。聖母は他の人にもこの恵みを譲ってくださるように祈りなさい。事実、これらの崇高な神秘を確信することが私たちの心に浸透し、そこで発展することができるのは、聖霊の恵みによってであり、私たちの限られた知性でというのではないからだ。しかし、ここにおいて、多くの、非常に多くの謙遜が不可欠である。」
Thank the Immaculate that she has given you the grace to understand practically her mystery, as Blessed Grignion says, and pray that she deign to concede this grace also to the others. In fact, it is not so much with our limited intelligence as by the grace of the Holy Ghost that the conviction of these sublime mysteries penetrates our hearts and develops there. But here it is indispensable to have much, very much humility.

 この2015年の間、聖霊に祈り、インマクラータに祈り、聖母マリアの神秘の中に深く入ることが出来る恵みを祈り求めましょう。

《罪なく宿り給いし聖マリアよ、御身に寄り頼み奉る我らのために祈り給え。また、御身に寄り頼まぬ全ての人々のため、ことに、フリーメーソンのため、また、御身に依頼された人々のために、祈り給え。》
“O Mary, conceived without sin, pray for us who have recourse to Thee, and for all those who do not have recourse to Thee, especially for the Masons and for all those who are commended to Thee.”

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

 追伸:今日から大阪で聖伝のミサがあります。今日と明日は特別にコロナホテルでミサ聖祭を行います。ご注意下さい。




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聖ピオ十世会 SSPX JAPAN 東京と大阪での聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語ミサ)の報告

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 昨年12月の聖伝のミサと新年1月のミサ聖祭とのご報告を戴きましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

 12月25日には、レネー神父様が大阪でクリスマスの素晴らしいお説教をして下さいました。その内容は、改めて、別の記事としてご紹介いたします。

 多忙な年末年始ですので、ミサ聖祭に来られるのは難しい方も多くいらっしゃったと思います。新年には大雪が降り、交通も乱れて、ミサ聖祭に来るのを断念された方々もおられました。それにもかかわらず、多くの方々がミサ聖祭にあずかるお恵みを受けられて、天主様に感謝します。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

クリスマスの御ミサの報告をお送りいたします。
12月25日(木) 主の御降誕の大祝日 の御ミサには、26名が与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!!!
御ミサが始まる前に1時間以上、クリスマスキャロルと、ロザリオを繰り返して馬小屋にお眠りになる幼きイエズス様にお捧いたしました。
ベトレヘムの静かな夜を想像させる美しい入祭唱とともに御ミサがはじまり、クリスマスならではの大きな喜びに満ちた祈りを捧げることが出来ました。
韓国での御ミサを終えて日本の為に 御ミサを捧げに来て下さったレネー神父様に心から感謝いたします。
御ミサの後、会場を移してささやかなパーティーをしてクリスマスの喜びを皆でわかちあいました。
私達、人間のため、人となり給うた天主、イエズス様の大きな愛を感じることのできた幸福な2014年のクリスマスでした。

12月26日(金) 最初の殉教者聖ステファノの祝日には、12名が、
12月27日(土) 福音史家使徒聖ヨハネの祝日には17名が引き続き、イエズス様のご降誕の喜びに浸りながら御ミサに与るお恵みを頂きました。

27日には特に、12月9日に霊魂を天主様にお返しになった私達の姉妹、テレジアさんの追悼の意向で捧げられました。
テレジアさんの大好きだった聖歌 「みもたまも」を心をこめてお捧し、テレジアさんの永遠の安息を祈りました。
26日、27日はクリスマスの喜びを小野田神父様と一緒に分かち合うことが出来、今年の大阪での定例ミサは感謝と喜びのうちに終了致しました。

今年一年、頂きました数々の御恵みを天主様に感謝いたします。
聖母マリア様の御保護とお取次ぎに感謝いたします。
小さな羊の群れのために『銀の翼をもって空を飛び回る使徒』、聖ピオ十世会の神父様方に感謝いたします。

【報告】【東京】

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 18人(内、子供2人)
女: 18人(内、子供0人)
計: 36人(内、子供2人)

【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

2015年の大阪での御ミサは、初金曜・初土曜の御ミサで始まりました。聖ピオ十世会の神父様方のご厚意に御礼申し上げます。

1月2日(初金曜) 至聖なるイエズスの聖心のミサには23人が、
  3日(初土曜) 聖母の汚れなき御心のミサには  25人が、御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!

御ミサの後、ローマの習慣にならって、幼きイエズス様の美しい御像に接吻させて頂きました。
3日には4人の子供達も御ミサに与っておられました。子供達はイエズス様への接吻の時には、心配そうな顔で順番を待っていましたが、大人よりずっと上手に「チュッ」とイエズス様にキスをしていて、ミサ会場も大変穏やかで温かい雰囲気がありました。子供達があふれる聖堂が日本に早く出来ることを強く願いました。

金曜日のお説教は、イエズス様の聖心の神秘について、
土曜日のお説教はマリア様の母の御心についてでした。
土曜日の御ミサの後は、公教要理があり、「天主」について勉強をいたしました。
概要 私達の周りにある色々な物の運動には、その運動の始まり、原因となる存在が必要で、これが天主である。
天主の存在は、1、知性を使って 2、啓示によって 知ることが出来る。
天主は天地万物を造り、これを司り給う完全な霊であられるが、天地創造は天主をあらわす定義ではなく、つまり天主の本性ではなく、天地を創造される必要はなかったにもかかわらず、ただその愛によって創造された。

イエズス様の聖心をみて、イエズス様が私達をどれほど愛して下さっているかを知り、その愛に少しでもお応えするよう に、今年一年の全てを聖母マリア様のみ心にお捧げしようと決心致しました。

【報告 その2】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

新年の初金・初土の御ミサを日本で捧げてくださり本当にありがとうございました!(*^O^*)/m(_ _)m
初金・土の信心を、実際に聖心の御ミサと共に実践出来るというものは喜びがとても大きいです!
今年一年の全てをイエズス様の聖心に、私達のお母様であるマリア様の汚れなき御心を通してお捧げすることができますように、お祈りいたします(>人<;)✨
いつも愛を愛でお返しすることができますように!

また、今回は御ミサ会場が変わったにも関わらず、綺麗な祭壇の準備、その他色々な準備をして下さった方々にも心から感謝します!

デオ・グラチアス!


【報告】【東京】
今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 15人(内、子供1人)
女: 16人(内、子供0人)
計: 31人(内、子供1人)




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聖ピオ十世会 クリスマス 大阪での聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)でのお説教

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 レネー神父による、12月25日「主のご降誕の大祝日」のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



12月25日「主のご降誕の大祝日」のお説教
 
 親愛なる兄弟の皆さん、天主は私たちを気遣ってくださいます。
 
 「天主は御独り子与え給うたほどこの世を愛された。それは、彼を信じる人々がみな滅びることなく永遠の命を得るためである」(ヨハネ3章16節)。御降誕の祝日は、私たちの主イエズス・キリストに関するこの宣言を美しく表してくれます。そうです、実に、天主は私たちを愛しておられます。取るに足らない人間という存在である私たちに、御独り子を、永遠の御父の永遠の御子、全能の御父の全能の御子、無限に完全な御父の無限に完全な御子をお与えになったほどに愛しておられます。誰のためでしょうか。取るに足らない人間という存在、非常に弱く、非常に短い期間しか生きられない私たちのためです。「あなたがみ心にとめられるこの人間とは何者か。あなたが心を配られるこの人の子とは何者 か」(詩篇8章5節)。
 
 天主から来るものは、天主に帰るべきです。実際、無限の善である天主が、究極の目的として無限の善でない目標を持つことは不可能です。ですから天主は、天主ご自身以下の何物も究極の目的として愛することはできません。天主にとって、究極の目的を被造物に置くことは大罪であり、不合理です。天主が一部の被造物を「彼ら自身のために」望んだのであり、究極的に天主に帰るよう命じはしなかったと考える人がいるならば、天主の完全性を理解していないことになります。天主は全世界を創られました。そして、この世の被造物が天主に帰るように命じられました。聖書は言います。「主はすべてのものを、ご自分のためにお創りになった」(箴言16章4節)。どのようにしてできるのでしょう か。私たちは、どのようにして天主に帰るのでしょうか。
 
 天主は私たちを必要とはされません。天主がお持ちでないもので、私たちが天主に「お与え」できるものは何もありません。ですから、どのようにして「天主に帰る」ことができるのでしょうか。聖パウロは言います。「すべては天主からであり、天主によってであり、天主のためである。天主に代々、栄光あれ。アーメン」(ローマ11章36節)。また詩篇作者は歌います。「天は天主の栄光を語る」(詩篇18章2節)。すべてのものは、天主に栄光を捧げるために天主に帰らなければなりません。天主に栄光を捧げることは、天主の完全性にさらに何かを加えることではありません。私たちが天主に栄光を捧げたからといって、天主がより善くなられたり、より幸せになられる訳では ありません。天主は私たちを必要とはされません。しかし、被造物にとって、天主に栄光を捧げることは「ふさわしく、かつ正しいのです(vere dignum et justum est)」。まさに、天主の知恵によって命じられたのです。私たちの完徳と永遠の幸福は、天主に栄光を捧げることにあり、完全に天主のために存在し生きることにあるのです。
 
