2017年9月10日(主日)聖霊降臨後第14主日のミサ
小野田神父 説教
聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2017年9月10日、聖霊降臨後第14主日のミサをしています。
今日のこのミサの後には14時から公教要理の続き、特に聖書の背景として、ファリザイ派やサドカイ派について話をしましたので、今度はエルサレムの神殿について話を進めたいと思っています。
16時からは主日の晩課があります。明日は朝7時からミサがあります。
この次のミサは10月1日です。10月は1日と22日です。
「まず、天主の国とその正義を求めよ。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日のこのミサは、全て天主の国と肉の国、マンモンの国との比較になっています。そしてミサでは、「その肉の国にいるよりは、天主の御元にいるほうが、すぐ近くにいるほうが、他の所に何千日いるよりも、あなたの元で1日いる方がもっと楽しい。もっと幸せだ。肉のどんなに力のある人々に頼るよりも、御身に信頼した方がよっぽど信頼が置ける。どれほど利益がある事か」と歌っています。
そこでまず今日は、今日のミサのメインテーマをまず垣間見て、
次に私たちの現実を、一体私たちはどうなのかという事を見て、ミサに従って、私たちにはどんな事が与えられているか、という事を黙想します。
そして最後に、では私たちに与えられた助けを黙想して、そして最後に遷善の決心を立てる事に致しましょう。
今日の書簡も福音書も、はっきりと2つの国について話しています。
「肉の国、肉の業は何か。」肉の業は色々聖パウロが名前を挙げていますが、「はっきり言うけれども、これらの事をする人は天の国を継がない、天国には行かない」と非常にはっきり言います。
「ところが、霊に従って生きる人は、天主の精神に従って生きる人は、聖霊の実りを頂く、12の実りを頂く。そしてこれらに反する法というものは全くない。」
イエズス様も聖福音で言います、「人は2つの主人に仕える事はできない。一人を尊重してあるいは一人を憎むか、一人を信頼して一人を裏切るか、どちらかを選ばなければならない。」
そして私たちについては、「心配するな。なぜかというと、天主は私たちの父であって、私たちが必要なものを全て知っておられて、私たちと共に心を配って下さっているから。私たちが天主の事に心を使えば使うほど、天主が私たちの代わりに私たちに必要なものは全て与えて下さる。だからまず天主の国を求めよ。そして肉の国に仕えようなどという罠にかかるな」と仰っています。この2つのテーマは、私たちにとって非常に良く黙想、私たちが黙想するとても親しみのある事です。
ところで第2の点は、私たちは一体そのような事をよく知りつつも、実際の生活はどうなのでしょうか?
「私たちは天の国をまず求める、その義を求める。天にまします我らの父よ、願わくは御名の尊まれん事を、御国の来たらん事を」とお祈りしますが、しかし残念ながらこれらのお祈りは時々機械的になってしまって、いざ私たちが選択に迫られると、「天主の御旨を、天主の御望みのものを」というよりは、「私の望みを、私の思う通りに」となってしまうのではないでしょうか。あるいは、「天主の御旨を果たす」と言いながらも、実は妥協して、それでも私の思いを中に入れて、そして結局はあまり霊魂の救いの為にも、天主の御国を求める為にもあまり役に立たない、中途半端なものしか出来上がらないのではないでしょうか。皆さんもご存知の通り、服を着るにも、車を作るにも、やはり中途半端であると、それは使い物になりません。まさに天主様に捧げるものはそうです。私たちのその心は見るでしょうが、しかし中途半端は中途半端で、使いものになりません、役に立たないものとなってしまいます。
では、このような私たちの現実を見ると、弱い私たちを見ると、必ずしも主の御旨を求めて、というよりは、「両方に仕えたい、両方に妥協する。」あるいは「ちょっと待って、明日。今日はこれをやって、明日、天主様の御旨を。」明日になると、「また明日、」と伸ばしたり、バーゲンをしたり、値引きをしたりとするのではないでしょうか。
まさに主祷文が言っているように、主の御助けなければ、私たちは本当に人間の弱さの内に倒れてしまって、主の助けをもって私たちは初めて良く生きる事ができるという現実を目の前にして生きています。これは私たちが毎日経験する事です。