 この「栄光」とは何でしょうか。人間にとって、多くの人々から高く評価されるなら栄光を受けたことになります。このように、栄光とは広く名が知られ、かつその価値を高く評価されることにあります。このように、天主の栄光は、至高の完全な存在であり、天主、万物の創り主として霊的被造物によって広く知られ、かつ被造物によって、何にもまして愛されることにあるのです。「あなたはすべての心、すべての霊、すべての力、すべての知恵をあげて主なる天主を愛せよ」(ルカ10章27節)
 
 物質的被造物でさえ、知識を授けられていないにもかかわらず、人間や天使に「使われる」ことによって、天主に栄光を捧げます。人間や天使は、物質的被造物に、すべての芸術家のうちで最も偉大で最も力強いものとして、全能の天主の知恵の働きを見て、そのわざによって天主を讃美するのです。人間と天使は、言葉にならないほど素晴らしい物質的被造物のゆえに、天主に讃美を捧げます。空の星々について、次のように書かれています。「天は天主の栄光を語る」(詩篇18節2章)。最も大きな物質的被造物から最も小さな被造物まで、創造主の知恵は表れています。「それらの力と働きに感嘆したのなら、それをつくった方が、いかに勢力あるかを推しはからねばならない。被造物の偉大さと美は、そ の創り主を類比によって推しはからせる」(知恵13章4―5節)。聖パウロは、偶像崇拝者である異邦人の罪を非難します。「彼らは天主を知りながら、これを天主として崇めず、感謝しなかったからである」(ローマ1章21節)。
 
 これが人類のドラマなのです。小さな被造物にすぎない人間が、しかし知性を授けられ、創造主かつ至高の天主を知ることができるにもかかわらず、偉大な天主を無視して自分を創られたものに向けてしまう。天主のために創られたにもかかわらず、被造物に究極の目的を置く。これが大罪の本質なのです。罪が人類を傷つけたため、すべての人は生まれながらに原罪を持っています。(私たちの主イエズス・キリストの特権によってインマクラータである聖母は除外されます。)でも天主は、人類を罪があるままにしてお見捨てになりませんでした。人類の贖い主かつ救い主として、御独り子を送られたのです、「罪から民を救うために」(マテオ1章21節)。
 
 さて、私たちが天主に捧げる最初の本質的な栄光は内的であり、霊的なものです。知ることと愛することです。至高の存在として天主を知り、何にもまして天主を愛することです。さらに、天主が明らかにされたのは、永遠におけるご自身の内的生命の神秘でした。三つのペルソナ、御父が永遠において御子を生み給い、共通の愛の霊として共に聖霊を発出させ給うということです。天主は私たちに対して、ご計画を明かされました。私たちを罪から救い、天国において天主と共に永遠の幸福に導いてくださることです。天主がおっしゃるならば、人は信じなければなりません。信じるとき、私たちは天主の誠実さを褒めたたえ、天主の真理を褒めたたえます。「私は道であり、真理であり、命である」(ヨハネ1 4章6節)。この褒めたたえることは、まことの信仰、カトリック信仰によってなされます。「その証明(御父が御子にお与えになる証明)を受け入れる人は、天主が真実であることを証認する」(ヨハネ3章33節)。これは、天主の誠実さを褒めたたえるということです。
 
 しかし、信仰だけでは十分ではなく、私たちはまた、何にもまして天主を愛さなければなりません。このことは、あらゆる戒めの中で最初であり、かつ最も重大なものです。「すべての心、すべての霊、すべての知恵、すべての力をあげて、主なる天主を愛せよ。これが第一のおきてである」(マルコ12章30節)。天主を愛することによって、私たちは、そうです、天主は至高の善であり、それゆえに至高の愛を捧げるべき方であることを具体的に証言するのです。口では、天主は至高の善であると言いながら、天主よりも被造物を愛するならば、行動によってそれを否定しているのです。「彼らは天主を知っていると言うが、その行いによって天主を否定している」(ティト1章16節)。
 
 天国にいる善き天使たちと聖人たちは、天主を知ることによって、天主に完全な栄光を捧げています。至福直観が、知識の最大限の完全性をもたらします。ですから彼らの天主に対する愛は何にもましています。天主を知り、愛しながら、彼らは永遠に生きるのです。「永遠の命とは、唯一のまことの天主であるあなたと、あなたの遣わされたイエズス・キリストを知ることであります」(ヨハネ17章3節)。このように、心を尽くし、霊を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして愛をもって天主を黙想することは、天主に栄光を捧げることであり、ここに私たちの究極の目的があるのです。私たちが生きるのは、実に自分のためではなく天主のためなのです。ここに私たちの究極の喜び、天国での永遠の幸福があ るのです。これを準備するのは、この黙想、啓示された神秘を愛する信仰という眼差しなのです。
 
 しかし、私たちはどのようにすれば、その段階に至るのでしょうか。その目標には、私たちの力では及ばないのではないでしょうか。私たちの本性の力、特に罪の傷ののちの本性の力では、そんな高い目標に至るには十分ではありません。でも、天主が気遣ってくださいます。天主は、私たちを罪から救い、「天主の子となれる力を私たちに授ける」(ヨハネ1章12節)ために、御独り子を送られました。ですから、私たちは御降誕祭にこのことを見るのです。天国に行くにはどのようにすればよいか。私たちの主イエズス・キリストを黙想し、主に従いましょう。
 
 人間の知識はすべて、感覚から始まります。感覚で把握したデータから、アイデアを抽象化し、霊的なものや万物の創造主のことを知るに至ります。罪に落ちた人間は、この世のものに注意を向けました。その罪に落ちた結果、天国の真実に目を上げることが難しくなりました。そのため天主はこの世に御子を送られました。「み言葉は人となり給うた」(ヨハネ1章14節)。御子は人間の本性を取られ、私たちと同じように身体と霊魂をお持ちです。それは、私たちが身体の目で御子を見、耳で御子の言葉を聞き、手で御子に触れることによって、イエズスの人間の本性を通してその天主の本性を知るに至るようになるためでした。聖ヨハネは、このことについてたいそう喜んでいましたから、第一の手紙の最 初に次のように書いています。「初めからあったこと、私たちの聞いたこと、目で見たこと、ながめて手で触れたこと、すなわち命のみ言葉について―そうだ、この命は現れた、私たちはそれを見て証明する。御父のみもとにあって今私たちに現れた永遠の命をあなたたちに告げる―、あなたたちを私たちに一致させるために、私たちは見たこと聞いたことを告げる。私たちのこの一致は、御父と御子イエズス・キリストのものである」(ヨハネ第一1章1―3節)。
 
 聖三位一体の知識に私たちを最も良く導いてくれるのは、私たちの主イエズス・キリストの人間の本性についての知識です。まぐさおけの中で静かに眠る幼子イエズスを見るとき、絶えまない祈りによってイエズスの霊が御父をあがめ、私たちを取り成してくださることで、私たちは内的生活の価値をまことに理解するのです。人間はこの世のもの、富や安楽、外からくる名誉や楽しみを好みます。天主の御子が地上に来られたとき、そのどれもお選びになりませんでした。大変な貧しさ、寒さ、困難の中でお生まれになり、この世の君主たちに知られず、知られあがめられたのは、童貞聖マリアと聖ヨゼフ、そして純粋な魂をもつ羊飼いや大きな心をもつ賢者たちでした。天主の御子である主は、富や楽しみ、こ の世からのほまれを受けるよりも、童貞聖マリアやこれら数少ない信心深い霊魂たちの礼拝と愛の方に価値を見いだされるのです。私たちは次のように理解します。「天主は霊であるから、礼拝者も霊と真理をもって礼拝せねばならぬ」(ヨハネ4章24節)。
 
 この幼子は、この世においては貧しいですが、天使の軍勢は羊飼いたちに宣言し歌います。賢者たちには不思議な星によって宣言されます。幼子はまことに、天と地、見えるもの(星)見えざるもの(天使たち)すべての創造主なのです。
 
 この幼子は、全能の天主であられます。しかし、悔い改める罪びとを恐れさせはせず、むしろ私たちすべてに幼子への愛を持つようお求めになります。幼子が自ら小さく貧しくなられたのは、人間の本性を取られた幼子をお助けすることで、私たちが天主の本性による助けと恩寵を得るようにするためなのです。このことは、主の身体のお世話をした聖母と聖ヨゼフにとって真実であるだけでなく、主の神秘体のメンバーを助けるすべての人々にとっても真実です。「まことに私は言う。あなたたちが私の兄弟であるこれらの小さな人々の一人にしたことは、つまり私にしてくれたことである」(マテオ25章40節)。
 
 聖アウグスティヌスは言います。幼子たちは私たちの愛を求める技を、自分たちを愛させる技を持っている、と。このように、全能の天主は、私たちの愛を求めるために幼子になられたのです。イエズスの人間の本性を愛することによって、私たちは天主の本性を愛するように導かれます。
 
 しかし、それについてはさらに言うべきことがあります。羊飼いたちの礼拝を受けた幼子イエズスは、天主の小羊です。私たちの罪を償う犠牲において捧げるため、最も完全な犠牲によって天主のほまれを回復させるために捧げるために、主は御体と御血をおそなえになったのです。イエズスは救い主であり、天主の医者であって、私たちの霊魂を罪から癒やし、驚くべきことに天主との友人関係にまで、いや、「天主の養子」にまで高めてくださるのです。天主の子が人の子となられました。その結果、人の子らは天主の子らになりうるのです。まことに天主は気遣ってくださいます。天主は、言葉で表せないほどの愛なのです。
 
 親愛なる兄弟の皆さん、ご托身という偉大な神秘を黙想すればするほど、ご托身における天主の完全性がそこに反映されていることをさらに深く黙想することができ、また心を尽くし、霊魂を尽くし、精神を尽くし、すべての力を尽くし、すべてに超えて天主を愛するよう、私たち自身が一層高められるのです。このご托身という神秘の美しさを表現できる言葉はありません。沈黙のうちに黙想すべきです、夜の沈黙の中でご托身の神秘が起きたように。これこそが、聖三位一体に栄光を捧げるのです。
 
 このご托身の黙想をするのを最も助けてくださるのは、童貞聖マリアをおいてほかにおられません。聖母はこの神秘と非常に密接に結ばれておられ、最も深く理解しておられます。聖母の御助けによって、私たちが、このいとも驚くべき神秘をさらに理解することができますように、またそれによって、私たちが、今から永遠に至るまで御父と御子と聖霊に栄光を捧げることができますように。アーメン。
 
 フランソワ・レネー神父
 
【関連記事】

聖アルフォンソ・デ・リグオリ作「馬小屋の幼きイエズスに」
聖アルフォンソ・デ・リグオリ作 To the Infant Jesus in the Crib
クリスマス(12月25日)の讃課 (Laudes) のグレゴリオ聖歌で有名な賛歌 (Hymnus) "A solis ortus cardine"
Ode of the birth of Our Lord Jesus Christ (聖アルフォンソ・デ・リグオリの御降誕の歌)
シュテーリン神父様からのクリスマスのメッセージ
クリスマス・メッセージ(2003年)
The Nativity Story 私たちカトリック信徒にとっては推薦されるべきものではない
童貞聖マリアよ、祈り給え!
クリスマスです(2008年)
私たちの主の御降誕
クリスマスの前日
御降誕の前日
カトリック信仰
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長崎の鐘 その2
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コルベ神父様のお言葉がそのまま本に 『無原罪聖母のお導きのままに』 聖ピオ十世会出版

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 コルベ神父様のお言葉を、テーマごとにまとめて編集した本が聖ピオ十世会アメリカ管区のアンジェルス・プレスから出版されました。Let Yourself Be Led by the Immaculate (無原罪聖母のお導きのままに) です。



 その日本語訳を愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

 天主様の祝福が豊かにありますように!

 トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

「無原罪聖母のお導きのままに」

はじめに

 聖マキシミリアノ・コルベの生涯と教えについて多くの優れた本が書かれている。が、残念なことに、イタリア語やボーランド語を知らない英語圏の人々が、聖コルベ自身が語ったままの言葉に触れるのは簡単ではない。これは大変遺憾なことだ。なぜなら、これらの言葉の数々には深遠な単純さと、聖霊だけが与えることのできる力があるからである。さらには、聖人による膨大な量の個人的著作物と、間違いなく聖人のものであると確認が取れている講話の記録がある。それらは文書として配布されており、最も手厳しい評論家たち──特に聖人の著作に関心のある人々──の真偽のほどの批判要求にも耐えうるもので、あらゆる方面からの保証を得ている。Cristoforo Zambelli 神父による不朽の名著「コルベ神父著作集(Scritti Kolbiani)」では、マキシミリアノ・コルベ神父の著作の全集がみごとなイタリア語に訳されており、聖人の論文、手紙、そして聖人が保存しておいた新聞記事、黙想やその他の出来事についての個人的メモさえもその中に含まれている。[1]

[1] マキシミリアノ・コルベ著作集(Rome: Editrice Nazionale M.I., 1997)[Scritti di Massimiliano Kolbe (Rome: Editrice Nazionale M.I., 1997).]のこと。以下、SKと省略し、ナンバーをふってある。コルベ神父のあらゆる種類の著作物を確認するため、この本の中で使用されるナンバーに一致している。[Section sourcesは読みやすさを考慮して、巻末の注に書かれている]

 同じく、聖コルベが、ポーランドと日本で修道士たちに行った霊的講話に関する、修道士たちが書き留めておいたメモの収集物も存在する。[2]これは聖コルベの数々の言葉の小さな選集が集められたこの膨大な宝の数々に、英語圏の人々がすぐに手に取ることができるようにするためである。

[2] Konferencje Swietego Maksymiliana Marii Kolbego (Niepokalanów: Wydwnictwo OO. Franciszkanów, 1990). この著作に関しては、霊的講話の番号に続く頭文字のKとだけ記された人物によって触れられている。批評家たちは普通、これらのメモの信憑性の確実さを疑うが、たとえそのメモの数々が常に完全でなく、時として正確ではないかもしれないということが確かだとしても、すぐれた努力と入念な配慮で用意されていることは間違いない。たとえそれが聖コルベの言葉によるものではない事柄だとしても。メモの数々は軽視されてはならない聖コルベの教えの、計り知れないほど貴重な源をそのままに保っている。このメモは、聖人の最も身近な弟子たちへの個人的教えの貴重な証言だからである。




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聖ピオ十世会フィリピン、修道生活を志願する女性のための「ベタニアの家」という志願院

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 フィリピンには、修道生活を志願する女性のために「ベタニアの家」という志願院があります。1997年にマニラで創立され、それ以後、ここを通して多くの方々が修道女となりました。現在では、ベタニアの家は、パナイ島のイロイロ市に移転しています。

 数年前の記事ですが、聖ピオ十世会フィリピンにある、ベタニアの家についてご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

「ベタニアの家」創立十周年

原文はこちら

アジア管区ニュースレター

二〇〇七年十月~二〇〇八年三月

「ベタニアの家」創立十周年
マニラ、フィリピン

Deo Gratias et Mariae! 天主と聖母に感謝し奉る!

歴史と創立

 まず第一に、「ベタニアの家」とは、聖伝による修道者共同体への女性たちの召命を支援する天主のみ摂理のみわざであります。この家が存在するまでの物語は、一九九七年、ダニエル・クチュール神父様が、聖ピオ十世会アジア管区長としての任期、第二期目を務めていたと同時に、マニラの勝利の聖母修道院長でもあったときのことです。当時、フィリピンの聖ピオ十世会のミッションは、管区内に数ヶ所の巡回教会を担当しながら、男性の召命のための予備神学校とともに、マニラにただ一つの修道院しか所有していませんでした。男性の召命のための家はまだ天主のお考えのうちにありました。聖伝の修道会に入会したいと望んだ女性たちは、その当時まで、直接に該当の修道会を相手に、入会の件を準備しなければなりませんでした。

 一九九六年十一月四日、アンティポロ教区の司祭、Santiago Hughes神父様(二〇〇一年帰天)が勝利の聖母教会に到着され、聖伝のために終日働きながら、司祭としての残りの人生を、聖ピオ十世会のかたわらで捧げることを決意されました。翌日、神父様はご自分の元いた教区の信者の一人、当時「ピンク・シスターズ」(神言会の観想修道女部)[訳注: 永久礼拝聖霊奉侍修道女会。ピンクの修道服を着用するのでこう呼ばれる]の修練女をなんとか説き伏せて、聖伝の方へと「飛び越え」させようとしました。彼女は勝利の聖母教会に到着すると、そこで秘書業務の任命を受けました。そして地元の一家族のもとに滞在しました。聖ピオ十世会のもとへとやって来る退会した修道女たちのためには、なんの用意もなかったからです。

 一年後の一九九七年九月の最後の主日、もう一人の若い女性が勝利の聖母教会にいるクチュール神父様のもとへ現れ、聖ピオ十世会の修道者として入会を認めてもらえるよう懇願してきました。事実、彼女もその日の朝まだきに、十七年過ごした近代主義に染まった修道会を出てきたのです。その日から聖伝の修道生活を送るためでした。この二人目の退会した修道女は、約一ヶ月前にジェネラル・サントスを訪問したラゾ司教様を通して聖伝を発見したのでした。霊魂の益のためには常に熱心なクチュール神父様は、彼女を住まわせる家がまだなかったのですが、この志願者を喜んで迎えました。その家で彼女は最初の夜を過ごし、日中は勝利の聖母教会の教区事務所で働いている三人の女性たちとともに働きました。三人の女性たちは、彼女のように聖伝の修道会に入会することを計画していました。これら四人の志願者たちは、昼間は勝利の聖母教会でともに過ごしましたが、夜になると、二人はそれぞれの家へ、もう二人は下宿先へと別れて帰宅するのでした。このような状況のために、クチュール神父様はついに一つの家を──聖伝の修道生活を目指す女性たちが、聖ピオ十世会の指導のもとで共同体を形作りながら滞在できる家を開設させようとしました。

 それから一ヶ月もしない一九九七年十月二十四日、聖ラファエルの祝日、天主の恩寵を得て、四人の会員たちが入居する借家が聖ピオ十世会司祭の小野田神父様によって祝別されました。小野田神父様は最初の院長様になりました。こうして「ベタニアの家」が誕生することとなったのです。

 なぜ「ベタニア」という名前が与えられたのか、理由を知りたい人がいるかも知れません。それは単純に聖書に出てくるベタニアの家を記念するためです。そこには聖主をお慕いしていたマルタとマリアが住んでいました。ベタニアは、エルザレムとカルワリオをかたどる、毎日のごミサが捧げられる勝利の聖母教会からそう遠くないところにあったのです。