そこでそのような私たちに、良い救いが与えられています。「御身なければ私たちにはできない」という私たちの祈りを聞き入れて下さったかのようです。それは何かというと、私たちのいつもそばにいる「マリア様」です。特に今年はファチマのマリア様の100周年を祝っていますから、マリア様の私たちに思い出させてくれる助けをよく思い出す事に致しましょう。
ファチマではマリア様は、御現れになる毎に子供たちにお願いしました、「毎日ロザリオを唱えて下さい。来たるべき危険から救う事ができるのはこの方だけです、ロザリオの元后だけです。」秋田でも同じ事を仰いました、「あなたたちに残された武器は、ロザリオと御子の残されたしるしだけです。私に取りすがる者は助けられるでしょう。」
マリア様はあたかも、現代になって、「あぁ、ロザリオというのは何か、時代遅れの祈りだ。」「ロザリオというのは迷信だ。」「ロザリオというのはもう唱えなくても良いんだ。もっとそれよりも聖書を読んだ方が良い」とか、あるいは「もっと他の事をした方が役に立つ」と言う時代が来る事をご存知であったかのようです。
マリア様はそうではなくて、「ロザリオを毎日唱えなさい。平和の為に祈りなさい」と仰っていました。実際にファチマの御出現の後に世界中で、特にピオ十二世教皇様のもとで、ファチマの聖母が非常に促進されて、ファチマの聖母の事が非常に重要視されて、世界中でこのマリア様の御像が各地を回ったり、ロザリオのお祈りを皆で唱えたり、マリア様に償いと祈りをたくさん捧げるという行事が世界中で行われました。その時に多くの奇跡が起こっています。
例えば戦後直後、第二次世界大戦の直後オーストリア、ハンガリー帝国は第1次世界大戦で分割され、そしてオーストリアという小さな国が残ったのです。小さなオーストリアさえもロシアに、ソ連に占拠されていました。特に首都ウィーンは共産国やスターリンの下で占拠していました。オーストリアが全部が共産党、赤化する赤くなる、共産党の支配の下に留まってしまうという事は、もう誰の目が見ても明らかでした。どうしてスターリンがキリスト教の中心であるオーストリアのウィーンを手放す事があるでしょうか、もっとも中心拠点の中心場所を手放す事ができるでしょうか。もう誰もが、「もう、もはやこれで失われた」と思っている時がありました。しかしその時にオーストリアの国民が、「私はロザリオを唱える」というふうに署名をして、100万人以上がそれに約束したのだそうです。
すると、なぜか分からないのですけれども、説明も無しにスターリンは、共産軍を赤軍を首都から撤去してしまいました。そしてオーストリアは自由諸国の中に留まる事になりました。別に戦ったわけでも何をしたわけでもなくて、ただロザリオを唱えていただけです。
現代私たちも、北朝鮮がミサイルを飛ばすとか、あるいはもしも米朝が戦ったならば朝鮮半島は壊滅するとか、首都は数日の内に壊滅して何百万人という難民が出るだろうとか、あるいは世界中でテロがあるとか、きな臭いニュースなどがたくさんあります。私たちはその時に、どうしてもロザリオの祈りに頼らなければなりません。
ではこの私たちが天主の国をいつも選ぶ事ができる為に、マリア様が私たちに与えられましたが、特に私たちにとってロザリオが大切です。ファチマのシスタールチアは私たちにこう言っています。
フエンテス神父様という、聖ジャシンタと聖フランシスコの列聖列福の為の責任者と選ばれた時に、フエンテス神父様がルチアにインタビューした時にルチアはこう答えています。
「神父様、今この世を救う為に最後の手段が与えられています。その手段は二つあります、『ロザリオ』と『聖母マリアの汚れなき御心に対する償いの信心』です。もしもこの2つを逃すならば、他にはもう手段がありません。」
ちょうど私たちは現代、教会の危機の神秘体の受難の時期にあるかのようです。ですからこそ皆さんは、この児童会館にミサに与って来ていますし、残念ながら教会の危機、多くの方が、「昔ながらの信仰」というよりは「新しい信仰」と、「イエズス・キリストへの信仰」というよりは「それ以外の事」を信じるようになっています。残念ながら。