日課と発展

 当初、四人の会員たちは通常「ベタニアの娘たち(Bethanians)」と呼ばれ、勝利の聖母教会の事務所で秘書として手伝っていました。彼女たちは六時半の一時課の朝の祈りと黙想に加わり、七時十五分のミサ聖祭にあずかりました。教区事務所での仕事と祈りの合間、一日の大半を彼女たちは沈黙のうちに過ごしました。修道院が食事を提供し、教会の地下室にあった同じ事務所の隣の台所で食べました。一日の終わりは、夕方の聖なるロザリオの祈り、ミサ、そして夕食で締めくくられました。院長の小野田神父様から指導を受け、同じようにフランス、アヴリエのドミニコ会士、マリー・ドミニク神父様から霊的講話を聞きました。ドミニク神父様は当時フィリピンで聖ピオ十世会のミッションを手伝っていました。ベタニアの家の中の切り盛りはというと、聖主の生きておられた時、ベタニアのマルタのように振舞う年長のベタニアの一人の娘が責任者の任命を受けました。

 一九九八年四月、一人目のベタニアの娘が聖ピオ十世会の奉献女として入会するため、スイス、メンツィンゲンへと出発しました。同じ年の五月初め、奉献女のシスター・マリア・レジナがスイスで指名され、「ベタニアの家」へ来訪し、数週間滞在しました。クチュール神父様は、新しい共同体に好意的な彼女の有益なアドバイスをよく理解され、こうして「ベタニアの家」は新しい養成方法を取ることになりました。それからのちの日課は、霊的講話を含む、祈りと公教要理の勉強、教会史、ラテン語、英語、フランス語、グレゴリオ聖歌にもっと重点的に取り組むようになりました。さらに、ベタニアの娘たちは勝利の聖母教会の司祭たちから霊的指導を受けました。このようにして、志願者の日々の生活は、修道者としての養成の次のステップに向けて、非常に重要な知識と習慣を得ていくことに費やされました。

 ベタニアの娘たちの数がかなり増えてきたため、二つ目の家が開設され、「ロレートの家」と名付けられました。すべての会員たちは、み摂理が寛大な恩人たちを通して過不足なく与えてくださる必需品をいただくために、労働と祈りに大いに励まねばなりません。

 二〇〇一年、四年間にわたる激務と献身ののち、小野田神父様は「ベタニアの家」の院長職を、Joven Soliman神父様に譲りました。この家の生活には、ちょっとしたいくつかの変化が起こりました。ベタニアの娘たちは定期的にそれぞれの召命を試すために他の岸辺へと漕ぎ出し、主要な日課はそのまま続けられましたが、二〇〇三年六月なると、聖ピオ十世会の奉献女たちの最初のグループがマニラに到着しました。そのときから「ベタニアの家」は、Soliman神父様が院長のままであるかたわら、同じ奉献女たちによって管理されることになりました。それからすぐに、共同体全体はもっと大きな借家へと引っ越しました。これは四回目の引っ越しで、勝利の聖母修道院から歩いて十五分の距離にあり、共同体は現在もそこに居を構えています。

 「ベタニアの家」は、現在(二〇〇八年一月一日)、奉献女三名、カルメル第三会修道女一名、元フランシスコ会修道女一名(奉献女会への入会許可待ち)、七名の若い娘たちです。奉献女の一人が、娘たちの養成と同じくベタニアの家の家政の責任者です。Soliman神父様は一週間に一度霊的講話をしてくださり、その他に二名の聖ピオ十世会司祭が公教要理とラテン語のレッスンをしてくださいます。その一方で、長上の奉献女が英語やフランス語、グレゴリオ聖歌、修道生活の手ほどきを教えます。娘たちは、家事や将来の修道生活のために有益となる基本的技能の訓練も受けます。

十年後

 この一区切りとなる十年の間、フィリピン人たちに加え、韓国、タイ、スイスからの会員たちが、ベタニアの家の敷居をまたぎました。現在、二十名の会員たちが、全能の天主が彼女たちをお呼びになった修道会──すなわち、聖ピオ十世修道女会(アメリカ、フランス、オーストラリア)、聖ピオ十世奉献女(スイス、イギリス、南アメリカ、フィリピン)、観想ドミニコ会(フランス)、教育ドミニコ会(フランス)、高間の聖母の弟子たちの会(イタリア)、カルメル会(フランス)に、喜んで錨を下ろしました。「ベタニアの家」というこの小さな木から、天主は世界の五大陸中にその実りを広げられたのです。その他二十名の者たちは、召命を試したのち家へ戻り、それぞれの召命に関する天主のご意志に従いました。聖主のみことば「呼ばれる者は多いが、選ばれる者は少ない」の背後に隠された神秘です。残る八名はビザ申請についての心配とともに、自分の番が来た時のために、学び、準備しています。すべての者たちが修道者としての養成に向けてフィリピンを離れ、それぞれの目的地に応じて、聖なる従順の道に従わなければならないからです。ベタニアの娘たちに加え、ベタニアの共同体に加わった修道女たちもいます。同様に、修道召命があるかどうか吟味するために、しばらくの間滞在する訪問者たちもいます。天主がこの家へとさらに多くの、善い、聖なる修道者の召命を送ってくださいますように!

霊的および物的支援

 この家の生みの親なる天主のみ摂理は、恩人と友人の方々の愛徳を通して、常にたゆむことなく会員たちを支えてくださっています。ですから感謝のしるしとして、この共同体の会員一人一人は毎日のミサとロザリオを、それぞれの恩人と友人の方々(生ける者も死せる者も)と、彼らの意向のために捧げています。さらに、絶えざるおん助けの聖母へのノヴェナを毎月十八日から二十六日の間に捧げ、二十七日には、聖ピオ十世会司祭によって同じ意向で捧げられる聖なるミサで締めくくられます。

 最後に、「ベタニアの家」の各会員たちは、全能の天主に、幸いなる童貞マリアに、保護の聖人たちに、ダニエル・クチュール神父様に、トマス小野田神父様に、ヴィセンテ・グリエゴ神父様に、Joven Soliman神父様に、ベタニアの娘たちの養成を支援してくださったすべての司祭、修道者の方々に、この十年間に渡って共同体に霊的および物質的支援をいろいろな方法で与えてくださった恩人と友人の皆さまに、心をこめて感謝申し上げます。全能の天主が、皆さま方にあふれるほどの祝福と、天国における永遠の報いを与えてくださいますように!


実際に修道生活を送っているベタニア出身の娘たち

RELIGIOUS NAME (Origin) ORDER/CONGREGATION(2008年1月1日現在)

1 Sr Maria Concepcion (South Cotabato)  Oblate of the SSPX, Manila, Philippines
2. Sr Rosaire (Rizal)  Contemplative Dominican, Avrillé, France
3 Sr Maria Giuseppina (Manila)  Discepole del Cenacolo, Velletri, Italy
4 Sr Marie des Victoires (Bohol)   Teaching Dominican, Brignoles, France
5 Sr Maria Jacinta (South Cotabato)  Oblate of the SSPX, Johannesburg, South Africa
6 Sr Ignatius Mary (South Cotabato)  SSPX Sister, Sydney, Australia
7 Sr Isabella Marie (Cebu)  SSPX Sister, Browerville, USA
8 Sr Marie Agnes (Manila)  Oblate of the SSPX, Menzingen, Switzerland
9 Sr Diana (Cebu)  Contemplative Dominican, Avrillé, France
10 Sr Maria Josepha (Manila)  Oblate of the SSPX, Highclere, England
11 Sr Dominica (Bohol)  Contemplative Dominican, Avrillé, France
12 Sr Maria Ancilla (Dumaguete)  Oblate of the SSPX, Highclere, England
13 Sr Maria Vicenta (Siquijor)  Oblate of the SSPX, Manila, Philippines
14 Sr Ancilla (Bulacan)  Contemplative Dominican, Avrillé, France
15 Sr Maria Salome (Thailand)  Oblate of the SSPX, Salvan, Switzerland
16 Sr Marie Laetitia (Switzerland)  Novice, SSPX Sisters, France
17 Sr Maria Remedios (Iloilo)  Novice, Oblate of the SSPX, Salvan, Switzerland
18 Sr Maria Fidelis of Christ the King (Switzerland)  Novice Carmelite, Eynesse, France
19 Sr Mary Monica (Bohol)  Novice, SSPX Sisters, Browerville, USA
20 Isabel Cadayao (Iloilo)  Postulant, SSPX Sisters, Browerville, USA


ベタニアの家への支援は、“For the house of Bethany”「ベタニアの家のために」とお書き添えの上、アジア管区にご寄付くださいますようお願い致します。






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ブランミュラー枢機卿と聖ピオ十世会とのインフォーマルな会見(ドイツ)

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?こちらフィリピンでは教皇様の訪問で、昨日の1月15日と今日1月16日が休日になりました。19日月曜日も休日になります。教皇様のためにお祈りいたします。

 さて、ドイツでは昨年の12月に、ブランミュラー枢機卿が聖ピオ十世会の神学校を訪問しました。ローマと聖ピオ十世会とが2年半に亘って第二バチカン公会議に関する神学的討論を公式に行いましたが、私たちの主張をよりよく理解することが出来るように、より非公式的な形で討論し合うことを目的としています。

 願わくは、ブランミュラー枢機卿が私たちの論点を正確に理解し、聖伝の教えと第二バチカン公会議の新しい教えとが、食い違っていることに気がついてくださいますように。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