そして、イエズス様の聖心が聖マルガリタ・マリア・アラコックに言うところによると、「特にイエズス様の聖心を悲しませているのは、洗礼を受けた人々が、あるいは特別に選ばれたイエズス様に捧げられた霊魂たちが、罪を犯したり、あるいは不信であったり、あるいは怠惰であったりして、その務めを果たさない時に、特にイエズス様の聖心が苦しむ。教会の敵がイエズス様を攻撃するよりも、教会の内部の、特にイエズス様から愛された霊魂たちがイエズス様に対して冷淡であると、イエズス様を屈辱する時に特に悲しむ」と言っています。
マリア様がファチマで6月13日にお見せになった御心にも、茨の冠が被せられていました。そのルチアによると、長い棘が刺さっていたそうです。その長い棘は、イエズス様から愛されていた霊魂がイエズス様を侮辱する、その悲しみでなくて一体何でありましょうか。
そうすると、ちょうど対比を見るかのようです。イエズス様の公生活の最後に、イエズス様は十字架に付けられました。イエズス様の肉体が十字架に付けられて受難を受けましたけれども、その時にマリア様は足下でずっと立っておられました。イエズス様の御受難の苦しみをマリア様は聖父に、イエズス様と共に捧げておられました。マリア様の御悲しみによって、七つの剣が貫かされたその御心の悲しみによって、あるいは聖ヨハネは信仰を保ちましたし、十字架の下に留まりましたし、異邦人であった百夫長は回心しました、「確かにこの人は、天主の子であった。」またマリア様のお祈りによってに違いありません、マリア様の側に立っていた善き盗賊は回心しました。聖マグダレナ・マリアも力づけられました。
それと同じようにファチマのマリア様も、イエズス様の御受難、イエズス様の神秘体の受難の今のこの時期に、私たちと共に留まっておられるかのようです。そして御自分の悲しみに満ちた汚れなき御心の中に私たちを招いて、多くの不信者や異教徒や、あるいは罪人たちを回心させようと、現代の良き盗賊と、現代の百夫長たちを回心させようと、あるいは公の罪人であっても回心させようと、現代のマグダレナ・マリアたちを回心させようと、マリア様は招いておられるのです。
もしも私たちもマリア様と共にいるのならば、汚れなき御心と共にいるならば、十字架と共に立ち留まる事ができます。聖ヨハネの真似をする事ができます。
実際に、ファチマのマリア様のこのキャンペーンがマリア様の信心が非常に高まった時に、第二次世界大戦の直後、多くの人々が回心しました。アメリカでは毎年10万人以上の成人が洗礼を受けました。中には共産党だった、有名な教会の敵であった共産党員たちも続々と回心して、カトリックになって、「自分が回心したのは、ファチマのマリア様のおかげだ」と言っています。
このような奇跡がマリア様は、今でも起こす事ができます。もしもマリア様が100年前に太陽の奇跡を起こす事ができたならば、多くの人が信じる事ができるように太陽の奇跡を起こす事ができたのならば、現代でも霊的な太陽の奇跡を、正義の太陽であるイエズス様を私たちの前に輝かせて、多くの不信者たちの目の前にその太陽の光を燦然と輝かせて、そのそれによって暖めて、びしょびしょに濡れている、罪で濡れているものを乾かさして、その前に跪かせて、「確かにイエズス・キリストこそ、真の唯一の天主である。救い主である」と信じさせる事ができます。マリア様はこれを望んでおられるのです。
その為にもお願いに来ました、「どうか、毎日ロザリオを唱えて下さい。」御出現の度にこれを子供たちにお願いしました。「ロザリオを唱えて下さい。来たるべき危険から救う事ができる方は私だけです。」
ですから私たちも、天主の国を求める為にも、天主の御摂理に全く信頼する為にも、私たちの必要なものを全てご存知の御方に信頼する為にも、空に飛ぶ鳥のように私たちもマリア様の元に翔け寄る事に致しましょう。マリア様は私たちに与えられた母であり、救いの避難所であり、天主へと導く道であるからです。
どうぞ良い遷善の決心を立てて下さい、「ロザリオのお祈りをますますしよう」と。もしもできればお友達にも勧めて下さい、ファチマのマリア様についてお話してあげて下さい。そしてロザリオについて反対する人がいたら、「いや、そうではない。ロザリオこそ必要な祈りであって、教会の最も重要な祈りだ」と教えてあげて下さい。
そしてできれば、私たちも家族でお祈をする事ができますように、毎日お祈りする事ができますように、良い遷善の決心を立てる事に致しましょう。
来たるべき木曜、金曜は、イエズス様の十字架の称賛と、悲しみに満ちた聖母の祝日でもあります。どうぞマリア様の悲しみをロザリオをもってお慰めする事ができるように、決心を取りましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2017年9月10日、聖霊降臨後第14主日のミサをしています。