Germany: Informal meeting with Cardinal Brandmüller
ドイツより──ブランミュラー枢機卿との非公式会見



二〇一四年十二月十九日

 二〇一四年十二月五日、教皇庁立歴史科学委員会の名誉委員長、ウォルター・ブランミュラー枢機卿は、数名の司祭を同伴した聖ピオ十世会総長、ベルナール・フェレー司教と会見した。会見は、バイエルンにあるツァイツコーフェンのイエズスの聖心神学校で行われた。

 この会見は、二〇一四年九月二十三日に行われたローマでの会見の内容に続くものであった。ローマでの会見は「教義についての話し合いを、これまでよりもっと幅広い、非公式な枠組みで続ける」ことにすべての人々が同意した(see DICI no.302 Oct. 10, 2014)。議題は第二バチカン公会議とその教導的権威についてであった。

 これらの会見の目的は、教会権威者たちに聖ピオ十世会と聖伝に基づく事業にさらに気づかせること、そして同時に、第二バチカン公会議とその改革に依然として関係している数々の重大な反論と相違点を、彼らに暴露することにある。このような観点から、さらに二回の会見が、数ヶ月以内に行われる予定である。。一つはフラヴィニー(フランス)にあるアルスの聖司祭神学校で、もう一つはウィノナ(アメリカ)にあるトマス・アクィナス神学校で行われる。




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聖ピオ十世会 聖家族の祝日 大阪での聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)でのお説教

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 こんにちは! こちらフィリピンでは、今まで私たちと一緒に働いておられたフォルティン神父様がオーストラリアのタイノンというところに任命(学校の校長として)されました。オーストラリアでは新学期が2月から始まります。
 今まで、マニラの学校の校長として働いておられ、フィリピンでは3月まで学年が続きます。そこで、私が校長職を引き受けることになりました。

 さて、先日の主日にはレネー神父様が大阪で聖伝のミサを捧げてくださいました。その時のご報告を戴いておりますので、愛する兄弟姉妹の皆様にお知らせいたします。

 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
1月11日(日)の御ミサの報告です。
11日日曜日 聖家族の祝日の御ミサでは、19人の方々が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!!

新潟や、金沢から雪をかき分け(?)御ミサに与るために来阪された方々もいらっしゃいましたし、ひどい風邪や発熱、体調不良のなか無理をおして来られた方もいらっしゃいました。聖なる御ミサの御恵みとその意味や価値を知ればこそだと思います。

また、インフルエンザや色々な事情でどうしても来ることが出来なかった方々、このような愛する兄弟姉妹のためには御ミサの中で心を合わせてお祈りいたしました。

もっと多くの人々が本当の御ミサを知って天主様に立ち戻るように聖母マリア様のお取次ぎにより頼んでもっと祈らなければと思います。

聖家族の祝日でしたので、レネー神父様から「天主の愛の法と家族について」のお説教を頂きました。以下に掲載いたします。

聖ピオ10世会の日本では1月は「日本中の家庭のため、特に若いカトリックの家庭のため」と意向にあるようにカトリックの家庭内での天主への愛の教育の大切さがとてもよくわかる素晴らしいお説教でした。聖母マリア様と聖ヨゼフ様を両親の見本とし、イエズス様を子としての見本とする良きカトリックの家庭が日本にも多く出来る日が来ますように・・・!
いつもながら多忙なスケジュールの中、御ミサと真の信仰を待ち焦がれる小さな羊の群れのために来日してくださる聖ピオ十世会の神父様に心から感謝いたします。
優しい霊父様 の微笑み、天主様への愛へ私達を導いて下さる強い想いを感じて羊たちはとても幸福な時間を過ごしました。


2015年1月11日 聖家族の祝日の説教
レネー神父様 大阪にて




 「天主は愛である」(一ヨハネ4章8節)。天主は愛について、私たちよりずっと多くをご存じです。天主の法は、まことの愛を妨げるどころか、まことの愛に必要な条件の一つです。天主の第一の法でありかつ基本の法は、愛の法です。「すべての心、すべての霊、すべての知恵をあげて、主なる天主を愛せよ。これが第一の最大のおきてである。第二のもこれと似ている。隣人を自分と同じように愛せよ」(マテオ22章37―39節)。ルフェーブル大司教がよく指摘なさっていたことですが、物質的領域においてさえ、天主は愛の表象(シンボル)として万有引力の法則をお定めになったのです。このように天主は、自然のレベルの人間の生命が、家族の中で花開くべきであると秩序付けられたのです。家 族の中で、人間は天主の驚くべき法に従って、愛を学び訓練を受けるのです。このように、家族は人間社会の根幹なのです。

 罪は天主の愛、まことの愛と相容れません。罪は、まことの愛を破壊することであり、家族の破壊、そして最後には人間社会の破壊に至るのです。これらの偉大な真理を思い起こすことは、現代の世界において大変重要です。現代の世界では、愛が非常に腐敗し続け、今日多くの人が愛を探し求めているのは、愛の腐敗、まことの愛の歪曲、あらゆる種類の性的倒錯以外の何ものでもありません。
いいえ!そうではありません。まことの愛とは、天主の法に従う愛にこそあるのです。

 まことの愛は、まず第一に賜物です。「御父は御子を愛し、その手に万物をゆだねられた」(ヨハネ3章35節)。万物を御子にゆだねられる前に、御父は御子にご自身の尊厳をゆだねられました。ですから結果として、創られたすべてのものは、御父の手によるのと同様に、御子の手にもよるのです。そのため、私たちに対する天主の愛は、まず第一に賜物なのです。「天主は御独り子を与え給うほどこの世を愛された。それは、彼を信じる人々がみな滅びることなく永遠の命を受けるためである」(ヨハネ3章16節)。「友人のために命を与える以上の大きな愛はない」(ヨハネ15章13節)。このように、まことの愛に反するものは身勝手さ、自己中心以外にありません。私たちは自分自身の力で存在し ているのではないため、自分の力だけで幸せを見つけることはできません。私たちの存在すべてが天主から来ているため、幸せを得ることができるのは天主からだけであり、自分を天主にゆだねることによって得られるのです。

 愛には二種類あります。まず与える愛です。たとえば、子どもたちに対して自分を与える母の愛です。もう一つは自分のものにする愛です。たとえば、私たちがチョコレートを愛したり、人々が金(ゴールド)を愛したりするときです。人々は金を愛しますが、与えるのではなく自分のものにするのです。

 善き聖なる家族は、まことの愛を学ぶ学校です。家族全員が愛することを学びます。まず天主を愛し、互いに愛し合うことを学ぶのです。それは、私たちの主イエズス・キリストにふさわしい方法で自分を与えることによってなのです。このように、家族は、男女が全生涯にわたって自分を互いに与え合い、私たちの主イエズス・キリストと教会という模範に従って、子どもたちに命を与えるという男女の契約によって成り立っています。

 男と女によってつくられる家族でなくても、本当の家族になりうると主張することは、ばかげたことです。不自然な愛はすべて、天主によって創られた最も美しいものの倒錯にしかすぎないのです。人は自分を創るのではありません。天主は私たちに自分で変えることのできない性質を与えられました。男は女ではなく、女になることは決してできません。女は男ではなく、男になることは決してできません。男と女の結びつきだけが、天主と協力することによって子どもたちを生むのです。自然に反する結びつきは、基本的に子どもができず、不毛なものです。人間は忌まわしい医療手術で自分を破壊することができますが、自分をもう一つの性に変えることはできません。体の個々の細胞のDNAは、天主がそ れらをどのように創られたかを示していますから、人間は体の個々のDNAを変えることはできないのです。私たちは、現代世界のせいで道を誤ってしまったそんな哀れな霊魂たちのためにたくさん祈る必要があります。現代人の傲慢こそが、天主が創られたものを拒否し、自分を自分の意のままにしようと欲するのです。天主が創られた自分の性質を受け入れず、自分の意志を天主の聖なるご意志に合わせようとはしないのです。天主の定められた道を拒否することによって、天主からしか来ることのない、まことの喜びや平和を見つけることをできなくしてしまうのです。天主と共にある平和でないなら、平和を見つけることは決してないでしょう。「『悪者には平和がない』と、主は仰せられる」(イザヤ48 章22節)。しかし、こういう人々にも救いの道はあります。贖い主である私たちの主イエズス・キリストのもとへ来て、痛悔の心で、自分の罪を本当に悔い改め、私たちの主イエズス・キリストの恩寵を得て生活を改めるならばです。

 さて、家族にとって第一にして最も重要な善は子どもたちです。このことは聖家族に見られます。その最も偉大な善は、間違いなく私たちの主イエズス・キリストでした。善き子どもたちは、善き両親にとって喜びであり報いです。天主はしばしば、その子どもたちによって両親を祝福なさいます。幼きイエズスの聖テレジアの両親に対する報いは何と素晴らしいものでしょう。自分たちの娘が聖人になるという、それ以上の報いがあるでしょうか。子どもたちの徳を見るのは、両親にとって常に大きな喜びです。実際に大変な仕事ではありますが、その努力をする価値があるのです。父親が建築家で家を建てるなら、父親の仕事は子どもたちの霊魂を築き上げる仕事ほどには素晴らしいものではありません。なぜ なら、子どもたちの世話をするのは、父親と母親の二人がかりで全力で取り組まなければならないからです。私たちの主イエズス・キリストは絶対的に完全でしたから、お一人だけでも、ほかのすべて子どもたちを合わせた以上にお世話をする価値があったのです。ですから、聖ヨゼフと聖母にとって、ほかの子どもを望むことは不可能だったのです。さらに言えば、お二人は天主の驚くべき賜物、聖母の童貞性を守られたという賜物を大変尊重しておられました。ですから教会は、聖母はイエズス以外の子どもをお持ちにならなかったこと、聖ヨゼフとの間にも子どもはなかったことを常に教えてきたのです。

 イエズスのような、そんな素晴らしい子どものいない普通の家族にとっては、多くの子どもを持つことは善いことであり、正常なことです。これは、禁じられた木の実を食べることを禁じる前に、天主がアダムとエバに与えられた第一の戒めです。「天主は人間を祝福して仰せられた、『生めよ、増えよ、地に満てよ』」(創世記1章28節)。さて、両親に二人の子どもしかいないなら、増えることはありません。1は、1を掛けても増えません。増えることのうち最も小さなものは、2を掛けることです。ですから、二人である両親は四人の子どもを持つべきですが、しばしばもっと多く子どもがいます。皆さんの家の庭にリンゴの木があるなら、そしてその木が一つか二つしか実をつけないなら、皆さんは、 その木は良い木ではないとみなすでしょう。天主が木を祝福してくださり、大きく成長して多くの実がなることを願うでしょう。でも、天主が与えてくださる多くの子どもを受け入れようとはしないのではありませんか? 子どもを得る力は天主の賜物です。人間にはそれを破壊する権利はありません。天主が皆さんに与えようと望まれる子どもを、すべて受け入れてください。子どもたちは、皆さんが年老いたとき、報いとなるでしょう。

 善き家族の第二の善は、互いに忠実であることそのものであり、夫と妻がお互いに与える相互の支え合いです。私の祖父母の結婚50周年を、私たち家族でお祝いしたときのことです。(二人は67周年まで迎えることができました。)そのとき、祖父は私たちに言いました。「結婚50周年にもなると、その喜びは結婚当初と同じとは言えない。でも、これまでの年月を振り返り、50年間忠実だったことを思えば、その喜びは決して劣るものではない」。実に素晴らしい知恵です。忠実であること自体が大きな慰めの源です。それは日々の積み重ねがないと得られませんが、その努力をする価値があるものなのです。忠実であることは結婚においては大変重要ですから、その忠実であるための準備として、結婚 前に純潔であることも重要になるのです。それは、将来の結婚相手のためにとっておくものであり、結婚後に忠実であることと同じなのです。若い男女が、結婚した日にお互いに与え合うことのできる最上の贈り物は純潔なのであり、全生涯にわたり忠実であることの素晴らしい保証となるのです。私たちの主イエズス・キリストのほまれのため、聖ヨゼフと聖母の模範に従って、身も心も純潔をもって結婚の準備を行うこれら若いカップルに対して、天主が特別な方法で祝福されることは明らかです。

 カトリックの家族にとって第三の善は、婚姻の秘蹟という善です。この秘蹟によって、カトリック信者の男女が結ばれることは、キリストと教会が結ばれることを表しています。また、この最も崇高で聖なる結びつきから、自分たちの義務を果たすための恩寵、つまり生み増えるため、また信仰のための特別な恩寵を受けるのです。

 これら三つの善が、イエズス、マリア、ヨゼフの聖家族においては、崇高な形で見られます。また、若い男性、あるいは若い女性がより高い生活へと呼ばれることも、時に(人々が通常思っているより多く)見られます。つまりこの霊的に高次の生活においては、一つの家族、すなわち、より高次の家族である超自然的な家族、たとえば修道会のような家族の一員になり、もっと大きな霊的な豊穣さや実りを得るのです。人生における試練があるとき、特に年老いて試練があるとき、そこでは非常に美しい相互の支え合いが見られます。また、キリストとキリストの花嫁として生きる教会が一致する、まさにそのレベルにおいて生きるのです。そこではまた、深い信仰が必要となります。これは、さらに高いレベルの貞潔の徳なのです。心を完全にキリストにお捧げすることで、ほかの愛は持たなくなり、その結果さらに素晴らしい霊的豊かさを得るのです。結婚は善いものですが、奉献された生活はさらに善いものです。

 これは、天主の恩寵によって可能になります。善にして聖なる家族を持つことは可能であり、いや、それどころか喜びであるのです。私たちの主イエズス・キリストに奉献された生活を送ることは可能であり、かつ超自然的な喜びであるのです。善きカトリックの家族をつくるための重要な条件は、(またさらに、奉献された生活を生きるための条件でもありますが、)祈りです。家族には祈りがなければなりません。家族一緒の祈りが必要なのです。善き家族の祈りを実現する鍵は規則的に行うことです。祈りの長さよりもずっと、規則的に行うこと鍵なのです。時々ロザリオ一環を祈るよりも、毎日一連あるいは二連祈る方が良いのです。特に子どもたちが小さいときは、長い祈りは難しいでしょうが、毎日規 則的に行う祈りはそうではないでしょう。ですから両親は、自分たちのロザリオの祈りを容易に済ませることができます。一緒に祈る家族には天主の祝福が保証されます。一緒に祈る家族は、ずっと一緒に暮らせるのです。

 特に、聖家族への強い信心が必要です。そこには家族すべての完璧な模範があるからです。聖ヨゼフは父親の模範であり、童貞聖マリアは母親そして配偶者の模範であり、天主の御子は子どもたちすべての最も素晴らしい模範なのです。

 罪は愛を破壊すること、家族を破壊することです。両親は、家族の中で罪の機会がないように気をつけるべきです。悪い書物がないように、悪い絵や写真がないように、悪い言葉遣いがないように、慎み深くあるように、などです。両親は、子どもたちの霊魂から雑草を取り除いて、あらゆる徳が花開く美しい庭なるようにすべきです。

 天主の御子が、童貞聖マリアと聖ヨゼフの御取り次ぎによって、皆さんそれぞれの家族が、聖なる家族となる祝福を与えてくださいますように。

 アーメン。

 Sermon in Seoul/Osaka 11th January 2015 – Feast of the Holy Family

Reverend Father François Laisney SSPX

 “God is charity” (1 Jn. 4:8). He knows about love, much more than we do. His Law, far from preventing true love, is a condition for true love. The first and fundamental Law of God is a law of love: “Thou shalt love the Lord thy God with thy whole heart, and with thy whole soul, and with thy whole mind. This is the greatest and the first commandment. And the second is like to this: Thou shalt love thy neighbour as thyself” (Mt. 22:37-39). Archbishop Lefebvre used to point out that even in the material realm God’s set the Law of universal attraction as an image of the law of love! Thus God has so ordered human life at the natural level that it should blossom in families, where love is learnt and exercise according to God’s marvellous laws. Thus families are the building blocks of human society.

 Sin is incompatible with the love of God, with true love. Sin is the destruction of true love, and it leads to the destruction of family and ultimately to the destruction of human society. It is very important to remember these great truths in our modern world, where love has been so corrupted, that many today search for love in what is really nothing else but the corruption of love, distortion of true love, all kinds of sexual perversions. No! True love is only in love according to God’s Law!

 True love is first of all a gift: “The Father loveth the Son: and he hath given all things into his hand” (Jn. 3:35). Before giving al things in His hands, the Father has given to His Son His own divinity! And as a consequence, everything created is necessary in the hands of the Son as they are in the hands of the Father. And God’s love for us is first of all a gift: “God so loved the world, as to give his only begotten Son; that whosoever believeth in him, may not perish, but may have life everlasting” (Jn. 3:16). “Greater love than this no man hath, that a man lay down his life for his friends” (Jn. 15:13). Thus nothing is more opposed to true love than selfishness: since we ARE not by ourselves, we cannot find happiness by ourselves, by enclosing ourselves on ourselves. Since our whole being is from God, it is only from God that we can get our happiness, by giving ourselves to Him.

 There are two kinds of love: a giving love, such as a mother’s love for her children, giving of herself to them, and a taking love such as when we love chocolate, or when people love gold: they love gold not to give it, but to take it for self.

 A good and holy family is a school of true love, when every member of the family learns to love, first to love God and to love one another, by the giving of self in a manner worthy of our Lord Jesus Christ. Thus a family is founded by a contract between a man and a woman giving themselves to the other for the whole life, in such a way as to give life to children, according to the pattern of our Lord Jesus Christ and His church.

 It is an absurdity to claim that there could be a true family that would not be founded by one man and one woman: all those un-natural loves are nothing but the perversion of the most beautiful thing made by God. Man did not make himself: God gave us a nature that we cannot change; a man is not a woman and can never become one; a woman is not a man and can never become one: only the union of a man and a woman can cooperate with God to give birth to children; any anti-natural union is fundamentally struck with sterility, bareness. Humans can destroy themselves by abominable medical operation, but they can never change themselves in the other: the DNA of each cell of their body is there to claim how God has made them, and they can never change the DNA of each cell of their body! We need to pray much for such poor souls, led astray by our modern world. It is modern man’s pride that rejects what God has made, and wants to make himself according to his own will, rather that receiving his nature as God has made it, and conforming his will to the Holy Will of God. By rejecting God’s way, they make it impossible for them to find true joy and peace which can only come from God. When one is not at peace with God, one will never find peace: “There is no peace to the wicked, saith the Lord” (Is. 48:22). Yet there is remedy for them if they come to the Redeemer, our Lord Jesus Christ, with a contrite heart, truly repenting for their sins and ready to change their lives with the grace of our Lord Jesus Christ.