今日のこのミサの後には14時から公教要理の続き、特に聖書の背景として、ファリザイ派やサドカイ派について話をしましたので、今度はエルサレムの神殿について話を進めたいと思っています。
16時からは主日の晩課があります。明日は朝7時からミサがあります。
この次のミサは10月1日です。10月は1日と22日です。
「まず、天主の国とその正義を求めよ。」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日のこのミサは、全て天主の国と肉の国、マンモンの国との比較になっています。そしてミサでは、「その肉の国にいるよりは、天主の御元にいるほうが、すぐ近くにいるほうが、他の所に何千日いるよりも、あなたの元で1日いる方がもっと楽しい。もっと幸せだ。肉のどんなに力のある人々に頼るよりも、御身に信頼した方がよっぽど信頼が置ける。どれほど利益がある事か」と歌っています。
そこでまず今日は、今日のミサのメインテーマをまず垣間見て、
次に私たちの現実を、一体私たちはどうなのかという事を見て、ミサに従って、私たちにはどんな事が与えられているか、という事を黙想します。
そして最後に、では私たちに与えられた助けを黙想して、そして最後に遷善の決心を立てる事に致しましょう。
今日の書簡も福音書も、はっきりと2つの国について話しています。
「肉の国、肉の業は何か。」肉の業は色々聖パウロが名前を挙げていますが、「はっきり言うけれども、これらの事をする人は天の国を継がない、天国には行かない」と非常にはっきり言います。
「ところが、霊に従って生きる人は、天主の精神に従って生きる人は、聖霊の実りを頂く、12の実りを頂く。そしてこれらに反する法というものは全くない。」
イエズス様も聖福音で言います、「人は2つの主人に仕える事はできない。一人を尊重してあるいは一人を憎むか、一人を信頼して一人を裏切るか、どちらかを選ばなければならない。」
そして私たちについては、「心配するな。なぜかというと、天主は私たちの父であって、私たちが必要なものを全て知っておられて、私たちと共に心を配って下さっているから。私たちが天主の事に心を使えば使うほど、天主が私たちの代わりに私たちに必要なものは全て与えて下さる。だからまず天主の国を求めよ。そして肉の国に仕えようなどという罠にかかるな」と仰っています。この2つのテーマは、私たちにとって非常に良く黙想、私たちが黙想するとても親しみのある事です。
ところで第2の点は、私たちは一体そのような事をよく知りつつも、実際の生活はどうなのでしょうか?
「私たちは天の国をまず求める、その義を求める。天にまします我らの父よ、願わくは御名の尊まれん事を、御国の来たらん事を」とお祈りしますが、しかし残念ながらこれらのお祈りは時々機械的になってしまって、いざ私たちが選択に迫られると、「天主の御旨を、天主の御望みのものを」というよりは、「私の望みを、私の思う通りに」となってしまうのではないでしょうか。あるいは、「天主の御旨を果たす」と言いながらも、実は妥協して、それでも私の思いを中に入れて、そして結局はあまり霊魂の救いの為にも、天主の御国を求める為にもあまり役に立たない、中途半端なものしか出来上がらないのではないでしょうか。皆さんもご存知の通り、服を着るにも、車を作るにも、やはり中途半端であると、それは使い物になりません。まさに天主様に捧げるものはそうです。私たちのその心は見るでしょうが、しかし中途半端は中途半端で、使いものになりません、役に立たないものとなってしまいます。
では、このような私たちの現実を見ると、弱い私たちを見ると、必ずしも主の御旨を求めて、というよりは、「両方に仕えたい、両方に妥協する。」あるいは「ちょっと待って、明日。今日はこれをやって、明日、天主様の御旨を。」明日になると、「また明日、」と伸ばしたり、バーゲンをしたり、値引きをしたりとするのではないでしょうか。
まさに主祷文が言っているように、主の御助けなければ、私たちは本当に人間の弱さの内に倒れてしまって、主の助けをもって私たちは初めて良く生きる事ができるという現実を目の前にして生きています。これは私たちが毎日経験する事です。
そこでそのような私たちに、良い救いが与えられています。「御身なければ私たちにはできない」という私たちの祈りを聞き入れて下さったかのようです。それは何かというと、私たちのいつもそばにいる「マリア様」です。特に今年はファチマのマリア様の100周年を祝っていますから、マリア様の私たちに思い出させてくれる助けをよく思い出す事に致しましょう。
ファチマではマリア様は、御現れになる毎に子供たちにお願いしました、「毎日ロザリオを唱えて下さい。来たるべき危険から救う事ができるのはこの方だけです、ロザリオの元后だけです。」秋田でも同じ事を仰いました、「あなたたちに残された武器は、ロザリオと御子の残されたしるしだけです。私に取りすがる者は助けられるでしょう。」
マリア様はあたかも、現代になって、「あぁ、ロザリオというのは何か、時代遅れの祈りだ。」「ロザリオというのは迷信だ。」「ロザリオというのはもう唱えなくても良いんだ。もっとそれよりも聖書を読んだ方が良い」とか、あるいは「もっと他の事をした方が役に立つ」と言う時代が来る事をご存知であったかのようです。
マリア様はそうではなくて、「ロザリオを毎日唱えなさい。平和の為に祈りなさい」と仰っていました。実際にファチマの御出現の後に世界中で、特にピオ十二世教皇様のもとで、ファチマの聖母が非常に促進されて、ファチマの聖母の事が非常に重要視されて、世界中でこのマリア様の御像が各地を回ったり、ロザリオのお祈りを皆で唱えたり、マリア様に償いと祈りをたくさん捧げるという行事が世界中で行われました。その時に多くの奇跡が起こっています。
例えば戦後直後、第二次世界大戦の直後オーストリア、ハンガリー帝国は第1次世界大戦で分割され、そしてオーストリアという小さな国が残ったのです。小さなオーストリアさえもロシアに、ソ連に占拠されていました。特に首都ウィーンは共産国やスターリンの下で占拠していました。オーストリアが全部が共産党、赤化する赤くなる、共産党の支配の下に留まってしまうという事は、もう誰の目が見ても明らかでした。どうしてスターリンがキリスト教の中心であるオーストリアのウィーンを手放す事があるでしょうか、もっとも中心拠点の中心場所を手放す事ができるでしょうか。もう誰もが、「もう、もはやこれで失われた」と思っている時がありました。しかしその時にオーストリアの国民が、「私はロザリオを唱える」というふうに署名をして、100万人以上がそれに約束したのだそうです。
すると、なぜか分からないのですけれども、説明も無しにスターリンは、共産軍を赤軍を首都から撤去してしまいました。そしてオーストリアは自由諸国の中に留まる事になりました。別に戦ったわけでも何をしたわけでもなくて、ただロザリオを唱えていただけです。
現代私たちも、北朝鮮がミサイルを飛ばすとか、あるいはもしも米朝が戦ったならば朝鮮半島は壊滅するとか、首都は数日の内に壊滅して何百万人という難民が出るだろうとか、あるいは世界中でテロがあるとか、きな臭いニュースなどがたくさんあります。私たちはその時に、どうしてもロザリオの祈りに頼らなければなりません。
ではこの私たちが天主の国をいつも選ぶ事ができる為に、マリア様が私たちに与えられましたが、特に私たちにとってロザリオが大切です。ファチマのシスタールチアは私たちにこう言っています。
フエンテス神父様という、聖ジャシンタと聖フランシスコの列聖列福の為の責任者と選ばれた時に、フエンテス神父様がルチアにインタビューした時にルチアはこう答えています。
「神父様、今この世を救う為に最後の手段が与えられています。その手段は二つあります、『ロザリオ』と『聖母マリアの汚れなき御心に対する償いの信心』です。もしもこの2つを逃すならば、他にはもう手段がありません。」
ちょうど私たちは現代、教会の危機の神秘体の受難の時期にあるかのようです。ですからこそ皆さんは、この児童会館にミサに与って来ていますし、残念ながら教会の危機、多くの方が、「昔ながらの信仰」というよりは「新しい信仰」と、「イエズス・キリストへの信仰」というよりは「それ以外の事」を信じるようになっています。残念ながら。
そして、イエズス様の聖心が聖マルガリタ・マリア・アラコックに言うところによると、「特にイエズス様の聖心を悲しませているのは、洗礼を受けた人々が、あるいは特別に選ばれたイエズス様に捧げられた霊魂たちが、罪を犯したり、あるいは不信であったり、あるいは怠惰であったりして、その務めを果たさない時に、特にイエズス様の聖心が苦しむ。教会の敵がイエズス様を攻撃するよりも、教会の内部の、特にイエズス様から愛された霊魂たちがイエズス様に対して冷淡であると、イエズス様を屈辱する時に特に悲しむ」と言っています。