 Now the first and most important good of a family is the children: one sees this in the Holy Family, where the greatest good was indubitably our Lord Jesus Christ. Good children are the joy and the reward of good parents! God often blesses the parents in their children: what a marvellous reward for the parents of St Thérèse of the Child Jesus, than to make a saint of their daughter! It is always a great joy for parents to see the virtues of their children. It is hard work indeed, but well worth the effort! If the father is an architect and build houses, his work is not as great as the work of building up the soul of the children, for which work both father and mother must work hard. Our Lord Jesus Christ being absolutely perfect, and worth alone more than all others together, it was not possible for St Joseph and Our Lady to desire any other children; moreover, they had much too much respect for God’s marvellous gift of having preserved the Virginity of our Lady for destroying that gift! So the Church always taught that Our Lady did not have any other child, neither did St Joseph.

 For normal families, who do not have such a great child, it is good and normal to have many children. This is the very first commandment that God gave to Adam and Even, even before forbidding them to eat of the forbidden tree. “And God blessed them, saying: Increase and multiply, and fill the earth” (Gen. 1:28). Now for two parents, if they have only two children, that makes no multiplication: one does not multiply by 1; the smallest multiplication is by two, hence two parents should have four children, but often more. If you have an apple tree in your garden, and it brings for to you only one or two apple, you reckon it is not a good tree; you want that God bless your trees and harvest with great growth and multiplication, yet you do not want to accept all the many children God wants to give you? Fecundity is a gift of God, which man does not have the right to destroy. Welcome all the children which God wants to give you! They will be your reward in old age.

 The second good of a good family is fidelity itself, and the mutual support which husband and wife give to one another. When we celebrated my grant-parents’ fiftieth anniversary of marriage (they reached 67), my grand-father said to us: “when you reach fifty years of marriage, the joys are not the same as at the beginning of marriage; but if you can look back at all those years, and see fifty years of fidelity, the joy is not less!” Great wisdom indeed! Fidelity itself is the source of great consolations; one must earn it day by day, but it is worth all the efforts. And because fidelity is so important in marriage, so virginity is important before the marriage, as a preparation for that fidelity; virginity before the marriage is to reserve oneself for one’s future spouse: it is the same as fidelity after the marriage. The best gift a young man and a young woman can give to one another on their marriage date is their virginity, marvellous guarantee of fidelity for the whole life. It is evident that God will bless in a very special way those young couples who, for the honour of our Lord Jesus Christ, following the example of St Joseph and our Lady, prepare their marriage in purity and virginity.

 The third good of a Catholic family is the good of the sacrament of marriage: by this sacrament, the union of a Catholic man and woman signifies the union of Christ and His Church, and receives from this most sublime and holy union very special graces to fulfil their duties, both to grow and multiply and to be faithful.

 One sees these three goods in a sublime way in the Holy Family Jesus, Mary and Joseph. One sees also there that sometime (more often than people usually think) a young man or a young woman are called to a higher life: yet there also one enters into a family, a higher family, supernatural family such as a religious order or society, and acquires greater spiritual fecundity and fruitfulness; one finds there a very beautiful mutual support in the trials of life and even in old age. And one lives at the level of the very union of Christ and his Church, living as brides of Christ. There also, there is need to be faithful. This is even a higher virtue of chastity: when one so gives one’s heart totally so totally to Christ that one will not have any other love, yet one acquires thereby a greater spiritual fecundity. Marriage is good; consecrated life is better.

 By the grace of God this is possible. It is possible – nay enjoyable – to have a good and holy family; it is possible, and supernaturally enjoyable, to live a life consecrated to our Lord Jesus Christ. The great condition to achieve a good catholic family, (and even more to live a consecrated life), is PRAYER: there must be prayer in the family; there is need of family prayer. The key to a good family prayer is regularity, even more regularity than length. It is better to say just one or two decades every single day than the whole rosary from time to time. Especially when children are small, a long family prayer may be difficult, but a regular one is not. And the parents can easily finish their rosary on their own. A family that prays together is guaranteed to be blessed by God. A family that prays together stays together.

 In particular there should be a great devotion towards the Holy Family, where each member of the family finds a most perfect example: St Joseph model of fathers; the Blessed Virgin Mary model of mothers and spouse, and the Divine Child a most excellent model for all children.

 Sin is the destruction of love, and the destruction of families. Parents should be careful that there should be no occasion of sin in the family: no evil book, no evil picture, no bad language, no immodesty, etc. Parents should weed the soul of their children to make of it a beautiful garden where all kinds of virtue will blossom.

 May the Divine Child through the intercession of the Blessed Virgin Mary and St Joseph grant to all of you these blessings of a holy family.

 Amen!

フィリピンでのACIM-Asiaによるローザ・ミスティカ・メディカル・ミッションの支援

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会アジア管区長シュテーリン神父様のお手紙を紹介します。

フィリピンでのACIM-Asiaによるローザ・ミスティカ・メディカル・ミッションの支援依頼


二〇一五年一月十六日

アジア管区長、カール・シュテーリン神父よりの心を打つ手紙

二〇一四年十二月三十一日、シンガポールにて

 親愛なる信者の皆さん、親愛なるローザ・ミスティカ・ミッションの友人の皆さん。

 ご存知のように、カナダに任命されたクチュール神父様の発案による賞賛すべき霊的事業を実行することは、私の職務であります。使徒職のこの大海において、最後に残ったまことのカトリック国家の一つであるフィリピンを襲った度重なる災害を眼にして、私の心は引きちぎられています。フィリピンは台風に次ぐ台風に打ちのめされています。私たちの小さな共同体は、フィリピンのすべての住民たちと同じように酷く苦しんでいます。カトリック聖伝への愛情の他に、私たちはヨーロッパとこれら極東の国々を加えた愛徳とあわれみのまことの絆を守っています。十年前の数々の津波、カガヤン・デ・オロでのセンドング(Sendong)台風(二〇一〇年)、マニラの洪水(二〇一二年)、そして特に二〇一三年十一月二日、一万人の死者を出したハイヤン台風によるレイテ島のタクロバンの破壊。タクロバンは二〇一四年初めに行われたローザ・ミスティカ・メディカル・ミッションの現場でした。

 ハグピート(Hagupit)台風(死者二十九名)は、同じタクロバンを襲うだろうと予想されていました。しかし、レイテ島は隣のサマール島とサン・ファニーコ橋(viaduct San Juanico)で結ばれていて、約2.5キロの距離です。そしてサマール島は台風被害をもろに受けました。死者の数は、折良く出された警報発令のおかげで最小限ですみました。ですが私は、前夜に襲った津波がシェルターと避難者たちのテントを破壊したことを知って震え上がりました。彼らはすでに酷い嘆きのうちにあり、三週間前のハグピート台風で収穫物は台無しにされ、ココナッツの木はなぎ倒されてしまったので、現実には食べる物もなく暮らしています。この新たな災害はチャンミー、フィリピンではセニアンと呼ばれた台風によってもたらされています。死亡者数はサマール島の首都カトバロガンではすでに五十九名に達しました。なんという悲しいクリスマス! そして暴風もまたフィリピンのファチマ、ボホール島に達していて、その巡礼地は去年のハイヤン台風で破壊されました。私たちはここに毎年恒例の巡礼団を組織しています。

 一つの災害地域から次の地域へと移動しながら、私はすべての場所で、苦悩のうちにある住民たちを助けるためのAcim Asiaと(聖伝による)レジオ・マリエの賞賛すべき仕事を見ています。毎年のローザ・ミスティカ・ミッションは、医療支援を提供し、苦しむ人々を助けるという変わらぬやり方のうちに、その存在意義を定めています。治療、重症者の世話、慢性の病を持つ人々の検査、住宅の再建、飢えた人々への食糧供給……悲惨の大海におけるひとしずくの水です。

 今年はハイヤン台風の襲撃のため、タクロバンは若いアイルランド人医師、マリー・フラナガンを始めとするヨーロッパ人ボランティアたちによる恩恵を受けました。診療所は、去年のローザ・ミスティカ・ミッションの最中に、ダニエルス神父によって再建されたチャペルの中に設置されました。大変な数の患者たちがそこに迎え入れられ、その間ずっと、ジェネラル・サントス(ミンダナオ島)にACIMの恒久的駐留が維持されました。

 三週間前、一つの宣教団がタクロバンから、サン・ファニーコ橋の終わりに位置するサン・マテオ管区に派遣されました。その時の主な問題は、そこら中に広がって村々を孤立させているぬかるみでした。宣教団は学校(五人の子どもが死亡し、三人は行方不明です)を設置させることができました。その一方で、フィリピン軍は首都カトバロガン地域にいる私たちのボランティアたちを護衛できていません。共産主義ゲリラ軍が状況を引っ掻き回すために主導権を握り、旅行は危険なものとなっています。一月五日に遠征団を送る予定です。

 次回のローザ・ミスティカ・ミッションは二月初旬にタクロバンで行われる予定です。ディケス(Dickès)医師と献身的なAcim-Asiaの秘書たちとともに、遠征団がサマール島へ出発するかどうかを決めるつもりです。

 締めくくりに、私はこの苦しみの海の中にどれほど豊かな霊的収穫があるかを皆さんにお伝えしたく思います。このミッションは厳密に言えばNGOによるものではありません。これは私たちの主イエズス・キリストのメッセージをもたらすためのものなのです。苦しみは私たちをよりいっそう天主に近づけてくれます。どれほど多くのフィリピン人たちが、彼らにもたらされた福音のみことばに慰められていることか! 事実、これらの島々での私たちの信者たちの数は、最近の二週間で四倍に増えました。このあわれみのみわざが聖なるものとなり、永遠に聖なるものとされるのは、諸聖人の通功によるのです。