マリア様がファチマで6月13日にお見せになった御心にも、茨の冠が被せられていました。そのルチアによると、長い棘が刺さっていたそうです。その長い棘は、イエズス様から愛されていた霊魂がイエズス様を侮辱する、その悲しみでなくて一体何でありましょうか。
そうすると、ちょうど対比を見るかのようです。イエズス様の公生活の最後に、イエズス様は十字架に付けられました。イエズス様の肉体が十字架に付けられて受難を受けましたけれども、その時にマリア様は足下でずっと立っておられました。イエズス様の御受難の苦しみをマリア様は聖父に、イエズス様と共に捧げておられました。マリア様の御悲しみによって、七つの剣が貫かされたその御心の悲しみによって、あるいは聖ヨハネは信仰を保ちましたし、十字架の下に留まりましたし、異邦人であった百夫長は回心しました、「確かにこの人は、天主の子であった。」またマリア様のお祈りによってに違いありません、マリア様の側に立っていた善き盗賊は回心しました。聖マグダレナ・マリアも力づけられました。
それと同じようにファチマのマリア様も、イエズス様の御受難、イエズス様の神秘体の受難の今のこの時期に、私たちと共に留まっておられるかのようです。そして御自分の悲しみに満ちた汚れなき御心の中に私たちを招いて、多くの不信者や異教徒や、あるいは罪人たちを回心させようと、現代の良き盗賊と、現代の百夫長たちを回心させようと、あるいは公の罪人であっても回心させようと、現代のマグダレナ・マリアたちを回心させようと、マリア様は招いておられるのです。
もしも私たちもマリア様と共にいるのならば、汚れなき御心と共にいるならば、十字架と共に立ち留まる事ができます。聖ヨハネの真似をする事ができます。
実際に、ファチマのマリア様のこのキャンペーンがマリア様の信心が非常に高まった時に、第二次世界大戦の直後、多くの人々が回心しました。アメリカでは毎年10万人以上の成人が洗礼を受けました。中には共産党だった、有名な教会の敵であった共産党員たちも続々と回心して、カトリックになって、「自分が回心したのは、ファチマのマリア様のおかげだ」と言っています。
このような奇跡がマリア様は、今でも起こす事ができます。もしもマリア様が100年前に太陽の奇跡を起こす事ができたならば、多くの人が信じる事ができるように太陽の奇跡を起こす事ができたのならば、現代でも霊的な太陽の奇跡を、正義の太陽であるイエズス様を私たちの前に輝かせて、多くの不信者たちの目の前にその太陽の光を燦然と輝かせて、そのそれによって暖めて、びしょびしょに濡れている、罪で濡れているものを乾かさして、その前に跪かせて、「確かにイエズス・キリストこそ、真の唯一の天主である。救い主である」と信じさせる事ができます。マリア様はこれを望んでおられるのです。
その為にもお願いに来ました、「どうか、毎日ロザリオを唱えて下さい。」御出現の度にこれを子供たちにお願いしました。「ロザリオを唱えて下さい。来たるべき危険から救う事ができる方は私だけです。」
ですから私たちも、天主の国を求める為にも、天主の御摂理に全く信頼する為にも、私たちの必要なものを全てご存知の御方に信頼する為にも、空に飛ぶ鳥のように私たちもマリア様の元に翔け寄る事に致しましょう。マリア様は私たちに与えられた母であり、救いの避難所であり、天主へと導く道であるからです。
どうぞ良い遷善の決心を立てて下さい、「ロザリオのお祈りをますますしよう」と。もしもできればお友達にも勧めて下さい、ファチマのマリア様についてお話してあげて下さい。そしてロザリオについて反対する人がいたら、「いや、そうではない。ロザリオこそ必要な祈りであって、教会の最も重要な祈りだ」と教えてあげて下さい。
そしてできれば、私たちも家族でお祈をする事ができますように、毎日お祈りする事ができますように、良い遷善の決心を立てる事に致しましょう。
来たるべき木曜、金曜は、イエズス様の十字架の称賛と、悲しみに満ちた聖母の祝日でもあります。どうぞマリア様の悲しみをロザリオをもってお慰めする事ができるように、決心を取りましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。