 イエズスとそのおん母マリアのみ名によりて、皆さまを祝福します。


 聖ピオ十世会アジア管区長 カール・シュテーリン神父





この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。


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聖ピオ十世会アメリカ 神学校新校舎建設プロジェクト

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愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会アメリカの神学校、新しい校舎に関するニュース・ビデオをご紹介します。「天主様について語る建物」"A Building that Speaks of God" - New Seminary Project です。




http://www.newseminaryproject.org/


We are trying to restore the Mass; we are trying to restore the formation of the Catholic priesthood; we’re trying to restore the soul in the hands of God.
The importance of this project is basically the essence of the Society of St. Pius the X, according to the desire of Archbishop Lefebvre, the Society’s main goal is to form priests. They’re going to have to have a very strong and solid formation and a place where they can come back to when they’re being beaten by the world; they need a refuge and that refuge will be the seminary.
If you have a good, solid building, it can help inspire the seminarian, no doubt about it. We are human beings; we are dependent on our senses; we receive all the information through the senses and it’s definitely, let’s say, the place where we live will have a certain influence.
A man is influenced by his surroundings because of the creation he lives in; God is the master of man’s life. He has created all the material realities that surround us and we live in harmony with those surroundings. The surroundings of a cloister, just like the surroundings in a seminary is to form the spirit, to turn away from the world, to be protected from the influences of a materialistic-type of world, and to turn the soul towards God. With a Seminarian entering a seminary, he’s being formed by the walls around him, by the acoustics around him. The architecture is very, very important in that regard.
Practicality is the first, really, goal in any kind of construction – the rains falling, so you need a roof, but there’s also a spiritual dimension that we cannot neglect. And that spiritual dimension is to be able to speak to the people that live there on a daily basis of God - and that’s the importance of this project: it’s enabling man to talk to God. The structure has to be there, the practicality has to be there, but it has to be a building that speaks of God; it has to be a building that lifts the soul to God. The Church expresses the beauty of God through the material building. And that’s the idea of a seminary is to make them live in the spiritual realm.
The cloister means silence. It’s a place inside; it should be, let’s say, surrounded by the walls and so it’s kind of a courtyard inside where the silence should reign. So helping to the prayer, helping to the meditation. And definitely that’s also an element of the priesthood.
The challenge is maintaining the structure in all its soundness, and refusing to neglect the spiritual realm and all its beauty. This project is special because of the building itself; it’s a unique building, nothing has been built like this in the United States in hundreds of years. This is a project where the design is meant to last 500 years.
It’s perhaps the most important project right now in the whole Catholic Church because the work of Archbishop Lefebvre was to restore the priesthood and to preserve the priesthood, which is in such attack today.
The battle of the Society of St. Pius the X is to fight against today’s modern errors - and that’s forming beautiful souls by their environment, by the cloister, by the seminary, by lifting them up through the architectural style to touch God. We just can’t put a price tag on the value of one good priest. It has clearly great importance because that’s the place where we build the next generation of priests.

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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誰がために鐘は鳴る? イスラム・テロリズムとシャルリ・エブド

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日は、童貞殉教者聖アグネスの祝日です。そして、天主様の御恵みにより、このブログも、今日で9周年を迎えました。天主様に感謝します。愛する兄弟姉妹の皆様の応援とお祈りに感謝します。

 さて、今回は、聖ピオ十世会司祭であるアラン・ロランス神父様の記事「誰がために鐘は鳴る?」をご紹介いたします。


「誰がために鐘は鳴る?」

 二〇一五年一月十一日、パリで百万人のデモ群衆が、傷つけられた表現の自由を表す一本のペンを振りかざしながら「Je suis Charlie──私はシャルリ」のスローガンを繰り返した。これは各メディア局と各政党による公式の、満場一致で同意を得た見解である。だが現実に、シャルリ・エブドの風刺画が実際にはどういうものかを知ったなら、このデモ群衆たちのおかげで次のような感想を抱くはずだ。すなわち「クリスマス刊行号にみだらな作風で聖母マリアを描写した漫画家のように、私は無秩序と冒瀆を支持する。数年前に二つのリサイクル用ごみ箱に『これは私の体』『これは私の血』というキャプションを添えた絵を描いた人々、あるいはごく最近、ホスチアの形をしたコンドームを披露した人々のように、私はニヒリストで瀆聖者である」と。

 一月七日の襲撃の日に、教皇フランシスコは「人間の生命を破壊し、人間個人の尊厳を傷つけ、国籍、宗教、文化を超えた個人と大衆との間にある平和的共存の基本的善を根本から崩す憎悪とあらゆる形の暴力に反対することは必須の責務である」と宣言した。ポントワーズ教区のStanislas Lalanne司教と、サン・ドニ教区のPascal Delannoy司教は、一月十一日のデモのカトリック教会公式代表者だった。

 デモの間、生き残ったシャルリ・エブドの漫画家の一人は「今になって急に俺たちのことを友人だと言いだした連中には吐き気がする」と言った。そして皮肉な調子でこう付け加えた。「俺たちには大勢の新しい友人がいる。教皇、エリザベス女王、プーチンといったね。笑わせてくれるよ」 « vomir sur ceux qui, subitement, disent être nos amis : nous avons beaucoup de nouveaux amis, comme le pape, la reine Elizabeth ou Poutine : ça me fait bien rire. »と。

 一月八日正午、雨の降る中、ノートル・ダム大聖堂は弔鐘を鳴らした。誰がために鐘は鳴っていたのか?

アラン・ロランス神父

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【追記】
 ロベルト・デ・マテイ教授は、Christ Crucified: Scandal to the Muslims, Foolishness to the Secularists [Cristo crocifisso, scandalo per i musulmani e stoltezza per i laicisti…] の中で、「テロリズム」とは、イスラムのテロリズムであり、イスラムの世界観によるテロリズムであることを説明しています。

Long War Journal によると、イスラム国のスポークスマン、アブ・ムハンマド・アル・アドナニは「あらゆる異教徒たち(=非イスラムのこと)を徹底的に抹殺する」と述べ、「爆弾や弾薬がなければ、異教徒のアメリカ人やフランス人、さらには同盟国の者を孤立させ、石で頭を叩き潰し、ナイフで刺し殺し、車でひき殺せ。高い所から突き落とし、絞め殺し、毒殺せよ。」と宣言しています。

 彼らの公式の訳によると「私たちはおまえたちのローマを征服する、おまえたちの十字架を壊す、そしておまえたちの女を奴隷とする。これがアラーが私たちに約束したことだ。云々」と言います。We will conquer your Rome, break your crosses, and enslave your women, by the permission of Allah, the Exalted. This is His promise to us; He is glorified and He does not fail in His promise. If we do not reach that time, then our children and grandchildren will reach it, and they will sell your sons as slaves at the slave marke. [Nous allons conquérir votre Rome, nous allons briser votre croix, nous allons prendre vos femmes en captives de guerre par la permission d’Allâh le Très Haut. Ceci est la promesse d’Allâh sur nous et Il ne manque pas à Sa promesse. Si nous n’atteignons pas cela, nos enfants ou nos petits-enfants et ils vendront vos enfants dans les marchés aux esclaves.]

 デ・マテオ教授は、ラディカルなイスラムも、穏健派のイスラムも、同じ目的を持っていること、手段が違うこと、を指摘しています。つまり、穏健派も急進派も、イスラムによる世界征服を目指しているということです。もしそれを目指していなければ、それは穏健派ではなく、良いイスラムではないということだ、と指摘します。シャリア(イスラム法・コーランの法による支配)の世界拡張がイスラムの目的だからです。つまりイスラム絶対主義でありファナティシズムです。このイスラム絶対主義によって、シャルリ・エブドに代表される人々を殺害しています。

 「シャルリ・エブド」は、カトリック信仰を否定した上に成り立つ、フランス革命以後の相対主義の産物です。バスティーユの後に生まれ変わったヨーロッパの啓蒙主義の表現です。

 しかし、デ・マテイ教授は、相対主義がイスラムのファナティシズムに勝つことはない、と断言します。真の天主であるイエズス・キリストだけが、これに向き合うことが出来ます。聖パウロの言葉:「私たちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。それはユダヤ人にとって躓きであり、異邦人にとって愚かであるが、しかし召された人々にとっては、ユダヤ人にもギリシァ人にも、天主の力、そして天主の知恵キリストである。天主の愚かさは人間よりも賢く、天主の弱さは人間よりも強いものだからである。」

 天主様の御助けにより、私たちもデ・マテイ教授と共にこう言いたいと思います。「私たちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。それはイスラムにとって躓きであり、自由主義者にとって愚かであるが、しかし召された人々にとっては、天主の力、そして天主の知恵キリストである。天主の愚かさは人間よりも賢く、天主の弱さは人間よりも強いものだからである。」

 天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)




この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。


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聖ピオ十世会日本 SSPX JAPAN 秋田巡礼【お説教】ダニエルス神父様 Fr Daniels

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愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会日本 2013年5月2日 第7回聖ピオ十世会日本公式秋田巡礼での、聖ピオ十世会のダニエルス神父様司式による聖マリアの七つの御悲しみの随意ミサ(歌ミ­サ)でのお説教をご紹介します。










この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。


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